2013年11月26日

カルマはめぐりめぐって返すことを要求される (誰でもカルマを背負わないものはいない)

 

カルマはめぐりめぐって返すことを要求される

(誰でもカルマを背負わないものはいない)

●自分がサイフを落とした時は必ず返ってきたから今度は拾って届けた


カルマについて家系の因縁とかを気にしている人は多いみたいだ。なんか今日サイフをめずらしく拾った。中味は千円しか入っていなかった。カードが十枚くらい入っていた。
保険証が入っていたから名前もわかっているしカードがあれば警察で名前が割り出される。本当は警察にゆくとめんどうだから届けたくなかった。
でもなぜ届けたかというと自分は田舎で暮らして十回くらいサイフを忘れているがもどってこないことはなかった。これだけは不思議だと思った。
サイフを盗られたという人がいたから田舎ではそんなことあるのかと疑問に思った。
田舎ではサイフだけは届けられる。サイフは普通あまり金が入っていなことが影響しているかもしれない、ただ一万でももちいたいという人もいるからわからない。
自分がカードをなくして困るのはキャッシュで金を下ろすカードである。
これはなくすとカード会社に連絡しないとならないからめんどうである。
三回以上そういう手続きをしたから嫌なのである。
それもすぐしないとまずいからめんどうである。

今回はそうして自分のサイフがいつも返ってきたから今度はサイフを拾ったので警察に届けた。前は仙台で落としたのも警察に届いた。あとから連絡が来た。日本ではサイフを落としても返ってくる割合が大きい。80パーセントくらい返ってくるだろう。名前が書いてあり住所が特定できれば警察から必ず連絡がくる。カードだけでも住所や名前も割り出せるようである。だから都会でも落としても警察に届けられると返ってくる割合も多いのかもしれない、忘れたところがスーバーだとスーバーやコンビニでもとっておいてくれて連絡がくる。だから仙台は遠いにしろ近くでサイフを落として返ってこないことはなかった。その点は安心だった。金よりハンコなどが入っていたときそれがなくなると本当にめんどうになる。全部貯金通帳を書き換えるようにさえなる。ハンコはなくすことがありめんどうである。サインだったらこんなめんどうなことはないのだ。


結局これもカルマだった。十回もなくしてサイフがもどってきたのだから自分も返さねばならないと思った。だから警察に届けた。つまりそれだけすでにカルマを積んでいたのである。だからどこかで返さねばならなくなっていたのだ。もちろんサイフも拾ったりして中味の金を使ったりしたら犯罪になるらしい。それで監視カメラからサイフを拾った人が犯罪者にされたというのも驚く。そんなことあるのか、どこで見ているかわからないというが監視カメラ見ていた。人間は生きている間に必ずこうしたサイフを落とすということでもカルマを積んでいるのだ。もちろん落とさなければそのカルマを意識はしない。
でも長い間生きていればそうしたカルマを積むのが人間なのである。


●カルマはどんな人でも積んでいる


カルマというのは人生をふりかえれば必ずそれぞれが積んでいる。自分の家は店屋でありスーバーがない前は繁盛していた。その時母は食事する暇もなく働いていた。どうしても食事中にお客さん来てたたなければならないからだ。それを子供の時から見ていて何でそんなにしてまで働かなければならないのかと嫌だった。
それが今母を介護しているけど必ず食事中に食べ物を運んだりするし料理もしているから食事の途中で必ずたたなければならない、だから何かゆっくりと食事できないのである。子育てしている母親もそういう経験をしている。
今になり自分は楽だったけど様々な災難に見舞われた。誰も助けるものもいなかった。
それもはカルマだと思うようになった。楽しすぎたことが今の苦しいカルマを作り出していたのである。そしてカルマは返すことが必ず要求されるのだ。

具体的にカルマはそれぞれの人生で違ったものとなるからわかりにくいが個々の人生を紐解けばそれぞれのカルマが明確に認識できるだろう。

まず人はどんな人でも必ずカルマを積んでいる
人は必ず誰かに親でも世話になっているし誰かの労働によって活かされてもいる
だからカルマなしで生きられる人はいないのである。
カルマはすでに意識しなくても背負わされたもの、チャージされたものなのだ
ただそれを感じなかったのは親であれ兄弟であれ他人であれ背負ってくれていたから
自らカルマを返さなくてもいいという面があった。
誰かがカルマを背負ってくれればカルマを背負わずにすんでいるということがあった。

親の世代とか祖父母の世代とかがカルマを背負ってくれて次代のものが楽をしているということがある。また逆に親や祖父母の世代のカルマが次の世代のカルマとなり苦しみを背負わされるということがある。それはこの辺の原発事故が次代のものに多大なカルマを背負わせたことでもわかる。放射能という毒は消えないということでそのカルマが大きすぎたのである。まだ結果はわからないにしろそういうカルマを今の時代の人が作り出して背負わせたのである。だからこのカルマを解消するにはとてつもない時間がかかる。
プルトニウムの毒が二万年消えないということがそれを証明している。


●金がたまりすぎるとカルマも返せなくなり悪となる危険


こういう大きなカルマもあるが個々人の人生でもカルマは負わされる。
今は格差社会だけどなぜこんなに貧乏な人がいてまた裕福な人もいるのかということがある。一万とかの金に苦労している人もいる。一方で一万とかはした金になっている人もいる。百万すら落としても平気な人もいるだろう。
億の金をもっていればそうなる。だから金に対する感覚は金持ちと貧乏人では相当に今は違う。でも金持ちも実はカルマを背負っていたのである。
貧乏な人がこれだけ増えているということは金持ちも安穏として金持ちではいられない、金を多くもっていることもカルマなのである。すでに多すぎる活用できない金はカルマになっているから返さねばならないとかなる。
こんなふうに意識する人は少ない、でも何らかそうした金は貧乏人に対してであれ社会にであれ返さねばならないものとなる。それを返さないと借りになり返還を要求されるだろう。


こうしてカルマを返さないとそれが社会の中で巨大な悪として膨張して成長してそれが社会自体に大きく影響するから怖いのである。徳州会などもその志は最初がよかった。それが政治にその巨額の金を使うようになって堕落した。つまり金がたまりすぎてそれを使う術が間違っていたのである。そうした巨額の金を社会に有効に使うとなるとすでに使いきれなくなる。だからカルマを積み金自体が巨大なカルマとなっているのだ。

カルト宗教団体でも会社でもあまりにも金が集まりすぎるともうその金を社会に有効に還元できなくなりかえって悪いものに使うようになる。東電なども3兆円とか巨額な資産がありそれがマスコミ対策とか天下り先の提供とかに使われたことでもわかる。金も一つのカルマなのである。

もちろん借金も明確に目に見えるカルマである。返しきれないほどの借金をしている人はすでにカルマのためにつぶれる。そのカルマは他人にも転嫁される。返しきれないからそうなる。そういうことを自分は経験している。病気の時も借金を要求される。さらに極端化してくると借金のために家族まで生命保険にかけて殺されるとまでなる。借金から起きる犯罪が一番多いように見えるからだ。借金は具体的に目に見えるカルマなのである。
まずそういうカルマを背負う人は見栄があり節約しない、金を使い自分は金がないということを見せない、成功者のように装うのである。でもそうしたみせけもいつか露呈する。その時はすでに返せないほどの借金になり他者にそのカルマをおしつける。それが犯罪までになるから怖いのである。


神々がシシューポスに課した刑罰は、休みなく岩をころがして、ある山の頂まで運び上げるというものであったが、ひとたび山頂まで達すると、岩はそれ自体の重さでいつも転がり落ちてしまうのであった。無益で希望のない労働ほど恐ろしい懲罰はないと神々が考えたのは、たしかにいくらかはもっともなことであった

まさにこの石を絶え間なく運ぶことがカルマだった。このカルマは有益なことをしていないために課せられたのである。
この有益なことは実際は個々の人生ではわからない、でも有益なことをしないものはこの罰が課せられる
延々と石を持ち上げる作業を続けねばならない、まさにこれがカルマなのである。
自分もこうして料理して運ぶことをすでに六年間くらいしている。これもカルマだから逃れることができないのだ。
これまでは自由に旅もできた。いつ帰るかなど心配したこともない、今や六時ころまで帰らねばならないとか
近くにもゆっくり外出すらできないのだ。そして代わりを探したがしてくれる人はいない、金でも解決できない
結果的は大損害になった。家の中を他人に簡単にまかせることはできないからだ。
これも結局自分の人生で積んだカルマだったのであり返すことを要求されたのである。

なくなってはじめて意識する人間の感覚の不思議 (歴史には記憶が消える空白化が膨大にある)


なくなってはじめて意識する人間の感覚の不思議

(歴史には記憶が消える空白化が膨大にある)

日々通るこの道の脇家の跡誰か住みしと冬のくれかな


●その家が消えてはじめて意識する人間の感覚の不思議


人間の不思議はその家がある時はその家のことを意識しない、六号線の脇の家もそうだった。誰が住み何をしているのかも意識しない,普通にありふれた一軒の家にすぎない、そこに誰が住んでいて何をしているのかも関心がない、しかしなぜその家がなくなった時、その家のことを意識したのだろうか?
そこを散歩の為に毎日通っているということもあった。毎日通るからどうしても更地と化したその場所が気になる、意識するのである。
もう一つはその家について誰が住んだのか何をしたのか?そうしたことが全く不明なためである。だからこの家は何だったと意識する。
これは人間として奇妙なことである。それは人間特有の感覚である。
あった時何も意識しない関心もないのになくなったとき意識する。


例えば墓にしても碑にしても名前がなかったり何も書いてないものがある。字も薄れて何が書いてあるのか年代もわからない、すると何とかその書いてある字を知りたいとなる。知り得ないから余計に知りたいとなるのも不思議である。かえって明確に字が記されているとああそうかで終わりになる場合もある。だから人間の感覚は不思議である。
謎であればその謎を知りたい究めたいとなる。
古代文明の興味はすでにわからない謎になっているからいつまでたっても興味の対象となっているのだ。

そしてもう一つは人間は何らかの空白に耐えられないのだ。真空になっていることを許さない、そこに何かがあるべきものとしての感覚である。何もないということはそれは物理的現象だけではない人間的に存在についても言えるのである。
何もないということはあってはならないことなのだ。

だから奇妙なことなのだけどここに住んだ人は誰だったのだ?何をした人だったのだ。
故郷にとってどういう人だったのだとかまで考える。
この辺は津浪で家をなくした人が多い、それから移動したり何かで家が壊されて更地になった所もふえた。そして次々と家が建っているのが現実である。
そういう変化の激しい地域になっている。
だから家がなくなったのはこの家だけではない、でもなぜかその家を意識するのは自分が毎日通るということにもあった。
その家に住んだ人について何も語り得ないことが空白になっいることがかえって余計に意識するようになっている不思議である。


●人間も生きている時は意識せず死んだ時意識する


人間でも生きている時は意識しない、死んだ時かえってその人を意識するようになる。
大原の斎藤茂延さんのことを忘れていたが死んだと聞いてまた意識した。より深く意識するようになった。一カ月ではなかった。実際二〇日間くらい一緒に病院にいて話を聞いただけだったが病院は閉鎖された特殊な異様な空間でありそれで親密になったということもあった。ただその前にその人のことを全く知らなかった。大原についても興味はなかった。だけどその人を通じて大原に関心を持つようになった。
そして死んだ時さらに関心をもつようになった。


あの人がここに生きて死んだ、この土地で農業していたからこの土地に愛着をもっていただろうな、それで跡継ぎがないとか廃屋が増えて村が廃れてくるとか何かそういうことに関心をもつ、そして山の中に田んぼなのか荒地になっているところを見たら先祖がさぞかし苦労して開墾した土地なのに捨てられる、放射能汚染地域でもう誰も耕さないのかとなると悲しいとなる。

それがちょうどその茂延さんの墓所のすぐ近くだったのである。

そして茂延さんは死んだのだけどまだ愛着ある大原に生きていると感じるのも不思議である。なんか大原の道を歩いているとひょいと出てきて逢うような気がするのも不思議である。これは都会に暮らしている人と違ってその土地と密着して生きた農家のような人たちはそうなる。死んだらその土地の先祖となりその土地の霊となる。山の神となるというのはそれは理屈ではなく日本人の自然な感覚だったのである。


●歴史にも記録の空白化がいくらでもある


いづれにしろ人間はどんな人でも死んだ時点で死んだ時その人を一時的でも意識する。
近くに住んでいた人は一回も話していないし名前もしらないし何をした人かもしらない、仙台から拾ってきたんだとか噂していた。でも三〇年も一緒にいたのである。
周りの人も何もしらない、一人だけ知っていた人はいるにはいた。
でもほとんどの人はその人について何も知らない、それで夫は金がなく市で始末してくれるだろう、無縁仏になると言っていた。でも最近籍に入れていたとすると墓に入れられたのである。でも貧乏だから母親の名前も墓誌に刻んでいないから何もできないのである。そういう人でもその人は何だったろうとなる。
それなりの人生があったのだろうと思う、すぐ隣にいても全く不明だったという不思議である。無縁仏になっていてもそれなりの人生はあったとのだろうとなる。
ただもう誰もわからないし知り得ようもないのだ。誰ももう聞こうともしない、これも全くの消失空白化になっているから気にかかるということもある。


歴史的にも歴史となると膨大な人々が生きているのだからいくらでもこうした記憶の空白化は起きている。人間は日々死んでいるのだから日々忘れられてゆくというのも現実である。相馬藩でなぜ溺死者七〇〇人としか四〇〇年前の慶長津浪のことが記されていないのか?これも謎であり歴史の空白化現象なのかもしれない、他に・・千軒とか街ごと消失した伝説が各地にある。多賀城にもあり横浜にもあり草戸千軒は有名である。
それらについてもただ・・・千軒があったということしか伝えられていない、だから本当にあったのかどうかさえわからないのだ。ただ草戸千軒の場合は最近発掘物で実際にあったとわかったのである。

相馬藩政記のことを時々紹介しているけど他のこと戦争のことや跡継ぎ問題などはことこまかに記録している。だから津浪で七〇〇人死んだということの記録が一行だけというのはやはり一つの歴史の空白を作り出していたのである。
津浪でも相馬市の奥まで津浪が来ていたと土を掘り下げてわかった。それは貞観津浪の砂だった。とにかく歴史となると長いからそうした記録の空白がいくらでもある。
 津波で神社のことが問題になったけど神社についても謂われもいつ建てられたのかもわからないのが多い。
建てたときはやはり何かしら建てる理由があり建てられたけどわからなくなってしまったのだ。
でも何らかの記念であったことは確かなのである。
津神社などは何かわからなくなっていた。それが津波の記念だったのかどうかなのもよくわからないのだ。
津波のあとの百年後とかにも建てられているからだ。
意味不明の神社が相当数ある。それも歴史の空白化現象なのである。

 
posted by 老鶯 at 09:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係