2013年11月04日

中心市宣言書(平成21) ー原町区の中心が衰退 「ともにつくる 活力に満ちた 安心で潤いのある南相馬」


中心市宣言書(平成21) ー原町区の中心が衰退   

「ともにつくる 活力に満ちた 安心で潤いのある南相馬」

http://www.city.minamisoma.lg.jp/index.cfm/
8,3260,c,html/3260/sengen.pdf

 
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相馬市から5500人もが南相馬市立病院の診療を受けていた。原発事故前は南相馬市立病院は中核病院だったのである。
飯館村からも4400人で多い。浪江町も11000人で多い。浪江とか双葉、大熊には大きな病院がないから南相馬市立病院が
中核になっていた。実際に大熊から入院した人が同じ病室であった。病院に関しては大熊双葉浪江は不便な場所だった。
おそらく泌尿器科というのはないだろう。ただ南相馬市立病院でも泌尿器科は貧弱だった。専門医が一人いても若いし良くみてもらえいないものだっ。たそれを知らないでそこに長くかかっていて病気を長引かせた。相馬総合病院は泌尿器科は三人体制であり
全国でも優れているとかいわれるのもわかる。院長が泌尿器科の医者であることでもわかる。
現代では病院は本当に大事である。病院を知らないと確実に寿命を縮める。
現代で不便なところは明らかに病院とか医療体制がないところなのである。
限界集落などは医者もいないし何もない、飯館村には歯医者もいないのである。

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これも意外である、相馬市から17000千人も南相馬市地域に特に原町区に通っているのかとなる。
南相馬市が特に原町市が中心地域とっなっていることがこの数字から一目瞭然である。
原町区には丸三製紙とか大きな工場があるとすると相馬市からも通っている人がいるということである。

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買い物動向でも小高区と鹿島区では70パーセントくらいが原町区で買い物している。
ただ食料品は20パーセントだから地元のスーバーなどで買い物していたのである。
電気製品は浪江町と双葉町で50バーセント以上である。
電気製品は原町区に集中しやすいのである。
飯館村は全般的に20パーセントくらい原町区に負っている。
ただ20パーセントなのは川俣の方が近いからそっちの方にも行っているからである。

いづれにしろ相馬地域は浪江とか双葉とか大熊でも旧相馬藩内が一つの経済圏でもあり文化圏でもある。
だから浪江とか双葉や大熊がなくなるということは経済的にも相当な痛手なのである。
それだけの買い物客も喪失するしいろんな面で失うものが多い。
病院にしても南相馬市立病院が旧相馬藩内の中核病院になっていたのである。

ともかく相馬藩の石高から飢饉のことを研究した学者がいたように何か経済の面でも社会の面でも
相馬藩というのは六万石で小藩なのだけど小藩ゆえにかえって見えてくるものがある。
社会が見えやすいということがある。伊達藩などになると大きすぎて社会全体をみることがむずかしくなる。
もちろん東京のように巨大化するともう社会を手にとるようにみることは不可能であり
自分がどんな役割を果たしているかも検討もつかなくなる。

今回の原発事故で相馬地方は様々な課題を持つ地域として全国から注目されたし今もされている。
何か自分でもこうして公務員になったように相馬地域をいろいろな角度から研究すればみえてくるものがある。
そして社会が見えるということが政策にも通じる。
有効な政策は何かということがおのずと出てくるのである。
社会が見えなければ出しようもないのである。

こういう狭い地域だと無益な人間も目立ちやすい、なぜあいつは遊んでいるのかみんな苦労しているのにとかなり安いのだ。
それで仮説に入って補償金でパチンコばかりしているとか昼間から酒飲んでいるとか批判されるようになる。
大都会だったらそうはならない、狭い地域だからこそみんなが協力しないと生きていけないという面があるからそうなる。

それでNHKで青森の4000人くらいの藤里町でニートが百人ほどいるとかその人たちを介護などで働かせる事に成功した放送をしていた。
あれも狭い地域だからそれだけのニートを見つけ働かせるようにできたしそうしてもらわないと働き手が少ないから村自体が町自体が成り立たなくなるから公務員がそういう努力をしたのである。

人数が少ないから何とかしてともかくニートであれなんであれ人を活かす工夫をせざるをえなくなったのである。
ともかく何か有効な策をうちだすにしてもその街自体を知らないとできないのである。

相馬市より南相馬市が今回の原発事故でいかに痛手を負ったか数字からわかる。
相馬地域は原町区が中心区となっていた。それが原発事故でその中心がゆらいだのである。
中心を保てないような状態になっているのだ。
posted by 老鶯 at 20:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

近隣の秋の日の写真(老後は家が大事になる-家が尊厳をもたせる)



近隣の秋の日の写真

(老後は家が大事になる-家が尊厳をもたせる)

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老木のなお朽ちざるや冬に入る

土壁に秋の日さして蔵古りぬ


日のさして一輪一輪の野菊かな


栃窪に蛹の一つ秋の陽の山間に没り村の古りにき


ソニーの新しいRX200M2を買ってから写真の魅力を深く感じるようになった。このデジカメは六万くらいでも今まででは一番高い。一回一眼レフのデジカメ買ったが重くて使い物にならなかった。自転車だと重いのは使いない。

このデジカメはやはり写りが違う。光の感じが他とは違っていた。一見同じように見えても違うのである。写真はカメラによって相当影響されることを知った。
いいカメラでとれば平凡な風景が違って見える。

現代はともかく写真の時代である。写真で日記のように日々を記録しているのだ。それもデジカメが安くても高度な写真をとれることにあったのだ。
それが一般向きにしたのである。

土蔵は土壁でありそこにさしている秋の光は何とも言えないものがある。土壁など今はないけど自分の家は土壁だった。もうそのときは職人すらいなくなっていた。
でも昔風の家は土壁でも何か重みがある。現代風の家はみんな建て売りであり組み立てているだけである。だから一週間でもできてしまうのである。まるでプラモデルを組み立てるようにできる。でも何か重厚な家というのはなくなった。

家で意外と大事だなと思ったの天井なのである。なぜなら天井は寝る時いつでも見ているからそこが貧弱だと何かみすぼらしい感じにさせるのである。
家というのは家によって人間が尊厳をもたされるということがあるのだ。
ルネサンスのラファェロのアティイの学堂がそうである。
あのアーチの建築が人間に威厳をもたせていたのである。
それはヨーロッパの駅がアティネィの学堂のような立派なアーチの煉瓦作りのがあり駅でも人間に威厳をもたせているのである。
ただ高層ビルなどは人間に威厳をもたせない、都会の林立するビルはただビジネスの空間であり精神的な人間に威厳をもたせるものがないのである。
だから人間はただ蟻のようにうごめく貧弱なものにされているのだ。

家など自由人には重要じゃないというのもある。
若い時はそうにしても老後は家が大事である。
なぜなら家にいる時間が長くなるからだ。
そして老後から死ぬまでの時間は家で過ごすことが多くなる。
家がくつろぎの場所でありまた創造の場所でもあり回顧する場所にもなっている。
だから貧弱なの家だと何か精神的にも見すぼらしくなる。
もちろんあばら屋でも人間の精神の持ちようで風流はある。

ただ老後は出て歩く時間より家にいる時間がずっと長くなる。家が一つの世界になる。
もし歩けなくなったりしたら余計そうなるだろう。もちろんそうなると家に住めなくなるだろう。誰かの助けがないと生活できないからだ。今まで家というのを自分はそんなに大事だと思っていなかった。

ただ家の主人だった身内の人が死んで自分の家を自覚するようになった。
このところ六年間介護でありそして家との格闘だった。
家を直すことや家の中を整理することがずっと仕事だったのである。
今日も一室の天井を自分で模様紙ではりつけた。
これは簡単だからできた。狭い部屋だからできた。
ともかく家を維持することはもう一人ではできない
家というのは人間にとって実際は今になると大問題だった。
墓はめんどうでも小さいからそれほど手はかからないが
家は大きいから手がかかりすぎるのである。