2014年02月08日

今年も不運がつづく (水道管が壊れ大量の水もれるときいなかった)

 

今年も不運がつづく

(水道管が壊れ大量の水もれるときいなかった)


今年もなんか不運だった。
遠隔操作でプロバイダーを変えて失敗したり母がトイレに行けなくなり入院した。
入院したら医者から退院許可がおりたから
ケアマネジャーと退院のことを相談してくださいと言われてショックだった。

そして今日は最大の不運だった。

入院している間に仙台に行った。約一年ぶりだった。
何やかにや追われて行けなかった。介護していると外出ができなくなる。
その外出した時に水道管が壊れて大量の水もれをしていたのである。
仙台にいるからそのことに気づくことはできない。

ただ最近知り合った人が電話でしらせてくれた。
その人は近くに住んでいるから5時ころきてそのことを知らせてくれた。
じも水漏れを知ったのは隣の人だった
その人が水道管の元栓をとめてくれた。
これは助かった。

大量の水漏れでどのくらい水道料がとられるのか不安である。

今まで水道管が壊れるなどありえなかった。
何の原因かわからない、台所が凍ったということもない。
それで水が出なくなったの原因なのかわからない。
大きな太い水道管から水がもれたのだから
こんなこと水道を設置してからない、もう40年間もないだろう。
それが自分が仙台に行ったとき壊れたのだからよほど不運である。

温水器も40年使って壊れたし家自体老朽化しているのだろう

本当に一人暮らしはどんな危険が待っているかわからない
突然病気になり入院して一カ月病院から出れなかった
そのとき家は火事場泥棒にあい大金を失った
今回も自分が留守のときに起きた

一人暮らしでは留守にすると何が起きるかわからない
だから電気のブレカー落とし水道の元栓を切ることは必ずしなければならない
ブレカーも落とすことがなかった
それに気付かなかったのである。
だから一回電気を消し忘れ仙台に行ったとき、火事になる恐怖を味わった
火事になったら大迷惑になるから大変である。
こういうことは経験を積まないとわからない
家族がいるときはこんな心配はなかったからである

介護したりして一人暮らしだと何か起きるかもわからない

そして隣の町でも意外と緊急の時は役に立たない
車で10分でも何かめんどうなのであり手間なのである
だから遠くの親戚より近くの他人というのは本当である
その遠くの親戚は今では東京辺りはをイメージするが
実は隣の村のことだったのである
隣の村でも車もない時は遠くなっていたのである


今日は大雪であり水道は出ない
市に知らせたら水道科は今日は休みだという
確かに今日は土曜日だった
これも不運だった
近くの水道屋来ると言ったがこの雪で来なかった

でも回りが平常なので水道が出なくてもすぐには困らない
明日になれば買い物もできるからである
ただこの寒さで電気がとまったら大変なことになる
暖房できなくなるからだ
石油ストーブは置いていないからだ


今ふりかえると津波原発事故のときは電気も水道もとまらなかった
そこで二週間の米のたくわえがたまたまあったのでしのいだ。
でも水道がでないと水をもらう必要があり苦しくなった
ご飯をたけないということがあった

だから水の貯えも必要だった
緊急時の貯えは何かしら必要である
ただ回りは平常であれば買いものもできるからしのげる
ただ外から物資が入らなくなりここでは苦しんだ
交通が遮断されてそうなった

それが今は正常なので自分がこうなっても数日間のしんぼうというだけである

ともかく緊急時の備えは必要である
それでも電気がとまり水道がでないとなるとパニックになる
ただ今回のように回りが正常だったら買い物もできるから困らない

大雪になると車もスリップするとか危険である
自転車もスリップしやすいから危険になる
今はここは雪はやんだみたいが


明日はなんとか水がなくてもしのいで月曜日まで待つほかない
皮肉なのはこのもらった水が一本あったというのも何か暗示している
緊急のために水を供えておけよということなのだろう

anshisuii11.jpg

 
これ一本だけがあった


40年間壊れない水道管が壊れた


原発は40年で大事故になった


400年間なかった大津波で大被害になった



災難はこうして長い期間の中で起こる
「災害は忘れたころにやってくる」というのは本当である
水道管が壊れて、温水器が壊れた、原発が壊れたというのは
一つの原因は明らかに古くなって壊れたということがあった

人間が作ったものは古くなり機械でも危険になり事故が起きる
人間も古くなると老人になると病気になると同じなのである


この世では災難は400年単位とかなれば必ず起きる
それも想像もつかないものが起きることは確実なのである
だから備えをしなければならないのだしていないのである

 

70年代に建設されたコンクリート構造物が2005年から2010年ころに一斉に崩れ始める
http://www.asahi-net.or.jp/~pb6m-ogr/ans040.htm


機械でも古くなれば故障が多くなる。そういう原発がマ-ク1の原発が他にもあるし
40年とか使っている原発があるけどそのままにしている。コストの面からしたら古くても使っていたのである

 
 
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2014年02月10日

なぜ事故が起きるのだろうか? (事故もカルマが関係していたーツケは必ず払わされる)

 

なぜ事故が起きるのだろうか?

(事故もカルマが関係していたーツケは必ず払わされる)


事故がなぜ起きてくるのか?それは不注意とかが一番言われる。
でも注意しても事故は思いがけなく起こる。
だから事故は運不運だともなってくる。
なぜ今回水道管などか壊れて大量の水漏れをしたのか?
それも自分が留守の時に起きたのか

これは何なんだろうとなる

その原因はたまたま遠くに外出したことにあった
それも仙台に行ったのは約一年ぶりであり出かけていない
だから母が入院している間に行きたいと思っていた
自分はこれまで自由にどこでもふらっと遠くに旅もできた
そういう自由があることはよほど恵まれていたのである
なぜなら他の人は勤めていれば時間に出勤して
休暇をとること自体簡単にできないからである


それが家族が病気になり自分も病気になりここ7年間は介護でできなくなった
介護になると代わりがいないと外出すら余裕をもってできなくなる
それが一番自分には辛かった
全く自由が奪われてしまったのである
それも結局はあまりにも恵まれた結果なのである
「お前には十分自由を味わったからもうあなたの自由はない」
そう宣告されたと同じである


今回の大きな事故も何かそういう宣告を破ったことが原因している
お前は勝手には外出できない、遠出はできない
今までは家族がいて留守していたのだからこんなことは起こりえようがないのだ
要するに「お前にはもう自由がないのだ」ということを宣告されているのだ
その宣告を破ったがゆえに大きな事故が起きてしまった
それも自分がいないときに起きた
自分がいればその事故もたいしたものとはならなかった
水はすぐとめられたからである

てもこんなことは40年に一度くらいしか起こらないのである
だからその事故の時、家にいないということはよほど不運だったのである

事故に運不運があるとき、それは単に不注意とかではない運命的に事故が起きる
だから事故の原因が何なのか、それは運命だったということにもなる
そして事故がカルマだったということも指摘される
カルマというときその人が事故を起こすカルマをもったから起こす
自分の兄弟の一人は自分の父は同じではないが工場で事故で死んだ
その息子であったが40歳で交通事故で死んだ
だから二代して事故で死んでいるのはなぜなのだろうとなる
これもカルマなのかとなってしまう


ただこの世で事故はいつでも起きている、最近聞いた話では電柱に上る電気の仕事をしている人が
感電して死んだという、あそこには6000ボルトの電気が流れているという、
だから危険であり死ぬ人がいても不思議ではない
すると電気はボタン押せば使えるがその電気を作り保つことは危険があるということも認識する
命がそこて犠牲にされているということも認識して電気はありがたいものだとなる
原発でも事故が起きなければそうなっていたのである

だから事故はいつの世でもあり一つの犠牲だったともなる

なぜなら事故は交通事故でもそうだが車社会ではどんなに注意しても起きる
だから車社会の犠牲として事故が起きるからやむをえないとして保険金がでる
電気も同じなのだ
電気を維持するためにはやはりそれを保守点検する人がいてそういう事故が起きた
それは電気社会を維持するための尊い犠牲だったとなる
一種の電気を維持するための殉職だったとなる

原発事故でも電気社会を維持するために不可欠であり
犠牲者がでてもしかたがない、それより電気がなくなったら今の社会は維持できない
だから原発なしでは社会は文明は維持できないからつづけるべきだということになる
だから原発は簡単にやめるわけには行かないのである


いづれにしろ事故は何か運命的に起こらないか?
今回の事故にしても自分にとっては何か運命的だった
自分が今出かけなければあとはまた出かけられなくなる
そう思ってでかけたとき事故が起きたのだから運命的である

だから事故でも運命論的にとらえる人もでてくる
事故にあうべくしてあったのだ、死ぬべきして死んだとかさえされる
原発事故も起こるべくして起きた

巨大地震津波が起きたのも運命的であり事故も起きた
事故は運命的起きたということである
運命的とはどんなことをしてもさけられずに起きるということである
そこには神の意志さえ働いて起きるともなってしまう
だから人間の力ではさけられないものとして起きるのだともなってしまう

事故でも今回の原発事故でも予測しえないものが起きて起きるからそうなる

交通事故だってどんなに注意してもたまたま車を運転している人が暴走したりすれば
さけられない、自分が悪くなくても死んだりする。
だからそれもよほど不運だったとなる
それは相手の過失でそうなっても不運だったとなる

事故でも犯罪にあうのも運命的で運不運があったとなる
自分が突然病気になり入院して火事場泥棒にあったのも
大不運だったがそれも運命的でありさけられなかった
つまりそういう犯罪にあうべくしてあったとまでなる
犯罪というはそういう側面があるかもしれないのだ
なぜその人だけが犯罪の被害者になるのが不可解なことがあるからだ


ともかくこの7年間に自分に起きたことは何らかのカルマの結果でもあり
起こるべくして起きた運命的なものがあったということである
カルマとはなんらかのツケである。それを人生で積んでいるのが人間である
一番わかりやすいのは借金である
借金は具体的なカルマでありツケだからいづれは隠すことができず払わされる
それが過酷なものとなっている場合がある
その清算もいつかは要求される

だから自分に起きたこともカルマでありツケを払わされているとなる
原発事故でもそういうことがいろいろ起きている。
原発避難者は原発では金銭的に恩恵を受けていたとか言われる
それか今はカルマとなりツケとなって過酷なものとして支払いを要求されている
いづれはカルマはツケは個々人でも団体でも支払わされるということである

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寛政地震で相馬藩内で8人死んだ津波があった (200年前だったがこれも記録されていなかった)


寛政地震で相馬藩内で8人死んだ津波があった

(200年前だったがこれも記録されていなかった)


1793年 2月17日
(寛政 5) 陸前・陸中・磐城 8〜8.4 仙台藩(現、宮城県)で死者12、家屋破損1,060余。宮城南部の震度は5〜6程度であった。相馬で津波があり、死者8発生。
http://www.mlit.go.jp/kokudokeikaku/iten/information/council/shuto-research/jishin_kentou/c_js06.html


寛政五年正月七日午刻(昼九ツ時過)(1793年2月17日正午過頃)牡鹿半島沖に大地震が発生した。
『古廟山主将記録』には、大津波が発生し須賀浦にて家17軒が流れ12-13人が流死したとある。『東藩史稿』には仙台藩領内で圧死12人、馬13頭、潰家1060余とある[1]。
全体で潰家および流失家1730軒余、船の流失・破損33、死者44人以上とされ、相馬では余震が10ヶ月以上続いた記録がある[2]。


宇佐美龍夫(2003)は、津波が相馬、いわきで引き波で始まったことから1896年の明治三陸地震にも似ていることを考慮して震央(北緯38.5°、東経144.5°)をより沖に定め、規模もM8.0-8.4と推定した。1897年の地震との類似を考慮すればM7.9程度になると推定している[2]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%9B%E6%94%BF%E5%9C%B0%E9%9C%87


寛政五年(1793)宮城県沖に
発生した地震の詳細震度分布と津波の状況
http://sakuya.ed.shizuoka.ac.jp/rzisin/kaishi_19/16-Namegaya1.pdf



ここの図では松川浦から請戸で2メートルから4メートル浸水している
この時8人死んだということはそれなりの被害があった
津波は慶長地震の津波だけではない、相馬藩内でも寛政地震であった。
慶長地震が400年前でありその200年後に寛政地震があり相馬地方にも津波があった
それは今から200年前でありこの辺が津波の伝承を聞かないというとき
200年前だったらその伝承が残ってもいいはずであった
400年前は無理にしろ200年前となるとそんなに昔とはならないからだ

ただこれについても相馬藩政記に記されていなのだろう

慶長津波では400人溺死と記されている。寛政地震津波では記されていないとすると
このことも謎になる。
まあ、死者8人くらいなら軽くみることもわかる。
でも津波の記憶は残しておくべきだった、伊達藩には記されていて伝えられた。

そして慶長津波も寛政地震津波も今回の三陸沖津波も震源地か近いのである。
だいたい同じような場所から起こっているかことに注意するべきだった
そこには明らかな周期性があり大きな地震が百年単位とかで起きている。
明治時代にも三陸津波で大きな被害があった。

だから相馬は宮城県とも岩手県とも近いのだから無視できるものではなかった

それが何か相馬では福島県の浜通りでは津波は起こらないという感覚になっていた
三陸で岩手県でまた津波か、ここには津波は起こらないよという感覚になっていた
ても歴史を調べれば400年前にも200年前にも大きな津波がきていたのである。
ただ200年前の寛政地震津波でも8人死んだくらいだから記録にも残らなかった
だからここの津波についてもほとんど相馬藩でも知られていないのである。
民間の伝承も残っていないのである


ただ津波が200年前にもあった、
それも8人も死んだということは重大なことだったのである

つまり歴史では何が重大なものかその時ではわからない
この時は相馬藩は戦国時代ではなく政治も安定していた時代である。
だから自然災害にも藩で注目してもいいはずだった
それも注目されなかったのはなぜかという空白が問題になる


相馬地方では津波か来ないということがみんなで思いこまれていたのである
だからまるで危機感がなかった
三陸に起きても相馬では起きないという確信のようにまでなっていたのである。
でも現実に200年前にも来ていて8人か死んでいる
だから相馬地方でも浜通りでも津波は来ると警戒してければならなかった
今回のようなき巨大なものではないにしろ津波は日本の海岸では必ず来るものなのである
そういう宿命、カルマを背負った国土が日本だったのである

posted by 老鶯 at 22:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

2014年02月11日

津波被害の裏話 (銀行では流された書類を探していた)


津波被害の裏話

(銀行では流された書類を探していた)

●書類もコンピューターに保存されて残っていた


津波の被害にはいろいろあった。そのことは各地で語られているがまだまだわからないことが多い。被害が広範囲になったからである。

銀行に勤める孫をもっている人が言うには銀行も津波の被害がありその時、金庫とかではなく紙幣ではなく書類を探していたという。預金者などの書類の方が大事だったのである。それを探して見つかったという、どろどろになっていたが見つかった。
こういうことは他にもあった。役所でも書類が流されると大変なことになる。


ただ実際はその書類でも何でもコンピューター化しているからどこかに保存されているのが現代である。だから貯金している情報はコンピューター化されて本部にでもどこでも保管されている。それは一枚のディスクでもいいわけである。
膨大な情報も一枚のディスクに保存される時代である。

ただコンピューターの弱点は何かで記録したものが一瞬にして全部消えることがある恐怖なのである。それもいくつもコピーしてあるからなかなか消えないといかことはあるだろう。だから紙でも津波などで流されるということは想像外のことだった。
だから役所などでは苦労したろう。


ある人は銀行にあづけてある預金など金は数字にすぎないという。数字として金はある。紙幣としてもそれは紙切れであり数字にすぎないという。だから数字はゼロになることがありいくら金をもっていても金だけでは紙に過ぎずその資産はゼロになるという恐怖がつきまとっているのであく。それで土地バブルが起きた。土地は数字ではなくゼロにはならないからである。

。被災庁舎の金庫内で回収された土地台帳は、デジタル化されておらず今後の復興作業でも不可欠な文書のため町では対応に苦慮していた。 

 6 月初旬に公文書の被災状況の調査に訪れた群馬県に公文書の復旧が要請された。

濡れた文書の乾燥、
塩分や汚れの除去、綴り直し、文書目録の作成、背文字の貼付で、土地台帳、家屋台帳、戸籍関係の書類など 339 冊であった。なお、被災した公文書は、


東日本大震災で津波被害を受けた自治体の公文書
http://www.archives.pref.gunma.jp/20110311-hisaibunsyo/
20110311-hisaibunsyo-hou/20110311-hisaibunsyo-hou-ona.pdf


●自衛隊の幹部が部下が拾った金庫をネコババして解雇された


東日本大震災津波で流された金庫が5,700個?
http://www.onoe-kaikei.com/hac/2013_6.pdf


富岡町長の5億円の金庫が流されて回収してくれと頼まれたことなどか話題になった。
これだけの金庫が流されたのも流された家の数の多さからそうなった。
たいがい家に金庫はある。金庫でも重いものもある。
そんな重いものでも今回は軽く流されたのである。


自衛隊では死体など探していたがそれで流された金庫を発見した。
それを上の幹部の隊長なのか知らないけど届けた。
その金庫がネコババされたことがわかった。
隊員は手帳に記録することが義務づけられていてそれでわかったという。
その隊長は解雇されたという。

そういうふうに組織で安全策を講じている

推理小説のドラマでよくノートを手帳を調べているけどこれはこうした事実を基にしていたのである。
ただ今はパソコンで記録しているとなるとそれが証拠になるのかどうか問題になる。
ただ一枚のディスクでもパソコンだと膨大なものが記録できるのである。
それは無尽蔵に記録できる。
この記録はクラウドとかどこにでも記録できるからかえって災害の時は記録は保存される。
ただこれにも弱点があり一瞬にして何かの銚子て消えることが恐怖なのである。


●記憶は一時期であり記録は歴史の時間で残る(記憶⇒記録⇒歴史的価値ずけ)


記録は流されても、記憶は流されない
http://www.jibun-shi.org/modules/blog/details.php?bid=30


記録というのはどうしても消えることがある。記録というものはいくら記録されていてもその意味をもたせないと価値がなくなる。
なぜなら記録は今や膨大な天文学数字としてある。
それらをいちいち読み価値づけすることができなくなる。
戦争のことだってその記録は膨大でありそれを読み解くこともむずかしくなる。

「人は誰しも歴史を持っている。それはささやかなものであるかもしれないが、誰にも顧みられなく、ただ時の流れに消え去るものであるかもしれない。個人史は当人にとってはかけがいのない生きた証であり、無限の想い出を秘めた喜怒哀楽の足跡なのである。この足跡を軽んずる資格を持つ人間など誰ひとり存在しない」(色川大吉『ある昭和史―自分史の試み』から)


これは言える。だから自分は相馬郷土史研究でそういう個人に焦点をあてて老人の話しを聞いて時々書いてきた。
そういう個人的なことはやはり家族史、家の歴史にもなる。
だから郷土史はおばしちゃんやおじぃちゃんから聞いた話しからはじまるというのはそのことである。
それが一番身近だからである。

では記録と記憶の相違は何なのか?記録がなければ過去のことがわからないということも事実である。
ただ記録が写真が文書が家が流されても以前として各人は生きている限り
記憶を維持されているから延々と語り続けることになる。

誰かが誰かに語るということは記録を読むのとは違う。
そこには感情的なものや様々なその人なりに伝えるものを聞くことになる。
語ることから「民話」が生れたのである。
語ることを書き記すことによりまたそれが記録され後世に残されたのが歴史でもあった。
語ることは記録としては消えやすいのである。
文書にすると消えにくくなる。
だからその人自身の書いたものが残っていると歴史もわかりやすいとなる。

誰かに語ったことは尾ひれがついて何が真実か事実なのかもわからなくなってしまうことがあるからだ。

だから記録は流されても 記憶は流されない・・・
というとき実はそれは一時代とか短い時間だったら記憶は流されないが長くなると流される、消えやすいということなのだ。
生きている内は語り続けてもいづれは死ぬと語る人は語ることもなく残された記憶しか
ふりかえることができなくなるからでてある。


ただ記録はすべて歴史ではない、記録は無限であり膨大であるとしたとき、
その記録をすべて解読することも関心うもつこともできないからである。
その記録を自分のものとして読み解く時、歴史は価値あるものとなる。
そしてそうした記録は無数に埋もれていて不明になっているのだ。
江戸時代の古い碑を紹介して読み解く作業をしたけどそれらは記録として残っていても
今では意味がわからなくなっているのだ。

posted by 老鶯 at 16:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

南相馬市自分の組の最近の状態 (空家、一人暮らし、介護、新築の家、・・・)

 

南相馬市自分の組の最近の状態

(空家、一人暮らし、介護、新築の家、・・・)

震災津波以後どういう変化があったのか?
今の状態は自分の組を見ると何か象徴的である。
組にしても12軒くらいしかない。


空家が三軒もある。
一軒は医者をやっていた、震災以後やめた。
もともと母の介護で故郷にもどったのだがその母も施設にあづけて死んだ
今は庭も広く屋敷も残っているが空家である
もう一軒は老夫婦だったが夫が死んで妻は子供にひきとられて
二人で住んだ家が空家となっている
隣も一人でなんとか暮らしていたが自立できなくなり子供が引き取った
だから空家になった


病院に介護されている人が自分の母と組の人が一人いた。
自分の組で一人暮らしの人が三人いる


空家三軒
一人暮らし三人
二人は介護状態になり子供がひきとる
介護家族二組(病院に入院中)
子供のいる家族は一家族


なんともわびしい構成である。こんな状態が何か現代を象徴しているのかもしれない、
この一区域がまるで限界集落のようになっている。

ただ新しく入って来た人が近くに三軒くらいある。
一軒は津波で壊滅した烏崎の人である
この家は大家族だけど外観はできていても何か半年すぎても住んでいない
ということは何かまだわからないが水道なのか電気なのか
そうした設備ができない、人手不足なのか資材不足なのかわからない
でも普通ならできていいはずである


この状態はやはり現代の社会の状態を象徴しているみたいだ。
活気もなく少子高齢化社会の縮図となっているのかもしれない。
この辺では仮設に人が増えてもそれは普通の状態ではない
まさに仮の宿でありいつれは消えてゆく
ただ一方で街の方に家が人が集まってきたことも確かである。
コンパクトシティ化してきたのである

復興住宅にはすでに人が住み始めているという。
でもこの数も多いから復興住宅そのものをそろえるのは相当時間がかかる。
人手不足と資材不足と土地不足とかいろいろな条件で遅れる

この津波や原発被害からの復興は相当に時間がかかり元にもどらない
神戸では十年くらいかかったというがここではまだ時間かかるだろう
それだけ被害が大きかったのである
10年もかかるとすると老人にとってはさらに苦しくなる
もう故郷に帰って過ごす時間がなくなる
帰っても75くらいになると病気や体が弱り苦しくなる
つまり復興した故郷に元のように暮らせないということになるのだ


現実に二組の老人はやはり一人は75くらいで弱り子供にひきとられた
そういう人もふえてくるとすると故郷に帰り住むこともむずかしいのである
結局子供のところにひきとられるとすると子供と一緒に住むほかないとなる
子供が故郷に帰らないとすると親も帰れないとなる


ともかく様々な負担が強いられていてその復興にしても先が長すぎるのである
原発避難区域は町自体が崩壊したようになっているが
その回りも何かそういう崩壊状態になる不安があるのだ
だからなんらかの思い切った対策が必要なのだがそれが見えないのである。

こんなとき競輪のサテライトが再開するとかパチンコ屋でにぎわうとか
そこに人手がたりなくて困っているとかでいいのかとなる
どこも病院も介護施設も建築現場もあらゆるところで人手不足なのである
そしたらなんとかそこを補おうという力が働くのが普通である
それができないのは何か現代の社会構造の問題がある

働くことが保証人だとか資格だとかなにかにやめんどうすぎるのである。
それも相手を信用できない広域社会になっていたとかがありできない
ただ責任ばかり問われるから看護師でも介護士でも他もやりたくなとなる
でも介護などは家でもやっているのだから誰でも実際はできるのである
何かしたくてもできないという人も多いの現代社会なのである
だから何かそういう既存の考え方を変えないと現在の状態は改善しないのである
それは市政だけではできないのである
個々人の意識を変えることや自発的な意志が必要になってくる。
それがないと今の状態は改善できない
みんな他人まかせにしてできないのだ

結局看護師も介護士だって集まらない、いくら募集しても集まらない
建物が箱物を作っても集まらないから宝のもちくされになる。
奇妙なことだけど建物がなくても人手があれば介護などは助けられるのである
そういうところでも既存の考え方を変える必要が出てきているのである。

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2014年02月12日

大雪で雪国を思う (雪国に暮らす時間(詩))

 

大雪で雪国を思う

(雪国に暮らす時間(詩))


寒木の芯まで冷えて光る星

群れ来る狭き畑や寒雀
土地の人身を寄せあいぬ寒さかな

大雪の根雪となりて住み着きぬ

雪厚く積もりて溶けじ日のさすも雪国の暮らしここに思いぬ


45年ぶりで大雪だった。この雪は簡単に溶けない、日がさしてもとけない
福島県でも浜通りではほとんど雪はふらないし積もらない
だから会津とかとはまるで違っているのだ
だから雪国のことかわかりにくいのだ

会津とか新潟とか日本海側は毎日のように雪がふっている
そういうところに住む人かどういう感覚になっていくのかわかりにくい
雪かふっていると外出するのも億劫になるだろう
するとなにか家にいる時間が長くなる
家族でも仲間でも身をよせあって家の中にいる
すると何か親密さがましてくる
情が深いものともなってくる

この辺で原発事故で新潟に避難した人たちは本当に親切だったという
温泉にも入れたしごちそうもでたし本当は観光気分だったのである
それも新潟辺りは雪国でまだ情が深いということがあるのかもしれない
福島県の浜通りとか宮城県は意外とドライなものになっている
それでも福島県が宮城県より先祖を重んじるのが強いとかなるのは
まだ会津とか田舎的なものが残っているからだろう
宮城県は仙台中心に都会的なのである


日本海側の風土から培われた人を理解するにはまず雪の季節を一緒に過ごさない限りわからない、
冬の長い間雪に閉ざされて過ごす世界が理解できないのである
雪だと自転車も利用しにくいから住みたくない
活動力もかてり鈍ってしまうだろう
そしてただ春が待ちどおしいとなる


福島県では会津は雪国でありここは浜通りと中通りとは異質な空間なのである
だから会津が明治維新であれだけ抵抗して白虎隊なども生れたのも風土が生んだともいえる
浜通りだともっと妥協したりして時勢にのるような機転が働く、いい悪いにしろ会津は雪国であり特殊なのである。
相馬藩は天狗党などに入ったように水戸と近いからその影響を受けて勤皇になったのである。
小藩でもあったがすぐに薩長軍について伊達藩を責めたのである。

ともかく雪国の暮らしがその人の性格をつくってゆく、雪に閉ざされた生活は忍従の生活である。
雪はむしろひやっかいだがどうにもならないのである。
それは自然の力に従うほかないとなり忍従になる。
ただそこで人間同士が親密になり情深くなるということがある
それは西とか南とかにない性格である。
東北でもどこも雪国ではない、地域的差があるのだ



雪国に暮らす時間


しんしんと今日も雪がふる
明日も雪がふる
家は雪の重みを支える
雪かきの苦労がある
人々はそこて忍従を強いられる
ともに家の中で過ごす時間が長い
雪は根雪となりなかなかとけない
日がさしてもとけない
しんしんと山国に雪はふりつづける
人々は身を寄せ合い
長い冬をともに暮らす
そこに自ずと絆が生れてくる
しんしんと今日も雪はふる
墓地も雪に埋もれ
明日も雪はふる
雪はおやみなくふり
山国に閉ざされて過ごす時間
顔を見合せて雪に耐える時間
そして雪とともに老いる人たち
しんしんと雪はふる
おやみなく雪はふる
心も雪のように白くなってゆくのか
心にも雪はふりつづける
雪国の人はそして一層寡黙になり
ただ雪に耐えて春を待つ

(今日も見る松一本や根雪かな)


雪の思い出としては山形県小国町へ米沢から行った時の思い出が残っている。
その電車に乗ったのは数人しかいてかった。でも延々と車窓からは雪景色だった。
途中一本の松が雪に埋もれていた。そして結構長い線だったから退屈だった。
でもあとになるととそうした退屈な長い時間が記憶となってよみがえるのである。
だから新幹線のような急ぐ旅は記憶に残らないのである。
要するに旅は金をかけることではない、時間をかけることが最も贅沢なのである。
だから七つ星の超豪華なトレインでも満足しないのである。
記憶に残った旅なら何か旅していたのである。
記憶に残らないとしたら結局何も残らなかったとまでなる

思い出すと詩もかけるが思い出せないと書けないのである。

思い出す時何かそこは都会のように混雑したところは思い出にのこりにくい。
でも数人しか乗らない電車で延々と雪景色を行く旅は心に残り思い出すのである。
そして小国という地名は日本全国にある。
それは日本はそれぞれの地域で自給自足で閉ざされた生活をしていたからである。
そこがまさに小さな一つの国と化していた。
江戸時代なら特にそうであり鉄道が日本を結び日本人という一体感を作ったというのもありえる。
日本は山国が多くそれぞれが閉ざされた生活だったからでてある。

 
 雪にうもれた遠い町(小国町)
 http://musubu2.sblo.jp/article/31951266.html

美談とされた時、美談でなくなっている (佐村河内守ゴースト騒動ー障害者を持つ人の問題)


美談とされた時、美談でなくなっている

(佐村河内守ゴースト騒動ー障害者を持つ人の問題)

最近佐村河内守が作曲した曲でなかったとかがわかり騒動になった。ゴーストライターがそのことを告白した。耳が全く聞こえないというのも嘘だったらしい。
でもみんな騙された。そのシナリオは誰が書いたのか話題になる。創価も関係していたとかもネットを調べれば延々とでている。プロデュースに加担していたのかともなる。
NHKで放送されたから一躍有名になったのである。
NHKは権威がありお墨付きを世間に与える。NHKだと人は信じる。
でもNHKもまたそうしたお涙頂戴のような障害者のことなどを良く話題にする
そして何か現代はあらゆることに人権が権利のみか主張される時代である。
障害をもっいることはそれ自体大きな権利にもなってしまう。
俺たちがどれだけかわいそうか、苦しいかわかるか、同情するのはあたりまえだ
、同情がたりないんだよ、そういうやつは社会が許さねえぞ」
とまで恫喝すらなる。
障害者を全面に出してまた社会から同情を強制的に要求して募金でも得る時代である。
だからそういう風潮の中に生れた事件でもあった。


最近つきあった人はまともな方なのだけど権利意識強いのである。
だから福祉福祉と盛んに言ってその利益にあづかることをはずかしいとも思っていない
当然の権利でありまだ利益を受けることが少ないと権利意識が強いのである。
ただもらっている額は少ないからそれもわかる。
そういう人はどんなことでも自分の利益になることは利用する。
創価であれ共産党であれ問わないだろう。
そういうところで頼めば利益が得られるとわかっているから積極的に役所のように利用している。利用されているのではない便利なもの頼りになるものとして利用されているのである。底辺の生活で苦しんでいるからそれを生き抜くためにとんなものでも利用するという態度になる。だから権利意識が強いのである。
その女性も障害者をもって苦しん苦労してきたことはわかる。
でもその障害者の度合いは軽いし外からいみてもつきあってみても普通の人に見える。
たから働いてもいるのだ。知的障害者でもいろいろ段階があるのだ。

今の時代は例えば韓国が戦争被害を延々と日本に訴えるのもそうだし中国でも日本を責め続けているのもそうである。何かみんな被害者意識に凝り固まっているのだ。国自体がそうであり個々人でもそうである。何か不運や不遇があれば社会が悪いとなり社会に訴えて同情してせっと優遇しろと訴える。その訴えてくれるのがカルト宗教団体とか政治政党とか様々な団体になる。それが民主主義だから当然だともなる。組織化して訴えなければ何も得られないということもある。だからそれぞれの団体がその権利を利権を主張するのか民主主義だとなる。それはそうでもそれが度を越すとどうなるのか?
極端にしろ今回のような風潮が当たり前となり事件として表沙汰になる。
それはこの人だけでなくマスコミ全体で操作されプロデュースされていたのである。

これも原発で安全神話が作られたことともにていたのである。
障害者をおとしめたり批判したりすることはタブーになっていたからである。
だから度を越して明白な詐欺になってもとがめる人もいないような状態にてなり事件になった。

障害者は宗教団体にとっても利用するには現代では最も効果的なのである。そういう人を表に出してお涙頂戴になり宣伝効果が大きいしそれには逆らえないから誰も批判できないからマスコミでも盛んにとりあげる。現代は障害者の方が目立っていて利用価値が高いものになっているのだ。文明自体が障害者化しているから弱者や障害者が推奨されるというのは文明自体がゆがんでいるからだとニーチェや上野霄里(しょうり)氏なども激烈に批判した。実際は人間は弱者でありたくない、病気でありたくない、健康でありたいというのが普通である。超人になりたいというのも普通である。誰も弱者ではありたくないのだ。自然はその病的なものではない、力強さに満ちているからとても病弱者には自然を詩にできない、だから何か障害者が全面にでてくる現代文明は歪んでいるからこそそうなっているし障害者が推薦されるのもまたそうなのである。


原発避難者もそのことで今は批判されている。一カ月百万とかもらって毎日パチンコだ競馬だと遊んでいるのにどこがかわいそうなのかとなってしまっている。俺たちは原発の被害者だということになると堂々とその権利を主張できるからそんなにもらっても悪びれことはなくなる。もっともらいたいともなる。ある程度権利を主張するのはいいにしろそれが度を越してくると今回のような事件になるのである。


でも障害の度合いからすると近くの人は外にも出れないから重症である。でもその母親である女性は愚痴をこぼしたこともない、その不満を言わないかったのである。
だからどう思っているのかと不思議であった。もちろんその女性の内面にたちいることはできなかった。その苦しみは言うにも言えないものだったのである。
一方は延々とその人より軽い障害なのに言い続けている。そういう性格だといえばそうなのだがそれも一つの問題であった。障害者をもって苦しんでいる人はかなりの数いるからである。だからその人だけが一番苦しんでいるとはならないのである。
いづれにしろ美談として宣伝された時美談とはならなくなっているのは確かである。
たからマスコミで宣伝される美談は美談でなくなっいる。作られたものとしての美談になっているのだ。



平凡な人の隠された偉大さ


その年老いた女性は苦しみかかえていた
苦しみをになって長く生きてきた
しかしその苦しみを他者に言わなかった
その苦しみを自分のみに留めた
その受難は何故かわからない
定めなのか何なのかわからない
しかし自分でその受難を引き受けた
それは平凡な女性であり美談でもない
誰もその女性を称賛はしない
しかしそのようにできる女性もなかなかいない
ただ身の不遇を延々と嘆くだけであり
なぜ自分がそんな不遇のみがあるのかと
普通はただそれを他者に訴えつづける
しかしその女性は自分の腹の内に収めていた
その苦しみは他者には計りしれないもの
その女性はふりかえれば誰も注意もしないが
なかなかそうあることはできない
自分もできないことだった
でもそういうことに注目している人はいない
人にはそれぞれ苦しみをもっている
たからといってそれか本人だけが苦しむ
自分だけが不孝なのだとは言えない
同じ苦しみでももっと辛い苦しみでも
それを口に出さず耐えている人もいる
大げさに美談として讃えられるものは
偽りが多く誠の美談は世に現れない
それは隠されて目立たず注意されない
ただそういう人はいることはいる
回りを注意して見ればいる
平凡な人にそういう人がいる
でも誰も注意して語られることもない
そういう人がこの世を支えているということも
人は心にとめておくべきだろう

 

posted by 老鶯 at 21:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2014年02月13日

大雪の異変(雪野の写真)


大雪の異変(雪野の写真)

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寒暁に一本松や凍みる雪

山鳩の雪野に目覚め飛び立ちぬ
大雪や飛び入る鶯猫捕う

雪野原夕雲紅く月光る

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猫に捕らえられた鶯

大雪は異変であり鳥が餌がなく街まで探しにきたのだろう。
ばたばたと家に入ってきたかと思ったら偶然飛び込んだ狭い部屋に
野良猫がいてその鶯をつかまえてしまった。
その鶯をたすけてやろうとしたからがっかりした
でもこの猫は最近ずっと餌をやっているから家に住み着いている
そしてその猫はその鶯を一旦もちさりまたもってきて自分に見せた
なにか誇らしいようにしてもってきて見せたのである

猫はネズミをとるともってきて見せるということと同じだった

「俺はとったぜ」とほめてくれというふうに獲物を見せるのである。
こんなことをしたから憎いとか残酷だと思ったがこれも全く本能で反応したのである。
雀くらいならいいが鶯は貴重でありがっかりした
動物はみんな本能で生きているのをまざまざと見たのである。

今朝は太陽があの一本松に映えて昇る、
鹿島の右田の一本松として宣伝しているのは高い松である。
あれよりこれが松らしい。でもこれもいつか枯れるのだろう。
右田の松原は二本しか残っていない


雪野はこの辺ではなかなか見れない、この雪は凍みてなかなか消えないだろう。
根雪となってゆく雪だから雪国の風景である。


水道管が壊れたのは家の外だった。それも直してもらった。
他でもかなりの数の水道管の凍結があった。
一度に災害の時起こるから困る。
風が冷たいと凍結しやすいから風を防ぐ工夫が必要だった。


雪景色の写真はきれいにとれる。こういう写真はここではなかなかとれないから貴重である。

 
 

貧乏はモラルを養成して過度な富はモラルを荒廃させる (原発事故周辺地域はやはりその罰を受けたーそれは世界的にもそうである)

 

 貧乏はモラルを養成して過度な富はモラルを荒廃させる

(原発事故周辺地域はやはりその罰を受けたーそれは世界的にもそうである)

箴言

少しの物を所有して主を恐れるのは、
多くの宝をもって苦労するのにまさる。
(15:16)

野菜を食べて互に愛するのは、
肥えた牛を食べて互に憎むのにまさる
(15:17)

貧乏などいいことはない、あなたは貧乏の苦しみを知らないとかいうのも本当である。
貧乏がモラルを荒廃させるというのも普通にある。
一方で確かに過度な富がモラルを荒廃させるというのもある。
そき富の度合いも問題になる。
現代は個々人で見るのではなく全体で見れば過度な富がモラルを荒廃させて堕落させている状態に見える
格差社会で貧乏時代にもなっいるというのもある。
ただ歴史的に見れば今ほど全体で贅沢している時代はないだろう。
実際生活保護であろうが貧乏を絵にかいたような人でも現代の富を享受している
食べるものでも何でも現代の平均的な富を享受しているのである。


過度な富というとき、「もったいない」ということが現代ではなくなり膨大なゴミを生み捨てている。
そういう社会はどんなことてたってもったいないという思想は生れない
江戸時代はどんなものも捨てない、あらゆるものを資源として活かしていたからもったいないということで日々生きていた。
モノを大事にしていた。
限りある資源で生きていかねばならないからモノを大事にしたしモノに感謝していたし
自然から与えられるものに感謝していたのである。
戦前の生まれの人はもったいないということが生活の中で身についていた
だから極力無駄をするのをさけた。


現代は消費社会となり新しいものを次々に買い古いものは捨てるという生活になった。
そこにはもったいないという思想は育まれない、モノを粗末にするし与えられるものに感謝もしない、
過度な富の時代になるともったいないというモラルは喪失する
ロウソクがどれだけ江戸時代でも貴重だったか溶けた蠟を集めて再生したりと徹底して
資源を無駄にしないのである。


江戸のリサイクル職業
http://www.gakken.co.jp/kagakusouken/spread/oedo/02/kaisetsu3.html


そもそも江戸時代のモラルはどうして形成されたのか?
それは基本的にはベースとなったのは小さな自給自足体制の村だったのである。
農家自体が一つの自給自足体制の根城だった。
だから納豆まで自家生産であり自給自足ができていたのである。
戦後十年は江戸時代のつづきであり炭が燃料だったり暖房に使っていたから農家の方が豊かだった。
卵なども農家では鶏を飼っているのだから食べられたが街では病人しか食べられない贅沢なものだったのである。


例えば産地直送で村おこし町起こしをしている農家がある。アスバラガスが転向の異変でとれなくなる。
そのとき消費者に天候の異変があり雹などふり提供できないとなった。
一週間ほど遅れると直接生産者から消費者にその旨を連絡した。
(一週間遅れますががまんしてください)ということになる。
でも現代では日本全国から世界から食料が入ってきているとき一週間がまんする必要などない、
いくらでもモノはあふれている、世界中から入ってくるとなると金さえあれば一週間待つ必要などないのである。

実際にアスバラガスはメキシコ産になると200円だったのが100円になっていてそれも太いから買い得になる。
だから地元で日本で生産しても対抗できなくなる。
しかしそのことがモラルを荒廃させる。

自給自足の体制だったら村のものは外からモノが簡単に入ってこないから
みんなで辛抱するほかないし少ないものでも分かち合い助け合う他ないのである。
そこには忍耐心という徳が養成されるのである。
確かに作る人も消費する人も一週間待つことで忍耐心の養成を共有する。
いつもそんなにモノは手に入らないものだ、農家の人は天候の異変に弱い、
それを食べる人も考慮すべきだとなり農家の人と心情的に共有する心を養成されるのである。


グローバル化した経済ではそういうことはない、モノは世界中から入ってくるから金さえあれば手に入るとなっている。
そのモノがどうして作られて世界から提供されているかもわからないのである。
後進国の人が過酷な労働で提供していることもわからないのである。
だから徳をモラルを心を共有することができない、グローバル化の問題がそこにあったのである。

ともしさに耐え
少なきを分かち合い
同じ場所に
生をともにして
人はともに眠りぬ
・・・・・
より多くを求め
多くを分かち合い様々な場所に
生を別にして
人は別々に眠りめ
人の心は通わず
人はただモノと金のみを求める

結局原発事故がなぜ起きたのか?
それを深く問うてゆくと過度な富を求めた結果であった。
過度な富を求めた結果として危険な原発に手を出して今日の状態をもたらしている。
双相(双葉相馬)地域は福島県で一人辺りの収入か一番多かったのである。
それでもみんな過度な富を求めていたのである。
みんなたりないたりないということしかなかった。


その結果として何がもたらされたのか?
同じ場所に住めず人はばらばらになり心も通わないものとなった。
その後も補償金問題で以前として金を求め心は通わずバラバラになっている。
それは結局過度な富を求めた結果なのである。
これは原発事故周辺だけではない、日本全体に言えることである。

今や富は本当は十分ではないのか?
ただ配分とかその他の格差問題がありそれが貧乏だと自覚させられる。
でも全体的な富の配分を有効に行いば今は十分な富がある時代である。
過度な富を求めた結果としてモラルの荒廃が起こりその罰を受けたのが原発事故周辺地域だったのである。
それはここだけではなく世界的な問題としてある。
実際にみんなばらばらに住まざるをえなくなり心も通わなくなっているのも原発事故周辺なのである。

 
posted by 老鶯 at 23:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2014年02月14日

アスパラガスから考えるグローバル化経済 (原発事故も各人の過度な富を求めることにありその根も深い)


アスパラガスから考えるグローバル化経済

(原発事故も各人の過度な富を求めることにありその根も深い)

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産地直送で村おこし町起こしをしている農家がある。アスバラガスが転向の異変でとれなくなる。
そのとき消費者に天候の異変があり雹などふり提供できないとなった。
一週間ほど遅れると直接生産者から消費者にその旨を連絡した。
(一週間遅れますががまんしてください)ということになる。
(グローバル化の終わり、ローカルからのはじまりー吉澤保幸)

このつづきだけど


「アスパラガスなんかスーパーでいつでも売っているよ、最近100円でメキシコ産の太いアスパラガス売っていたよ、それを買えばいいんじゃない」
「そういったって、アスパラガスを作っている人から直接買っていたのだからそんなことができないよ、その人のことを考えてみろ、天候の異変でとれなくなり苦しんでいるんだよ、その人の身になってみろよ、その人のことを考えたら一週間でも待つのが人間としての心をもっていたらそうなる」
「そんなこと言うけどアスパラガスが食べたいなら安くていいのが食べたいなら食べればいいんだよ、どこのものでもいいんだよ、安くてうまければいいんだよ、今はそういう時代だよ」
「でもさ、もしメキシコ産のものでも何かがあり入らないことがあるだろう、そしたらどうするんだよ、外国でも何が起きるかわからない、いつまでも安いとも限らないからな」「なーに、世界は広いからどこからでも入ってくるんだよ、そんな心配はいらないよ
世界が市場になった時代たからな」
「そういったって、自分が買うと決めた農家の人との人間関係を壊すことはできないよ、モノがどこから入ってこようとどこで買おうとそのモノを作る人間のことを考えている人は今はいないからな、そのモノをどうして作られているかもわからないからな」
「そんなことよりさ、今は人間関係などめんどうなものは関係ないんだよ、金さえあれば何でも買える時代だよ、アスパラガスだってなんだって金さえあればいつでもどこでも買える、それが世界市場化したからそうなる、世界市場で競争しなければ何でも売れなくなる、食料だってそうなる、日本の食料も今や和食などと世界に売れているじゃないか
それはアスパラガスと同じなんだよ、日本のリンゴも高級品として高値で売れているだろう」
「でも人間と人間の関係は大事だよ、モノより人間の関係を第一にすべきなんだよ、
地球の裏側からモノが入ってきてもそれを作っている人のことなどわからない、だからいつそのモノが入らなくなってしまうかわからないリスクがあるんだよ」
「そんな人間の関係よりさ、金の方が今は大事なんだよ、金さえあればモノはいつでも手に入る、だから金をかせぐ必要があるんだよ、金の方が人間関係より大事なんだよ」

グローバル化の市場原理が働くと人間関係より金だとなる。そこに人間との関係はなくなり金が神のごとくなるというマルクスの理論もわかる。メキシコ産のアスパラガスを買ってもモノを買っているのでありそれを作っている人間とは何の関係もないのである。

物々交換とか江戸時代の村のような狭い自給自足の体制だったら人間関係の方が重視される。昔の経済はそういうことの方が多かった。

人間の動機を「物質的」なものなのか、またと「観念的」なものとして描きうるという見解、また日常的生活を組織する誘因は必ず物質的動機から発するという見解を受け入れさせたのである。

諸事情の真の状態というのは市場にかてったものから非常にかけはなれているもので簡単な言葉で描写するのは容易ではない、・・・

(人間の経済・・Kーボランニィ
)

食堂に入るにしてもその動機はいろいろある。ただ料理がうまいだけとは限らない、そこのマスターが気に入ったとか食事はイマイチだから雰囲気がいいとかなごみがあるとかいろいろある。すべて料理だけで決められるわけではない、そこにも様々な個人的価値観が入ってくるのである。だから同じ物を売るのでも売る人間によっても売れたりう売れなかったりするのである。
例えば村で草鞋を作っているとき、それが必ずしも必要だから買うのではなくその草鞋を作っている人のために必要でなくても買うということがあった。その草鞋より人が大事だからそうなる。今でも経済合理性よりここの村は貧しいからつまらないものでも買ってやろうとかなることはある。経済合理性だけで市場原理だけで割り切れないのが人間だからである。それが人間の経済であった。そういう世界では人間同士のモラルが養成されたのである。

原発事故をその原因は何なのかといろいろ考えてきたけどモラルが喪失したということが大きな要因だったということが自分の書いたものをふりかえり再認識した。

だから原発事故は単なる技術的な問題として起こったものとは思えない、根深く文明そのものに問題があったともなる。

過度な富を求めて起きたというのも見えてくる。原発は金になるからあらゆる人がそこに群がった。政治家から官僚から検察からマスコミからカルト宗教団体から地元の漁業権者から議員から市町村民から全部その巨大な利権、金を生み出すものに群がったということがある。それが巨大な富を金を生み出すものだったからである。
そこにはかなりの無理をしても原発を作り出すものがありそういう根があって原発は推進されて事故が起きた。
文明自体が過度な富をもたらすものとして限界があり原発事故が起きた。
それは個々人でも過度な富を求めているということもあった。

いかに人間が今は過度な欲望をもつか、それは個々人をみてもわかる。
借金して贅沢していた人もあったしブラックなことをしても贅沢しているし様々な欲望が過度に追求されている。そういう欲望がありそれが根となり原発を生み出す原動力となっていた。

ではお前は江戸時代にもどり電気のない世界で暮らせというのはまた違っている。
電気は必要でありその他のものも必要である。山尾三省のようなパンも食べられないような生活は過度な欲望とは言えないのである。
どのくらいが過度になるかは問題になるが明らかに全体的には過度な富の追求になっていたことは確かである。
田舎の暮らしでも今は都会より贅沢である。車だって一家に4台とかあるのも普通である。一人一台も普通である。そして借金していてもそうしている人もいた。

そういう生活は原発が危険でも金になるからと誰も反対しなかった。
回りが全部そうなら反対してもできないということもあったのだ。

漁業組合であれ農協であれ労働組合であれ宗教団体であれそれらが利権化してもそういう団体にそんな利権だけを求めるななどと言えない、権力化しているからそんなことは言えないし怖いからそうなる。労働組合だって電事連合は原発推進だったし原水協すら原発には賛成していたのである。現代の団体化組織化したものはみんな利権追求団体である。
一見そうでないようでもそうなっている。だからマスコミはそうした組織化した団体化したものの宣伝費で成り立つから利権団体を責めたりはしない、同調して利益を得ればいいとだけなるのだ。それで安全神話は作られたのである。


では以前として過度な欲望の追求をやめておさえる生活をしようとなると誰も賛成しないだろう。それだけ一旦豊かな生活をするとその生活レベルを落とすことがむずかしくなる。電気を減らすということもなかなかできないのである。
だから個々人の意識を変えることだとなるがそういうふうに原発事故をとらえて実行している人もいなしできないのである。つまり原発事故の原因の根はそれだけ深い所にあり単に技術的問題だとか脱原発とかを全部なくせとか簡単に言うまえに個々人の生活に過度な富を求める、欲望の問題がありそれを抑えるということがむずかしいということを自覚すべきなのである。



細川とか小泉とか都知事選で脱原発を訴えたけど
一体彼らはそもそも家でどんな生活をしていているのか?
ふんだんに電気を使い贅沢しているだろう。
そして政治的利権で得して贅沢している
脱原発のデモした人たちも同じじゃないか?
デモして暑くてたまらなかった
どんどんクーラで冷やしてくれとなる
山尾三省のような生活をしろとは言わないけど
各人の生活でも何か「脱原発」ただ唱えるのは楽だよな
では一旦自分の生活で電気を減らすとなると容易でなくなる
「脱原発」と叫ぶことは誰でもできることなんだよ
 
 
posted by 老鶯 at 16:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連