2013年12月21日

年の暮(冬の暮)-南相馬市原町区泉への道(短歌十首)


年の暮(冬の暮)-南相馬市原町区泉への道(短歌十首)

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ここになお長くもあれな一葉松明日またあらむ今年も暮れぬ

泉長者謂われも古く久しかも枯れにし井戸や冬のくれかな
津波後延命地蔵残りけり我がたずねて冬のくれかな
甲子塔冬の日さして文久とここに根ずきし家の古しも
泉なる官衙跡の木簡に島□郷とあり冬のくれかな
萱(かい)浜にもとの萱原にもどりけり巣掛場の名冬のくれかな
みちのくの桜井古墳大なりきたずぬもまれや冬のくれかな
凍雲の流れざるかな津波跡枯野に残る樹のあわれかな
苦労のみ重なりしかも皺帯びてはや老いし女(ヒト)年のくれかな
患いのつづき疲れる空曇り雪のふりなむ山眠るべし


一葉松まで津波が来たけど塩分がしみこんでもあの松は枯れないのだろう。葉が緑になっているからだ。塩分でもやはりあそこは波が低いからそんなに塩分がしみこまなかったから枯れない、大きい波が来たら塩分が多くて枯れていた。そしたら大損失だった。

泉の道は辺りは泉官衙跡があるのだから古代からであり古い。そこに島□郷というのと白人という記された木簡が発見された。和名抄には出ていない郷名だったから何なのかその後研究が進んでなにかわかったのか?

津波原発のことでこの辺はいろいろ混乱してその騒擾が納まらない。

萱(かい)浜に巣掛場という地名があるときあそこはもともと萱原だった。その萱原にもどってしまった。だから越中の移民などが開拓する前は巣を掛けて鳥とか動物をとっていたのである。あそこにイタチが出てきたりしたから何か動物もとれたのである。
地名はたいがい田んぼになる前の自然状態を残しているから古いのである。


北泉への坂を上っておりて海の方にでるとそこは津波で壊滅してそこも枯野になってしまった。ただ延命地蔵が小高い所に残ったから貴重になった。あれも隠されるようにあって津波の前は知らなかった。津波の後に注目される神社がそちこち生れた。
神社は何であれ古いから価値がある。江戸時代から年号が重ねられている。
それは村の年輪であり根っこのように思えた。
そして津波で村が壊滅した時、その神社だけが残っていたのである。


ともかく今年もやはりいろいろあって患いがあった。親戚関係の縁を二つ切ったけどこれもなかなか大変なことだった。最近プロバイダーを二回変えた、一回は安くなるとして変えたが解約すること二三カ月かかりめんどうである。
今度は最初NTTの・・・とかという会社ですと言ってきて電話一本で解約できすますと言ってきた。それが実際は二三カ月できないし解約金も払わされるから失敗した。
別に安くもなっていなかった。ただNTTの子会社であり新しいサービスがあるのかと思いまた変えてしまった。前に遠隔操作で簡単にできたからそのことを知っていて変えた。

それが失敗だった。nttというのは嘘だった。電話一本で解約できるのも嘘だった。
だまされたことはだまされたとなる。結局そういう手で会員を増やしているという。
TOPPAとかいう会社だけどはじめて聞く名だった。
プロバイダーはどれでもサービスが変わらないから調べていない、ただつなぐだけなのである。でもあまりにも簡単に変えられることが問題だったのである。
遠隔操作で二三分で変えられることが問題だったのである。
でも解約することはめんどうなのである。


人間でも結婚することは比較的楽かもしれない、でも離婚することは相当にめんどうになるし縁を切ることも命懸けになることがある。結婚も契約の一種であり契約を簡単には破棄できないのである。その苦労ばかりして十年もふけてしまった女性は離婚を二回している。でも性格はいいから助けてやった。
結婚することは明らかにリスクであり責任をもたされる。それは離婚するときわかるのだ。結婚した人は必ず互いに責任を負わされる。でも離婚する時必ず他人をまきこみ他人にめいわくかけるのだ。そういうことを二回経験している。
だから簡単に結婚するなともいいたい。そんなに離婚ばかりしているのなら結婚するなともいいたい。なぜなら必ず他者に迷惑をかけるからだ。そして離婚した人は貧乏な人が多い。夫婦で協力しないから貧乏になる。事業でも夫婦仲が悪いと成功しないというのもわかる。だから貧乏も宿命ではなくその人の責任はそれなりにある。


ともかく今年も患いがありもう山眠るであり患いなく眠りたいとなる。それが幸いである。この世の中から患いを消えることはない,どんなに豊かになろうがそうでありその豊かさ故に患いもふえる。この辺の原発事故周辺は豊かさを原発に求めてこれだけの災難を呼び込んだのである。

そろそろ今年も終わりだ、今年は病気が直ったので楽だった。あのまま身体障害者になっていたら自分はどんなことしたって悲惨だった。今年は余裕があった。
確かに縁切ることで苦しかったが今は楽になった。
自分の所に来たのは助ける人ではない地獄の死者だった。
金もの亡者であり「金くれ、金くれ・・・」これしかない、その女性はそもそも金の管理ができない、いくら金があってもすぐに使ってしまうのである。そんな人にいくら金をやっても無駄である。そんな人とつきあっていたら地獄である。
地獄の使者に責め続けられることになる。
遠い所だから縁をきりやすかったのである。


一葉松のいい写真-近くで下からとっていたから違っていた
http://hitozato-kyoboku.com/izumi-matsu.htm