2014年01月07日

冬柳(相馬市田町通り)


冬柳(相馬市田町通り)

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春きざす凍みにし道にイヌフグリ

冬タンポポあたたかなれや里の道
新年や蔵王の見えて相馬市へ
百歳になれや夕ぐれ冬柳
闇つつむなお生きなむや冬柳
街灯や田町通りの冬柳
月細く夕暮れあわれ冬柳
冬柳長々垂れて長寿かな
冬の日の小径(こみち)を行けば故郷になお知らざりき奥に家あり

時折に汽笛の鳴りて池凍り二両の電車なお行きかいぬ

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イヌフグリとかタンポポも咲いていた。冬タンボホという季語があるから冬でも咲く、イヌフグリはまだ咲かないはずだけど咲いていた。第一今日でも寒かった。
この辺では雪はほとんど降らないから冬タンポポは咲く、そしてヤマハのマウテンバイクの電動自転車で舗装されていない道を分け入った。
田舎は狭いところでもこんなところに人が住んでいたのかと思わぬ所に家があるのだ。
そこは車も通らないような奥になっている。
でも近くを電車が通っているから時々汽笛が聞こえる。
寒い日にその汽笛がひびく,それも原町と相馬市を行き交う二両の電車である。
それでも電車が走っていることは営みがあることなのだ。

ただこの辺は電車は通っていても肝心の営みがなくなっていることが問題なのである。

なぜ電車にひかれるかというと電車は風景にあう、自然に映えるからなのだ。
だから撮り鉄がいることがわかる。電車は自然の中で絵になるのである。
車はなりにくいのだ。
自転車というと種類が多くみんなそれぞれ乗り心地が違うのである。
それはバイクなどでもそうである。車でそうだろう。
マウテンバイクになると悪路に強いから知らない未知でも分け入ることができる。
行動範囲が広がる。冬は冬で走っていて気持がいいのだ。


相馬市へ出る所で大きく雪の蔵王が見えた。完全に雪におおわれている。八沢浦からも蔵王は見える。でもそこが蔵王が見える限界である。今日は冬晴れで苦も一つないからあれだけはっきりと見えた。

それから夕方になり相馬市の田町通りの柳を見た。小泉川の柳も良かったので探したがなかったのは切ってしまったのである。あれは残念だった。切り株だけがあったからだ。
ここの柳はかなり大きなもので見応えがある。この冬柳は自分の母親をイメージする。
百歳になるからである。百歳生きる人もこれから相当に増えてくる。
人間は百歳生きれるものだなと思う。こんな百歳の人が生きる時代はなかった。
ただ60代でも一割は死んでいるから何かこれからそんなに長生きするものだろうかということも思う。

自分の母親は百歳まで生きるために生きている感じなのである。百歳がゴールでありそのためにこつこつと食べて生きている感じなのだ。そういう性格なのである。
柳は長寿の木にふさわしいのだろう。ただ幽霊のように生きているという感じにもなる。それでも生きてはいる。寝たきりではないからまた違っている。
90歳以上くらいになるとなんか人間も幽霊のように生きているとう感覚になるかもしれない。そこまで生きてみないとどんな感覚になるのかわからない。
そういうときの心境で俳句とか短歌とか詩を作ったらどうなるのかとも思う。

自分は結構健康が回復したからまだ運動ができる。ただあとで筋肉痛になる。
今日は走っていて日が永くなったなと感じた。
五時で真っ暗だったけど結構永く明るくなっていた。
新年になるとやはりすでに春が来ているのだと感じた一日だった。