2013年11月18日

文化は多様性 (一様になると滅びる-グローバル化で日本は自国の米さえ作れなくなる)

 

 文化は多様性


(一様になると滅びる-グローバル化で日本は自国の米さえ作れなくなる)

この辺は津浪や原発事故以後、田んぼは荒れ地になり畑をしている人も少ない、田んぼが稲が刈られて落ち穂などが雀の食料になっていた。だから田んぼない稲田がないということで雀などが減っていると思っていたがそうでもなかった。畑を作っている人が雀が野菜の芽を食べて困るとか言っていた。雀は虫も食べるという,雑食性である。
ある時蝶を襲い食べていた。雀も結構獰猛なんだと見た。ただ不思議なのは一体鳥でも何を食べて生きているのか見えない、虫を食べているにして虫というのは見えにくいからわからない、田んぼや畑がなくても虫が減るということはなかったのかもしれない、烏も雑食性であり減った感じがしない、蛙はほとんどいないから鷺は見えない、ただ湿地帯化したところに時々来る。ネズミが原野化すると増えたというけどネズミも見えない、ただ一時台所にネズミが入ってきて恐怖だった。この頃ネズミは来ないから安心した。
そしてノスリが五羽くらい住み着いたのはネズミを餌にしているからだという。ただ原野化した草原でネズミは見えないからいるのかいないのかわからないのだ。
ただ雑食性のものは生き延びやすいように見える。熊なんか大型なのに生き残っているのは山を住処として雑食性だからだろう。雑食性ということは肉食であっても肉がなかったら植物性の木の実を食べる、この逆も成り立つ、そうすれば飢饉の時でも生き延びられる。

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これは人間も同じだった。ペルーとかでもトウモロコシもジャガイモにもいろいろ種類がある。標高差によって種類を分けて植えている。寒いのに強いものや乾燥に強いものや虫に強いものとかいろいろである。寒暖の差や雨期と乾季に分かれているから余計にそうなる。天候の変化に適応した品種を作る。これも多様な種類の食料があってその土地で生きられることを証明している。それは長年の生活の知恵で生れたのである。人間はもともとこうしてあらゆる地域で自然にその風土に適応して生きてきた。世界中の原住民の生活はだから多様なのである。それはその土地のものを食べてり利用して生きる持久自足が原則だと自然とそうなるのである。日本だって江戸時代から戦後十年くらいまでそうして暮らしていたのである。燃料は炭であり江戸時代の延長になっていた。だからこれほど世界中の食べ物を集めているということは二千年もなかったことなのである。
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地球千年紀行-原住民の知恵に学ぶーBSーTBS


グローバル化というのは別に今の国際化でなくても江戸時代の鎖国の中で起こった。東北地方は米を作ったのは江戸に売るためであり商品作物として作っていた。特に伊達政宗の時代がそうだった。石巻から大量の米が船で江戸に運ばれて売られていた。大規模な干拓が行われた仙台平野は今回も津浪で大被害を受けた。津浪の後も米作りしたのは商品として江戸に売るためだったのである。だから東北ではそもそも寒いから米作りに向いていなかった。それをあえてそうした結果、米が不作の時飢饉になったということもある。これはアフリカ辺りでも商品作物のコーヒばかり作っていたら地元での多様な食料がとれなくなり飢饉になったとかの報告もある。江戸時代にもすでに国内でそうしたグローバル化があったのである。だから一つの作物だけに依存することは何か天候の異変や想定外のことなどか起きた時対処できずに滅亡するということがある。

動物でも雑食性はいいが単一のものを食べているものは死滅するかもしれない、適応能力が低いということである。

だからグローバル化経済は危険なものをはらんでいる。TPPでも非常に危険なものがある。日本人は車とかカメラだけを作って食料は作らなくてもいいとかされたらその時日本は滅亡してしまうだろう。でも今やそういうことが現実化しているから怖いのである。
農協など既得権で都会のサラリーマンの税金をむしりとられるだけだとか言われる。

都会中心で田舎は経済的に無駄だから消滅しろとか言われる。でも一千万の東京とかは異変に対して弱いのである。地震であれ津浪であれ自然災害でも弱いし例えば他国に攻撃されたときも一たまもんりもなく破壊されて滅亡する。ベトナム人がアメリカの戦争で戦いぬいたのはタロイモなどを地下に逃れ食料にしていたことがあった。食料がなければあんなゲリラ戦争かてきないのである。逆にそうして自国でも地元での食料があればゲリラでも抵抗できるいうことである。文明というのは便利すぎて一面の便利さが大きな危険をはらんでいる。それが津浪や原発事故でわかったのである。
車があってもガソリンがないと車は何の用もなさない、水道が壊れて使えなくなる、電気もこないところもあった。それで薪や山の清水をくんでしのいだ地域もあった。
グローバル化した文明は何かの自然でも人為的なものでも異変にもろいのである。
多様的な時給自足的なものが基盤にないと危機のさいには一挙に崩壊滅亡する危険にさらされているのた。


だからこの辺では米も作らない畑も作らない、魚もとることができない・・・こんな状態になったときいくら補償金をもらってもそうした生産に従事していた人たちは不安になっている。金がいくらあっても不安なのである。なぜなら紙幣は紙切れになる可能性がある。その時外からも食料が入らないとなる時、飢饉になりそれはもう日本陣か死に絶えるというほどまでになるかもしれない、それが平然としていられるのは危機を知らないからである。津浪でも海岸に接していた村の人たちは何ら危機感もなく平然としていたと同じである。なぜあんなところに住んでいたのだど今だから盛んに言われけど東京でも大災害になったらなぜそんな危険な都市に住んでいたのだと言われるのである。高層ビルが崩壊しない保証はこにもないのである。


グローバル化経済というのは何かいい面だけを語られるかそこには地域の文化を破壊する危険なものがひそんでいた。もちろん外国の貿易とかすべて否定するとかではない、多様性を維持しつつそうした貿易も行うということである。極端にグローバル化したら日本人は車だけ作っていろとかカメラだけ作っていろとなってしまうからである。米は広大なアメリカ大陸がオーストラリア大陸が向いているとかなるからである。そんなことしたらどうなるのか?危機の時は自国に食料がなく他国に容易に支配されてしまうということである。日本は確実にさらにアメリカの本当に奴隷と化してゆくのである。アメリカのグローバル金瘡資本主義も異常である。アメリカの投資信託の会社は200兆の金を保有しているという、野村證券でさえ10兆くらいだとするとその金は桁外れてありそんな金を一体世界でどう使うのだろうとなる。それこそその金でもって世界を買うということにもなる。
日本もアメリカに買われるということになるのだ。
だからアメリカではそうした国々の文化う否定してグローバル化した多国籍企業の世界支配を企んでいるのである。多国籍企業にすれば日本人は米は作るなアメリカやオーストラリアの米を食べろということになるのだ。そして地獄の食料がないのだからアメリカの意向にはますます逆らえないものになるのである。それはアメリカの新たな日本支配の戦略なのてある。


あとがき

TBSを利用したけどこれも現代では知の応用でありある程度引用が許されないと人類の知は発展しないだろう。
映像でもそうだけど創造に発展するものは利用してもいいとならないと時代にそぐわないだろう。
テレビを見てそれがまた視聴者が反応してインターネットにアップするというのが現代のメデアなのである。