2014年01月31日

冬の朝(津浪の跡の風景(続))


冬の朝(津浪の跡の風景(続))


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風花や朝に椿の赤きかな
浜通り風花舞いて日のさしぬ
寒木に病院見えて通うかな
 
津浪跡凍れる沼や今しばし溶けゆく春を待つべかりけり
海よりし朝日昇りて新年に雪の蔵王を我が町より見ゆ
主なき家の跡にし残る木の今日も淋しく寒き朝かな
寒々と野菜に霜や夜の明けぬ地元に根付く農家の女かな
御堂一つ津浪の跡に残るかな冬の夕暮北右田村
飯館の方を望めば雪ふるや久しく行かずいかになるらむ
広き家に冬の日さして久しくも分厚き本の起きて読むかな

北風の唸れる家にこもりつつ我が歳もふり古き本読む

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津浪の跡を題材にしてきたのは現実がそうなってしまったのだからそうならざるをえない、お前はここで津浪で死んだ人がいるのに不謹慎がというときそれも一理あるがただ現実は現実は現実なのである。
ただ津浪の跡は人家も消えて荒野になったのだから一層荒寥としたものとなった。
ただ何度見ても不思議なのは残された庭の樹なのである。
これはいくら見てもなんともいえぬものなのだ。

それは何か自然の木でも人間化した樹だから人間に見えるのである。
人間がさりがたく離れがたく残っているという感じになるのだ。
だからこういう風景は以前として日常的でないから何なのだろうといつまでもなっている
残された木は人間が名残惜しく残っている象徴なのである。


北右田村の御堂が一つ残っているがあれにも今までは注目しなかったが津浪にも残ったということで注目した。
でも住民はもう住まないだろう。
ただ消えた村の徴しとて残されている。記念として残されている。
あそこには津浪で残ったコンクリートの家をボランティアが住居としている。
風景が何か北海道的になってしまったのである。

今日は飯館の方は雪である。そして浜通りは風花が舞う、冬の浜通りではいつもの風景である。
飯館村に一年くらい行っていないな、なかなか行きにくくなった。
やはり店がないと行きづらいということもある。
これから飯館村はどうなってゆくのか、ただ出入りは自由だから家は管理しているから
そんなにネズミに食い荒らされるということはないのか?
何か街からはずれるとこの辺でもネズミが増えているのだ。
だてからノスリが7羽は住み着いている。常時それだけの餌のネズミがいる。
カヤネズミという小さいものらしい。


本というのは広い家にまるで家具のように置くということがある。そして何度も手にとり一部を読むというのがいい、
本に冬の日がさしているときあっている。
こういう感覚はパソコンにはない、そこにはただメカがあるだけである。
だから紙の本が廃れることはない、ただ前にも書いたように流通はしなくなる。
本を書店に流通させることはやがてなくなるかもしれない、本自体は消えないのである。
電子本でも自分好みの本に装丁することなどがはやるかもしれない、それは一つの美術品になる。
図書館に一冊一冊本を飾っていたけどまるで美術館に見えたからである。


何か書き物するには今ではインターネットも必需品だがどうしてもまだ書斎が必要であり思索する空間も必要である。
だから長い廊下などもいい、修道院に中庭があるがあのような空間が瞑想に向いているのである。
外界の騒音が入らない空間が必要なのである。
だからといって世間と交わらないのもよくない、そのかねあいがむずかしいのである。
世間のことを知らないと交わらないと自分のように孤立無援で苦しい目にあうからだ。

ともかく津浪原発の後遺症は相当に長くつづくだろう。もう歴史であり百年とか忘れられないものとなってしまった。
だから自分の書いたプログもその歴史の一つとなる。
こんなときこんな自然災害や文明災害にあうことなどまれだからでてある。
ここだけではない、宮城県、岩手県もありその辺の変化がどうなったか実地に見ていないのでわからない。
そこには膨大な物語も生まれ語り部も生れたのである。