2013年12月06日

時雨(鹿島区の横手の道は細いから街道だった)


時雨(鹿島区の横手の道は細いから街道だった)

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二三滴顔に時雨や旧街道

一区画菜っ葉をぬらす時雨かな
葉ボタンにニチニチ草や駅舎かな
冬日さし古木の影や旧街道
栃窪へ道標一つ年暮れむ
 

今日は写真とらなかった。明日とってみよう。横手辺りの道は細い、六号線から入ったところで浜街道である。六号線は三〇年以上になっていても新しい、浜街道は江戸時代からつづいているし実際その道筋は変わっていないのだ。
ただそのことをあまり意識する人はいない、でも六号線から横手に入る踏み切りがあり横手古墳がある道はいつも細い、自転車で通れない、浜街道は全般的に細い、あそこは自転車で通る道がないのだ。日立木辺りもそうである。その狭さが道が変わらないことを示しているのだ。

今日は確かに時雨が二三滴ぼつりと顔をぬらした。ただそれきりで終わった。

時雨とかなると六号線は向いていない、昔の街道は向いている。もし歩いていた人がいたら何ともいえぬ情緒を感じたろう。六号線は歩いていても歩くことが何かあっていないのだ。六号線は歩く道ではない、人間が歩くというときやはり浮世絵のような姿なのである。まさに江戸時代は歩くことが風景とマッチしていたのである。


横手から栃窪への道標があくけどあれに注目する人はまれだろう。昔だったら栃窪でも大原でも相当に遠い距離であり今の距離感覚とは違っていた。村々で自給自足でありなかなか同じ町でも町内にでてくることが難儀だったろう。車社会になるとそういう感覚はない、でも自転車しかないものにはやはりそれなりに遠いとなる。


最近相馬市にすら何カ月か行っていない、なんか知り合った人が小さな畑を作っている。その畑は小さな畑でありそこをいつも見て通っている。その女性はもともと農家の出だから農業に詳しい。町のことにもくわしい。
農業というのは実際自分で野菜一つでも土をいじり作ってみないとわからないだろう。
実感がでてこないのである。だから農家の人とじかに接すると身近になる。

今日時雨たなと思ったらあそこの知っている畑の菜っ葉にも時雨がふったとなる。
その女性は特別苦労していて皺より一〇歳はふけている。
こうした生活感覚がでるのはそういう人とつきあうことでもでてくる。

時雨を風流にしたが農業は天候と切り離せずあり農業から実際は季語も生れて文化となっていた。芸術の基盤は農業にあったのである。

ただ農家に嫁いだ女性は全く農家の人ととは見えない。野菜一つも作っているようにも見えない、田んぼも人にまかせているとなると農家に嫁いでも会社員なのである。
そういう人はきれいな身なりをしてもなにか生活感がないのである。
一番生活感があるのはやはり農家の人であり漁師だったのである。


やはり浜街道をたどると昔を理屈なしで感じる。だからその道がとぎれたことが残念なのである。六号線は旅の道ではない、移動の道である。浜街道は歴史の道であり旅の道である。だから何度行っても感じるものが違うのである。それが歴史ということかもしれない、その道は歩くのにふさわしかったのである。