2014年01月13日

森林資源(入会権)をめぐる争いと原発事故は重なる (エネルギーが文明の基だったことは変わりなかった)


森林資源(入会権)をめぐる争いと原発事故は重なる

(エネルギーが文明の基だったことは変わりなかった)

●歴史でもカルマは繰り返される


人間の今を考える時、必ず過去をふりかえる必要がある。なぜなら今は過去の延長として今があるからだ。今の状態が突然生れたのではない。過去の積み重ねで生れたのが今である。その今を知ろうとした時、歴史をふりかえらなければわからない、歴史は千年とかの長さが単位となる。人間がカルマを繰り返すという時、カルマとは業でありこれは個々人の人生でもカルマを繰り返している。親の人生と子の人生が同じになっている人が丹念に調べれば統計をとれば良く聞いてみればそうなっていることが多いということがある。
それはだから特殊な一個人の問題でないからカルマは個々人の人生にとって大きな課題となる。カルマ解消しないとカルマは何代もつづき災いは消えないともはなる。

その人間の業を考える時、それは人類の発生当時からはじまっていた。原発事故でもプロメテウスが火を盗んで過酷な最大の罰を受けた。これも原発事故とにていた。原子力とは核戦争で人類が滅びると盛んに言われた。ただ平和利用はいいから推進されてきた。
実際はそうではなかった。鉄の利用も危険だとローマ時代に制限された。鉄になるとやはり武器でも殺傷能力が格段に高くなるからその危険を感じたからそうなった。
鉄でさえそうであり原発ならさらにそうだった。ただそうした危険なものを感知すく能力が衰えてきた。科学というのは原子力だろううが何だろうが人類に貢献するものとしていいものとして肯定されてきたのである。


●森林資源の争いで境界が生れた


人間の業という時、カルマという時、すでに同じようなことが歴史であった。
なぜ丸森の森をめぐって相馬藩の玉野でも大規模な森林資源をめぐっての争いがあったのか?そこには米沢藩と伊達藩と相馬藩が三つ巴の争いとなった。それから飯館の飯樋でもあった。そのことはプログでも書いた。そこはちょうど相馬藩と伊達藩の境だった。
飯樋ではもともと小規模な村と村の入会権の争いのようなものであった。なぜならその有力者同士が親族でありその親族の一方に相馬藩が合力したからである。そして伊達藩と相馬藩の境が形成された。この入会権は近江の方でやはり森林資源をめぐって村同士が互いに合力して大きな戦争に発展した。戦争の原因が大名同士ではなく村の森林資源の入会権からはじまっていたのだ。

このことは今と関係ないようだが深い関係があった。なぜなら森林資源は今の石油や原子力にも相当していたのだ。木は燃料として不可欠であり器も木で作っていたし家も木で作っていたから木なくして生活は成り立たない時代だったのである。その後も木は炭を作るものだから木なくしてそもそも生活が成り立たない、鉄を作るのにも大量の木を必要としていた。なぜなら炭を利用していたからそうなった。そしてこの辺でも森がかなり破壊されて自然が破壊された。だから原発事故で自然が破壊されたというとき、すでに古代にさえ同じことが起きていたともいえる。それだけ木は大事なものだったのである。

例えは燃料がなければ薪がなければ食料があっても食べることができない、煮炊きしなければ米でも何でも食べることができない、冬の寒さもしのぐことができない、それは震災で津波で一時電気もストップしたとき、裏山の水をくみ薪を燃料にして米を炊いていた三陸の人々がいた。それは昔の生活にもどらざるをえなかったのである。つまり木はそれほど昔は大事なものだった。
それが今は忘れ去られていたのである。日本の森が多く木がふんだんにあっても外国から輸入して利用もしないからそうなった。だから森や木の価値がわからなくなっていたのである。


●プロメテウスの神話は原発事故を予言していた


この森林資源の争いは石油の争いともにている。石油がなければ現代の生活は成り立たない、石油が電気を作りあらゆる日用品も作っている。それは木の資源と同じなのである。だからこそ石油をめぐって戦争までに世界でなることは同じことなのである。
つまり一地域の歴史でも世界的なものグローバルなものとしてとらえることができる。
紛争の根は一地域だろうが世界的だろうが同じだという人間の普遍的真理にまでいたる。つまり人間の業は世界的にも同じカルマ(業)をもっているからそうなる。つまり石油がなければ現代文明は崩壊する。電気が作られなければ現代の文明は崩壊する。エネルギーというのがそれだけ人間にとって命よりも大事なものとなっている。車でさえガソリンがなければ動かない、それで一時ガソリンがこの辺では入らなくなり長蛇の列ができた。車があってもガソリンがなければ文明は機能しなくなる。
石油を得るのは中東であり危険地帯だから原発にも頼るようになった。それは今も昔もエネルギーが人間の生活の基であり命になっていたからである。

電気がどうして作られるか、基本的には石炭であれ石油であれ燃やすことである。だから木を燃やすこととさほど変わらないともなる。ただ原発は違っていた。それは非常に危険なものだった。そのことは実際科学者は知っていたが目をつぶっていたのである。
結局人間の業としてカルマとして原発事故も起こった。一旦電気という便利なものを手に入れたら手放せない、薪の時代に炭の時代にもどることはできない、電気はあまりにも便利なものでありこれなしではもう生活できなくなっている。
でも子供時代は炭の炬燵であり裸電球で風が入ってくるトタン屋根の家で寒い寒いと寝ていた記憶がある。その頃、電気製品はないのだから湯たんぽなどは使っていてもその他の暖房はしていない、農家では一日中囲炉裏で薪をくべていたという。その囲炉裏の側で暖をとって寝ていたのである。これほど電気が普及したのは50年くらいであり人類史にすれば短い、でもこの50年で人類史では何万倍ものエネルギーを消費しているのだ。

マヤ文明は太陽の光が弱まるという恐怖のために人身御供して祈った。太陽がエネルギーの基だと信じていたからである。そしてその恐怖のために神殿を森に残して滅びた。
何か原発はその神殿とにていて回りに人が住めなくなり元の自然にもどる、森林におおわれて神殿が放置される。それも原発はにている。だから人間の歴史はカルマの繰り返しだとなる。それは個々人の人生でもそうであり延々とカルマの繰り返しになる。
プロメテウスの神話はすでにそういうことを予言していたのである。
神話なんか現代の生活に関係ないものだと思っていたがプロメテウスが火を盗んで過酷な罰を受けたのと同じ結果でにてないか?ストロンチウムの毒が一万年たたないと消えないという空恐ろしいことがこの辺で起きたのである。
だから原発事故周辺は神話が現実になった黙示録的なものも現実化している。
フクシマの惨状が人類の未来を暗示しているともなるのである。

 
posted by 老鶯 at 23:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

枯芒(野に咲く花と活ける花の相違)


枯芒(野に咲く花と活ける花の相違)


枯芒風に鳴るかな生きにけり

冬芒夕日のさして田舎暮る
凍みし土踏みて通るや田舎かな
野良猫の我が庭にきて日なたぼこ


華道家と作庭家との決定的な差異は、植物を単なる物と見なすか生き物と見なすかにある根とつながっていない草木は千代紙や毛糸と何ら変わりはなく、
http://kokoroniseiun.seesaa.net/


丸山健二の文を「心の青雲」のプログで度々とりあげている。生け花がどうして生れたか?華道がどうしして生れたか?それはそれなりに日本人が長い間の自然感が反映されたものだろう。仏教とも関係して華道も作られてきた。だから華道でも茶の湯でもそういう伝統は日本の自然と深くかかわって作られていたからいちがいにこうした伝統を否定はできない。ただそうしたものが家元制度とかいろいろ今では利権となって本来の意味がわからなくなる。伝統は必ず時代にそぐわないものがでてくる。
現代では花が外国からも入ってくるから多様であり生け花というよりはフラワーアレンジメントになる。正月の飾りとして近くの花屋が作ったようなものになる。
それが現代的なものとして芸術化していたのである。


もともと花でも植物でも何でも自然にこそ映えるのであり自然から離れたらその本来の美はそこなわれるのはどうしようもないのである。
作庭家にしても庭作りには石の配置などがすでに決められていて作られている。
だから漠然と石を置くわけではない、ただ作庭は土作りとか肥料も考えるとか野菜や米を作るような感覚になるのだ。生け花はただ花だけを取り出して飾るから本当の自然を知るというわけにはいかない。自然の一部を切り取る作業になるから根とつながっていないとなることは確かである。花そのものでも花だけが自然に咲いているのではない、自然という全体の中に花も生きている。だから花だけをとりごして壺に活けることは自然を切りとる作業なのである。ただそれも人間的に自然を活かすということであるからいちがいに否定はできない。


不思議なのは利休の茶の湯がなぜ堺という当時は世界と貿易していた都会で生れたのか?
そのことがわからない、


東山当時の茶の湯は(あばら家のような茶室ではなく)端正な書院造の部屋で中国の美術品をたくさん並べて鑑賞する美術鑑賞の場だった
http://musubu.sblo.jp/article/8976513.html

それから鎌倉時代に禅宗を基にして茶の湯が広まった。利休がわびさびの茶の湯の道を発明したわけではない、すでに禅宗から発しているから中国にも発していたのである。


華道になると壺も重要である。茶碗も大事でありだから陶芸が盛んにならないと茶の湯の道も盛んにならない。つまり文化は伝統は奥深いものでありまず華道や茶の湯は嫌いだという時、その伝統を深く今の人は知らないのである。自分も全く華道も茶の湯も知らない、第一めんどうだから茶にしてもただ安い茶碗を買って茶の湯のまねごとをしているだけである。華道についても全く知らない、でももともと伝統的なものには現代では忘れられたものが宿っている。だから日本の伝統的なものがこれから見直され国風文化の時代が来ているのである。


まず日本の文化自体が日頃身近に接することができないから余計に何か博物館に収納されているようなものとして見ている。能でも歌舞伎でも日本の文化は日本人の生活とかけ離れたものとなって保存の対象になっている。それは何か時代にそぐわないものとなり家元制度で利権として保存されているような感覚になるのだ。


枯芒が風が吹いて鳴った。その時枯芒も死んでいるのではない、生きていると思った。
風に反応して鳴るということが生きていることである。そういうことが華道にはない。
田舎でもほとんど舗装されているから土の道がなくなっている。
でも土の道だと凍みるのである。霜もたつのである。その土の道を踏む時、自然を感じるのである。
だから都会だとほとんど自然から遊離した人工空間で生きているのである。


話は変わるが最近、野良猫がくる。餌をやったからくる。その猫はもともと飼い猫だった。だから最初は人なつこくよってきた。でも野良猫になり野生に帰った。だから餌をやっても近寄らない、なつかなくなった。一目散に逃げることもあった。人間に追われるようになったからそんなふうに人になつかなくなった。こうなった野良猫は簡単に人になつかない、警戒心をもちなつかない。ただ餌が欲しい時、何か甘えるような声で鳴くのである。それはやはり一度人間に飼われた猫はなかなか元の野生の猫にはもどれないのである。

華道でも同じであり花は自然で本来映えるものだが花瓶に挿す花は人間化された花である。でも自然も結局、人間化されたとき自然は活きてくる。山に名前つけたり何でも人間化されているのが自然であり火星とかの山でも名前をつけると人間化する。でなければ全く人間とかかわらないから荒寥としたものとなりそれは活きたものとはならないのである。アダムがエデンの園で植物でも花でも名付けることが仕事だったのである。

それは自然を人間化することだった。庭にしても全く野生的なものとは違う。そこに庭にある石まで人間化されているのだ。だから津波で流された庭の石が残っているのも不思議だった。意志でも人間の情が移っているということもある。全く自然の石とは違っていた。自然の石でも境の石とか人間化されていて活きているから自然も人間によって意味づけられて価値を帯びているのである。