2013年11月13日

冬籠もる栃窪村(村にはそれぞれ違った趣がある)

 

冬籠もる栃窪村(村にはそれぞれ違った趣がある)

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墓地ありぬ上栃窪や秋の蝉
栃窪の山に残れる冬薊
栃窪に古峰の碑や冬の暮
栃窪に三つの道や冬の暮
栃窪に眠れる人や落葉かな


栃窪に知られぬ道や誰が家や白き山茶花夕べ散りにき

栃窪に知られぬ道や古き碑のまたたずねけり秋のくれかな
栃窪に蛹一つや山間に陽の没りにしや冬ごもるかな
栃窪の奥の家かな薪を積み木の葉の散りて冬ごもるかな
栃窪に塩の道かな冬の日や助け観音昔祈りぬ
栃窪の水清くして米うまし前は我が家も買いにけるかな


栃窪には飯館に行く道は一本だけど脇道がある。そして知らない道があったことに気付いた。そこは初めて行ったから新鮮だった。真野川をわたった所にも家があり道がある。
そこは山陰になって暗い感じになる。そこは放射能が栃窪でも高かった不思議がある。
一つの村でも実際は一本だけの道ではない、どこでもいくつかの道がある。ただ旅をする時はどうしても早く近い道を行くから脇道によることができないのでてある。
でも旅は脇道を入ってゆくことにもあった。近くでも道はいくらでもある。するとその道によって趣が変わってくるのだ。

栃窪というとあそこはまだそれほど車が通らないのがいい。原町の大原は意外と飯館から川俣から福島市の県道になっているから頻繁に車が通るからあまりいい感じがしない、
鄙びた村という感じがしなくなる。

だから不思議なの大葦は秘境だったと書いたが昔は車が通らないから辺鄙な所になっていた。でも車が通ると幹線道路になっているから秘境などと誰も感じないのである。幹線道路沿いはみんなそうなる。

橲原(じさばら)はさらに車が通らないからエアポケットのようになたっているから趣がある。スポット的には茶室に一番向いているだろう。城下町の相馬市も最近ずっと行っていないが茶室的な趣がある。原町市にはそうしたものを感じないのである。
石神村にも紙漉きをしていた農家があったというが石神は広いから村の趣を今は感じない、総じて今は村を感じることが少ない、村は自給自足の時、村でありえたのである。
そういう暮らしがなくなったとき、村自体も変質してしまった。
ただ以前としてその土地は変わっていないから一応村ではある。


相馬藩内でもいろいろ特徴がある。海みがあるから漁村もあったということが浜通りでは違っていた。ただ今回津浪で壊滅させられた。それでも今は松川浦だって漁村というふうに見ていない、松川浦だってみんなが漁師ではないのだ。勤め人が多くなっているだろう。現実に新地相馬火力発電所に1000人雇用があるというときそっちの方がに勤めている人も多いし工業団地もあるのだから鄙びた漁村というのはもうどこにもありえないのだ。烏崎村などは火力発電所が建って漁村という感じはなくなっていた。
ただ港があり船が出ていることは違っていた。
船が出て松原があり松風が鳴る風景はつづいていたのである。海岸線のそうした風景は失われてしまった。ただ松川浦は磯部が壊滅しても港が大きいから船を残っているし海辺の街の風景は残っている。ただ今はどこでも鄙びた漁村はないのである。
浜通りの恵まれていたのは海があり山があり暮らしがあったことである。
今日も北風が唸り街の中に鴎が飛んできた。


風うなり街に飛び来る冬鴎


鴎が街の中に飛んでくるから海が近いのである。亘理でも駅に鴎が飛んできたのを見たことがある。つまり今回の津浪でわかったように海は見えないにしろ鴎が飛んでくれば海が近いのである。

栃窪は山の村である。でも規模的には村としては大きい、だから下栃窪と上栃窪がある。あそこに古峰とか碑だ並んでいるのも江戸時代からそれなりの規模で村があったからである。こういう村がなくなることは何か精神的にもそこに住んでいなくても失われるものがある。だからコンパクトシティは確かに便利だし必要なのだがこうした村がなくなりみんな街に住むようになったらどうなるのか?津浪で海老とか烏崎村がなくなりそうなった。でも村があり暮らしがあって村は作られていたのである。
そこがただの耕作地として家もなくなったらどうなるのか?そこには何か大きなものがぬけて空洞化したような感じになるだろう。
この辺では現実に村がなくなる、街までなくなるということが起きている。
飯館村も一年以上行っていないけどそこはどうなってしまうのか、幹線道路は通じているから人がまだ入っているから村自体がなくなったような気がしないにしろ何か空洞化してしまった。そもそも村は代々住む人がいて成り立っていたのである。


栃窪の特徴としては山側だから水がきれいだから米がうまいと米をついも買っていた。でも最近買っていない、米は会津の方の米でもうまい、新潟でもうまい、ブランド品がいろいろありみんなうまいのである。味噌にしても地元で作っていても最近京都の味噌で味噌汁を作ったがこれは薄味だった。でも米に会津の味があり味噌に京都の味がありともなる。ただ現実生活として地元のものを活かさない限り地元の味がないかぎり人間の生活は味わい深いものとはならないのだ。外部からばかり買っている生活は生活ではない、今や何も作らないで買うだけの生活、農家ですらそうなっていることはもうすでにこの辺は生活がないのだから何か都会化した感じになる。
田舎で根を下ろす生活とはやはりそこで生産して消費することがあってこそである。
それは農業にたづさわらない人でも田舎では農家的になるのだ。
ただこういうことも便利になり豊かになったときかえって昔はいいなとなるが現実昔に帰ったら前の便利な豊かな生活にもどりたいとなるのである。
つまり老人は昔を回想することに何か豊かさを感じると同じなのである。


いづれにしろ冬はじっくりと囲炉裏がありあたたまり昔を回想するのに向いているのだ。
それは田舎でないとそうはならない、そしいう生活は都会の人も求めているのである。
だから昔の生活が高齢化で見直され昔風なものが復活してくるかもしれない、高齢化社会の暗黒面だけが語られるが意外とそういう昔にもどる文化が復活してくる時代なのである。

十八の屋根並びたる小村かな 子規


このくらいの規模の村が多かったのか、一つ一つの家が数えられその生活が偲ばれる。
それが村だったのである。飯館の大倉村でも佐須村でもそうだった。そういう村の生活も味わい深いものがあった。ただこれは実際の現実になると苦労しかないともなる。
そもそもそういう小さい村でどうして今になると生活できたのが不思議だと感じるのもそのためなのである。今村で生活できるのは車があるからであり文明の恩恵があって村で生活できている。だから村自体が昔の村とはまるで違ったものとなっているのだ。