2013年12月16日

南相馬市市長選挙候補-渡辺一成の政策の分析 (シルバータウン特区になることはいいこなのか?)


南相馬市市長選挙候補-渡辺一成の政策の分析

(シルバータウン特区になることはいいことなのか?)


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人口が減っているということか最大の問題だからそれを全面に出した。
7000人減って子供と若い人が主に減っているから痛手である。

その中で注目したものをとりあげた。

特区制度とは土地を自由に利用して制限を解いて新しいものを作り出してゆく、
それ以外にも特区制度は必要である。その特区が何になるのか
この辺はすでに今までの延長としてあるのではなく新たな志向が必要になっている

特区という時、「シルバータウン特区」も一つの現代的特区になる。
高齢化社会のモデルタウンを目指す、介護付き老人ホームの開設で首都圏の高齢者を呼ぶシルバータウン作りを推進する

そして一番自分が注目したのは


独居老人、高齢者所帯が共同で生活する仕組み作り


これだった。なぜなら自分が高齢化に向かっていて家族もなく身寄りもないから一番関心をもったのである。
現実に近くでも妻に死なれたとかいろいろな事情で一人暮らしが増えている。
今は大家族で住めない時代である。
家の中におじいちゃん、おばあちゃんとして住める人は少ない、そういう住環境ももてない人もいる。そして嫁と姑は一緒に暮らさないのが普通の感覚になっている。

この辺で原発事故やら津波で仮設に住んで家族がばらはらになったとき
かえって姑と離れて住めるからいいという人がいたことでもわかる。
すでに家族がばらばらになっているからそうなったのである。

妻をなくした人は大きな家に一人で住んでいる。そこにやはり一人暮らしの女性が出入りして家事など教えている。小さな畑で野菜も作っている。その人たちは夫婦でばないけど共同生活をしている。助け合って生活している。
一人暮らし独居老人が増えてくるとそうした友達的につきあい助け合うということもありうる。それを制度化するというのはいいことである。

ただこの政策を実行するにはいろいろなむずかしい問題が生れる。
施設という箱ものだけを作ってもうまくいかない、すでに老人だからきいってみんなうまく友達で協同するということはない。
あいつとだけは嫌だという人は自分にもある。そういう嫌なやつが老人にも多いとなると人間の問題はそんな簡単なものではない。


すでにそれはいろいろと予測される。決してバラ色ではなく幻滅の都市、高齢者だけの活気なのない都市ともなりうる。ただ高齢化社会のモデルとして特区構想はそれなりに時代にあっている。
ただシルバータウンを嫌う人もいるだろう。街全体が老人ばかりになると老人自体も嫌になるということもあるだろう。実際は子供や若い人が増えた方が社会にとってはいいのである。活気もでてくるし子供自体が未来なのだから未来は自ずとそういう所から生れやすい。高齢化社会の未来というと介護ばかりになったらそれは未来とは言えない。

ただ政策にはシルバータウンの構想を全面に出しているし現実この辺は若い人が流出して高齢化が他の都市より早く進む、だから当然そうした対策が早急に望まれる。
それが日本全体の問題だという時、すでに東京などでは施設がたりなくなり地方に介護してくれる施設を探して地方に金を落とすことをしている。

都会の高齢化はまたその数が多いからまかないきれなくなる。土地を確保するだけでも大変になるからだ。
それでもまた東京から老人ばかり送り込まれくるのはいいかとなると必ずしもならないだろう。他から呼ばなくても地元の老人だけでも増える、さらに老人ばかり増やしてどうなるんだとなる。その世話をする人は誰なんだとなる。
若い人が流出しているのだからここに若い人が介護のために来るのかとなるとそうはならないだろう。果たして老人ばかりの都市に若い人が来るだろうかとなる。


火力発電所を誘致することはいいことだろう。雇用する数が千人単位であり波及効果もある。今でも相馬地方には二つの火力発電所かある。それが雇用を支えている。

ここでもう一つ政策として高齢者を東京から呼ぶとかシルバータウンの構想もいいとして問題が若い人が流出しているのだから若い人は流入するような街作りも必要である。
かつて災害があったとき、必ずしも都市が衰退するとは限らなかったという。
日本も戦争に負けて破壊尽くされてもなぜ戦後急速に復興したのか?
あれだけ破壊されても明治維新以来まだ日本には発展する余力があったからだ。
まだまだ経済成長する力があった。だから高度成長は戦後に本格的に起こりみんな豊かになったのである。

現代は少子高齢化とか産業も衰退しているとかいろいろな下降トレンドでありだからこのうようて大災害でも打撃が大きく立ち直れないということも言われる。
ただ宮城県はもともと経済が上昇していたから回復すると予測されている。
福島県の打撃は原発事故で大きいから困難になる。


こうした変革期にはやはり新しい発想とか新しいものを作り出すにはかえっていいしやりやすいのである。そのためには内部だけではできない、外部からの若い人たちの流入が必要になる。災害のあとはそういう人たちが入り安いといこともある。
それで復興したという例もある。相馬藩の場合は飢饉の時越中などの移民が流入したことで立ち直ったことでもわかる。

とにかく今回のように災害地域は存亡の危機になっている。その時、どうでもいいやとか何もできないと補償金で遊んでいればいいや明日のことはわからないというのでは困る。そういう人こそ街から出て行ってほしいとなってしまうだろう。
何らかに復興であれ再建であれ寄与するよう努力する。
そうしないものはここではもう生きていけない、必要ないとして外に出て行ってくれとなるかもしれない、それから補償金で生きるからそんな努力をする必要もないと衰退した精神的に荒れた地域となってゆくかもしれない、そういう所は大阪などにある。
もうほとんどが生活保護とかなっている。
そういうところでは人心も荒廃してまともな人は住まなくなる。外に出て行ってしまうだろう。


ではお前は何ができるんだとなるとき、自分でもともかく南相馬市であれ相馬藩であれ復興のために参画する、未来のビジョンを描くだけでも参画ししてみる。
市長になったつもりで全体の街の構想をねる。
「相馬郷土史研究」ではそうした下地を基礎となる歴史を研究した。
その上にまた新しい構想もありうる。
ただそれが何なのか?自分としてはこれから参画してそのビジョンを示す、未来はやはり
まだ自然があり自然を活かすことである。それは食料だけではない、自分が詩とかにしたように自然は放射能に汚染されても美的景観は失われていないのだ。
だから以前として俳句とか短歌にしたように詩にしたようにそういう自然はある。
その自然の美とともに生きることに喜びを感じ励まされるのである。
だから八沢浦が美しい入江にもどった書いた時、ひんしゅくをかったがやはり美しいものがこんな悲惨ななかにも生れたとということを否定できなかったのである。


津波の跡地などもどう利用するかも問題になるだろう。ただここでは人が多く死んでいるのだから供養の場になっているから遺族の気持もあり簡単にはできない。
時間がもっとすぎればまた別だがまだまだ遺族の気持は津波の跡にありそこに娯楽施設などは作りにくいのである。

とにかく実行できないにしろ何か新しい街の構想を描くということはできる。それができればやはりそれだけでも参画したことになりそれが現実化してゆくための基盤ともなりうるのである。ただ現実問題として例えは双葉の人などを心地よく受け入れる体制を整えるといっても若い人ならいいか高齢化で老人ばかり働かない人ばかり流入すとただ重荷になるだけだということもある。いわき市ではそういうことで問題が起きた。
政策では要点をまとめたもきでもこれらの実行には相当な困難がある。
具体的にも必ずしも見えていない、一つの案の段階にすぎないのである。

posted by 老鶯 at 20:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

30キロ圏外の最初の補償金は南相馬市の財政調整基金からだした (三人が立候補する市長選挙で市政が問われる)

 

30キロ圏外の最初の補償金は南相馬市の財政調整基金からだした


(三人が立候補する市長選挙で市政が問われる)

最初は30キロ圏外は義捐金もなかった。財政調整基金の中から8億6千万円を支出した。


南相馬からは新潟方面へ避難した。泉田新潟県知事から、「南相馬市民全員を受け入れる」という電話が入った。そのため急遽、避難計画をつくり、住民を避難させた。

原発事故の時、何が起きたかのみこめなかった。30キロ圏外は鹿島区は屋内退避地域であった。だから避難指示の20キロ圏内とは違っていた。原町区は避難指示だった。
でも介護している人などは避難しなかった。避難できなかったのだ。
小高区は警戒区域になり全員避難命令であり誰も住まなくなった。
原町区には以前として残った人が多かった。

鹿島区では体育館に集められて市の職員か説明したがよく聞き取れなかった。
なにかぼそぼそ言っていて要点がのみこめなかった。
何を言いたいのかもほからなかった。

ただその時、バスを出しますから避難して下さいということだった。
バスは限られていますからみんな避難できないです
だから早く避難する人にはバスで避難させます

そういうことだけが耳に入った。
ええ、これは緊急事態であり危険なのかとも思った。
そんなことを介護している母に言ったらふるえていた。
避難したら確実に死んでいた。
関連死が500人近く原町区では出ている。
原町区辺りはみんな無理して避難する必要がなかった。

でもあの時、爆発したり相当な緊張感があり
避難指示になるのもやむをえなかった。
爆発があれだけで収まるのかまだまだ事故が拡大するのか見えなかった。
原発についてはわからないから恐怖を感じたらきりがなくなる。
それで原発で人類滅亡だ、東北は終わりだとかみんな関西に避難しろとか
その後も一年に年後でも面白がってネットてはやしたてていたのである。


ともかく原発については放射能については皆目わからないから
恐怖を感じる人は今でも恐怖を感じる。
感じない人は感じないから地元でとれた野菜でも食べている。
その差もまた大きいのである。

結局3年目くらいになると冷静に過去を見れるようになる
南相馬市の市長が鹿島区の人に騒がれて一所帯百万の義援金を出した。
それは市の財政調整基金であり東電の金ではなかった。
東電が補償金を調整しはじめたのは二年後からくらいだった。

だから別に鹿島区も今は正式に補償金を見積もりしているようにもらえたのである。
原町区と同じにするなら一人70万を7カ月分もらえると正式に本賠償してきたのだから仮払いなどもらう必要なかった。
それより鹿島区では正式に本賠償で一人70万を原町区と同じように一年と二年とか延期してもちうように交渉した方が得だった。
この時もあわてる乞食はもらいが少ないとなっていたのだ。
ただその時は鹿島区の人は全然もらえないのだと自分でも思っていた。
だからそう感じた人も多かったから騒いだのである。
補償金についても実際はこんなにもらえると思っていなかった人たちも多かった。
国がかかわるとこんなに補償金がもらえるのだと正直みんな思っているだろう。


そして鹿島区からでも新潟に避難した人は待遇が本当に良かったと言っている。
新潟の人は親切だったと言っている。
温泉に行ったような気楽な気分だったのである。
ご馳走もされたし温泉にもひたれるから何の苦労もなかったと言っていた。
健康な人はそうだった。
新潟の人は情が厚いというたとがあったきかもしれない、だからあとでも新潟の人に好感をもって今度は世話になった人を招待している。


いづれにしす桜井市長が財政調整基金の中から8億6千万円を支出したということはやはり最初国や東電ではなく市の財政から出したということで批判されたのだ。
実際は国や東電がらあとでその分は補填された。
それは仮払い補償金だったのである。
そのことが何かまぎらわしく補償金を複雑にしたのである。

今でも桜井市長は義援金を市民に分配していないとか批判されている。
マスメデアとか何か講演とか目立つことばかりして肝心の市政はしていない、
だから批判が多い、来年の選挙では三人が立候補する。
前の渡辺市長も立候補する。もう一人は新人である。
その人は飯館村で議員していた人のなのだろうか?

もう桜井市長は当選するとは思えない、これだけ評判悪くしたのだからできない
ただ渡辺市長も利権だけに精を出したからと批判がある。
もう一人の新人はどうなのかというとわからない。

桜井市長は何か左寄りで理論家で実際の政治向きではなかったのかもしれない
どうしても民主党でも失敗したのは理論家であり理論と政治は違う。
学者肌の人だったのかもしれない、政治の世界はわからないにしろ何か政治にどろどろしたものがありきれいごとではすまない、そういうことを心得てないとのりきれない世界だろう。
学者は政治がどうあるべきかと考える人であり実際に政策を実行する人ではない、
自分も学者肌である。政治かどうあるべきたと考えても実際社会政治は矛盾の塊りなのである。
宗教でも何か愛とか慈悲とか言ってもそんなことは厳しい現実社会では通用しない
現実は弱肉強食の非情な世界たった。
だかちらつくづくわかった。
カルト宗教団体が創価でもそうした現実に根ざしているからそれだけ会員を増やしている。宗教の慈悲とかなんとか何の関係もない
ただ現実社会でいかに得するかそれを具体的に力でもって勝ち取ることなのである。
だから権力も現実に得る必要があるから権力をとるために選挙に精をだす


これは別に創価だけではない、カルト宗教団体はみんなそうである。
ヨーロッバではカトリックかそうして世俗化した。
世俗化の力か強いからどこでもそうなるのだ。
本当の宗教は自分の命すら犠牲にして尽くすことを説いている。
でも現実は他者を犠牲にさせてまでも自分たちの団体が利権を獲得して得することを目指している。
それが現実社会と宗教の理想があまりにもかけ離れていて現実社会に弱肉強食の世界にのみこまれるからそうなる。

共産主義でもソビエトが崩壊したのもそうした人間の醜い面が否定できなかった。
だから権力闘争となりソビエト連邦は崩壊したのである。

いづれにしろこのような困難な状態で市政をやるのは相当な実力がないとできない。
別に普通だったら誰もやっても同じだとなっていた。
今回はそうはいかない,市民が本当に困ってしまうからだ。
それは常に補償金や義援金問題でも直接市民個々人の問題となりひびいてくる。
だから有能な実行力ある市長を望むことなにる。
でも選ぶ人は限られているからこれも実現しないかせしれない

経営でも共同経営になると必ず他者に責任をおしつけるからうまくいかないという
民主主義では強力な指導者はでにくい。
民主主義がそもそも合議制であり共同経営である。
だから何でも国でも東電でも誰か責任をもつことはない、みんなが悪いんだ、最後はそういう空気だったとなって戦争も原因も責任も不明となっているのだ。
空気に責任が転嫁されているのが日本だったのである。

 

人生でも必ずツケを払わされる (原発事故も過去のツケを払わされている)

 

人生でも必ずツケを払わされる

(原発事故も過去のツケを払わされている)

つくづく人間はいつかは必ずツケを払わされる。そのツケとは個々に違うがツケとはむずかしく言えば人間の豪(カルマ)とか因果応報のことである。因果はめぐるとかなる。
親の因果が子に報いということもある。
生活保護などは一見楽でいいものだと現代では見られている。生活保護者は恵まれているとか批判される。それだけ現代が新しい貧乏の時代だからそうなった。
でも生活保護は実際はいろんな権利を失う。
例えば何らかで遺産がおりてもそれが一億とかならないとなかなか相続しにくいだろう。なぜなら生活保護は一生受ければ一億くらいになる。
だから一千万でもおりたとしても生活するのには5年くらいでたりなくなる。
だからかえって計算すると損になる。

そしてもしそれをわからないようにもらうとしても見つかったらそれまでもらった分を返還させられるしまた必ずそういうことは届けなければならないし遺産相続の裁判になったらその額がたとえ少なくても百万でも一時的に生活保護は停止になるのである。
だからすでに遺産相続の権利を失うとういこともある。
一億くらいもらえば別だけど計算すると損になる。
まあ、そんな遺産の目当てがないかち生活保護になっているのだけどそういう権利も失っているということに気付かない人もいる。
すでに10年以上も生活保護になっているのだからそういうことを知っていると思ったら知らないのである。だからなんらかあとで必ずツケが払わされる。


見栄から多額の借金した人も今になるとそのツケが払わされる。借金は具体的だからわかりふすい、借金は必ず返すことが要求されるという。例え借りた人に返さなくても他から厳しく取り立てられるというのも現実であった。借金した人はツケがますますふくらむことがある。借金に借金を重ねて首か回らなくなる。そして最後は破綻してしまうことになる。
これは健康でもそうなのだ。必ず酒であれタバコであれ何か健康に悪いことを重ねると60代以降必ず病気になる。60代で病気になるのはたいがい生活習慣病である。すべてではないにしろ確率的にはそうなる人が多い。何か健康に悪い習慣が積もり積もって体に蓄積されて病気になる。酒を多く飲み続ければ必ず肝臓など臓器が弱ってくるのである。
だから60代以降にそのツケが払わされるのである。


そういうツケがカルマが払わされるのが人生である。一見これは楽だなと思って生活しているとそれが後年に辛い人生が回ってくる。今は苦しいと思っていても耐えていると後で楽になったりする。だから今か苦しいからと絶望するのはまた性急なものとなる。
苦しみもそんなに長くはつづかない、ただ5年くらいつづくことはある。
そういう凶運は誰でも経験する。自分もちょうどプログをはじめてから家族が認知症になりその介護で苦しんだ。どうしてそんな病気になったのか?
これもその人の性格もあるがやはり何らかその人の業(カルマ)があってそのツケを払わされたかのかもしれない、公務員だったことと性格的に奢りがあった。ただ功罪がありいちがいにはいえない。公務員は今はうらやましがられているが認知症になる率が高いとするとそれも生活習慣病が原因になっているからである。公務員か恵まれている楽だというときそれがかえって後年悪いものとなっているともなる。


そして原発事故などもそうだった。原発かできるまでの経過をふりかかえればまずよく原子力のことを知らないで調べないで急いで導入したことである。そのことを湯川秀樹博士はその危険性を知っていたからもっと体制を整えて安全を計るようにしてやるべきだと忠告していたのである。でも政治家は急いでマーク1とかの古い原子炉を導入した。
そしてアメリカのいいなりになり一旦高くしていた土盛りを低くして原発を作った。
それは日本主導ではなくアメリカ主導になったのは結果的には急いだためなのである。
その後の原発はフクシマの第二原発は日本の技術も加えられてアメリカ一辺倒ではなかった。東北電力の女川原発も津波に備えて高くして助かった。

一番最初の原発が津波で破壊された。その原因は急ぎすぎたということである。

人間が急ぎすぎる、余裕がないということから常に事故や何か災いをまねくのが多すぎるのだ。待てないということから災いが起きてくるのである。
そしてそのツケが払わされる。必ずツケは払わされるのだ。
初期不良というのが必ずあり半年くちいすぎて新製品を買った方がいいというのは実際に使ってみたら不具合があったとか改良されるからである。
技術が熟成されないままに原発が導入されたことが事故の原因になっていたのである。
ただそうなるのは競争社会では新製品は一カ月手も早く出した方が売れるし他者に勝つということはある。でも原発は安全性が第一でありリスクが大きいのだから同じレベルでは考えるべきものではなかった。国家的事業であり失敗すれば国家がつぶれるというくらいの覚悟が必要だったのである。


「あかわてる乞食はもらいが少ない」とか最近いろいろ諺になるものがいかに人間の真理であるから思い知らされた。この諺というのは庶民が残したにしろ長い人間の歴史のなかで普遍的なものをもっているから現代でも生きているのだ。
「あわてると大損する」というのは真理である。

 急いては事を仕損じる

Haste makes waste.(慌てる無駄ができる)
The more haste the less speed.(急げば急ぐほど速度は落ちる)

英語でも同じだから人間に関してはどこでも共通なものが真理として残されている。それは長年の経験の積み重ねで生まれた言葉だから
重みをもっている。

自分に借金してきた人もそんなにあわてる必要はなかったのだかどうしても金が欲しいということもありこちらが弱っているときそこをついて多額の借金を要求してきた。
それ以来その人を信じられなくなった。なぜこんなに多額の金をやったのかとあとで反省した。そしてその人には何かもう頼めないと思うようになった。
なぜならそんなに多額の金を百万と要求されて断れないとななると何も頼めない、十万くらいならいいが百万を軽く要求されることは怖いことである。
これもあわてる乞食はもらいが少ないとういことなのだ。
もっとあわてないて金も要求しなければもっともらいたいかもしれないからだ。
ただ金に追われている人間はたいがいあわてる。一気に返そうとしたり何か一気に解決したくなるかちらかえってそういう人は借金を返せないというのもわかる。
しかし人間は余裕がないとしわてるし急ぐからかえって失敗する。


確かに技術競争は激しいから一刻一秒を争う社会でもある。でもそこに大きな落とし穴が待っていたのである。江戸時代のような農業中心の社会だと林業でもそうだが木か育つまで50年かかるとするとこれは相当に気が長い生活をしないとやっていけない。
一代てはすてに成り立たない職業になる。今は時間感覚が十倍速くらいになっている。
そういう時間感覚からどうしても大きな事故が起き安くなる。
それが致命的にな事故になったのが原発事故だったのである。
原発にはあまりコスト意識をもつべきではなかった。
ただそれがアメリカの指示だったとするとアメリカの責任も重いが追求されないなのだ。ただツケはカルマはアメリカにもいつか回ってくる。それは百年後か二百年後かはわからない、ヒロシマやナガサキはすでに大きなツケであり今回のフクシマの原発事故もそうだった。アメリカによって蹂躙された二度目の敗戦だったというのもそのためである。

posted by 老鶯 at 06:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連