2014年01月01日

正月俳句(近くの森で見つけた榊)


正月俳句(近くの森で見つけた榊)
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正月に時雨やあわれ年重ぬ
二本の樹の契りや寒椿
初日さす松風鳴りて里の森


正月に森の中見れば榊かな瑞々しくも生いたちにけり

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今日はまた時雨だった。正月に時雨というのもめずらしいと思った。
それからまた川子の森の方に行った。松に初日がさしていた。
あそこの松は細いし貧弱である。でも近くに森があるだけでもいい。
規模は小さいが森は森である。


農家の庭にはやはりあの日本の樹が立っていて寒椿が咲いていた。
あの二本の樹は契るように立っている。それは津波の跡に残された二本の樹もこの樹のように今も離れがたく立っている。
今日は結構風が吹いて寒い元旦だった。
日本の天気は変わりやすい、刻々と変わっている。だから俳句的感覚が養われたのである

川子の森にゆくのは坂を自転車で上り海も見えて気持いいからである。ただあの森は本当の森ではない゛、埋め立て地の森である。だから森として貧弱である。松も細いし見栄えがしない。右田の松原はいい松があったが津波で消失した。

この森で見つけたのは榊だろう。シキミではない、これはまちがいやすい。
森にあったことがめずらしい。近くに森があればこうしていろいろ観察はできる。
近くに自然があるのとないのでは相当違う。近くにあれば日々の生活と一体化するからである。時々遠くに行って感じるのとはまた違ってくる。なぜなら毎日のように行って見て感じるからである。だからあの農家の二本の樹は必ず見ているのだ。
今日は寒椿が咲いて映えていた。


折口信夫の門松の話は面白い。山の人もそうした山の木などを売りに来た。
その山の人がそういう木などを売った場所がイチになった。


山の神に仕へる神人ジンニンがあつて、暮・初春には、里へ祝福に降りて来たので、その時には、いろ/\な土産ものを持つて来て、里のものと交易して行つたのです。此交易をした場所を、いちと言ひました。


このいとは息(いき)であり生きるでありいるでありいつくでありいちもそういう種類の大和言葉である。山人が天狗とか神秘化されたのは結局互いに交流がないことから起きている。滅多に山から人はでてこない、出れないのである。遠くに行くことが道も明確にない時代であり行けないのである。だから春にようやく遠くへ行き市が立つのである。
隣村さえ江戸時代でも遠かった。人と人は交わらない自給自足の生活をしていたのである。それでも春には遠くの人とも交わる場があった。それが市だったのである。


門松の話(折口信夫)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000933/files/5013_14215.html

 

おせち料理は縄文時代からの日本人の食料 (今見直されるべき国風文化,日本人のルーツ)


おせち料理は縄文時代からの日本人の食料

(今見直されるべき国風文化,日本人のルーツ)


日本のお正月のおせち料理は、縄文文化そのもの。現在も、縄文時代と同じものを食している。お餅も、米は無かったがサトイモによるお餅があった。
勝ち栗、昆布巻、ごまめ、牛蒡、蓮根、人参、里芋、くわいなどが中心で、他にもこんにゃく、大根黒豆、かずの子、焼豆腐などを使っていますが、多くは日本人が四季折々に食べてきたものの


黒豆 イワシの幼魚の佃煮。 カタクチイワシを田の肥料としたところ五万俵ものコメが収穫できたとのいわれに由来している
(酢ごぼう)

伊達巻
だてまき 「伊達」の由来は華やかさや派手さを表す言葉で伊達政宗の派手好きに由来することの他、
搗ち栗
栗金団
(くりきんとん) 搗ち栗(かちぐり)は栗の実を搗いたもの。栗金団は栗餡や芋餡を練ったきんとん。 搗ち栗は「勝ち」に通じることに由来
焼き肴
鰤の焼き物 ブリも参照。照り焼きにすることが多い。 出世を祈願。出世魚であることにあやかったもの[16]。
鯛の焼き物 鯛も参照。元は神饌。 「めでたい」の語呂合わせ
海老の焼き物 伊勢海老を使うことが多かったが、高価であるため、クルマエビなどが使用されている。 長寿を祈願した縁起物
鰻の焼き物



最近和食が世界遺産として見直された。ところが現代は和食が何なのかわかっている人が少ないだろう。子供にしろハンバーグとか肉類の洋食が主流である。
日本人はもともとおせち料理が基本的な食べ物だった。魚や昆布など海産物が主流である。貝ばかり食べていたという巨人の伝説も各地にある。新地にもある。米を食べる前の食料は海産物と山の幸をミックスしたものだった。それがおせち料理にある。栗などは山の幸である。ただ米がとれるようになって米が主流になった。カタクチイワシをた田の肥料にしたということは海産物が農耕にも役立っていた。農業は肥料で苦労しているのだ。
焼き畑が盛んになったのは森を燃やして肥料にしたから手間がかからないからである。
それが自然破壊になっていた。

魚類や海老などを縄文時代から日本人は盛んに食べていた。それだけ海の恵みに頼っていたのである。海彦山彦が日本人のルーツである。海と山の世界であり平坦な地が少ないからそうなる。それぞれの民族を作るのはその土地のまず食である。食なくして人間はまず生きられないからだ。だから民族の骨格を作ったのは食である。その食はその国の風土から自然からもたらされた。だからおせち料理とは神に献げたものであり神とともに共食するという儀式であった。神にまず献げて神からいただくというのが基本にあった。
そういう儀式は一つの信仰的なものがあった。
こういうことが現代では経済効率優先で失っていった。そのことで何が起きてきたのか?

それは食べ物が基本的には神から与えられるものでありそれをありがたくいただくという自然に対する畏れとかがなくなったことである。

何かというと今は権利を言う、生きる権利がある。最低限の保証をしてもらう権利がある。生活保護は当然だとか常に権利ばかりを言う。食べ物も神からいただくのではない、人間が生きるための当然の権利だとなり神に感謝している人などいなくなった。
もっと魚をとって売りたいが魚がとれないとか嘆くだけである。

そして漁業組合では原発利権の方が巨額だから漁業権を原発に売ってしまった。
そもそも漁業権が魚をとる権利のことである。それがなぜ漁業者だけに与えられているのかがそもそも矛盾なのである。資源保護ならわかるが魚をとる権利を売ってしまうというのだから資源保護にはならない、ただ原発利権のために共同していただけだともなる。
こういうことは別に漁業だけではない、自然にかかわる職業はみんなそうなっているのだ。神に自然に感謝している人などいない、絶えず売れないとか商売にならないとかいう嘆きだけなのである。それだけ買うものが増えたから金が欲しいからそうなるのもわかる。でもそういう人間の限りない欲望が神から見た時許せないということもあった。
権利、権利と言うがこの世のものは自然は全部神が作り神のものなのである。
人間のものなど一つもないのである。土地でも食料でも何でもそうなのである。
人間のものなど一つもないのである。だから神に対して権利ばかり主張していたら傲慢だとなり罰せられるということもある。


それは何も自然とか神に対してだけではない、人間の間でも常に起こってきている。
前にも何度も書いたけど看護師でも何でも人に与えたり尽くしたり働いているのになぜ感謝しないのだろうとなる。ただ当然の権利だとかばかり言われたらその人のために働くのも嫌になるだろう。現代の人間に感謝する心が極めて少ない、ただ足りない足りないもっとくれもっともらう権利があるしかない、誰一人として自分が苦しい時働いてくれた人はいないけと絶えず金だけを要求してきたのである。
今確かに食を見直す時なのだろう。日本ならおせち料理は何だったのかと過去にさかのぼり考える必要があるのだろう。ただ自分は古い家でもないからおせち料理自体食べたことかない、一般的に高いからあまり今は食べないだろう。だからこの言に関してあまり言えないということがある。

でも何か日本人の原点にもどることを国風文化の再興の時代ということは書いてきた。
その国風文化にばいろいろあっても食も基本にある。
それがおせち料理でありそれは日本人が縄文時代から食べてきたものであったのだ。

クリとグリと一つのもであった。グリは石だけど貝などもさしていた。海の幸と山の幸が基本的な食料だったのが日本だったのである。山芋があり里芋になった。もともと山にあったものが栽培されて里芋になった。日本では山と海が接近している所が多いのである。熊野などは典型的な地勢である。この辺では新地がそうでありそれで鹿狼山(がろう)には手長明神の伝説がある。長い手を伸ばして貝をとっていた巨人がいたというのである。
新地の地勢と海と山が接近していることなのだ。だからその伝説も実際の生活から生れたものであることがわかる。相馬市とか南になると海と山は結構離れている。
だからそうした伝説は残っていないのである。伝説もただ何の根拠もなく生まれるわけではないのだ。

正月というのは日本文化を見直すのにはいい、現代は日本人とは何か、日本人のルーツさえ何かわからなくなっている。欧米化で日本人たるルーツが見失われた。だからそうした日本人の文化のルーツを求める時代になる。それは日々食べる食にもあり言葉にもある。それが意外とわからなくなっているのである。最近ネットウヨとか何とか右傾化が問題になるがそういう国家的問題ではなくその基になるのは日本人のルーツであり文化が何であったかを知らねばならない、それで本居宣長が大和と唐風の言葉を探求して日本人の心を追求したのである。そういう作業が現代は望まれているのだ。

右傾化というけど自分たちの民族のルーツを基となった文化を知らなければ日本人としての自覚をもちえないのである。それは回りの強国にたいして軍事力を強化することではない、日本人として生きてきた過程をふりかえり歴史を見直すことなのである。
もちろん正月には中国文化にルーツがある。しかしそれだけではない唐風だけではない日本独自の文化を見直したのが本居宣長だったのである。
つまり自分でもそうだが日本文化が何か知らないし外国にも説明できないのである。
それで明治維新の時、武士道を外国に紹介したことでもわかる。
明治維新以来欧米化に席巻されて日本古来の文化が見失われた。ということは日本人の骨格が失われたということなのだ。
ただ欧米化したものがすべて悪いというのではなくそういうものに一辺倒になったら日本自体がないものとなってしまう。そしたら日本の独自性もなにもなくなってしまうのである。

正月の寿春-正月は日本の文化


正月の寿春-正月は日本の文化

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正月と刻まれている-北泉の延命地蔵神社




正月の寿春


円は満願、調和、円満
紫菖蒲は清楚な妻
チューリップの大きな蕾
未来へ開く瑞々しい若さ
葉牡丹は田舎的素朴質実
若松は初々しい命の緑
黄色の蘭は無垢なる幼児の色
正月に床の間に映えて
この家を言祝がむ


広き家に初日のさして一年の穏やかにあれ老いてくつろぐ



正月という気分は失ったけど正月は明らかに日本の文化を色濃く反映されていた。
それは農耕社会だからそうなった。餅花などを飾るのは豊作を願って農家の人が手作りで作っていた。そこに意味があった。自分で作るものと買うものではそもそもその差が大きいのである。自分で作ることにより愛情がわくし作る過程でいろいろなことを学ぶ。
だから労働は商品を売るという近代的なもの貨幣経済で本来の意義を全くゆがめられてしまったのである。

なんか正月飾りを餅花を一万で売っているとかいう人がいた。買うから高くなるんだよなと言っていた。もともと農家で自家生産しているときそうした伝統的なものには意味があったのである。ただ買うだけだったら意味がない、餅花を作ることで豊作の願いをその過程でこめられていたのである。
その作り方も祖父母とかに教えられるということで伝統が受け継がれ村の暮らしが受け継がれていた。


本当に家事をしてみるとわかるけどいかに買うかが問題になる。多種多様なものがありその売っているものがわからないのである。玉子焼きに入れる具まで売っているしあらゆるものが売っている。だから買うことが生活することになっているのだ。
そういうことは何か変だと思うけど忙しい時代には便利であり家事ができなくても一人で自分はしているし介護までできるのは買ってしているからである。
これを人手でまかなっていたら専用のお手伝いさんが必要になるだろう。
それは大金持ちでないとできない、結局今どきそうしたお手伝いさんという仕事は誰もしたくない。だから機械と買うことでまかなっているのだ。

ただ人間の生活はいつも同じではない、常に変わってゆくからその変わることをいちがいに否定できない、伝統も常に新しくされるて意味あるものとなる。

今回の正月のフラワーアレンジメントに感心したように新しいものが取り入れられると
別な様相を帯びて伝統は受け継がれるのである。
昔のままがすべていいとはいえないのである。
戒名なんかいつまでつづけているんだと思う、もうそんなことに意味がないことが一般的になっているからだ。なんのありがたみもないのである。
以前として同じ題目をなど唱えつづけているのもそうである。
でも以前としてつづいているのは伝統というのは簡単に変えられないものがあるからだろう。


正月は日本の文化である。なぜなら年賀とか正月の儀式などは韓国などにはなく年賀などは日本のまねたのである。韓国には明らかに古代から日本の文化も入っていたのである。前方後円墳があったことでもわかる。それだけ古代から深い交わりがあった証拠である。日本の文化というときそれも現代では何かわからなくなっている。この正月飾りは日本文化であり生け花がそうであり茶の湯の道もそうである。それらは一体としてあった。
もちろん大和言葉も日本の根底を成す文化そのものである。民族の言葉を失ったらそもそも文化は喪失する。

ただこうした日本文化の根底を作っていた農耕社会が失われた時、日本の文化も失われた。巨大な工業社会となり一割くらいしかGDPを示していない、そうなると工業社会となり工業優先の社会となるのだから農村的文化は必然的に失われる。
原発がこの辺で作られたのはそういう時代の変化があった。

南相馬市の金沢に江戸時代の碑が二つありそこに正月と刻まれていた。正月に建てたのであり正月が一番一年で大事であり農耕社会ではそうだったから二つも正月と刻まれていたのだ。金沢の北泉の延命地蔵神社は村の中心だったのである。そこにいつもお参りしていたのである。
特に正月は大事だから正月を祝うために建てられた。そして長生きしたいということで延命地蔵を祭ったのである。
今までは注目してなかったが津波であの辺の村がなくなってしまった。そして延命地蔵神社が残ったので注目したのである。そこには江戸時代の碑が地層のようにあり村の要だったのである。


 我が形見見つつしのはせ 荒珠 (あらたま) の年の緒長く我も 思 (しの) はむ(587) ... 笠女朗


この歌は物として残った形見である。それは歴史的にもそうして残ったものが無数にある。人は死んでも物は残る。だから残されたものに死んだ人の思いがこもっていて何か物が捨てられないのである。物は単なるものではない、何らか人間の心がついているのだ。
悪い念がものにはついている場合がある。するとその物をもっていると触れると悪い念にもふれることになるから怖い面がある。単なるものは物じゃないかというけどそうでもない、奇妙だけど自分の家に他人の茶箪笥が何カ月か置いてあった。それは夫が若い時苦労して買って妻に与えたものだった。それを長く使っていた。その妻は7年前くらいに死んだという、するとその死んだ妻もその茶箪笥と一緒にそこにあったような気になったのも不思議である。別にその女性のことは全く知らないけどそう感じたのである。
それは長く使っていたから余計にそうだったのである。

家というのもまたそうして長い年月人が住んでいるから単なる人が住む入れ物ではない、特に古い家はそうなる。家霊とか住み着いているともなる。

ともかく家は広い方がいい、気分も広くゆったりしてくる。最近家が大事なことがわかった。それは今までは六畳の狭い部屋に寝起きしていたが今は八畳の間でで寝ているし廊下も広いからゆったりするのである。老後は意外と家が大事である。くつろぐ家が大事になる。だから仮設に住んでいる人は嫌になっていると思う。なぜなら田舎では広い家に住んでいたからである。農家などは家と土地とか一体化していた。前田があり前畑があり生産と一体化していた。それが人間の原点の生活だった。

日本はそもそも土地も狭いし広い空間を確保できない、家も狭いから茶室が生れた。
家は相当に精神にも影響するだろう。家が狭いと思想的にもゆとりがなく偏狭なものになってゆくかもしれない、都会では窮屈な空間で汲々して暮らすほかないから嫌である。

自然を知るには田舎に住まない限りしりえないと思う。
花でも生け花でももともと自然を基にしたものである。菖蒲にしてもそれは湿地帯にもともと咲いていたものであり湿地帯に映えるのである。そこに花のエッセンスを解読する。生け花の基本は野の花にあったのだから田舎に住まない限り本当は花についてわからないということがあるのだ。高山植物は高山に咲いてこそ映えるものである。
ただ文化というのは野のままではない、そこに必ず人間的なものと変容して文化となっているのである。


とにかく今年は平穏であってほしいいうのが願いである。もう一身上のことでも回りでもいろいろなことで疲れてしまっているだろう。結局六年間はそうだった。もう生きることに必死になり追われているだけだった。これほどの激動があるとは思いもよらなかった。なぜなら自分の30年間は平穏無事だったからである。一回水害があったがそれもそれほど影響しなかったのである。まず津波で家を流された人の気持を考えるとその人たちの傷はなかなかえ癒えないだろう。これほど人間にとって家が大事だという時その家が一瞬にしてなくなった、家族も死んだとなるとその傷はなかなか癒えない、でも三年目になるからそろそろいつまでも嘆いてばかりいられないだろう。

 

南相馬市の鹿島区の花屋の正月飾りを買った (和洋折衷で良かった)


南相馬市の鹿島区の花屋の正月飾りを買った

(和洋折衷で良かった)

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鹿島区の花屋


南相馬市鹿島区の花屋の人がこの正月飾りをアレンジした。
これは傑作だと思った。
竹の器がいいのと菖蒲の紫やボタンがしっとりとして正月らしい落ち着きがある。
一方でチューリップの蕾はこれから花開こうとする若さを示している。
それが調和している。
花には何か精神的象徴であり意味を読み取ることである。
このアレンジはだから正月に向いていた。
新しいフラワーアレンジである。

普通はチューリップは和風にはとりいれないけど
これは未来をこれから花開こうとする未来を示していた。
この花は開くけど蕾が良かったのである。
花は蕾がありそして開くという段階がありそこに生きている花の良さがある。
造花には生きている花ではない、花は蕾がありそして開き枯れてゆくのである。
花も短いが一つの命なのである。


この花屋は小さいけど花屋はフラワーアレンジメントができないとまた花や植物に詳しくないとできない。
誰でも簡単にできるものではないだろう。
ただスーパーのように墓に飾るだけの花なら何の技能もいらない、ただフラワーアレンジメントになると花や植物に対するセンスが必要になる。
花の技能検定資格があり二級をとっているというのもそのためなのだろう。
今はまずスーパーとかに対抗するにはそれなりの技能やセンスがないと店はやれない
同じだったら安い方がいいとなるからだ。


前も相馬市の駅前の花屋のことでいろいろ書いた。フォトブックも作った。
あそこもセンスがあり花に詳しい。ただ夏の内は行ったあとはいろいろな問題が起きて行けなくなった。
花屋は店で個性をもつことができる。
フラワーアレンジメントはその店の主の独特のものを作れるからである。
それは店によって店の主人にとって違ったものになるからだ。
あそこの店ではこんなものを作った、向こうの店では別なフラワーアレンジをしていたとかなり
それぞれの個性があり店を回ることが楽しくなるだろう。

ただフラワーアレンジメントは金がかかる。
だから普通の人はしない、男性でしているのもまれだろう。
自分はもともと花は詩にしたりしてずっと興味をもって追求してきたので
フラワーアレンジメントの世界に最近惹かれたのである。

要するに人間は金をもっていてもそうした自分なりの感性や鑑賞力がなければ金も使えないのだ。
ものを買うにしてもそれに詳しくならなければ買えないのだ。

そしてわかったことはオランダでフェールメールなどの絵画が興隆した時期は貿易で栄えて裕福になった時だった。
だから絵画の需要が増えたのである。需要が増えればやはり絵画の注文も増えるし画家も腕を競うようになる。
チューリップに異常な値段がついたのもチューリップバブルになったのもこの時期だった。
花屋でもこうした裕福な人が増えれば花が高くても売れるのだ。
でも花は何か高尚でもあるかもしれない、フラワーアレンジメントになるとなかなかやる人は少なくなる。花を見る目がない人はしないだろう。
花を見るということはその花を見る心が大切になる。
花を見るには純粋な曇りなき心が必要になってくる。

だからまず野に咲いている花を見ることが鑑賞力をもつことに通じる。
野の花はそもそも無料なのである。野に咲いている花こそ花本来の美を映えさせるのである。

ただフラワーアレンジメントも花の個性をそれぞれ際立たせるものだということを知った。正月用の飾りもそうだったのである。
花の世界も相当に奥深いものがある。
花の種類が多いからそうなる。今は外国産も入ってくるからバラエティにとんだものとなるのだ。


やはり日本はこれから成熟社会になり文化興隆の時期になるのだろう。それは国風文化の回帰だがその前にはこれだけ西欧化したのだから国風欧風文化になる。

その一つがこの正月飾りにもあったのだ。普通はチューリップを取り入れないからである。日本風な花がメインになるのが普通だからである。

今年もフラワーアレンジメントの世界を追求してみたい、フォトブックをまた作ってみよう。

今年の希望としては詩集を別に作りたいということがある。これは詩集の部をプログに作ったが三つを同時にやることはできなかった。詩集は別に本のようにして出したい
連作したものがあるからだ。


ともかく新年おめでとうございます


今年もプログをかき続けますのでよろしくお願いします