2013年12月14日

年の暮(外部からの人が働いてくれた震災の被害地)


年の暮(外部からの人が働いてくれた震災の被害地)


故郷に外より来たり住む人に寒き夜かな月の曇れる

故郷に力をそそぐ外よりの人を思いぬ年のくれかな
震災は絆を作る外よりの人の働き今年も暮れぬ


孤立した生活が長く続くと、精神的にも、そして肉体的にも問題が出ることが多い。基地の医者にかかった患者は、このひと月で、のべ23名にもなった。捻挫や切り傷、腸炎、胃炎が目立つ。日本を出る前は徹底した健康診断でも問題がなかった隊員ばかりだったが、10月の血液検査では、肝機能障害、高脂血症、高尿酸血症といった異常者が半数近くに達した
http://shima3.fc2web.com/gyo9912.htm

ここに南極で働いたあわれな話のことがでている。そもそせ南極のことを関心をもった人はあまりいないだろう。一体そんなところで何をしているんだとなる。また何かそこに住んで研究して得るものがあるのかとなる。
でも世界中の科学者が南極に行っている。
それが何のためなのか?と考える関心をもつの人は実際はまれだろう。
もちろんそこで働く人はでは何のためにそんな苦労しているのかとも自問したとしても
ただ命令だから耐えている。
もちろんこういうことは宇宙に行く人にも言える。
その時問われているのはやはり何のためなのだろうとなる。
今すぐ南極に行って資源を得るわけでもない、宇宙で何か成果をあげられるものでもない、つまり石油をとりにゆくとか、原発でもそれが具体的に電気をエネルギーを生むとなると誰でもむずかしいことはわからなくてもそれが有用なものだと関心をもちその人たちを科学者を称賛して迎える。

人間はミッションをもち使命感をもち働くことはまれだろう。人間は自分が働いていてもそうした使命感などなかなか自覚できないだろう。
会社に勤めているのはそんな使命感ではない、ただ日々食べるためであり家族を養うためであり深いことは普通は考えない。
南相馬市の産科医がガンになってまで最後まで南相馬市で子供をうみ育てるたとが大事なんだととこれはミッションだと言って死んだ。
ただこうした産科医でも医者でもそんな高等なミッションを自覚して働いているわけではない。たまたまこの辺が原発事故で子供まで避難したことによりそういう異常な事態が生れた結果゛そううい意識が生れたのである。
別にこのような異常事態にならなくても医者看護師などは使命感を意識しやすいのである。
それでも仕事はきついから看護師は性格か悪いのが多いといわれる。
それはこの南極へ行った研究者でもそうである。より過酷な仕事は何らかの使命感がないとできないものになる。ただ高額な収入があるだけでは勤まらないたろう。
だから原発事故の時、決死隊が編成された時、大和魂が蘇ったとか称賛されたのである。もしかしたら死ぬかもしれない,しかし今日本国民のために命をかけてもやらねばならという意識をもたささたのである。
実際はそれほどの仕事とも思えなかった。これは外部から見ているから実際に仕事をする人になればまた違っていた。

ともかく死ぬほどの決意をするとなるとそれだけの使命感をもたないとできない。
だから戦争ではあれほど死んだのは何なのだろうとなる。
一人一人がそれたけの使命感をもっていたのかとなるとまた疑問である。

ただこの辺の原発事故やらで科学者とか外部から来て働く人に関心をもたされた。
インターネットの情報は意外なものとつながってしまう。
思いもよらないものとつながってしまう不思議がある。
こんなことはなかなか今までの雑誌であれ新聞であれテレビであれ本であれありえないのである。
新聞が出て、テレビがでて、インターネットが生まれ人間のつながり方も変わるという事かあった。悪い面では全然知らない人がネットでつながり犯罪を犯すようなことがあった。それもまたネットの負の面である。
だからといってインターネットがすべて悪いとは成らない、いい面も多くもたらしたのである。
普通はこの科学者に関心をもたない、科学者は関心をもっても専門外の人はあまり関心をもたない。ただこの辺ではいろいろなことに関心をもつことが強いられたのである。

南相馬市も相当に関心がもたれた。神社まで関心がもたれるということはなかった。他でも津波では関心がもたれた。原発事故周辺はさらに関心がもたれた。
相馬はせいぜい野馬追いくらいしか関心がもたれない。
それが原発事故で世界的関心の的になったのである。
それは悪い面でそうなのだが関心をもたれることはやはり内部の人の意識も変わる。
全国の人が見ている、関心をもっているからボランティアにも来る。
江戸時代だったらまず伊達藩でも隣でも助けようとする意識ももたない。
そういうつながりを感じない社会だった。
今は広域的につながっている時代である。
ただモノだけが来る時は人間はつながりをあまり感じない、人がこの地に直接来ると感じるのである。

今年ももう震災から二年半以上すぎて来年は三年目である。
だからまた状況も心境も変わってくる。
最初は仮設に関心をもったが今ではほとんともたない、今はなぜいつまでいるのだろうかとなる。働かないから余計にそうなる。
仮設暮らしの人とはなかなか交流がもてないのである。
いづれにしろいろいろあったが「絆」ということを自覚させられたことは確かである。

今日は寒く月が曇っていた。外部から来た人が多いからその人たちの犯罪もあった。
これもいい面ばかりではない、外部の人、よそ者は何者かまたわからないということがあるからだ。

月が曇るようにわからないのである。だからよそ者はすぐには信用できないのが普通である。
それでもこの辺でも工事関係者でも調査研究者も住んでいる。それも結構長いのである。
旅行すると旅の宿とは違う、やはり同じ土地に住んでいれば思いが深まるということはある。