2013年11月01日

戦後経済を振り返る (石炭ー石油ー原発は文明を支えるもので最終的に滅亡)


戦後経済を振り返る

(石炭ー石油ー原発は文明を支えるもので最終的に滅亡)

中核になったのが炭鉱であり国鉄であり、いわゆる昔の「3公社5現業」の構造である。

人間が太陽の恵みのみを唯一の生産行為として時代は過去のものとなり、人間がエネルギーを利用して人間へものを供給する時代それが産業革命以降の流れになってきたのだから。
http://speech.comet.mepage.jp/news02/mint_106.htm


確かに福島県でも常磐炭鉱は有名であった。その記念館が今もある。そして国鉄も大きな力をもっていた。社会党のバックは国鉄でありそれは一貫して変わらなかった。その社会党は反対するだけの党として長い間国会で存続していたのも不思議である。その社会党も今になと全く過去のものになった。その後続の社民党などあるのかないのか消えるのかとかなっている。社会党というと万年野党として団塊の世代でも印象づけられていた。

それもいつのまにか遠い過去になっていた。国鉄がなぜあれほど大きな力をもっていたのか?それは全国の輸送網を握っていたからだ。それは東京という中心だけではない地方に根を張っていた組織だった。国鉄職員はエリートでありそれは明治維新以来、鉄道は国家なりということもあったのだ。だから国鉄が民営化されると国鉄職員には組合が大きく退職金が高いものであった。ちょうどその時、日本経済が高度成長の最中でありそれだけの資金を用意することができたのである。地方でも国鉄職員は多く地方の経済もになっていたのである。国鉄の官舎なども駅前にあり国鉄がいかに全国に根を張っていたかわかる。蒸気機関車の時代が燃料が石炭だったのだから常磐炭鉱とも直接結びついていたのである。国鉄とか社会党とかは全く過去のものになってしまった。だから社会党という名前も知らない何だったのか知らない若い人も増えてくる。過去のもの歴史になってしまったのである。


戦後のはじめは農業社会の継続であり農協が一時勢力をもっていた。農協は世界まで知られていた。その農協をバッグにして自民党があった。自民党が50年も政権担当できたのはなぜか?それは社会党のように国鉄とか特定の企業の組合を票田としていない、国民的政党だったからだというのもそうかもしれない、社会党は国鉄であれ一部の大企業の組合の代弁者だったところに政権がとれない限界があった。そして国鉄が車社会になり民営化されたりしていつのまにか消滅してしまった。ただ今になると社会党はそれなりに長い間万年野党でも存在感があった。でも今や社会党を知っている世代はみんな老人になっている。政治というのはその時代の勢力あるものをバッグにして成立している。その後自民党の長期政権で田中首相が有名だけとその時は日本列島改造論でゼネコンか政治のパッグになっていた。それも時代を反映していたのである。高度成長にのってまさに日本列島がゼネコンの仕事場になった。全国の道路網などの整備が行われた。そのゼネコンの力も高度成長が終わると衰退した。そしてそのあとはバブルであり低成長不況とか失われた20年とか日本経済は低迷がつづき今日にいたっている。


だから何が経済をひっぱっているのか明確ではない、車の生産と電機関係と最近はIT熱があった。でも国鉄とか農協とかゼネコンとか明確な大きな牽引力となる力は見えない時代になった。ただ電力会社が電機は国家なりとなっていたことは確かである。
東電があれだけ大きな会社だと知らなかった。エネルギーは人間の血液のような働きをする。エネルギーが作り出すものによって文明は変わる。石油の前は石炭でありイギリスで産業革命が起きたのは石炭が自前でとれたからであった。それが蒸気機関車とかの発明になり世界的に普及したのである。それは石炭がとれたということにあったのである。

イギリスの対岸のカレ-という所でゴッホが石炭の採掘場で一時働いていたことでもわかる。石炭がエネルギー源の時はどこでも石炭が重要であった。福島県でも石炭をいたるところで少量でも探してとっていたのである。この辺でも南相馬市の鹿島区の小池で石炭とっていた女性がいた。そんなところでとっていたのかとなるが日本全国極めて小規模でも石炭を探してとっていたのである。それだけ石炭を必要としていたのである。
エネルギーか産業の血だからそうなっていたのである。


なぜ日本が戦争に負けたかというと石油の流通が海上でとめられたからだったとか常に言われのもそうである。石油がなければ船も飛行機も動かせないからである。その反省から軍人だった正力松太郎とか中曽根首相は原発を作るために奔走した。日本はアメリカの科学技術に負けたから科学技術を進行させることが国力を増すことだと思ってそうしたのである。文明はエネルギーが作るとなれば原発が文明を作るともなる。
インカ帝国では太陽を崇めていたがそれは当然太陽がエネルギーの基だと自然になってたからそうなった。それで太陽の力が弱ると終わりだとなり太陽に生贄がささげられた。
これは一見野蛮な科学を知らない時代だからそうなったと思うが今も変わりなかった。
エネルギーか供給できなければ文明は終わりなるのである。そうしたら文明を維持するためにエネルギーが必要であり原発だって必要だからそのための犠牲はやむをえないとなる。つまり福島県人のように生贄にされるということである。


つまり大きく考えればエネルギーは文明の問題であり原発も文明の問題である。トルコ辺りでも経済が発展すると必ずエネルギーがたりなくなるから日本から原発をつくってもらいたとなり承認した。日本でこれだけの事故が起きたのになぜなのかと思うが文明を維持するために発展するために原発を必要としている。それ意外の方策がないからそうしている。だから文明というのは最終的に原発と心中して崩壊するとまでなる。文明の維持のために人間の命は犠牲にされても文明は維持されねばならないのである。それが人間の運命だとなってしまうのである。原発問題は文明の発展過程で必然的に起きたことであり最終的には文明が滅亡する過程として原発事故が起きた。そしてその犠牲になったのが福島県だったとなる。文明の崩壊をまのあたりにして見たのが自分の住んでいる場所だったともなるのだ。



原子力規制委員会は30日、福島第1原発4号機の使用済み燃料プールから「燃料棒」を取り出す実施計画を認可した。水素爆発で破壊された建屋から、使用済み燃料1331体未使用燃料202体の計1533体もの燃料を取り出す作業は人類史上初だ。
地上に運ぶ際、何らかのトラブルでキャスクが傷付いたり、落下したりして燃料棒が空気に触れれば、たちまち即死レベルの放射性物質が放出される。仮に1500本を超える燃料棒がムキ出しになれば、放出される放射性物質の量はチェルノブイリ事故の10倍。東日本に人が住めなくなるのは間違いない。失敗が許されない命懸けの「UFOキャッチャー」作戦だ。




今でもこうした危険性があり事故は収束していない、それは東日本全体で人が住めなくなるとかの危険性なのである。それは日本の滅亡であり将来的には世界全体の滅亡に実際問題してありうることを現実に示しているのだ。空想ではなく未だに現実問題として文明崩壊、滅亡の危機にさらされているのだ。
posted by 老鶯 at 10:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連