2013年12月18日

冬の暮(金沢-北泉の延命地蔵)


冬の暮(金沢-北泉の延命地蔵)


北泉に時代を残す碑の残る延命地蔵や冬のくれかな

一本の樅の木ありて北泉に延命地蔵や冬のくれかな
北泉に人の住まじも冬の暮延命地蔵の残り荒れにき
幹太く大地に根づく一葉松津波も来たり年も暮れなむ


延命地蔵があったのは金沢ではない、泉地区でありその中の北泉地区だった。山の向こう側は金沢になるのか、金沢は広い地域である。ただあそこは泉長者などの伝説があるからもともと泉地区の延長上にあった。
ただ金沢地区は元禄頃から開拓が始められていたから八沢浦などより古いのだ。
だからこそ北泉に「延命地蔵」があった。
そこに江戸時代の年号が時代ごとに刻まれているから古い。

津波の後にも残ったから不思議に思う。津波の後に残ったものとして海老村では壊滅したが高台の墓地だけが残った不思議がある。墓地は明治以降で古いとは言えない。

江戸時代からのものがあれば歴史的価値が何でもある。
墓でも江戸時代のものがあるとここは古いなと思い注目する。

津波の前はあそこは知らなかった。津波の後に注目するようになったものがある。
あそこの延命地蔵でも江戸時代からあるものはやはり村の中心的なものとしてあった。
それがまるで木の根っこのように残ったのである。
一つの歴史を伝える重みあるものとして残った。

そういうことは他でも津波の被害にあった所でもいろいろあるだろう。
社は村の中で果たした役割があり人々の願いがこめちられていた。
病気になれば祈っていたし延命したいとなり延命地蔵が残ったのである。

だから代々つづいたそうした歴史が失われることは生の根っこが奪われるということにもなりかねない。

ただそれはあくまでも歴史的遺産であり信仰とはまた違う。
でも古いものには何でもそれだけの価値がある。
そこには代々積み重ねられた人間の生活がありその昔をふりかえることで今日の意味も見えてくる。
そういう生の連続が津波や原発事故で避難して住めなくなると断たれることになる。
それが何を意味しているのか?

歴史的アイディンティティが失われて根っこが生の根っこが失われるということにもなる。
ただあの辺の歴史がどうなっているのかわかりにくい、なぜあそこに住んだのか?
山を越えた所には開拓してそれなりの耕地があるがあそこは狭くてない、港もあった記録もないだろう。だからどういうふうな村の暮らしがあったのかわかりにくい。
ただあそこには家がそれなりに集中していて津波で壊滅してしまったのである。

 

津浪で見直された南相馬市金沢-北泉地区の延命地蔵尊
(延命地蔵は庶民の願いが特にこめられていた)

http://musubu2.sblo.jp/article/69055648.html