2014年01月25日

南相馬市の復興の最大問題は住宅問題だった (南相馬市の全壊数が4682軒もあった!)


南相馬市の復興の最大問題は住宅問題だった

(南相馬市の全壊数が4682軒もあった!)

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ここの区画は30軒である。
二階建てが十軒ある
二階建ては結構広い感じがする
子供がいる家族用になるのか
あとは一人用二人用になる

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これが自分の墓の前に建った
三階建てでも高いから圧迫される
何かこの辺は都会化しているんだよ
街の中心にこれだけのものが建つとそうなる
団地より一軒家の方がいいだろう
今はただ一軒家相当ぜいたくになってしまった

これだって50個くらいだからな

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津浪原発事故から3年たとうとしているけど結局三年間も混乱状態はつづいていた。その混乱状態の中で冷静に見られないものが多々あった。何が全体的に起きているのか問題なのかわからないことがあった。今になると最大の復興の問題は住宅問題だった。
仮設も三年目であり5年目で仮設を出て復興住宅などに移る予定になる。

この辺で最初から土地がないか土地がないかと避難者から必ずたずねられる。みんな土地を求めている。新しい家を建てるための土地を求めている。そのことか避難者の一番の関心事である。仮設はあくまでも仮の住まいだからそこに定住はできない、家が建てられれば家族とともに住めるからまず家を欲しいとなり土地を求めている。
家の前に土地がないのである。
だからなんか六号線の鹿島区から金沢に入る所の狭い場所を整地していたからあんな所に家が建つのかと思った。もっとましな土地があると思うがないからそうなる。
金沢地区も津浪の被害で相当数家を失っているからだ。


自分が今になって驚いたことがあった。


南相馬市の全壊数が4682軒もあった!


こんなに多いのかと今になって驚いた。相馬市では1000だからである。えか、それにしても多いなと驚いた。死者数よりこの全壊した数に今になって驚いた。
つまりこの数はどれくらいのものか?本当にこんな数が全壊したのかということか実感できない。
この数から推測すればいかに新しい住宅が必要かわかる。確かに鹿島区でも新しい家が相当数建った。50軒なのか百軒なのかわからないか新築ラッシュになった。それでもこの全壊した数から見ればほんのわずかだということなのである。
新築できた人は財力もある幸運な人たちだったけど一部にすぎないのである。

災害復興住宅が立ち始めたけど40軒くらいのがすでに形になりできあがっている。そこでも一区画30軒くらいだろう。一区画の土地を確保するだけでも容易ではない、
900もの区画した土地が南相馬市で必要だと聞いた時嘘だと思った。
そんな区画した土地が作れるのかとなる。

考えてみると900×40にしても3600だからそれでもたりないとなる。900の土地区画でもたりないだけの人が入る新住宅が必要となっているのだ。
この復興住宅ができないと仮設から出れない、復興にはならないのである。
この圧力は大きい、ものすごい重圧となってきている。
そんなに土地でも家でも建てられるのかとなる数である。

だから土地が欲しい土地が欲しいとなり空家でも土地ごと欲しいという人が多いということがわかる。それにしてももう空屋にしても借り上げ住宅にしても限度がある。

それに加え原発避難者も小高などに帰らずに原町区や鹿島区に家を建てることを求めるとなるととてもまかなえきれない数である。
さらに双葉町であれ浪江町も受け入れるとするとさらに膨大なものとなってしまうのである。
南相馬市だけでも精一杯でありたりないのに受け入れられるのかということが現実問題としてあるのだ。
安い市営の住宅があるけどあれなども仮設が閉鎖になったら需要がまして満室になる。
復興住宅で全部まかなえきれなのである。


ただ土地がないということではない、田畑が原発事故の放射能で荒地化している。でも田畑は農家関係ではなかなか売れないようになっているとか農業が再開できないのは土地を新しく整理するためだとか言われている。もともと田畑は特に田んぼはなかなか売れないようになんていた。だから今でも田となっていた土地が広大でもそれは売れないし宅地に転化できないのである。

田畑は田舎ではなくなったら田舎でなくなる。でもこれだけの住宅が必要だとなるとまた別な発想が必要になっていないか?減反とかの政策があったけどもう田畑を今までのように守ろうとするのではなく宅地に転用する。何かそうした特区的政策が必要になっているのではないか?それだけの土地と新築の家が早めに必要だからである。
そうしなければ復興はありえないのである。

シルバータウン特区というのもそうだったが何かこの辺では今までの規制概念ではもう復興はできない、思い切ったことをしなければもう復興ができない、それは特区構想になる。そういうことが強いられた場所になってしまっているのだ。
もう思い切って自分ももとのままがいいのだが極端にしろ農地の半分を別な用途に使うとかの変革が要請されているのではないか?
農業自体が存亡の危機にも面している。


いづれにしろ3年目でも何ら未来は見えてこない、その最大の問題が新しい住宅を確保できないことなのだ。津浪で4632軒が全壊してさらに小高区が一万人以上避難者になり仮説に住んでその人たちも新しい土地と家を求めるとなるとそれに応じるには個々人ではもはや無理である。何か特区を設定して思いきった施策が要求されている。
それが新市長にできるのだろうか?何かそういうことができないということで批判されつづけられたが再選した。対抗馬も魅力がないからそうなった。

結局三年目でも何ら復興は端緒についたばかりである。
その最大問題が新しい家が建てられないということにあったのだ。

 
 
posted by 老鶯 at 22:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

郷土史はまず個々の老人の話を聞くことが基本 (老いたトラック運転手の詩)


郷土史はまず個々の老人の話を聞くことが基本

(老いたトラック運転手の詩)

 

グングンガンガンズンズンダーダー
荷物を一杯にしてトラックを飛ばす
相馬から福島から東京へ
またやってきたぜ
花のお江戸の東京に
その名も知られた築地市場だ
東京の台所で何でも集まる
ここは靖国通りだ自衛隊の本部もある
まだ帰るのには時間がある
酒飲んでまた一日暇つぶした
さあ、明日は 福島へまた帰るぜ
六号線とは東京じゃ言わないよ
水戸街道って言うだよな
俺は稼いでいるんだ
家族のためにな
グングンガンガンズンズンダーダー
トラックを飛ばす
ハンドルさばきもいい
俺は事故は起こさなかったんだ
家族も俺に感謝しなくちゃだめだ
俺はトラックで今まで稼いできたんだ
今は年金暮らしでなんだか嫌われる
でも俺がトラックで稼いでいたことを忘れるな
・・・・・
トラック運転手はこうして話すと元気になる
今は体がげ天気でも家族に嫌われる
無用のものとして煙たがられる
孫も大きくなり年金をもらう時のみ
ニコニコじぃとかよってくるんだよな
なんか自分もボケてしまったらしい
でもトラックを乗っていた
昔を語る時元気になるんだ
グングンガンガンズンズンダーダー
トラックは飛ばす
東京の築地市場に向かって・・・

 

郷土史というときまずおばあさんやおじいちゃんの話を聞くことからはじまるというとき意外と身近なのである。もちろん歴史的なむずかしいものもある。
でも基本は昔話にあったのだ。いろいろそれぞれに生きたことが60過ぎると昔話になってゆく。それが膨大な民話になっていた。時代が変わってもやはり人間の営みは変わらない、昔を振り返るのか老人だからである。


ただ様相はかなり変わっているが例え現代的生活でもそれかいつか昔のことになってしまうのが人間の運命である。すでにトラック運転手などめずらしくなくてもそれを経験して老いた人は昔のことになっているのだ。荷馬車のように運搬する馬自体が消えてしまったら本当に昔になるがトラックは今も現代生活の物流の要だから違っている。
でもその仕事を終えた人には昔のことになっている。


いづれにしろ老人なんかつまらない、無用だとなるが何か効用があるのかとなると昔を語ることに今も同じだった。老人は昔を誰でも語ることが勤めなのである。そんな話し聞きたくないというのもわかるがその話はその人の一生がつまっているのだ。
例え何回同じことを言ってもそうなのである。家族が認知症認知症になって千回も戦争のことを聞かされた時は異常だった。認知症
でも昔のことを語ると元気になるのはその時自分が生きていたことが語ることによってよみがえるからである。

だから老人の話しを聞くことは誰でも面白いものをもっている。なぜなら人間の経験は限られているからである。一人の人間の経験することは本当に極めて限られている。だからこの世には例え60年生きようが百年生きようがわからないことが山ほど残る。
現代は仕事も多様化しているしわからないことが多すぎるのである。


ただ老人の話を聞く時,ある程度相槌をうつ理解力がないとできない、だからトラック運転手はトラック運転手同士が話しがあうということがある。それは経験を共有しているからである。農家の人は農家の人とあうとなる。そういう経験していれば当然話しがかみあうし聞いても同じ経験してきたよと話をあわせることができるからだ。
自分の場合は日本中たいがい旅行しているからその場所のことがでてきたら話をあわすことができる。あそこはどういうところだったとかある程度は想像つくのだ。
東京にも住んでいたから場所がわかるからそうなる。でも築地市場には行ったことがないのである。前は秋葉原にもあったらしい。

ただでは経験したことがない人が聞いて話か面白くないのかというとそうではない、かえってトラック運転手など経験したことがない人はその経験話を聞くと新鮮なのである。

自分は車の運転もできないしあまりトラックとか車は好きではない、ても現代は広域物流社会だからトラックはその要になっている。すると現代を語るにはトラックなしで語ることはできないだろう。前は物流の中心は鉄道だった。すると鉄道を語ることことになっていたのだ。

ともかく話を聞くにしても直接に面と向かって聞くと何か不思議なのは自分もトラック運転手になったようになることである。それが不思議なのである。それが直接聞く語りの不思議である。いつの時代に老人の効用はそれなりにあった。それは経済的効果ではなく精神的効果である。

昔を語ることによって老人も生き生きとして聞く方もその話しから何かを得るのである。これは認知症の療法にも言われている。ただ千回同じことをきかされたらさすがにうんざりするのである。これは聞く方も大事である。80歳の老人の話しは60代くらいが聞くのに向いている。ある程度話をあわせることがてきるからである。

 
posted by 老鶯 at 14:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)