2014年01月11日

冬の暮(津波の跡の枯野の短歌十首) (三年目でも不思議な光景はつづいている)

 

冬の暮(津波の跡の枯野の短歌十首)

(三年目でも不思議な光景はつづいている)

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ノスリが飛んでいる

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冬の海鴎一羽の飛び行くや一本なほも残る松かな
一本の津波に残るその松の冬の海行く船一艘見ゆ
津波跡枯野となりて船一艘沖行く見ゆる冬のくれかな
寒々と雲浮き連ね冬の海枯野淋しく暮れにけるかな
数本の樹のなお残り津波跡誰か住みしや冬の日暮れぬ
ノスリ飛ぶ冬の夕空一本の松も露に残る影かな
津波より三年過ぎむなほ残る家の跡しも枯野となりぬ
葦原の枯れて沼地や陽の没りぬ右田の松原今はなしかも
海老の浜右田の浜烏浜枯野となりて昔にかえる
近くにも津波の被害語る人なお生々し冬のくれかな


津波の跡を見ているのはこれで三年目に入るけどその不思議さは変わりない、
こんな光景になっていること自体信じられないというか不思議そのものである。
津波の跡に残った樹を見ていると何か不思議である。
異次元の世界に来たような感覚になる。
この辺は何か写真でもまるでありえない風景が未だに撮れている。
これは別に写真をとる人が優れているのではない
その風景自体があまりにも普通でないから絵になっている
非日常的風景がまだつづいているのだ。
こういう風景は日本にはある。北海道はこんな風景が今でもある。
だから全くありえない風景ではない、でも津波の跡の風景はまた違っているのだ。

これって何なのだろうと不思議さが消えないのである。
何か幻想画のようにも見える。
こんなこと言っているとまた被害者にしかられることになる。
お前は犠牲者をどうみているんだとか言われる。
でもなんか不思議さが消えない風景なのだ。


まだあの津波に残った一本の松は残っている。そして冬の夕空にノスリが飛んでいる。
ノスリはここに住み着いた。それだけ餌になるノネズミが増えた。
でも人間の目ではまるでノネズミは見えないのである。
でも確かにここに住み着いているのだから餌があるから住み着いている。

こうした不思議な風景が普通の状態になるのはいつになるのか?
この辺では元の自然にもどったのだからそれを見ていれば別に戦争の焼け野原とは違っている。
街自体が津波で消滅したところはこれより凄まじいものとなっているだろう。
ここだって実際は海老でも烏浜でも何百人の人が住んでいた。
それが根こそぎ失われた。

そして復興住宅建築がかなり進んでいる。地元でも津波の被害者でも新しく家を建てた人は少ない、
ほとんどは復興住宅に入るのだろう。それだけの余裕がある人は少ないとなる。
この辺の変化はなかなか収まらない、その傷痕はあまりにも大きかったのである。

こういう写真は地元の人しか撮れないだろう。写真は撮り方によってかなり違って見えるからだ。
その土地に住んでいればいろいろな角度から季節でもとりやすいのである。

今までは別に変わってものとして写真にもとらなかった。
今はやはり何か以前として不思議な光景だから絵になっている。
まずこれだけの津波被害を経験することは何百年に一回だとなる。
そんな時にめぐりあわせたのも不思議なことだし被害にあった人たちにしてみれば
何でこんな不孝に会わなければならないかと嘆いているだろう。
その心境は被害にあった人たちにしかわからないのである。
その落差は地元でも大きいのである。

 

冬ごもる-冬の雲 (浜街道相馬の城跡へ-相馬に住むものの今の心境の短歌十首)


冬ごもる-冬の雲

(浜街道相馬の城跡へ-相馬に住むものの今の心境の短歌十首)

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冬の雲(抽象画)


一本の松に風鳴り墓地のあり名のしるけく冬の朝かな

知られざる道のあるかな冬日さし凍みにし道を我が踏み行きぬ
故郷の堤も凍り葦枯れて踏みいる人もなくして暮れぬ
かなたにそ蔵王の見えて雪厚しみちのく長く冬ごもるかも
六万石城の跡かな堀凍り行き交う人もまれなりしかも
街道に松の残りて北風の鳴りにけるかな城へ行き来し夕日さし暮る
街道の松並木くれ冬の月日立木通り我が帰るかな
日立木のまちばばしかな冬の暮我が通りつつ街道暮れぬ
東京の築地に行くと運転手昔を語る故郷の冬
冬の雲流れざるかな窓の外に遠くに行けず故郷に住む
北風の唸り吹くかな冬ごもり家にしありて古書を読むかな

北風のまた我が家に鳴りにつつ故郷に古り今年も生きぬ

一本の松がありそこに一家の墓地がある。そういうのは田舎にある。墓自体が贅沢だともなる。町内の墓地だとこみすぎるからだ。原町の橋本の墓地は広いから墓参りにはいい。でも実家の墓を新しくしたからいい。でも墓だけしかないのである。父親が埋まっているからと娘が墓参りにきても実家がないのも淋しいとなる。
墓碑に名も記されていない墓のことも前に書いた。金がなくて記されないというのも親不孝なのだろう。だからそういうことを考えると家の近くに墓地があるというのはぜいたくであり田舎ではそういう面で贅沢なのである。農家では代々家がつづくから良かったのである。墓は一つの拠り所にもなる。だから原発事故で避難した人たちはそういう拠り所をなくしたから辛いという面がある。
人間は住み慣れた土地を失うことがどれほどの苦痛なのか?そのことをあまりか外部の人は特に都会の人は考えないだろう。それは金では贖えないものがあった。

ただ今までは故郷があるのが当たり前であり家も墓もあって当然でありそんなものがなくなると想像すらできなかったのである。想像を絶しているのが今回の津波原発事故の被害だったのである。


あをによし奈良の家には万代に我れも通はむ忘ると思ふな


http://musubu2.sblo.jp/article/53189908.html

(原発で故郷を離れる人の心境の一致)


ここで書いたけどやはり家というのは40年とか住むしもっと農家などでは長く住んでいる。代々住んでいるから自ずと重みが生れる。家に対する愛着は田舎では大きい。
マンションに住むのとは違っている。つまり田舎では農家だったらその土地とも一体化しているから愛着が深くなるのだ。家にはまた思い出がつまっているから愛着がでてくる。単なる人が住む箱ではない、そして代々語り継がれるべきものがあると余計にそうであり先祖も家に生きるし土地に生きてゆく。そういうものが失われることは金では代えられないものである。だから外部からみるのとそこに住んでいたものの心境は相当に違っているし理解できない。都会の人には理解できないものがある。

六万石の相馬の城跡も淋しいものである。そもそも城があっても東北辺りは仙台をのぞいて淋しい田舎だった。だから自然がみとにしみるとなる。今回は電動のマウテンバイクで舗装していない道を分け入った。すると土の道だから凍みているのだ。それが冬らしいのである。舗装されているとそうした自然の感覚から離れてしまうのである。

冬籠もるというときもう都会ではそういう感じがなくなっているだろう。冬籠もるは農村的風景があると冬籠もるとなる。冬籠もるというときそれは生活自体も冬籠もるということがあれどは余計にそうなる。昔の冬籠もる生活は冬に備えて自給自足していたからそうなる。今は交通が発達したから冬籠もる必要はない、物はいくらでも入ってくるからである。だから現代は季節感がなくなる。
何か冬籠もるというと鄙びた所に今はあっている。みちのくは多少はそういう感覚になる。冬だったら相馬の浜街道も昔ならあまり行き来しなかっただろう。
今回は暗くなって帰ってきたから余計にそういうことを感じた。

冬の雲が窓の外に流れないというとき何かそれが今の回りの状態を反映している。
冬の雲はいろいろ暗示している。自分の生活もここ7年間は全く遠くには行けない故郷に閉ざされた生活だった。まさしく冬の雲に投影される心境がそこにあったのだ。
つまり俳句では特にそうだが短歌でもその歌われた背景を深く読む必要がある。
万葉集などの一首などになると一つの歌に一冊の本で開設くらいの背景があるからだ。
真野の草原にしてもそうである。そこには歴史的背景を読まなければ鑑賞できない。
その点奈良や近畿で歌われたものは万葉集より古い歌があり仁徳天皇の残された歌もある。あの仁徳陵の主かと思うとみちのくからすると古いなとなるのだ。


難波津に  咲くやこの花  冬ごもり  今は春べと  咲くやこの花


この頃は冬ごもりという感覚があった。今はとても感じられない、東京でも大阪でも大都会にはもう冬ごもりはないのである。