2014年01月30日

母がつまづいて動けなくなりまた入院 (認知症になって白痴化して仏様のようになるというのもありうるのか)


母がつまづいて動けなくなりまた入院

(認知症になって白痴化して仏様のようになるというのもありうるのか)

トイレまで一人で押し車でで行っていたが何らかの調子でつまづいて足をいためて動けなくなった。トイレに一人で行けなくなった時点で本人も介護する人も一段と苦しくなる。トイレに自分で行っていること食事を自分でできることは寝ていても自立できるのである。そこから自立できなくなるから苦しくなるのだ。
老人にとって一番怖いのが転倒でありつまづいたりすることである。
その衝撃が大きいのである。弱っているからそこで寝たきりになる度合いが強いからだ。オシメに変化することも大きな変化でありそれは自立できない状態への変化なのである。ただトイレに行くとポータブルトイレに座るがそこから立てないので夜でも呼ばれるので一人では苦しいと救急車を呼んだ。

近くのかかりつけの病院に入れたので助かった。最初診療してもらうき思ったが介護タクシーが一万だというのには驚いた。介護タクシーがそんなに高くなったのは原町からと

相馬市から来るとするとその時点で普通のタクシーでも原町でも四〇〇〇円近くとか相馬市だと五〇〇〇円だった。だからそのために鹿島区ではこんなに高くなっていたのである。一割払うだけでいいとかではない、この金額がまるごとかかるのである。
だから鹿島区に南相馬市で介護タクシーをおくべきだというのもわかる。


病院は意外とすいていた。空室が多いからすんなりと入れた。双葉の方からも若い医者が入ってきて意外と医者が多いと思ったがそうだった。原発事故で双葉の病院や浪江の病院が閉鎖したからそこから医者が南相馬市の方に移ってきていたからだ。
一時は混乱していたが満員だったが落ち着いたので今はかえって空いているので助かった。ただ病院には長くいられないのが弱点である。長くても三か月であり診断では一カ月くらいだとするとすぐにだされてまた介護である。

ただ母の不思議は認知症になって耳もほとんど聞こえず話が通じないのだが全く通じないというのではない、大きい声で話したり何度も話すと感でわかるときがある。
口を読むなどという人がいたが要するに何か今までのつちかった感が働いているからわかるということもある。
だから全くわからないということではない。

母は性格的に素直でひかえめでおとなしい性格である。何か人に逆らうようなことはしない、従順である。それは自分の性格ともにていた。自分もまず人を指導するような上に立つより何か人に命令されている方である。
そういう性格だからあれだけ金にこだわっていたの「金のことはわかんねえ」と言って笑っている。大金を盗まれたと言ってもそのことが何なのかわからないのである。

一方で認知症でも最後まで金にこだわって盗んだと猜疑心が強くなる人もいる。自分の家族の一人はそうだった。つまり認知症の症状は多様であり一つの療法などないのである。人間の生い立ちや環境や性格は違っているからだ。

母のようだとずっと介護でめいわくかけても楽だなということは自分でも他人でもあるだろう。わめきらさしたり迷惑かけないということがあるからだ。
認知症になって仏様のようになったとか言われる人もいる。
金にこだわらないことにこにこ笑っていることは馬鹿なのだけど何かそういう感じもする。白痴に神的なものがあったなどという小説もあったりするからそういう面が出ているのも不思議である。
金に異常にこだわっているのは欲望が金にあることを知っている。だから認知症になっても欲望が強い人は以前として銀行のことが何かわからないにしても金の大事さを知っていてそこにまだ深い欲望があるから盗ったともなるのだ。


母の場合は自分でためた大金を盗まれても怒っていない、笑っている。
母は金にはシビアだった。やはり金、金、金と言っていたのに不思議である。
認知症になっても金のことを忘れない人はいる。だからもの盗られ妄想が激しくなるのだ。
馬鹿になったからだというのもそうだが認知症になってもかえって
もの盗られ妄想は金の欲望がありこだわるからそれで暴力とかになったりする人もいるから
その相違は大きいとなる。認知症にはその人の性格がでてくる。
感情の起伏の激しい人は認知症になると悪化しやすい。おとなしい人はおとなしいぼけ方になるようだ。


2月4日が99歳の誕生日で市から一万の商品券がもらえる。
それは病院でもらえることになってしまった。


午年もまた波瀾なのか、株は波瀾含みの乱高下している。自分も何か一月からそれなりに波瀾はあった。何かやはり走っているのだ。
ただ今の自分の健康状態は普通であり良くなっているから負担でものりきれるという自身がある。身体障害者だったときその負担が何倍にもなっていたのだ。
自分自身が病気で介護することは楽じゃない、何倍もの負担がのしかかるのである。
人間の最大の負担は病気である。老いというのも機能が衰えるから一種の病気であり
自分自身が負担になるから辛いのである。

ともかく今年も午年で駆けめぐるようにして一年が過ぎるかもしれない、そんな予感もする。