2013年12月09日

(昔を語るには同年代がいい-田舎的な素朴な人は今ではめずらしい?)


冬紅葉

(昔を語るには同年代がいい-田舎的な素朴な人は今ではめずらしい?)

momijiiiiii1111222.jpg


クリック拡大

sanagiiiiii111.jpg


玄関に蛹や隠れ家籠もる

二本(ふたもと)の古木に夕日冬の暮


陽のさして冬の紅葉の映えにけり今一時の美しさかな

二本の枯れにし樹かな夕日さし変わらぬものと我は見にけり
ふるさとに枯れにし菊のあわれかな苦労を語り老いし女(ひと)かな
故郷に小さき畑耕せる人を知るかな冬の日さして今日も暮れにき
故郷の訛りに通じ冬の日や昔を語り今日も過ぎにき

白鳥の四五羽群れつつ浮かび映ゆ月の光に冷えにけるかな

twined trees.jpg
クリック拡大

今年は今が紅葉なのか?冬紅葉とは写真は違うように見える。この紅葉がきれいにとれたのは日がさして裏側からとったからだった。写真は撮り方で違ってくる。
冬紅葉となると何かもっと地味である。

二本(ふたもと)の樹の家となるのだろうか?あの家は二本の樹が目立つ、これは津浪で家が流されて残った樹も二本のがありそれが離れがたくあると写真などで解説した。詩にもした。つまり津浪で流される前はこんな感じだったのである。
変わらないものとしてある。その変わらないものが今やいいとなる。何か毎日見ていても飽きないものがある。この辺は変わりすぎたから余計そうなる。変わることがみんないいことではない、ただ年になるとどうしても保守的になるのだ。
俳句と短歌では感じが違ってくる。俳句の方が簡潔で力強いということがある。

今日も来たのは六三歳くらいだけどふけてみえる女性だった。なんかかかわるようになった。一方的に今は世話するだけだけど家族もいないから今や何かあったとき恐怖になった。それで一方的でも世話していれば助けてもらえるとか思うようになった。
ただその女性は今ではめずらしいかもしれない、質素であり素朴である。
農家の出だから畑を作っていてくわしい。
やはりあの年だとなまりがあるし何か田舎的なのである。

今田舎でも若い人、五〇代くらいでもきれいな標準語をしゃべる。
どうも六〇代くらいまでがなんとか古いものがそなわっている世代になる。

団塊の世代になるがやはりまだまだそういう古いタイプの人間がまだいる。
一般的にいなくなっているから稀少なのかもしれない。
ただ話が合うという時、戦後すぐに生れた人は前にも書いたけど江戸時代の生活のつづきだったのである。
今のような豊かな生活はなにもない、水道もなかった。水は近くから井戸水をもらっていた。それでその水を子供の頃バケツで運んだ。そのことを小学生の文集に書いた。

その女性は農家の出だからまた話は違っているが貧乏なこと何もないとういことなど
共通していたのである。だから話があうということがある。
何か田舎的なものを色濃く残しているから今や田舎でもめずらしいとなる。
なまりが今は六〇代でも消えている。標準語を話す人が多いのである。

玄関の樹に蛹を見つけた。なんかこの頃忙しくて相馬市にも何カ月も行っていない。
生け花の方もやれない、昨夜は家事の残業だった。家事をしていると時間を使う。
料理していたらまず一時間以上軽くかかる。だから買ったものですましている。
時間がたちまちすぎてしまう。すると書くこと
ができなくなる。
買い物だけでも時間がかかるのである。

でも震災のとき、方言でなまりでしゃべりあったとき励まされたとかの放送があった。
訛りにはなにかその土地の素朴なものを土の匂いのようなものを感じる。
そもそもその女性は農家の出であり土の匂いがする。
前の女性はハデすぎたのである。とても六〇代には見えない女性だった。
だからむしろ田舎的な素朴な男性でも女性でも少なくなっているのが現代なのである。


白鳥も来て川に浮かんでいるから冬らしい冬になっている。

 

2013年12月10日

権利ばかり主張して感謝しない時代 (民主主義の弊害-津浪は神からの罰だった?)

 

権利ばかり主張して感謝しない時代

(民主主義の弊害-津浪は神からの罰だった?)

●人間はそんなに権利がそもそもあるものなの


現代は民主主義社会では常に権利が主張される。どんな人にも権利がある。人権も人としての権利がある。だから障害者だろうが生活保護者だろうが最低限の生活はする権利があると主張する。そして権利は平等だとなる。だから親の財産でも平等に分けるべきだとなり絶対にゆずらない、権利はrightのことである。何か正しいという根拠に基づいて権利がある。だから権利は最初は権理と名付けられていた。なにかしらreasonがあって権利がある。ただいくら権利があるといっても後進国ではでは生活保護の権利があるとデモになるかといえばならない、生活保護は豊かな国で保証される権利である。

つまり豊かでなければそんな権利はありえないのだ。乞食が恵みが足りないと怒り相手を恐喝するのともにている。ただ生活保護は今は高齢化社会での老人は別扱いだと思う。
いくら一生働いても公務員のように高い年金をもらえるとは限らないからその不平等を補うために生活保護もある。ただ若い内はやはり安易に生活保護になるのは問題だろう。


民主主義で権利だけ主張するようになったのは人間の欲望は全面的に認めるべきであり満たされるべきでありその権利があるということにもなっている。欲望を抑えるべきではない、それが欲望資本主義なのである。禁欲から修道院からはじまった資本主義が歯止めのない欲望資本主義になった。だから権利と欲望は必ず一体化しているのだ。
遺産を兄弟で分けるのが問題ある時がある。土地をもっていて兄弟で分ければ農業ができなくなることもある。でも権利を主張するから認められるからそこでかえって兄弟の和は破壊される。つまり人間の欲望は限りないから止めることができないから権利を認めればそうならざるをえない。


自分の場合でも遺産の問題でもめた。でもそれは二〇年以上前のことであり相手は時効になっていることも気付いていないのだ。殺人でも時効になっている。裁判に訴えるというとき、それは何の法律的権利もなくなっていた。でも相手はどうしても金が欲しいから権利を主張する。
こちらではそういうことではなく何かしてやろうとしても相手はそのことが当たり前であり何の感謝もしない、要するに当然もらえるものを権利を主張しているだけだとなる。
権利はあったにしても権利ばかり主張してお前は金だけをよこせとなるともう交際はできない。これは今の親子関係でも起きている。金だけをよこせばいい、感謝などはしない、なせならそれが子供の権利だからとなってしまう。
だからもう金をやらないことにした。またそうできない事情もあった。
福祉関係だからめんどうになるからだ。


何かこういうことは現代ではどこでも起きている。常に人は権利だけを主張する。
その権利はあらゆる欲望は満たされるべきだという権利なのである。
そんなこと果たして神が自然が許すものだろうか?
この地球の富は資源は人間のために利用するの権利がある。
人間が地球の主人だからともなる。
それが古代では最初は人間は自然の実りに対して感謝していた。食料でも何でもとれることに神に自然に感謝していた。それが一つの祭りになっていた。
するとこうした祭りは近代的ではない科学的ではないと否定されてきた。
神であれ自然であれ感謝することが意外と大事なことだった。


●相手に尽くしても感謝しない人が増えた


なぜなら魚一匹でもとれることに感謝する。それは神から与えられた贈り物のように感謝する。現代は例えば漁師でも農家の人でも神に自然に食料がとれたからと感謝しない。
魚でももっと多く多くとり売りたいとなる。食料でも野菜でも米でもみんな商品化している。売れれば得したとなり自然そのものに感謝することはない。買うものが無限にふえたということもある。だから自然にとれるものは自然の神に感謝するよりもっと多く取り多くのものを買いたいという欲望に変化したのである。


そういうことは一体神から見たらどうなるのか?
なぜ神はこれほどのものを与えているのになぜ人間は感謝しないのか?
ただ足りないもっと欲しい、もっと売って得をしたいとしか思わないのか?
漁業権者は漁業権ばかり主張して莫大な富を原発で電力会社から得た。
彼らが一匹の魚を得たことでどれだけ感謝したか?
彼らは電力会社に感謝していたのである。
自分たちにそういう権利があると心底思っていたからである。

人間-神-自然という関係ではなく、人間-人間の関係だとわかりやすい。


「患者が感謝の気持ちを示してくれなかった」 しゃべれない患者6人の骨を折った看護師女(26)供述 兵庫 (227)
http://r-2ch.com/t/newsplus/1268381885/


看護師が感謝しないと殺す事件もあった。これも一見異常に見えるが看護師という仕事がそれだけハードだから起きてくる。看護師とか介護士とかは直接人間と接するから余計感じるのだ。なぜこれだけ世話している尽くしているのに感謝がないのかとなる。
そういうことを自分も介護とかして感じた。
これは子供でも育てるのが大変だから親が思うこともあるだろう。
昔だったら子供は何であれ親に感謝して親にその恩を報いるべきだとなっていた。

これは神-自然と人間にあてはめると

「なぜこれだけ私(神)は人間に与えているのに人間は感謝しないのか
もう人間に与えるのは嫌だ、災いを与えてやろう」


何かそういう心境になるのがわかるのだ。ただいくら尽くそうと感謝を感じない人は感じないから強制などできない、でもそれを感じないことが神ー人間でも人間ー人間でもありうる。その時相手にこれだけ世話して尽くしているのに感謝もされないなら馬鹿らしいからやる気がないとか極端になると殺してやるまでなる。神にしても人間はただ自分たちの権利だとして欲望をみたすことだけを要求する。そんな人間の権利をすべてかなえられるか?となり神は怒り災いももたらすとも考えられる。


●津浪はやはり感謝もしない神の怒りだったのか?


つまり津浪というのがあまりにも大きな災害だからこれは何なのだと思い考えつづけてきた。小さな災害なら台風とかなら考えない、通常のことである。今回の津浪はあまりにも大きな災害でありそれが大きすぎるからこれは何なのだという疑問が消えないのである。
ただ人間社会でも尽くしても感謝されない、やる気がなくなるなど日常的に起きている。家族のなかでも妻が夫に尽くしても感謝しないとかこの逆も起きている。

自分はいろいろ矛盾もあったが家族には感謝している。やりたいことをやらしてくれたことなどで感謝している。だから介護も供養もしている。
親でもいろいろありただ毒だけの親も普通にいるから自分は矛盾した普通の家族でも自分にとっては良かったと今では思う。

ともかく現代は民主主義であれ資本主義であれ欲望の無限の権利を主張する。
あらゆることが「権利だ、権利だ、権利を勝ち取れ」となる時代である。

カルト宗教団体でも宗教も同じである。ただ自分たちの権利だけを欲望を得るために団体化する。そして欲望を権利を主張するたげである。それは様々な利権となっている。
それは仏教から神道から新興宗教はほとんどそうである。檀家なども戒名利権だとか京都なら観光利権だとか利権団体なのである。こうした利権団体は巨大化して誰も批判できない。この辺では漁業者には漁業権があり原発から多額の補償金をもらっていたなと批判していない、今でもできないだろう。それはここだけではない社会すべてに通じているのだ。個人もそうであり団体もそうであり利権を主張するために団体化する。
利権というとき権利というとき何か正当な正義の実現だと思われる。実際は個々の欲望を実現するためのものでありその欲望がすべて正しいとはならないのだ。


その反面感謝することがない、そういう社会に人間に神が怒ったのが津浪だったとか思うようにもなる。
原発事故にしても人間の欲望から生れた。その欲望を神はかなえさてくれなかったのである。それは何かタブーを無視したのでありそれに神が怒ったのである。
だから今回の津浪はノアの方舟とか火を盗んだプロテウスの罰とかとにていると書いた。神の罰のような恐ろしいものが津浪であり原発事故だった。
プロトニウムの毒が二万年消えないとかもそれだけの恐ろしいものが消えずこの辺に残ってしまうものとなってしまったのである。

posted by 老鶯 at 01:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

2013年12月11日

冬紅葉(仮設の食堂に客が減った)


冬紅葉(仮設の食堂に客が減った)

suzumeee1111.jpg


糧あれや鴨の百羽の養えり

冬紅葉散りて雀の寄り来る
玄関に雀の二羽や冬紅葉
客減りて仮設の食堂年の暮


冬の雁一羽離れて淋しかも夕暮れ友を求め飛び立つ

落葉踏み一輪かそか残り咲く野菊のあわれ夕ぐるるかも

nogikuuuuuuu11111.jpg

仮設の食堂も客がかなり減っているかもしれない、一時ちょっと過ぎに惣菜買いに行ったら誰もいなかった。客はめっきり来なくなったと言っていた。それは向かいのラーメン屋とかの食堂もそうかもしれない、前のような車の置き所がないように混んでいない。
それは原町の火力発電所に一時五〇〇〇人が工事のたにきていたということが驚きだった。それだけの人数が減れば相当な打撃であり客が減るのも当然である。
瓦礫のかたづけはこの辺では一部をのぞいて終わっているしすると食堂にこない。
ただ復興住宅の建設をあちらこちらしているから結構外部からきているように思えるがそうでもない。

まだ外部から人がきていても外部から人が来なくなる。その兆候が現れてきたのである。ただレストランなどではこの辺では時給一二〇〇円でも働く人がいない、それは原町と相馬市でチェーン店でそうなっている。この辺はこれからもだんだん外部からの人がへってくる。内部では補償金で暮らしていけるとか思っているがいづれもらえない。
するとどうなるのか、夕張のような衰退した都市になってゆく恐怖である。
または限界集落のようになってゆく恐怖がある。
ただ火力発言所は原町にもあり相馬新地にもある。
だからこれは大きな雇用の場だった。


自然を見ていて不思議なのは鴨が渡って来たからあんなに増えた。しかし餌はどうしているのだろうかと思う。それだけを養う餌があるのかとなる。それはいつも自然を見て思うことである。この辺は荒地になっているがそれなりに鳥はいる。
最近は畑をはじめる人が多くなった。だからその畑の野菜とか芽を食べているという。
他に虫なども食べているのだろう。

ともかくあれだけの鴨を養うものがある。それが自然の不思議である。
人間はそんなに養えるものなのか?
ただ人間でも不思議なのは姪島では三〇〇〇万人しかいない、それが大正時代に6千万くらいになった。それでも今の半分なのである。
どれだけ人口が増えたか驚くばかりである。
日本の歴史上でもこんなに人口が急速に増えたことはない
だから少子高齢化高齢化というけどこれもやはり異常なことだから人口が減るのは
自然の摂理なのかもしれない、そんなに人間を日本のような狭い国では養えないとなる。将来的には本当に今の半分くらい多くても八〇〇〇万くらいで適正規模に落ち着くらしい。


今年は紅葉と冬紅葉が一緒になったみたいだ。紅葉が一カ月以上遅くなったのである。
それは秋が短くすぐ冬になってしまったためである。
なんか仮設も鹿島区でだしたものはみんなやめた。
食堂だけが残っているがこれも客が減った。
別に仮設の人が減っていないからどうしてこないのか、何か工夫がたりないのか?
原町や相馬市にどうしても鹿島から出てしまうことはある。

工事関係者がきている時は良かったがやはり減ったということがひびいた。

もうつづけられるのかどうかという問題もある。ただ飲み屋をやるとか言っているからやめる気はないのかもしれない、ともかく一時のにぎわいは去ったことは確かだしこれからも外部の人は減ってきて何か衰退してゆく都市となることが恐怖になる。
まあ、夕張のようにはならないとしてもかなり衰退してしまうことは確かである。

population111111.jpg

2013年12月13日

南相馬市小高区福岡で津波のボーリング調査 (十和田湖カルデラ火山の灰の下から貞観津波の砂を発掘)



南相馬市小高区福岡で津波のボーリング調査

(十和田湖カルデラ火山の灰の下から貞観津波の砂を発掘)


tunamisouuuu11.jpg


この図では富士山火山活動と貞観地震は5年後に起きている。すると貞観地震と関連している。それから46年後に十和田湖火山爆発が起きている。これが関係しているのかどうかはわかりにくい、そして慶長地震津波はずっとあとである。
だからポーリングで砂が発見にしにくいのか?時代が特定しにくいのかわかりにくい。



■■■貞観11年5月26日  三陸沖〜九州・貞観大地震(東北大震災と同等クラスあるいはそれ以上?)

陸奥国に大地震 津波

陸奥国、地大いに震動りて、流光昼の如く陰映す。しばらくのあいだに人民叫び、伏して起つ能はず、或は屋倒れておされ死に、或は地裂けて埋れ死にき。馬牛は驚き奔りて或は相昇り踏む。城郭倉庫、門櫓牆壁のくづれくつがえるものは其の数を知らず。海口(みなと)は哮吼えて、声いかづちに似、なみ(驚濤)湧き上がり、くるめ(泝)き、みなぎりて忽ちに城下に至り、海を去ること数十百里、浩々としてそのはてをわきまえず、原野も道路もすべてうみ(滄溟)となり、船に乗るにいとまあらず、山に登るも及び難くして、溺れ死ぬる者千ばかり、たから(資産)も苗もほとほと残るもの無かりき。

 京都延暦寺の僧侶によって平安時代に書かれた『扶桑略記』(ふそうりゃっき)の延喜十五年(915年)七月の条に,「915年8月18日の朝日には輝きがなく,まるで月のようだった.人々はこれを不思議に思った.8月26日になって,灰が降って二寸積もった.桑の葉が各地で枯れたそうだ,と出羽の国から報告があった.

 京都は十和田湖から800km離れている.火山灰を運ぶ上空の風の速さは,ジェット気流(西風)で時速100km程度,北風の場合はもっと遅いから,京都から見える水平線の位置で朝日の見え方に影響を与えるためには,噴火はその前日に起こっていなければならない.したがって,毛馬内火砕流の噴火は915年8月17日に起こったと考えられる.
この噴火では50億トンのマグマが噴出した.浅間山の1783年噴火(7億トン),雲仙岳の1991年噴火(4億トン)より桁違いに大きい.十和田湖のこの噴火は,過去2000年間に日本で起こった噴火のなかで最大規模である.
この地震の5年前の貞観6年(864年)には富士山の青木ヶ原樹海における溶岩流を噴出した貞観大噴火が起きている

陸奥国地大震動を十和田カルデラの噴火に関連するものと考えた研究も存在するが[6]、古くから吉田東伍は「流光如昼隱映」は噴火によるものとは限らず、この発光現象は他に原因があるものと考えていた。十和田カルデラの噴火は『扶桑略記』にある915年(延喜15年)に発生したと推定されており、このテフラの堆積物(火山灰)は貞観津波堆積物層(砂)の直上に位置し、貞観津波堆積物と明確に区別可能であり、またこの堆積物が貞観津波によるものであることを容易に識別させる時代考証の指標にもなっている[22]。

小高の福岡でボーリング調査で十和田湖カルデラ噴火の火山灰が掘り出された。その下に砂も掘り出されたからその砂は津浪によってもたらされた砂だという、つまり貞観津浪の砂だったのか?十和田湖火山の火山灰から年代を推測すればそうなる。
でも福岡という地域は海に結構近い。今回は完全に津浪に没した地域である。
小高は駅を越えて津波が街内まで入ってきたことに本当に驚いた。
だから福岡の地点では驚かない、ただ年代的には貞観津波の砂としか考えられないのだ。それよりあの辺は縄文時代海だとすると平安時代も深く海が入り込んでいた。
だから砂が掘り出されても不思議がないともなる。
もっと奥だったら貞観津波の大きさを実感できただろう。
ただ十和田湖火山の火山灰が積もっていたということの驚きである。


十和田火山灰より上位に津波堆積物と考えられる砂層が検
出された.歴史記録から判断すると,この砂層は西暦
1611年慶長津波によるものと推定される.


十和田a
火山灰より上位に津波堆積物と考えられる砂層が検
出された.歴史記録から判断すると,この砂層は西暦
1611年慶長津波によるものと推定される.

http://unit.aist.go.jp/actfault-eq/Tohoku/06_08_03.pdf

この火山灰により年代特定ができる。火山というのも未知であり鹿児島のような桜島げは日常的にか火山灰の被害にあっている。それだけ火山灰はやっかいなものだけど過去には火山灰は肥料のような役目を果たしていた。焼畑農業はまさに人為的に森を焼いて灰を作っていたのだ。


姶良カルデラが吹き上げたAT層は酸性で赤いから焼畑くらいしかできないが、阿蘇や日本アルプスや阿武隈山地の火山灰土は真っ黒で「黒ボク土」といわれている。
滋味豊かで畑作にも使うことができる。
http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/54501093.html


相馬市のボーリング調査でも松川浦からずっと奥で砂が発見された。それは貞観津波のものだろうと言われる。
それにしても不思議なのは慶長津波の砂が相馬市でも小高の福岡でも発見されていないのか?この辺の科学的研究も実際はまだまだなのだろう。砂が発見されなくても砂はありうるからだ。だからすべて科学的研究だけで解明されるというものではない、でも現代は科学的研究が一番信頼される。
ただ慶長津波の砂が相馬地方で発見されない、相馬市の調査でも慶長津波ではなく貞観津波のものだった。


貞観津波の記述で


船に乗るにいとまあらず、山に登るも及び難くして、溺れ死ぬる者千ばかり、


船に乗ると助かったが乗れなかった。山に登ろうとして途中で波にのまれて死んだ人もいる。この記述は実際に見た人の証言だった。

津波でもそうだが十和田湖級の火山爆発になるとこれまた想像を絶するものとして日本全体に影響した。とにかく日本は火山が多い、それだけ日本の国土は大陸と違って若いのである。火山があることにより富士山のうよな優美な山ができた。火山国だから日本の自然は作られた。そして地震国であり津波国なのが日本だった。
ただ最近日本の風土的特徴を忘れていたことがある。今回の津波でそのことを思い知らされた。

この調査結果を東電に報告した時は貞観津波の砂ことであり慶長津波のことではなかった。貞観津波の砂は十和田湖火山灰の堆積により特定しやすいということなのか?

貞観時代辺りは地震や津波や火山が続発して起きた活動期である。だから南海東海地震も津波も起きる゛富士山噴火も警告される。自然が何も起きないときは眠っているのではない、巨大なエネルギーを地下であれ海底であれ蓄積しているのだ。だから何も起きていない、地震がないということで安心できないのである。

自然も絶えざる変化なのである。小笠原諸島の西之島kのそばに海底火山が噴火して新島ができたように地球は絶えず海底でも地下でも活動している。宇宙でも活動している。そうした活動を休むことはない、休む時はエネルギーを蓄積しているだけなのだ。土地でも冬には休ませるという、肥料をやって眠らせるという。すると春には土は肥えて実りをもてらす。ふゆはふゆ(ふえる)ことだというとき増える準備をしているのが冬なのである。活動するために眠っているだけなのである。
だから自然が完全に眠る停止するということはないのである。

posted by 老鶯 at 20:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

アメリカのGEの設計でフクシマ原発は津波対策をしなかった (土盛りを一旦高くしたのを削り低くしたのはアメリカの指示だった)


アメリカのGEの設計でフクシマ原発は津波対策をしなかった


(土盛りを一旦高くしたのを削り低くしたのはアメリカの指示だった)

atomicbomb1111.jpg


小沢も自民党の原発推進者でありそれが民主党にもちこまれた。
渡辺恒三もそうだった。つまり自民党から原発推進者が民主党に入り
同じ政策になったのである。


当時第五福竜丸の被爆などで高まりつつあった反米、反原子力の世論の懐柔に奔走した。こうして正力は初代の原子力委員会委員長、同じく初代の科学技術庁長官の座を手にし、権力の階段を着実に登り始めたかに見えた。
爆心から160キロメートル付近を航行していたマグロ漁船「第五福竜丸」に、水爆がまき散らした“死の灰”が降り注ぎます。乗組員23人全員が被ばく。無線長の久保山愛吉さんは半年後の9月23日に死亡しました。
初代原子力委員長に就任した正力松太郎氏は56年1月4日、「5年後に原発建設、米国と動力協定の締結」構想を発表しました。14日には米原子力委員会のストローズ委員長が「正力構想」に対する異例の「歓迎」声明を出しました。56年末には原子力協定見直し作業が始まります。
 これに抗議して原子力委員を辞任したのが、日本人初のノーベル賞受賞者の物理学者・湯川秀樹氏でした。湯川氏は辞任直前、こう訴えました。「動力協定や動力炉導入に関して何等かの決断をするということは、わが国の原子力開発の将来に対して長期に亘って重大な影響を及ぼすに違いないのであるから、慎重な上にも慎重でなければならない」(『原子力委員会月報』57年1月号)
米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版=3月15日付)によれば、福島第1原発など日本に9基ある「マーク1」型について、米原子力委員会は72年、原子炉の格納容器が小さいことを問題視。水素がたまって爆発した場合、格納容器が損傷しやすいとして「使用を停止すべきだ」と指摘していたのです。

 この警告どおり、福島第1で1号機の格納容器が損傷しました。
http://www.jcp.or.jp/akahata/html/senden/2011_genpatsu/index.html



ビキニの核実験は当時ではビッグニュースであり原子力の恐怖を植えつけた事件だった。それで共産党員だった親戚の人がそのことをよく言っていた。自分は共産党ととはかかわらなかった。富岡に住んでそこで死んだから富岡というと原発事故の警戒区域になったからあの世でどう思っているのか?
共産党は別に原発に反対ではなかった。ただ安全を計ることを要求していた。
それに政府と東電は答えなかった。

やはり政治家の発言ではない、湯川秀樹博士の発言は今になると重いものとなっていた。原子力について原子核の研究の専門家なのだから一家言をもつのは当然だった。
政治家は原子力については自分と同じレベルの素人でありその危険性を知らなかったのである。何でもそうだけど人間にとって知らないということがいかに致命的になるか?

それは津波でも思いしらされた。あんな危険な海岸に接して住んでいたのかということが問われた。400年津波が来なかったのだから何の危機感もなくなっていた。
スマトラであれだけの大きな津波が起きた時、日本では津波の被害あった地域でも津波を知らないからだ、避難誘導しなかったからだとか盛んに言われた。
その津波の国、日本でも津波に対する危機感が不足していたのである。

湯川秀樹博士は原子力の核の危険性を知っているからもっと慎重であるべきだというのは科学者の良心がそう言わせたのである。それだけ知っているからこそそう言うことができた。正力であれ中曽根であれ田中であれ小沢であれ政治家は自分もそうだけど原発の危険性を知らないのである。放射能のことだって知らない、人間は何か知っているものと知らないものの差が大きいのである。無知であることが重大な事故にもつながる。
病気でも病気について知らないことが手遅れになったり死につながる。
原発については素人には知り得ないものだからこそ科学者も重要な責任が生れていたのである。湯川秀樹博士はまだまだ原子力については知らないと知っているからこそまたわかっていないもの、危険なものと警告していた。


結局何が過ちの原因かというと政治的圧力で急ぎすぎたということがある。そして一番の自分の疑問は



なぜ一度高くして土盛りして原発を建てたのにわざわざけずりとって低くしたのか?


これはアメリカが設計したからその設計図を基にして低くした方が経費の節約になると
指示されて低くした



ここにアメリカがかかわりその設計して指示していた。するとアメリカの責任も大きいとなる。マーク1というのは危険なものだということもアメリカの技術者によって指摘されていた。それをあえて使用した結果、事故が起きた。
これも日本がアメリカの敗戦国となった結果、アメリカの指導に従うということになり逆らえない国になっていたためである。アメリカの圧力の下に日本の政治も誘導されていた。ただ日本が敗戦国でもすべてがアメリカの言う通りになることが政治とはならない。
それなりに拒否はできたが積極的にアメリカの下に原発推進になった。


アメリカとの因縁は江戸時代の開国の時の黒船に始まっていた。その時クジラの油をとるために港を使わせることを要求していた。


19世紀前半、アメリカは世界最大の捕鯨国でした。当時、灯油として使用するための鯨油の人気が高く、鯨の需要が増加しました。その他にも鯨油は用途が広く、石鹸、ローソク、潤滑油などにも使われるほか、当時流行った女性のフープスカートを膨らます輪(フープ)に鯨のひげが向いているとされ、大量の捕鯨が続いていました。大西洋では乱獲のため鯨の数が激減したため、アメリカは北太平洋に進出してきました。そして、日本近海で操業するアメリカの捕鯨船乗組員の安全確保、食料や燃料の補給地を日本に求めたのです。


これもエネルギー問題でもあった。アメリカの圧力で日本は鎖国から開国に向かって行った。ただこの時やはり無理をした。その弊害は太平洋戦争まで継続していた。富国強兵一辺倒となり日清戦争や日露戦争がありこれは勝ったようでも日本にそんなに利はなかった。日本はロシアとかアメリカとかヨーロパに伍するために相当無理をしたのである。
身の程知らずということがあった。日本というのは今でも中国とかロシアとかアメリカとか大国に囲まれてそういう地政的位置にあるのば変わりないのである。


今回の原発事故もそうしたアメリカの圧力の延長上に起きた事故ともいえる。だから第二の敗戦とも言われる。日本独自の道を進まずアメリカに踊らされているということがある。それが原発の設計図がアメリカが作っていた。その設計図、シナリオはアメリカが描いていた。日本ではその通りに原発を作った。
だからわざわざ土盛りして高くしたのに低くしろと命じたのはアメリカだったともなる。アメリカでは津波のことなど想定していない、コストの面でそう指示したのである。
そしたらアメリカの責任も大きいとなる。ただそうしたアメリカの責任は問われない、
日本は以前として敗戦国でありこれは第二の敗戦というとき、第二のヒロシマ、ナガサキともにている。


それからなぜ地元では原発推進になったのか、なぜ反対されないのかとか聞かれた。
それは非常に狭い範囲で決められていたのが原発だった。
小高に東北電力の原発はすでに建てられることが決まっていて工事も始められるところだった。でも合併前だから原町市はかかわることができない、もし投票で決めるとかなれば原町市は人口が5万だからその影響は大きい。合併していれば南相馬市として決めるからそうなっていたのである。そうなるとなかなか原発に反対する人もでてくるから簡単には決められなかっただろう。

原発は漁業権者とか地権者とかそんな狭い範囲で決められるものではなかった。

ただ狭い範囲だとどうしても利権になるから反対することができなくなる。
この辺では原発で働く人も多かった。親戚の人もそうだった。そして安全だと常に圧力をかけられるから反対はできない、今でこそ反対しているかが狭い町だったら村八分にされるだろう。今でなかなか漁業権のことなどで表立って批判していない、身近に漁師でもいるからである。

でも原発は原発周辺の狭い地域だけではない、福島県全体の問題でもありさらに広域的なグローバルな問題としてもあった。核戦争で人類は滅びるとか言われたが原発でも滅びるという怖いものだったのである。だからグローバルな問題として日本がヒロシマ、ナガサキで平和訴えたようにフクシマは原発事故の被害者だからそういう使命を党派を越えて担ったということはいえる。だから嫌な面もあったが今回のインタビューにそういう義務感から答えた。
自分が思っていた趣旨と通じるものが福島大学の調査にはあったからである。

fukushimaaauniii122.jpg

fukuuni1.jpg

posted by 老鶯 at 22:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2013年12月14日

年の暮(外部からの人が働いてくれた震災の被害地)


年の暮(外部からの人が働いてくれた震災の被害地)


故郷に外より来たり住む人に寒き夜かな月の曇れる

故郷に力をそそぐ外よりの人を思いぬ年のくれかな
震災は絆を作る外よりの人の働き今年も暮れぬ


孤立した生活が長く続くと、精神的にも、そして肉体的にも問題が出ることが多い。基地の医者にかかった患者は、このひと月で、のべ23名にもなった。捻挫や切り傷、腸炎、胃炎が目立つ。日本を出る前は徹底した健康診断でも問題がなかった隊員ばかりだったが、10月の血液検査では、肝機能障害、高脂血症、高尿酸血症といった異常者が半数近くに達した
http://shima3.fc2web.com/gyo9912.htm

ここに南極で働いたあわれな話のことがでている。そもそせ南極のことを関心をもった人はあまりいないだろう。一体そんなところで何をしているんだとなる。また何かそこに住んで研究して得るものがあるのかとなる。
でも世界中の科学者が南極に行っている。
それが何のためなのか?と考える関心をもつの人は実際はまれだろう。
もちろんそこで働く人はでは何のためにそんな苦労しているのかとも自問したとしても
ただ命令だから耐えている。
もちろんこういうことは宇宙に行く人にも言える。
その時問われているのはやはり何のためなのだろうとなる。
今すぐ南極に行って資源を得るわけでもない、宇宙で何か成果をあげられるものでもない、つまり石油をとりにゆくとか、原発でもそれが具体的に電気をエネルギーを生むとなると誰でもむずかしいことはわからなくてもそれが有用なものだと関心をもちその人たちを科学者を称賛して迎える。

人間はミッションをもち使命感をもち働くことはまれだろう。人間は自分が働いていてもそうした使命感などなかなか自覚できないだろう。
会社に勤めているのはそんな使命感ではない、ただ日々食べるためであり家族を養うためであり深いことは普通は考えない。
南相馬市の産科医がガンになってまで最後まで南相馬市で子供をうみ育てるたとが大事なんだととこれはミッションだと言って死んだ。
ただこうした産科医でも医者でもそんな高等なミッションを自覚して働いているわけではない。たまたまこの辺が原発事故で子供まで避難したことによりそういう異常な事態が生れた結果゛そううい意識が生れたのである。
別にこのような異常事態にならなくても医者看護師などは使命感を意識しやすいのである。
それでも仕事はきついから看護師は性格か悪いのが多いといわれる。
それはこの南極へ行った研究者でもそうである。より過酷な仕事は何らかの使命感がないとできないものになる。ただ高額な収入があるだけでは勤まらないたろう。
だから原発事故の時、決死隊が編成された時、大和魂が蘇ったとか称賛されたのである。もしかしたら死ぬかもしれない,しかし今日本国民のために命をかけてもやらねばならという意識をもたささたのである。
実際はそれほどの仕事とも思えなかった。これは外部から見ているから実際に仕事をする人になればまた違っていた。

ともかく死ぬほどの決意をするとなるとそれだけの使命感をもたないとできない。
だから戦争ではあれほど死んだのは何なのだろうとなる。
一人一人がそれたけの使命感をもっていたのかとなるとまた疑問である。

ただこの辺の原発事故やらで科学者とか外部から来て働く人に関心をもたされた。
インターネットの情報は意外なものとつながってしまう。
思いもよらないものとつながってしまう不思議がある。
こんなことはなかなか今までの雑誌であれ新聞であれテレビであれ本であれありえないのである。
新聞が出て、テレビがでて、インターネットが生まれ人間のつながり方も変わるという事かあった。悪い面では全然知らない人がネットでつながり犯罪を犯すようなことがあった。それもまたネットの負の面である。
だからといってインターネットがすべて悪いとは成らない、いい面も多くもたらしたのである。
普通はこの科学者に関心をもたない、科学者は関心をもっても専門外の人はあまり関心をもたない。ただこの辺ではいろいろなことに関心をもつことが強いられたのである。

南相馬市も相当に関心がもたれた。神社まで関心がもたれるということはなかった。他でも津波では関心がもたれた。原発事故周辺はさらに関心がもたれた。
相馬はせいぜい野馬追いくらいしか関心がもたれない。
それが原発事故で世界的関心の的になったのである。
それは悪い面でそうなのだが関心をもたれることはやはり内部の人の意識も変わる。
全国の人が見ている、関心をもっているからボランティアにも来る。
江戸時代だったらまず伊達藩でも隣でも助けようとする意識ももたない。
そういうつながりを感じない社会だった。
今は広域的につながっている時代である。
ただモノだけが来る時は人間はつながりをあまり感じない、人がこの地に直接来ると感じるのである。

今年ももう震災から二年半以上すぎて来年は三年目である。
だからまた状況も心境も変わってくる。
最初は仮設に関心をもったが今ではほとんともたない、今はなぜいつまでいるのだろうかとなる。働かないから余計にそうなる。
仮設暮らしの人とはなかなか交流がもてないのである。
いづれにしろいろいろあったが「絆」ということを自覚させられたことは確かである。

今日は寒く月が曇っていた。外部から来た人が多いからその人たちの犯罪もあった。
これもいい面ばかりではない、外部の人、よそ者は何者かまたわからないということがあるからだ。

月が曇るようにわからないのである。だからよそ者はすぐには信用できないのが普通である。
それでもこの辺でも工事関係者でも調査研究者も住んでいる。それも結構長いのである。
旅行すると旅の宿とは違う、やはり同じ土地に住んでいれば思いが深まるということはある。

2013年12月16日

人生でも必ずツケを払わされる (原発事故も過去のツケを払わされている)

 

人生でも必ずツケを払わされる

(原発事故も過去のツケを払わされている)

つくづく人間はいつかは必ずツケを払わされる。そのツケとは個々に違うがツケとはむずかしく言えば人間の豪(カルマ)とか因果応報のことである。因果はめぐるとかなる。
親の因果が子に報いということもある。
生活保護などは一見楽でいいものだと現代では見られている。生活保護者は恵まれているとか批判される。それだけ現代が新しい貧乏の時代だからそうなった。
でも生活保護は実際はいろんな権利を失う。
例えば何らかで遺産がおりてもそれが一億とかならないとなかなか相続しにくいだろう。なぜなら生活保護は一生受ければ一億くらいになる。
だから一千万でもおりたとしても生活するのには5年くらいでたりなくなる。
だからかえって計算すると損になる。

そしてもしそれをわからないようにもらうとしても見つかったらそれまでもらった分を返還させられるしまた必ずそういうことは届けなければならないし遺産相続の裁判になったらその額がたとえ少なくても百万でも一時的に生活保護は停止になるのである。
だからすでに遺産相続の権利を失うとういこともある。
一億くらいもらえば別だけど計算すると損になる。
まあ、そんな遺産の目当てがないかち生活保護になっているのだけどそういう権利も失っているということに気付かない人もいる。
すでに10年以上も生活保護になっているのだからそういうことを知っていると思ったら知らないのである。だからなんらかあとで必ずツケが払わされる。


見栄から多額の借金した人も今になるとそのツケが払わされる。借金は具体的だからわかりふすい、借金は必ず返すことが要求されるという。例え借りた人に返さなくても他から厳しく取り立てられるというのも現実であった。借金した人はツケがますますふくらむことがある。借金に借金を重ねて首か回らなくなる。そして最後は破綻してしまうことになる。
これは健康でもそうなのだ。必ず酒であれタバコであれ何か健康に悪いことを重ねると60代以降必ず病気になる。60代で病気になるのはたいがい生活習慣病である。すべてではないにしろ確率的にはそうなる人が多い。何か健康に悪い習慣が積もり積もって体に蓄積されて病気になる。酒を多く飲み続ければ必ず肝臓など臓器が弱ってくるのである。
だから60代以降にそのツケが払わされるのである。


そういうツケがカルマが払わされるのが人生である。一見これは楽だなと思って生活しているとそれが後年に辛い人生が回ってくる。今は苦しいと思っていても耐えていると後で楽になったりする。だから今か苦しいからと絶望するのはまた性急なものとなる。
苦しみもそんなに長くはつづかない、ただ5年くらいつづくことはある。
そういう凶運は誰でも経験する。自分もちょうどプログをはじめてから家族が認知症になりその介護で苦しんだ。どうしてそんな病気になったのか?
これもその人の性格もあるがやはり何らかその人の業(カルマ)があってそのツケを払わされたかのかもしれない、公務員だったことと性格的に奢りがあった。ただ功罪がありいちがいにはいえない。公務員は今はうらやましがられているが認知症になる率が高いとするとそれも生活習慣病が原因になっているからである。公務員か恵まれている楽だというときそれがかえって後年悪いものとなっているともなる。


そして原発事故などもそうだった。原発かできるまでの経過をふりかかえればまずよく原子力のことを知らないで調べないで急いで導入したことである。そのことを湯川秀樹博士はその危険性を知っていたからもっと体制を整えて安全を計るようにしてやるべきだと忠告していたのである。でも政治家は急いでマーク1とかの古い原子炉を導入した。
そしてアメリカのいいなりになり一旦高くしていた土盛りを低くして原発を作った。
それは日本主導ではなくアメリカ主導になったのは結果的には急いだためなのである。
その後の原発はフクシマの第二原発は日本の技術も加えられてアメリカ一辺倒ではなかった。東北電力の女川原発も津波に備えて高くして助かった。

一番最初の原発が津波で破壊された。その原因は急ぎすぎたということである。

人間が急ぎすぎる、余裕がないということから常に事故や何か災いをまねくのが多すぎるのだ。待てないということから災いが起きてくるのである。
そしてそのツケが払わされる。必ずツケは払わされるのだ。
初期不良というのが必ずあり半年くちいすぎて新製品を買った方がいいというのは実際に使ってみたら不具合があったとか改良されるからである。
技術が熟成されないままに原発が導入されたことが事故の原因になっていたのである。
ただそうなるのは競争社会では新製品は一カ月手も早く出した方が売れるし他者に勝つということはある。でも原発は安全性が第一でありリスクが大きいのだから同じレベルでは考えるべきものではなかった。国家的事業であり失敗すれば国家がつぶれるというくらいの覚悟が必要だったのである。


「あかわてる乞食はもらいが少ない」とか最近いろいろ諺になるものがいかに人間の真理であるから思い知らされた。この諺というのは庶民が残したにしろ長い人間の歴史のなかで普遍的なものをもっているから現代でも生きているのだ。
「あわてると大損する」というのは真理である。

 急いては事を仕損じる

Haste makes waste.(慌てる無駄ができる)
The more haste the less speed.(急げば急ぐほど速度は落ちる)

英語でも同じだから人間に関してはどこでも共通なものが真理として残されている。それは長年の経験の積み重ねで生まれた言葉だから
重みをもっている。

自分に借金してきた人もそんなにあわてる必要はなかったのだかどうしても金が欲しいということもありこちらが弱っているときそこをついて多額の借金を要求してきた。
それ以来その人を信じられなくなった。なぜこんなに多額の金をやったのかとあとで反省した。そしてその人には何かもう頼めないと思うようになった。
なぜならそんなに多額の金を百万と要求されて断れないとななると何も頼めない、十万くらいならいいが百万を軽く要求されることは怖いことである。
これもあわてる乞食はもらいが少ないとういことなのだ。
もっとあわてないて金も要求しなければもっともらいたいかもしれないからだ。
ただ金に追われている人間はたいがいあわてる。一気に返そうとしたり何か一気に解決したくなるかちらかえってそういう人は借金を返せないというのもわかる。
しかし人間は余裕がないとしわてるし急ぐからかえって失敗する。


確かに技術競争は激しいから一刻一秒を争う社会でもある。でもそこに大きな落とし穴が待っていたのである。江戸時代のような農業中心の社会だと林業でもそうだが木か育つまで50年かかるとするとこれは相当に気が長い生活をしないとやっていけない。
一代てはすてに成り立たない職業になる。今は時間感覚が十倍速くらいになっている。
そういう時間感覚からどうしても大きな事故が起き安くなる。
それが致命的にな事故になったのが原発事故だったのである。
原発にはあまりコスト意識をもつべきではなかった。
ただそれがアメリカの指示だったとするとアメリカの責任も重いが追求されないなのだ。ただツケはカルマはアメリカにもいつか回ってくる。それは百年後か二百年後かはわからない、ヒロシマやナガサキはすでに大きなツケであり今回のフクシマの原発事故もそうだった。アメリカによって蹂躙された二度目の敗戦だったというのもそのためである。

posted by 老鶯 at 06:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

30キロ圏外の最初の補償金は南相馬市の財政調整基金からだした (三人が立候補する市長選挙で市政が問われる)

 

30キロ圏外の最初の補償金は南相馬市の財政調整基金からだした


(三人が立候補する市長選挙で市政が問われる)

最初は30キロ圏外は義捐金もなかった。財政調整基金の中から8億6千万円を支出した。


南相馬からは新潟方面へ避難した。泉田新潟県知事から、「南相馬市民全員を受け入れる」という電話が入った。そのため急遽、避難計画をつくり、住民を避難させた。

原発事故の時、何が起きたかのみこめなかった。30キロ圏外は鹿島区は屋内退避地域であった。だから避難指示の20キロ圏内とは違っていた。原町区は避難指示だった。
でも介護している人などは避難しなかった。避難できなかったのだ。
小高区は警戒区域になり全員避難命令であり誰も住まなくなった。
原町区には以前として残った人が多かった。

鹿島区では体育館に集められて市の職員か説明したがよく聞き取れなかった。
なにかぼそぼそ言っていて要点がのみこめなかった。
何を言いたいのかもほからなかった。

ただその時、バスを出しますから避難して下さいということだった。
バスは限られていますからみんな避難できないです
だから早く避難する人にはバスで避難させます

そういうことだけが耳に入った。
ええ、これは緊急事態であり危険なのかとも思った。
そんなことを介護している母に言ったらふるえていた。
避難したら確実に死んでいた。
関連死が500人近く原町区では出ている。
原町区辺りはみんな無理して避難する必要がなかった。

でもあの時、爆発したり相当な緊張感があり
避難指示になるのもやむをえなかった。
爆発があれだけで収まるのかまだまだ事故が拡大するのか見えなかった。
原発についてはわからないから恐怖を感じたらきりがなくなる。
それで原発で人類滅亡だ、東北は終わりだとかみんな関西に避難しろとか
その後も一年に年後でも面白がってネットてはやしたてていたのである。


ともかく原発については放射能については皆目わからないから
恐怖を感じる人は今でも恐怖を感じる。
感じない人は感じないから地元でとれた野菜でも食べている。
その差もまた大きいのである。

結局3年目くらいになると冷静に過去を見れるようになる
南相馬市の市長が鹿島区の人に騒がれて一所帯百万の義援金を出した。
それは市の財政調整基金であり東電の金ではなかった。
東電が補償金を調整しはじめたのは二年後からくらいだった。

だから別に鹿島区も今は正式に補償金を見積もりしているようにもらえたのである。
原町区と同じにするなら一人70万を7カ月分もらえると正式に本賠償してきたのだから仮払いなどもらう必要なかった。
それより鹿島区では正式に本賠償で一人70万を原町区と同じように一年と二年とか延期してもちうように交渉した方が得だった。
この時もあわてる乞食はもらいが少ないとなっていたのだ。
ただその時は鹿島区の人は全然もらえないのだと自分でも思っていた。
だからそう感じた人も多かったから騒いだのである。
補償金についても実際はこんなにもらえると思っていなかった人たちも多かった。
国がかかわるとこんなに補償金がもらえるのだと正直みんな思っているだろう。


そして鹿島区からでも新潟に避難した人は待遇が本当に良かったと言っている。
新潟の人は親切だったと言っている。
温泉に行ったような気楽な気分だったのである。
ご馳走もされたし温泉にもひたれるから何の苦労もなかったと言っていた。
健康な人はそうだった。
新潟の人は情が厚いというたとがあったきかもしれない、だからあとでも新潟の人に好感をもって今度は世話になった人を招待している。


いづれにしす桜井市長が財政調整基金の中から8億6千万円を支出したということはやはり最初国や東電ではなく市の財政から出したということで批判されたのだ。
実際は国や東電がらあとでその分は補填された。
それは仮払い補償金だったのである。
そのことが何かまぎらわしく補償金を複雑にしたのである。

今でも桜井市長は義援金を市民に分配していないとか批判されている。
マスメデアとか何か講演とか目立つことばかりして肝心の市政はしていない、
だから批判が多い、来年の選挙では三人が立候補する。
前の渡辺市長も立候補する。もう一人は新人である。
その人は飯館村で議員していた人のなのだろうか?

もう桜井市長は当選するとは思えない、これだけ評判悪くしたのだからできない
ただ渡辺市長も利権だけに精を出したからと批判がある。
もう一人の新人はどうなのかというとわからない。

桜井市長は何か左寄りで理論家で実際の政治向きではなかったのかもしれない
どうしても民主党でも失敗したのは理論家であり理論と政治は違う。
学者肌の人だったのかもしれない、政治の世界はわからないにしろ何か政治にどろどろしたものがありきれいごとではすまない、そういうことを心得てないとのりきれない世界だろう。
学者は政治がどうあるべきかと考える人であり実際に政策を実行する人ではない、
自分も学者肌である。政治かどうあるべきたと考えても実際社会政治は矛盾の塊りなのである。
宗教でも何か愛とか慈悲とか言ってもそんなことは厳しい現実社会では通用しない
現実は弱肉強食の非情な世界たった。
だかちらつくづくわかった。
カルト宗教団体が創価でもそうした現実に根ざしているからそれだけ会員を増やしている。宗教の慈悲とかなんとか何の関係もない
ただ現実社会でいかに得するかそれを具体的に力でもって勝ち取ることなのである。
だから権力も現実に得る必要があるから権力をとるために選挙に精をだす


これは別に創価だけではない、カルト宗教団体はみんなそうである。
ヨーロッバではカトリックかそうして世俗化した。
世俗化の力か強いからどこでもそうなるのだ。
本当の宗教は自分の命すら犠牲にして尽くすことを説いている。
でも現実は他者を犠牲にさせてまでも自分たちの団体が利権を獲得して得することを目指している。
それが現実社会と宗教の理想があまりにもかけ離れていて現実社会に弱肉強食の世界にのみこまれるからそうなる。

共産主義でもソビエトが崩壊したのもそうした人間の醜い面が否定できなかった。
だから権力闘争となりソビエト連邦は崩壊したのである。

いづれにしろこのような困難な状態で市政をやるのは相当な実力がないとできない。
別に普通だったら誰もやっても同じだとなっていた。
今回はそうはいかない,市民が本当に困ってしまうからだ。
それは常に補償金や義援金問題でも直接市民個々人の問題となりひびいてくる。
だから有能な実行力ある市長を望むことなにる。
でも選ぶ人は限られているからこれも実現しないかせしれない

経営でも共同経営になると必ず他者に責任をおしつけるからうまくいかないという
民主主義では強力な指導者はでにくい。
民主主義がそもそも合議制であり共同経営である。
だから何でも国でも東電でも誰か責任をもつことはない、みんなが悪いんだ、最後はそういう空気だったとなって戦争も原因も責任も不明となっているのだ。
空気に責任が転嫁されているのが日本だったのである。

 

南相馬市市長選挙候補-渡辺一成の政策の分析 (シルバータウン特区になることはいいこなのか?)


南相馬市市長選挙候補-渡辺一成の政策の分析

(シルバータウン特区になることはいいことなのか?)


citypolicy1.jpg

人口が減っているということか最大の問題だからそれを全面に出した。
7000人減って子供と若い人が主に減っているから痛手である。

その中で注目したものをとりあげた。

特区制度とは土地を自由に利用して制限を解いて新しいものを作り出してゆく、
それ以外にも特区制度は必要である。その特区が何になるのか
この辺はすでに今までの延長としてあるのではなく新たな志向が必要になっている

特区という時、「シルバータウン特区」も一つの現代的特区になる。
高齢化社会のモデルタウンを目指す、介護付き老人ホームの開設で首都圏の高齢者を呼ぶシルバータウン作りを推進する

そして一番自分が注目したのは


独居老人、高齢者所帯が共同で生活する仕組み作り


これだった。なぜなら自分が高齢化に向かっていて家族もなく身寄りもないから一番関心をもったのである。
現実に近くでも妻に死なれたとかいろいろな事情で一人暮らしが増えている。
今は大家族で住めない時代である。
家の中におじいちゃん、おばあちゃんとして住める人は少ない、そういう住環境ももてない人もいる。そして嫁と姑は一緒に暮らさないのが普通の感覚になっている。

この辺で原発事故やら津波で仮設に住んで家族がばらはらになったとき
かえって姑と離れて住めるからいいという人がいたことでもわかる。
すでに家族がばらばらになっているからそうなったのである。

妻をなくした人は大きな家に一人で住んでいる。そこにやはり一人暮らしの女性が出入りして家事など教えている。小さな畑で野菜も作っている。その人たちは夫婦でばないけど共同生活をしている。助け合って生活している。
一人暮らし独居老人が増えてくるとそうした友達的につきあい助け合うということもありうる。それを制度化するというのはいいことである。

ただこの政策を実行するにはいろいろなむずかしい問題が生れる。
施設という箱ものだけを作ってもうまくいかない、すでに老人だからきいってみんなうまく友達で協同するということはない。
あいつとだけは嫌だという人は自分にもある。そういう嫌なやつが老人にも多いとなると人間の問題はそんな簡単なものではない。


すでにそれはいろいろと予測される。決してバラ色ではなく幻滅の都市、高齢者だけの活気なのない都市ともなりうる。ただ高齢化社会のモデルとして特区構想はそれなりに時代にあっている。
ただシルバータウンを嫌う人もいるだろう。街全体が老人ばかりになると老人自体も嫌になるということもあるだろう。実際は子供や若い人が増えた方が社会にとってはいいのである。活気もでてくるし子供自体が未来なのだから未来は自ずとそういう所から生れやすい。高齢化社会の未来というと介護ばかりになったらそれは未来とは言えない。

ただ政策にはシルバータウンの構想を全面に出しているし現実この辺は若い人が流出して高齢化が他の都市より早く進む、だから当然そうした対策が早急に望まれる。
それが日本全体の問題だという時、すでに東京などでは施設がたりなくなり地方に介護してくれる施設を探して地方に金を落とすことをしている。

都会の高齢化はまたその数が多いからまかないきれなくなる。土地を確保するだけでも大変になるからだ。
それでもまた東京から老人ばかり送り込まれくるのはいいかとなると必ずしもならないだろう。他から呼ばなくても地元の老人だけでも増える、さらに老人ばかり増やしてどうなるんだとなる。その世話をする人は誰なんだとなる。
若い人が流出しているのだからここに若い人が介護のために来るのかとなるとそうはならないだろう。果たして老人ばかりの都市に若い人が来るだろうかとなる。


火力発電所を誘致することはいいことだろう。雇用する数が千人単位であり波及効果もある。今でも相馬地方には二つの火力発電所かある。それが雇用を支えている。

ここでもう一つ政策として高齢者を東京から呼ぶとかシルバータウンの構想もいいとして問題が若い人が流出しているのだから若い人は流入するような街作りも必要である。
かつて災害があったとき、必ずしも都市が衰退するとは限らなかったという。
日本も戦争に負けて破壊尽くされてもなぜ戦後急速に復興したのか?
あれだけ破壊されても明治維新以来まだ日本には発展する余力があったからだ。
まだまだ経済成長する力があった。だから高度成長は戦後に本格的に起こりみんな豊かになったのである。

現代は少子高齢化とか産業も衰退しているとかいろいろな下降トレンドでありだからこのうようて大災害でも打撃が大きく立ち直れないということも言われる。
ただ宮城県はもともと経済が上昇していたから回復すると予測されている。
福島県の打撃は原発事故で大きいから困難になる。


こうした変革期にはやはり新しい発想とか新しいものを作り出すにはかえっていいしやりやすいのである。そのためには内部だけではできない、外部からの若い人たちの流入が必要になる。災害のあとはそういう人たちが入り安いといこともある。
それで復興したという例もある。相馬藩の場合は飢饉の時越中などの移民が流入したことで立ち直ったことでもわかる。

とにかく今回のように災害地域は存亡の危機になっている。その時、どうでもいいやとか何もできないと補償金で遊んでいればいいや明日のことはわからないというのでは困る。そういう人こそ街から出て行ってほしいとなってしまうだろう。
何らかに復興であれ再建であれ寄与するよう努力する。
そうしないものはここではもう生きていけない、必要ないとして外に出て行ってくれとなるかもしれない、それから補償金で生きるからそんな努力をする必要もないと衰退した精神的に荒れた地域となってゆくかもしれない、そういう所は大阪などにある。
もうほとんどが生活保護とかなっている。
そういうところでは人心も荒廃してまともな人は住まなくなる。外に出て行ってしまうだろう。


ではお前は何ができるんだとなるとき、自分でもともかく南相馬市であれ相馬藩であれ復興のために参画する、未来のビジョンを描くだけでも参画ししてみる。
市長になったつもりで全体の街の構想をねる。
「相馬郷土史研究」ではそうした下地を基礎となる歴史を研究した。
その上にまた新しい構想もありうる。
ただそれが何なのか?自分としてはこれから参画してそのビジョンを示す、未来はやはり
まだ自然があり自然を活かすことである。それは食料だけではない、自分が詩とかにしたように自然は放射能に汚染されても美的景観は失われていないのだ。
だから以前として俳句とか短歌にしたように詩にしたようにそういう自然はある。
その自然の美とともに生きることに喜びを感じ励まされるのである。
だから八沢浦が美しい入江にもどった書いた時、ひんしゅくをかったがやはり美しいものがこんな悲惨ななかにも生れたとということを否定できなかったのである。


津波の跡地などもどう利用するかも問題になるだろう。ただここでは人が多く死んでいるのだから供養の場になっているから遺族の気持もあり簡単にはできない。
時間がもっとすぎればまた別だがまだまだ遺族の気持は津波の跡にありそこに娯楽施設などは作りにくいのである。

とにかく実行できないにしろ何か新しい街の構想を描くということはできる。それができればやはりそれだけでも参画したことになりそれが現実化してゆくための基盤ともなりうるのである。ただ現実問題として例えは双葉の人などを心地よく受け入れる体制を整えるといっても若い人ならいいか高齢化で老人ばかり働かない人ばかり流入すとただ重荷になるだけだということもある。いわき市ではそういうことで問題が起きた。
政策では要点をまとめたもきでもこれらの実行には相当な困難がある。
具体的にも必ずしも見えていない、一つの案の段階にすぎないのである。

posted by 老鶯 at 20:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2013年12月18日

冬の暮(金沢-北泉の延命地蔵)


冬の暮(金沢-北泉の延命地蔵)


北泉に時代を残す碑の残る延命地蔵や冬のくれかな

一本の樅の木ありて北泉に延命地蔵や冬のくれかな
北泉に人の住まじも冬の暮延命地蔵の残り荒れにき
幹太く大地に根づく一葉松津波も来たり年も暮れなむ


延命地蔵があったのは金沢ではない、泉地区でありその中の北泉地区だった。山の向こう側は金沢になるのか、金沢は広い地域である。ただあそこは泉長者などの伝説があるからもともと泉地区の延長上にあった。
ただ金沢地区は元禄頃から開拓が始められていたから八沢浦などより古いのだ。
だからこそ北泉に「延命地蔵」があった。
そこに江戸時代の年号が時代ごとに刻まれているから古い。

津波の後にも残ったから不思議に思う。津波の後に残ったものとして海老村では壊滅したが高台の墓地だけが残った不思議がある。墓地は明治以降で古いとは言えない。

江戸時代からのものがあれば歴史的価値が何でもある。
墓でも江戸時代のものがあるとここは古いなと思い注目する。

津波の前はあそこは知らなかった。津波の後に注目するようになったものがある。
あそこの延命地蔵でも江戸時代からあるものはやはり村の中心的なものとしてあった。
それがまるで木の根っこのように残ったのである。
一つの歴史を伝える重みあるものとして残った。

そういうことは他でも津波の被害にあった所でもいろいろあるだろう。
社は村の中で果たした役割があり人々の願いがこめちられていた。
病気になれば祈っていたし延命したいとなり延命地蔵が残ったのである。

だから代々つづいたそうした歴史が失われることは生の根っこが奪われるということにもなりかねない。

ただそれはあくまでも歴史的遺産であり信仰とはまた違う。
でも古いものには何でもそれだけの価値がある。
そこには代々積み重ねられた人間の生活がありその昔をふりかえることで今日の意味も見えてくる。
そういう生の連続が津波や原発事故で避難して住めなくなると断たれることになる。
それが何を意味しているのか?

歴史的アイディンティティが失われて根っこが生の根っこが失われるということにもなる。
ただあの辺の歴史がどうなっているのかわかりにくい、なぜあそこに住んだのか?
山を越えた所には開拓してそれなりの耕地があるがあそこは狭くてない、港もあった記録もないだろう。だからどういうふうな村の暮らしがあったのかわかりにくい。
ただあそこには家がそれなりに集中していて津波で壊滅してしまったのである。

 

津浪で見直された南相馬市金沢-北泉地区の延命地蔵尊
(延命地蔵は庶民の願いが特にこめられていた)

http://musubu2.sblo.jp/article/69055648.html