2014年01月14日

茜雲(茜のような田舎の老いた女性のこと)


茜雲(茜のような田舎の老いた女性のこと)

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クリック拡大-七羽のノスリが集まる

陽の没りて夕月光り茜雲
冬の野に七羽集まるノスリかな
枯芒今日もこの道行き帰り


仮設の食堂を2年間働いていた60代の女性がやめた。ほとんど賃金は支払われなかった。ボランティアではないと怒っていた。福祉でも働きに応じた賃金は払わないと違反になる。差し引くのは市役所の方であり働かせている方ではない、あそこの店はもうつづかない、客もめっきり少ない、ただ主人が店に威張っているだけである。主人はなにもしない、ただふんぞりかえっているだけである。あんなのだからただ働きさせていた。
まず小さな店でも一人ではできない、働いていた女性は得難い人材だった。
あういうマスターの場所では働く女性はいないと言っていた。親戚の女性も働いていたが今は働いていない、嫌がってこなくなったというのもわかる。
結局経営は人を大事にしなければ人の協力を得なければ成功しないだろう。
働いていた女性の言い分が最もなのである。
ただ大きな会社で働く人はまた違っている。店のものを盗むとか大きな会社になるとまた違ったものになるだろう。社長は社員を信用してはいけないとか言う人もいる。

とにかくいかに社員でも何でも盗む人が多いかである。

それが一番雇う時問題になる。それで自分は大失敗した。
家ので働く人はよほど信用がないと入れてはいけない、これは会社とは違うからだ。
そういう人材を得ることは簡単にはできない。
小さい店とか会社だと会社は家族のようになる。大きな会社とは違う。

だからあのような暴君のような男性がマスターではとても店ははやらない。
威張ってばかりいたというとき、自分の母方の祖父にあたる男性も警察署長でありその後退職して機織り工場を経営したけど失敗して家族離散になってその子供は塗炭の苦しみを受けることになった。「威張ってばかりいた」というとき警察署長の時もそうであり機織り工場を経営していた時も威張ってばかりいて何もできなかったのだろう。
家族でも社会でもそういう人はいるのだろう。
自分は祖父といっても会ったこともないから客観的に今評価する。


人材ほど人ほど大事なものはなく得難いものはない、それはここ7年間の苦労でみにしみた。家の中を荒らされて大きな財産を失いその後も自分の家の混乱と自分の病気に乗じてとれだけ苦しい目にあったか書いてきた。人間はこんなに非情なものかと思った。
あとで知り合った人は有能な面はあったが非情だった。
今度知り合った女性は違っている。

それは猫が子を生んだ時、かわいそうだけど捨てるからなと親を見て言うと納得したとか言うのが不思議である。猫についてはいろいろ語っている。捨てる時は民宿のようなところに捨てるという。余り物が豊富だからだろう。
最近野良猫が来るので餌をやるが一旦野良猫になるとなれない、餌が欲しくても距離を保ってしか近づいてこない、近づくと襲いかかるように口をあけて警戒する。それは見ていると怖い、結局飼い猫の時はあんな様子は見せなかったろう。野良猫になりうろついては追い出されたりして人間を警戒してなつことがなくなったのだ。
ただもともと飼い猫だから家の中に平気で入ってきて炬燵の中に入って寝ていたりしていたのである。あれも飼い猫のためだったのだろう。

ともかくその女性の語ることを聞いていると情のある女性だということがわかる。
だから一人の男性は親身になっていろいろ相談にのっている。今日も電話をかけたのが宮城県であり市役所の男性だった。いろいろアドバイスしてくれる。

何か人に頼むのがうまいのである。ただそれは言葉ではない、心がいいから男性も親身になってくれる。
その女性は女性とは見えない、若い時も体の体型が何かぶさいくである。顔はそれほどでもなくても体が太っていて体型が不細工なのである。だから若い時だったら男性も魅力を感じたとは思えない、ただ今も十歳老けてていも話すことが面白いのと心がいいということでその女性は男性に協力させる。それは若い時のとは違う。


ともかく人間の孝不孝は本当は金では計れない、その女性は貧乏だけど男性にたすけてもらえる。それは美人では全くない、その女性がもっている別な要素がそうさせている。
すでに10歳老けていて皺が多く女性にも見えない、でも60代以降は実は女性でも男性でも価値観が変わる。外見よりその人のもっている内面の方が大事になる。
だから年取ってから若作りしてもそれがいいとは限らないのだ。
つまり年になると別な方の魅力に価値がでてくるのだ。それは肉体の若さとか外見ではない、その人のもっている心の良さとか話が面白いとか何か別な人間的魅力である。

だからいくら金を得てももっていてもそれだけで価値は生れない、確かに日々の生活は金なきだけど金をもっていただけでは価値は生れない、別に美人でもなく年が十歳老けていても体が不細工でもその女性のもっている価値があるから男性に助けられる、だからそういう女性も金がなくても幸福だとも思った。
一方で金があっても不孝な女性はいる。性格の良くない、話も面白くないとなると年取ってから体とか顔とか外見ではない価値が大事になる。
その辺を女性も勘違いしているのだ。若作りしてももはやそこには価値がなくなっているのだ。若い時と年取ってからの価値観は180度変わることがありうるのだ。
そこにまた人生の誤算が生れるのである。


茜雲というとき寒い中にほんのりとは赤くなる雲であり何かこの女性のような感覚にもなる。寒いんだけどほんのりと赤いものがある。そこ冬の月が光りでている。


ノスリが七羽も集まったのはめずらしい。七羽はこの辺ですみついたのである。何かネズミでもいたのか?畑にはモグラもでているしノネズミもでている。それは畑をもっているとわかるのである。土が掘り返されたからでてきたのかもしれない、だからそこに集まってきたのかもしれない、セキレイまで集まっていた。地中から虫などがでてくるのかせしれない、まだまだ寒さはつづく。


「あかねぐも」(茜雲)とは、朝日や夕日を浴びて茜色に照り映える雲のことです。朝日に限って言うと、東の方が赤くなるので、「東雲」(しののめ)といいますね。「あかね」というと、よく女の子の名前にもつけることがありますが、本来は、アカネ科の蔓性の多年草で、晩夏、多数の淡黄緑色の小花を円錐状につけます。その根は赤い染料に使われたり、薬用に使われたりします。ですから、「あかね」は、赤根からとった言葉です
http://www.caguya.co.jp/blog_hoiku/archives/2006/03/post_206.html


茜は西だから西の雲が赤く染まることでもある。朝日で染まるのはまた違っている感じがする。茜雲は今の時期何度も見た。ほんのりと赤くなる雲である。
自分のあった女性がイメージされる。それは恋愛関係とか全く関係ない、茜は赤根であり何か赤い大根とかでもあり蕪とかもイメージされる、田舎的なものがイメージされる。
「あかね」とは女性の名前としてもいいなと思った。

2014年01月15日

ミミズが放射能汚染で注目された (郷土史も土に根ざしたものだから土を知る必要がある)

 

ミミズが放射能汚染で注目された

(郷土史も土に根ざしたものだから土を知る必要がある)


動物界の食物連鎖の最下位に属し、昆虫やモグラなどの小動物から鳥などの中型種、更にはイノシシのような大型のものまで、多くの動物の重要な食物として大きな役割を果たしている。
ミミズは、重金属や農薬などの薬剤に汚染された土壌に生息すると、それらの汚染物質を生物濃縮し、捕食した生物が中毒を起こす場合がある。ミミズ自身は、捕食者が死ぬような汚染濃度にも極めて強い耐性を示して生存し、毒ミミズ化することがある。このため、野生のミミズを捕まえて人間が食べる場合は注意を要する。また、このようなミミズを食べた鳥や魚の体内でさらに生物濃縮が進み、人間に害が及ぶこともある。

放射能大量流出事故を起こした日本、福島第1原発周辺地域のミミズは、まさに放射能の塊りであることが分かった。 ミミズは鳥類や猪など他の野生動物に食べられ、生態系の食物連鎖を通じて放射能汚染を拡散させる可能性が高い。

 長谷川元洋 日本森林総合研究所主任研究員(土壌動物学)が福島第1原電から約20km離れた川内村の国有林地帯でミミズを採集し検査した結果、1s当たり2万ベクレルの放射性セシウムが検出されたと<毎日新聞>が6日報道した。食用肉類の場合、放射性セシウムの基準値は1s当たり500ベクレルだ。

 <毎日新聞>は「ミミズは多くの野生動物の餌となる」として「食物連鎖を通じて他の生物の体内に次々と積もっていく現象が起きることが憂慮される」と伝えた。


事故で放出された放射性物質の多くは落ち葉に付着している。落ち葉が分解されてできた有機物を、ミミズが餌とする土とともに取り込んだのが原因とみられる

ミミズの土壌学
http://homepage2.nifty.com/ToDo/cate1/mimizu1.htm

ミミズは日本では嫌われている。外国ではミミズは必要なものとして嫌われていない、名前でももともとミミズは竜をあてている。モグラも土竜である。英語ではearthwormとか大地の腸とギリシャでは呼ばれていた。モグラが何か生命にとって大事なものとして認識されていた証拠である。

なぜか畑を耕す農民はそうした科学的な学問的なことを知らなくても土自体について実際に手を触れて栽培しているから土に関心がでてくる。
最近この辺で小さい畑をもって野菜を栽培している女性と知り合った。その女性はもともと農家の出だから土着的なのである。郷土史が土着的だと土に密着しているから郷土史だということを書いた。郷土史というのは土に密着した農民のことがわからないと本当は理解できない。侍とか戦争とかだけが歴史でないのだ。だからそもそも戦争の始まり村の森林資源の争奪戦から入会権からはじまったことを書いた。境界もそこから生れた。
つまり戦争になるのはそもそも村民同士の争いからはじまっていたのである。

例えば何か離婚したりすると必ず双方の親戚とか他人までまきこみ争いが大規模かするのとにている。誰でもそうした争いにまきこまれてしまうのである。

その小さい畑を耕している女性はいろいろ畑のことを言う,ネギは白い所より緑のところが栄養があるという。ネギは白いところを利用しているから緑のところが栄養があるとは思っていなかった。何かそうした野菜に通じている。土でも最近ネズミに野菜が食われたとかミミズが太っているとかいう。そしてネズミもミミズを食べる。
それではミミスは何を食べているのかというと土の微生物、栄養分を食べている。その糞がまた土を肥やして栄養豊かな土にしている。ミミズの働きは土を肥やすことがあまり注目されていない、ただこの辺でノネズミが特に小さなカヤネズミが増えたという。


主にオヒシバやエノコログサなどイネ科植物の種子や、バッタやイナゴなどの昆虫を食べて暮らしている。ただ、食物が不足すると自分の子どもを食べてしまう事もある。おとなしい生物でドブネズミのように人家に上がりこんだり、イネを食い荒らしたりすることはしない。
寿命は1〜2年程度である。

かつては農村周辺に家畜の餌、屋根材料などの目的で利用するための茅場、あるいは家畜の放牧地などがあり、そのような草原に多数生息していた。近年、それらの場所が利用されなくなり、遷移が進んで雑木林化したり、逆に開発されて消失したため、非常にその数を減らし、地域によっては絶滅寸前にまで追い込まれているのが現状である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%A4%E3%83%8D%E3%82%BA%E3%83%9F


でもその女性が見たのはカヤネズミなのだろうか?この辺では津波と原発事故以来、荒野化してしまった。そこで生態系の変化があった。そのことも書いてきた。明らかにノネズミが増えた結果、ノスリが増えて定着した。七羽の精悍なノスリが集まっていのもみた。ただそれだけのノネズミがいるのだろうかと思ってもネズミは見れない、ただ畑をもっている人は見ることができるかもしれないし、ミミズも見たりする。
普通はミミズが太ったなどとわからないし関心をもたない、普通は見たくないということもある。ミミズは何でも食べる。ノネズミも植物でも虫でも食べるから生き残る。
一種類しか食べない動物は鳥でも生き残るには弱い、何でも食べられるのが雑食性が生き残る。熊とかは雑食性だからあれだけの大型でも生き残ってきた。


人間も同じだった。いろいろな食物を作っていれば飢饉にも強いのである。
米だけを商品作物として作っていた東北では飢饉の時、食料がなくなって被害が大きかった。粟でも稗でも山の産物でもいろいろ雑食的に食べていれば飢饉にも強いのである。
世界的にコーヒーだけを作っている所では他に食料を作っていなくて飢饉で被害にあったことが報告されている。

ともかく原発事故周辺ではミミズが放射能汚染で一番濃縮されやすいと現実に高いセシウムが濃縮されていた。それがなぜ問題なのかというとミミズを食べるものがノネズミから土竜から鳥からイノシシなどでも食べるとしたらノネズミは土を栄養分とするとき一番放射能に汚染されるから危険だとなる。それで飛べなくなった鳥とか鳥が減少したことが報告されている。でもこれは実際はわからない。飛べなくなった鳥など結構みかけるからでありそれが放射能の影響かどうかはぉからないのだ。


ただこの辺は津波原発事故の後に学問的にも政治的にもあらゆる問題の場所となってしまったのである。だからミミズでも外から放射能汚染を研究するから話題になり関心をもつようになった。一体自然がどうなっているのかも放射能汚染で関心をもつようになったのである。科学が苦手でも関心をもたざるをえない場所になっているのだ。
ただミミズ一つとっても生命は連関して全体の一部としてある。ミミスなくしてネズミも土竜も生きられない、植物なくしてまた動物も生きられない、植物を食べる動物がいて肉食の動物が生きられるからである。そういう食物連鎖の中に生命はありうる。
だから花はきれいだからと花ばかりに注目していると自然はわからない。


でもどうしても花のような果物のようなものに注意を向ける。ミミズに注目する人はまれである。ミミズはだからまた汚い格好の農民でもある。農民は人糞でも前は汚いものを扱っていたからである。それで嫌われたりしていた。今では農民でもみんなこぎれいにしているからそういう感覚がなくなったのである。農民でも今はみんな他と変わりない、なんかサラーリマンのようにしか見えない人も多いのである。

いづれにしろ郷土史が土着的思考が基本にあるという時、農民を知らなければ知り得ないということがあった。だから科学的なものは苦手でもミミズの働きも知らなければならない、そういう様々な関心をもたせたということでは原発事故周辺は何か様々な学問的テーマをもちやすい場所になるから他からいろいろな研究者も入ってきているのである。


ミミズってなんか嫌なんだよな
なんとも気味悪いんだよ
こんなものがなぜいるんだよ


馬鹿を言うなよ
ネズミがなければネズミも鳥も人間も生きられないんだぞ
ミミズは土を肥やしている
土が肥えるから野菜も作れる
その野菜を食べるのは人間なんだよ


ミミズがいないとネズミも生きられなくなりネズミを餌とする
ノスリなども生きられなくなる
イノシシも生きられなくなる
ミミズは地球の生命にとって不可欠なEARTHWORMなんだよ
大地の腸なんだよ


人間どもよ、ミミズをミミズ様としろあげめよ
ミミズなくして汝らの命もないのだぞ
汝らの命もミミズがいる故にありうる
それを心しろよ
だから無闇にミミズを嫌ってはいけないことを知れ

2014年01月16日

忘れやすい歴史認識力が欠如している日本人 (四〇〇年前の相馬藩の津浪災害も復興のために尽くしたとか美談化している危険)

 

忘れやすい歴史認識力が欠如している日本人

(四〇〇年前の相馬藩の津浪災害も復興のために尽くしたとか美談化している危険)


オームの事件も二〇年過ぎたのか?二十年過ぎると忘れないにしろ何か興味なくなる。関心もなくなる。あれだけ騒がれたものでももう日本人の関心は薄れオウム事件を知らない20才の若者もすでに発言していた。戦争のこともその遺品が売られているとか忘却されてゆく、ただ一通の手紙が残っていて家門の誇りとか家には迷惑をかけないとか書いて死んでいった若者がいた。家門などというのも今は相当な旧家でないと出ない言葉になってるだろう。まだ家というのが大きな役割を果たしていた時代だったのだ。
オウムのことも戦争のことも何だったのか?日本人は過去を執拗に探求しない、あいまいにして忘れてゆくだけである。台風一過のようにからっと忘れてゆく、それが日本の風土と関係していたというのもわかる。

日本は災害国家であり次々に災害が起きる。でもその災害も次々に起こるから忘れてゆく、津波はあまりにも大きな災害だからまだまだ忘れない、それでも部外者は関心がうすれているだろう。地元だとまだまだ生々しく津波の跡が残っているから忘れない。

神戸の地震だってもう二〇年過ぎたとなるとこれも過去のものとなる。特にもう地震の災害の跡の建物も建て替えられたりして元のようになると余計にあれだけの災害でも思いだすものがなくなってしまう。二〇年の歳月はそれだけ一昔以上になる。十年一昔というけど日本では災害が多いから次々にそういう災害を追っていると前のことは忘れやすいのである。大島での災害も部外者はすでに関心がない、新しいものが災害も事件も次々に起こるからそれに追われて忘れてゆく。全国規模になると世界規模になるとと大きな災害でも事故でも事件でも忘れやすい、それはニュースの画面だけで一時だけ見て終わりでありまた次に新しい事件があり新しいことが起こり前のことは忘れてゆく。


日本人の国民性は明らかに忘れやすい、過去を水に流すとか過去を記憶しないで次々に新しいものを求める。伊勢神宮の遷宮も二〇年ごとであり新しい宮に建てかえる。
つまり二〇年が区切りでありその二〇年で過去は水に流して忘れてゆく。
そして新しい宮で神様を迎える。新年を迎えるとなる。
だから初日の出とか初という言葉が日本人は好きなのである。それは忌まわしい過去など忘れて新しいものを迎えて再出発するという感覚である。これは神道の感覚でもあるのだろう。だから日本人は過去から積み上げた歴史が作れないのである。
言葉でも英語のように時制がないし過去を意識されないのもその要因である。

ただそれだけではない、日本人はどんな過去でも水に流したいという感覚がある。

一方でヨーロッパでもその文化が石の建築から成り立っているから石は二〇〇〇年前でも残っているからローマ時代となると現代と全くかけ離れた世界ではなく現代とも密着して連続したものとして具体的に意識されている。いたるところにローマ時代の石の遺跡がヨーロッパに残っているからそうなる。二〇〇〇年前からでも歴史を過去から積み上げて認識することが具体的にも言葉でも様々な文献でも何でも過去から現代を認識されやすいのである。中国も歴史の国であり青史に名を残すとは歴史に名を残すことを生きる目的としていることでもわかる。

日本人は過去を執拗に探求しない、過去は水に流すものである。そして絶えず新しものこそいいものである。だから日本人は歴史認識にヨーロッパや中国よりも比べて欠けている。あれだけの戦争のことも何だったのか日本人は追求していない、過去は水に流す方がいいのだとかなりただ美化するようになる。

この辺で学者でも小説家でも相馬藩が四〇〇年前の慶長津波で七〇〇人溺死と記されていたがそれ意外のことは一切記されていない。それでも城を中村に移したのは津浪の復興のためだったとか小説でも美談のように書かれている。相馬藩の侍でもそうした津浪の復興事業にかかわったことなど一切記されていない、でもあたかもそれが事実のように美談のように書いている。だから知らない人はそんなことがあったのかとその架空の小説が歴史だと思う人も結構いるのだ。それは戦国時代でも維持維新でも小説化ドラマ化されると何か事実なのかわからなくなる。ドラマを事実だと現実に思っているいる人も多くなるのだ。なぜなら大衆はわかりやすいことを望むから水戸黄門のうよなドラマの方がわかりやすいからそういうもので歴史をみてしまう。


歴史が事実を基にしていることは間違いない、架空のことを事実としたら歴史に対して間違った認識を与えるから危険なものになる。相馬藩で慶長津浪で七〇〇人溺死と記されたことは事実である。ただそれ意外の事実は調べようがない、わからないのである。だから小説でもたいがい事実を基にしている。その事実が全くないのに現代の公共事業のように津浪の復興事業が行われたとか書いているし学者も小説家も書くのは何か納得できないのである。歴史小説でも事実を踏まえて探求したものを書くべきだろう。そこに小説の重みも生れてくる。

いづれにしろあれほど騒がれたオーム事件も二〇年たって自分自身も興味なくなった。
津浪とか原発事故とかの当事者になったりして余計に興味なくなったのである。

一身上のことでも大事件があったりすると人間は自分のことに追われて忘れてしまう。
今年だってそうである。離婚騒動にまきこまれ新しく出会った人間に関心をもち前につきあっていた人は忘れてゆく、結婚でも何十年で一緒にいても離婚したらまた忘れてゆく。人間は次々に新しく起きることに追われ過去は忘れてゆく運命にあるのだ。
年取ると段々新しく起こることについていけなくなる。これから同時代の人も次々に死んでゆく。
するとすでに同時代の人さえ忘れてゆく人が膨大になるのだ。
あの人死んだか、あの人も死んだか、あの人は何だったのか、もうどうでもいいやとかなり関心なくなるのである。ただ一時ニュースの画面に出て消えるだけなのである。

 
posted by 老鶯 at 20:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

2014年01月17日

南相馬市の将来はどうなるの? (誰を選んでいいかわからない南相馬市長選挙)

 

南相馬市の将来はどうなるの?

(誰を選んでいいかわからない南相馬市長選挙)

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今回は誰がいいのかわからない、前回は桜井氏が渡辺氏を批判して当選した。渡辺氏は何か自民党の古い体質をひきづっていた利権構造の中で生れた市長とか言われた。
だから立派な図書館など必要ないとも言われた。高校生のたまり場になるだけだとかも言われた。現代ではインターネット化してモバイル化しているから図書館の役割も問われていたからだ。ここ七年間図書館には行っていない、前は調べもので行っていた。
図書館は調べるのにも時間がかかり手間だからできなくなった。
インターネットのようにキーワードで調べることなどできないしいちいちコピーするのもめんどうなのである。ただ郷土史関係では図書館にしかないものがある。


こうした利権に対して批判する人も多かった。かといって政治に利権はつきものだし利権から離れることはできない、自民党型の政治家だったなのだろう。桜井氏はちょうど政権交代した民主党型の政治家だった。理論化だったけど現実の政策実行では手腕を発揮できない、決断できないと批判された。自民党に民主党が崩壊寸前に敗北したのとにている。渡辺一成はそういうタイプなのかもしれない、70歳であり体力に問題がある。
桜井氏は小柄なのだけど体力には自身がある。あの年でマラソンしているというから驚く。65歳の横山氏は何か老けて見える。何か老人になるとやはり外見を気にする。
あの人は老けたなとか女性でもそうである。横山氏は白髪が多いし額に皺がかなりよっている。渡辺一成氏もやはり体にバイタリティが感じられない。体力的には小柄だけど桜井氏が一番あるみたいだ。政治は体力ではないけどそういうものも影響するかもしれない、ただそんなことで今回決めるのかとなるとか自分も未定でありわからない。
この人がいいというのはいないし何かそれはみんな共通している。


渡辺氏が経験者で無難で堅実でいいのかとなるのかもしれない、他になかなか選択がない。横山氏はどういう人なのかわからない。桜井氏は今回の津浪原発事故の処理で実行力がないと盛んに避難された。ただ外部に対してのメデアに対してパーフォーマンスだげが目立つ。ただ渡辺氏のように利権構造の政治家でないから悪いことはしないはという評価もネットで語られていた。それは民主党と同じなのである。自民党のそうした旧来の利権構造の政治を批判して政権交代できたのである。でも結果は大失敗だった。

ただ自分自体が政治に疎いしこんなことを言っているのはネットの地方版で読んだだけの知識くらいしかないから正直語れないのである。

ただ今回の津浪原発事故のような大異変があったとき、こうした老人ばかりの政治家で果たして市を引っ張っていけるのかという疑問である。すでに若者は流出して南相馬市は65歳以上の人口は30パーセント以上なのである。高齢化社会が急速に一足早くここに生れている。だからシルパータウンとかの老人特区みたいな構想が出されるのもわかる。
一つの政策として老人が住みやすい、癒しのある市を作るというのも悪いことでない。
それは日本の少子高齢化社会の先取りモデルともなる。

でもそれだけだと衰退してゆく斜陽の市となる。第一こんなに大異変があり変化したとき、それに対して老人だけが指導者になりシルバータウンなどということばかりでは市の将来はないだろう。だから問題は日本全体でもそうだが将来を担う若者が政治でも牽引力を発揮しないと将来はないだろう。
結局は全国でも老人の老人による老人のための政治になっているのだ。
若者が流出している南相馬市では特にそうである。老人票を獲得しないと当選できない、若者自体少ないのだから票田にはならない、すると余計に老人のためにいいことを言うようになるのである。それは全国でも同じである。


ただこの辺ではこれだけの異変があったらもう旧来の発想では市を作れない、例えは農業とか漁業とか林業が壊滅するとき、それらが一割しか全体の生産力がないとしてもやはりそれは自然と直結しているからその基盤となりうる。そもそも水であれ土であれ森であれ放射能汚染されてわかったようにもうその根底を成すものが失われたら汚染されたら住めないのである。確かに今は金があれば広域社会で外から入るもので生活できる。

でも水が放射能に汚染されているとなると飲み水も安心して飲めなかったら誰も住みたくないだろう。田舎ではいくら第一次産業のしめる割合は一割くらいしか寄与していないとしてもやはり自然を基にして生きている場なのである。
だから田んぼも畑もない世界は何なのだと生態系の変化についても書いてきた。
田んぼもない畑もない世界が理解できないからそうなった。
土から離れた郷土史もありえないとも書いた。


田んぼと山は密接につながっている。田んぼに水を供給するから山も崇められていたし先祖が眠る場所とされ田植えの時期には春から下りてくるという信仰が生れた。
そんなものさえなくなったらどうなるのか?そういうとまどいが以前としてあり
実際は未来を描けない混乱の状態はつづいているのである。
津浪や原発地帯を観光地化しようとか外部の人が言うのもそのためである。

漁業とか農業とか林業もない世界を考えられないからである。
ただ一方でそういうことを全面的ではなくても志向せざるをえないものもあるのがこの辺なのである。だから川内村では放射能と関係ない花作りの村にしようとか構想をだしたのである。

自然は全部放射能で汚染されたわけではないからだ。目に見えないものだから何が汚染されたのかもわからないのが放射能汚染だった。
ともかくこの辺の自然はもともと図にかいたようにシーサイドとマウンテンサイドゾーンに別れていた。その中間が平地でありシティでありタウンゾーンになっている。

自然の地勢はこのように別れていることは今でも変わりない、海も山もあるからサイクリングするには気持いいとかなる。海風が気持いいからである。山もまた陽が沈むとき趣がある。つまりSUNSETZONEになるのだ。実際は橲原から橲原渓谷の上流をたどってゆくとそこはまだ人も踏みいらぬ秘境がある。丸森にもあったがここにもまだある。

そこには石が岩が主のようにあり神秘的な花が隠れるように咲いているのだ。
飯館村はさらに実際は隠された村であったし隠された地域が山の裏側にあった。
自然がその光が陰影を深めるところが隠されてあった。ただあそこが道になったときがっかりしたのである。今になると道など作らねば良かったともなる。
飯館村は何か原始の状態に逆戻りしてしまった不思議がある。


こうして自然が別に全部消えたわけでも汚染されて見る影もなくなったということでなはい、だから以前として自然から構築される市作りがイメージされるのである。
ただそれをまだまだ具体化するには時間がかかる。あまりにも変わりすぎたし田んぼや畑のない世界がイメージできないからである。そういう世界をイメージする力は老人にはないかもしれない、あまりりにも変わりすぎてできないのである。
でも今や何らかそうしたものを発想して作り出すことはこの辺で強いられているのだ。それは市長選挙に出た人にはとてもできないと感じる。すでにみんな老人だからである。老人は今までの経験からしか発想できないからである。


ただこの辺はシーサイドゾーンをとうするかち、マウンテンサイドゾーンをどうするかシティタウンゾーンをどうするかという発想になることは変わりないだろう。そういう地形は変わっていないからである。ただ簡単には全体の構想をビジョンを作ることはかなりむずかしいのである。

soma united map
http://musubu2.sblo.jp/article/47296740.html

posted by 老鶯 at 21:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2014年01月18日

一致して抗議できない小高区は合併して損した (分断された南相馬市は国や東電の策略にはまっている)

 

一致して抗議できない小高区は合併して損した

(分断された南相馬市は国や東電の策略にはまっている)
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古代ローマ帝国は、支配下に治めた都市相互の連帯を禁じ、都市毎に応じて処遇に格差をつける分割統治によって、征服した都市からの反乱を抑えることに成功した。

19世紀以降の欧米の植民地経営は、この原理をよく応用した。イギリスはインドで、人種、宗教、地域の差異で分割した集団を互いに反目させることで長期の統治に成功した。ベルギーやドイツは、ルワンダ・ブルンジにおいてフツとツチに格差をもうけ、少数派のツチを中間的な支配層とした。これがルワンダ虐殺の遠因となったともいわれる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%86%E5%89%B2%E7%B5%B1%E6%B2%BB


まず暴動に関与していない囚人のグループを”良い”監房へ収容して彼等を丁重に扱い、そして関与した囚人のグループを”悪い”監房へと送り、過酷な扱いを行うことにしたのである
http://ronri2.web.fc2.com/game05.html


今回の原発事故では被害地域で放射能汚染の度合いにより区分けされて分断された。
そもそもなぜこんなに区分けしているのか理解しにくいところがあった。
浪江でもどこでも帰還困難区域だとかもう帰れない地域とか帰れる地域とかいろいろ別れている。それによって補償金も違っている。隣がもらって隣がもらえないというのも変なのである。隣同士でそんなに放射能汚染が違うと思えないからである。確かにわずかには違っている。でもその差が大きければわかるがたいして違わないのに補償金がもらえる家ともらえない家に分断された。それで部落全体に亀裂が入り相互不信になり協力できないようになった。原町区の大原でも道路を境に区分けされている。確かに放射線量は違う。でも本当にそんなにそれが問題なのだろうか?回りは山で森だとするとそこから放射性物質は拡散するから森全体を山全体の放射線量を減らさないと本当は減らない。
このことが最初から何か変だとは思っていた。

それでこれは放射線量によって市町村民の心を分断させている政府や東電の計略ではないかとも思った。確かに高い所は高いことはまちがいない。でもそれによって市町村が分断されることの影響の方が格段に大きいものとなっていたのである。

南相馬市は補償金問題でずたずたに分裂してしまったとか市長が言ったときそうだったのである。分断して困るのは住民だが政府や東電にとっては都合がいいのである。
被害者同士がいがみあい争いあい肝心の矛先である政府や東電に抗議が一致してなされないからである。だからこういういことは権力者側で計略的に行われてきた。
分割して統治せよ」ということである。

そして面白かったのが刑務所の暴動を抑えるために一部の囚人を優遇してあとは過酷な扱いをして分けた。その結果囚人同士がいがみあい暴動の力はそかれてしまった。

このことはこの辺でも同じであった。賠償金が高い人は本当に高い、でももらえない人はわずかしかもらえないし全くもらえない人たちも多い。それで人心は分断されてその抗議力は弱まってしまった。
その象徴が南相馬市だった。合併したばかりでそうなってしまった。特に被害が大きいのは小高区だったのである。小高区が主張するにも南相馬市全体として主張できない、浪江町がうらやましいというときまさに小高町はないのだからそうなってしまった。
小高区が一番深刻な問題をかかえているからそうなったのである。

一方で原町区でも鹿島区でもまた別な問題をかかえている。だから小高区きことばかりに関心を集中できないのである。南相馬市の一部としての小高区の問題になってしまっている。つまり小高区は浪江町なとのように小高町として主張するのが今は良かった。
小高町の問題は浪江町のように避難区域と同じように深刻だからである。
一方で原町区と鹿島区は小高区ほどは深刻ではない、だから小高区の人の気持にはなれない、そして小高の人に補償金でうらやむだけだとなる。そういう具体的な地域の分断もあるが補償金でも人心が分断されているのだ。

だから行政側にしてもその分断された地域をまとめることでめんどうになる。小高区の主張がわかるにしてもそれを全面的に市の政策として訴えることができないのである。
だから何かこれは政府や東電の計略じゃないかという疑問を最初から感じた。

だから一つの市町村である地域が住めないとかある地域はもどって住めるとかいうのも不自然である。なぜなら土地はつづいているしある地域にしろ自然は一体なものとして存在している。だから山や森から放射性物質は区分けしても飛んでくる。
水だって飯館村を核の廃棄場にしたら南相馬市にもその汚染された水は流れてくるのである。自然はもともと広域的につながっているのだ。だから一部が帰れて一部帰れないという線引きは科学的なようでもそれによって人心も様々なものが分断される。その影響の方が大きいのである。そういうことを考慮しないでただ科学的だからたと線引きしていることに問題がある。それは延命治療とかともにている。最後の時はそんなことより科学的なことよりその人の人生の価値を優先してしたいことさせるというのも考慮すべきである。それて寿命を縮めてもいいと思う人は多いのである。
だから市町村を分断したり帰りたいものを帰さないのも酷なのである。チェルノブエリでは老人は帰り野菜すら栽培して前のように住んでいたのである。
それで寿命が縮まっても前住んでいたところに住んでいたいはいう人は住ませるべきなである。すべて放射線量で区分けしてそれを絶対化するのが疑問なのである。


いつれにしろ今回の選挙は誰に投票していいかわからない、小高区の人は小高の要望に答える人にと思うし鹿島区の人も同じである。原町区の人もそうである。原町区の人は鹿島区に30キロ圏外で補償金を払われないというとき市の財政の調整資金から一時的に出したことに不満だった。その不満はかてりときなものだったのである。そんな無駄な金を使うなということがあったのだ。でも鹿島区の人にしてみればなんだとてり喧嘩にもなるだろう。そういうふうに南相馬市は心も補償金などで分断されてしまったのである。
そういう点で鹿島区の要望を受け入れた桜井市長は鹿島区の票は入るかもしれない、一方で大票田の原町区が不満だから票が入らないとなると苦しいとなる。
それは上からの権力者側からの分断政策でもあった。肝心の抗議すべき対象が政府や東電ではなく仲間同士になっているからだ。だからこれは囚人の暴動を弱めて心理的策略と通じるものがあったのである。

 
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2014年01月19日

南相馬市の鹿島区の横峰溜池ー西高松ー深野(豪倉)ー長野ーイオンー駅前シャーター通りー六号線の新しいレストラン (この道筋で南相馬市を考える)


南相馬市の鹿島区の横峰溜池ー西高松ー深野(豪倉)ー長野ーイオンー駅前シャーター通りー六号線の新しいレストラン


(この道筋で南相馬市を考える)


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ここにも新しい家が建った
鹿島区では新築ラッシュである。

二本の樹は津波の跡にも残っているけど人間化した樹なのである。
だから人間を見ているのである。

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ここの牧場も広いから跡地をどうするのか


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深野のバス停

ひびきあふ二本の樹や冬の朝
朝飛翔梢の高きに冬の鳥
豪倉やここにまた来て冬の暮

新年や山鳩五六羽なごむかな

数十羽凍れる堤に鴨群れて山に日さしぬ冬の朝かな

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鹿島区の寺内から横峰堤を回り西高松から深野にでて長野を通りイオンにより駅前通りを来て六号線の新しいレストランによった。そこで見えてきたものは何か?

西高松には廃棄された牧場があった。牧場は広いからその空き地利用に困る。もう牛を飼うということはないのだろう。するとその跡を何に利用するのか?
ただ荒地と放置していてまた元の森にかえるのだろうか?

西高松から今度は深野(ふこうの)に出るとそこにいつものように「豪倉」というバス停がある。その地名は郷倉のことである。飢饉の時のために米など食料を貯えておく倉があった所なのだ。今はただ地名だけになっている。でも地名は明らかに歴史の遺産なのである。あそこで意識されるのはこの豪倉なのである。他にはなにもないからだ。
今回の津浪原発事故では二週間は米とノリくらいで過ごした。そして米もなくなったとき、鹿島区では古米が配給されたのである。それで助かった経験をもっている。
まさに郷倉の役目を果たしたことがあって見直したのである。
災害であれ飢饉であれ貯えておく必要があったのである。
相馬藩では飢饉の経験からそうした対策がとられるようになった。
でもあそこの地名を注目している人はまれだろう。
ただ地名の寿命は長いのである。建物がなくなっても地名は残っているのだ。
もし地名も消えれば過去の歴史も消失するのである。


長野からイオンに回って駅前通りを行ったら何か原町の通りは本当に震災前より格段にさびれ方が激しい、本当にシャーター通りになり何か異様なものさえ感じてしまう。
そもそも震災前からも駅前通りはさびれていた。とにかく時代にあわなくなったのだ。
結局町の興亡はどこにでもありどこにでも古町がある。
それだけ町は変わりやすいのである。ただこれだけ大きな街がシャーター通りになるのは街のイメージとしては影響が大きいから原町は深刻である。
もう根本的に大改造しなけれはばならないがそれがむずかしい。
それだけの財源もないし街が大きすぎることも問題である。
そして人間はどうしても明るい所にひかれる。
何か駅前通りはさらに暗くなっている。
喫茶店でもレストランがあっても何か暗いなのである。
レストランンでも見晴らしのいいところはそれだけで価値がある。
食事もそれだけでうまくもなる。
それが駅前通りにはないのである。明るさが欠けている。

相馬市も暗い感じになるのだけど城下町の風情がまだ残っているから違っている。
原町のシャーターと通りは深刻である。改善が容易ではないからだ。
図書館だけがモダンな明るさをもっているだけになっているのも淋しいのである。
図書館はもともと閑静な所にあるもので駅前にふさわしいかどうかはわからない。
むしろイオンのようなものがかえって駅前にあった方が人は集まる。
そうした街作りをした所もあった。


六号線の方はそうした暗さを感じない、レストラン街であり前と同じようににぎわっている。新しいバイキング風のレストランも開店したのでよった。
一〇〇〇円は高いかもしれないが喫茶店としても機能しているので自分には良かった。
原町には六号線沿いに喫茶店がないのが困っていたのである。
でもあそこは喫茶店の代わりにはならない、なぜならランチだけであり三時間くらいで終わるからである。だから今までも開店していたのは知っていたが時間の関係で入れなかったのである。
ともかく駅前通りにはほとんど行かない、何かやはり暗いというのが影響している。
全体の雰囲気が影響している。何か本当にゴーストタウンのようになっている。


山鳩が五六羽集まっていた。そこになごみを感じた。今年は山鳩のようなものが集まりなごみ平和でありたいというのが自分の願いである。
これまでも書いてきたが自分が困ったとききた人たちは獣だった。
自分を苦しめるために来た人たちだったのである。
まあ、まだ新年なのだろう。


今日は市長選挙だけど誰に入れていいかわからない。
結局老人は老人にやさしい人を求めるのもどうしようもない。
自分の利益が大事になるのも選挙である。
なぜならまず一人暮らしの老人のことなど政治で考える人がいないだろう。
どれだけ自分はそのために苦しい目にあったか?
今でもあっている。
そういうことを考えるだけで実行しなくてもそういう人がいいとなる。
そうなると誰に入れるかわかってしまうが人間は利己的なものなのである。
自分の利益しか考えない、だから利権政治になるである。
誰を選んでいいかわからないからそうなってしまう。

 
 
 
 
 
 

2014年01月20日

南相馬市長選:「脱原発」桜井氏再選 再稼働巡り政権痛手 (自民党の分裂と投票率の低下が敗因だった)


南相馬市長選:「脱原発」桜井氏再選 再稼働巡り政権痛手

(自民党の分裂と投票率の低下が敗因だった)

当17123 桜井 勝延<2>無現
  10985 渡辺 一成(1)無元
   5367 横山 元栄 無新
http://mainichi.jp/select/news/20140120k0000m010122000c.html


今回の選挙の争点が「脱原発」だとは思わなかった。この辺ではそれが当然だと思っていた。
言うまでもなく脱原発でありそんなことが争点なっているとは思わなかった。
それより復興の遅れが問題にされていた。
桜井市長はそのことで批判されていた。みんなも桜井市長はだめだと批判していた。

今回の選挙結果は桜井氏が勝ったわけではない、自民党が二つに割れたことが敗因だった。
桜井氏が17123票でも渡辺氏と横山氏をあわせると16352になっている。
そして今回前回より4パーセント投票率が落ちているということは結局自分のように
誰に入れていいかわからなかったことが原因なのである。

桜井市長がそんなにいいとは誰も思っていない、「脱原発」が争点になれば当然桜井氏が有利である。
でもこの辺ではそれは争点になるまでもなく当然だと思っていた。
むしろ復興など急ぐことが争点だと思っていた。
今回三者の議論など直接聞くことができなかったことなどが失敗だった。
どうしても忙しくてそういう場に行けなくなっているからだ。

結局桜井氏が勝ったとは思えない、自民党の分裂と対抗馬が有力候補者ではなかった。
渡辺一成が経験者でいいと思ったがやはりいろいろ問題ある人で指示がなかった。
79歳という年齢もひびいた。何か生気が感じられなかった。
そういう点では桜井氏はマラソンするくらいだから小柄なのに元気だと思った。
マラソンとなると自分は百メートル走ることができない、それだけ体力が消耗するのだ。だから元気なことが取り柄なことは確かだった。


今回の選挙の争点は「脱原発」はこの辺では当然であるしそれより復興の迅速化であり
それが期待されていたと思っていた。自民党系は脱原発でないことは知っていたが
この原発事故の現場で脱原発にしなければ勝てるはずがないのである。
それよりも桜井氏は労働組合とかの組織票で勝ったのかもしれない、
4パーセントでも前回より投票率が落ちたことは組織票には有利になる。
いづれにしろ今回は投票率があがってもいいはずである。
その浮動票が動かなかった。
そのことは誰に入れていいかわからないから入れなかったということがある。
自民党が一本化して浮動票が動けば明らかに自民党系が勝っていたのである。
前も400票差で渡辺氏が負けた。
この時は浮動票が桜井氏に動いたのである。


つまり今回の選挙は桜井氏が勝ったとは言えない、自民の分裂、誰に入れていいかわからずに浮動票が動かなかったことが
桜井氏の勝因になっていた。

ただ自分の失敗は良く議論を聞かなかったことであった。
「脱原発」がこの辺で争点になっているとは考えなかった。
そもそもそんなことは当たり前でありそれ以上に復興の迅速化が望まれていたと思っていた。
「小高区」では特にそういうことを望んでいた。だから不満が多いから桜井氏には入れないと思っていた。
ただこれんの結果は桜井氏が勝ったのではない、
自民の分裂選挙と浮動票が動かなかったためであり桜井氏が何か成果をあげたからでもない、
常に批判の声しか聞こえなかったからだ。


いづれにしろ今回の選挙の争点が「脱原発」というとき原発事故の現場でも
そういうことより復興を迅速にしてもらいたいという望みが大きくなっていたのである。
「脱原発」を東京都の争点にしているがこれは国政の問題であり地方の問題になると
その事故の現場でも復興が先になっているのである。
まず除染とか復興がなければ流出した若い人も帰らないし住むこともできないからである。
脱原発は当然でありそれ以上に復興が先であると思っていた。
その復興には行政能力がある経験者がいいと思っていた。

相馬市でもぎりぎりで現職が勝ったがやはりどっちにしろこの辺ではいろいろ不満が多いからそうなる。
以前として南相馬市ではそうした不満を解消するのは困難を極めている。
市長が継続しても脱原発は凍原でありそれ以上に復興が問題でありそれは同じようになかなか進まない、
復興に関しては自民党の方が行政能力があると思った。

ともかくこの辺は市長だけで復興などできない、市民自体のやる気も必要となっている。
現状はほとんど工事にしても何でも外部の力に頼っているのだ。
ボランティアもまだ来ているし内部の人がただ補償金で怠けているとかそういうことが復興のさまたげにもなっている。
いづれ外部からの助けは減ってくるし現に減っているのだ。
そして援助も打ち切られ今度は自分たちで復興せねばならなくなったらどうなるのか?
三年目でそういう正念場に入りつつあるのが現状なのである。

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桜井氏勝利の原因は何か (桜井氏は相手の敵失で勝った)

 

桜井氏勝利の原因は何か

(桜井氏は相手の敵失で勝った)

●老人は見た目で判断されやすい


もともと人間は見た目でその外見で判断されやすいのは年に関係なく普通にある。姿勢がいい人は好印象をもつのは男女でも同じである。なんか暴力団関係だと表情にも姿勢に現れてくる。この人は目つきから姿勢から何からそういうふうな感じになっている。
もうそうした外見でわかるようになると人はもう変えられないのではないかとさえ思う。

桜井市長は小柄で頭もはげているけどマラソンしていた。一軒一軒回って選挙戦をしていた。市長さんが直接家に来たのでびっくりした。まずマラソンは相当に体力を消耗する。自分は自転車にのっても百メートル走れない、走ったら病気のように寝込んでしまう。
確かに自転車にのっていても最近筋肉痛になり走ったあとがひどいのである。
その点あの年であれだけマルソンできることは不思議である。


桜井市長と比べて渡辺氏は70歳であり何かバイタリティが感じられなかった。その年もかなり影響した。見た目も影響した。横山氏も額に皺がよっていて老けて見えたのである。人間すべて見た目では判断できない、近くのトラック運転手だった人は72歳だけど今でも仕事しているように見える。50代くらいにしか見えないし外見は若いのである。
皺一つない肌であり顔もそうである。でも精神を病んでいるからこの人は表情は若くても実際は老けているのである。だから人間がすべて表情で判断はできない、表情が良くても脳が若くなければ評価は180度変わってしまうのである。


ただ女性は特に見た目で若い時から評価されやすい、10歳老けてしまった女性のことを書いたが皺が多くそれが何か嫌なのである。首回りに男女でも皺がよると老けて見える。
首回りは皺がよりやすいのである。それを見ると生気がないように見えるのだ。
同級生の人はセムシのようになっていたから驚いた。あれは病気の一つなのだろう。
老人になるとまずあの人は老けたねとかあの人は若いねとか女性は外見で判断される。

でも実際は話が面白い女性を紹介したがそれだけでは人間は評価できない、老人になると外見より話が面白いと別な要素に価値がでてくる。だから女性が外見ばかり老人になっても気にしていても男性からの評価があがるとはならない、そこが盲点になっていることに女性自身が気付いていないのだ。


●脱原発が争点だったのか


脱原発で勝ったとか新聞などで書かれたけどそんなことはこの辺では当然だと思っていたからあえて議論するまでもないと自分は思っていた。だから渡辺氏が火力発電所を浪江と協力して作るというときはいいものだと思っていた。
脱原発はこの辺では当たり前でありそれが争点になるより現状の復興問題が先決だと思っていた。
脱原発は本当は国政レベルの問題であり世界レベルの環境問題である。原発事故が起きれば海が汚染されたように世界に影響する。例え同じ県でないにしろ広範囲に影響する。
隣の国で事故が起きればやはりチェルノブエリのように影響する。現にヨーロッパが全体がチェルノブエリ事故で未だに影響している。だからそもそも脱原発は一国ですらできないのである。ましてや一県でそうしても事故の影響を受ける。
そしたらこれは一地域で反対してもどうにもならないのである。


国政レベルで決めることでありグローバルな環境問題として決めることでもある。
エネルギー問題をどうするかは国政レベルのグローバルな問題なのである。
だから一つのテーマにしぼって国民投票するような課題なのである。
とても一地域で反原発を叫んでも他に原発があれば安心できないのである。
だから東京都でも脱原発をテーマにして知事選挙するのはおかしいということはわかる。その他に様々な課題があるからである。
脱原発のために福祉とかその他のことがないがしろにされる危険性が大きいからである。自分が渡辺氏の一人暮らしの老人に目を向けた政策はいいと思った。
すべて脱原発では決められないのである。


●浮動票が動かなかった訳


4パーセントも投票率が低下したことは何なのだろうか?
これが今回の選挙のポイントかもしれない、若者が選挙に行ったのか?
おそらく棄権したかもしれない、誰に入れても同じだという全国の選挙と同じく政治にあきらめ状態を作り出している。若者の票は反映されないと棄権したかもしれない、
それも全国の選挙と同じく大きな問題だった。


浮動票が若者の票の受け入れ候補者がいなかった。だから棄権した。自分も誰に入れていいかわからなかった。あれだけ批判されている桜井氏が当選するとは思っていなかった。桜井氏が圧倒的に勝ったとはとても思えない、他の立候補者がありきたりで訴えるものがなかった。だから外部から市長を呼ぼうとか言われてきた。適任者いないからそう言われた。確かに誰やっても同じだということは今までも言われたが今回はやはりこれだけの苦しい状態では指導力を発揮してもらえる人でないとだめだという危機感があって外部から呼ぼうとなった。だがそれも実現しなかった。


結局南相馬市は桜井市長でも劇的に変わることはない、何かまたごたごたとして復興は進まない、そういう状態がつづくのではないか?一体桜井市長は復興にどんな功績、実績があったのだろうか?そんな評価された人なのかというのが疑問なのである。
そのあきらめムードが投票率低下につながった。
これだけの惨状の中で投票率が下がるというのは変である。
ただやはり人が南相馬市から離れたことも影響した。
多分にその方の影響が大きかったのかもしれない、有権者が流出して棄権したという異常事態がこの結果を生んだのかもしれない、もし投票率があがっていればどうなったのか?

この辺の分析は今のところわからない、でも何か正式な選挙とはならないものがあった。そして自民党の分裂などが重なりこの結果となった。
それが一番の勝因でありそして候補者が見栄えが良くなかったことなども影響したのである。桜井氏が元気だけが取り柄だということを言っていたが確かにそれだけでも効果はあった。あの人が一軒一軒回って歩いていたけど親しみを覚えたからである。
そういう選挙の仕方も影響したかもしれない、どぶ板選挙が功を奏したということもある。労働組合の組織票も投票率低下で有利に働いたのである。

posted by 老鶯 at 19:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2014年01月21日

凍る堤 (田んぼがないから堤の用がなくなった-二宮神社が横峰堤の脇にあった意味)


凍る堤

(田んぼがないから堤の用がなくなった-二宮神社が横峰堤の脇にあった意味)

りんとして二本の樹の庭に立ちひびきあうかな冬の朝見ゆ
堤凍り鴨の群れつつここに住む二宮神社のここにあるかな

横峰の堤が凍っていて鴨が群れる写真を出したけどその脇に二宮神社があった。二宮神社は二宮尊徳を祭っていてもあまりこの辺ではない、神社は人を祭っていることがある。
二宮尊徳は相馬藩では重要な人物である。二宮仕法のことを語られている。
でも二宮尊徳自身が相馬藩に来たことはないのである。教えを受けた弟子が二宮仕法を伝えたのである。

この辺で不思議なのは原発事故で田んぼが無用化して荒地になっていることなのだ。
そもそも堤の用は田んぼに水を供給するものとしてある。ただの水がたまっている沼とは違っている。その田んぼがないということは堤もただ水がたまっているだけだとなってしまう。そのことは前にも水が山から流れて田んぼに供給されて山の神が祭られていた。
山と平地は水を通じて結ばれていたのである。
そういうことが当たり前だから考えることもなかった。
でも田んぼが用がなくなり荒地になった時考えるようになった。


堤がある、二宮神社がある、深野(ふこうの)に出たら豪倉(郷倉)があり飢饉に備えていたとか歴史を認識する。歴史を認識するということは本からではない、そうして土地に根付いて実感として認識されているのだ。生活の中で自ずと歴史が身についていることなのだ。郷土史はだから本だけではしりえようがない、生活の中で身につくものとしてある。

堤が凍っているな、鴨が群れているな、二宮神社があるな、深野に出たら豪倉があり飢饉の時に米や食料を備えていたなとか理屈なしで実感することなのである。

だからもうその土地から離れたら実感としての歴史は身につかない、墓地のことを良く書いたけど墓地も土地に根付いた記憶として共有しているから土地から離れるとその歴史も断たれる。だから原発事故で故郷に人が住まなくなったらそうした歴史は失われて荒地化して記憶も失われるのである。
まず故郷が失われるなどなくなるなと考えたこともなかったろう。それか現実に起こっているのだから信じられないとなるのだ。
田んぼがない世界など考えられなかったのである。
田んぼは第二の自然だから自然が消失すると同じだったのである。
そういう世界が故郷なのかというまでなっている。


故郷に生きるということはそうした自然と第二の人間化された自然と生きることが基本にあったのである。庭の二本の樹でもそうである。何か庭には対のように二本の樹がある。それは津浪の跡にその二本の樹が残っていることで認識された。
それか夫婦のようにも見えるからである。人間化された樹だったのである。


この辺はまだ田んぼがなくても故郷に住める、住めなくなった人たちはどうなるのか?
もうそうした歴史も認識できなくなる、先祖の墓も新しい土地に移住させられて故郷での先祖の歴史は忘れられる。語る人もなくなってしまう。
ただ元の自然にもどり放射能被害だけを語るだけとなってしまうのだろうか?
この辺では五年後でも田んぼに水が流れて米を作れるようになった時、復興したと感覚になるのではないか?相馬市では田んぼがあるから前と何ら変わりないのである。

南相馬市の鹿島区の横峰溜池ー西高松ー深野(豪倉)ー長野ーイオンー駅前シャーター通りー六号線の新しいレストラン (この道筋で南相馬市を考える)


http://musubu2.sblo.jp/article/85605380.html

2014年01月22日

郷倉と現代社会 (緊急時の備蓄機能として維持されるべき農林漁業の見直し)


郷倉と現代社会

(緊急時の備蓄機能として維持されるべき農林漁業の見直し)

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延暦一四年(七九五)九月、貢納上の不便解消と倉の延焼防止を目的として設けられた「郷倉」(郷ごとに設けられたのでその名がある)の設置理由(延焼防止はともかく)とほとんどかわるところがない。郡を割いて国を立てるか、郡郷の境界に倉を設けるかは、じつは紙一重の違いであったことを知る。「国」は、こうした手直しを繰り返えしながら行政区画として練り上げられて行ったのである
http://www.japanknowledge.com/contents/journal/howtoread/howto_01.html
年貢米が村単位ではなく、郷蔵組という地区単位で納入される事もあった様です。千々石村には6棟があったとのこと。もしかしたら名単位で納入されたという事はなかったのでしょうか。貴重な年貢米の貯蔵のため瓦葺きで作られていました。周囲が藁葺きの中に6棟の瓦葺き屋根はさぞ目立った事でしょう。

 年貢米の保管中は、村役人が管理し、村の住民等が交代で夜間は畳敷の小部屋に2人1組で泊まりこみ、夜番をしました。
http://chijiwa.ne.jp/yaboo/siseki/19_gokura.html


郷倉は、原則的に村(郷)ごとに設置され、収穫期になると前年までの分を詰め替え、その年の貯穀分を加えた。その年の貯穀分は、普通1戸に付き、稗3升程とされた。これを、飢饉・災害の際に放出し、困窮した農民を救済することにした。

「上泉の郷倉」の古文書には、「此の籾、〆82石、天保7年の困窮之節、右籾不残、困窮人貸付」

その反面、村内の干俣村では、郷倉を設置していながら、天保7年の飢饉の際、困窮した農民が、夜逃げ同様に離村し、天保6年の家数百軒余り、人数580余人が、天保9年には家数61軒、人数346人と激減したとする事実がある。
http://kazeno.info/matushima/21-bunka/021.htm

 


南相馬市の深野(ふこうの)の豪倉は郷倉でありこの郷倉は郷ごとに置かれたとなると数の多いものであった。それは年貢を治める場所だから保管する場所だから村で自立的に備えたものとも違っていた。相馬藩などでも天明とかの飢饉で大被害がありその後に藩でその飢饉の備えのために作った。

この郷倉がすでに795年とかに由来するものだとするとこれもずいぶん古いものだと思った。倉は確かに街では延焼防止の役割を果たしていた。国の境界に倉を建てるというのも一つの関所の感覚があったのか?
倉、蔵とつく地名は多い、地形的なものが多いが相馬市の山上の物倉という地名は何なのだろうか?蔵にはもともといろいろな役割が昔はあったのである。

今なぜこの郷倉に注目したのかというとこの辺の津浪や原発事故でこの辺が様々な苦難を強いられたためである。それはここだけではない、津浪の被害は東北の海岸線に大被害をもたらした。一時は外から物資が入らず困窮した。停電して水道も断たれた所も多々あった。その時、裏山の水を利用して薪を利用して煮炊きをして難を逃れた人たちがいた。
水も老人が歩いて運んでいたのである。車もガソリンがないと動かなくなるからだ。

南相馬市では市長がyutubeで外から物資が入らないと訴えて世界中で有名になったのは知られている。原発事故で放射能を一時恐れられて車で入って来なくなったのだ。
車社会でも災害時は役に立たなくなることが証明された。ガソリン不足はその後も一カ月くらいつづいたからだ。その時貯えてあるもので生活する他なかった。

自分の家では二週間分くらいの米が偶然にあったので電気も通っていたので煮炊きできた。ガスもあったから料理もできた。ただノリがあったのでオカズはそれくらいだった。
でも米さえあれば二週間くらいはしのげるものだと思った。
それでも電気とか水道が断たれればどうしていいかわからなくなったろう。
その後米はなくなったがその時鹿島区では古米が配られたのである。
その時助かったなと思った。米も切れていたし買うこともできなくなっていたからだ。
その後相馬市の方はスーバーもはじまり自転車で買いに行き楽になった。
その時はまだ車はガソリン不足で苦労していた。


現代のような便利な社会はかえって災害には弱い、電気や水道がたたればお手上げになる。でも災害時にはそうなるのが見えている。だから燃料の備蓄用として電気やガソリンや石油は使えないから危険なのである。むしろ薪とか炭とかを用意していなければならないかもしれない、そのことから一体農業とかでも減反政策とかでやる気がなくなり衰退産業になった。でも農林漁業のもっている意味はそれだけでなかった。
現代社会でもそれは郷倉の意味があったのである。
緊急時に災害に備えるものとしての意味があった。
国全体でも緊急時のために戦争でもあれば食料は入ってこないから備える必要がある。
そういうものとして農業などを保護してきたのである。
つまり現代では農林漁業などのもっている意味は価値は別なものとなっていたのである。

例えばこういう津浪や原発事故になったとき、外部からすべて頼るようになったときこの辺ではどうなってしまったのか?もう農家でも漁師でも一切の食料を自給できないのである。ただ外部から入ってくるものがすべてである。広域社会だから金さえあれば一応食料は入ってくるから騒乱にはならずにすんでいる。でも農家でも漁師でも自分で食料がまかなえないから悔しいというのもわかる。その時頼りになるのは補償金だけになった。
外部に頼ることが多ければ金の力も大きくなるのである。
でも金だけではまかなえないものもあった。この辺では時給を高くしても働く人がいないのである。他でも人手不足で工事関係ができないということも起きている。
若い人が流出してそうなった。みんな外部のものが頼りとなってしまったのである。


郷倉というのが古代からあったのには驚いた。ただ役目が変わっていったように何でも同じ名でも社会が変わるからその役割も変わってくるのが社会である。
郷倉は今では市町村単位で県単位で国単位のものとなっている。備蓄は必ず必要だからである。でも郷倉だけでは大飢饉になったときはその役割も果たせなかった。
郷倉がどれだけ役に立ったかはわからない、それは一部のわずかのものであったかもしれない、それでもこれだけ全国に地名として残っているのだからその役割はあった。


ともかく農業は金にならないから跡継ぎがないとか衰退した。でも農業の役割は別な所にもあった。それは自然を活かす自然を維持するということにも景観維持とかにもあり何より郷倉的役割に変化していたのである。外国からいくらでも食料が入ってくるといっても何かあれば入って来ない、その時食料を自前で供給できなければ国自体も他国に支配されることになるのだ。ベトナム戦争でベトコンが抵抗できたのはタロイモとかを常に供給できるか環境にあったからなのだ。南国ではイモが主食になり成長が早いから地下でこもっていても食料があったから抵抗できたのである。食料がなければ簡単にアメリカ軍に支配されていたのである。

いづれにしろこの辺では原発事故で放射能汚染で農業も漁業も林業すらだめにされた。
するともう何も自給できない、ただ補償金だけが頼りになる。そういう状態がいかに危険なものか?現実に金があっても金が役に立たない状態が一カ月くらいつづいたのである。

その時金より郷倉に貯えてある古米でも命をつなぐことができた。金を貯えていても何の役にもたたない状態だったのである。それは東京辺りでもそうなる。金がいくらあっても緊急時には役たたない、現物の方が価値がでてくる。だからそういうときは米があれば金がある人は金をいくらだしても買うとかなる。でなければ飢え死にしてしまうからである。それは短期的にそうなったが長期的になると今度は外国から入らないから国の食料が頼りになるのだ。それがなくなったら国自体が滅亡するのである。
そういう役割としての農業の維持も見直されるべきなのである。

だからTPPは危険な要素がある。食料の自由競争化だから自国の農業が壊滅するかもしれないからだ。

この辺では農地が放射能汚染で使えない、これは一体何なのだろうとその場にいるから考えざるをえない。農地が使えない、魚もとれない、木材も使えないというのは実際は恐ろしいことではないか?原発事故周辺でそう感じたことは国レベルのことでも同じである。
農地が使えない使わないということはそういう危機感をひしひしと感じるのである。
つまり原発事故の恐ろしさはそうした農業漁業林業とかの基本産業を壊滅させたことだったのである。水さえ汚染されたのだからもう生活すらできず避難する他なくなったのである。

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