2013年10月28日

晩菊(今年は秋が短い)


晩菊(今年は秋が短い)

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晩菊や社の残る津浪跡

山茶花やここになお残るレストラン

日々通る墓地には花のみな枯れぬ我はとりかえぬ秋の朝かな


雨風に残る野菊を道の辺に今日我が摘みて壺に挿すかな


御刀(みと)神社は古代にさかのぼるから相当に古い。神社の問題は位置にあった。それが津浪で証明された。なぜあそこにあのか?あそこまで津浪か来たが辛うじて
その後ろの家は残った。あの林に漂流物がぶつかりさえぎられたかららしい。
それと海老に行く方に坂がありその坂も影響したというのは不思議だった。
海老の方から高い津浪が来たという、平坦の方はそれほど高い津浪ではなかったのか?
津浪の一様の高さで来ていない、複雑に変化していたのである。


あそこから海の方は家がなくなった。あそこは古代は湿地帯か海になっていたのだろう。その位置を問題にすればそうなる。海老村には江戸時代の神社しかないからだ。
神社で問題なのはその位置と年代だった。年代が不明なのが結構多いのである。
この御刀神社は古代にさかのほるから鹿島区では相当に古いことはわかっている。
八龍神社は多いのだけどわかりにくい、神社は謎が多いのだ。


今年は秋が短いというときそうてのだろう。夏が長かった。そして冬がすぐに来るという、これも何か変則的である。晩秋とかの感覚がなくなる。一応晩菊としたが秋が短いから何かあわなくなっている。秋が長ければ秋の終わりで晩菊になる。その季節感が今年はない。

いつも通る自分の墓のある墓地の花はみな枯れていた。その枯れたままになっているのがなんか嫌な感じがするのだ。プログで墓を一カ月一回くらいは掃除して花をさして先祖に感謝するとビジネスもうまくいうくいうことを書いていた人がいた。
確かにあのように花をかれたつまにしているのは良くない、でもなぜそうなっているかというと意外と地元の人ばかりではない、何か遠くに離れた人が墓地の主になっている。
それでお盆にだけしか来ないという人も結構いるたいだ。だから墓も身近にないと手入れしたり花を代えたりできないのである。それ以上に墓の跡継ぎもなくて困っている人もいる。東京に子供が就職したりするとそうなる。墓はもう家族だけでは維持できないのが多くなっている。自分の墓もそうである。となると共同墓の方がいいとなる。
そうすれば誰かが掃除して花も代えてさしてくれる。一カ所に集めるからそういうことができる。家族だけの墓は大家族とかよほど恵まれていないともう維持できない時代になっている。


ただあそこも復興住宅が建つので何か墓地にはふさわしくなくなった。窮屈な感じになった。あそこは住宅地としては向いていないだろう。墓地をいつも前にしているのはいい感じがしないだろう。でも土地がないからどうにもならないのである。

今年の野の花は台風などかなり雨風に打たれた。それでもひっそりと野菊が咲いていたのでそれを壺にさして鑑賞した。生け花の基本は野の花を知ることなのだろう。
ただ外国の花だとそういう感覚はなくなる。雨風に打たれて咲いている花とは感じないのである。最近忙しくフラワアレンジメントのほうもあまりしていない。

結局家事が一仕事でありこれに追われているのが自分なのである。
ただ家事がべつに無駄な仕事ではない、家事から学ぶことはある。
人間はともかく人の世話をしてみないと社会のこともわからないのだ。
介護ということは人の世話をすることである。すると毎日食事を用意して出すことになる。そこに人の労力が加わる。
「自分が苦労して作り出している、なのに感謝もしない、うまいと食べてくれない」
とか何かそういうことになってしまう。食べ物を残したりされると嫌になる。
せっかく作ったのになぜ残すのかとかなる。

つまり介護とか病人の看護には必ず世話する人が必要になるから世話する人から見るとそういう感覚になっているのだ。

それは世話する人与える人は実は自然界でもありそれが神であり神がやはり与えているのになぜ感謝しないのだろうかと神は思っている。食料は人間の労働からだけではもたらされない、光であれ水であれ土の栄養であれもともと神が作り人間に与えたものなのである。それを無駄にしたり感謝しないと神が怒るということもある。

原発事故には多分にそういうことがあった。全く自然に対して感謝の気持がなくなっていたのである。工業化した社会は自然には感謝しない、科学技術の恩恵のみ利益のみになり自然はないがしろにされていたのだ。原発は特別恩恵をもたらすから原発か事故が起きなければ神にもなっていたのである。そのことに神が怒ったともなる。
看護師は患者が感謝していから殺したという事件があった。これも突飛なことにみえるけど現実に看病したり介護しているとなんだこいつは何も感謝しないと怒りになる。
それが極端になると殺人になった。自然は津浪になったとかなる。
与える方からするとそうなってしまうのである。

江戸時代辺りまではそういうことが祭りなどでしてきた。
自然への畏れがあり祭りとなっていた。祈りとなっていた。
それが科学技術の社会になった時、科学技術が実りをもたらすものであり
科学技術が恩恵をもたらすのであり自然ではないとなってしまった。
だからそうした昔の海とか山の神への畏れとか信仰はなくなった。
そんなものは現代的ではないと否定された。
でもそれが古いとしてすべて否定されていいのか?
科学技術万能社会への疑問が前らかあった。
津浪とか原発事故はそういうことも関係していたのである。


この辺は一つのテーマが残るということになった。津波で残った癒えか残り谷(家)となったように
よく残ったなとか故郷から若い人たちが流出してゆくとき残ってくれとか残ることが価値あることになった。
近くのパスタのレストランは自分は一回も入っていない、パスタはほとんど食べないし。
でも山茶花が咲いていてこのレストランは残っているなとなる。
今は外部から入っている人がいるからそれなりに成り立っているのかもしれない、
ただ残って今もやっているなというのをこの辺では当たり前ではないものになってしまった。
残っているだけで見直されるということがあるようになった。