2013年10月24日

江戸時代の対比で現代を考える (人口と石高の関係ー土地より人口が労働力が大事だった)


江戸時代の対比で現代を考える

(人口と石高の関係ー土地より人口が労働力が大事だった)

日本史再発見(板倉聖宣)の中の相馬藩の研究を読む

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●人力で人数で生産高をあげる代わりに機械が上げる時代
相馬藩の年貢の石高を人口の対比で調べたものである。これは比例している。土地というのはもともと一定であり増えないものである。でも最初は耕地とささない田とされない土地が広がっている。人口も少ない、だから開発する余地があるから生産高も上昇して人口も上昇してくる。それを江戸時代の変化でとらえた。津浪があった慶長時代(1611)頃はまだ検地もされていないし石高も良くわからない時代である。それは開発する開墾する余地が十分にありまた人口も少ない時代だった。だから津浪が来て今回の津浪と同じような被害があっても人口が増えれば開墾する地は広いのだから津浪自体がそれほど痛手となっていなかった。伊達藩でもそうであり相馬藩でもそうだったのである。相馬藩ではまだ石高とかの記録がされていない記録の空白時代だった。だから津浪のことも溺死700名しか記されていないのだ。


この本での発見は天明の飢饉とかか相馬藩で甚大な影響をした。三分の一の人口が減ったというけどそれがその後の石高が増加しない原因ではなかったという。石高はすでに下降気味でありそういう下降極線が飢饉で促進されただけだったという。すでに開墾する余地が土地になくなっていたことが最大の原因だった。それでも天保の飢饉では餓死者がなかったのはなぜか?天明の飢饉の教訓を活かしたことと人を大事にする政策をとったからだという。
百姓の数が減ったら農地が増えるのだから生活が楽になるかというとならない、いくら土地があってもその土地に応じるだけの百姓がいなければその土地を耕すことができなくなる。」相馬藩の場合も人口が減り荒廃田が増えて年貢が減ったのである。

ところが現代を考えればこのようにはならない、土地が一定であり人口が減っても生産高はあげられる。なぜなら機械がその穴埋めをするからである。中国では手刈りで麦を刈る出稼ぎ者がいたかコンパインはその人力の千倍もの働きをする。つまり人間の労働力はいらないとなる。だから土地が広ければ広いほどいいし狭ければ生産高は上げられない。

それでアメリカとかオーストラリアか中国の広大な土地で機械でやればいくらでも生産高はあげられる。飛行機で種まきなどをやっているからである。こうなるととても日本の狭い土地での農業はたちうちできないのである。現代文明は機械によってう動かされている時代なのである。戦争まですでにロボットが現実にしているのだ。機械を動かすには石油が必要でありそれが原子力になって事故が起きたのである。機械と言っても魔法の力ではなく石油とか石炭とかそれが枯渇するからと原発にてったのである。

家事の機械化にしてもそうである。家事だけで料理から洗濯からしていたら家事すら大労働であり当時の中産階級ですら女中を雇わないとできないものだった。
二人も雇っていた家がそれなりにあった。人力で補う他なかった時代である。
それは江戸時代も同じだったのである。すべて人力で補う時代だった。
だから人口が減ると致命的なものとなっていたのである。


●江戸時代に相馬藩で子供を強制的に産ませていた

 農村では14歳から50歳までの女性を登録させて年に三回づつ妊娠しているものを見届け確実に生ませるように監視する
体制ままで作った


江戸時代と現代を比べるといろんな面で過去も現代も見えてくるものがある。それはいい悪いとか江戸時代に帰るのかという問題ではない、過去が意味するものが現代と対比して見えてくるし現代も見えてくるのである。歴史を学ぶということはそういうことなのである。戦争で若くして死んだ人がいたというときその心中を察すればあまりあるものがある。そんなことで今の若者は悩むこともないから就職ができないくらいで死ぬことはないともなる。過去の貧乏を思いば今は贅沢すぎるとかなる。それは過去を歴史を知らないと具体的にそういう考えも身につかないのである。
現代ばかりに注目しても現代のことがかえってからないのである。

江戸時代は1611-慶長津浪が起きた時は伊達政宗の活躍の時代であり家康の江戸時代からはじまったばかりだったのである。だから相馬藩では石高との記録もない、津浪の記録も一行しかなかった。そういう時代で公的な記録がされなかった。ただ被害が大きかったのだから民間で伝承されてもいいはずだったがされなかった。その理由はよくわからない


江戸時代はグラフで示されたように元禄から宝永の時、最盛期だった。相馬藩でもそうだった。新田の開発でうるおっていたのである。元禄は江戸でも一番華やかな時代であり今のバブルの消費時代だったという。それは都会ではそうなったが田舎てはそうではなかった。宝永時代も新田の開拓が進んで豊かになった時代である。だから鹿島町の御子神社の隣の墓地にあれだけ大きい宝永時代の碑があったのだろうか?あれだけ大きい碑はなかないからである。元禄時代はまた芭蕉が活躍した時代で文化が花開いた時代だったのである。それで葛尾(かつろう)村の落合に元禄の碑があった。明暦とも書いてあり明暦は検地がはじまった年である。でもあんな山の中にあるのか不思議だった。あのうよな山の中も元禄時代は開拓が進み山の中でも繁栄するものがあったのかもしれない。
古い碑を研究すれば見えてくるものがある。新地にある文禄の碑はやはり朝鮮への伊達政宗の出兵が関係していた。文禄とだけ記してあるのはないからである。


江戸時代を参考にするとき、人口の増加が収入を石高を増やすことだった、だから人を大事にせねばならめとして年貢を減らした。それは税金を減らしたことなのである。
子供を生んだ人には奨励金を出したりもした。まず人口を増やすことが奨励されたのである。強制的に子供を三人作れとかの政策もあった。これも現代の少子化とにている。
ただそういう政策が現代には通じない、なぜなら機械化がこれだけ進んでいるのだから労働力の穴埋めが機械でてきる時代だからである。なぜ現代は1億二千万の人口で三分の一が実は働いていない、さらに会社でも働かずにただ会社にいるだけで会社内失業の人も多いという。ではそんなことがなぜ可能なのか?それはやはり機械が仕事の肩代わりをしているからである。江戸時代は人力なのだから労働力は人口によっていたのである。


●人口増加政策だけでは現代は対処できない(労働の質が変化した)


ただこの辺の津浪原発事故を考える時、やはり人口が流出している、労働力が流出していることが問題になっている。それは江戸時代とにている。特に若い働き手か流出していることで衰退してゆく危機になっている。高齢化で老人ばかり残されるうば捨て山になる恐怖がある。医療や福祉の担い手が流出するとそうなる。看護師はいくら募集しても来ないという。他にも人手が不足して時給を1200円にしても人が来ないというのもそのためである。補償金で金があっても若い働き手が流出すればそうした贅沢なサービスは受けられない,金は銀行にも増えているけどその金が使われて産業が起こるわけでもない、その金で昼間から酒飲んだりパチンコしたりする人ばかり増えてもこの辺はやがて衰退してゆくだけである。


双葉や大熊などでは原発交付金で立派な公共施設を作っても繁栄しなかったという。つまり金だけあっても何でもできるわけではない、過疎地域に一億円あるから住んでみようとしても肝心のサービスする人がいなければ医者にもかかれない、そこで死んで行く他ないともなるのだ。だからそんなところで金は何の価値もないとないとなる。
そういう人が来てもなにもならないとなる。土地が一定でも狭くても働き手の人口が増えた時生産高が上がったというときそういうことはこの辺のことにもあてはまる。


今はなぜ都会に人が集中するのか?それは労働の質がまるで変わったからである。
第一次産業は一割にもみたない、あとは工業とか情報産業とか別の労働になっているからである。東京のような全く農業もない世界で一千万人もどうして生きていられるのか不思議に思う。江戸時代は百万都市でも回りは農業の社会であり農民が肥料として人糞を集めていたことでもわかる。回りには田畑が取り囲んでいたのである。
そういう社会とはあまりにも違っているのだ。工業、商業、情報産業が生活の糧であた農業でも漁業でも林業でもないのだ。だからtppが促進されるという時、都会人にとっては別に食料が外国から入ってもかまわないとなる。現実にそういう生活をしているからそうなる。そして都会では様々な仕事があり第一次産業とは関係なく生活しているのである。農業より原発が電力が大事だという時、工業は電気なしで成り立たないからである。

農業すらハウス栽培とか電気とか石油でありやがては都会では工場で野菜などを作るともなっている。だから江戸時代の農業中心の社会をみても現代の問題の解決にはすべてなちないのである。

むしろ別な発想が必要になってくる。花栽培なら放射能の影響がないからやるとか何か別な発想が必要になる。農業だけにだけこだわることもできない、でも農業を新しいものとして活かすことはできる。現代は肉体的人力労働が主流ではない、知能労働が主流になった時代である。機械を作るのは肉体労働じゃないかとか思うが実際はそれも知能労働である。機械の設計は知能労働だからである。事務の効率化も情報処理の効率化もコンピュターが優れている。それがすべてではないにしろコンピューターなしで社会はもう成り立たない時代になった。職人の技もコンピューター化されている時代である。出版にしても活字を一つ一つ拾っていたのは昔話である。新聞も本つくりも一部からオンデマンドで機械化している。この情報化のスピードは早い。自分の家が新聞社とか出版社とかテレビ局とかにさえなりうる時代である。
ただ取材となると人力が必要だがそういう情報化の機械化で飛躍的な情報発信能力が生まれたのである。
最近わかったことは考えるとは書きなから考えていることだった。だから自ら情報発信しない限り書くことは進歩しない、自らが主体的に発信しない限り考えも深まらないし書く能力せ見につかないのだ。
だからインターネット時代はかえって書く能力がましてくる。様々な情報を自ら考えて構築することが要求されているのだ。
そして発信することか要求されている。

少子高齢化時代は果たして人口を増やすだけで解決できるのか?
江戸時代はそうだった。現代でも人口が増えれば活力生まれることは確かである。
でもその労働力を機械で補うとするときその労働は知能の労働に移っている。
すると良質な教育を受けた知能労働者こそか必要となる。
だから現代は教育に金がかかるから子育てが苦しいから少子高齢化に必然的になる。
貧乏人の子だくさんというとき子供も農民では労働力としてみていた。
後進国では今でもそうである。戦前でも親に孝行というとき子供は親に尽くすものとされたのは親も労働には人手が必要だから子供を労働力とみていたからである。
そういう時代の変化をみないと社会は見えないのである。

posted by 老鶯 at 17:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題