2013年12月31日

年の暮(我が常なる道)


年の暮(我が常なる道)

我が家に他人の家具や年の暮
年の暮他人の重荷我も背負う

幸うすき母にし尽くす我なりき食事与えれば笑い喜ぶ

よしこなる墓のあわれや人知らず埋もれけるかな今年も暮れむ
我が墓の前を通りて葉牡丹の四五輪咲きし常の道かな
何語る天保の碑忘れたる日々通る墓地年も暮れなむ
小さなる畑耕す女のあり我は知るかな冬の日暮れぬ
我が庭の風雨に耐えし松一本切りて残る根冬のくれかな
我が兄の別れて墓や原町に思う人なき年の暮かな
五年を我が家にありし兄なれど兄にしありと今年も暮れぬ
苦労して買いにしものと我が家にありし茶箪笥亡き妻語りぬ
人はみな他人の重荷背負うもの背負わされるもの年も暮れなむ


母は百才まで生きるのかもしれない、食事は朝は餅一つくらいで昼はおにぎり一つとあとは間食で菓子類を少々食べている。夜は卵をゆでて梅干し一つで食べるくらいである。
そんなで生きられるものかと不思議である。もともと梅干し一つくらいの食事だったのだから貧しかったから今もそれほど変わりないといえば変わりない、それにしてもこんなに小食人間は生きられるものだろうか?

母がやせていて体力はなかった。でもこつこつと働く律義な性格である。働くというより働かせられたというのが現実である。母を見ていると生きるのもこつこつと勤勉に生きている感じなのだ。食べるにしても真面目にこつこつと食べる。勤めのように食べているのだ。そういう性格だから長生きしているのかもしれない、長生きする人とはあういうタイプなおだろうか?決して無理はしない、こつこつと仕事をしてこつこつと食べて勤めのように生きている。学校で休まないで賞をもらったというのが自慢である。
本当に休まず80頃まで働いていたしその後をも家事をこつこつとしていたのである。
でもこういう人と一緒にいるのは嫌になるだろう。何の趣味もない、ただ蟻のように働くだけか趣味である。あとは一切関心しない、花にも何にも関心がない、守銭奴のようにもなっていた。そういう生を強いられたともいえる。

まあ、寝ているから一緒にいても別に気にかからない、でも一緒にいることは嫌になるだろう。

ただ自分は言わば複雑でも二人の母がいて一人は豪放磊落(ごうほうらいらく)な太った女性だった。その女性は死んでしまった。
死に方も急な死に方だった。認知症にもなったら無残な死だった。人の死に方は明らかに性格によって違ってくる。
豪放磊落(ごうほうらいらく)な人は死に方も何か極端なもの激しいものになり突然死んだりするのかもしれない、
一方やせた方はチビチビ細く長く生きる。
太った人は概して大胆であり太く短くになるかもしれない、自分の性格は母に酷似している。
ただ逆に自分の場合はこつこつ勤めるようなことは全くしなかった。
一生遊びだったともいえるからあまりにも違っていた。

自分には兄がいたとしても小さい時、五年間我が家に一緒にいただけである。
でも兄として覚えている。原町の母の実家の墓に埋まり交通事故で四〇歳で死んでいる。これも不思議な因縁だった。人間の運命は家系をたどったりすると本当に不思議になる。複雑な家庭の人は特にそうである。


ともかく今年は一回だけ仙台に行っただけであり毎日近くの道を行くだけだった。
よしこの墓というのは姉が認知症になったとき世話になったので自分の墓の隣に石に名前を刻んだものである。墓があってもその息子が名前を刻んでいないから名前を記して自分の墓のとなりにおいた。ただこれも誰もわからない墓である。
結局土盛るだけの墓とか墓も無縁化しているのが相当数ある。
でもあそこに天保の小さい記念碑がある。それは明らかに寺子屋があり手習いをした場所の記念だった。それは各地にありまちがいないだろう。


小さな畑を耕している女性を知っている。ネズミにジャガイモが食われたとかネズミの被害が多いのはこの辺が荒地になってしまったから広大の荒地がネズミの棲家に適するようになったらしい。それでノスリもすみついた。餌がノネズミなのだろう。
自然化するとノネズミなどがたちたち増える。するとそれを餌にするノスリなども増えてくる。他にもノネズミが増えれば餌になるから他の動物も増えるとなる。


今年はなぜか自分の家に他人の荷物が置かれた。茶箪笥も置かれた。そしてその茶箪笥に最近死んだ妻がついてきたような気がした。ものには思い出がありそこに愛着があり死んでも何かがついているのかもしれない、人間は死んでもモノはいつまでも残る。
だからゴミ屋敷があるけどなかなか思い出のものが捨てられないのである。

とにかく今年も終わった。今年もそれなりに違った年だった。ふりかえると姉が認知症になったのは二〇〇六年でありそれから二〇一三年になるから七年も過ぎたのだろうか?

その間は自分も病気になり苦しみの連続だった。
今年は身体障害者から元の健全な状態にもどったから楽な一年だった。
かなり元気も回復した。なんかまだまだやれるなという気分である。
ただ自転車に長く乗ると筋肉の痛みが激しいからなかなか長距離は辛い。
でもまた春になったら苦しくても遠くに行きたくなるのだ。

今年は縁を二つ切った。一つは簡単にきれたけどもう一つは今でも何か完全にきれたとはいえない。
でも人間はただ金だけを要求してくる吸血鬼のようになっている人がいる。
そういう人から逃れることは容易ではない、そんなことを漱石の小説にも書いていたらしい。何らか親戚に金のことで親戚に苦しめられていたのである。
金にまつわることは死ぬまで消えないだろう。地獄まで金に追われ金をめぐって人間はある。そうして死んだ親のことなどは忘れてしまっているのだ。

それでも不思議なのは還暦過ぎた辺りから親のことを思い出すふりかえるというのも不思議である。
自分の父親は丁稚奉公であり苦労した人である。
だから最後に病気になり「サシミ食えるようになっても食いたくない」と言って死んだ。サシミなどめったに食わなかった。生涯でどれだけ食ったのか?
それは数えるほどだったかもしれない、今の人は母でも食べることは食べた、だから食べることに関しては満足だろう。
父はまだ貧乏な時代に死んだのでうまいものが食べれなかったのである。
ただ鰻とか鮎は自分でとって食べていたからそとれがごちそうだったのである。


ともかく今年は終わりである。今年は七年間の苦労の連続から回復の一年だった。
来年はさらなる回復の年となってもらいたい。
病気から回復したことで気力もでてきた。
だから来年も自分自身に対して期待がもてるようになった。

路地裏の道


路次を曲がり
街中の墓所
よしこなる名の墓
埋もれて知らじ
天保の寺子屋跡の碑
忘れられしもの
枯菊あまた
葉牡丹の道
路地裏にさす日ざし
目立たざる日々の営み
復興住宅を建てる労務者
それのみは変わる
小さき畑を耕す土地の女性
今年もなにげなく暮れてゆく
その常なる路地裏の道

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では来年もプログをつづけますのでよろしくお願いします