2013年12月04日

冬椿(震災から1000日すぎた)


冬椿(震災から1000日すぎた)

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冬椿午後の日さして隣かな

農家あり垣根の囲む冬椿
冬の菊午後の日さして竹に風


手にとれば一枚一枚落葉にも異なるものや人も様々

日々通るこの道静か冬の薔薇三輪咲きてなお朽ちぬかも

声でずにしゃべれる人のしゃべれるを今は亡きかな大原の人

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冬椿はまだあたたかい12月ころなのだろう。今年はあたたかいのか?今頃雪ふったりするからそんなに寒い感じはない、なんか冬椿があたたかく見える。不思議なのは隣は今の時代かかわらないから無縁社会だとか言われる。でもだんだん年をとってくると身近な所が大事になってくる。それを今までは感じなかった。ここ6年間苦労の連続でそれを感じた。誰も新配してくれるものものいない、田舎ではただ近くで何かそうした災いの人を見ているのは楽しみだということかある。都会では隣が誰かわからない、田舎では一応知っていても無関心ではなく相手が困るのを楽しんでいるという残酷さがあるのだ。
特に最近はそうかもしれない、これはただ田舎では町内と農家では違ってくる。
農家はもともとまだ共同性があるだろう。

ただどうしても共同性のコミニュティか失われているのが現代である。

原発事故で避難して帰らないという人が50パーセントもいるとなるともう警戒区域の地域は復興はないのだろうか?
村がなくなるのが淋しいとか言っていた老人もいたのがわかる。
老人になるとどうしても先祖代々住んでいたところにこだわるのである。
執着するのか人情である。
だから自分も隣に椿が咲いている。それがなんなんだとなるが隣の椿に注目することがなかったのである。隣にも近くにも椿は咲いていたのである。

写真に撮ったのは農家である。あそこはコメリがあるから目立つ、あそこも農家だったのだろう。庭は広いし蔵もあるからた。

震災から1000日がすぎても岩手県でも宮城県でもなかなか復興しない、壊滅的打撃を受けたところはもう復興するのがどうかもわからない、でもいつまでも仮設にいるわけにもいかないだろう。この辺では復興住宅ができつつある。でも何か小さいから老夫婦にはいいか若い子供のいる家族には向いていない、今の時代はどうししても個室をもつからである。勉強だって子供部屋がないとできないだろう。


聞いた話では原町の火力発電所でもともと1000人は働いていた。でも津浪の被害でその工事関係者5000人来ていたという、中は見ていないがそれだけの人を必要としたのである。今は工事が終わったからその5000人がいなくなっただけでも外部からの人は相当数減っている。だから仮設の食堂では人が来ないと嘆いている。前はやはりそれだけの人が外部から人がきていたのだからどこの食堂でも一杯になったろう。
今でもホテルなどは盛況であり満室だとも言われる。
この辺では新地に火力発電所があるからそこは雇用の面でも大きい。もちろんそこから税収も入ってくる。以前として電力関係はこの辺では大きな産業なのである。

でもすでに外部の人が大分へって食堂に人が来ないというときこれからさらに人が減少してゆく、ボランティアもそうである。ただ今は復興住宅の建設が盛んであり建設関係の人が外部から結構きているからまだそんなふうに感じない、でも外部から入ってくる人は減ってゆく、そしたらこの地域はどうしてやってゆくのか?そういうことか深刻になる。
いつまでも補償金はつづかない、そしたら外部の人も去り残った人たちはどうして復興してゆくのか?そういうことが深刻になってゆく。


1000日もそうだが三年目辺りからはもう帰るのか帰らないのかと決める必要が出てくる。いつまでも仮設で宙ぶらりんでは困るたろう。仮設は何かやはり存在感がない、それもそうである。仮の宿にすぎないのだ。これも一人とか二人の風流人だったら別にいいけどみんながそうなったら異常である。仮設で根を下ろして生活するということはありえないからだ。仮にいるだけなのだから地元の人とも南相馬市内だって特に二本松とか他に出て行った人はそうなる。だから仮の街の構想も生れた。仮設は中途半端なのである。
だから3年目から仮設を出る決意をせねばならなくなるだろう。


人間も年取るといろいろである。その色もみんな違う。たどった道も違う。最近しりあった人は苦労が重なって63才くらいだけど75歳くらいにしか見えない、今の60代は本当に若い人がいる。だから余計に皺が多く老けてしまったなとみる。ただ同年代といろいろ話があう。その女性は話が面白いのである。そういう話好きの性格なのだろう。
他の男性ともつきあっている。それは男女の仲というものでもない、茶飲み友達のようになっている。茶飲み友だちならいいか色恋ざたが普通にあるから今の時代は怖い。男女ともに怖いのである。
落葉も写真がいろいろでているが色がみんな違っているのだ。60代になるとみんなやはり違っている。ただあんまりこの年になると容貌が第一の価値とならない、話して面白いとか何か別なものが価値になるのだ。料理がうまいとかなるとやはり得である。今は一人暮らしの老人も多くなるから教えると感謝されるだろう。友達にもなりやすい。


南相馬市立病院で知り合った大原の人は死んだけどふりかえって見ると喉を切開していてしゃべることができなかった
んでしまった。何か自分に大原のことをしゃべるためにしゃべれるようになり死んだのかとまで今になると思った。今度は本当にしゃべれなくなった、永遠に本当にしゃべれなくなったからだ。
人間は最後にしゃべることがある。姉は延々と戦争のことをしゃべりつづけた。それだけは忘れられなかったからだ。それもついに死んでしゃべることはなくなった。
人間はみんないつか語らぬ人となってしまう。
どんな人でもそうして最後に最後まで語ることがありそれが死んでから心に残るということがある。
なぜなら今になるともうその話も聞けなくなったからだ。

その最後はかなきものや蝉の声

盛んに鳴いた蝉の声のように終わってみればはかないものだったとなる。こうしてみんな人生をくりかえしてきたのである。
そういう自分もそういう最後は近づきつつあるのだ。

神秘の沼(抽象画)

 
神秘の沼(抽象画)
 

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最初の一枚が一番上のをエッセンシャル4で写真を絵画にアレンジした。それは金閣寺の氷が張った写真であり一部が氷が解けて青い空がぽっかりと写っていた。
写真も実際は絵に近いものがある。写真をアレンジすると絵になりやすい。

でもあとのものはその写真をもとにしたのとはからなくなる。
主に万華鏡で必ずアレンジする。

絵が描けなくてもパソコンのフソトだんで楽しめるようになった。
なんか色の無限の変化があることがわかった。
これは音楽だったら音の変化なのだろう。

ただちけ抽象画でも現実の具象からイメージしているから現実とまるで離れたものとはならない

神秘の沼を北海道の宗谷へ行く時見た。それは本当にこの沼のよう手つかず自然そのままの沼だった。北海道にはまだきそういう所が残っている。
いかに自然のままの沼であれ何であれそれは神秘的でありカムイというもの神的なものを感じる。おそらく古代の人々もそういう手つかずの自然の中で生きていた。

沼の回りにオオバナエンレイソウが咲いていたのも神秘的だった。
あの沼は本当に神秘的であった。何か本当に上か住んでいるというふうにさえ思えた。
沼に沼の神が沈んでいる隠れている感じだった。

そういう神秘的な純粋な自然は失われた。今目にするのは何か人工的なものが必ず加えられているのだ。