2013年11月09日

原発建設地域は建てる前からも金にふりまわされる (山口県の上関原発でもめる漁業権問題)


原発建設地域は建てる前からも金にふりまわされる

(山口県の上関原発でもめる漁業権問題)

大島海域のゴチ網漁師は、3000万円かけてつくった船を150万円で売った。1250万円したローラーをつけても、その値段にしかならなかった。一本釣りをしている父親は1000万円かけた船を75万円で売った
http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/gyogyoukenseidokowasukiseikanwa.htm


山口県の上関原発建設問題で漁業組合とか地元の漁師とかがもめている。山口漁業組合は賛成しているが地元の漁師は反対している。今回のフクシマ原発事故が影響して中止になるみたいだ。
ただ漁業はじり貧になっていた。外国の安い魚に追われ漁業だけではやっていけないというのは別に福島県でも宮城県でも津浪にあった地域では同じ悩みをかかえてい。
とくに零細な湊はそうだった。だから津浪で壊滅的な打撃を受けた。


漁業権は組合員の三分の二の賛成があって譲渡できる。それでもめている。でもこれも変なのだ。漁業権をもっているのがそうした組合員だけでいいのかということがこの辺の原発事故で問われたからである。「俺たちが漁業権をもっている、これを電力会社に売ろうと売るまいと自分たちの権利なのだ、他のものは何も言うな」こんな権利がどうしてありうるのか?漁業と関係もない、海と関係もない中通りまで放射能汚染の被害で福島県は苦しんだ。だからこそ漁業権というのを組合員だけの権利で売り渡し原発を建てさせて補償金をもらって豊かな暮らしをしている。原発御殿が建ったとか批判されているし天罰だったとも言われるのは多額の補償金をもらった漁師たち漁業組合の人たちだった。


そういわれるのは漁師は海の幸だけで魚介類だけをとって暮らしている人たちではなかった。漁業はもう農業と同じく成り立っていなかったのである。だから実際は電力会社の補償金で暮らしていたのである。漁業権がいかにおいしいものか事故前もそうであり事故後もそうであった。宮城県などでは電力会社から補償金がもらえいないから損だった。
福島県では事故後を船主だといくらだとかやはり多額の補償金をもらいつづけられるのである。これも何か変ではないか?

原発を建てさせ責任は漁業組合の人たちに地元では一番あった。でもその責任は何ら問われることがない、かえってまた同じように多額な補償金が支払いつづけられている。
もちろん魚がとることもできないという被害も大きいことはわかる。

しかし原発の被害が福島県でも広範囲だったのである。今になると漁業組合の人だけではなく双葉や大熊とか富岡とか避難地域になった人だけではない、南相馬市でも福島市に入ったらたまたま南相馬市とわかるものがあったので傷つけられたという。その真意はわからないにしても南相馬市でも反感をもつ人が福島市にいるということである。


それはなぜなのか?福島市は補償金を全然もらっていない、中通りはもらっていないからだ。そこに反発があったのだろうか?これは浜通り地域でも相馬市は全然もらっていないから避難した人たち仮設に住んでいて相当な不満がある。津浪の被害だけの人ももらえないから例えば相馬市でも仮設には避難しても補償金をもらえる人と津浪の被害でもらえない人が混在しているのだ。それで飯館村の人がトマト農家で働こうとしたら断られたというが相馬市では津浪の被害の人たちに職を優先的に斡旋するということにするのはかえって土地の事情にあっていて非難されるものでもなかったのである。


つまり福島県であれ山口県であれ原発では必ずすでに建てられる前から補償金でもめているのだ。補償金が巨額なためにその金につられてしまう。山口県の漁業組合が補償金目当てになったのはそのためである。原発は建てる前であれ建てた後であれ必ず巨額の補償金のことで地域も分断される。すでに漁業というのがもう成り立たないというとき、そこに多額の補償金が与えられるとなると心動かされない人はいない、ただそのことで地域は分断されるのである。


ただ現代が何を言おうが金をもっているものが強いのだとなると確かにそうは言える。
漁業組合に入っている人たちは金があるから立派な家を建てているなとかみる。自分の近くにも烏崎の人が家を建てた。金を持っていないものは家も建てられず復興住宅に住むほかないとなるかもしれない、ただ土地が手に入らなくて建てられない人もいるからわからない。ただ地元の人でも漁業組合の人たちには反感をもっている。それは補償金を他よりもらいすぎるからである。
請戸の人が相馬総合病院の特等室に入っていたのもなるほど漁師の人たちは金があるのだなと思っているだろう。その金も億とか大きいことは確かである。


人間はこうして何でも差があるとき協力しない、かえって貧乏人同士は協力し合うが金持ちと貧乏人は協力しない、ただうらやむだけである。豊かになると人間は協力しない、わずかのものでも分かち合うのがかえって貧乏な時代だったのである。皮肉なことにものあありすぎればそれを分かち合うという心もなくなる。ものが少なければ少ないものを活かし分かち合うという心が生まれのも不思議である。だから今は原発事故で補償金をもらっている人たちは外部から同情されていない、内部でも漁業組合の人たちには反感をもっている。それも補償金のためだったのである。


山口県は経済的には大阪からも遠いし今では辺境地域だったのか?何か貧乏な話が多い。
下関の貧乏なタクシー運転手のことがのっている。医者にもかかれず早死にしたとかある。それは全国的なことであり老人間の格差も大きいのである。60以上で4分の1は貯金をもっていないというし恵まれた老人はわずかである。みんな老人が金をもっているわけではないのだ。だからもう年金だけでは暮らしていけないという人たちが膨大にふえてゆく。そして生活保護をもらった方がいいとなりふえてくる。生活保護だったら病院は無料だから医者に行けるからだ。ただその生活保護費もあとは食べるだけくらいしかもけらえない、しかし老人に関しては一律10万とか支給するほかなくなるかもしれない、国民年金だけでは生活できないのである。


いづれにしろ人間は別に金を持っていてもそれが正当なものなら批判されないだろう。
金持ちでも批判されない金持ちはいる。その人たちは正当に働いて金持ちになったからだろう。パソコンとか発明したりした人はそうである。大金が入るのはまずコツコツ働いてはなれない、何か新しいものを発明したり富になる元を作り出した人だろう。
だから宝くじであれ地主が金が入ったとか株でもうけたとかそういうものには反発がある。遺産などでもそうなる。正当にもうけたり正当に金を使えば誰も非難しないのである。漁業組合の補償金は必要でも正当ではないから批判されることになった。

posted by 老鶯 at 16:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連