2013年12月13日

アメリカのGEの設計でフクシマ原発は津波対策をしなかった (土盛りを一旦高くしたのを削り低くしたのはアメリカの指示だった)


アメリカのGEの設計でフクシマ原発は津波対策をしなかった


(土盛りを一旦高くしたのを削り低くしたのはアメリカの指示だった)

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小沢も自民党の原発推進者でありそれが民主党にもちこまれた。
渡辺恒三もそうだった。つまり自民党から原発推進者が民主党に入り
同じ政策になったのである。


当時第五福竜丸の被爆などで高まりつつあった反米、反原子力の世論の懐柔に奔走した。こうして正力は初代の原子力委員会委員長、同じく初代の科学技術庁長官の座を手にし、権力の階段を着実に登り始めたかに見えた。
爆心から160キロメートル付近を航行していたマグロ漁船「第五福竜丸」に、水爆がまき散らした“死の灰”が降り注ぎます。乗組員23人全員が被ばく。無線長の久保山愛吉さんは半年後の9月23日に死亡しました。
初代原子力委員長に就任した正力松太郎氏は56年1月4日、「5年後に原発建設、米国と動力協定の締結」構想を発表しました。14日には米原子力委員会のストローズ委員長が「正力構想」に対する異例の「歓迎」声明を出しました。56年末には原子力協定見直し作業が始まります。
 これに抗議して原子力委員を辞任したのが、日本人初のノーベル賞受賞者の物理学者・湯川秀樹氏でした。湯川氏は辞任直前、こう訴えました。「動力協定や動力炉導入に関して何等かの決断をするということは、わが国の原子力開発の将来に対して長期に亘って重大な影響を及ぼすに違いないのであるから、慎重な上にも慎重でなければならない」(『原子力委員会月報』57年1月号)
米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版=3月15日付)によれば、福島第1原発など日本に9基ある「マーク1」型について、米原子力委員会は72年、原子炉の格納容器が小さいことを問題視。水素がたまって爆発した場合、格納容器が損傷しやすいとして「使用を停止すべきだ」と指摘していたのです。

 この警告どおり、福島第1で1号機の格納容器が損傷しました。
http://www.jcp.or.jp/akahata/html/senden/2011_genpatsu/index.html



ビキニの核実験は当時ではビッグニュースであり原子力の恐怖を植えつけた事件だった。それで共産党員だった親戚の人がそのことをよく言っていた。自分は共産党ととはかかわらなかった。富岡に住んでそこで死んだから富岡というと原発事故の警戒区域になったからあの世でどう思っているのか?
共産党は別に原発に反対ではなかった。ただ安全を計ることを要求していた。
それに政府と東電は答えなかった。

やはり政治家の発言ではない、湯川秀樹博士の発言は今になると重いものとなっていた。原子力について原子核の研究の専門家なのだから一家言をもつのは当然だった。
政治家は原子力については自分と同じレベルの素人でありその危険性を知らなかったのである。何でもそうだけど人間にとって知らないということがいかに致命的になるか?

それは津波でも思いしらされた。あんな危険な海岸に接して住んでいたのかということが問われた。400年津波が来なかったのだから何の危機感もなくなっていた。
スマトラであれだけの大きな津波が起きた時、日本では津波の被害あった地域でも津波を知らないからだ、避難誘導しなかったからだとか盛んに言われた。
その津波の国、日本でも津波に対する危機感が不足していたのである。

湯川秀樹博士は原子力の核の危険性を知っているからもっと慎重であるべきだというのは科学者の良心がそう言わせたのである。それだけ知っているからこそそう言うことができた。正力であれ中曽根であれ田中であれ小沢であれ政治家は自分もそうだけど原発の危険性を知らないのである。放射能のことだって知らない、人間は何か知っているものと知らないものの差が大きいのである。無知であることが重大な事故にもつながる。
病気でも病気について知らないことが手遅れになったり死につながる。
原発については素人には知り得ないものだからこそ科学者も重要な責任が生れていたのである。湯川秀樹博士はまだまだ原子力については知らないと知っているからこそまたわかっていないもの、危険なものと警告していた。


結局何が過ちの原因かというと政治的圧力で急ぎすぎたということがある。そして一番の自分の疑問は



なぜ一度高くして土盛りして原発を建てたのにわざわざけずりとって低くしたのか?


これはアメリカが設計したからその設計図を基にして低くした方が経費の節約になると
指示されて低くした



ここにアメリカがかかわりその設計して指示していた。するとアメリカの責任も大きいとなる。マーク1というのは危険なものだということもアメリカの技術者によって指摘されていた。それをあえて使用した結果、事故が起きた。
これも日本がアメリカの敗戦国となった結果、アメリカの指導に従うということになり逆らえない国になっていたためである。アメリカの圧力の下に日本の政治も誘導されていた。ただ日本が敗戦国でもすべてがアメリカの言う通りになることが政治とはならない。
それなりに拒否はできたが積極的にアメリカの下に原発推進になった。


アメリカとの因縁は江戸時代の開国の時の黒船に始まっていた。その時クジラの油をとるために港を使わせることを要求していた。


19世紀前半、アメリカは世界最大の捕鯨国でした。当時、灯油として使用するための鯨油の人気が高く、鯨の需要が増加しました。その他にも鯨油は用途が広く、石鹸、ローソク、潤滑油などにも使われるほか、当時流行った女性のフープスカートを膨らます輪(フープ)に鯨のひげが向いているとされ、大量の捕鯨が続いていました。大西洋では乱獲のため鯨の数が激減したため、アメリカは北太平洋に進出してきました。そして、日本近海で操業するアメリカの捕鯨船乗組員の安全確保、食料や燃料の補給地を日本に求めたのです。


これもエネルギー問題でもあった。アメリカの圧力で日本は鎖国から開国に向かって行った。ただこの時やはり無理をした。その弊害は太平洋戦争まで継続していた。富国強兵一辺倒となり日清戦争や日露戦争がありこれは勝ったようでも日本にそんなに利はなかった。日本はロシアとかアメリカとかヨーロパに伍するために相当無理をしたのである。
身の程知らずということがあった。日本というのは今でも中国とかロシアとかアメリカとか大国に囲まれてそういう地政的位置にあるのば変わりないのである。


今回の原発事故もそうしたアメリカの圧力の延長上に起きた事故ともいえる。だから第二の敗戦とも言われる。日本独自の道を進まずアメリカに踊らされているということがある。それが原発の設計図がアメリカが作っていた。その設計図、シナリオはアメリカが描いていた。日本ではその通りに原発を作った。
だからわざわざ土盛りして高くしたのに低くしろと命じたのはアメリカだったともなる。アメリカでは津波のことなど想定していない、コストの面でそう指示したのである。
そしたらアメリカの責任も大きいとなる。ただそうしたアメリカの責任は問われない、
日本は以前として敗戦国でありこれは第二の敗戦というとき、第二のヒロシマ、ナガサキともにている。


それからなぜ地元では原発推進になったのか、なぜ反対されないのかとか聞かれた。
それは非常に狭い範囲で決められていたのが原発だった。
小高に東北電力の原発はすでに建てられることが決まっていて工事も始められるところだった。でも合併前だから原町市はかかわることができない、もし投票で決めるとかなれば原町市は人口が5万だからその影響は大きい。合併していれば南相馬市として決めるからそうなっていたのである。そうなるとなかなか原発に反対する人もでてくるから簡単には決められなかっただろう。

原発は漁業権者とか地権者とかそんな狭い範囲で決められるものではなかった。

ただ狭い範囲だとどうしても利権になるから反対することができなくなる。
この辺では原発で働く人も多かった。親戚の人もそうだった。そして安全だと常に圧力をかけられるから反対はできない、今でこそ反対しているかが狭い町だったら村八分にされるだろう。今でなかなか漁業権のことなどで表立って批判していない、身近に漁師でもいるからである。

でも原発は原発周辺の狭い地域だけではない、福島県全体の問題でもありさらに広域的なグローバルな問題としてもあった。核戦争で人類は滅びるとか言われたが原発でも滅びるという怖いものだったのである。だからグローバルな問題として日本がヒロシマ、ナガサキで平和訴えたようにフクシマは原発事故の被害者だからそういう使命を党派を越えて担ったということはいえる。だから嫌な面もあったが今回のインタビューにそういう義務感から答えた。
自分が思っていた趣旨と通じるものが福島大学の調査にはあったからである。

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南相馬市小高区福岡で津波のボーリング調査 (十和田湖カルデラ火山の灰の下から貞観津波の砂を発掘)



南相馬市小高区福岡で津波のボーリング調査

(十和田湖カルデラ火山の灰の下から貞観津波の砂を発掘)


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この図では富士山火山活動と貞観地震は5年後に起きている。すると貞観地震と関連している。それから46年後に十和田湖火山爆発が起きている。これが関係しているのかどうかはわかりにくい、そして慶長地震津波はずっとあとである。
だからポーリングで砂が発見にしにくいのか?時代が特定しにくいのかわかりにくい。



■■■貞観11年5月26日  三陸沖〜九州・貞観大地震(東北大震災と同等クラスあるいはそれ以上?)

陸奥国に大地震 津波

陸奥国、地大いに震動りて、流光昼の如く陰映す。しばらくのあいだに人民叫び、伏して起つ能はず、或は屋倒れておされ死に、或は地裂けて埋れ死にき。馬牛は驚き奔りて或は相昇り踏む。城郭倉庫、門櫓牆壁のくづれくつがえるものは其の数を知らず。海口(みなと)は哮吼えて、声いかづちに似、なみ(驚濤)湧き上がり、くるめ(泝)き、みなぎりて忽ちに城下に至り、海を去ること数十百里、浩々としてそのはてをわきまえず、原野も道路もすべてうみ(滄溟)となり、船に乗るにいとまあらず、山に登るも及び難くして、溺れ死ぬる者千ばかり、たから(資産)も苗もほとほと残るもの無かりき。

 京都延暦寺の僧侶によって平安時代に書かれた『扶桑略記』(ふそうりゃっき)の延喜十五年(915年)七月の条に,「915年8月18日の朝日には輝きがなく,まるで月のようだった.人々はこれを不思議に思った.8月26日になって,灰が降って二寸積もった.桑の葉が各地で枯れたそうだ,と出羽の国から報告があった.

 京都は十和田湖から800km離れている.火山灰を運ぶ上空の風の速さは,ジェット気流(西風)で時速100km程度,北風の場合はもっと遅いから,京都から見える水平線の位置で朝日の見え方に影響を与えるためには,噴火はその前日に起こっていなければならない.したがって,毛馬内火砕流の噴火は915年8月17日に起こったと考えられる.
この噴火では50億トンのマグマが噴出した.浅間山の1783年噴火(7億トン),雲仙岳の1991年噴火(4億トン)より桁違いに大きい.十和田湖のこの噴火は,過去2000年間に日本で起こった噴火のなかで最大規模である.
この地震の5年前の貞観6年(864年)には富士山の青木ヶ原樹海における溶岩流を噴出した貞観大噴火が起きている

陸奥国地大震動を十和田カルデラの噴火に関連するものと考えた研究も存在するが[6]、古くから吉田東伍は「流光如昼隱映」は噴火によるものとは限らず、この発光現象は他に原因があるものと考えていた。十和田カルデラの噴火は『扶桑略記』にある915年(延喜15年)に発生したと推定されており、このテフラの堆積物(火山灰)は貞観津波堆積物層(砂)の直上に位置し、貞観津波堆積物と明確に区別可能であり、またこの堆積物が貞観津波によるものであることを容易に識別させる時代考証の指標にもなっている[22]。

小高の福岡でボーリング調査で十和田湖カルデラ噴火の火山灰が掘り出された。その下に砂も掘り出されたからその砂は津浪によってもたらされた砂だという、つまり貞観津浪の砂だったのか?十和田湖火山の火山灰から年代を推測すればそうなる。
でも福岡という地域は海に結構近い。今回は完全に津浪に没した地域である。
小高は駅を越えて津波が街内まで入ってきたことに本当に驚いた。
だから福岡の地点では驚かない、ただ年代的には貞観津波の砂としか考えられないのだ。それよりあの辺は縄文時代海だとすると平安時代も深く海が入り込んでいた。
だから砂が掘り出されても不思議がないともなる。
もっと奥だったら貞観津波の大きさを実感できただろう。
ただ十和田湖火山の火山灰が積もっていたということの驚きである。


十和田火山灰より上位に津波堆積物と考えられる砂層が検
出された.歴史記録から判断すると,この砂層は西暦
1611年慶長津波によるものと推定される.


十和田a
火山灰より上位に津波堆積物と考えられる砂層が検
出された.歴史記録から判断すると,この砂層は西暦
1611年慶長津波によるものと推定される.

http://unit.aist.go.jp/actfault-eq/Tohoku/06_08_03.pdf

この火山灰により年代特定ができる。火山というのも未知であり鹿児島のような桜島げは日常的にか火山灰の被害にあっている。それだけ火山灰はやっかいなものだけど過去には火山灰は肥料のような役目を果たしていた。焼畑農業はまさに人為的に森を焼いて灰を作っていたのだ。


姶良カルデラが吹き上げたAT層は酸性で赤いから焼畑くらいしかできないが、阿蘇や日本アルプスや阿武隈山地の火山灰土は真っ黒で「黒ボク土」といわれている。
滋味豊かで畑作にも使うことができる。
http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/54501093.html


相馬市のボーリング調査でも松川浦からずっと奥で砂が発見された。それは貞観津波のものだろうと言われる。
それにしても不思議なのは慶長津波の砂が相馬市でも小高の福岡でも発見されていないのか?この辺の科学的研究も実際はまだまだなのだろう。砂が発見されなくても砂はありうるからだ。だからすべて科学的研究だけで解明されるというものではない、でも現代は科学的研究が一番信頼される。
ただ慶長津波の砂が相馬地方で発見されない、相馬市の調査でも慶長津波ではなく貞観津波のものだった。


貞観津波の記述で


船に乗るにいとまあらず、山に登るも及び難くして、溺れ死ぬる者千ばかり、


船に乗ると助かったが乗れなかった。山に登ろうとして途中で波にのまれて死んだ人もいる。この記述は実際に見た人の証言だった。

津波でもそうだが十和田湖級の火山爆発になるとこれまた想像を絶するものとして日本全体に影響した。とにかく日本は火山が多い、それだけ日本の国土は大陸と違って若いのである。火山があることにより富士山のうよな優美な山ができた。火山国だから日本の自然は作られた。そして地震国であり津波国なのが日本だった。
ただ最近日本の風土的特徴を忘れていたことがある。今回の津波でそのことを思い知らされた。

この調査結果を東電に報告した時は貞観津波の砂ことであり慶長津波のことではなかった。貞観津波の砂は十和田湖火山灰の堆積により特定しやすいということなのか?

貞観時代辺りは地震や津波や火山が続発して起きた活動期である。だから南海東海地震も津波も起きる゛富士山噴火も警告される。自然が何も起きないときは眠っているのではない、巨大なエネルギーを地下であれ海底であれ蓄積しているのだ。だから何も起きていない、地震がないということで安心できないのである。

自然も絶えざる変化なのである。小笠原諸島の西之島kのそばに海底火山が噴火して新島ができたように地球は絶えず海底でも地下でも活動している。宇宙でも活動している。そうした活動を休むことはない、休む時はエネルギーを蓄積しているだけなのだ。土地でも冬には休ませるという、肥料をやって眠らせるという。すると春には土は肥えて実りをもてらす。ふゆはふゆ(ふえる)ことだというとき増える準備をしているのが冬なのである。活動するために眠っているだけなのである。
だから自然が完全に眠る停止するということはないのである。

posted by 老鶯 at 20:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係