2014年01月06日

冬芽(willは未来へ生きる意志)

 

冬芽(willは未来へ生きる意志)

自らをここに生きゆく冬芽かな


I will live here
buds in winter


凍えるや三日月光り白鳥の沼に渡りきて鳴く声ひびく


人間の未来は明確な意志によって作られてゆくものであり未来は何もしなければこない。それが日本語では表現できないから何かあいまいなものとなり未来への明確なものとして作れない。・・・だろうというとき何か意志ではない、なんとかなるだろう・・・なんかそんな感じなのである。つまり未来はただなんとなく何もしないでもやってくるという感じになる。未来は日々その人が今刻々でも自ら作っているのだ。
学問でも何でも実際は日々の積み重ねでありそれが積もり積もって大きなものとなってゆく。その毎日毎日が明確な意志をもって作っていかねば未来は生れないのである。
棚からぼた餅のように未来は生れない、ただ人間はどうしても安易な道を選びやすいのである。その安易な道があとでカルマとなってその人に返ってくる。

簡単に結構して簡単に離婚する、安易に借金するのもずいぶん勝手だと思うけどそれもまたあとで重いものとなってカルマとなって返ってゆく、結婚も半分は現代では自分で選ぶのだから自分の責任になる。

現代は強いられたということも以前としてある。一方で自由に何でも選ぶということもできるから責任もそれぞれに負わされることになる。
もちろん格差社会で階級社会になりもう人生は生まれ前から決められているということも盛んに言われる時代になった。
でもやはり自ら選び自らの人生を生きるというのが自由社会である。
つまりI wii・・・・になっている。willは意志なのである。
だからじ自らの人生を選び生きることは結構厳しいしみんなできない
だからかえって自由社会は格差社会になったり人生の勝ち負けの差が大きくなったりするみなん成功者にならない、第一事業をはじめて成功している人は実際20人一人だとすると本当に厳しい世界である。


ともかく生きるというとき、その人が自ら主体的に生きる意志が必要になってくるのだ。冬芽は厳しい冬を耐えれば花が開く、今は耐える時期だ。その耐えるということも一つの意志である。未来を作るための意志なのである。そういう主体的なものがなければ未来は作れない、未来は何となく何もしなかったら生れないのである。
だからこの辺ではいろいろ問題があってもいつまでも仮設にいても未来は生れない、
そういう未来を意志でもって作っていかなければもう未来は作れない。
そういう時期に来ているのだ。


今日は原町まで行ってきた。アスパラガスが110円でキクチスーパーで売っていた。鹿島のキクチスーパーでは200円しているから安いと思った。それは輸入品だったのである。
輸入品だとこんなに安くなるのかと思った。国産だと倍になるのか?この差は大きい。
だから現代はなんか田舎でもさらに田舎があり原町と相馬市だと品物の数も違うし安いのがある。だから現代は田舎はかえって物価でも高くなっているのだ。田舎にもさらに田舎がありそこでは生活費が高くつく。物価はかえって都会の方が安いのである。
そしてTPPになったらどうなるのか?アスパラガスのように半分以下の値段になる食料品がかなたでてくる。するとかえって安くなっていいいなと思う人もでてくる。
こうした日常的に食べるものの家計への影響は大きいのである。
なぜならアスパラガスは好きで毎日食べていたからそれを一年で計算すると大きな額になってしまうのである。


だから今は4万くらいの都市に住まないと現代生活を享受できない、一万くらいだといろいろ不便になる。車がある人はいいがない人は不便になるし損をする。
牛丼屋で430円で卵がついて豚汁がついての値段だった。これも安くて便利だが鹿島区にはない、一人暮らしには今は本当に便利なものができている。
だから日々食べることなどで一人暮らしではさほど困らないのである。
だから離婚が増えたというのもそうなのかわからない。


今日は本当に寒い、沼に凍えるように白鳥が鳴いていた。その声が辺りにひびいていて三日月が光っていた。いかにも冬らしい、冬らしいというときやはり原町はこの辺では都会でありだから冬らしいとなるとき鹿島や小高なとど一万くらいだとさらに冬らしくなる。都会だとやはり家が密集しているからそれだけで何かあったかい感じになる。
田舎でもこうして一万の町がありその街内に住むものとさらに離れた村に住むものがある。そして田舎といっても原町とか相馬市は4,5万でも一万の町とは相当違っているのだ。
10万くらいの街すら今は田舎などというが東北では10万は大都会である。
だから田舎といってもそこに住む人は原町のような街に住んでいたら便利である。
でも一旦中心から離れると不便なになるのだ。


とにくか生きるというとき小さければ小さいほどその町で場で生きるということを意識しやすい、原町とか相馬市でもそれなりに大きくなるとなかなかその街で生きるということを意識しにくくなっている。たいがい今はその町で自ら生きるということを意識しにくい。昨日の短歌のように百輪の椿が咲いてその一輪としての一人としての自覚ができないのである。

とにかくいまでもだらだら仮設で仮の生活をすることはもう終わりであり自らの意志でもって生きる、未来を作ってゆく時期がきている。
一方で仮設で避難者が酒びたりで鬱病になっているとかそういう問題も出ている。
それは明確な未来を目指してwillしないからそうなっている。

でも未来はただ他者からだけ与えられるものではない、自らまさに意志(will)をもたないと未来は見えてこないだろう。
人々がそれぞれ明確な未来を意志をもって生きてゆけば自ずと未来は開けてくる。
その時自然もまた未来に輝きを放つのである。
冬芽はやがて大輪の花と開花するのである。

真野の草原(かやはら)の再考 (インターネットで情報集めたら見えたくるものがあった)


真野の草原(かやはら)の再考

(インターネットで情報集めたら見えたくるものがあった)

●吉備国に濃厚に伽耶(カヤ)の国の影響が残る


吉備勢力は出雲征服を試みるも完遂寸前に出雲東部の意宇王の前に失敗。以後、ヤマト政権と同盟して列島の統一・治世に貢献し、古墳時代から飛鳥時代まで繁栄した地方として重視された。河内王朝時代には、ヤマト政権中央部に対抗するほどの勢力を誇ったが、これがヤマト政権の警戒を呼んだのか、後はヤマト政権の謀略などで勢力が削減されていった
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E5%82%99%E5%9B%BD

『国造本紀』によれば、吉備地方には吉備氏のもとに大伯氏、上道氏、三野氏、下道氏、加夜氏(賀陽氏、賀夜氏、香屋氏)、笠臣氏、小田氏があった。吉備の国造の場合、多く(上道・三野・下道・加夜・笠)が臣(オミ)姓を称している。
この中の下道氏と笠氏は、後に朝臣の姓(かばね)を名乗る(吉備朝臣)[1]。奈良時代に日本をリードした学者・政治家の吉備真備は下道氏である。
吉備仲彦は香屋臣(かやおみ)の祖。その血統が賀陽氏に引き継がれているといいます


岡山市北部のごく限られたエリアでありながら、重要な文化財が集中する足守地区。
足守の地名は、古くは日本書紀応神天皇二十二年(推定五世紀初頭)の期に「葉田葦守宮(はだあしもりぐう)」の記述に見られます。「葦守」が「足守」に転じており、「葉田」は「秦」を示します
古代足守郷に勢力をふるった賀陽氏の名が刻まれていますが、宮を創建し
それまでの日本には「呼び名」はあってもそれを表す文字はなかった。 そこに漢字を当てていく作業が始まったのが天平宝字(757年)である。

笠満誓は俗名「笠朝臣麻呂=かさのあそん・まろ」。
笠朝臣・・・「前身を吉備から出る笠臣とする。美濃国国主氏族。
大化の改新以前は吉備出身氏族の上道・下道・三野臣らとともに臣姓を持ち、ゆるやかな同族系譜を持っていた。
ここからは吉備真備が出る。

大宝四年に笠朝臣麻呂が従五位下を授受さる。」

笠満誓は俗名「笠朝臣麻呂=かさのあそん・まろ」。
笠朝臣・・・「前身を吉備から出る笠臣とする。美濃国国主氏族。
大化の改新以前は吉備出身氏族の上道・下道・三野臣らとともに臣姓を持ち、ゆるやかな同族系譜を持っていた。
ここからは吉備真備が出る。
大宝四年に笠朝臣麻呂が従五位下を授受さる。」
http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/54651359.html?newwindow=true


みちのくの真野の草原(かやはら)は伽耶(カヤ)の国に由来するという考察をした。なぜなら草原郷(かや)となるときそれがこの賀陽)かや)とか香屋臣(かやおみ)の祖に由来している。カヤはこの渡来人からのカヤであり萱が繁っているというのではないと考察した。沙弥満誓は笠氏だから笠女郎の父親であり笠女郎の故郷は吉備の萱(カヤ郷)の出で笠氏は賀陽(かや)からの帰化人だったという説である。足守という地名が葉田葦守宮(はだあしもりぐう)」ということは秦氏の葦守だとなっている。渡来人の守る葦守になっている。渡来人⇒味真野⇒葦真野というふうにもなる。草原(かやはら)が何か不明にしても渡来人の匂いが色濃くするということは疑いないのではないか?


ただ葦(あし)と草(かや)は根本的に発音が違うのだから別な種類のものである。別な意味をもっている。発音がカヤとなるとき賀陽)かや)とか香屋臣(かやおみ)と結びつく、単なる草原(かやはら)を自然の景色なのかという疑問がある。これは一地名だと考察したのもそのためである
http://musubu.sblo.jp/article/57107299.html

吉備の製鉄は6世紀後半以降は箱形炉による生産がさかんになり、上記のように「まがね吹く吉備」とよばれるようになる。箱形炉とは長辺側に台状の高まりをもち、短辺側に溝をともなう炉のことで、長辺側に鞴(ふいご)が置かれ、高みから原料・燃料を投入して溝の排滓する方法が用いられた。この場合、製鉄炉の原料には鉄鉱石が用いられ、朝鮮半島から導入された新しい技術だったと考えられている
http://bell.jp/pancho/travel/kibiji/history.htm


百済王敬福(くだらのこにきし の きょうふく) - 761年(天平宝字5年)に、紀伊・阿波・讃岐・伊予・土佐・播磨・美作・備前・備中・備後・安芸・周防など12カ国の軍事権を掌握する役目に任命される。

周知のように和田氏系の諸氏の中には、小野氏や栗田氏のよ

彼らは、「伽耶隠し」「百済隠し」「新羅隠し」「韓隠し」をしながら、同時にいままでの呼び名に新しい漢字の「音・義」を盛り込み、密かに閉じ込めていった。だから「木村」を「木のある村」と見るのは間違いで、キム・ウラ、つまり金浦、そうあのキンポ空港のある「金浦」のことなのである。湘南の海岸線に高麗という町がある。ところが街の鎮守の名前は「高来神社」とある。
どちらも「こうらい」と読めるが神社のほうは「たかく」神社と読ませている。
これも、明治政府の「朝鮮隠し」の生きた証人だ。
「高麗」という地域表示はいまも街角に残っているが、高麗という地名がどうしてここにあるのか知る人は少ない。

http://iwamigin.vsp3.com/history/tokyo-kudara.html

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●カヤとつく神社や古代の記録


の神名は鹿屋野比売(かやのひめ)の神、またの名は野槌(のづち)の神

 言霊ヌ 鹿屋野(かやの)の鹿屋(かや)は神(かみ)の家(いえ)の意です

「阿太加夜神社」 (出雲風土記、意宇郡)出雲神社リスト@#59
「加夜神社」   (出雲風土記、神門郡)出雲神社リスト@#282
「井草神社」(出雲風土記、飯石郡。三刀屋町伊萱の伊草神社)出雲神社リスト@#301
「阿太加夜努志多伎吉比賣」 (出雲風土記、神門郡)
「賀野里」 (かや)(播磨風土記、飾磨郡)
「鹿屋野比賣神」 (古事記、野神の名前。岩波ではp58)
「加悦郡」 かや、と読む、丹後の一地方 
「草野灰」(かやのはひ) (陸奥風土記、八槻郷)
「神石萱」(かむいしかや)(陸奥風土記、八槻郷)参照:神prefix
「市鹿文」(いちかや)他、(景行紀)参照:景行紀の蝦夷
「韓人山村等上祖 柞巨智賀那」(参考)(播磨風土記、飾磨郡)
「賀奈良知姫」(参考)(先代旧事本紀p107、葛木土神の剣根命の娘)
「うがや・ふきあえず」 (参考)
「伊可古夜日女」(参考)(山城風土記。丹波国ノ神野ノ神、と)

http://www.dai3gen.net/kayanrm.htm


また吉田連は、神亀元年に吉宜や吉智主が賜わった氏姓で(『続日本紀』 ・ 『新撰姓氏録』)、 『姓氏録』や『続日本後紀』によれば、塩垂津彦(天帯彦国押人命の商) が、崇神朝に己没(嶋津江流域にあった伽耶諸国中の小国、のち百済に併合)に派遣され、その子孫の達率吉大尚とその弟の吉少尚らが来朝したとし、

『姓氏録』は旧姓の「吉」 (キチ)を、己没で「宰」を称する言葉であるとするが、吉大(太)尚が『日本書紀』や『懐風藻』に見える天智朝頃の実在の人物で、達率という百済の官位を帯び、キチ・キシが首長を表す朝鮮語にもとづくことから、この氏の実態は7世紀後半の百済の役後に渡来した亡命百済人(己抜糸)と見て差し支えない。 さらに『姓氏録』右京皇別下に天足彦国押人命の三世孫彦国茸命の商と記す真野臣は、彦国茸命の曾孫の大矢田相称が神功皇后の新羅征伐に従軍し、新羅国王の女を要って生んだ佐久命の子 孫で、その九世孫の和珂部臣鳥と忍勝らが近江国志賀郡真野村に居住したために、庚寅年籍で真野臣の姓を負ったとするが、貞観5年9月、真野臣永徳らが宿祢姓を賜わった時に百済系渡来氏族 の民首の一族の者が、これと同視と称して真野臣の氏姓を与えられており(『三代実録』)、真野氏ももとは渡来系であったと推断することができる。
http://www.city.okayama.jp/kitaku/asimori/asimori_00001.html


●真野の草原(かやはら)はやはり伽耶(カヤ)に由来する


伽耶国は古い、百済国はなじみがあってもその前の小国の伽耶はなじみがない、だからその後百済に併合されて余計に消失してしまった。ただ吉備国に濃厚にその跡が記されている。だから吉備国から伽耶国のことが伝わったということはありうる。吉備は大和に対抗する拮抗する大国であった。だから会津にも吉備が進出していた。

津大塚山古墳の三角縁神獣鏡岡山県備前市鶴山丸山古墳のものと同じ鋳型である

古代はともかく渡来系が主導的役割を果たした。製鉄などの技術をもっていたためである。
真野郷というときもこれは真野氏にかかわるというとき、真野氏の出自も渡来系である。そもそも真野氏の名前は真野という地名から起こっている。それは吉備の葦守神社に由来して葦の間の野⇒味真野⇒真野なのである。真野の由来は吉備にあり吉備から発して近江に真野という地名を残し越前に味真野という地名を残した。かえって遠くに古い言葉が残る。沖縄や青森に古語が残っているのと同じである。味真野とは吉備を発祥地としている地名だったのである。

何かこういうふうに古代の情報を集積してゆくとやはり笠朝臣(しゃみまんせい)の娘が笠女郎であるにらうに見えてくる。近江に真野とあっても吉備が起源としては古いのである。そして吉備はまがねふく吉備というふうに渡来系の製鉄技術者がいた。だからみちのくに黄金を求めてきた百済王敬福もかかわっていた。伽耶がなじみがないというとき百済国に併合されてその国自体が早めに消失したからである。ただ日本に亡命したのは古く蝦夷(えみし)として中央政権の大和と戦った。

「草野灰」(かやのはひ) (陸奥風土記、八槻郷)
「神石萱」(かむいしかや)(陸奥風土記、八槻郷)


このカヤは伽耶一族のことである。草をカヤとは普通は言わないしあてない、草原をカヤハラというのはだから萱のことではない、伽耶国をさしている。百済隠し、伽耶隠しという操作がその後行われた。伽耶は百済に隠され大和にも隠され不明となっていった。

いづれにしろ伽耶(カヤ)と真野氏も渡来系でありつながりがある。南相馬市の鹿島区の真野郷でも萱野姫を祭っているがこれは渡来系の姫だともなる。焼畑の神ともなっているが伽耶国に由来するものでもあるかもしれない、唐神という地名も残っているし原町区に高倉とかの地名も渡来系なのだろう。泉官衙跡から発見された木簡で白人も渡来系であり嶋田とある島も渡来系の苗字かもしれない、つまり渡来系が深くかかわった地が真野郷たったのである。それは個々か製鉄の一大生産の場だったからである。

ただ萱原という地名が残っているのは石巻でありそこにも真野公という木管か発見されているのだからやはり真野と萱(伽耶)が一体化している。そこは萱原とは限らないのである。石巻が江戸時代でも真野の草原としていたがそれは考古学的発掘がされていなかったからである。南相馬市の鹿島区には古墳とか金銅製双魚佩とか考古学的発掘があり地名も明確に残っているとかで有力になった。石巻には古墳とかがないから物証の点では貧弱なのである。

ともかく文献でもこうして草原(かやはら)の情報を重ねてゆけば自ずと見えてくるものがある。それはなかなか一個人ではできない、インターネットにそうした情報が集積してくると見えてくるものがあった。

古代には葦とか萱はいたるところに繁っていてめずらしくない、その萱原を面影に見るなどということはありえないのだ。ただカヤは伽耶は古い地層の地名であり伽耶隠し、百済隠しでその本来の意味が別なものに変化した。特に百済に併合されたから余計に不明になった。新羅琴は実は伽耶琴だった。新羅で発明されたものではなかったのである。
伽耶はそういうふうに小国でもありその痕跡が消されていったのである。

韓国でも最も古い楽器の一つ 伽耶琴。
奈良の正倉院には、新羅琴として保存されている楽器だ

posted by 老鶯 at 21:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

2014年01月07日

冬柳(相馬市田町通り)


冬柳(相馬市田町通り)

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春きざす凍みにし道にイヌフグリ

冬タンポポあたたかなれや里の道
新年や蔵王の見えて相馬市へ
百歳になれや夕ぐれ冬柳
闇つつむなお生きなむや冬柳
街灯や田町通りの冬柳
月細く夕暮れあわれ冬柳
冬柳長々垂れて長寿かな
冬の日の小径(こみち)を行けば故郷になお知らざりき奥に家あり

時折に汽笛の鳴りて池凍り二両の電車なお行きかいぬ

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イヌフグリとかタンポポも咲いていた。冬タンボホという季語があるから冬でも咲く、イヌフグリはまだ咲かないはずだけど咲いていた。第一今日でも寒かった。
この辺では雪はほとんど降らないから冬タンポポは咲く、そしてヤマハのマウテンバイクの電動自転車で舗装されていない道を分け入った。
田舎は狭いところでもこんなところに人が住んでいたのかと思わぬ所に家があるのだ。
そこは車も通らないような奥になっている。
でも近くを電車が通っているから時々汽笛が聞こえる。
寒い日にその汽笛がひびく,それも原町と相馬市を行き交う二両の電車である。
それでも電車が走っていることは営みがあることなのだ。

ただこの辺は電車は通っていても肝心の営みがなくなっていることが問題なのである。

なぜ電車にひかれるかというと電車は風景にあう、自然に映えるからなのだ。
だから撮り鉄がいることがわかる。電車は自然の中で絵になるのである。
車はなりにくいのだ。
自転車というと種類が多くみんなそれぞれ乗り心地が違うのである。
それはバイクなどでもそうである。車でそうだろう。
マウテンバイクになると悪路に強いから知らない未知でも分け入ることができる。
行動範囲が広がる。冬は冬で走っていて気持がいいのだ。


相馬市へ出る所で大きく雪の蔵王が見えた。完全に雪におおわれている。八沢浦からも蔵王は見える。でもそこが蔵王が見える限界である。今日は冬晴れで苦も一つないからあれだけはっきりと見えた。

それから夕方になり相馬市の田町通りの柳を見た。小泉川の柳も良かったので探したがなかったのは切ってしまったのである。あれは残念だった。切り株だけがあったからだ。
ここの柳はかなり大きなもので見応えがある。この冬柳は自分の母親をイメージする。
百歳になるからである。百歳生きる人もこれから相当に増えてくる。
人間は百歳生きれるものだなと思う。こんな百歳の人が生きる時代はなかった。
ただ60代でも一割は死んでいるから何かこれからそんなに長生きするものだろうかということも思う。

自分の母親は百歳まで生きるために生きている感じなのである。百歳がゴールでありそのためにこつこつと食べて生きている感じなのだ。そういう性格なのである。
柳は長寿の木にふさわしいのだろう。ただ幽霊のように生きているという感じにもなる。それでも生きてはいる。寝たきりではないからまた違っている。
90歳以上くらいになるとなんか人間も幽霊のように生きているとう感覚になるかもしれない。そこまで生きてみないとどんな感覚になるのかわからない。
そういうときの心境で俳句とか短歌とか詩を作ったらどうなるのかとも思う。

自分は結構健康が回復したからまだ運動ができる。ただあとで筋肉痛になる。
今日は走っていて日が永くなったなと感じた。
五時で真っ暗だったけど結構永く明るくなっていた。
新年になるとやはりすでに春が来ているのだと感じた一日だった。

2014年01月09日

葉牡丹とおなご (田舎の農家育ちの苦労した女(おなご)


葉牡丹とおなご

(田舎の農家育ちの苦労した女(おなご)

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北風唸り
庭の石にそえ
葉牡丹
飾り気なく
たくましく実直に
誠実なる石に添えて咲く
北風唸り
長き冬を耐えて咲く
寒々と冬の雨ふり
我が墓のある墓所を通り
路地裏の道にも咲く
苦労の故に十歳老けた女(おなご)
男に女(おなご)が来る
この土地で生きて育ったおなご
その土地に根付いたおなご
小さな畑を耕すおなご
仮設の食堂で働くおなご
葉牡丹の紫色の深く
その土地に根づいて咲く

1 女たち。おなごしゅ。おなごし。⇔男衆。
2 女中。おなごしゅ。おなごし。⇔男衆。

おみな-ご をみな― 【▽女子】
〔古くは「おみなこ」〕女の子。若い女性。
おんな-ご をんな― 【女子】

何か今の女性は一般的に若い、中学生くらいの母親でも何か若い。母親らしく見えない、だから20代かと思った。でも今はみんな若いから母親という感じがないのが一般的らしい。それは幼いということにも通じているという。母親でも大人になっていない、それは今の人間全般的に言えるのだろう。60代でも普通は若い、60代では老人らしくないのが現代である。老人というと成熟して落ち着いて枯れたという感じだったが今は違っている。
みなん若いのであり若いということは一面いいことなのだがその年相応のものか身についていないから幼い、幼稚だとなってしまう。外見は若くても精神的にはただ幼稚だとなってしまう。

だから10歳老けた女性は他の人とは違っていた。そうなったののは特別苦労したこともある。外見は若くなく10歳老けてみえる。そしていつも苦労を語っている。

この女性がおなごというこ言葉を使った時、これは方言なのかと思ったら全国で使われていた言葉である。おなごしというときはおなごで女性で働いている人をさしていた。
女中もさしていたからおなごは良く使われた言葉なのである。
男に女子(おなご)が来るというときおなごは若いとなるが実際は老人でも言っている。
そもそもおなごという言葉を地方でも聞かない、今はみんなきれいな標準語をしゃべるからだ。方言は土着的なものだが一般的に土着的なものがなくなったのが現代である。
土着的人間という時、もともと農民にその典型があった。でも今は農家に嫁いだ女性も農民的な所か全くなかった。サラーリマンの妻であった。実際農作業もしていない、田んぼは委託しているからしていない、何も農家的な所がなかったのである。


田舎ではこの女性は10歳も老けていてしわが多いから女性として見れない、それても75歳の人と助け合って夫婦のように行き来している。でもその男性の家はすぐ近くでも一人では行けないし来るなと言われている。というのは回りで親戚がいて誰か来るのを見ていてうるさいからだという、そのことを異常なほど気にしている。これは他でもそうである。街内からちょっとはずれただけでも村になりうるさい。田舎は常時監視状態にある。
誰と誰が会っているとか見ていて監視しているのだ。
そういう窮屈な所が田舎でもある。ただ田舎といっても農村部と街とは違っているし原町や相馬市の街内になるとまた違っている。
ただこうした人間が監視状態で暮らすとなると嫌になる。
そしてまだお悔やみとかで2万払っているから金かかかるとか嘆いていた。もう町内ではそういうことはもうしている人は少ない、冠婚葬祭自体消滅さえしているからだ。


今の時期だとこういうおなごは葉牡丹とにあっている。これは花なのか野菜なのかわからないからだ。土着的ということは花だけをみていてはわからない、その土に根ざした野菜をじかに栽培してとって食べていれば土着的になるのだ。それがこの辺は放射能騒ぎでなくなっているから異常なのである。土着的とは土に着くだから土から離れてありえないのだ。だかちらこれまで農民が田舎では8割とかいたらみんな意識しなくても土着的人間になっていた。今は田舎ですら農家ですらサラーリマンになっているのである。会社員なのである。だから未だに冠婚葬祭にこだわっているのが何かそぐわないと思った。

 
 

生活保護者とにていた原発避難民 (働くとその分ひかれれは働く意欲がなくなる)


生活保護者とにていた原発避難民

(働くとその分ひかれれは働く意欲がなくなる)

うちは自営業で、生活保護世帯の人を雇っています
その場合、ちょうど半分減らされることになります。
働いている人の手元には50パーセントしか残りません。
残りは福祉に取られることになります。

どうしても減らされるのが嫌なのでしたら。
知り合いの人のところに働きに行って、それを黙っていてもらうしかないです。
(つまり福祉事務所に内緒で働く)
ですが、それがばれた場合
質問者様の稼いだお給料の5倍を「罰金」として取り立てられることとなってしまいます


生活保護者とかかわってこれもめんどうなものだと思った。生活保護がいいとか貧乏な格差社会では言われている。でも生活保護者にはいろいろな制限があるのだ。
生活保護以外に収入を得ることがむずかしいから生活保護内の金で生活しなければならない、働いても半分ひかれるとかなると働くのが馬鹿らしいとなる。8割もひかれるとかもありこれも変だなと思った。
その女性は生活保護者にしては性格がいい、話していても面白い。学はないのだけどもう女性としては見れなくても何か話をしていて面白いのだ。
ただなぜあんなに他人に平気でものを頼むのかわからない、頼むことになれているのか、頼み方がうまいのか自分もかなり使われた。自分も困っているから助けたから別に助けたとも思わない。でもあんなに身も知らない人にずけずけものを頼むというのもわからない。
自分はものを頼むということをほとんどしたことがない、する必要がなかったのである。今になり全部自分で家事からなにからするようになって頼む必要が出てきたのである。

あの女性の人生は実際はわからない、二回離婚しているし一時は金はあったというからどういう生活していたかわからない。
離婚している女性はたいがい貧乏になっている。まず女性だけで稼げる職業は看護師とか限られているだろう。
自分の家に来た人はそうした離婚した女性とか生活保護とか借金かかえているとか困った女性しかこなかった。そういう人には頼むより頼まれる方だったのである。


その女性は食堂で働いていて給料がもらえないことに怒りをぶちまけていた。食堂の仕事は惣菜なども作り客が多い時は忙しいからかなりの労働になる。自分も家事をしてみてこれもけ結構な労働だと思った。介護もしているから余計にそうなのだ。何でも労働自体はみんな楽ではない、労働することは実際は高くつくものであり時給などで計れるものではない、人間にとって一番貴重なものは時間だとするとその時間を奪われるからである。

働くということは働かせるとなると受動的であり奴隷的労働になる。ほとんどが今は働かせられている奴隷的労働である。時間給はみんなそうてある。一方で自ら働くという能動的な働くのはそれはその人の人生を作ってゆく。そういう働き方も少ないにしろある。
それぞれの才能を活かす働き方てある。江戸時代の職人のような働き方である。
その人がその個性に基づいて自主的に働いている。だから働くにしてもいろいろあり働くことは多様なのである。


その女性は憤っていたのは食堂の経営者が賃金を払わない、その理由が生活保護者であり払うと法律違反にるからという理由だった。でも労働自体は結構楽ではない、生活もぎりぎりであり困っている。この辺では支給額自体極めてすくないのである。それは本当にぎりぎりである。生活保護費だけではまともな生活は送れないだろう。
だからこれまで働いた分をもらいたいとしきりにいう。でも法律上は確かにもらえないかもしれない、だから半分くらいでももらえればいいとなるがそれでも不満である。
その女性は働くのが馬鹿らしいと言っていた。これは本当だろう。
いくら生活保護者でもそれだたけ働いて成果が金が得られないなら働く気がなくなってしまう。生活保護にそんなにこの辺では余裕がないからだ。
得しているのは生活保護者をただ働きさせている経営者になってしまう。
無料で働かせているのだからこれほとど得なことはない。ただそういうところでは働く人もルーズであり真剣には働かないのである。


このことは原発避難民と同じだった。避難民も働くとその分が補償金をもらえなくなる。失業給付金ももらえない、仮設からでて自宅にもどると補償金が得られないとか働くと損になる仕組みになっているからみんな働かないのである。これも生活保護者と同じ仕組みになっていて働いたり自宅に帰って復興しようとかの意欲をそいでいるのだ。
川内村辺りでも村民が補償金で郡山市のような便利なところで住んでいたら帰りたくなくなった。帰ると補償金がもらえないとなり帰らないのである。人間は一面こうして生活を保証するとかえって不都合が起きてくる。補償しすぎた結果として金の問題でもめていて避難民同士がいがみあっている。だから補償金が必要でもそれがすべていいものとはなっていない。それは生活保護者と同じである。保護されることになれるとそれが当たり前になりそこから脱する気持もなくなる。真剣に生きるということもなくなる。

何かこの辺の状態はだからみんな特に仮設の人はそういう状態になっている。
つまり補償金をいくら出してもそれだけで今の状態を改善することはできない。
未来もありえないということである。ただ安易な道を選び人心も堕落してゆくだけである。
そもそも働くということにはいろいろな要素がありただ金をもらうとういことだけではない、生きがいであり協同であり共同意識を醸成するとかハタを楽にするとか、work(作品)化するとか人間の存在意義は働くことにあるのだ。ただ働くことはすへてが価値あるものとはならない、膨大な無益なことに労働が費やされていることも現実なのである。
エステで生活保護者が東京で働いているとしきりいうがそんな労働に価値があるのか?
金持ちに使われている奴隷労働でないかとも思う。介護などならいい仕事でないにしろ人に尽くす仕事である。エステなどは金持ちのために働かせられているというふうに見える。その女性はただ金を得ればというだけの人だからまたそんなところで働いているのがふさわしいとなる。


ともかく現代は働くことがすべていいものとして肯定できないから働かない人が膨大になったのである。また働くことが強制されないから働かないのである。働かされている人が多く自ら働いている人は少ないからそうなる。いづれにしろ今の世の中格差社会である。その女性はテレビで電車の番組を見るのが楽しみだという。でもその女性は電車に乗って旅したことがあるのだろうかと思う。でも自分の母親よりはずっとましである。いろいろな楽しみをそれなりに追求してきているから同世代なのである。

自分の母親は一切の楽しみを否定している。花も庭も何でもそうだった。金になるものは一切否定している。たた食べる贅沢は否定しないだけである。これは異常であり狂気だった。今は寝ているから何も言わないだけである。その女性は自分の贅沢をみてそのことはいいものだと思っている。自分もそうしたいと思っている。楽しみを肯定しているのである。だからその女性が何も人生で苦労ばかりだったとは思えない。

それが大正生まれと団塊の世代の差かもしれない、団塊の世代は働くことばかりではない、苦労ばかりではない、楽しみを追求してきた世代だった。だから白い髭の老人ライダーも普通にいる。バイクでもそれに乗ってきた人は老人になったからとやめられない、その快感を覚えているからやめられないのである。
人間は年取っても快感は脳に記憶されて消えない、ビールでも一回その味を覚えるとまた飲みたくなる。ノンアルコールは全くビールの味でありそれでサシミで飲むときは本物のビールと同じようにうまかったのである。


いづれにしろ三年目となり原発避難民も津波避難民も補償金でだらだらくらしている時期は終わっていると思う。ただ高齢化社会で老人はまた働くこともできない現実がある。
南相馬市では若い人が流出して30パーセントとか65歳以上の人口が他より多いのである。他より高齢化社会化して負担が増大しているのだ。そして60以上で貧乏老人になっている人は生活保護になりやすい、そういう人が増えている。生活保護者の老人の比率が増えているのだ。犯罪の比率も増えている。南相馬市でシルバータウン構想などがでてきたのもそのためである。

 
 
posted by 老鶯 at 23:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2014年01月10日

あまされる老人、貧乏老人 犯罪老人、精神を病む老人・・・ (高齢化社会の問題が深刻化する)


あまされる老人、貧乏老人 犯罪老人、精神を病む老人・・・


(高齢化社会の問題が深刻化する)


・1/7 18:14速報!泉修一容疑者(62)を殺人容疑で逮捕

・ストーカー相手から「結婚したい」「一緒に死にたい」などと言われていた
・角好江さんは、1年ほど前から合計9回にわたり警察に相談していた
・角好江さんは警察に「男に付きまとわれている」とストーカー被害の相談をしていた
・角好江さんが何者かにより殺害された後に出火

●居場所がない老人


前にもあったけどスーパーの前にベンチがありそこで酒飲んでいた老人は72歳とか言っていた。ただ若く見える、50代で仕事しているように見える。その人はトラック運転手であった。だから地元で働いたというより東京のちくじ市場に重に通っていた。他に市場があり通っていた。だから東京のことをしきりに言う。朝早く仕事が終わりすることがないからあとは酒飲んでいたという、歌舞伎町辺りでも遊んでいたのかもしれない、三島由紀夫が乗り込んで死んだ自衛隊の防衛省のある所が靖国通りがありそのことを言っていた。
東京に大学の時、4年間住んでいても地理はわかりにくい、特に山手線沿線しか自分にはわからなかった。あとは隅田川はまだ川があり自然があるのでいい所だった。春の日に百羽もの鴎が川に群れていたのも東京らしい。
東京都交通局都営地下鉄・大江戸線築地市場駅とかあるがこの大江戸線から電車が隅田川に出てくる時は何か春らしいものを感じた。東京で自然を感じる場所はあまりない。
浜離宮というのが近くだったことが地図でわかった。東京は長年住んでいてもなかなか地理はわかりにくいし歴史だってよほど興味をもたないとわかりにくいだろう。

その元トラック運転手は両国橋や蔵前通りのことを言っていた。両国橋は知っていても
蔵前通りは通った記憶がない、車で運転していれば記憶されるのだろう。
車では何々通りというのが大事だから頭に記憶されていた。電車の旅だと駅名が記憶されるやすいがまた忘れやすいのである。
そのトラック運転手の人生は東京まで行き来することであり東京が主な生活の場でもあったのだ。だから現代で錯覚しやすいのは田舎に住んでいると田舎でその土地を中心に生活していると思っている。でも実際は今の社会はどこでも広域化しているから地元だけで生活している人は少ないのである。農業が主な産業じゃないかと思っているが農業は一割にも満たない産業になっている。その他はみんな会社員なのである。
だから田舎は地元が中心の生活かと都会の人が思うけどそのトラック運転手は東京が生活の中心だったのである。こういうことは田舎に住んでいる人でも結構多いかもしれない。

●精神を病む老人も増える


こういうふうにその人は実際は農家であっても働いているのは会社である。その家は広く車が四台もあるという、そうなると広い庭がないと置けない、また孫も大人にっていて何人もいる大家族である。でも自分の部屋があり離れ家だってありそれだけの大家族でも部屋に困っているということはない、老人の部屋がないという人もいる。その人は住宅を借りていたから家族が多いから追い出されようなことになった。それで不満が高じて犯罪者になって自分が被害者になったのである。ただ別に同じ田舎で今も暮らしている。
その人は住居の問題であまされた老人だった。元トラック運転手はなぜあまされているのかよくわからない、ただ精神病院に一時いたり何らか精神を病んでいるのだろう。
でも話してみれば普通の人である。ただ何もすることがないと昼間から酒飲んでいる。
家でもあまされている、のけものにされていることは確かである。だから部屋はあり家が広くても家にいたくないという。この辺の詳しい事情はわからない。
相馬市の道の駅にたむろしている老人も家にいるのが嫌であそこでひがな何することもなく部落の人とたむろしているのだ。そういう居場所のない老人も増えている。

なぜ老人があまされたり居場所がなるかというと家が狭いというのも一つの問題ではあるがそれ以上に現代の老人は田舎でも仕事がその土地に根付いた農業などではない、みんな会社員であり広域社会で仕事している。そうなると一旦会社をやめるとその生活の根が農業ではないのだから継続できないくなり何か伝えるものもなく無用化することが多いのである。その老人は金には困っていない、ただ年金をもらったときだけニコニコ孫でもよってくるという。それだけしか金しか用がなくなっているともいえる。
前に書いた生活保護の女性は貧乏老人の問題であった。家からあまされて犯罪老人になってた人もいて自分が被害者になった。現代きの老人問題は老人が増えても社会的な役割をもてない、家での役割ももてないことが大きな社会的問題化する。
老人が少なく昔だったら老人の家でも社会でも役割をもてたのである。


●社会的家庭でも役割がなくなることは老人にとって非常に危険


その役割をもてないことが老人にとって意外と深刻なのである。それが痴呆症、認知症になる要因かもしれないからだ。自分の身内はそうだった。公務員をやめてか30年くらい何もしていない、家事もしていない、趣味にしてもそれはあっていなかった。あっていたのは看護婦や保健婦をしていたから人を世話する仕事だったのである。でもそんなことは全くしないし家事もしていない、そのうちボケてしまったのである。
人間は年取るといつのまにか黙っていても無用人間になりやすいのだ。

社会で無用化するといつのまにその人の存在さえ忘れられる。保健婦であれ看護婦であれ何であれ社会で活躍している時はそういうことはない、会社員でもそうである。でも一旦そういう社会的役割がなくなるとその人は実は社会から消えるのである。

そしてもうその人自体の存在さえ忘れられる。そして認知症になりボケたりして社会に迷惑をかけたとき迷惑かける老人として社会で認知されるというのも変だがそうなってしまう。だから人間はともかく会社をやめても何でも何か社会的役割をもく仕事をつづけねばとならないのだ。それは個々人によって違ってくる。でも高齢化社会ではこれは大事なことである。そうしないとその存在さえ忘れられ認知症とかなり社会の重荷負担になることが怖いのである。その原因はわからないにしても老人になっても何か社会的役割をもたないことは非常に危険なことである。

老人ストカーとかになって殺人までになっているのはよくわからない、72歳の女性に62歳の老人/かそんな激しい恋愛感情をもつものだろうかとも思う。

でも62歳でもまだ現代では若い人はいる。その差はあるにしてもそういう気持はわかる。なぜそういうふうに思いつめるかというと老人には後がないということである。何するにしてもこれは最後だとなるときの心境は若い人にはわからないのだ。これが最後の恋だ、あと生きるのも短い、何とか恋をなし遂げたい、できなければ一緒に死んでもいいとなるから老人は一面怖いわけである。それはドラマでもやっていたから現実にもあったとなる。ただドラマでは若い女性だったから違っていた。


60過ぎるともう何かする時間がない、だから何するにしてもこれが最後だとなり思いつめることはわかる。だから犯罪を犯しても恐れない、どうせまもなく死ぬんだ、やりたいことをやって死んだ方がいいとなるから怖い。この女性がだめだったら別な女性がいいとかの余裕もないのである。この心境は若い人も見習えばいい方に作用する。もう一年しか生きられないとなったら人間はどうなるのかそうなったら人間は何でも真剣になるだろう。
でもまだまだ生きられる時間は無限にあるように思っているからだらだらと時間を浪費する。そしていつのまにかみんな年取って時間がくなったことをしる。
それはもういくら金を積んでも過ぎ去った時間を取り戻せないから深刻なのである。


自分もここ7年間は全く旅行もできなかった。家の近間でも余裕をもって出かけられない状態だった。こんなことになるとは思いもよらなかった。なぜなら一カ月くらいいつでもぶらりと出かけて帰らなかったのが自分だったのである。それが一日たりともできない、6時まで帰らねばならないとかなっているからだ。そして誰も代わってくれるものもいないのである。そして一番思ったことはもう一度富士山を見てみたいと思ったことである。富士山がきれいに見えるところでもう一度見てみたいと心のそこから思った。
やはり日本に生れたら富士山を見て死ぬのがふさわしいとなる。富士山は日本の象徴でありそれは日本人の心ともなっていた山だったからである。
これが最後だとなるとどんな人でも見る目が違ってくる。しかしそういう日はついにみんなに来るのである。

2014年01月11日

冬ごもる-冬の雲 (浜街道相馬の城跡へ-相馬に住むものの今の心境の短歌十首)


冬ごもる-冬の雲

(浜街道相馬の城跡へ-相馬に住むものの今の心境の短歌十首)

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冬の雲(抽象画)


一本の松に風鳴り墓地のあり名のしるけく冬の朝かな

知られざる道のあるかな冬日さし凍みにし道を我が踏み行きぬ
故郷の堤も凍り葦枯れて踏みいる人もなくして暮れぬ
かなたにそ蔵王の見えて雪厚しみちのく長く冬ごもるかも
六万石城の跡かな堀凍り行き交う人もまれなりしかも
街道に松の残りて北風の鳴りにけるかな城へ行き来し夕日さし暮る
街道の松並木くれ冬の月日立木通り我が帰るかな
日立木のまちばばしかな冬の暮我が通りつつ街道暮れぬ
東京の築地に行くと運転手昔を語る故郷の冬
冬の雲流れざるかな窓の外に遠くに行けず故郷に住む
北風の唸り吹くかな冬ごもり家にしありて古書を読むかな

北風のまた我が家に鳴りにつつ故郷に古り今年も生きぬ

一本の松がありそこに一家の墓地がある。そういうのは田舎にある。墓自体が贅沢だともなる。町内の墓地だとこみすぎるからだ。原町の橋本の墓地は広いから墓参りにはいい。でも実家の墓を新しくしたからいい。でも墓だけしかないのである。父親が埋まっているからと娘が墓参りにきても実家がないのも淋しいとなる。
墓碑に名も記されていない墓のことも前に書いた。金がなくて記されないというのも親不孝なのだろう。だからそういうことを考えると家の近くに墓地があるというのはぜいたくであり田舎ではそういう面で贅沢なのである。農家では代々家がつづくから良かったのである。墓は一つの拠り所にもなる。だから原発事故で避難した人たちはそういう拠り所をなくしたから辛いという面がある。
人間は住み慣れた土地を失うことがどれほどの苦痛なのか?そのことをあまりか外部の人は特に都会の人は考えないだろう。それは金では贖えないものがあった。

ただ今までは故郷があるのが当たり前であり家も墓もあって当然でありそんなものがなくなると想像すらできなかったのである。想像を絶しているのが今回の津波原発事故の被害だったのである。


あをによし奈良の家には万代に我れも通はむ忘ると思ふな


http://musubu2.sblo.jp/article/53189908.html

(原発で故郷を離れる人の心境の一致)


ここで書いたけどやはり家というのは40年とか住むしもっと農家などでは長く住んでいる。代々住んでいるから自ずと重みが生れる。家に対する愛着は田舎では大きい。
マンションに住むのとは違っている。つまり田舎では農家だったらその土地とも一体化しているから愛着が深くなるのだ。家にはまた思い出がつまっているから愛着がでてくる。単なる人が住む箱ではない、そして代々語り継がれるべきものがあると余計にそうであり先祖も家に生きるし土地に生きてゆく。そういうものが失われることは金では代えられないものである。だから外部からみるのとそこに住んでいたものの心境は相当に違っているし理解できない。都会の人には理解できないものがある。

六万石の相馬の城跡も淋しいものである。そもそも城があっても東北辺りは仙台をのぞいて淋しい田舎だった。だから自然がみとにしみるとなる。今回は電動のマウテンバイクで舗装していない道を分け入った。すると土の道だから凍みているのだ。それが冬らしいのである。舗装されているとそうした自然の感覚から離れてしまうのである。

冬籠もるというときもう都会ではそういう感じがなくなっているだろう。冬籠もるは農村的風景があると冬籠もるとなる。冬籠もるというときそれは生活自体も冬籠もるということがあれどは余計にそうなる。昔の冬籠もる生活は冬に備えて自給自足していたからそうなる。今は交通が発達したから冬籠もる必要はない、物はいくらでも入ってくるからである。だから現代は季節感がなくなる。
何か冬籠もるというと鄙びた所に今はあっている。みちのくは多少はそういう感覚になる。冬だったら相馬の浜街道も昔ならあまり行き来しなかっただろう。
今回は暗くなって帰ってきたから余計にそういうことを感じた。

冬の雲が窓の外に流れないというとき何かそれが今の回りの状態を反映している。
冬の雲はいろいろ暗示している。自分の生活もここ7年間は全く遠くには行けない故郷に閉ざされた生活だった。まさしく冬の雲に投影される心境がそこにあったのだ。
つまり俳句では特にそうだが短歌でもその歌われた背景を深く読む必要がある。
万葉集などの一首などになると一つの歌に一冊の本で開設くらいの背景があるからだ。
真野の草原にしてもそうである。そこには歴史的背景を読まなければ鑑賞できない。
その点奈良や近畿で歌われたものは万葉集より古い歌があり仁徳天皇の残された歌もある。あの仁徳陵の主かと思うとみちのくからすると古いなとなるのだ。


難波津に  咲くやこの花  冬ごもり  今は春べと  咲くやこの花


この頃は冬ごもりという感覚があった。今はとても感じられない、東京でも大阪でも大都会にはもう冬ごもりはないのである。

冬の暮(津波の跡の枯野の短歌十首) (三年目でも不思議な光景はつづいている)

 

冬の暮(津波の跡の枯野の短歌十首)

(三年目でも不思議な光景はつづいている)

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ノスリが飛んでいる

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クリックすると鮮明に見えます

冬の海鴎一羽の飛び行くや一本なほも残る松かな
一本の津波に残るその松の冬の海行く船一艘見ゆ
津波跡枯野となりて船一艘沖行く見ゆる冬のくれかな
寒々と雲浮き連ね冬の海枯野淋しく暮れにけるかな
数本の樹のなお残り津波跡誰か住みしや冬の日暮れぬ
ノスリ飛ぶ冬の夕空一本の松も露に残る影かな
津波より三年過ぎむなほ残る家の跡しも枯野となりぬ
葦原の枯れて沼地や陽の没りぬ右田の松原今はなしかも
海老の浜右田の浜烏浜枯野となりて昔にかえる
近くにも津波の被害語る人なお生々し冬のくれかな


津波の跡を見ているのはこれで三年目に入るけどその不思議さは変わりない、
こんな光景になっていること自体信じられないというか不思議そのものである。
津波の跡に残った樹を見ていると何か不思議である。
異次元の世界に来たような感覚になる。
この辺は何か写真でもまるでありえない風景が未だに撮れている。
これは別に写真をとる人が優れているのではない
その風景自体があまりにも普通でないから絵になっている
非日常的風景がまだつづいているのだ。
こういう風景は日本にはある。北海道はこんな風景が今でもある。
だから全くありえない風景ではない、でも津波の跡の風景はまた違っているのだ。

これって何なのだろうと不思議さが消えないのである。
何か幻想画のようにも見える。
こんなこと言っているとまた被害者にしかられることになる。
お前は犠牲者をどうみているんだとか言われる。
でもなんか不思議さが消えない風景なのだ。


まだあの津波に残った一本の松は残っている。そして冬の夕空にノスリが飛んでいる。
ノスリはここに住み着いた。それだけ餌になるノネズミが増えた。
でも人間の目ではまるでノネズミは見えないのである。
でも確かにここに住み着いているのだから餌があるから住み着いている。

こうした不思議な風景が普通の状態になるのはいつになるのか?
この辺では元の自然にもどったのだからそれを見ていれば別に戦争の焼け野原とは違っている。
街自体が津波で消滅したところはこれより凄まじいものとなっているだろう。
ここだって実際は海老でも烏浜でも何百人の人が住んでいた。
それが根こそぎ失われた。

そして復興住宅建築がかなり進んでいる。地元でも津波の被害者でも新しく家を建てた人は少ない、
ほとんどは復興住宅に入るのだろう。それだけの余裕がある人は少ないとなる。
この辺の変化はなかなか収まらない、その傷痕はあまりにも大きかったのである。

こういう写真は地元の人しか撮れないだろう。写真は撮り方によってかなり違って見えるからだ。
その土地に住んでいればいろいろな角度から季節でもとりやすいのである。

今までは別に変わってものとして写真にもとらなかった。
今はやはり何か以前として不思議な光景だから絵になっている。
まずこれだけの津波被害を経験することは何百年に一回だとなる。
そんな時にめぐりあわせたのも不思議なことだし被害にあった人たちにしてみれば
何でこんな不孝に会わなければならないかと嘆いているだろう。
その心境は被害にあった人たちにしかわからないのである。
その落差は地元でも大きいのである。

 

2014年01月13日

枯芒(野に咲く花と活ける花の相違)


枯芒(野に咲く花と活ける花の相違)


枯芒風に鳴るかな生きにけり

冬芒夕日のさして田舎暮る
凍みし土踏みて通るや田舎かな
野良猫の我が庭にきて日なたぼこ


華道家と作庭家との決定的な差異は、植物を単なる物と見なすか生き物と見なすかにある根とつながっていない草木は千代紙や毛糸と何ら変わりはなく、
http://kokoroniseiun.seesaa.net/


丸山健二の文を「心の青雲」のプログで度々とりあげている。生け花がどうして生れたか?華道がどうしして生れたか?それはそれなりに日本人が長い間の自然感が反映されたものだろう。仏教とも関係して華道も作られてきた。だから華道でも茶の湯でもそういう伝統は日本の自然と深くかかわって作られていたからいちがいにこうした伝統を否定はできない。ただそうしたものが家元制度とかいろいろ今では利権となって本来の意味がわからなくなる。伝統は必ず時代にそぐわないものがでてくる。
現代では花が外国からも入ってくるから多様であり生け花というよりはフラワーアレンジメントになる。正月の飾りとして近くの花屋が作ったようなものになる。
それが現代的なものとして芸術化していたのである。


もともと花でも植物でも何でも自然にこそ映えるのであり自然から離れたらその本来の美はそこなわれるのはどうしようもないのである。
作庭家にしても庭作りには石の配置などがすでに決められていて作られている。
だから漠然と石を置くわけではない、ただ作庭は土作りとか肥料も考えるとか野菜や米を作るような感覚になるのだ。生け花はただ花だけを取り出して飾るから本当の自然を知るというわけにはいかない。自然の一部を切り取る作業になるから根とつながっていないとなることは確かである。花そのものでも花だけが自然に咲いているのではない、自然という全体の中に花も生きている。だから花だけをとりごして壺に活けることは自然を切りとる作業なのである。ただそれも人間的に自然を活かすということであるからいちがいに否定はできない。


不思議なのは利休の茶の湯がなぜ堺という当時は世界と貿易していた都会で生れたのか?
そのことがわからない、


東山当時の茶の湯は(あばら家のような茶室ではなく)端正な書院造の部屋で中国の美術品をたくさん並べて鑑賞する美術鑑賞の場だった
http://musubu.sblo.jp/article/8976513.html

それから鎌倉時代に禅宗を基にして茶の湯が広まった。利休がわびさびの茶の湯の道を発明したわけではない、すでに禅宗から発しているから中国にも発していたのである。


華道になると壺も重要である。茶碗も大事でありだから陶芸が盛んにならないと茶の湯の道も盛んにならない。つまり文化は伝統は奥深いものでありまず華道や茶の湯は嫌いだという時、その伝統を深く今の人は知らないのである。自分も全く華道も茶の湯も知らない、第一めんどうだから茶にしてもただ安い茶碗を買って茶の湯のまねごとをしているだけである。華道についても全く知らない、でももともと伝統的なものには現代では忘れられたものが宿っている。だから日本の伝統的なものがこれから見直され国風文化の時代が来ているのである。


まず日本の文化自体が日頃身近に接することができないから余計に何か博物館に収納されているようなものとして見ている。能でも歌舞伎でも日本の文化は日本人の生活とかけ離れたものとなって保存の対象になっている。それは何か時代にそぐわないものとなり家元制度で利権として保存されているような感覚になるのだ。


枯芒が風が吹いて鳴った。その時枯芒も死んでいるのではない、生きていると思った。
風に反応して鳴るということが生きていることである。そういうことが華道にはない。
田舎でもほとんど舗装されているから土の道がなくなっている。
でも土の道だと凍みるのである。霜もたつのである。その土の道を踏む時、自然を感じるのである。
だから都会だとほとんど自然から遊離した人工空間で生きているのである。


話は変わるが最近、野良猫がくる。餌をやったからくる。その猫はもともと飼い猫だった。だから最初は人なつこくよってきた。でも野良猫になり野生に帰った。だから餌をやっても近寄らない、なつかなくなった。一目散に逃げることもあった。人間に追われるようになったからそんなふうに人になつかなくなった。こうなった野良猫は簡単に人になつかない、警戒心をもちなつかない。ただ餌が欲しい時、何か甘えるような声で鳴くのである。それはやはり一度人間に飼われた猫はなかなか元の野生の猫にはもどれないのである。

華道でも同じであり花は自然で本来映えるものだが花瓶に挿す花は人間化された花である。でも自然も結局、人間化されたとき自然は活きてくる。山に名前つけたり何でも人間化されているのが自然であり火星とかの山でも名前をつけると人間化する。でなければ全く人間とかかわらないから荒寥としたものとなりそれは活きたものとはならないのである。アダムがエデンの園で植物でも花でも名付けることが仕事だったのである。

それは自然を人間化することだった。庭にしても全く野生的なものとは違う。そこに庭にある石まで人間化されているのだ。だから津波で流された庭の石が残っているのも不思議だった。意志でも人間の情が移っているということもある。全く自然の石とは違っていた。自然の石でも境の石とか人間化されていて活きているから自然も人間によって意味づけられて価値を帯びているのである。

森林資源(入会権)をめぐる争いと原発事故は重なる (エネルギーが文明の基だったことは変わりなかった)


森林資源(入会権)をめぐる争いと原発事故は重なる

(エネルギーが文明の基だったことは変わりなかった)

●歴史でもカルマは繰り返される


人間の今を考える時、必ず過去をふりかえる必要がある。なぜなら今は過去の延長として今があるからだ。今の状態が突然生れたのではない。過去の積み重ねで生れたのが今である。その今を知ろうとした時、歴史をふりかえらなければわからない、歴史は千年とかの長さが単位となる。人間がカルマを繰り返すという時、カルマとは業でありこれは個々人の人生でもカルマを繰り返している。親の人生と子の人生が同じになっている人が丹念に調べれば統計をとれば良く聞いてみればそうなっていることが多いということがある。
それはだから特殊な一個人の問題でないからカルマは個々人の人生にとって大きな課題となる。カルマ解消しないとカルマは何代もつづき災いは消えないともはなる。

その人間の業を考える時、それは人類の発生当時からはじまっていた。原発事故でもプロメテウスが火を盗んで過酷な最大の罰を受けた。これも原発事故とにていた。原子力とは核戦争で人類が滅びると盛んに言われた。ただ平和利用はいいから推進されてきた。
実際はそうではなかった。鉄の利用も危険だとローマ時代に制限された。鉄になるとやはり武器でも殺傷能力が格段に高くなるからその危険を感じたからそうなった。
鉄でさえそうであり原発ならさらにそうだった。ただそうした危険なものを感知すく能力が衰えてきた。科学というのは原子力だろううが何だろうが人類に貢献するものとしていいものとして肯定されてきたのである。


●森林資源の争いで境界が生れた


人間の業という時、カルマという時、すでに同じようなことが歴史であった。
なぜ丸森の森をめぐって相馬藩の玉野でも大規模な森林資源をめぐっての争いがあったのか?そこには米沢藩と伊達藩と相馬藩が三つ巴の争いとなった。それから飯館の飯樋でもあった。そのことはプログでも書いた。そこはちょうど相馬藩と伊達藩の境だった。
飯樋ではもともと小規模な村と村の入会権の争いのようなものであった。なぜならその有力者同士が親族でありその親族の一方に相馬藩が合力したからである。そして伊達藩と相馬藩の境が形成された。この入会権は近江の方でやはり森林資源をめぐって村同士が互いに合力して大きな戦争に発展した。戦争の原因が大名同士ではなく村の森林資源の入会権からはじまっていたのだ。

このことは今と関係ないようだが深い関係があった。なぜなら森林資源は今の石油や原子力にも相当していたのだ。木は燃料として不可欠であり器も木で作っていたし家も木で作っていたから木なくして生活は成り立たない時代だったのである。その後も木は炭を作るものだから木なくしてそもそも生活が成り立たない、鉄を作るのにも大量の木を必要としていた。なぜなら炭を利用していたからそうなった。そしてこの辺でも森がかなり破壊されて自然が破壊された。だから原発事故で自然が破壊されたというとき、すでに古代にさえ同じことが起きていたともいえる。それだけ木は大事なものだったのである。

例えは燃料がなければ薪がなければ食料があっても食べることができない、煮炊きしなければ米でも何でも食べることができない、冬の寒さもしのぐことができない、それは震災で津波で一時電気もストップしたとき、裏山の水をくみ薪を燃料にして米を炊いていた三陸の人々がいた。それは昔の生活にもどらざるをえなかったのである。つまり木はそれほど昔は大事なものだった。
それが今は忘れ去られていたのである。日本の森が多く木がふんだんにあっても外国から輸入して利用もしないからそうなった。だから森や木の価値がわからなくなっていたのである。


●プロメテウスの神話は原発事故を予言していた


この森林資源の争いは石油の争いともにている。石油がなければ現代の生活は成り立たない、石油が電気を作りあらゆる日用品も作っている。それは木の資源と同じなのである。だからこそ石油をめぐって戦争までに世界でなることは同じことなのである。
つまり一地域の歴史でも世界的なものグローバルなものとしてとらえることができる。
紛争の根は一地域だろうが世界的だろうが同じだという人間の普遍的真理にまでいたる。つまり人間の業は世界的にも同じカルマ(業)をもっているからそうなる。つまり石油がなければ現代文明は崩壊する。電気が作られなければ現代の文明は崩壊する。エネルギーというのがそれだけ人間にとって命よりも大事なものとなっている。車でさえガソリンがなければ動かない、それで一時ガソリンがこの辺では入らなくなり長蛇の列ができた。車があってもガソリンがなければ文明は機能しなくなる。
石油を得るのは中東であり危険地帯だから原発にも頼るようになった。それは今も昔もエネルギーが人間の生活の基であり命になっていたからである。

電気がどうして作られるか、基本的には石炭であれ石油であれ燃やすことである。だから木を燃やすこととさほど変わらないともなる。ただ原発は違っていた。それは非常に危険なものだった。そのことは実際科学者は知っていたが目をつぶっていたのである。
結局人間の業としてカルマとして原発事故も起こった。一旦電気という便利なものを手に入れたら手放せない、薪の時代に炭の時代にもどることはできない、電気はあまりにも便利なものでありこれなしではもう生活できなくなっている。
でも子供時代は炭の炬燵であり裸電球で風が入ってくるトタン屋根の家で寒い寒いと寝ていた記憶がある。その頃、電気製品はないのだから湯たんぽなどは使っていてもその他の暖房はしていない、農家では一日中囲炉裏で薪をくべていたという。その囲炉裏の側で暖をとって寝ていたのである。これほど電気が普及したのは50年くらいであり人類史にすれば短い、でもこの50年で人類史では何万倍ものエネルギーを消費しているのだ。

マヤ文明は太陽の光が弱まるという恐怖のために人身御供して祈った。太陽がエネルギーの基だと信じていたからである。そしてその恐怖のために神殿を森に残して滅びた。
何か原発はその神殿とにていて回りに人が住めなくなり元の自然にもどる、森林におおわれて神殿が放置される。それも原発はにている。だから人間の歴史はカルマの繰り返しだとなる。それは個々人の人生でもそうであり延々とカルマの繰り返しになる。
プロメテウスの神話はすでにそういうことを予言していたのである。
神話なんか現代の生活に関係ないものだと思っていたがプロメテウスが火を盗んで過酷な罰を受けたのと同じ結果でにてないか?ストロンチウムの毒が一万年たたないと消えないという空恐ろしいことがこの辺で起きたのである。
だから原発事故周辺は神話が現実になった黙示録的なものも現実化している。
フクシマの惨状が人類の未来を暗示しているともなるのである。

 
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