2014年01月22日

枯野(人間的な二両の電車)


枯野(人間的な二両の電車)


冬の山暮れるや二両の電車行く

円墳のいくつか冬日さしてあり
灯のともる二両の電車枯野行く
野良猫の今日も来たりぬ冬の暮
松一本この道行きて冬深む


枯野を夕べ灯がともり二両の電車が行く、何か不思議なのはその灯が家の灯のようにも見える。極めて人間的なのである。あの電車でもこの辺でも8両だったからこんなふうに人間的に感じたことがない、つまり何でも小型化すると人間的になる。人間味を帯びてくる不思議がある。巨大化すると非人間的になる。それは建物でも高層ビルとか巨大な建物は非人間化する。東京は巨大すぎてもう人間的なものを感じない,人間的なものは排除されてしまう。巨大な機械が毎日動いているように思う。

それは電車でもそうでありすべてがそうである。人間は機械の歯車になる。
それは巨大な会社とか工場でもそうである。何でも人間は巨大化すると非人間化するのである。店屋でも巨大スーパーになると人間よりただ物があるという感じになる。


小さい店だと何か人間が主人になっていて売るものはその人間に従属する感じになる。
売るものは貧弱でもそうなっている。すでに巨大スーパーでは人間主人でなくて物が主人なのである。社会全体でもそうなっている。膨大な物があふれてその物の中に人間は埋もれ消えている。物は豊かになっても人間は矮小化されたのが現代である。
人間は膨大な物に商品にふりまわされている。


なんか変なのだけど仮設の食堂でも女主人が一人暇そうにタバコを吸って客を待っている。その姿が人間的に見えたのである。忙しかったらそうした感覚がでてこないのである。昔の小店には何かそういうのんびりしたものがあったように思える。
今はチェーン店が多いから何かそうした地元の小さな店は廃れた。


現代のめまぐるしい社会はあらゆるところで人間的なものが喪失してしまったのである。もちろん原発など部外者は全く知り得ないかかわれない代物だった。
事故後にはじめて東電の社員が直接来てかかわるようになったのである。
それまでは特別の人しか東電の社員とはかかわっていない、だからそこに人間的つながりなどなかった。だからいち早く東電社員は事故の時、地元の人なとかまわず逃げたのである。もし何か地元の人と密接な関係ができていたらそうはならなかったろう。
でも原発とかは部外者がかかわりにくいものだったのである。


今はどこでもここに人間がいるなとか感じない、機械なのかロボットなのか物が優先されて人間は主役ではないのである。物が少なく人力の時代は不便でも人間が主役になっていたろう。道でも人間が主役ではない、車だから人間が歩み道とはまるで違っている。
車しか見えないし車では誰が行き来しているかわからないのだ。


今日たまたまボランティアの青年と六号線そいの牧場であって馬をみて話をした。
その馬は競争馬でいい馬だと話した。そんなことができるのはその青年が小高かの方から歩いてきたからである。歩いていると自ずと話すことが多くなる。
自転車でも話しかけられたりするし話したくなるのである。
車の人は話しようもないし人がいるのかさえわからない、ただ車という機械が突っ走るだけなのである。現代社会は常にそうした相手が人間なのかそれとも機械なのか物なのかわからなくなっている。
ただ何でも小型化すると人間的になるのである。二両の電車は何か鉄道模型のうよにも見えるのだ。鉄道には思い入れがあるから特別関心があるからそう見るのである。

これからの時代は高齢化と老人社会になるとかえってこうした昔の小さな店のような感覚のものが好まれるようになるかもしれない、
人間的なものをかえって求める時代になる。それは小型化したものなのである。
グローバル化などあまりにも世界が大型化してしまった反動として小型化する世界が求められるようになる。
巨大なものは必ず非人間的なになる。アメリカでも中国でも巨大すきるからその権力も巨大化して非人間的なものを必然的に作りだしてしまうのである。

結局機械でも小型化すると人間的になる。二両の電車は極めて人間的だから自然にも風景にもとけこむのである。
考えてみれば採算がとさないとするとぜいたくだともなる。でも電車がない世界は淋しものとなる。
鉄道か好きだからどうしてもそう思うのである。

 
 

2014年01月24日

像ではなく言葉で考えていてはまともな文書(詩)が書けない (万葉集の時代は自然と一体化していた言葉-「心に青雲」の解読)


像ではなく言葉で考えていてはまともな文書(詩)が書けない

(万葉集の時代は自然と一体化していた言葉-「心に青雲」の解読)

像ではなく、言葉で考えるのはダメである。言葉(文字)で考えて、それを言語として表出しているとまともな文章は書けないということだ。
http://kokoroniseiun.seesaa.net/


中華人民共和国と呼称するあの国は、「人民」と「共和」は日本語である。
 「人民」は、明治期にpeople の訳語として使用されるようになったが、古くは8世紀ごろに日本で使われていたとされる。

「共和」は周の時代(紀元前1046〜256)の暴政を敷いた脂、(れいおう)の故事からくる。

 脂、は財産を独占して周囲に分け与えることをせず、大乱が起きた。王が王宮を逃げ出したため、やむなく2人の臣が政を預かって国を立て直した。そのときの元号が「共和」だったので、それにちなんでrepublicの訳語として引っ張って来たのだ

http://kokoroniseiun.seesaa.net


万葉集は全部もともとは大和言葉である。その大和言葉を漢字にあてて残した。その時日本には文字がなかったのである。でも言葉はあったのである。原始的な民族でも言葉のないものはない、人間である限り言葉はある。話し言葉が書く言葉の前にあった。
だから日本人の源流を探る時大和言葉のもっている意味を探ることがわかりやすいとなり本居宣長が大和言葉と唐言葉を分けたのである。
その時日本人は相当に混乱した。それは実際は今でもその混乱をひきづっている。
漢字のもっている意味をなかなか理解しにくいし中国で発明されたものでも日本人の使っている漢字の意味は全然違ったものとなっているのだ。ただ「心の青雲」のプログの作者が述べているように「人民」「共和」がすでに奈良時代辺りから使われているとするとそんなに古いものかと思った。
「人民」「共和」は普通は明治以後に生れた造語された言葉だと思うのが普通だからである。そもそも人民という感覚は江戸時代にはないはずである。ただ民(たみ)という日本語はあったのである。


やまがたに 蒔ける青菜も 吉備人と 共にし摘めば 楽しくもあるか 仁徳天皇


高き屋にのぼりて見れば煙けぶり立つ民のかまどはにぎはひにけり(新古707)


西暦五世紀初め頃の大王。応神天皇の子とありあの仁徳天皇のあの巨大な前方後円墳の主なのかと驚く。この時すでに吉備がでてくるのだから吉備も古いのである。
仁徳天皇の古墳の大きさは近くに行ってみてもわからない、空から見ないとわからないのだ。前方後円墳という形もわからない、特に回りに人家が密集しているからあそこにあれだけの大きな古墳があることが当時の様子がわからなくなくしている。
みちのくの正式な歴史は奈良時代からすると近畿はそれよりさらに古いからその古さから歴史を実感できないから東北では日本の歴史を実感できないということがある。
東北は常に辺境にあったからである。

こういう歌はそもそも中国にはありえないだろう。中国は民とは目をつぶすという象形文字の意味だという、民は見えないようにて奴隷のように従わせるという意味だろう。

これは日本でも見ざる聞かざる言わざるということが人民に強いられていた江戸時代にはそういうことがあったから中国だけではないともいえる。ただすでに「人民」「共和」という観念が生れていたのか?
それは日本という国がそもそもそうした「人民」とか「共和」という観念を持ち得たからなのか?そんな古い時代からそういう観念を持ち得たのか、ただこの言葉は日本人が新たに作り出した漢字だとすると日本の社会にその言葉を受け入れる素地があったともなる。中国ではそういう素地は全くないからだ。つまり天皇とは中国の帝王とは違うものだった。でも仁徳天皇の古墳を見ればどれだけ巨大な権力の持ち主かと思うのが普通である。

古墳というのが何になのか?権力の象徴なのかというとこれまたわからないのである。
東北などでは南相馬市の原町区の桜井古墳も大きいが誰のものかなど全くわからないのである。

ともかく言葉は「像ではなく、言葉で考えるのはダメである。」というときこれは本当である。そのことで前にもいろいろ書いてきた。石と岩の詩を自分が書いた時、それは故郷にある具体的な現実に存在する石と岩なのである。その石と岩にも個性があり名前をつけたのである。the stone the rock なのである。

万葉集時代の感覚はみな具体的な回りの自然を基にして言葉でも歌でも作られている。
だからある言葉は密接に回りにある具体的な自然のものと結びついていたのである。
恋愛の歌でも現代のとは違っている。像としての自然感覚が具体的な像として体に身についていたのである。


奥山の岩本菅を根深めて結びしこころ忘れかねつも 笠女郎


まず現代ではこんな感覚になる恋愛歌などありえないのだ。だから当時の女性もまた現代の女性とは感覚的に違っていた。自然の原始性が身についていたとなる。
自分は石とか岩をテーマにしているからこの歌の意味が良くわかるし詩にもしてきた。
現実に奥山の岩を写真にして紹介してきたように田舎ではそういう場所がどこでもまだあるのだ。


万葉人は自然⇒人事社会であり現代人は人事、社会⇒自然を歌う傾向がある。自然の具体的な像をもっていないのである。また東京のような所に住んでいればもちえようがないのである。そもそも自然から離れて芸術はありえないのだ。だから現代芸術でも思想でも歪んだものとなる。宗教でもカルトになるのは自然から離れた都会で生れたものだからである。そこには自然から岩とか山とかから発想される自然が欠けているのだ。
科学時代になったときますます自然から離れたものとなり自然を心としない自然から遊離したものとなっていった。
ものとは心でもあるからものと心は遊離したものではなく一体のものだった。ものとは自然のことでもあった。神道とは明治以降の祭り上げられた天皇とは違った自然と一体化する日本人の心にあった。

いづれにしろ東京のような大都会ではそもそもが像として結び得る自然がない、だから言葉が言葉にならない、言葉はただ商業のために工業のように数字のようになっているのである。だからロゴスも破壊され無秩序になりカオスになっている。毎日高層ビルを見上げていれば高層ビルが実際の具体的なものでありその他にはないのである。
富士山にしても浮世絵では確かに見えていた。でも高層ビルの都会になるともう何かぽつんとしか見えない、江戸でも富士山はだから日常的に像として結びついていた。
今は高層ビルがとおっていて見えないのである。

遊興老人(金と暇があっても有効な消費ができない老人・・)


遊興老人(金と暇があっても有効な消費ができない老人・・)


あまされる老人、貧乏老人 犯罪老人、精神を病む老人・・・
http://musubu2.sblo.jp/article/85043583.html


●70歳の遊興老人


パチンコに熱中するお年寄りが急増している。独り暮らしの寂しさを
まぎらわせるためだったり、 定年後の毎日の退屈しのぎだったり。
3年前の規制強化でギャンブル性の高いスロット機が 禁止され、客離
れが深刻になっている業界も、高齢層からの集客に「生き残り」への
期待を寄せる。借金を重ねて大金を浪費する依存症も目立ち始めてお
り、新たな 社会問題になろうとしている


原発事故周辺で仮設で避難生活している人がパチンコで毎日遊んでいるということが問題になった。今日聞いた人は70歳の人だった。あの人とは前に一度話ししたような気がする。その時は20代かと思っていた。小柄であり良く見なかったから勘違いして見ていた。
その人はパチンコはしていない、ただギャンブル老人である。競馬に詳しく一カ月無難なところで20万円を稼いでいるという。相当に競馬歴が長いからそんなことができるのだろう。その競馬でも東京の方まで行ってしている。そのついでに伊豆の伊藤辺りの温泉に行って遊んでいる。あそこは桜が一面に咲いてきれいなんだよなとか盛んに言っていた。

他にも遠くに出かけて楽しんでいる。女遊びもしている。小柄だからそんなことまでしているのかと思う。今の70歳は個人差があってもそういう方面もまだ残っている人もかなりいる。この老人は遊興老人なのである。「俺は金をもらってもためたりしない、今がいいければいい、楽しむのがいい、金は残さない、あとは生活保護になるよ」とか言っていた。ただ補償金にしてもそれほどもらっているわけではない、ただ仮設では暇をもてあますから遠くへ遊びに出歩いている。そして70才では働く気がしないしそれだけの力もない人も多いだろう。ただ昔の老人の感覚と今の老人はかなり違っている。70歳でも男女とも若いということがあるのだ。これは個人差があるからいちがいに言えなくても平均するとそうなる。


老人は金をもっているのに使わないから消費しないから景気が良くならないんだと盛んに若者から言われる。するとこの老人は消費に貢献している人なのだろうかともなる。
金はためずに残さずに今が楽しければいいんだというからである。消費に問題があってもそうなる。ただ使った後は生活保護というのも問題である。ただこの辺は原発事故で住めなくなった所があるから生活保護は受け入れやすい、事情が事情だけにそうなりやすい、だから生活保護が南相馬市などでは相当に増えると思う。これもこの辺の大きな問題になってくる。ただこの老人の問題は別に原発事故とかだけの問題ではない、もともとこういう老人になるようになっていたのである。ギャンブルはすでにベテランだしそういう延長として仮設で暮らすようになり拍車がかかったのである。


●老人は金と暇があっても簡単に有効な消費はできない


人間は金があってもでは一体に何か使うかとなると結構むずかしいのである。その消費でも大金を使う家を建てるとかではないものに使うとすると意外とむずかしい。高級車を買うという人もいるだろうがその他に何か老人が消費するということはむずかしいものがある。趣味でもそれほど金をかけるのはない、20万のデジタルカメラを買う人は買う、でもそこまでしなくてもカメラは今は楽しめる。性能が安くても良くなっているからそうなる。昔だったら何十万のものが何万円になってしまっているのだ。だから趣味でもそれほど消費できないということがある。


消費するにしてもただギャンブルだな女だとか金をばらまくことは江戸時代にもあった。花街で大金を使う旦那様がいた。それもまたこの世である。いいわ類は別として金があればそういう使い方で消費するのも人間の世である。それで潤う人たちもいた。
それも経済効果があったとか言う人たちもいる。
消費という漢字が良くないのである。消は消すであり費やすだから何も残らない無駄なことが消費になる。浪費という観念が消費の漢字には多いのである。
でも本を買うことはむずかしい学問や研究の本を買うことは消費と言えるのか?
それは明らかに投資なのである。若者だったら明らかに本を買うことは投資である。勉強するための投資だから消費とは言えない、一見遊びと思えるものでも投資になる。
旅をすることは投資である。ただギャンブル旅行や女遊び旅行はまた別である。

旅することは意外とむずかしい。旅人になることは現代ではほとんどなれない。旅人は日々旅している人であり芭蕉のようになると人生そのものが旅だとなってしまった。
そういう生涯を送る人はまた旅に生きたとなり人生を消費したとは言えない。

自分でもふりかえっても旅することは登山でもそれは修験者が六根清浄と山に上ったようにこの世の欲から脱して山の空気に触れることなのだ。それは今でも同じである。
山に登るにしても旅行するにしてもいろんな雑念が色欲でもでてくる。
旅で出会って恋愛して結婚したなどという人は旅はしていない、そんな余裕が自分の経験ではない、旅することは次々に変わる景色を見るのにも集中しないといけないからそういう余裕がないのである。そうしてまで集中して旅しても大方は忘れてしまうのである。
旅では自然を感じて記憶に留めるにはその場で集中力を保たねばならないのだ。だから団体旅行は話ししたりして気が散るから覚えていることが少なくなるのだ。
旅で見た景色など忘れているのである。


現代では旅でも登山でもそういうものが全部消費で無駄だとは言えない時代である。
だから山を占領している中高年などは健全な方だろう。そういう場所も老人の場になっているしパチンコ屋にも白髪の老人が多いとか白髪のライダーも見かけるのも時代である。自転車になるときついからまれである。
前にも何度も書いたけど人生は何であれ何に時間を費やしたかで決まる。消費でも何に時間を費やしたかでありすべてが無駄だとはならない、むしろ現代では労働がすべて価値あるものとはならない、無駄な労働も膨大にあるのだ。そこでこき使われる若者も多いから不満になる。ブラックな会社で働かせられるから若者の怒りが生れる。

例えばエステなんかで働く意義がどこにあるのだろうかと自分には疑問である。
その労働だって楽ではない、それはただ金持ちの贅沢に使われているだけではないかという疑問がある。もちろん金持ちだけではないにしろそんなことに時間を費やさせられることがいくら金をもらっても貴重な時間を浪費しているのではないかと思う。
そういうことを批判したのがソーローであり森で一人生活した。
そういう時間を別なものに自然の美にふれるためにも使われるべきだということもあるからだ。世の中金になる金にならないですべてが判断できない、特に現代では無駄な労働が膨大にあるからそうなる。おそらく何らか金に強いられてしいる労働は本来の労働ではないと思う。

不思議なことは老人になると本当に働くことの意義が問われている。ある程度の金と時間の余裕ができると金に強いられて働かせられることがなくなるからだ。それで何か有効なことをしようとするとき消費しようとするときとまどうのである。
金と時間もできた、では有効に社会のために消費しようかと思っても簡単にできないのである。
なぜなら人間は若い時から誰でもなんらか精進してきたのもがありその延長でそれぞれの価値を求めて消費するからである。

その人も買うものにしても本一冊にしても価値を認めるから買うのである。花なんか価値がないという人は花屋などに行かない、茶の湯をやるにしても茶碗などに価値を認めない人はやらない、茶碗の価値を認めるにはそれなりの感性が必要なのである。消費するにもやたら何でも買えばいいとはならないのである。読書にしてもそれまでの積み重ねがあって理解力が生れてまた本を買っているのである。

バソコンなど老人はやらないのはめんどうだからである。老人になると面倒なことがやりたくなくなる。
特になんかバソコンにはそうしためんどうな設定などがありそれがめんどうになるのである。老人になると何かするにも億劫になるのである。特に細かいことが意外と疲れるから嫌になる。だから書類作成とか事務関係などが苦手になる。


●消費も過去の人生の延長でしている


老人が消費したいものは何かなどキーワードでくるがそれは老人がどういうものか理解しないとできないだろう。仮設住宅に住む遊興老人は問題があってもあとの余生はやりたいことはやり楽しむだけ楽しみ金は残さないという考えである。もうあとがないのだからやりたいことをやる、楽しむだけ楽しむ、そのあとのことは考えないというのも老人の考え方の特徴である。先がないということでそういうふうになる人も多いから犯罪でも犯してもやりたいことをやるとなり問題になる。それも老人には先がないということがもう死ぬんだということがあるからである。この気持が若い人にはわからないのである。

老人になるとき消費はその人のこれまでの人生で培った価値観が反映してくるからいくら金と時間があっても簡単にできない、ギャンブルや女遊びをするというのはその人はもともとそういう人生たったのである。それ以外の価値観がないのだからその延長としてそうなっているだけなのである。その人に学問だ芸術だとか言ってもわからない、それでも桜がきれいに咲いているんだよなと言う時、何か全然美を感じないということでもない、でもそれもついでに桜が咲いているから見ているだけかもしれない、目的はギャンブルでありギャンブル人生だったともなる。

そして老人のそうした話を聞いていると人間ってつくづく結局酔生夢死だと感じてしまう。精神を病んだトラック運転手でもそうだった。今やただ夢の中で過去を話す時、トラックが走っている。その過去を話す時生きていたことがよみがえってくる。
その人の人生はトラック人生でありトラックに乗っていたときに生きていたのである。
だから認知症になってもそうした過去のことを話すと生き生きしてくるのである。

小さな畑を耕している女性のことを書いたがあの女性も農家の生まれでありあの小さな畑を耕している手入れしているのは人生の延長としてしているのだろう。何かあの小さな畑に思い入れがある。農家の人にはそういうことがある。農家の人にとっては畑であれ田んぼであれそれが例え野菜でも買うことかできても金があっても自分で作ったものを食べたいということがある。田畑をもち食料を自ら得るということに価値観をもっていることがある。だからそういう時間はすべて苦労とはいえないかもしれない、ただあまりにも強いられた労働となると何でも苦痛になるのだ。

消費だって強いられては消費できないのである。だから変な話だが有効に老人が消費できないなら未来の若い人に消費させるべきだ投資させるべきだとなる。老人は有効に消費できない、だから若い人に金を回すべきだというのはわかるのである。有効な消費が簡単にできないからそうなる。

自分も自転車が好きだったけど実際は40以後からはじめたから詳しくない。
十分に自転車を楽しんだとはいえない。まずロードを知らなかったしそれは50代の後半で一台買ったけどほとんど乗っていない、他にもいい自転車を買ったけど乗らなかった。
そのうち体力がなくなり電動自転車にしか今は乗っていないのである。
つまり時間切れになり自転車もいろいろのりこなしてしいないのである。
自転車のりこなす消費するといってもこれも体力も消耗するしエネルギーがかなり必要である。車で旅行するのとは違っている。40以後はすでに自転車旅行は変人にもるなるからだ。人間の生きる時間は限られているから何でもこうなりやすいのである。
つまり人生は何に時間を使うか消費するかで決まるのである。
そして結局何にするにしても十分に消費できずに終わっているのである。

老人が何がほしいかという時個々人でも違っている。なぜなら多様な人生を反映しているからである。これがいいなどというものはなくなっていくだろう。若いときならいい車だとなっていたかもしれないがそういうふうに一つには決められないだろう。
自分にしても介護老人であり肝心な家事も手伝ってもらう人もいない、金があっても肝心なものに消費できないということがある。
だから金持ちでもなんでもない、介護老人であり下男であり金が多少あっても何ら有効に消費できないのである。

2014年01月25日

郷土史はまず個々の老人の話を聞くことが基本 (老いたトラック運転手の詩)


郷土史はまず個々の老人の話を聞くことが基本

(老いたトラック運転手の詩)

 

グングンガンガンズンズンダーダー
荷物を一杯にしてトラックを飛ばす
相馬から福島から東京へ
またやってきたぜ
花のお江戸の東京に
その名も知られた築地市場だ
東京の台所で何でも集まる
ここは靖国通りだ自衛隊の本部もある
まだ帰るのには時間がある
酒飲んでまた一日暇つぶした
さあ、明日は 福島へまた帰るぜ
六号線とは東京じゃ言わないよ
水戸街道って言うだよな
俺は稼いでいるんだ
家族のためにな
グングンガンガンズンズンダーダー
トラックを飛ばす
ハンドルさばきもいい
俺は事故は起こさなかったんだ
家族も俺に感謝しなくちゃだめだ
俺はトラックで今まで稼いできたんだ
今は年金暮らしでなんだか嫌われる
でも俺がトラックで稼いでいたことを忘れるな
・・・・・
トラック運転手はこうして話すと元気になる
今は体がげ天気でも家族に嫌われる
無用のものとして煙たがられる
孫も大きくなり年金をもらう時のみ
ニコニコじぃとかよってくるんだよな
なんか自分もボケてしまったらしい
でもトラックを乗っていた
昔を語る時元気になるんだ
グングンガンガンズンズンダーダー
トラックは飛ばす
東京の築地市場に向かって・・・

 

郷土史というときまずおばあさんやおじいちゃんの話を聞くことからはじまるというとき意外と身近なのである。もちろん歴史的なむずかしいものもある。
でも基本は昔話にあったのだ。いろいろそれぞれに生きたことが60過ぎると昔話になってゆく。それが膨大な民話になっていた。時代が変わってもやはり人間の営みは変わらない、昔を振り返るのか老人だからである。


ただ様相はかなり変わっているが例え現代的生活でもそれかいつか昔のことになってしまうのが人間の運命である。すでにトラック運転手などめずらしくなくてもそれを経験して老いた人は昔のことになっているのだ。荷馬車のように運搬する馬自体が消えてしまったら本当に昔になるがトラックは今も現代生活の物流の要だから違っている。
でもその仕事を終えた人には昔のことになっている。


いづれにしろ老人なんかつまらない、無用だとなるが何か効用があるのかとなると昔を語ることに今も同じだった。老人は昔を誰でも語ることが勤めなのである。そんな話し聞きたくないというのもわかるがその話はその人の一生がつまっているのだ。
例え何回同じことを言ってもそうなのである。家族が認知症認知症になって千回も戦争のことを聞かされた時は異常だった。認知症
でも昔のことを語ると元気になるのはその時自分が生きていたことが語ることによってよみがえるからである。

だから老人の話しを聞くことは誰でも面白いものをもっている。なぜなら人間の経験は限られているからである。一人の人間の経験することは本当に極めて限られている。だからこの世には例え60年生きようが百年生きようがわからないことが山ほど残る。
現代は仕事も多様化しているしわからないことが多すぎるのである。


ただ老人の話を聞く時,ある程度相槌をうつ理解力がないとできない、だからトラック運転手はトラック運転手同士が話しがあうということがある。それは経験を共有しているからである。農家の人は農家の人とあうとなる。そういう経験していれば当然話しがかみあうし聞いても同じ経験してきたよと話をあわせることができるからだ。
自分の場合は日本中たいがい旅行しているからその場所のことがでてきたら話をあわすことができる。あそこはどういうところだったとかある程度は想像つくのだ。
東京にも住んでいたから場所がわかるからそうなる。でも築地市場には行ったことがないのである。前は秋葉原にもあったらしい。

ただでは経験したことがない人が聞いて話か面白くないのかというとそうではない、かえってトラック運転手など経験したことがない人はその経験話を聞くと新鮮なのである。

自分は車の運転もできないしあまりトラックとか車は好きではない、ても現代は広域物流社会だからトラックはその要になっている。すると現代を語るにはトラックなしで語ることはできないだろう。前は物流の中心は鉄道だった。すると鉄道を語ることことになっていたのだ。

ともかく話を聞くにしても直接に面と向かって聞くと何か不思議なのは自分もトラック運転手になったようになることである。それが不思議なのである。それが直接聞く語りの不思議である。いつの時代に老人の効用はそれなりにあった。それは経済的効果ではなく精神的効果である。

昔を語ることによって老人も生き生きとして聞く方もその話しから何かを得るのである。これは認知症の療法にも言われている。ただ千回同じことをきかされたらさすがにうんざりするのである。これは聞く方も大事である。80歳の老人の話しは60代くらいが聞くのに向いている。ある程度話をあわせることがてきるからである。

 
posted by 老鶯 at 14:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

南相馬市の復興の最大問題は住宅問題だった (南相馬市の全壊数が4682軒もあった!)


南相馬市の復興の最大問題は住宅問題だった

(南相馬市の全壊数が4682軒もあった!)

housenewww22.jpg

housenew11.jpg

ここの区画は30軒である。
二階建てが十軒ある
二階建ては結構広い感じがする
子供がいる家族用になるのか
あとは一人用二人用になる

housenewww2233.jpg

これが自分の墓の前に建った
三階建てでも高いから圧迫される
何かこの辺は都会化しているんだよ
街の中心にこれだけのものが建つとそうなる
団地より一軒家の方がいいだろう
今はただ一軒家相当ぜいたくになってしまった

これだって50個くらいだからな

zennkaiisoma11.jpg

kasetuuchiwakeee111.jpg

津浪原発事故から3年たとうとしているけど結局三年間も混乱状態はつづいていた。その混乱状態の中で冷静に見られないものが多々あった。何が全体的に起きているのか問題なのかわからないことがあった。今になると最大の復興の問題は住宅問題だった。
仮設も三年目であり5年目で仮設を出て復興住宅などに移る予定になる。

この辺で最初から土地がないか土地がないかと避難者から必ずたずねられる。みんな土地を求めている。新しい家を建てるための土地を求めている。そのことか避難者の一番の関心事である。仮設はあくまでも仮の住まいだからそこに定住はできない、家が建てられれば家族とともに住めるからまず家を欲しいとなり土地を求めている。
家の前に土地がないのである。
だからなんか六号線の鹿島区から金沢に入る所の狭い場所を整地していたからあんな所に家が建つのかと思った。もっとましな土地があると思うがないからそうなる。
金沢地区も津浪の被害で相当数家を失っているからだ。


自分が今になって驚いたことがあった。


南相馬市の全壊数が4682軒もあった!


こんなに多いのかと今になって驚いた。相馬市では1000だからである。えか、それにしても多いなと驚いた。死者数よりこの全壊した数に今になって驚いた。
つまりこの数はどれくらいのものか?本当にこんな数が全壊したのかということか実感できない。
この数から推測すればいかに新しい住宅が必要かわかる。確かに鹿島区でも新しい家が相当数建った。50軒なのか百軒なのかわからないか新築ラッシュになった。それでもこの全壊した数から見ればほんのわずかだということなのである。
新築できた人は財力もある幸運な人たちだったけど一部にすぎないのである。

災害復興住宅が立ち始めたけど40軒くらいのがすでに形になりできあがっている。そこでも一区画30軒くらいだろう。一区画の土地を確保するだけでも容易ではない、
900もの区画した土地が南相馬市で必要だと聞いた時嘘だと思った。
そんな区画した土地が作れるのかとなる。

考えてみると900×40にしても3600だからそれでもたりないとなる。900の土地区画でもたりないだけの人が入る新住宅が必要となっているのだ。
この復興住宅ができないと仮設から出れない、復興にはならないのである。
この圧力は大きい、ものすごい重圧となってきている。
そんなに土地でも家でも建てられるのかとなる数である。

だから土地が欲しい土地が欲しいとなり空家でも土地ごと欲しいという人が多いということがわかる。それにしてももう空屋にしても借り上げ住宅にしても限度がある。

それに加え原発避難者も小高などに帰らずに原町区や鹿島区に家を建てることを求めるとなるととてもまかなえきれない数である。
さらに双葉町であれ浪江町も受け入れるとするとさらに膨大なものとなってしまうのである。
南相馬市だけでも精一杯でありたりないのに受け入れられるのかということが現実問題としてあるのだ。
安い市営の住宅があるけどあれなども仮設が閉鎖になったら需要がまして満室になる。
復興住宅で全部まかなえきれなのである。


ただ土地がないということではない、田畑が原発事故の放射能で荒地化している。でも田畑は農家関係ではなかなか売れないようになっているとか農業が再開できないのは土地を新しく整理するためだとか言われている。もともと田畑は特に田んぼはなかなか売れないようになんていた。だから今でも田となっていた土地が広大でもそれは売れないし宅地に転化できないのである。

田畑は田舎ではなくなったら田舎でなくなる。でもこれだけの住宅が必要だとなるとまた別な発想が必要になっていないか?減反とかの政策があったけどもう田畑を今までのように守ろうとするのではなく宅地に転用する。何かそうした特区的政策が必要になっているのではないか?それだけの土地と新築の家が早めに必要だからである。
そうしなければ復興はありえないのである。

シルバータウン特区というのもそうだったが何かこの辺では今までの規制概念ではもう復興はできない、思い切ったことをしなければもう復興ができない、それは特区構想になる。そういうことが強いられた場所になってしまっているのだ。
もう思い切って自分ももとのままがいいのだが極端にしろ農地の半分を別な用途に使うとかの変革が要請されているのではないか?
農業自体が存亡の危機にも面している。


いづれにしろ3年目でも何ら未来は見えてこない、その最大の問題が新しい住宅を確保できないことなのだ。津浪で4632軒が全壊してさらに小高区が一万人以上避難者になり仮説に住んでその人たちも新しい土地と家を求めるとなるとそれに応じるには個々人ではもはや無理である。何か特区を設定して思いきった施策が要求されている。
それが新市長にできるのだろうか?何かそういうことができないということで批判されつづけられたが再選した。対抗馬も魅力がないからそうなった。

結局三年目でも何ら復興は端緒についたばかりである。
その最大問題が新しい家が建てられないということにあったのだ。

 
 
posted by 老鶯 at 22:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

2014年01月26日

朔風(野良猫の話) (捨てられた猫は人間に恨みをもっている、ペットは子供と同じでありカルマをもつから注意)


朔風(野良猫の話)

(捨てられた猫は人間に恨みをもっている、ペットは子供と同じでありカルマをもつから注意)

北風の唸り野良猫餌求む
野良猫に今日も餌やる冬の暮
朔風や捨て猫の恨み消えぬかな


猫の年齢や性格などによりますが、まったくなつかないことはないと思います。

とにかく家に来たらゴハンをあげることですね。
但し必要以上に近づかないことと目を合わせないことです。
猫にとって目を合わすことは威嚇になります。
「別にあなたなんか気にしてませんよ」ぐらいの態度の方が猫は安心します。

同じ場所でエサをあげるのがいいですね。
毎日食べに来るようになてからでも触るのは控えたほうが良いです。
食べに来たら話しかけるといいですよ。

ある程度の距離をとってじっと見ててあげて下さい(猫が安心します)
名前をつけて呼んであげるとすぐ傍まで来てくれるのに2〜3ヶ月はかかるでしょう。
そうなったら少しずつエサの置き場所を変えて家の近くにすると良いと思います。
無理に触ると怖がってこなくなる事もありますので触るのは最後まで我慢して下さいね。とにかく声を沢山かけて警戒心を解くことから初めて下さい。

しかし、一度大きく人間にひどいことされた猫は、特に性別に関しての記憶が鮮明らしく、
男にひどいことをされたら男になつくことは一生無いですし、逆もそうみたいです。
そしたらもう諦めるしかないかもしれません。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1014625680


ただ、このまま飼っていて、いずれ病気をしたとき、介護が必要になったとき、どうしてやったらいいのかわからないのです。きっとまたわからないところに隠れてしまうだ ろうと思うし、なにも手当てしてやれないだろうし、外なら短命になるかもしれないけれど、

私に背中を見せた状態で餌を食べている猫は、
私に対して完全に信頼をして警戒を解いている態度です。
私の正面に向かって餌を食べている猫は、
まだ私に対する警戒心を持っている猫です。
何度も何度も直接手から餌を与え続けて猫が私に安心感を持つまで続けます、
その間は猫の体に触れない方が、猫は早く懐いてきます。

http://blog.livedoor.jp/spvv986998/archives/10011189.html


野良猫が毎日来るから餌をやるようになった。この猫はもともと野良猫ではない、捨てられた猫である。普通はあんなに甘えるようにないてよってこない、人間が飼っていたから人間がまた餌をくれたからまたもらえると思っている。
でもこの捨てられた猫は相当な恨みを人間にもっている。
近づくと牙をむきだすように襲いかかるように口をあけて威嚇する。
それが写真の化け猫のように見えるのである。
化け猫とは本当にいるのだと思った。

人間に一度飼われて捨てられた猫は人間を信用しなくなる
ただ餌が欲しいからよってくるだけである。
餌をとるにしても用心深く近づいてさっと餌をとって逃げてしまう。

よほど人間にひどい目にあったから虐待されたからあんなふうになつかなくなった。

動物は人間より正直である。
そうした仕打ちを忘れない、それが行動に顔にまざまざと現れている
その怒りを恨みを隠さない、人間は隠しているから深い恨みをもっていてもわからない場合が多い。だからこそ人間は危険なのである。
心の中で何を思っているかわからないからだ。
動物は自然は正直である。
人間は表はやさしそうな顔しても怖い人もいるし外見だけみてはなかなかわからない場合が多いからだ。そこに人間の恐ろしさがかえってあるのだ。


猫というのは実際にこんなふうに餌をやって近づいたのははじめてである。
犬は一回子供の時飼ってもらった。何年かたってもその犬は自分を覚えていて喜んでいた。
犬は飼い主をなかなか忘れないのだ。猫は飼い主を忘れやすいだろう。
ただ猫の性格はわかりにくいし謎めいているのだ。
だから猫にこんなにじかに接してみて不思議な動物だなと思った。
自分の性格はどちらかというと猫に通じるものがある。
あんまり人とべたべたしないし控えめな内向性の性格だからである。

猫は何か知的にも見える。でも実際は犬より知能がかなり劣っているとかの報告もある。猫は相当に謎めいた動物なのだ。

ただ言えることは犬でも猫でも実際はかなり人間に近いから人間同様に扱うように注意しなければならないかもしれない、だから結構飼うとういことはやっかいである。子供をもつようにやっかいである。だから野良猫には餌をやるなという人もいる。
野良猫が子供をうむとまた野良猫が増えるからである。
猫に関してはインターネットで情報が広く深くででいる。
それだげペットを飼っている人が多いからである。
犬とか猫を通じて友達になっている人もいることがわかる。
鹿島区にもペット好きが集まる軽い食事を出すログハウスができている。


とにかく捨てられた猫は深い恨みをもっている。なつかなくなり人間に極度の警戒心をもち化け猫のような顔をして餌をとりにくる。餌だけは欲しいからともかくやってくる。
でもあの猫は人になつかないように思える。それだけ捨てられ恨みが大きいのである。
それは人間と同じだったのである。人間だって子供捨てれば同じ恨みをもちつづけるからだ。そして歪んだ性格にもなりやすいのだ。
そして気をつけねばならないことは犬や猫を捨てるとやはり人間の子供捨てたようなカルマをもつかもしれない、それも怖いことである。つまり犬や猫を捨てた飼い主はやはりまた本人も生まれ変わり親から捨てられるというカルマを受け継ぐかもしれないという恐怖である。この世に生きることは何らかのカルマを必ずもつのである。

化け猫などは今までは笑っていたが実際は怖い話しなのである。それがリアルに感じたのは捨て猫と接してからである。怖い顔で自分に餌だけをとりにくるからである。
原発事故で置き去りにされたペットを必死に回収しようとしたり助けようとする人たちがいた。今もそういう活動をしている人たちがいる。
原発事故のときそうした置き去りにされた猫を見た。餌もとれず弱っていた。
死んだペットもあの時かなりいた。それも恨みとなっているのだ。
原発事故周辺はいろんなカルマをかかえてしまったのである。


津浪の跡に残れた庭の樹でも何か人間化した樹に見えた。自然の樹とは違うのである。
ましてや犬猫でもそれは人間化していて人間なのである。
だから捨てると恨みをもちその恨みが捨てた本人にかえってゆくから怖いのである。
だから犬猫を飼う人はそれなりの覚悟まで必要となる。
だから簡単に飼えないともなる。子供をもつように責任をもたされるからである。
だから自分はルーズだからペットは飼えないと思っていた。
ただたまたま野良猫がきたので餌をやるようになったのである。

今日はまた北風が吹きはじめた、三寒四温の季節だからそうなる。まだまだ寒さはつづくだろう。


近づくとこういう顔を必ずするから怖い
http://plaza.rakuten.co.jp/shizutaku/diary/200904080001/

2014年01月28日

世相を反映する事件 (高齢化社会による犯罪が増える)



世相を反映する事件

(高齢化社会による犯罪が増える)
●空家増える問題


東京都杉並区の住宅で頭蓋骨のない男性の白骨遺体が見つかったと、警視庁高井戸署が23日、発表した。
遺体はこの家に以前住んでいた男性とみられ、同署は、事件に巻き込まれた可能性もあるとみて調べている。

高井戸署によると、この家は数年前から空き家になっており、男性の妹の依頼で解体される予定だった。
1日午後3時半ごろ、建物内に入った作業員が2階のベランダで頭のない白骨遺体を見つけ、同署に通報した。

司法解剖の結果、遺体は60歳以上の男性とみられ、死後数年以上が経過していた。
死因は不明だが、遺体に意図的に切断された形跡はなかった。

男性は1997年1月から行方不明になっており、妹が捜索願を出していた。
男性は生きていれば80代だといい、同署はDNA鑑定を行うなどして身元の確認を急ぐ。

http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2305F_T20C14A1CC1000/


●高齢者が犯罪にあう


27日、東京・江東区の住宅で98歳の女性が首を絞められて殺害されているのが見つかった事件で、遺体の状況などから女性は今月25日の昼前後に殺害された可能性が高いことが分かり、警視庁はこの時間帯を中心に不審な人物が目撃されていないかどうかなど捜査を進めています。


 8日午前9時10分ごろ、南足柄市和田河原のたばこ店経営の女性(98)方から、「母親の首を絞めて殺した」と110番通報があった。駆け付けた松田署員が、女性が室内で死亡しているのを発見した。
 松田署は、通報した次女でたばこ店手伝いの容疑者(70)を殺人の疑いで逮捕。同署の調べに対し、同容疑者は「母の介護に疲れた。タオルで首を絞めた」などと供述、容疑を認めている。

 同署によると、死亡した女性は容疑者と2人暮らし。発見時、容疑者は自らの首や左手首を刃物で切っていた。室内からは容疑者が書いたとみられるメモが見つかり、「生きるのがつらかった」などと書かれていた。同署は9日に司法解剖し、死因などを調べる
http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1303090003/


●家に入って来る人は一番危険


青森県八戸市小中野・江陽地区で不審火が相次ぎ、同市小中野、家政婦中田雪子容疑者(51)が現住建造物等放火の疑いで逮捕された事件に関連し、中田容疑者が家政婦として出入りしていた
住宅が昨年11月に全焼していたことが、捜査関係者への取材で分かった。
県警は慎重に関連を調べる方針。
(2014年1月26日11時30分読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20140126-OYT1T00278.htm


これまでも書いてきたけどこれからは高齢化社会でありその関連の問題が起きやすい世相である。事件は明らかに時代を反映している。高齢者自体の65歳以上とかの犯罪率も10倍くらいになっている。高齢者に関連して犯罪が起きやすいということもある。
もう一つは格差社会になり貧富の差が大きくなると明らかに治安が悪くなる。
現在はそういう状態にある。

空家で死んだ人は80歳、98歳で殺害された女性、介護で疲れ98歳の親が70歳の子供に殺される。家政婦として勤めていた女性が勤め先の家に放火したというのも一見高齢化と関係ないように見えてあったようだ。家政婦を雇うということは今では介護関係が多いかもしれないからだ。
ただ事件というのは実際は複雑であり個々の事情がありわかりにくいのである。

突然事件が起きるのではない、その事件の起きる過程が必ずあり事件となって表沙汰になるのはその過程の解明が必要なのである。

なぜ自分がこれらの事件に興味を持ったかというと何かこうしたことが自分も当事者となっていたということである。他人事ではない現実に犯罪の被害にもあい衝撃を受けた。
自分が体験したことがやはり同じように社会に起きているということで身近なのである。
空家の数も膨大になるからそこは犯罪の温床になるというのもそうである。少子高齢化であり家の跡継ぐ人がいないくなってくるのだ。それは墓の跡継ぎでも田舎でも問題になっている。限界集落ではもう跡継ぎがいないので消滅してゆくから深刻である。
ただ津浪や原発事故周辺では南相馬市だけでも4600軒も全壊したというから空家を探し土地ももとめている人が多いから家の価値があがった。だから前は売れないと思っていたが売れるとなるので事情が違っている。


98才の一人暮らしの女性は不動産などをもっていてまだ元気で歩いていたというから驚く、ただそういう人がこれからは増えてくる。だから金をもっているからねらわれたのである。これから百歳の人でも元気で生きる人が増えてくる時代だという。自分の母親も寝ているけど99歳になり市から祝い金がもらえるのである。だから百歳まで生きるのは時間の問題だとなる。百歳は今も驚きだがこれが普通になる社会がすでに近づいているのである

それだ介護殺人も今までも普通に起きていたしこれからも頻繁に起きるようになる。介護してみればわかるけど認知症になったりしたら最悪であり常に殺意が生じてくる悲惨なものなのである。三食いちいち食べさせたりオムツとりかえたりしていたらとてもじゃないが嫌になる。楽な介護でも負担が大きいのである。だからといって今は施設にあづけられるような状態にない、家でめんどうみるのには大家族でないから人手不足なになる。

それで放火された家も介護させるために家政婦を雇ったのかもしれない、家政婦は金になるということもある。ヘルパーだと一時間くらいでありそれほど金にならない。
でも自分が経験したように家に来る人ほど危険な人はいないのだ。

家で働いてもらう人ほど危険なことはない、財産さえ全部もっていかれるとか殺されるとかまでなる。ここで何があったかわからないが家が全焼したからやはり怖い犯罪である。近くでも何軒も放火していた。この女性は貧乏であり苦労していて家でも問題をかかえていてストレスがたまっていた。家政婦とかになる人は金に困っている人が多いし問題をかかえている人が多いのだ。だからまた問題を起こしやすいのである。

家政婦にきてみたら自分の家と必ず比較するからそれで不満が余計に募るということもある。ともかく人を雇うことほど現代でめんどうなことはない、なぜならみんな平等だということを教えられて育っているから誰も不遇な状態に耐えられないのだ。
そういう理不尽が家政婦になったらその勤め先の家に向けられるから怖いのである。
自分も家を焼かれるとにたような犯罪を経験しているから言うのである。

この女性はもう誰にも相談をするものがいないでどうにもならなくなり社会に対して牙を向き爆発した。格差社会はそういう人が増えてくる。
つまり平等な社会のはずなのに平等でないということが不満を募らせてがまんできなくなり爆発するのである。
もちろん不遇なのはその人自身の問題があっても今はその自己責任を自らには向けないのである。

それはやっぱり家族や社会や時代の問題が反映して犯罪が起きているのだ。明治とか戦前でも今より不遇でも耐える人が多かった。今は耐えることができない、なぜならどうしても民主主義でも人は平等であるべきだと教えられて育っているからだ。
例え自己責任でも努力しなくても平等であるべきだとなるからだ。
戦前の人は不平等でも耐えている人が多かったのである。
多くが貧乏であり一部が金持ちだからそうなった。
貧乏人同士がなぐさめあっていたということもあった。
今は社会にむかってすぐにその理不尽や不平等を行動で示すから犯罪が増える。

ただ金持ちと貧乏人でもその人と関係によって折り合いがつくことがある。
前に金持ちと貧乏人は協力できないとも言ったが全部がそうではない。
全般的にはそうである。

つまり金持ちでも雇う方でもそういう問題をかかえた人が来たら相談にのったり何か金銭面だけではない、
援助があったり何か親身になるとかあれば折り合いがつくかもしれない、ただこれはここの事情があり簡単にはいかない。
ただそういう折り合いがつきうまくいっている例もあるということである。
それでもそういう場に勤める人自身の問題が大きいのである。

雇われる人も雇う人もこの関係もむずかしい。
どっちにしろ不満があり毒物混入事件でもそういうことが反映されている。
雇用関係も何かそこには人間と人間の情などもなくなっているのもあり時代を反映しているのだ。

現代は人を雇うことが一番むずかしい時代になっているのかもしれない。
あからさまな奴隷というのではなく機構的に奴隷が作り出されているということもある。そして誰が得しているのかそれも見えない社会のなのである。
東電の幹部が罰せられないというのも社会の上層部支配階級を形成していてそういう人たちは仲間だから罰せないということもある。検察と東電も天下り先としてつながっていたからである。ただそういう社会の理不尽は常にあったのである。

現代は誰が支配者で搾取者で誰が奴隷にされているのか見えない社会のなのである。

それでも犯罪を犯すのは社会のせいにはできないということもまた正論である。
そもそもいい社会など歴史上なかったからでてある。常に不平等であり理不尽なものがない社会などなかった。この世はそもそもそういうところだったのである。
ブラック会社のことを言うけどこの世の中がブラック社会なのである。
宗教にしてもカルト宗教団体などはブラックそのものであり愛と慈悲とかは何の関係もない、不満分子を集めて権力集団を作り甘い汁をすう上層部支配階級に上ることを目的としている。

結局人間の社会から金持ちと貧乏人とか階層とかはなくせないのだろう。平等を目指した共産主義も新たな階層を作っただけだったのも皮肉である。そもそもそういう不満分子も上層階級支配階級になったら今度は逆に搾取する側になるだけだったのである。
 
 
posted by 老鶯 at 11:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

全線復旧した三陸鉄道に乗りたいと案内してくれと頼まれた (その人も相馬で津浪の被害にあった)

 

全線復旧した三陸鉄道に乗りたいと案内してくれと頼まれた

(その人も相馬で津浪の被害にあった)

最近知り合った人に三陸に行きたいからインターネットで調べてくれと言われた。その人は友達と二人で行く、一人は75歳で車での旅はしたが電車の旅はほとんどしていない、だけど三陸を旅したいという、三陸は津浪被害で鉄道が破損して途絶えた区間ができた。
でも全線開通したという、それが4月でありだから行きたいとなった。
またNHKのドラマでも有名になったこともあり行きたいとなった。
一人も60代の女性だけどテレビの鉄道番組を見るのが好きだという、その女性は働きつめであり貧乏でもあり電車の旅をしていない、団塊の世代は会社勤めでも結構遊んでいるし旅行しているのだ。自分は例外にしてもだからどこどこに行ったとかいうとだいたい日本なら全国行っているのでわかる。

三陸の鉄道が全線開通したというとき、早く開通したと驚いた。常磐線は六年後とかいつになるかわからないからだ。なぜそんなに早く開通できたのたろうかとも思う。
映像を見た限りあんなひどい状態から良く全線開通できたものだと思う。
鉄道のトンネルを被災者が歩いているのを見たときは驚いた。その訳は鉄道は歩くのには便利だったのかもしれない、三陸はトンネルが多いし隣への道が途絶えれば鉄道の方が便利だとなって歩いていたのかもしれない。
テレビで見ただけでは被害状況はわからない。

ただ自分は三陸でも岩手県も宮城県の海岸線も全部電車に乗っている。全国ほとんど乗って私鉄の線くらいしか残っていないのだ。けれどもここ七年間は介護などでしていない。ただ一回岩手の釜石まで行った記憶がある。その時釜石駅まで津浪が来た報道されて驚いた。釜石の海を見ていないからだ。あんなところまで津浪が来たのかというのかどこでも驚きだった。


三陸に旅行したいという75歳の人も津浪の被害にあった。3キロとか離れていたけど津浪の被害にあった。床上浸水だった。自分が見た限りでは床下でたいしたことがないと思っていた。津浪は洪水とは違う、圧力をともなった波が押し寄せてくるから50センチでも怖いのである。遠くでも怖いものなのである。その人はその時近くの女性に助けられたのでその女性と三陸に行きたいというので自分に調べてくれと言われた。
それで調べたら津浪を語る旅行も盛岡からも三陸沿線からも出ている。
全線開通して旅しても津浪の被害状況を見るためのものものになる。
でもその二人は津浪の被害者でもあるから話しがあうということにもなる。


その75歳の男性は津浪の浸水で一時相馬市に避難して一年間くらいアパートで暮らして最近ようやく荷物を家に運んだという。それから仙台の方にまで避難したという。
縁故の人がおおくててきた。仙台では一時物が不足して物を買うために並んでいたという。仙台でどうしてなのか?津浪の直接の被害はないし東京からの道路も断たれたわけではなかった。ただ名取の仙台空港や仙台港には倉庫が一杯あり船が入ってきていた。
そうしたところて物流が途絶えたのだろうか?その辺の事情がわからないが仙台まで津浪の被害が影響していたことは意外だった。確かに長町辺りも仮設住宅が建っていた。


仙台に避難者が集中しているということはあるだろう。相馬辺りでも原発避難者でも仙台に避難してそこに住み着くという人も出ているという。仙台は東北では一番の都会だから住みたい人がいた。でも住居費でも何でも高くなるから苦しい面はある。
この辺は相馬まで仙台と常磐線でつながっていた。通勤していた人もいた。だから常磐線を通じて関係が深い。福島市より関係が深かった。現実に鉄道が途絶えたときバスは出ていてもなんか行きたくなくなったのである。介護で行きにくいこともあるがやはり電車は便利なのである。


ともかく自分は考えて見ればた旅ばかりしていたのだから旅の案内に向いているとは言える。インターネットでも案内しやすくなっている。旅行ガイドというのが自分に実際の職業としたら向いているかもしれないと思った。ただ自分で自由に旅行はしたいがガイドなとしたくないということはある。でもどういう見どころがあるかは教えられる。
盛岡だったら城跡と中津川と北上川と岩手山は見ていけとかなる。それは観光案内にでていてもそれより深く説明できる。文学的にもできる。でも文学的なことはあまり普通の人は関心がない、でも関心がなくても庶民的な案内もできる。旅行ガイドというのもまたプロフェシャナルにありえるそれでも旅は自分なりの発見をするのが旅だというとき人まかせでは自分なりの旅はできないのである。


大船渡辺りを電車が通ったとき朝日が昇っていたことを記憶する。それは冬でありきれいだった。でもあの大船渡の被害も大きかった。家族五人くらいか死んで一人残された人が自殺したという報道があったときその被害がどのくらいのものなのか何も解説しなくてもわかった。津浪とは一家全滅になるような恐ろしいものだったのである。
いづれにしろ三陸の旅は津浪の被害の跡をたずねることになるから今までの観光旅行とは違ったものになる。そういうことを事前に心得ていないと地元の人に拒絶されるかもしれない、まだそういう観光のらヴな浮かれたものにはなっていないのである。

2014年01月29日

南相馬市鹿島区の右田浜から雪の蔵王連峰がはっきり見えた (津浪の後に原始の風景に戻った右田浜)


南相馬市鹿島区の右田浜から雪の蔵王連峰がはっきり見えた

(津浪の後に原始の風景に戻った右田浜)

namizao11.jpg

zaomatu2222.jpg
蔵王連邦がはっきりと見える

fuuumonnn11.jpg


何を見ゆ一本松や冬の暮

海見えて枯野暮るるや一本松
津浪跡残る木の根や冬の海
離れざる木の根露に冬深む


新年や津浪の後によする波かなたにましろし蔵王望みぬ

北風の吹いて砂浜に風紋の生まれ変わりし右田浜かも

御堂一つ津浪の跡に残るかな冬の夕暮北右田村

rootsssss111.jpg


tunamimatufuyu111.jpg
この松の方が松らしい

全部クリックして見て下さい


右田浜の川口から見た景色は見物だった。一番の見物が雪の蔵王連峰がはっきりと大きく見えたことの驚きである。八沢浦から見えていたが右田浜からあんなに大きく蔵王連峰が見えるのは驚きだった。今までも見えていたのかというとこの年で見えたことがない、
それは家や松原に遮られていたからなのだろう。何もなくなった結果、蔵王が小さくではなく連なった連峰が見えていたのである。
そもそもあんなに身近に大きく蔵王が見えること自体ありえないと思っていた。
蔵王は意外とみじかに福島県でも見えるものなのである。

確かに奇跡の一本松とか鹿島区に残っているのも不思議である。あの松は高い松である。今までは別な残った松に注目していた。
別な残った松の方が枝振りも良く松らしいからだ。その残った松もよくも残ったという凄まじさを感じた。
この一本松にはあまり感じない、ただ高い松だというだけである。
でもこれもやがて枯れるのだろうか、どうしても海岸線の松は枯れてゆくのではないか?
今のうちだけ見れるものなかもしれない。
いつまでも残っていれば明らかに名勝になる。

実際この写真を見ればわかるようにここは明らかに景色が変わり景色的には名勝になった。
原始の状態に戻った驚きである。原始の状態はこんな風景だったのである。
ただ松原とか防波堤とか家でさえぎられて見通しがきかなくなっていた。
それがとりはらわれた結果、蔵王連峰がくっきりと見えたのである。

これでわかったことは何か松原でもさえぎられていたから見晴らしがよくなく見えないものがあった。
海ももちろん松原げさえぎられて浜通りでも見えなかった。
もともと海は遠くからも見えていたのである。


このことから江戸でも富士山がくっきり見えたことがわかった。
浮世絵でははっきりと見えて絵の中心になっていることでもわかる。あのように本当に見えたのである。
高層ビルなどないのだから見通しがよく富士山が浮世絵のように本当に身近に見えたのである。
浮世絵は絵だけど当時の写真でもあったのだ。


ともかく津浪がもたらした驚きは生々しい跡はい以前として残っている。
右田の浜は石ゴロゴロだった。今はその石が流され一つもない、そして砂浜に北風が吹いて風紋ができている。
北風で生じた風紋であることはその方向を見ればまちがいない。
冬はこの辺は毎日くらい北風が吹くからである。
ともかく原始状態に戻った自然を見るというのもなかなかできないだろう。
だから津浪の驚異は驚くべきものだったのである。
確かに右田浜でもとこでも死んだ人がいたがこうした原始状態戻った景色は名勝になる。
新たな名勝が津浪によって生まれとも言える。

 
 
posted by 老鶯 at 23:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

2014年01月30日

母がつまづいて動けなくなりまた入院 (認知症になって白痴化して仏様のようになるというのもありうるのか)


母がつまづいて動けなくなりまた入院

(認知症になって白痴化して仏様のようになるというのもありうるのか)

トイレまで一人で押し車でで行っていたが何らかの調子でつまづいて足をいためて動けなくなった。トイレに一人で行けなくなった時点で本人も介護する人も一段と苦しくなる。トイレに自分で行っていること食事を自分でできることは寝ていても自立できるのである。そこから自立できなくなるから苦しくなるのだ。
老人にとって一番怖いのが転倒でありつまづいたりすることである。
その衝撃が大きいのである。弱っているからそこで寝たきりになる度合いが強いからだ。オシメに変化することも大きな変化でありそれは自立できない状態への変化なのである。ただトイレに行くとポータブルトイレに座るがそこから立てないので夜でも呼ばれるので一人では苦しいと救急車を呼んだ。

近くのかかりつけの病院に入れたので助かった。最初診療してもらうき思ったが介護タクシーが一万だというのには驚いた。介護タクシーがそんなに高くなったのは原町からと

相馬市から来るとするとその時点で普通のタクシーでも原町でも四〇〇〇円近くとか相馬市だと五〇〇〇円だった。だからそのために鹿島区ではこんなに高くなっていたのである。一割払うだけでいいとかではない、この金額がまるごとかかるのである。
だから鹿島区に南相馬市で介護タクシーをおくべきだというのもわかる。


病院は意外とすいていた。空室が多いからすんなりと入れた。双葉の方からも若い医者が入ってきて意外と医者が多いと思ったがそうだった。原発事故で双葉の病院や浪江の病院が閉鎖したからそこから医者が南相馬市の方に移ってきていたからだ。
一時は混乱していたが満員だったが落ち着いたので今はかえって空いているので助かった。ただ病院には長くいられないのが弱点である。長くても三か月であり診断では一カ月くらいだとするとすぐにだされてまた介護である。

ただ母の不思議は認知症になって耳もほとんど聞こえず話が通じないのだが全く通じないというのではない、大きい声で話したり何度も話すと感でわかるときがある。
口を読むなどという人がいたが要するに何か今までのつちかった感が働いているからわかるということもある。
だから全くわからないということではない。

母は性格的に素直でひかえめでおとなしい性格である。何か人に逆らうようなことはしない、従順である。それは自分の性格ともにていた。自分もまず人を指導するような上に立つより何か人に命令されている方である。
そういう性格だからあれだけ金にこだわっていたの「金のことはわかんねえ」と言って笑っている。大金を盗まれたと言ってもそのことが何なのかわからないのである。

一方で認知症でも最後まで金にこだわって盗んだと猜疑心が強くなる人もいる。自分の家族の一人はそうだった。つまり認知症の症状は多様であり一つの療法などないのである。人間の生い立ちや環境や性格は違っているからだ。

母のようだとずっと介護でめいわくかけても楽だなということは自分でも他人でもあるだろう。わめきらさしたり迷惑かけないということがあるからだ。
認知症になって仏様のようになったとか言われる人もいる。
金にこだわらないことにこにこ笑っていることは馬鹿なのだけど何かそういう感じもする。白痴に神的なものがあったなどという小説もあったりするからそういう面が出ているのも不思議である。
金に異常にこだわっているのは欲望が金にあることを知っている。だから認知症になっても欲望が強い人は以前として銀行のことが何かわからないにしても金の大事さを知っていてそこにまだ深い欲望があるから盗ったともなるのだ。


母の場合は自分でためた大金を盗まれても怒っていない、笑っている。
母は金にはシビアだった。やはり金、金、金と言っていたのに不思議である。
認知症になっても金のことを忘れない人はいる。だからもの盗られ妄想が激しくなるのだ。
馬鹿になったからだというのもそうだが認知症になってもかえって
もの盗られ妄想は金の欲望がありこだわるからそれで暴力とかになったりする人もいるから
その相違は大きいとなる。認知症にはその人の性格がでてくる。
感情の起伏の激しい人は認知症になると悪化しやすい。おとなしい人はおとなしいぼけ方になるようだ。


2月4日が99歳の誕生日で市から一万の商品券がもらえる。
それは病院でもらえることになってしまった。


午年もまた波瀾なのか、株は波瀾含みの乱高下している。自分も何か一月からそれなりに波瀾はあった。何かやはり走っているのだ。
ただ今の自分の健康状態は普通であり良くなっているから負担でものりきれるという自身がある。身体障害者だったときその負担が何倍にもなっていたのだ。
自分自身が病気で介護することは楽じゃない、何倍もの負担がのしかかるのである。
人間の最大の負担は病気である。老いというのも機能が衰えるから一種の病気であり
自分自身が負担になるから辛いのである。

ともかく今年も午年で駆けめぐるようにして一年が過ぎるかもしれない、そんな予感もする。