2013年12月07日

信長の桶狭間の勝利の原因は-戦争の勝利には共通のものがある (地の利、天の時、人の和が作用した-原発事故にも作用した)


信長の桶狭間の勝利の原因は-戦争の勝利には共通のものがある


(地の利、天の時、人の和が作用した-原発事故にも作用した)

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●勝利の主な要因(地の利が働いた)


信長は隅々まで知り得ている地の利を生かして合理的に決戦場を選択し、
機動力を生かして攪乱戦闘に持ちもむという
これまた合理的な戦いを推し進めたが故の勝利だったようです。

事前の情報収集には万全を期していた。「武功夜話」によれば、信長は細作飛人、すなわちスパイというか情報工作要員を五十人も沓掛城周辺にばらまいていたということだ。蜂須賀小六や前野将右衛門といった川並衆たちがこれである
http://homepage1.nifty.com/rekisi-iv/nobunaga/okahazamasuiri.htm

川並衆が歴史の表舞台に登場してくるのは、木下藤吉郎が信長の命で、東美濃調略に着手した頃からである 。永禄七年(1564)藤吉郎は川並衆に対して信長に従属することを説き、東美濃調略に協力してくれることを依頼した。こうして、蜂須賀小六は秀吉の手に属し、かれは美濃の郷士に知り合いも多く、藤吉郎の活動を大いに援けた
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/tubouti.html

豪雨が織田方から今川方に向かって吹きつけたことは、「信長公記」の記載のとおりである。織田の兵士たちは、皆、”熱田神宮の神戦(かみいくさ)か”と言って非常に勇気付けられたという。
、急な集中暴風雨さえなければ、駿河勢は信長の突撃などは軽く一蹴することができたとも思われます。

ここが詳しい
http://kagiya.rakurakuhp.net/i_206033.htm

『孫子・地形篇』には「隘なる形には、我まずこれに居らば必ずこれを盈(み)たしてもって敵を待つ。もし敵まずこれに居り、盈つればすなわち従うことなかれ、盈たざればすなわちこれに従え」


信長が桶狭間で勝利したのはいろいろ分析されている。自分は詳しく調べていない、でも歴史は地理だということを書いてきた。地理がわかれば日本史でも世界史でもわかると書いてきた。だから勝利の一つの大きな要因が地の利だった。
ただ桶狭間ではその地の利を利用したのが敵側だったとも言われる。それは単純な構図ではなかった。今川軍は見晴らしのいい山の上に布陣していた。だから信長が地の利を知って奇襲して勝ったというものでもない。ただ明かに戦いの帰趨は地の利が優位に働いた方に味方した。それから雨がふったというのも事実でもあり雷雨でありこれまでの常識ではそうした雷雨には戦いをしないとなっていた。だから今川軍は油断していた。

地の利と天の時、天候が左右して信長軍に有利に働いたことは確かである。
それと人の和もそうである。信長軍はすでに兵農分離して専門の軍隊を編成した小部隊でも機動力があった。国人組織の今までの戦国大名とは違っていた。つまり人の和の新しい軍隊組織になっていた。
この軍隊組織は明治維新の時にもあった。近代的軍隊組織がこれまでの徳川政権の旧態なものと違って機動力があり徳川軍にはなかった。戦国時代も明治維新という大変革時代とにていた。侍組織か西南戦争で国民軍に負けたことでもわかる。
明治維新はそもそも藩主体の人の和から国民の和に変換したのだから大変換だったのである。
人の和というのは人がどういうふうに結合するかということにもあった。
たから常に地の利、天の時、人の和は変わらない原理なのである。

●技術もその国の地の利が関係していた


技術というのも国の地理とか風土とかか関係ないもの、科学技術はそう見える。例えば数学などは科学でも1+1=2であり世界中どこでもその原理は変わらない、化学式でもそうである。だから科学は普遍的なものになりやすい、それでも科学技術はその国の地理と風土に関係していた。風車が発明されたのは中東である。それは砂漠のようなところでは風が吹きやすいからそうなる。山などにさえきられないからそうなる。
日本ではトンネルの技術が発達したのもわかる。いたるところ山だからである。その必要性から発明が必要の母だから技術も生れる。
前にも買ったヤマハの電動自転車は急な坂でも上ることに驚いた。これは世界ではなかなかないものかもしれない、それも日本では坂が多いから坂に強いものが望まれるからその技術も発達する。自転車は平坦な土地が多いヨーロパで発達したというのもわかる。
オランダなどは坂がないのである。

その国と風土が作られるのはその地勢とか地理とか風土が密接に関係している。だからその国にあったその国でとれるものを食べていた方が体にはいいわけである。
日本は魚介類中心だからその方がなるべく良かった。欧米人の不思議は肉を消化する酵素が特別に出るということ自体不思議である。日本人は腸が長いという時、穀物類の消化には牛のようにはいいとなっている。体もその土地と密接に関係して作られてきたのである。だからその土地や風土と地理と離れて人もありえないのである。
だから歴史をみるとモンゴルが船で攻めてきて勝ったのも海が防衛線となり台風が来てモンゴルの船が沈んだとかが原因で勝った。それは日本が神の国だからではない、そういう地理的条件と天候に左右されるものだったのである。

東北が辺境として長くありつづけたのも地の利である。伊達政宗が活躍したのは地の利にあったし宮城県の仙台が東北の中心になっているのもそうである。会津が中心になりえないのはそれは戦国時代からそうでありどうしても地の利が悪いからである。常に地の利に影響されるのが人間社会なのである。

●原発事故も地の利、天の時、人の和が影響した
http://musubu2.sblo.jp/article/54567694.html

ここに書いたけど信長の勝利も地の利が天の時も働いた。なぜなら雨がふり天候が信長に味方したからだ。ただ周到に計画して合理的計算で勝ったと言ってももやはり地の利とか天候はどう左右するか決戦の場でしかわからない、ただそこには勝利の方程式のようなものがあった。


●地の利
●油断
●指導者の優劣


これらが影響するのは戦争ではどこでも同じようになる。地の利がないと勝算がなかなかたてられない゛今川軍はいくら大軍でも後方支援として食料とか運ぶために多大の労力が必要となる。今川軍が大軍になったのはそのためである。戦争にはいろいろな要素が働いている。だからどうして勝ち負けたのかということはなかなか簡単には判別しにくい。
だから運であり神が味方したとかまでなる。

今川義元は別に愚将でもなかった。ただ旧弊な時代の子であり信長軍は明治維新のように近代化した軍隊組織だったとか進んでいた。それはただ運というだけではない、運があったにしても運を呼び込むものがないと勝てない、だから雨が降ったから勝った、すべてが偶然だったとはならない、奇跡でも何もしないと起こらない、棚からぼた餅みたいには起こらない、信長軍は周到に準備して備えていたからこそ地の利と天候も味方して勝ったとなる。何か奇跡のうよなことが起こるのは日頃血のにじみでるような努力を重ねていれば起こる。何もしないでいたら何も起こらない、最初から何もしなければ何も起こらないのである。

指導者の優劣でも評定をと桶狭間の前で家来が騒いでも評定をいくらしても勝てない、なぜならそんな危急の場合、多数決で大事を決められるのか?つまり誰かに決断をゆだねる方が勝つことがある。もちろん負けることがある。でも評定を議論をいくらしたって埒があかないのである。そういうことが津浪や原発事故の処理で市長町に起きた。

いろいろなことを議論しても何もできない、南相馬市町は義援金など金があってもいまだに分配もされないし使っていないとか批判される。無能な市長だから代えるべきだと騒いでいる。それは相馬市町でもそうである。誰かが決断してやらない限り何もできない、進まないのである。でもその決断して実行するのを決めるのも選挙だからまた同じ結果になるかせしれない、選挙とは桶狭間の評定であり誰を大将にするかともめていたらいつまでたっても決断できず滅亡してしまうのである。

東北電視力は地の利があった。津浪の恐ろしさを考慮していた。それも指揮官の副社長が10メートルではたりないと15メートルにして辛うじて助かったのである。
原発は戦争と同じだと言っていた人がいた。確かに地の利を理解して天の時もしる。
天の時とは天候や自然現象であり津浪もその中に入っていた。人の和とはやはり一致結束される力が必要だった。ただ原発を戦争に値するなどと考えた人はいないだろう。
原発の技術をになう人は細分化されているからそんなことを考えない、ここのボルトをしめればいい、ここの部品を作ればいいという考えしかない、地の利とか総合的戦略的に考える人はいなかった。

アメリカはやはり戦争を常時している国だからこうした巨大技術の管理には向いていた。なぜならアメリカの方が地震とかを警戒していた。だからほとんどの原発は地震の少ない東側に作っていたのである。それから原発内の安全管理も日本より厳重だった。
原発事故は日本の第二の敗戦だというときまさに一部分のことではなく原発が総合的様々な要因で事故が起きたからである。
アメリカの戦争に負けたのもアメリカをあまく見たとか油断があり指揮系統の乱れがあり人の和が乱れ地の利も不利に働いた。海を制せられて逆に窮地に陥った。それは信長の桶狭間と同じである。かえってアメリカの方が海を味方にしたのである。
指揮も実際はアメリカの方が高く日本は上官と下士官が分裂していたとか実際は人の和も強くなかったのである。だから戦争とかそれに類する総合的な戦いでは技術だけでは勝てない、総合的戦略が必要になる。それが日本では苦手だったのである。

 
 
posted by 老鶯 at 21:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連