2013年11月14日

あらゆる権力は常に悪用される (徳州会の腐敗、原発事故と同じ構図だった)

 

あらゆる権力は常に悪用される


(徳州会の腐敗、原発事故と同じ構図だった)

●病院は現代の寺院である


資金の出所が患者の治療費だ。運動員も病院関係者である。運動も戸別訪問をさせてきている、という。違反、違反での当選は、いかにもひどすぎる。それを放任してきた鹿児島県警・検察であった。

http://blogs.yahoo.co.jp/uwajima_sophia/15621896.html


ここのプログで批判されているこれは徳州会だけの問題ではない、原発と同じように広範囲に政治家や検察まで巻き込んだものだった。だから何かこれも原発事故とにているのだ。東電を徳州会に置き換えればそき構図はにている。

現代は病院が権力を一番もっている。病院はかつての寺院であり医者は聖職者である。
人類の歴史で一番苦しんできたのが病気である。いかに病気を治すかが最大の課題だった。だから仏教でも病気を治すために祈ることであった。そのために信者になった。
今でも病気の問題は解決していないから以前として宗教に頼りカルト宗教が衰えないのである。医者は神様のように崇められるのもまさにかつての聖職者になっているからだ。

小さな村でもなぜ山伏、法印とかが必ず一人いたのだろうか?小さな村でなぜそういう人を養えたのだろうか?それはほとんど加持祈祷であり病気を直すために祈る人だったのである。それだけ病気は深刻なものだった。今でもそれは変わりないが今や宗教は衰え科学全盛の時代であり病院が寺院になり医者が聖職者となった時代である。だかち寺院が権力の場となり僧侶が堕落したようにそこに歴史的に同じ構図がある。

人間は一番病気に弱い存在なのである。徳州会の創始者の徳田氏が悲惨な難病にかかったことでもわかる。あれだけの病院を作り看護されているのも皮肉である。でもその病気が直せないことでいかに病気が深刻なものかわかる。どんな手厚い治療しても直せないのである。どんな英雄でも病気になったらあのように弱者になってしまう。

自分の身内でもそのことを嫌というほど体験した。認知症になったりしら筋ジストロフィーより悲惨である。自分の身内は本当に優秀な人だった。でも認知症になりその優秀さはすべて崩壊した。そして虫の息で「俺は優秀だった」と言って死んだが虚しかった。
そこまで自分が優秀だということにこだわることが理解できなかった。
その優秀さも認知症になりすべて崩壊してしまったのである。


●徳田虎雄氏の最初の志が政治への野心で消えた


徳田虎雄氏も相当に優秀な人であり天才か英雄だった。その志は僻地医療であった。辺鄙な島で生れたことや弟が若死にしたことで医療に志した。この志は悪いものではないしそれを実現したのだから天才だったのだろう。
ではなぜこのように狂ってしまったのか?それは政治家を志してその政治のために徳州会という病院組織を利用したことである。そこが間違いの元だった。すでに熾烈な島の選挙で現金が飛んでいた。その時から選挙違反だったのだけど検察や警察でも見逃していたというからもうすでにそれだけの権力をもっていたのである。それは東電ともにていた。
検察の天下り先として東電があるから検察もその権力に従うことになる。今でも検察は一体幹部をなぜ逮捕しないのだという世論があるが何もしていないのである。


徳田氏は政治に首をつっこんでから今度はその野心がふくらみ総理大臣になると言っていたそうである。そうすると政治の野心を達成することが目的となり最初の僻地医療につくすという志から離れたものとなっていった。それは政治への野望が大きくなっていったためである。それだけの力もあると過信していった。病院というのはそれだけの権力を現代ではもてる場所なのである。その莫大な金が政治家にも流れていたからその流れを与野党に及ぶという。これも東電とにた構図があったのである。


ここで共通しているのはあらゆる権力は悪用されるということである。それは歴史が証明している。宗教にしてもカトリックの歴史は政治として権力をもつことにより腐敗した。それも法王は国王と同等の権力をもち贅を極めたのである。妾も七人もったとか一族の繁栄のみ計ったとか免罪符で金儲けしか考えなかったとかその腐敗は目にあまるものでありルタ-が生れてプロテスタントが生れたことは歴史的必然だった。プロテスタントはカトリックの政治化して権力をもった腐敗に抵抗するという意味だったのである。
そこから政教分離という法律がヨーロッパに生れたのはこうした歴史があったためである。


一見今回のと徳州会のことと関係ないように見えてもやはり共通性があったのだ。病院が現代の寺院だとするとその患者は信者でありその信者から金をもらい信用を得て権力化している。患者も一票となるから政治力をもつことになる。それは創価などともにている。信者が何であれ一票であれ選挙を目的として権力を得ることを目的としていまことは同じなのである。ただ徳田氏のように最初は違っていたが池田大作が会長になったあたりから政治化して権力奪取を目指すようになった。これらは何か人間として歴史的に繰り返されたことであり今に始まったことではないのだ。ただ形を変えているから違ったように見える。その根底に人間の欲望があり欲望は消えないから同じカルマを繰り返すのである。


●権力は常に悪用され乱用される


この世の中あらゆる権力は悪用される、乱用されるということである。徳田虎雄氏が病気になったときその娘が権力をにぎり乱用するようになった。何かその人相も悪い、これは巨額な遺産を残す所では常に起きていることだから珍しくはない、娘にはただ権力のみが目的化して徳田氏のような志はまるでないからただ権力を乱用するだけとなる。
このことは必ず巨大な権力をもつ家であれ組織であれ起きていることである。
権力は必ず腐敗するとか、権力は乱用されるとか権力をもつこと自体がすでに危険をはらんでいる。そもそも人間の歴史がその権力の興亡だということが言える。
人間はいかに権力によってゆがめられるか、それは人間の欲望が限りないからである。


原発事故もまたにたものだったのである。東電というのは徳州会病院と同じく巨大な権力をもっていた。その金が湯水のように使われ政府も巻き込んで「安全神話が作られた。その時も検察は見逃していたし東電の見方だった。なぜなら検察も権力側につくからである。だからその権力の乱用を抑えることはできないのである。権力が東電であれ徳州会であれ巨大化すればその権力に検察も警察ものみこまれるということである。
「徳州会王国」「創価王国」「オウム王国」「幸福の科学王国」「・・・・」・・・
これららは同じものとしてあった。共通しているのは政治化することにより権力にかかわり権力を我が物にしようとすることである。そして権力への野心のみになりこの世の王になろうとする。それはまさにサタンの目論見であった。

つまり徳田虎雄氏は最初は志は天使だったけど権力を目指す、政治家になったときサタンになり悪魔に堕落したともなる。それはこの世で繰り返してきたことなのだろう。

それだけまた権力の魅力は大きいからそうなる。
人間の欲望こそが権力を作るのである。原発事故もやはりこうした人間の欲望と深くかかわって地元でも原発が建つ前から巨額の賠償金でふりまわされていたのである。
原発事故後も同じだった。ただこの辺は素朴な生活は失われ補償金だけが目当てとなっていてこんなところに住みたくないと外部から来て住んでいた人は去ってしまった。
歴史とは同じカルマの繰り返しかであり個人でも同じである。それがなくならないのは人間の欲望がなくならないからいつまでたっても同じことを個人でも組織でも繰り返しているのである。

posted by 老鶯 at 12:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層