2013年11月10日

事故が起きるのは奢りのため (交通事故も原発事故も共通なものが)

 

事故が起きるのは奢りのため

(交通事故も原発事故も共通なものが)

車運転している人が言うには運転がうまいとおごっている人は事故にあうという。車のことはわからないけどそういうものなのか?。このことはあらゆることに共通性があるかもしれない。何でも人間は奢るとそれが事故にもなるし悪いことにつながってゆく。
例えば日本の技術が優秀だと何かいろいろなことで刷り込まれている。だから日本の技術は優れているというふうに思い込まされていたのだ。そして日本の技術は優秀だから原発は事故が起きないというふうに思い込まされていた。ところが技術というと多岐にわたっている。確かに日本の技術が優秀だという時、全部が優秀なのではない、ある技術に対して優秀なのである。技術が優秀だという時あらゆる技術が優秀だと錯覚させられるのである。


日本はカメラの技術に対しては優秀だとか何か限定して優秀だと言うべきだったのである。原発の技術に関してはアメリカやフランスが優秀だったのである。確かに日本は原子力発電でもある部分については原子炉などを作る技術は優れていたみたいである。でも安全を計る技術はどうかとなると優れていたとはならない。鉄道は安全を計る技術も優れていたのである。

技術にしてもABCDEFGE・・・・・・とかあるときその全部に優秀な技術はもっていない、グローバル化するときある技術にはA国がある技術にはB国が優秀だとかなりそれらの技術を組み合わせて新しいものを開発して作っているのが現代である。
日本の技術が優秀だという時、原発全体についての技術が優秀だということはなかったのである。


ただ日本の技術は優秀だと奢っていたことが事故につながっていたのである。技術が優秀だから事故が起きないとか安全神話まで作りすりこまれてしまった。だから情報の伝え方というのにも問題があった。日本の技術が優秀だという時あらゆる分野について優秀だと錯覚しやすいのである。こうしてし情報を錯覚してすりこまれることが多い。

結局人間は車の運転でも俺は運転がうまいんだ、だから事故にはならないという時、事故が起きる。それは結局人間の奢りが滅びに通じているからだ。つまり人間は何であれ奢った時、非常に危険なものとなっているのだ。原発にかかわった人たちにはそうした奢りがあった。それを見ている人たちにも日本の技術は優秀なんだという思い込みがありすりこまれていて安全神話が成立した。


例えばカメラなどは一部分の技術については日本は明らかに優れている。カメラは一部分の技術である。原発は総合的な技術力が試される。そして危険なものであることはわかっていた。だかちこそ謙虚になるべきだったが無理にあとおしされて安全を計れなかった。「奢れるもの久しからず」奢ることは歴史でも滅びに通じている。
科学は万能ではない、人間も万能ではない、だから不測の事故も必ず起きるということを前提に対処すべきだった。事故が起きたら回復できないようなものは使うべきではなかったとなる。


人間の奢りほど怖いものはない、どんな技術でも完全なものはない、機械も必ず壊れるのである。機械が完全でないのは機械を作るのは操作するのは人間だからである。人間が完全でないから機械も完全ではないのだ。だから安全神話などこの世にありえないのである。それを最も危険な原発に安全神話を権力で作りすりこまされたのが大事故につながったのである。


自分は優秀だといってもついには認知症になり馬鹿になり死んでしまったことは今でも信じられないのだ。あれだけ優秀な人間が馬鹿になるということそれもやはり奢りがあったためである。人間はそれだけもろいものなのである。人間はどんなことしてもこれからもいくら科学が発達しても万能にはなりえない、かえって科学の発達で人類滅亡に瀕するのはまさに人間が神のように万能になりえないものだからである。

だからあらゆることに奢ることは自体が危険なことなのである。個々人でもその才能や美貌におごったりするものそうなのである。よく優秀な人は優秀でない人を馬鹿にするけどそれも危険なのである。人間は本当に何が優秀なのかわからないからである。そこには必ず神の罰が加えられているのだ。
神から罰せられるということは実際にあるし今回の事故もそうだったとも言える。

posted by 老鶯 at 17:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連