2014年01月06日

真野の草原(かやはら)の再考 (インターネットで情報集めたら見えたくるものがあった)


真野の草原(かやはら)の再考

(インターネットで情報集めたら見えたくるものがあった)

●吉備国に濃厚に伽耶(カヤ)の国の影響が残る


吉備勢力は出雲征服を試みるも完遂寸前に出雲東部の意宇王の前に失敗。以後、ヤマト政権と同盟して列島の統一・治世に貢献し、古墳時代から飛鳥時代まで繁栄した地方として重視された。河内王朝時代には、ヤマト政権中央部に対抗するほどの勢力を誇ったが、これがヤマト政権の警戒を呼んだのか、後はヤマト政権の謀略などで勢力が削減されていった
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E5%82%99%E5%9B%BD

『国造本紀』によれば、吉備地方には吉備氏のもとに大伯氏、上道氏、三野氏、下道氏、加夜氏(賀陽氏、賀夜氏、香屋氏)、笠臣氏、小田氏があった。吉備の国造の場合、多く(上道・三野・下道・加夜・笠)が臣(オミ)姓を称している。
この中の下道氏と笠氏は、後に朝臣の姓(かばね)を名乗る(吉備朝臣)[1]。奈良時代に日本をリードした学者・政治家の吉備真備は下道氏である。
吉備仲彦は香屋臣(かやおみ)の祖。その血統が賀陽氏に引き継がれているといいます


岡山市北部のごく限られたエリアでありながら、重要な文化財が集中する足守地区。
足守の地名は、古くは日本書紀応神天皇二十二年(推定五世紀初頭)の期に「葉田葦守宮(はだあしもりぐう)」の記述に見られます。「葦守」が「足守」に転じており、「葉田」は「秦」を示します
古代足守郷に勢力をふるった賀陽氏の名が刻まれていますが、宮を創建し
それまでの日本には「呼び名」はあってもそれを表す文字はなかった。 そこに漢字を当てていく作業が始まったのが天平宝字(757年)である。

笠満誓は俗名「笠朝臣麻呂=かさのあそん・まろ」。
笠朝臣・・・「前身を吉備から出る笠臣とする。美濃国国主氏族。
大化の改新以前は吉備出身氏族の上道・下道・三野臣らとともに臣姓を持ち、ゆるやかな同族系譜を持っていた。
ここからは吉備真備が出る。

大宝四年に笠朝臣麻呂が従五位下を授受さる。」

笠満誓は俗名「笠朝臣麻呂=かさのあそん・まろ」。
笠朝臣・・・「前身を吉備から出る笠臣とする。美濃国国主氏族。
大化の改新以前は吉備出身氏族の上道・下道・三野臣らとともに臣姓を持ち、ゆるやかな同族系譜を持っていた。
ここからは吉備真備が出る。
大宝四年に笠朝臣麻呂が従五位下を授受さる。」
http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/54651359.html?newwindow=true


みちのくの真野の草原(かやはら)は伽耶(カヤ)の国に由来するという考察をした。なぜなら草原郷(かや)となるときそれがこの賀陽)かや)とか香屋臣(かやおみ)の祖に由来している。カヤはこの渡来人からのカヤであり萱が繁っているというのではないと考察した。沙弥満誓は笠氏だから笠女郎の父親であり笠女郎の故郷は吉備の萱(カヤ郷)の出で笠氏は賀陽(かや)からの帰化人だったという説である。足守という地名が葉田葦守宮(はだあしもりぐう)」ということは秦氏の葦守だとなっている。渡来人の守る葦守になっている。渡来人⇒味真野⇒葦真野というふうにもなる。草原(かやはら)が何か不明にしても渡来人の匂いが色濃くするということは疑いないのではないか?


ただ葦(あし)と草(かや)は根本的に発音が違うのだから別な種類のものである。別な意味をもっている。発音がカヤとなるとき賀陽)かや)とか香屋臣(かやおみ)と結びつく、単なる草原(かやはら)を自然の景色なのかという疑問がある。これは一地名だと考察したのもそのためである
http://musubu.sblo.jp/article/57107299.html

吉備の製鉄は6世紀後半以降は箱形炉による生産がさかんになり、上記のように「まがね吹く吉備」とよばれるようになる。箱形炉とは長辺側に台状の高まりをもち、短辺側に溝をともなう炉のことで、長辺側に鞴(ふいご)が置かれ、高みから原料・燃料を投入して溝の排滓する方法が用いられた。この場合、製鉄炉の原料には鉄鉱石が用いられ、朝鮮半島から導入された新しい技術だったと考えられている
http://bell.jp/pancho/travel/kibiji/history.htm


百済王敬福(くだらのこにきし の きょうふく) - 761年(天平宝字5年)に、紀伊・阿波・讃岐・伊予・土佐・播磨・美作・備前・備中・備後・安芸・周防など12カ国の軍事権を掌握する役目に任命される。

周知のように和田氏系の諸氏の中には、小野氏や栗田氏のよ

彼らは、「伽耶隠し」「百済隠し」「新羅隠し」「韓隠し」をしながら、同時にいままでの呼び名に新しい漢字の「音・義」を盛り込み、密かに閉じ込めていった。だから「木村」を「木のある村」と見るのは間違いで、キム・ウラ、つまり金浦、そうあのキンポ空港のある「金浦」のことなのである。湘南の海岸線に高麗という町がある。ところが街の鎮守の名前は「高来神社」とある。
どちらも「こうらい」と読めるが神社のほうは「たかく」神社と読ませている。
これも、明治政府の「朝鮮隠し」の生きた証人だ。
「高麗」という地域表示はいまも街角に残っているが、高麗という地名がどうしてここにあるのか知る人は少ない。

http://iwamigin.vsp3.com/history/tokyo-kudara.html

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●カヤとつく神社や古代の記録


の神名は鹿屋野比売(かやのひめ)の神、またの名は野槌(のづち)の神

 言霊ヌ 鹿屋野(かやの)の鹿屋(かや)は神(かみ)の家(いえ)の意です

「阿太加夜神社」 (出雲風土記、意宇郡)出雲神社リスト@#59
「加夜神社」   (出雲風土記、神門郡)出雲神社リスト@#282
「井草神社」(出雲風土記、飯石郡。三刀屋町伊萱の伊草神社)出雲神社リスト@#301
「阿太加夜努志多伎吉比賣」 (出雲風土記、神門郡)
「賀野里」 (かや)(播磨風土記、飾磨郡)
「鹿屋野比賣神」 (古事記、野神の名前。岩波ではp58)
「加悦郡」 かや、と読む、丹後の一地方 
「草野灰」(かやのはひ) (陸奥風土記、八槻郷)
「神石萱」(かむいしかや)(陸奥風土記、八槻郷)参照:神prefix
「市鹿文」(いちかや)他、(景行紀)参照:景行紀の蝦夷
「韓人山村等上祖 柞巨智賀那」(参考)(播磨風土記、飾磨郡)
「賀奈良知姫」(参考)(先代旧事本紀p107、葛木土神の剣根命の娘)
「うがや・ふきあえず」 (参考)
「伊可古夜日女」(参考)(山城風土記。丹波国ノ神野ノ神、と)

http://www.dai3gen.net/kayanrm.htm


また吉田連は、神亀元年に吉宜や吉智主が賜わった氏姓で(『続日本紀』 ・ 『新撰姓氏録』)、 『姓氏録』や『続日本後紀』によれば、塩垂津彦(天帯彦国押人命の商) が、崇神朝に己没(嶋津江流域にあった伽耶諸国中の小国、のち百済に併合)に派遣され、その子孫の達率吉大尚とその弟の吉少尚らが来朝したとし、

『姓氏録』は旧姓の「吉」 (キチ)を、己没で「宰」を称する言葉であるとするが、吉大(太)尚が『日本書紀』や『懐風藻』に見える天智朝頃の実在の人物で、達率という百済の官位を帯び、キチ・キシが首長を表す朝鮮語にもとづくことから、この氏の実態は7世紀後半の百済の役後に渡来した亡命百済人(己抜糸)と見て差し支えない。 さらに『姓氏録』右京皇別下に天足彦国押人命の三世孫彦国茸命の商と記す真野臣は、彦国茸命の曾孫の大矢田相称が神功皇后の新羅征伐に従軍し、新羅国王の女を要って生んだ佐久命の子 孫で、その九世孫の和珂部臣鳥と忍勝らが近江国志賀郡真野村に居住したために、庚寅年籍で真野臣の姓を負ったとするが、貞観5年9月、真野臣永徳らが宿祢姓を賜わった時に百済系渡来氏族 の民首の一族の者が、これと同視と称して真野臣の氏姓を与えられており(『三代実録』)、真野氏ももとは渡来系であったと推断することができる。
http://www.city.okayama.jp/kitaku/asimori/asimori_00001.html


●真野の草原(かやはら)はやはり伽耶(カヤ)に由来する


伽耶国は古い、百済国はなじみがあってもその前の小国の伽耶はなじみがない、だからその後百済に併合されて余計に消失してしまった。ただ吉備国に濃厚にその跡が記されている。だから吉備国から伽耶国のことが伝わったということはありうる。吉備は大和に対抗する拮抗する大国であった。だから会津にも吉備が進出していた。

津大塚山古墳の三角縁神獣鏡岡山県備前市鶴山丸山古墳のものと同じ鋳型である

古代はともかく渡来系が主導的役割を果たした。製鉄などの技術をもっていたためである。
真野郷というときもこれは真野氏にかかわるというとき、真野氏の出自も渡来系である。そもそも真野氏の名前は真野という地名から起こっている。それは吉備の葦守神社に由来して葦の間の野⇒味真野⇒真野なのである。真野の由来は吉備にあり吉備から発して近江に真野という地名を残し越前に味真野という地名を残した。かえって遠くに古い言葉が残る。沖縄や青森に古語が残っているのと同じである。味真野とは吉備を発祥地としている地名だったのである。

何かこういうふうに古代の情報を集積してゆくとやはり笠朝臣(しゃみまんせい)の娘が笠女郎であるにらうに見えてくる。近江に真野とあっても吉備が起源としては古いのである。そして吉備はまがねふく吉備というふうに渡来系の製鉄技術者がいた。だからみちのくに黄金を求めてきた百済王敬福もかかわっていた。伽耶がなじみがないというとき百済国に併合されてその国自体が早めに消失したからである。ただ日本に亡命したのは古く蝦夷(えみし)として中央政権の大和と戦った。

「草野灰」(かやのはひ) (陸奥風土記、八槻郷)
「神石萱」(かむいしかや)(陸奥風土記、八槻郷)


このカヤは伽耶一族のことである。草をカヤとは普通は言わないしあてない、草原をカヤハラというのはだから萱のことではない、伽耶国をさしている。百済隠し、伽耶隠しという操作がその後行われた。伽耶は百済に隠され大和にも隠され不明となっていった。

いづれにしろ伽耶(カヤ)と真野氏も渡来系でありつながりがある。南相馬市の鹿島区の真野郷でも萱野姫を祭っているがこれは渡来系の姫だともなる。焼畑の神ともなっているが伽耶国に由来するものでもあるかもしれない、唐神という地名も残っているし原町区に高倉とかの地名も渡来系なのだろう。泉官衙跡から発見された木簡で白人も渡来系であり嶋田とある島も渡来系の苗字かもしれない、つまり渡来系が深くかかわった地が真野郷たったのである。それは個々か製鉄の一大生産の場だったからである。

ただ萱原という地名が残っているのは石巻でありそこにも真野公という木管か発見されているのだからやはり真野と萱(伽耶)が一体化している。そこは萱原とは限らないのである。石巻が江戸時代でも真野の草原としていたがそれは考古学的発掘がされていなかったからである。南相馬市の鹿島区には古墳とか金銅製双魚佩とか考古学的発掘があり地名も明確に残っているとかで有力になった。石巻には古墳とかがないから物証の点では貧弱なのである。

ともかく文献でもこうして草原(かやはら)の情報を重ねてゆけば自ずと見えてくるものがある。それはなかなか一個人ではできない、インターネットにそうした情報が集積してくると見えてくるものがあった。

古代には葦とか萱はいたるところに繁っていてめずらしくない、その萱原を面影に見るなどということはありえないのだ。ただカヤは伽耶は古い地層の地名であり伽耶隠し、百済隠しでその本来の意味が別なものに変化した。特に百済に併合されたから余計に不明になった。新羅琴は実は伽耶琴だった。新羅で発明されたものではなかったのである。
伽耶はそういうふうに小国でもありその痕跡が消されていったのである。

韓国でも最も古い楽器の一つ 伽耶琴。
奈良の正倉院には、新羅琴として保存されている楽器だ

posted by 老鶯 at 21:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

冬芽(willは未来へ生きる意志)

 

冬芽(willは未来へ生きる意志)

自らをここに生きゆく冬芽かな


I will live here
buds in winter


凍えるや三日月光り白鳥の沼に渡りきて鳴く声ひびく


人間の未来は明確な意志によって作られてゆくものであり未来は何もしなければこない。それが日本語では表現できないから何かあいまいなものとなり未来への明確なものとして作れない。・・・だろうというとき何か意志ではない、なんとかなるだろう・・・なんかそんな感じなのである。つまり未来はただなんとなく何もしないでもやってくるという感じになる。未来は日々その人が今刻々でも自ら作っているのだ。
学問でも何でも実際は日々の積み重ねでありそれが積もり積もって大きなものとなってゆく。その毎日毎日が明確な意志をもって作っていかねば未来は生れないのである。
棚からぼた餅のように未来は生れない、ただ人間はどうしても安易な道を選びやすいのである。その安易な道があとでカルマとなってその人に返ってくる。

簡単に結構して簡単に離婚する、安易に借金するのもずいぶん勝手だと思うけどそれもまたあとで重いものとなってカルマとなって返ってゆく、結婚も半分は現代では自分で選ぶのだから自分の責任になる。

現代は強いられたということも以前としてある。一方で自由に何でも選ぶということもできるから責任もそれぞれに負わされることになる。
もちろん格差社会で階級社会になりもう人生は生まれ前から決められているということも盛んに言われる時代になった。
でもやはり自ら選び自らの人生を生きるというのが自由社会である。
つまりI wii・・・・になっている。willは意志なのである。
だからじ自らの人生を選び生きることは結構厳しいしみんなできない
だからかえって自由社会は格差社会になったり人生の勝ち負けの差が大きくなったりするみなん成功者にならない、第一事業をはじめて成功している人は実際20人一人だとすると本当に厳しい世界である。


ともかく生きるというとき、その人が自ら主体的に生きる意志が必要になってくるのだ。冬芽は厳しい冬を耐えれば花が開く、今は耐える時期だ。その耐えるということも一つの意志である。未来を作るための意志なのである。そういう主体的なものがなければ未来は作れない、未来は何となく何もしなかったら生れないのである。
だからこの辺ではいろいろ問題があってもいつまでも仮設にいても未来は生れない、
そういう未来を意志でもって作っていかなければもう未来は作れない。
そういう時期に来ているのだ。


今日は原町まで行ってきた。アスパラガスが110円でキクチスーパーで売っていた。鹿島のキクチスーパーでは200円しているから安いと思った。それは輸入品だったのである。
輸入品だとこんなに安くなるのかと思った。国産だと倍になるのか?この差は大きい。
だから現代はなんか田舎でもさらに田舎があり原町と相馬市だと品物の数も違うし安いのがある。だから現代は田舎はかえって物価でも高くなっているのだ。田舎にもさらに田舎がありそこでは生活費が高くつく。物価はかえって都会の方が安いのである。
そしてTPPになったらどうなるのか?アスパラガスのように半分以下の値段になる食料品がかなたでてくる。するとかえって安くなっていいいなと思う人もでてくる。
こうした日常的に食べるものの家計への影響は大きいのである。
なぜならアスパラガスは好きで毎日食べていたからそれを一年で計算すると大きな額になってしまうのである。


だから今は4万くらいの都市に住まないと現代生活を享受できない、一万くらいだといろいろ不便になる。車がある人はいいがない人は不便になるし損をする。
牛丼屋で430円で卵がついて豚汁がついての値段だった。これも安くて便利だが鹿島区にはない、一人暮らしには今は本当に便利なものができている。
だから日々食べることなどで一人暮らしではさほど困らないのである。
だから離婚が増えたというのもそうなのかわからない。


今日は本当に寒い、沼に凍えるように白鳥が鳴いていた。その声が辺りにひびいていて三日月が光っていた。いかにも冬らしい、冬らしいというときやはり原町はこの辺では都会でありだから冬らしいとなるとき鹿島や小高なとど一万くらいだとさらに冬らしくなる。都会だとやはり家が密集しているからそれだけで何かあったかい感じになる。
田舎でもこうして一万の町がありその街内に住むものとさらに離れた村に住むものがある。そして田舎といっても原町とか相馬市は4,5万でも一万の町とは相当違っているのだ。
10万くらいの街すら今は田舎などというが東北では10万は大都会である。
だから田舎といってもそこに住む人は原町のような街に住んでいたら便利である。
でも一旦中心から離れると不便なになるのだ。


とにくか生きるというとき小さければ小さいほどその町で場で生きるということを意識しやすい、原町とか相馬市でもそれなりに大きくなるとなかなかその街で生きるということを意識しにくくなっている。たいがい今はその町で自ら生きるということを意識しにくい。昨日の短歌のように百輪の椿が咲いてその一輪としての一人としての自覚ができないのである。

とにかくいまでもだらだら仮設で仮の生活をすることはもう終わりであり自らの意志でもって生きる、未来を作ってゆく時期がきている。
一方で仮設で避難者が酒びたりで鬱病になっているとかそういう問題も出ている。
それは明確な未来を目指してwillしないからそうなっている。

でも未来はただ他者からだけ与えられるものではない、自らまさに意志(will)をもたないと未来は見えてこないだろう。
人々がそれぞれ明確な未来を意志をもって生きてゆけば自ずと未来は開けてくる。
その時自然もまた未来に輝きを放つのである。
冬芽はやがて大輪の花と開花するのである。