2014年01月18日

一致して抗議できない小高区は合併して損した (分断された南相馬市は国や東電の策略にはまっている)

 

一致して抗議できない小高区は合併して損した

(分断された南相馬市は国や東電の策略にはまっている)
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古代ローマ帝国は、支配下に治めた都市相互の連帯を禁じ、都市毎に応じて処遇に格差をつける分割統治によって、征服した都市からの反乱を抑えることに成功した。

19世紀以降の欧米の植民地経営は、この原理をよく応用した。イギリスはインドで、人種、宗教、地域の差異で分割した集団を互いに反目させることで長期の統治に成功した。ベルギーやドイツは、ルワンダ・ブルンジにおいてフツとツチに格差をもうけ、少数派のツチを中間的な支配層とした。これがルワンダ虐殺の遠因となったともいわれる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%86%E5%89%B2%E7%B5%B1%E6%B2%BB


まず暴動に関与していない囚人のグループを”良い”監房へ収容して彼等を丁重に扱い、そして関与した囚人のグループを”悪い”監房へと送り、過酷な扱いを行うことにしたのである
http://ronri2.web.fc2.com/game05.html


今回の原発事故では被害地域で放射能汚染の度合いにより区分けされて分断された。
そもそもなぜこんなに区分けしているのか理解しにくいところがあった。
浪江でもどこでも帰還困難区域だとかもう帰れない地域とか帰れる地域とかいろいろ別れている。それによって補償金も違っている。隣がもらって隣がもらえないというのも変なのである。隣同士でそんなに放射能汚染が違うと思えないからである。確かにわずかには違っている。でもその差が大きければわかるがたいして違わないのに補償金がもらえる家ともらえない家に分断された。それで部落全体に亀裂が入り相互不信になり協力できないようになった。原町区の大原でも道路を境に区分けされている。確かに放射線量は違う。でも本当にそんなにそれが問題なのだろうか?回りは山で森だとするとそこから放射性物質は拡散するから森全体を山全体の放射線量を減らさないと本当は減らない。
このことが最初から何か変だとは思っていた。

それでこれは放射線量によって市町村民の心を分断させている政府や東電の計略ではないかとも思った。確かに高い所は高いことはまちがいない。でもそれによって市町村が分断されることの影響の方が格段に大きいものとなっていたのである。

南相馬市は補償金問題でずたずたに分裂してしまったとか市長が言ったときそうだったのである。分断して困るのは住民だが政府や東電にとっては都合がいいのである。
被害者同士がいがみあい争いあい肝心の矛先である政府や東電に抗議が一致してなされないからである。だからこういういことは権力者側で計略的に行われてきた。
分割して統治せよ」ということである。

そして面白かったのが刑務所の暴動を抑えるために一部の囚人を優遇してあとは過酷な扱いをして分けた。その結果囚人同士がいがみあい暴動の力はそかれてしまった。

このことはこの辺でも同じであった。賠償金が高い人は本当に高い、でももらえない人はわずかしかもらえないし全くもらえない人たちも多い。それで人心は分断されてその抗議力は弱まってしまった。
その象徴が南相馬市だった。合併したばかりでそうなってしまった。特に被害が大きいのは小高区だったのである。小高区が主張するにも南相馬市全体として主張できない、浪江町がうらやましいというときまさに小高町はないのだからそうなってしまった。
小高区が一番深刻な問題をかかえているからそうなったのである。

一方で原町区でも鹿島区でもまた別な問題をかかえている。だから小高区きことばかりに関心を集中できないのである。南相馬市の一部としての小高区の問題になってしまっている。つまり小高区は浪江町なとのように小高町として主張するのが今は良かった。
小高町の問題は浪江町のように避難区域と同じように深刻だからである。
一方で原町区と鹿島区は小高区ほどは深刻ではない、だから小高区の人の気持にはなれない、そして小高の人に補償金でうらやむだけだとなる。そういう具体的な地域の分断もあるが補償金でも人心が分断されているのだ。

だから行政側にしてもその分断された地域をまとめることでめんどうになる。小高区の主張がわかるにしてもそれを全面的に市の政策として訴えることができないのである。
だから何かこれは政府や東電の計略じゃないかという疑問を最初から感じた。

だから一つの市町村である地域が住めないとかある地域はもどって住めるとかいうのも不自然である。なぜなら土地はつづいているしある地域にしろ自然は一体なものとして存在している。だから山や森から放射性物質は区分けしても飛んでくる。
水だって飯館村を核の廃棄場にしたら南相馬市にもその汚染された水は流れてくるのである。自然はもともと広域的につながっているのだ。だから一部が帰れて一部帰れないという線引きは科学的なようでもそれによって人心も様々なものが分断される。その影響の方が大きいのである。そういうことを考慮しないでただ科学的だからたと線引きしていることに問題がある。それは延命治療とかともにている。最後の時はそんなことより科学的なことよりその人の人生の価値を優先してしたいことさせるというのも考慮すべきである。それて寿命を縮めてもいいと思う人は多いのである。
だから市町村を分断したり帰りたいものを帰さないのも酷なのである。チェルノブエリでは老人は帰り野菜すら栽培して前のように住んでいたのである。
それで寿命が縮まっても前住んでいたところに住んでいたいはいう人は住ませるべきなである。すべて放射線量で区分けしてそれを絶対化するのが疑問なのである。


いつれにしろ今回の選挙は誰に投票していいかわからない、小高区の人は小高の要望に答える人にと思うし鹿島区の人も同じである。原町区の人もそうである。原町区の人は鹿島区に30キロ圏外で補償金を払われないというとき市の財政の調整資金から一時的に出したことに不満だった。その不満はかてりときなものだったのである。そんな無駄な金を使うなということがあったのだ。でも鹿島区の人にしてみればなんだとてり喧嘩にもなるだろう。そういうふうに南相馬市は心も補償金などで分断されてしまったのである。
そういう点で鹿島区の要望を受け入れた桜井市長は鹿島区の票は入るかもしれない、一方で大票田の原町区が不満だから票が入らないとなると苦しいとなる。
それは上からの権力者側からの分断政策でもあった。肝心の抗議すべき対象が政府や東電ではなく仲間同士になっているからだ。だからこれは囚人の暴動を弱めて心理的策略と通じるものがあったのである。

 
posted by 老鶯 at 16:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連