2013年10月27日

病気と貧乏の戦いの歴史 (結核で死んだのパリでも同じだった)


病気と貧乏の戦いの歴史

(結核で死んだのパリでも同じだった)

●昔はパリも日本と同じく貧乏だった

E. シュー『パリの秘密』に登場する人物のなかに,ラ・ロレーヌとジ
ャンヌ・デュポールというふたりの若い娘がいる。ラ・ロレーヌは洗濯婦, フサ
ジャンヌはカーテンの総を造る女工だったが,ともに過労と栄養失調など
が因で肺癆を病み,喀血をくり返し,やせ衰え余命いくばくもない。


先生,番号1は今朝4時半に死にました。
―そんなに遅く?驚いたね。昨日の朝,一日はもつまいと思っていたが。遺体を
誰かひきとると云ってきたかね。
―いいえ,先生。
―そりゃよかった。美しい死体だ,誰か解剖する者はいないかな。そうだ,誰か
を喜ばせてあげよう。(そこで医師は後に続いている学生の一人に向かって)
親愛なるデュノワイエくん,ずっと君は遺体を望んでいたね,君が最初に登
録したのだから,この遺体は君にあげよう。
―あぁ,先生,なんというご厚情でしょう。
―私は君の熱心さに何かご褒美をあげようと,いつも考えていたんだ。遺体にき
ちんとマークをつけて,確保しておきなさい。奪い合いになるとずる賢い輩が
多いからね。(と云って医師は別の場所に移動した)。
学生は,医師に云われたように,遺体を確保するために女優の遺体の腕に,メスで
F と D (François Dunoyer) の文字を精密に刻んだ。[Sue, 1843, p814]


19世紀パリの病院は病気の研究と医師養成の機関であり,病人はその
ための素材であった。ことに無料で入院している各種患者は,さまざまな
治療の実験台であり,また死亡すれば病理解剖の素材として医学の進歩に
貢献させられた

フランスにおける結核流行と公衆衛生(大森弘喜)
http://www.seijo.ac.jp/pdf/faeco/kenkyu/181/181-oomori.pdf

病院のことを入院して書いたけど病院は次々に死ぬ場所だから死がめずらしい場所でないから今も変わりない、病院は死体処理場のようになっている。これだけ豊かになり設備も整っても病院そのものの体質は変わっていなかった。
病院は人間の死にたいしては無関心なのである。病気を直す治療したりする場であり人間の死を看取る場所ではない、だからもののように死んだら早くかたづけてくださいとなるだけである。家族だったら死をいたむということがあるが病院ではないのである。
病院は何か無機質な場所なのである。


その総死亡に対する割合はパリが12−14%,ロンドンが15−16% で,逆にロンドンの方が数%高い


肺病と肺炎で死んだ人が一番多いのだ。だからパリだというと華やかに見えるが実情は日本の戦前とかの貧乏時代と変わりなかったのである。人間の歴史は世界的に共通していることがかなたある。


ラ・ロレーヌは洗濯婦, フサジャンヌはカーテンの総を造る女工だったが,ともに過労と栄養失調などが因で肺癆を病み,喀血をくり返し,やせ衰え余命いくばくもない。


この洗濯婦はインドだけでなくパリにも多かった。なぜならセーヌ川で洗濯している女性の集団の絵は洗濯婦だったのか?洗濯が大きな仕事をしめていた時代があった。
カーテンの総を造る女工だったというときやはり製糸工場で働いていた戦前の女性と同じだった。洗濯が仕事という時、女中が女性の主な仕事となっていたのも同じである。
自分の母親はこの二つを仕事にしていた。今でもたいがいこの辺では女性が福相に勤めていることでもわかる。これは近代化しても着るものの需要があるから女性の働き場となっている。人間の歴史は貧乏と病気と戦争の悲惨な面が常にどこでもあった。
それは日本だけではない世界の歴史でもあったのだ。ただ歴史だと宮廷の華やかな場面とかばかり出てくるから錯覚しているのだ。パリのベルサイユ宮殿など観光に行くとパリは華やかだったな錯覚しているのだ。現実の世界はまるで違っていたのである。
だからこそフランス革命などが起きたということを実感する。貴族と庶民の生活がかけ離れていたから庶民から革命が起きた。日本では武士といっても貧乏だから庶民とたいして変わらないとなるとそうした階級闘争は起きないのである。


●肺病で死んだ文学者が多すぎる

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病人ばかりでは二階暮らしも不便で、啄木一家は小石川久堅町に移り住む。
移るとまず母が死亡。
重症の身を押して母のなきがらを送り出した失意の啄木は、気力をふるいおこし、未刊の歌稿の出版を土岐哀果に頼み、あとを追うように一ヵ月遅れて、明治四五年四月十三日、永眠した。
二七歳の若さだった。

結核はまるで「死に神」のように啄木の家族に取りつき,彼の母も,妻も発病した。まず1912(明治45)年3月母親が痼疾の肺結核で没し,後を追うように,啄木も翌4月に波乱に富んだ生涯を閉じた。27歳という若さだった。妻節子も翌年同じく肺癆で斃
れた。

肺病というと実家の墓に25歳で死亡という一字だけ刻まれた文字がいつも見るので意識する。肺病で死んだのである。別に啄木でなくてもそれは珍しいものではない、多くの人が肺病で死んだ。特に若い人が死んだし文学者がこれほど死んだことも驚きである。
正岡子規は有名だけど肺病と戦うことが人生だった。若い時肺病になり半分肺をとった人も知っている。


悪くなっているところは狭い間でとおっしゃった。それがだんだひろがって一方の肺破壊してしまい、さらに進んで他の一方の肺を破壊してしまわねば死なれないのでしょう。


森鴎外も若い時肺病にかかってこんな言葉を残していたのである。

その人は一生障害者で終わっている。何であれ病気になることは一番悲惨である。だから創価などでもカルトに入る人は病気の人がかなり多いのである。
今でもガンであれ直らない病気があり病気は一番怖いものなのである。
自分の母親は原紡で十年働いていたけど病気にならなかった。肺病にならなかった。体が細いし体力ないから病気にならないのが不思議に思えた。栄養だって味噌汁とタクワンだけでありまともにとっていなかったからだ。そういう人が戦前には多い。
江戸時代は栄養不足で一割近くが盲人になっていた。これも悲惨だったのである。
戦前は肺病の重圧があり戦争中は戦争の重圧がった。これらは相当な重荷であり呻吟したのである。現代は鬱病の時代でありこれも時代を反映している。でも昔と比べるとどうなのか、やはり戦前の方が過酷だったろう。若死にする人は今はまれであるからだ。
平均的には健康で長生きしているのだ。そこにもいろいろ問題があっても恵まれた時代となる。



せいし 0 【製糸】 - goo 辞書

繭を煮て糸を繰り、数本集めて一本の糸にする工程。
「―業」
→ぼうせき ばう― 0 【紡績】 - goo 辞書

1)短い繊維を平行に並べ、引き伸ばして撚(よ)りをかけ、一本の糸にすること。
「鉱山を開掘し綿毛を―する等…/露団々(露伴)」
(2)「紡績糸」の略。


紡績と製糸工場
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20051029/p2



原町紡績工場というのは紡績だったとするとどうだったのか?糸取り仕事だったというがこれは製糸だったのかな、紡績に勤めていた人が圧倒的に肺病になった女性が多い。
すると製糸の方で働いて肺病にならなかったのかよくわからない、ただ体が弱い方だから肺病にならないのが不思議に思ったのである。

実家では25歳で死んだ人がいたが母にもその他の兄弟にも伝染しなかった。啄木の一家は母も妻も伝染してたとなると悲惨だった。自分も病気になり家族も病気になったりしたら悲惨である。実際を自分もにた経験をこの六年間してきたのだ。自分が病気になり介護しなければならなかった。重い病気ではないにしろ病人が障害者が病人の世話するとなるとその重圧は大きい。健康であればなんとかのりきれるが金があっても健康でないとのりきるのは苦しくなる。それだけ悲惨な状態で短歌を残して死んだのである。

だから文学といってもやはりこれらの文学は病的なのである。病人になったら健康的な文学にはならない、病んで文学である。その病んだ文学の方がもてはやされる。健康でも病んだ方がいいとされたこともあった。文学はそういうものだということはこれだけの人が若くして肺病で死んだことが影響ししていたのである。今はそういうことはないから健康的な文学が生まれてもいいが今も病的なものが文学だとかされている。それを上野霄里氏などが激烈に批判した。今は「心の青雲」のプログの著者が批判している。その人も腎臓の病気になっているのに病んではいないのも不思議である。空手の師範だから病弱な文学者とは違っている。


●病気も貧乏も現代も継続している問題


人間の歴史は明らかに貧乏と病気の戦いの歴史でもあった。それは今でも継続している。貧乏の戦いは戦前と比べればないようなものだがやはり格差社会とか新し貧乏時代になっている。貧乏が格差がなくなることはこの世にはないように思う。それはどんなに豊かになってもみんなが金持ちになることはない、貧乏人は必ずいる。その貧乏人でも昔からしたら食べ物でも贅沢しているのだ。卵も食えない時代のことを書いたが今は誰でも卵くらいは食べているからである。現代の問題はまた別な所にある。
人間は今だけではない必ず歴史的経過をたどって今を考える必要が常にあるのだ。
病気の問題でも過去と対比して現代を考えるのである。

これだけ豊かなのに金が欲しい欲しいと心が歪んだ人がいかに多いか?

一人は犯罪者になり一人は自分を脅迫してきた。それなりに国から保護されて金はもらい補償されているのちたりないたりないと金ばかりを要求してくる。身の丈にあった生活をせず大きな借金をしていた人もいた。確かに金がなければ今の時代にあった生活ができないというのも確かなのである。それだけのものをそろえる金がないと貧乏だとなってしまうのが現代である。高齢化で高齢者の貧乏人が増加の一途なのである。
老人はたんまり金をもっている貯金しているというのも事実だけとそれも数パーセントなのである。貧乏な老人の方が圧倒的に増えているしその人たちはたいして年金ももらえないからそうなっている。それで60歳以上の人の生活保護が増えているのだ。これからもそうした人たちが増加の一途なのである。

ただそうした豊かな中の貧乏で心が歪んでモラルもなくなっているのが現代である。
原発事故だってそういう風潮が関係していたのである。豊かになるためには原発を積極的に地元の人が誘致したのである。

ともかく人間にとって病気ほど恐ろしいものはない、それは死に直結しているし病気になるともう自立できなくなる。家族が肺病で次々に倒れて死んだというのはやはり伝染病だった。肺病の人は蔵に隔離されて看病されたとかある。蔵は今でもあるが蔵は隔離する場所としてはいい場所だったのである。


いづれにしろ大正生まれとか戦前生まれとかはこうした極端な貧乏を経験しているし戦争も経験している。その重圧は今とは比較にならないだろう。今は貧乏でも違った貧乏なのである。贅沢な貧乏ともなる。こういう歴史をふりかえると自分などは相当恵まれていた。体が弱くてもこれまで生きられたのは一重無理をしなかったからである。まず自分は学校でもわがままだから適応できなかったし勤め人にはなれなかった。一日机に座っているのか耐えられないのである。だから旅ばかりしていたのとなる。勤め人になっていたらこんなことはできない。体を無理すると必ず60以降に何らかの影響がでてくる。疲れてもゆっくり休めるなら意外と病気になりにくいのである。

こうして自分は啄木と比べたらまるで才能がなかったのだか今になると啄木のように短歌でもすらすらできるのが我ながら不思議である。凡人でも時間をかけると才能が開花するということがあるのだ。ただ大器晩成というのは嘘である。大器が晩成するのではない、凡人でも長く探求しているものは晩年になると実る開花するということである。

それは雑学類でもそうである。一見雑学なんかなになるのだというが雑学でもやはりそこに何かしらの知識がありそれも哲学的なのもとして深いものとして応用できるものとなるのだ。結局学問とはむずかしい本を読むことではない、哲学など別に庶民が残した諺のなかにもふんだんにある。庶民の残した民俗、昔話や伝説などにもいくらでもあるのだ。
ただ発見されていないだけなのである。老人になるといろんな面で見る目が備わってくるのである。だから何か平凡なものでも意味あるものとして深いものとして見るようになるのである。

人間の歴史はなにかというとそれは犠牲の歴史でもあったとなる。結核は今では直っているけど直らない時代があった。様々な病気でも昔も今も直らない病気がある。それで犠牲になる。戦争で300万死んだというのもその是非はともかく犠牲だった。マルスの神に生贄として捧げられたともなる。それは過ちであってもやはり犠牲にされたのである。カルト宗教団体でも同じである。人生を青春をだいなしにさせられたりするのと同じである。過ちの犠牲になる数も莫大なのである。災害でも犠牲になった人が数限りなくいる。津浪などはその犠牲がいかされなかったのである。今回の大島の土砂崩れでもそうである。犠牲になった人たちがいてまたその予防が検討されることになるのだ
人間の歴史はとにかく無数の犠牲の歴史でもある。そういう犠牲の上に成り立っている自覚が必要である。

何か才能が花開くとしてもそういう犠牲の上に才能も開くのである。
つまり才能てもそれだけの環境が整わないと開花しないのだ。
音楽にしてもピアノでも広い家がないと置けないし防音装置も必要だしとそれなりの家がないととても練習もできない、だからピアノは貧しい家では無理だろう。
電子楽器くらいは楽しめるだろうが本格的なピアノは無理である。

旅行でもそれだけの暇が与えられなけさばできない、旅は遊びではない、旅は旅に集中する必要がある。旅で見るべきものを見ることは相当にむずかしいのだ。団体旅行などでは見るよりも料理を楽しむことになっているわかるのだ。
ただ若くして死に直面したことが若くても深い文学を創造できたことがある。現代はそうしうた死と真剣に向かい合うこと長寿社会で遅くなりすぎたのでかえっていい文学が生まれないということがある。何か緩慢として緊張感がないものとなっているのだ。
ただ今回の津浪原発事故はあたえない無常か現実となったから日々驚きの世界となってしまったのである。