2013年10月17日

俗謡の分布と連続性-失われた労働の共同の歌 (箒はいらぬ、裾で掃くは栄えた所に残っていた)


俗謡の分布と連続性-失われた労働の共同の歌


(箒はいらぬ、裾で掃くは栄えた所に残っていた)


野蒜新町竹箒いらぬ、若い娘の裾で掃く


野蒜築港が賑わい料理屋や旅館などが軒を並べるようになって新町と言われていた。
原野に新興市場が生まれた。


飯豊耕土にや 箒はいらぬ
新田、おみかの裾で掃く
http://musubu2.sblo.jp/article/65971043.html


宍道木幡は箒がいらぬ 嫁や姑の裾で掃く
http://www7b.biglobe.ne.jp/~tabikiti/kikou/kikou107.html


狭山茶作り唄


♪狭山よいとこ 銘茶の場所よ(ハァヤレヨレヤレヨレ)
  娘やりたや はぁ婿ほしや(ハァヨリコメヨリコメ)

♪お茶は芽が出る蚕は二眠
  連れて出るなら 今ここよ

♪宇治の銘茶と 狭山の濃茶
  出会いましたよ 横浜で

♪狭山街道にゃ 箒はいらぬ
  
茶より茶摘みの 裾で掃く


海野宿場は 箒(ほうき)がいらぬ
     笹屋およしが 裾で掃く

箒(ほうき)がいらぬ裾で掃く・・・ということは江戸時代から時代の連続性があり戦前までその歌には共通性があった。この歌は江戸時代の元禄にも相馬藩に残っていた。相当に古い由来があり伝えられていたことがわかった。この唄か歌われ所は栄えた場所なのである。相馬市の新田というところ実は松川浦の方に開拓して新しい田ができて栄えた所になっていてこんな歌が生まれた。だから必ずしも相馬の殿様がおみかを無理やりみそめて城に仕えさせたどうかはわからない。明確なことはこの歌の歌われるところは一時的でも栄えた場所だったのである。裾は今のスカートでありそれか何か当時のエロッチクな俗謡となっていた。女性が特に若い女性が多くいることはやはりそこが栄えて繁華になっていたのである。


我々の間にしけ出現したものに工女唄があった。工女は一つの階級で特殊なる利害と心理とをもっていた。


仕事唄は多数の合同作業を必要としなくなって次第にその第一次の目的を忘れて行ったようである。古い霊では今でも残っている草刈り歌、茶摘み歌などどいうのがそれであった。

柳田国男(仕事唄と恋歌)全集6


ここで気づいたのがこういうことだった。仕事歌が生まれたのはその背景に当時の労働がどういうものだったかを知る必要がある。歌は共同性がありその象徴として民謡や俗謡でも生まれたのである。それだけではない歌には辛い労働を紛らわすものがあったりいろいろな要素があって生まれたのである。民謡が非常に多いこと俗謡も多いこと童歌も多いこと昔話も多いことこれらは民衆の文化であった。

今はなぜ労働歌や共同の歌が喪失したのか、すべてが商業化して専門家しか文化を作り出ししていない、歌でも専門家が作ったものを民衆が金で買って歌わされている。民謡は専門家が作ったものではない、もうけるために作ったものでもない自発的に民衆から生まれたものである。文化という時今は何か文化人と民衆からかけ離れたもの高貴なものとして商業化している。それも考えてみると文化はそういうものではなく民衆レベルで無償で作り出していたのである。


そして共同の歌が失われたという時まさに現代がどういう時代か見えてくる。現代は共同性が喪失したことが最も顕著な時代である。その共同性がないから共同の唄が民衆から自発的に生まれないのである。田植え唄でもそれは早乙女がするのはやはり若い女性が主役になるときそこに活気か生まれる。今若い女性がスターやアナンサーに憧れ芸能が商業化してしまい民衆の文化が衰退したというより喪失したのである。


現代の様々な問題、異常性は歴史的に考察してみれば見えてくるものがある。あまりの機械化も共同性を喪失させたのである。田植えが稲刈りが機械でやれば共同の労働がなくなるから歌もなくなる。そこに共同性がなくなる。会社員がほとんどだというとき会社の歌になる。でも会社の共同性と昔の共同性は別なものである。工女というと工業化がはじまった大量生産の走りだけどそこでも時代的に連続したものがあった。そこにはだから共同の歌が生まれていたのである。


現代の文化とは何なのかというと、民衆から自発的に生まれる文化が喪失した時代なのである。すべてが専門家により作りそれを買う時代であり消費するだけであり民衆は文化を作り出さない文化不毛の時代なのである。それは機械と深い関係がある。あらゆるものが機械化するとき共同性も失われる。共同で労働する時一番人間は連体感をもつ、会社が現代の連帯する場所であるというときそこでは一応みんな共同で仕事しているからである。
例えば出版社とかマスコミとか知識や情報分野でも民衆レベルでは参加できない作り出せないものとなっている。新聞社とテレビが知識と情報を伝達するものだとなっている。

これも長くつづくと当たり前であり疑問もさしはさまないようになる。マスコミによって一方的に洗脳されているのだ。ただ一般の人は民衆は気付いていない、マスコミは必ず何か意図をもって報道している。事実をそのまま報道すことはない、ただ気付かないことが多々あるのである。TPPの報道でも公平には報道しない、必ずTPPは得だから参加すべきだということがマスコミの方針なのである。なぜならマスコミを成り立たせているのは会社の宣伝費であるからだ。だからTPP推進になる。第一次産業の農業や漁業や林業はマスコミに宣伝費など払わないのである。東電からは電事連から莫大な宣伝費が入っていたから原発推進になっていた。東電の会長の人が中国にマスコミの幹部を招待していたとき事故が起きたことが象徴的である。


現代は民主主義とかなんとか民衆が自発的にものを言い行動する時代のようになったとか言われる。ところが現代からかつての民衆はいない、ただ専門家の作り出すものを金銭で買う消費するのが大衆なのである。それは情報という面でもそうでありマスコミに操作されて自発的に考えて判断していない、なぜなら情報にしても全国レベルになるとマスコミが主体となってしまうからである。出版なども一見誰でもできるようで限られた専門家しかできない仕組みになっていた。今は本自体は簡単に作れるけどやはり書店には置けない仕組みになっている。それは出版社とかマスコミが力を持っているからなのだ。
つまり現代とは大衆が消費する文化であり何かを作り出す文化がない、それは共同の労働がなくなったとかそこには時代の変化で膨大に喪失したものがあったからだ。
共同性がなくなったといカルト宗教団体が創価でもオウムでも何でもそうした社会背景があって生まれた。これは本当の人間の共同ではなかった。

柳田国男が語り書いたものは戦前でもほとんと喪失してしまった。そこには人間的営みとして貧乏でも豊かなものがあった。現代の文明の発展の中で喪失したものがどれだけ貴重てものだったか?そのことが目前のことに目を奪われて見失ったのである。

新しい時代には新しいものに適応すべきだというがその失われた膨大なものにこそまた新しいものがあった。なぜなら今失われたものが今の精神の貧困の原因となっているからである。現代の社会は民主主義で自由だとか表面上は見えてもすべて操作されていることが多いのである。原発事故はその象徴として起きたのである。


過去から歴史から学ぶことは無限にある。現代が何なのかは歴史から見ないと相対化していとわからないのである。昔は貧乏でいいことがなかったというのも事実としてある。
しかし人間の営みはそれだけではない、かえって現代のこれだけの豊かさのなかで失われた精神の貧困や文化の喪失は深刻なのである。過去にはもとれないしろ過去から学び未来を作り出すのが人間なのである。どうして労働の疎外が起きているのか?労働が忌避される時代なのか、それは機械化により人間の労働が自然と一体化したものとならない、流れ作業とかになり労働に充実感が得られない、それは機械化と関係していた。機械化は労働を楽にしたいために必然的に生まれたものだがその機械化が人間疎外を生むという矛盾もあった。機械貧乏で農業が成り立たないとか機械によって苦しめられる人間が一方であった。原発事故はそうした矛盾の象徴として起きたのである。つまり原発事故は時代の矛盾を象徴したものであり一技術者の会社の問題を越えた社会全体の矛盾の象徴として起きたのである。だから現代社会そのものの見直しが必要になっているのだ。

posted by 老鶯 at 04:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

秋時雨(徒歩旅行の若者を見送る)


秋時雨(徒歩旅行の若者を見送る)

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苦労せし顔にぼつりと秋時雨

手に顔に二三滴ぬる秋時雨
交じり合う色の豊かに秋桜
野に芒相馬に泊まる徒歩旅行

徒歩の旅見送り相馬や秋の暮

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美春湯とあるけどここが鹿島区の唯一の町内にある民宿である。
最近できたビジネスホテルは小池の方にかなり遠い。
これはこの辺の津波や原発事故で需要ができて作られた。
最新の通信設備も整っている。
車だと別に遠いともならないのだろう。


まだ秋だから秋時雨なのだろう。11月になると時雨なのだろう。今日は明らかに時雨だった。ただわずかに三四滴ぬれたのを感じた。
でも時雨である。時雨れも趣がある。
山頭火が時雨を題材にしたことでもわかる。何か特別時雨に感じるものがあった。
「後姿の時雨れて行くか」というときそれは山頭火自身のことだった。

しかし自分のようにもし徒歩旅行していればその旅人に趣を感じる。
車とかバイクはただ突っ走り暴力的に過ぎてゆくだけなのである。
だから自分が話しかけるのは自転車旅行の人と徒歩の人である。
津波の前は東京から歩いてきた年配の人がいたし結構いたのである。
一番驚いたのは鹿児島から青森まで歩く人だった。

それもくそ暑いときだったのである。
その人は公務員を退職して歩いたのである。よほど自由に旅したかったのである。
旅は労力と時間がかかる。今はかえって余計に旅を演出しないと旅にならない。

この若者は千葉からきて川俣の方から飯館の方を回って来た。六号線が東京と通じていたときはこんな遠回りをする人はいない、でも飯館とか回ってくると峠から海が見えたりして六号線とは違った趣が得られる。でも急ぐからみんな六号線をゆく。

それで相馬の道の駅で日立木の方をゆくと松並木があるから昔の街道を通るといいと教えた。でも歴史などに興味がないとどうしても六号線を急ぐ、自分も自転車で旅して5キロくらい寄り道するとかなり遠く感じてできないことが多々あった。先に進まないのである。歩きだと余計にそうなるだろう。最短距離をゆくようになるのだ。だからここの一石坂は本当に急な坂だけど歩きなら最短距離を行った方がいいということであんな急な坂をのぼったのだろう。歩きだとだいたい三〇キロ四〇キロだといっていた。江戸時代は朝が早くたって四〇キロだったから今でも人間が一日で歩ける距離は同じである。

その人は今日は相馬で泊まりそれから仙台までゆく、仙台まで70キロとするとこれも途中で一泊する。ただ徒歩旅行といっても必ず便利な時代だから電車に乗ったりする。
どうしても便利なものが身近にあるからその誘惑に負ける人も多いだろう。
つまり現代は本当の旅行することが相当演出してわざわざ不便な道を行かないとできないのである。この若者だって仙台からは電車で新幹線で帰るのだろう。
目的地が仙台だと言っていたからそうなる。


ともかく自分は今は旅ができなくなった。でもこれだけ旅したのだから旅している人が気にかかるのである。自分は徒歩旅行はしていない、電車と自転車だった。徒歩旅行もしているべきだったろう。本当の旅の醍醐味は徒歩旅行にあったのである。そうなれば江戸時代の旅の苦労もわかるのである。いくら旅したといっても人間の経験は限られていることがつくづくわかる。人間の経験は何するにも限られているのだ。

結局老人になると自分のしてきた経験を語ることになる。その語りが面白くなるには豊かな経験をしていないとつまらないとなる。自分自身もつまらないとなる。何か大きな冒険をした人は老人になったとき回顧してやったなとかなる。平々凡々な人生はその本人も思い出しても何も印象に残るものがないともなる。そしてもういくら金を積んでも経験できない、体験は買えないことになるのだ。


まあ、会社員とか公務員とか先生とかの話はつまらないものが多いだろう。それでもその人たちは安定していて年金は十分にもらえて老後も保証される。
しかし自分の体験を他人に語ってもつまんないと誰も聞かないかもしれない、それより本人がつまらない人生だったとかなるのだ。だから本当に年金を十分もらってもその人生がいいものだったかどうかはわからない、何か特別の困難を乗り切った人はやったなとかなる。戦争などは経験できないものだから良く生き残ったなとか今でも思っている人がいるだろう。姉は従軍看護婦で死ぬ直前までそのことを語っていたから忘れることができなかったのである。


それぞれの人生がどんなだったかは自ずと老人になるとわかる。否応なくわからされるのである。だから老後というときその人のしたことが仕事になりやすい。旅ばかりしていいたら旅に関心があり旅している若者に共感する。ああ、自分もあうして旅していた時があったなと感慨深いのである。そして旅のことを語りたいとなり現実に外国で世話になったからは一室をボランティアのようにして貸している人がネットにいた。
その気持ちが自分にわかった。自分もそうしてみたいとかなる。その旅している若者を見送る自分が普通の人とは違うのである。思い入れが深いのである。
だから本当に旅した人は西行でも芭蕉でも山頭火でも旅の守り神となる。やはり同じ道を行っているから旅している人を見守っているのだ。そういうことが本当にあると自分が旅している人を見送ってそうリアルに思った。


これは一生費やした体験が例えば他の職業でもあるだろう。だから老人になれば体験したものを伝え教えるのが向くようになる。それがないと老後の時間をもてあますだろ。
会社人間の問題は退職すると後進のものに教えることがないことなのである。
それは意外と深刻でありそれが認知症にもなる生きがいもなくボケにもなる。
だから女性でも姑となり嫁に何かを伝えるものがないとボケやすくなる。
今はみんな姑とは一緒に暮らさないからそうした世代間の問題が起きてくる。
いづれにしろ人間はどんな一生でも何かを蓄えているのである。
それが老人になると否応なく現れるのである。


秋桜もいろいろな色が交じり合い咲くように子供でも様々な世代でも女性でも男性でも交じり合い暮らすのがいいのである。老人ホームになると老人だけの世界になるからこれもいいものではないのだ。江戸時代から戦前でもそういう社会があったが今はなくなった。そこにかえって高齢化社会の深刻な問題ともなっているのだ。
老後に備えるといっても金だけではない、むしろどういう人生を送ったかが問題にもなる。公務員とか会社人間だけだと老後は何も生きがいがないとかなってしまう。

いくら金があってもつまらないともなる。一方豊かな経験をした人はたいして金がなくても老後が実りあるものとなる。老後は節約すらなはら節約しやすい、だから金の問題もあるが思い出が大きな価値をとなってくるのが違ってくる。

だからここでいつでも言っているように思い出す、記憶に残る旅をしろよと言っている。徒歩旅行した人にもあなたは必ずこうした旅が思い出として記憶されるだろうと自分は言った。意外と30年前の旅でもそうしたことが起きる。だから今でも旅を思い出して詩や短歌や俳句を作っているのである。記憶に残らなかったらこうした創作活動もできないのである。


ともかく江戸時代辺りは歩いているのだからみんな旅人だった。相馬市から原町まで歩いても旅になっていたのである。歩いているから旅になったのであり今は単に移動していることが多いのである。

 

2013年10月18日

原発事故の責任のなすりあい (一体誰が責任者だったのか?権力の独占巨大化が事故を生んだ)

 

原発事故の責任のなすりあい

(一体誰が責任者だったのか?権力の独占巨大化が事故を生んだ)

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●政府の責任の方が重かった?


原発事故は今や責任のなすり合いになっている。東電が責められているが東電に言い分あり主張しているのがネットにあった。政府に責任がある。保安院に責任がある。政府の許可と命令があって原発は作られた。政府の指導の下に東電が作ったのであり主導権は政府にあった。だから東電が責任者ではなく政府である。なぜもっと専門的技術者を雇い政府で管理しなかったのか?それを強く問うている。これも一理ある。保安院まるで機能していなかったのは東電の責任ではなく政府の責任だというのも正論になる。
全部が東電の責任とはならない。


政府はもともと原発導入に関してその危険性を専門家に詳しく調査させたり論議させたりしていないのだ。そもそも読売新聞社の正力松太郎が自分の野望のためにアメリカのエージェントとなり新聞やテレビを通じて安全性を宣伝したのである。それにのって中曽根首相などが原発を推進した。その時日本では地震が頻発するから危険だとか津波が起きるから危険だとか論議されていないのだ。原発というものに対して政府の対処は非常にずさんだったのである。

アメリカを見ればわかる、アメリカの方が地震対策していた。西側には建てずほとんど東側に建てた。西側は地震があるからだ。日本はこれだけの地震国なのにそもそも原発にあった風土なのかも検討されていなかったのである。ただそこにアメリカのおしつけとかがあり断れないとかがあったのかせしれない、アメリカの強制が原発には多分にあった。

でも日本側でも断ることはできたのである。すでにこの最初の段階で事故の起きる種がまかれていたのである。

考えてみれば東電がすべてしきり何でもできるようにはなっていなかった。保安院が権限があるのだから東電が一旦高くして作って建てたのを不便でありコストカットのためわざわざ低くした時、保安院が拒否すればできないことだったのである。そういう権限が政府にはあった。もし権限がないなら責任もないである。権力をもつことは責任をもたされることである。ただ闇雲に権力を欲しいと活動するがその権力には重い責任が課せられている。何でも権力があるからできるということではないのだ。

ただ原発に関してはとても東電の能力に勝るものはないから結局は東電にまかせきりにてってしまった。それだけ原発というのは専門性が高く政府でも管理とか対処できないものだったのである。現代の社会はあまりにも複雑であり政府がすべてに対処できない、会社の方が政府より専門性でも上なのだから政府が監査すこともできなのである。
結果的には政府がすべて指導できない、会社が指導することになってしまう会社社会なのである。大企業に付属して政府があるともなっている。だから会社が暴走すると政府は何もできなくなる。そこに大きな危険がひそんでいる。


●市町村の自治体の責任


自治体の責任も大きかった。大島の土砂災害でもなぜ避難警告を出さなかったのかと町長が責められている。気象庁では危険を町長に知らせていた。しかし町長は夜ということで被害がかえって拡大すると避難警告を出さなかった。ここでわかったことは町長とか自治体の権限が国より大きいことであった。気象庁で政府で勧告しても避難指示を出す権限は町長にあった。そして町長の権限と責任がいかに重いものか知った。

この辺でも津波原発事故で市町村長の責任がいろいす問われる。それは現実が深刻だからどうかしてくれとなり何もしてくれないとなり市長は何にも役に立たないからやめるべきだとか南相馬市でも言われている。いかに重い責任がのしうかかっているかわかる。
だからこんな緊急時に重責をになえるのはよほどの人でないとできないだろう。

ただ誤解しているのは国の権限がすべてではなかったということである。国の命令に
自治体がすべて従うことはない、国の権力がすべてではない、現代は国の権力が弱体化しているのだ。むしろ会社の権力が強大となっていることが東電などをみてもわかる。
それはし社会が専門的になり政府とて容易に立ち入れない、特に原発ではそうだった。
それは自治体でも原発が何かというときこれに対処することは容易でない、原発のことがわかるのか?放射能のことがわかるのかというとほとんどわからないし質問することさえはばかれるだろう。専門家がまずそうした素人をシャットアウトしているから質問すらできない状態だったのである。だから専門家社会の問題を前に指摘した。


科学コミュニケーション以前の段階のクライシスコミュニケーションや具体的な対応策で明らかな失敗をした政府・行政の関係者や、まともな専門家の主張を取り上げず政府・行政に悪影響を与えたメディア関係者ではないでしょうか。
http://icchou20.blog94.fc2.com/blog-entry-452.html


だから原発事故の責任が一体どこにあったのか?今やそれぞれのなすりあいになっいる。それは戦争の時と同じである。みんな責任のなすりあいになる。そして不思議なのは原発など素人にはわかりにくいのだから専門家の科学者技術者にも相当な責任があった。
でもその科学者とか学者とか技術者き責任はあまり問われないのである。
つまり科学が現代の宗教になっているとき医療でも医者のミスは問われないように科学社会だから科学は一つの信仰だから科学者は現代の司祭だから責任が問われない、医療でも必ずあらゆる病気は直せるという信仰になっている。失敗があっても今は直せないが科学者は直してくれるという信仰になっているからミスの責任も問われないのである。原発も今は危険でも研究が進めば危険でなくなるという信仰があるから科学者の責任は問われないのである。科学専門家が現代の司祭だからそうなる。ミに払っていた。だからほとんどの知識人にも東電から金が流れていたのである。

東電の罪はそうした巨大な権力があったということなのである。だから権力を独占するとそれがいかにいいものでも悪いものになる。権力があれば何でもできる、権力のないものは何もできない、たまっていろとなるだけになる。

ただ自治体が責任あるというとき原発を許可するのは政府でもなかった。そこに住んでいる住民が自治体が拒否すれば拒否できたのである。現実に新潟県の巻町では原発を拒否したから建っていない。町民を二分しても拒否する方が強く原発を作らなかったのである。このことも良く検討されていない、原発には福島県の知事も権限をもっていた。知事の許可があると建てられる田とになっていた。ただその前に市町村の自治体で導入が決められるのである。


●住民の責任


今はなぜ双葉でも大熊でも浪江でも原発を誘致した住民は手厚い補償金をもらっているのかと国民から責められている。盛んに住民が積極的に原発を誘致したのだから住民に責任があるのになぜそんなに補償金が払われるのか、それは国民の俺たちの税金が使われているだ。住民も責任があり責任をとるべきでありそんな補償金をもらう資格がないと責められる。ではその住民を責める国民にもまた責任があったのである。なぜなら原発が国策であったなら国民が支持して作られたのであり政府かその意志を代行しただけだともなる。住民を責める国民に全く責任がないとは言えないのだ。つまり原発は日本国民の責任で導入したものだとなる。だから日本国民全部に責任がある。そういう理屈になってゆく。
何かこれは戦争の責任論と通じるものがある。戦争も結局誰が責任あったのか今でももめているからだ。


住民のなかでもまた責任が分かれる。前にも書いてきたけど漁業組合が一番責任があるという時、原発は住民といっても全部の住民ではない、漁業権をもっている漁業組合の許可がないと建てられないのである。とすると漁業組合が反対すれば原発は建てられないとなっていた。そうなれば漁業組合の責任は重いものとなる。原発前もあとでも補償金が一番大きいのが漁業者だったから批判されている。原発御殿が建っていたとか言われる。船主になると億の金が入ってきたとかも言われるし富岡町長の5億円の金庫が流されたことが話題になった。


ては責任とは何にあるのか?それは権力や実質的権限をもっているものに責任が課せられているのだ。権力がないものには責任はないのである。つまり政府でも公務員でも会社でも検察でもマスコミでも権力をもっているから責任が問われる。マスコミでも報道する権力をもっているから問われる。今では確かにインターネットで個々人でも報道する権力を持つようになった。でもまだまだその力は弱い。報道できることは大きな権力だったのである。権力をもたないものは責任がないともなる。何もできないものは何の権限も与えられないもは責任もないのである。自分の本を図書館に置くのを断った公務員は権限をもっていた。公務員はそれなりに権力をもっているのだ。特に一個人は現代では権力がないから簡単に無視されるのである。


現代の権力構造はすべて団体にある。団体化したとき権力をもつからみんな団体化組織化して権力をもち社会に訴える。そこであらゆる団体化組織化した間で権力闘争が行われる。そこにはカルト宗教団体も組み入れられている。団体化は宗教とは今は何ら関係ない、大きな利権なのである。利権追求団体でしかない、カルトではない檀家でもそうであり
京都は僧侶が寺院が観光利権をにぎって金持ちになっているのだ。何らか組合とか団体化とか組織化したら利権追求団体としてあるのだ。無数にある会社自体がそうである。
こういう社会は一見個人が主張しているようでも団体の利権の代表者なのである。
必ず背後に団体組織があって主張できるのである。そこが見えないからだまされるのである。マスコミに出れる人は学者の芸能関係事務所の人だということでもわかる。
その人選は団体の意向を代弁する人なのである。東電では電事連でも莫大な宣伝費をマスコミに払っていた。だからほとんどの知識人にも東電から金が流れていたのである。

東電の罪はそうした巨大な権力があったということなのである。だから権力を独占するとそれがいかにいいものでも悪いものになる。権力があれば何でもできる、権力のないものは何もできない、たまっていろとなるだけになる。

なぜ自分が権力というものにこだわるのか?それはなぜ創価などがあれほど権力追求になっていたかという反省だった。そこでは権力さえとればすべてがかなうという信仰になっていたのである。もう宗教など関係ない巨大権力化したものを人は恐れるのである。宗教が権力をもつことほど本末転倒なことはない、巨大な団体組織と化して脅しつけるこれは宗教とは正反対のことなのである。お前ら罰あたるぞというときそれが一人なら何の影響力もない。でも7百万人でも一体となって言えば恐ろしいものとなるし脅迫である。それは何ら宗教とは関係はないにしろそうなる。だから政教分離の法律が西欧ではできた。
宗教が権力をもつこと自体が否定されるべきものとしてあったのだ。イスラムでも原理主義者が権力をもつことで問題が起きた。それは人間の普遍的課題としてもあった。
別に個人で信仰の自由はある。団体組織化するときそれは権力志向になっているから問題になる。でも実際はすべて団体組織化しているのが宗教なのである。


権力をもつことは誰でもわかりやすいから権力志向はとめることができない、それは人間の欲望と密接に結びついている。人間の欲望をとめることはできないから権力志向せとめることはできない、権力という時、金か誰でも欲しいというとき、金を一番もつものが権力をもつことになる。だからたいした金てなくても金がある人は権力をもっているから責任がある。金持ちはただ金があるからといって浪費していいとはならない。それはやはり必ず責められることになる。でも実際はそんなことはかまわずみんな金が欲しいとなるのだ。東電てもあれだけの巨大会社だから政府でもマスコミでも何でも金で動かせるとなっていた。天下り先として検察も警察関係者も入っていてたいして仕事しなくても巨額の報酬がもらえたのである。権力にはそれだけうまみがあるからみんな下々のものも権力が欲しいとなりその権力が得られということてカルト宗教団体に入ったりする。結局このことは別に今に始まったことではない、権力闘争は人間が生まれてから始まっていたのである。


結局カルト宗教団体でも何でも団体化して組織化して社会に権力を独占するようになるとそれは必ず弊害を生む。権力をもつものを否定できないにしろそうした権力を抑制する装置がないと社会は大きな権力をもつものに一方的に蹂躙される。それは一党独裁のファシズムになることは歴史が証明している。だから民主主義が生まれ一党独裁とか独占とかを抑制しようとした。三権分立にもそういう思想があってできた制度である。
原発事故の原因は複雑にしろ根本的には権力の独占だったのである。

 
posted by 老鶯 at 11:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

今日は十三夜の月が美しい (十三夜は日本だけの行事ーその月の写真)


今日は十三夜の月が美しい


(十三夜は日本だけの行事ーその月の写真)

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風やみて十三夜の月に芒かな

十三夜あわれ深まる老いの身に
知るべしや日本のあわれ十三夜
雲翳り写れる月や一三夜
落ち着くや津波の後の十三夜
十三夜木の器に茶を飲みぬ
後の月移りゆくかな夜もふけぬ

我が母の余命いくばく後の月

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近年の十五夜(旧暦8月15日)と満月、および十三夜(旧暦9月13日)の日付
      十五夜  満月     十三夜
2006年…10月6日≠10月7日……11月3日
2007年…9月25日≠9月27日……10月23日
2008年…9月14日≠9月15日……10月11日
2009年…10月3日≠10月4日……10月30日
2010年…9月22日≠9月23日……10月20日
2011年…9月12日=9月12日……10月9日
2012年…9月30日=9月30日……10月27日
2013年…9月19日=9月19日……10月17日


十五夜は元々 中国の風習でもありましたが
十三夜は日本固有の風習だそうです。

又 十五夜を観賞した後は 必ず十三夜も
行いました。 “片見月”とされ嫌われていました。

十五夜には芋を供え 芋名月と言われたりしますが
十三夜には 栗や豆などをそなえ
“栗名月” “豆名月”
とも言われています。




2013.10.18 06:02:02

 うえひろ : 関西も寒くなりました。夏から一気に冬って感じですね(泪)

「十三夜」  鈴木雅之さんの曲を思い出しました(懐)

 06:44:41 蒼海 : 半月だったけど明る

http://pub.ne.jp/Witch73/?entry_id=5080902


作詩 石松秋二  作曲 長津義司
 昭和16年


2 夢の昔よ 別れては   
   面影ばかり 遠い人   
   話すにも 何から話す 
   振袖を 抱いて泣きたい 
   十三夜

十三夜の歌は昭和一六年に作られたから古いものだった。十三夜の月見がまだどこの家でもしていた


http://ameblo.jp/lesson-raiy/entry-11639803591.html

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ここのプログの写真はいい。

こんな器があったのか、これほしいという人がいるだろうな
インターネットはキーワードから買い物することがある。
誰かの紹介で買い物することがふえてくるのだ。
品物の種類も無限になっている時代だからである。
これは無断で写真を出したけど宣伝にはなっている。
インターネットはこうして写真を出してもきづかないことがあるだろう。
気づかれたらとりのぞけはいいだけだともなる。
普通はしない方がいいだろう。
これは品物の紹介になっているから出してみた。
やはりこれも写真のとり方があるから著作権あるのだろう。
一皿だったらそれほどでもないかもしれない、一つの作品になるのだろう。

十三夜 樋口一葉


今宵は舊暦の十三夜、舊弊なれどお月見の眞似事に團子いし/\をこしらへてお月樣にお備へ申せし、これはお前も好物なれば少々なりとも亥之助に持たせて上やうと思ふたけれど、亥之助も何か極りを惡がつて其樣な物はお止よしなされと言ふし、十五夜にあげなんだから片月見に成つても惡るし、喰べさせたいと思ひながら思ふばかりで上る事が出來なんだに、今夜來て呉れるとは夢の樣な、ほんに心が屆いたのであらう、自宅うちで甘い物はいくらも喰べやうけれど親のこしらいたは又別物、奧樣氣を取すてゝ今夜は昔しのお關になつて、外見みえを構はず豆なり栗なり氣に入つたを喰べて見せてお呉れ、


十三夜は江戸時代から明治とか月見としてつづけられていた。今になると十三夜はなじみがない、ただ今日は満月が美しく調べたら旧暦の一カ月遅れの十三夜なのだろう。
他の人もプログで十三夜と報告していて同じ月を見ている。
こういうことはプログだと時間軸で同一体験できるから今までにないことである。


月待行事とは、十五夜、十六夜、十九夜、二十二夜、二十三夜などの特定の月齢の夜、「講中」と称する仲間が集まり、飲食を共にしたあと、経などを唱えて月を拝み、悪霊を追い払うという宗教行事である。江戸時代の文化・文政のころ全国的に流行した。特に普及したのが二十三夜に集まる二十三夜行事で、二十三夜講に集まった人々の建てた二十三夜塔は全国の路傍などに広くみられる


二十三夜の歌
http://www.youtube.com/watch?v=zOuwCFjfqAo


月に願いはかなえると昔の人は祈りましたと・・・・・

二三夜塔はどこにでもある。昔の人は月に願うというとき今は科学の時代ですたれたが月も以前として神秘なのである。月の引力が作用して津波が起きたとか言う人もいる。
天体なんらか関係あって巨大地震となり津浪か起きた。地球も天体の一部だからそういうこともありうる。こうした昔から伝えられるものは何か意味があった。

結局この世のことは自然でも人事でもわからないことが多すぎるのだ。
津神社が全く忘れられていたように昔から伝わるものを忘れることは明らかに何か大事なものを失っているのでありそれが恐ろしい危険にも通じていたのである。

インターネットから引用して一三夜のキーワードで編集した。
インターネットはこうして自分なりに編集して読むものなのである。
これはテレビのように一方的に見るのとは違う。
編集自体が創造的なものなのである。

ただこういうことは相当時間がかかるのが問題だから忙しい人はどうしてもテレビを見てしまう。ニュースとか必ず見なければならないからそれたけでも時間がとられる。
今は福島民報をとるのをやめた。新聞をみなくてもニュースはテレビでも他でも見れる。いろいろなメデアに接することは時間がないから不可能になっている。
だから取捨選択して自分なり編集しているのである。


ともかく十五夜は中国にもあるが十三夜は日本のみであり日本の文化であり月に対する感性を育んだとなる。ただ九月が十三夜で後の月かと思った。

月という時、自分は蟹座であり月と縁が深いのかもしれない、満月の時に蟹は出産するというのも不思議である。人間であれ自然界であれ人間は知らないことが山ほどあるのだ。今回の津浪でも人間の歴史でもそうだったし自然界でも想定外とか常に起きてるのだ。
一個の人間がしりうるものは極めて限られている。
だから日本の伝統的なものすら知らないのである。
英語の勉強に夢中になれば日本の古典はなおざりにされて知識が深められない、それよりそもそも何も知らないという人が多いのである。
ただ月自体は自然は月は変わらず美しく輝いているから昔をふりかえることができるのだ。

この十三夜の満月を見て感じたのはもう当分はとれくいになるかもしれないが地震はあるにしてもあんな津波はもう何百年は来ない気がする。何か今日の月を見て落ち着いた平和な気分に満たされたからだ。

2013年10月19日

インターネット時代の買い物 (これも試行錯誤だったー失敗も多い)

 

インターネット時代の買い物

(これも試行錯誤だったー失敗も多い)


インターネットで二日おきくらいに買い物していた。本が主なものだか2万くらいだと買いやすい、デジカメは六万だったけどこれは買っても使うのがなれているから失敗しないと思った。でもすでに一回落として傷つけた。持ち運びすると自分は必ず落としたりするから高いもの買いない、今何かを買う時、電気店とかに行って聞いてもわからないことが多い。まず買うものを選ぶ時点でインターネットで調べる。知識がないのだから少しでも知識があった方がいい。それは店で聞くよりいいのだ。店の人に聞くと何か買わないと悪いなという気分になる。だからいろいろ詳しくたずねられないのである。

店員にしてもこの人はうるさく聞くけど買わないみたいだからもう説明したくない、説明するのも手間なんだよとなる。確かにいちいち丁寧に対応するのも本当は費用がかかっている。この点はインターネットは気楽であり買い物も気楽である。
人がいないからそうなる。ある意味で機械化して自動販売機のようにして買っているのかもしれない、人間力を極力省いて運営している。セルフサービスの体制でそうしている。だから人件費をかなりおさえられるのだろう。ただ配達するコストが一番かかっているのだ。それも無料が多いから買う方では便利になる。


電気の量販店で失敗したのは印刷機だった。文字だけを高速に印刷する手軽なものを14000円くらいで買ったがあまりいいものではなかった。カラーは印刷できないからだ。
これは何を選ぶかの時点で知識もなく間違っていた。店員の説明ではそこにある展示してあるものから選ぶと今は種類が多いから一部しか置いていないから失敗するのである。
エプソンだったけど失敗だった。

それでインターネットで印刷機とか調べていると8000円くらいでカラー印刷できるレーザープリンターがNESから売っていたのだ。
それはMULTIWRITER5600Cが簡易なものとして紹介されていたのだ。
ただこれでも印刷機に対して知識がほとんどなかった。これよりいいものがたいして変わらない値段で売っていたみたいだ。だから最初の段階でエプソンの白黒のレーザープリンターを買ったのは失敗であり電器店の店員も詳しく商品に対しては案内もしないし助言もしない、選ぶ時点で買う方がそれなりの知識がないと買えない時代なのである。
ただ大きさとか重さはネットの画面だけからわからないから失敗したことがある。
パッグが重かったのである。これは使えなかった。6000円くらいしたが丸損だった。
インターネットの通販にそうした失敗が必ずある。だからあまり高い買い物はしたくないのである。ただ通販でしか買いないものが今は増えている。
こんなにいろいろなものがあるのかと通販の品物の多さには驚いてしまう。
だからこれも欲しいあれもほしいとなってくる。
それでいろいろな買い物をしたのである。


今回買ったのは-強力1000Wヒーター搭載のスーパー風呂バンス-というものである。
電気温水器が40年くらい使って壊れた。地震の時配管を直してもらった使えたがとうとう寿命がきた。こんなに長く使えたら本望だろう。
これを買うと30万以上もかかる。自分の家では二人で一週間に一二回しか入らない、だから新しく買うのはやめた。風呂が入れない時高見のビジネスホテルのドートルの湯に入った。500円だけど昔の銭湯と同じである。風呂も自宅ですると金がかかる。
一週間に二回入って2000円だったら自宅で風呂をたてるよりいいとなる。

一人暮らしだったらそうして手間のかかることはしたくない、朝だったら牛丼屋で300円くらいの朝食ですましていれば時間も手間もかからないのである。
何しろ運んだり食器を洗ったりするのが手間なのである。

最近テレビで宣伝していた
H2OウルトラスチームマスターX5 スーパープレミアムキット ...
これも失敗だったみたいだ。


当方、エレクトララックスの掃除機型のスチームクリーナーを持っていますが、本当に、期待はずれでした。
油汚れも落ちないし、壁紙もキレイにならないし、お風呂もダメ。

大型品でもこの程度の実力なので、ハンディ型では、到底、汚れは落ちないでしょう。
毎週のくらいに掃除をしているのであれば、キレイになるのかもしれませんが、TVのCMのような
「まぁキレイ」
とはなりません。


それほど役に立つものではない、これで失敗したのはアマゾンなら旧式でも1万で売っている。宣伝で今買うと安いとなっていたので買ったが失敗だった。
そして部品がなくなってモップがつなげなくなった。ただ蒸気を出すだけになった。
これもあとで買うこともできなくなった。ただ全く使えないというのではなくなくトイレの掃除とかには向いていた。台所の床の掃除にも向いていた。
ただ25000千のは買う必要がなかった。アマゾンで買えば一万でもたいして変わらない。
これは宣伝にのせられたのである。
テレビで宣伝するものはみんなアマゾンで売っているのだ。


スーパー風呂バンス-も会社から買うより一万安く同じものがアマゾンで売っていて即買った。情弱というとき情報社会は買い物でも情報不足だとかなり損する。
テレビでの買い物は今は要注意である。一方的にのせられるからである。
テレビだけで買い物することは本当に一方的にのせられるから危険である。
これは何もニュースとかでもテレビだけの解説とかに頼っているのと同じだった。
一方的に説明されるから知らずに洗脳されているのだ。
青汁とかあれだけ宣伝しているけどそんなもの効かないと思うべきである。

情報社会とは新聞やテレビやマスコミからのみの情報に頼らないことに意義がある。
ただインターネットはまだ利用の仕方がわかりにくい、買い物でもそうである。
アマゾンはわかりやすいからみんな利用しているのだ。
とにかくテレビで宣伝してもすぐに買わないでアマゾンで値段などを調べてみるのが買い物のコツである。

インターネットの問題は調べることに時間と手間がかかりすぎることなのだ。
玉石混淆の情報から調べるとなると時間と手間がかかりすぎるのである。
まあ、2万円くらいまでならそれほど損した感じにならないだろう。
これも経験を積み重ねないといい買い物はできないのである。

ともかく本では買ってほとんど失敗していない、なぜなら自分の文脈でちょうどインターネットで調べるように引用するように本を買っているからだ。
品物はそうはいかない、まずその事前の知識を得るだけで手間がかかりすぎるのである。それだけ現代は買い物でも広範囲な知識が必要なのである。

家事をしていれば料理でも料理するのではない、いかに買うかであり買ったほとんどまかなうからそうなる。オカズもそうだしほとんどそうである。だから何とか時間があいて自分は文章を書き創作もできている。そうでなければ買い物だけでも追われてしまうだろう。時間を節約するには買った方がいいのである。めんどうな料理などしていられないのだ。それより食堂ですました方がずっと時間を節約できる。
今は介護しているからそれができないだけなのである。


これはインターネット時代にどう対処していいかわからないことから起きている問題である。
ただ今まではテレビとか新聞とかマスメデアを通じて買い物すらしていただろう。
量販店でもやはりそこのみが買い物の窓口となっていた。
だから店員の説明で買っていた人が多いのである。
買い物も情報化すると自分で情報を仕入れて自分で分析判断して買うようになる
それだけの情報がインターネットにあるからだ。
でもこれは老人にはめんどうだし買い物自体がかえって骨の折れるものにもなる
ただ売る方の一方的おしつけはできないということは普通の情報でも同じだったのである

5600C.jpg
MULTIWRITER5600C

これはいいものだった
ただドライバーをインストールするのがめんどうだった
NECでは丁寧に対処してくれた
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これも2万では安いし使えるみたいだ
今日はこれで沸かしたもので入る

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これはお得である。チャーハンなどについてくのと同じだった
味噌汁はやはり味噌を買って作った方がいいがめんどうだし塩分が多すぎるのだ
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H2OウルトラスチームマスターX5 スーパープレミアムキット

これは使えないことはないがアマゾンの一万くらいのでよかった
部品をたして25000円は高いものだった
これはテレビの宣伝にのせられてすぐ買ってしまったのが失敗
あとでゆっくり調べていればこうはならなかった。
今はキャンペーンで安いというので買ってしまった
これもテレビだから一方的にのせられたのである。

shilingloght!.jpg
 LEDシーリングライト

これももアマゾンで買ったけど大失敗だった。天井が高くて一人でとりつけられなかった。とりつけるるきもこれは相当にむずかしいものだった。
使えないと思ったがたまたま便利屋にかたづけ頼んでいたのでついでにやってもらった。でもとりつけるだけで一万くらいとられたかもしれない、それだけコストがかかる場合がある
自分で電気製品でもとたつけたりできないものがある。これは通販では買うべきではなかった。
あまり使うのにむずかしいものは買うべきではない
それから安くてもモノが手にとって見れないので損する場合もある。
だからこれなら間違いないと買って知っているものならいい。
全然知らないものを買うとなると失敗もある。
結局通販でモノを買うということは店で買うよりめんどうである。
ただそれだけに買えないものも変えるし車がないから何でも家に運んでくれるからいいのである。
量販店では運送費とか結構高くなる。3000円とかとられるとか高いのである。

インターネットのメリットが高くなると量販店でも苦しくなる。
通販なら無料で運んでくれるのだから無料で運んでくれと量販店に言ったらそうしてくれた。やはり通販が量販店の一番の競争相手になっているのだ。



 

2013年10月20日

仙台までの常磐線の駅を秋に偲びぬ (津浪の後の駅を偲びて短歌十首)


仙台までの常磐線の駅を秋に偲びぬ

(津浪の後の駅を偲びて短歌十首)

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常磐線の亘理から駒ヶ嶺までの津浪の被害状況
http://shi.na.coocan.jp/tohokukantodaijisin-8.html


駒ヶ嶺即過ぎ去りて新地かな伊達と相馬の境なるかな

新地駅海の近きに屋並見え虫の音聞きつしばし止まりぬ
新地駅月影さして明るしやおりたちしばし休む時かな
坂本駅秋の灯ともりここすぎて相馬となるや電車に帰りぬ
磯浜に港のありて知らざりき山元駅の親しきものを
山元駅瀟洒な住宅建ちにしをみな津浪にて流されしかも
仙台に勤めに通う人のあれ山元駅や秋の日暮れぬ
浜吉田浜とあれども海見えず駅まで襲う津浪なるかも
仙台へ亘理る来れば近しかな海の近きは思わざるかな
鳥の海蔵王の見えて船よりぬ阿武隈川もここにそそぎぬ
逢熊駅とまりて鳴きぬ蝉の鳴く声のひびきて新しき駅
仙台に電車に通う常の日や津浪に失ういつの日通ぜむ
仙台へ電車通わず十三夜の月影照らしあわれなるかな


相馬と仙台は密接に結びついていた。それは常磐線があったからである。相馬藩は江戸時代でも伊達藩との結びつきが強い。戦国時代に伊達政宗と争ったにしても強いのである。だからいろいろな江戸時代の碑は伊達藩のものが多いのである。


「地名は知っていた(下)(太宰幸子)で


海蔵寺は江戸後期に開山された寺だそうでその頃から須賀畑周辺に住む人が多くなったのだろうか。

しかし地元の人は「もっと前から住んでいた人がいると思うよ」と話し「何代もつづいた古い家が多いだんよね、秀吉の朝鮮出兵の際、船の漕ぎ手として行ったという家もあるよ」とつづけた。
領主であった伊達成実(しげさね)とともに、文禄の駅(1592-1593)に参戦した方の子孫もいるのだという。


この話で気づいたのは新地の神社に「文禄」と記された碑があったのだ。これは何を意味しているのか?ただ文禄とだけ記されている碑もめずらしい。そもそも相馬では文禄時代の碑など皆無である。元禄辺りからあるし増えているが文禄は古いのである。伊達藩は相馬藩より古いから古いものが保存されている。
新地は一時伊達領だった。境であり争った城もある。伊達政宗の朝鮮出兵は大きな歴史的出来事だった。だからその時朝鮮人を側室にしたとか言われるが真意はわからない、朝鮮の陶工などを強制的に秀吉は唐津などにつれてきたのだからそういうこともないとはいえない。


滴水瓦(てきすいがわら)

 瓦の瓦当面が、雨水が滴るように「雲頭形・倒三角形」に垂れ下がった軒平瓦で、一般に「朝鮮瓦」と呼ばれます。豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)に参戦した大名達が権力の象徴として、朝鮮の瓦を真似たものとされています。
 仙台城本丸跡では、瓦当中央が花菱文の滴水瓦(3点)や菊花文(10点)が出土しており、仙台城二ノ丸跡・松島瑞巌寺・利府町大沢窯跡などでも出土しています。
http://www.city.sendai.jp/kyouiku/bunkazai/castle/08.html


相馬市の城跡の大手門の瓦も滴水瓦なのである。この時伊達藩の方から技術が伝わったのかもしれない、新地には伊達藩の侍だった人が住んでいて相馬市との合併を拒んでいたという。その屋敷も津浪で流されたのである。伊達とは敵対しても因縁深いのが相馬藩なのである。そもそも野馬追いも伊達に対抗するための軍事訓練からはじまっていることでもわかる。
ともかくこの話から文禄という碑は文禄の役の記念だったと推測されるのである。
新地はやはり伊達とのつながりが深いのである。
相馬藩の歴史は伊達藩の歴史とクロスしているから伊達藩のことを知らないと相馬藩のこともしりにくいのである。
相馬藩には仙台方面の古い碑が多く仙台の方にお参りしていたことが如実にわかる。
小牛田神や山神などがそうでありこれはどこでもみられるからだ。


BUNNROKUHI11.jpg

新地の神社にあった

 

常磐線は自分も仙台には通っていた。遊びにしろ仙台は身近だった。第一相馬から通勤していた人もいたから通勤圏でもあった。一カ月に二回とかは行っていた。前は本を買うために行っていた。他に仙台はやはり東北では大都会だから違っていた。
でも駅の名は暗唱するくらい頭に残っていても実は相馬市から亘理まであれほど海が近いということを意識しなかった。海が新地でわずかに見えるだけで見えなかったのである。海に近くても海が見えないと意識されないのである。それで新地駅にしろ山元駅にしろ
あれだけ無残に破壊されたことにはショックだった。線路がぐにゃぐにゃに曲げられ見るも無残な状態になった。そもそも新地はわかるにしても山元駅があんなに海に近いとは思わなかった。磯浜に港があることもわからなかった。ただ山元駅はさらに仙台の通勤圏内に入り駅の回りに瀟洒な家が建っていた住宅街があった。そこにプロ野球を引退した人が住んでいたのである。そも全部津浪で流された。

最も意外だったのは浜吉田駅である。いつも通っても浜とあっても全く浜と意識されなかったのである。それがあそこまで津浪が襲った。あそこもかなり海に近かったのである。写真を見たらあそこの駅前まで津浪で海のようになっていた。あの光景も信じられないものだった。浜吉田の浜はだてについているものではなかったのである。

電車には思い入れが強いから駅が一つの記憶の場所になる。逢熊駅も最近できたから記憶に残る。そこは新しい駅なのである。仙台に近いから新興住宅地ができるから新しい駅ができた。そういう駅でも歴史を知らないと何かただ通りすぎるだけになる。旅をするとそうした歴史を知るのはむずかしい。
坂本駅でもあそこが伊達と相馬の境だなと思って旅する人はまれだろう。そこに旅が失った所以がある。例えば江戸時代なら境に関所があれば否応なく意識されるから違っていたのである。不便でもそこで意識されて記憶されるから違っていた。

亘理駅に来れば仙台は近い、ただここでも海が近いということは意識されない、ただ今度は阿武隈川をわたることは意識する。海は意識されないのだ。ただ一度鳥の浜に行ったとき、蔵王が大きく見えて船が寄っていることは新鮮な風景だった。あの辺から蔵王ははっきりと見える。阿武隈川は福島市から船で米などが運ばれ荒浜から江戸へ運ばれた歴史もあったのである。それなりに交通の要所となっていた。
 

仙台は何か電車が通じないと遠くになった。ここ半年以上めんどうだから行っていない、何か仙台も遠いなとなり十三夜の月影が津浪で襲われ破壊された駅や線路を照らしているのも感慨深い、何かこうして交通がたたれると江戸時代にもどったような気分になるのだ。江戸時代はめったに遠くには行かないからだ。
それは小さな今回津浪に襲われた港でもそうである。牡鹿半島の湊は小さい、そこでも江戸時代から暮らしがあった。そして隣とは山でさえぎられているからあまり行き来がなかったという、船越とは船で越すからであり陸では閉ざされた地域が点々とあった。
でも魚や貝がとれたとしても米はとれないし野菜もそれほどとれないとしたらどうして自給自足できたのだろうかとなる。それもまた海の生活というのがわかりにくくなったためである。牡鹿半島では津浪の時、後ろの清水を飲んでしのいだとあった。あそこには確かに清水が出るから山があり山の木で燃料も補給できたのである。ある程度自給自足できていたのだろう。だから交流がなくても最低限生活できたとなる。

地名というのは自然と密接に結びついている。
 
「岩沼」の地名の由来の一つとして、
「宮城県地名考」に「伊達家の家臣、泉田安芸重光が、この地に築城して「鵜ヶ崎城」と称した。このお城回りの堀が「沼」になっていて、10の沼があった上に、このお城の一角と沼とを併せて「岩沼」と呼んだといわれてい
 

こういう情景が津浪でリアルになった。津浪の後にいたるところに沼ができたからである。でも今までは岩沼は繁華な地であり沼を想像することはできない、いつも見るのは団地だったからである。あそこには千貫松の伝説も残っているから伊達藩には慶長津浪の記録であり伝説が多く残されている。第一相馬藩の武士が慶長津浪の後の六郷に移住した。
そこに吉田とか地名となって残っている。これもわかりにくいのだ。
なぜなら相馬藩でも700人溺死しているとしたらその被害も大きいのにわざわざ伊達藩まで移住して津浪の後にすみついたのかその動機も良くわからないのである。


そもそも相馬藩の慶長津浪の歴史は相馬藩政気に一行だけ700人溺死としか記されていない、これもなぜなのか?津神社も忘れられていた。伝説もごくごくまれにしかない、一方で伊達藩領域には記録も伝説も豊富なのである。その相違は何なのか、一つの歴史の大きな謎であり課題にもなった。記録されない語られない空白はなぜ起きたのか、それを疑問に思ってたずねてきた若い研究者もいた。これの解明はなかなかできないだろう。
伊達藩それだけ歴史が古いし大きい藩だったし今も宮城県の被害が相馬藩より格段に大きいように何かそのことが影響していた。ただこれは相当な謎である。

 

気仙沼の地図から今回の津浪の被害をよむ (山と海の狭間の地形で土地がなく海側に宅地を広げた)


気仙沼の地図から今回の津浪の被害をよむ

(山と海の狭間の地形で土地がなく海側に宅地を広げた)


気仙沼復興街作り調査
http://web.sfc.keio.ac.jp/~shimnov/kesennuma_reconstruction_research.pdf


まずここを読んでください。
KESENNNNUMA1111.jpg

クリック拡大!


(網地島の伝説)


文永3年(1266)建立の神石碑が鈴木寛也氏宅の角にある。この後方の東森山頂上には、部落の人たちが海上安全を祈願した安波大明神が祭ってある。

【安波大杉神社】は関東から東北地方にかけての太平洋側の漁村に信仰されている神様で、女神やお船霊様であるとされている。発祥は茨城県稲敷郡桜川村にある安波大明神である。(安波様は長渡の根組の半島にもあり、春には大漁と海上安全を祈願して祭りが行われる)
寛永18年(1641)頃には寄磯の人口は30人以上になり平和な年月を送っていたが、天保4年(1835)に大飢饉が起ったため部落民は食料を確保するため悪天候の中へでも出漁せざるを得ない状況が続いていた。


そんな危険な綱渡りの様な漁を繰り返していたある日、渡辺平五郎という人が出漁中の時、天候が俄かに悪化し風浪高く荒れ狂い、小船は大破して乗組員全員が絶体絶命の危機に陥った。がしかし一心で安波大明神を念じたところ、辛うじて海岸にたどり着き危機は逃れる事が出来たという事故が起きた。(この渡辺平五郎が遭難した場所は以後平五郎根と呼ばれるようになった)
http://ajisime.web.fc2.com/txt/yoriiso.htm


安波祭( あんばまつり) (浪江町請戸)がありこれは気仙沼にもあり茨城県の太平洋岸から伝わり太平洋岸にそって伝播した。気仙沼に安波山とあるのがまさにそうである。
気仙沼の中心にあるように鎮座する山となる。前にも書いたけど今回の津浪は非常に海を意識させられたのである。津浪の被害にあった茨城から岩手県までその範囲は広範囲でありこの一体はもともと海と密接な関係を保ち生活していた地域だった。だから共通の海の文化があった。その海が忘れられていたのである。確かに漁港があり海が港が中心のように見えても実際の生活は海の幸より工業化して海で暮らす人はみんな魚をとって暮らすわけではなかった。それを象徴していたのが牡鹿半島だった。あそこには小さな港が点々と孤立したようにあった。零細な自給自足の港であり近年はもう漁期業でも跡継ぎがいないとか漁獲高にしろ牡蠣の養殖であれ落ち込んでいたのである。

漁業は衰退産業になっていた。これは日本全国で同じでありそれで女川の原発で働く人が多いというときまさに福島県の浜通りとにていたのである。
ただ漁獲高は10倍とかあり福島県の浜通りとは規模が違っていた。
漁業だけでは生活していけない、農業だけでは生活していけないとなっていて原発に頼るようになり事故が起きたのである。
津浪が来たから漁業が成り立たないのではなくその前に衰退していて津浪の一撃で致命的な打撃を受けたのである。


気仙沼の地図を見るとその成り立ちをたどることができる。つまり海岸沿い海に直接接している所はもともと海であり塩田になっていた。そしてさらにそこを埋め立てたのが新しい町、新浜町だった。その埋め立て地域か一番被害が大きかった。
古町は前の町であり海岸から離れている。そして三日町八日町と市がたつ所があり八日町まで津浪が来ていた。また寺や神社があるところは比較的高い所にあり津浪をまねがれた。それは人が住んだ順序を示していたのである。
人は最初海に接して住んではいない、そこは湿地帯とかであり塩田になった。
こういうことは海岸沿いで同じである。海であった所を湿地帯などを干拓して人が住むようになった。防潮林として松原を作ったのも白砂青松の日本的風景を作っていた。
それは人工的に作られたものだった。それが津浪で根こそぎ破壊されたのである。


なぜこれほど津波の被害が甚大になったのか?それはまさに共通している原因か海であった所を開拓して埋め立てて田にした。それから気仙沼辺りでは街にしたし仙台や多賀城では海に接して街が広がり住宅地となってったのである。それが被害を大きくなった主要な原因だった。もともと気仙沼とかに津波は度々襲ってきている。津波の供養の碑もあった。それても海側を埋め立てて人家をふやしていったのである。ここでも日本の国土の狭さが影響していた。なぜなら土地が狭いから海側に干拓しても埋め立てても広げざるをえないことがあった。気仙沼なとどをみればわかる。後ろ山が迫り土地がないのである。
だから埋め立てて土地を作る他なかったのである。これは日本全国どこでも同じである。海だったところを干拓したり埋め立てて土地を確保して米を作りまた市街地として人家を拡大したのである。仙台は特にそうだった。


津波も一つの自然現象とみるとき、自然に逆らって生活圏を広げたのが日本だった。
その原因かあまりにも土地が限られていることだったのである。日本人が満州に憧れたのは広大な土地があったことなのである。それが戦争の原因にもなった。土地バブルが起きたのも素ためである。日本の地形はどこまでも平坦な土地が少なく海と山の地形である。海と山のはざまにわずかに平坦地がある地形である。特に三陸から岩手県の地域は後ろが山がそびえ住める場所は限られていたのである。そのことは津浪の被害を大きくした根本原因である。


網地島の伝説でもわかるように日本自体が小さな島にも例えられる。そこで生活するには厳しいとなる。飢饉が起きたときやはり島でも食料が米など入らず苦しくなった。
それで海が荒れても漁に危険を犯して出でざるをえなかった。
相馬藩の原釜でも飢饉で死んだ人が結構いた。それはやはり漁業だけでは食料をまかないためだった。魚は定期的にとれるものでないから定期的に収穫がある農業が必要だったとなる。日本だけではもう人口が増えてやっていけないとなり満州や戦後はプラジルとかに移民になった。それも農業するためだったのである。農業には土地が必要だからそうなった。

今回の津浪の教訓は何なのか?それはいろいろあり様々な問題提起の場所になった。

明らかなことは自然に逆らうことは大きな危険がひそんでいたことである。海に接して人家をふやしつづけたのは人間側の事情である。でも自然から見ればそんなことは知ったことではない、自然には自然の営みがあり人間側のいいようにはならない、津浪も別に人間に敵意を抱いて起きたわけではない、津浪は自然現象でありそれは例え400年に一回でも起こるものなのである。だから自然に逆らう人間側に責任があったとなる。
自然は無情だというのも確かだが闇雲に自然は害を及ぼすものとも違う。

人間側で自然と調和する方法はあった。それができないのはまた日本の自然条件があったということがある。やはり自然は何か必ず制限するものがありその制限を越えると危険なものとなり自然から制裁を受ける。

原発事故でもそもそも核を破壊するとかは科学者でも神を畏れぬ不遜てものだったとか謙虚に反省している人もいる。原子力は何か人間の思い上がりの結果生まれた面があった。人間には常に限界がありそれを突破することはできない、神の領域がありそれを越える事がてきない、神のみが全能だからである。それを越えようとするとき今回のような天罰が下るようなことが起きてくる。

ともかく人間はまずその風土に適合して暮らすことを自然から要求されている。いくら土地がないにしろ日本には日本の恵みがある。それを活かし生きる他ない、それを越えて逆らう生活は今回のように大きな災害に見舞われる。日本の土地には土地の宿命がありそれを越えることはできない、原発は地震国の日本には適合しないものだったのである。

津浪がくる前にすでにこわれていたように原発は思った以上ずさんに作られていたのである。ともかくそれぞれの国にはそれぞれの風土がありそれに適合したように住むほかない。日本の国土が狭いにしろそれが美を作っていたし恵みもあった。その中で暮らす他なかったということである。日本の人口は6000千万くらいが適正規模だというとき1億2千万はもう日本の国土では養え切れない人口になっていたし海側に発展しようとしてもそこには無理があったのである。だから人口抑制が自然の働きかけであり少子高齢化も自然の成り行きだったともなるのである。

posted by 老鶯 at 15:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 地震津波関係

2009(平成21)地震洪水パザードマップが南相馬市から出ていた [切迫していると書いてあった)


2009(平成21)地震洪水パザードマップが南相馬市から出ていた


(切迫していると書いてあった)
KOUHOUSOMA1.jpg

クリック拡大


ここで地震だけではない、津浪も警告されていた。

切迫性が指摘されてあり中央防災会議の検討対象として選定した津浪の中で福島県大熊町以北の沿岸では最大の水位と名とされ、
そのマグニチュードは8・2です


このように切迫されていると専門家の間でも予想されていた。
8・2というのは今回9だとしてもそれに近い予想うをしていたのである。
津浪も予想されていた。専門家の予測してすでに警告していた。

それがなぜ東電ではきかなかったのか?
政府ではなぜ危機感をもたなかったのか?

想定外と常に言うけどこれだけ警告されていた
津浪の危険も東電に専門家が政治家でも共産党などが進言していた

東電はそれを聞かなかった。

政府も保安院も何ら対策を打たなかった。
市町村レベルでもこのように切迫したものとして警告していたのである。

そもそも原発は国策だから気象庁でも優秀な地震津浪に関しての優秀な専門家がいた。
それらをなぜ活用できなかったか?

すべてを東電にまかせきりの体制になっていた。

ただ津浪が起きる前に学者を再三警告していたのである。
なぜ手を打たなかったのか
それはやはり東電はまずコストのことを考える
そもそも土台を高くしたのをわざわざ低くしたのはコストのためである。
地下に電源を置いたのもそのためである。
高いと不便になりコストがかかる。
津浪対策でも膨大なコストがかかる
そこでうやむやにして先に延ばしていた

政府も真剣に津浪対策などしない
保安院は何の働きもしない税金食いだった
ただ飾りだったのである
東電のいいなりだったのである。
だから政府にも責任があったというのは一理ある


大島の土砂災害でも津浪とにていたと言われる
それも火山のことは経験しているから火山にばかり注意を払う
土砂崩れは想定外となっていた
人間は二つのことに注意できないのである。
こうつうじこかさけられないのは目が二つあっても
見るのは一方であり必ず死角ができるからである。

一つのことにしか人は集中できない
そして一つのことにかかりきりだと必ず他のことは忘れているのだ

家事でも主婦のように専門的に日常的にししていれば管理しやすい
でも他に仕事をもっている人とか何か創作とか別な仕事に集中している人は
簡単な家事でもいろいろ忘れやすく集中できないのである。


人間の弱点は二つのことに集中できないことである
一方に注意を払えば一方は必ずおろそかになる。
右ばかり注意している左からの危険を見逃すのである


南相馬市でもこれだけ警告していたのだから宮城県ではそれ以上警告していただろう
でもあれだけの広範囲な大惨事となった。

そしてどういうわけか危険な時は悪いことが重なるのである。
ちょうど大島では町長が不在だったとか
代わりの副町長を置かなかったとか不備が必ずある


それは個人的にもそうである
急激に緊急に来ること人間は一番弱いのだ
急に病気になったり異変が起きることに弱い
そこで悪いことが重なりどうにもならなくなる

それをここ6年間の苦しみで自ら経験したのである。
まず備えが人の関係でもまるでなかった
助けを呼ぶ人もいなかった
家族も病気になり自分も病気になった
それで火事場泥棒にあい甚大な被害にあった
こうした備えが自分には全くなかった
信頼すべき人もいなかった


大島でも同じだった。
町長が留守になり信頼して留守をまかす人がいなかったのである
また気象庁や政府との連絡も密に行われていなかった
共産党の市長だからと批判もある
確かに批判は学者のように得意でも実務はまた違っている
そもそも政治家は官僚よた実務にはうとい
選挙で選ばれていつも専門の分野で働いてるわけではないからだ
だから官僚支配になる
政治家は行政について熟知しているとはならない
政治家は一時的に配置されているだけであり実務は官僚しているとなる
そういう行政は危機には弱い


やはり危機に強いのは戦国武将だったろう
いつも危機にあるのだから危機意識が違う
そういうとき信長のようにとっさの判断が生死を決する
そううい人がいないと全滅してしまう恐怖である

津浪も災害もそういうとっさに来る危険だから対応できないのである

専門家が土砂崩れが起きやすい危険だということ察知して連絡はしていた
でもそれを決めるのは市町村の長だというときその判断にすべてをゆだねるのも危険だとなる
だから個々人で危険を判断すべきだということがしきりに言われる
しかしそれまた素人にはむずかしいとなる


南相馬市の広報など津浪避難マップなど真剣に見ていた人もいないだろう
でも切迫しているというのは専門家の見方だったのである

結局津浪で逃げ後れた死んだ人たちはいろひいろ責任を言っても逃げないで死んだ人が悪いとなってしまったし現実にはそうである。
自分の命を救うのは自分しかない、行政でも他人も緊急の場合は助けないということがある

津浪デンデコは他人のことをかまっていたら自分も死ぬということになるから生まれた言葉である 他人のことを心配して引き返して一緒に死んだ人もいる

聖書でゾトムゴムラが神の罰一瞬に滅ぼされるとき、ロトはふりかえって石になって死んだ。
まさに緊急のときはふりかえるとそのまま死んでしまうことを暗示している。
一目散にふりかえらず逃げるほかなかったのである。

ただ緊急の場合はどう判断していいかわからないのが普通である

これも誰が責任かというとなかなか言えない、南相馬市では広報で津浪のことは警告していましたよ、それを真剣に読まない市民が悪いともなる。
今になと南相馬市は津浪に対して警告していたし責任は果たしていたともなるかもしれない、ただ原発に対しては福島県全体で無防備だったのである。


あの地震が起きた時は今まで経験しないものだった。
だから海側の人は津波の危険を察知するべきだった
それももしこの広報を真剣に読んでいたら違っていたかもしれない
頭の中に少しでも危険情報が入っていたら反応することがある
津波はこの辺では400年起きていないのだからとっさに反応するのは難しい
でも広報に書いてあったから津波が来るかもしれないと
反応することはありうる
ただほとんどの人は広報など真剣に読んでいないのである。
ということはやはりこれは個々人の責任になるのかとなる

posted by 老鶯 at 17:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

2013年10月21日

南相馬市鹿島区の賠償額は判明 (仮払された一所帯120万が引かれるた額-二人で20万だった)


南相馬市鹿島区の賠償額は判明


仮払された一所帯120万が引かれた額

二人で20万だった


BAISHOUGAKU111.jpg


精神的損害は一人分一カ月10万で7カ月で70万である。
二人ぶんて140万である

それ以上はもらえない。



●仮払い賠償金の意味がわからなかった
この賠償の書類で一番わからなかったことが仮払い補償金のことだった。仮に払った賠償金だったけど鹿島区は30キロ圏外であり南相馬市でも原町区までは30キロ圏で避難命令が出たことで同じ南相馬市でも区別された。それで鹿島区の人たちは不満で訴えて仮払い補償金をもらうことになった。


最初に一所帯120万もらったのか仮り払い補償金だった!


この時は家族の人数に関係なく一所帯100万であり追加して20万が支払われた


仮払い補償金とはまだ本賠償として正式に合議して決められたものでないためにその名がついた。これが一番わかりにくくさせたのである。
これは鹿島区の特殊な事情によっていた。30キロ圏外で避難でも屋内退避でもいいとされたが半分は南相馬市を出て避難した。鹿島区では小高区の人は一人十万とか補償金が出るからと不満で訴えて仮りの補償金をもらったのである。

この補償金は仮りのものであり正式に決まったものではなかった。
この仮払い補償金の意味がわかれば混乱することはなかった。


今回の賠償は仮払い補償金の分、一所帯120万がひかれるのである。

だから自分の場合二人であり今回は一人分として計算するから

一人70万×2=140万が本当の正式の賠償額だった。


でもこの140万から仮り払いとして120万かひかれた分が今回の賠償額だった。

結局今回は一人分で計算するから20万しかもらえないことがわかった。


●今回は一人分で数えるから家族の人数が多い人は得だ

精神的損害は一人一カ月10万で7カ月分であるから70万である。
一所帯といっても一人暮らしの人は仮払いが70万しかもらえなかった。

今回は一人70万だから自分の家は二人であり

70×2=140万でも仮り賠償金の120万がひかれるのだ!


結果的には20万にしかならない。


今回は家族の人数で賠償金の左かかなりでる


二人だと20万だが


三人だと


70×3=210万になる


210万から仮払い補償金の120万を引いた分が今回もらえる


210−120=90万である


四人だと


70×4=280万になる


280−120=160万になる


つまり家族が多いほど額が大きくなる。ただ期待はずれだったとはなるだろう。
小高の人は一人10万だからである。その差は大きいから鹿島区の人はやはり不満があるだろう。原町区の人と比較してもそうである。


●金ももらえいないのに合意書が書かされる不可解

SANNTEI.jpg

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赤い枠はすでに追加分として支払っているから今回は支払いませんという合意書
八万は支払わずにゼロだと書いてある。
これも補償金がゼロなのかと思う人もいる。
補償金ゼロに合意されるのかと思う人もいたし自分もそう思った。


「自主的避難などにかかわる損害」をふまえた追加の賠償

二人分で八万と記されている
この八万の分が払わないという通告でありその承認の書類である。

これもわかりにくい、合計がゼロであり東電では払わないという合意書なのである。
払わないとあるので何回もこのことを聞いた。
つまりここで合意したら払われなくなるのかと思ったからだ。

この書類もまぎらしわいものであり説明が良くされていない、前にも聞いてもわからなかった。一人70万は精神的損害として払われると聞いたら言っていたのである。
その人は鹿島区の特殊な事情を理解していなかったのである。


結局一番わかりにくかったのは混乱したのは仮払い補償金ということだった。
この意味がわからなかった。

本賠償、正式の賠償の前に仮たに支払われるものですよという意味だった

正式の精神的損害の賠償は決定していなかったが鹿島区の要求で払われたのである。
正式の賠償でもっと請求した方が得だったかもしれない
一人70万は精神的損害としてもらえたからあわてて要求する必要もなかった。
ただ金のない人もいたからそうなったのか、いづれあとで要求してもその額以上はもらえたのである。

今回の賠償金のわかりにくさは仮り払い補償金にあった。


すでに仮払い補償金で鹿島区には120万という金額が払われてをり

正式の本賠償額が大きくても一所帯分の120万はひかれる!


結果的には屋内退避地域の鹿島区はそれほど賠償金はもらえない、今回は家族が多ければもらえる額が大きくなるがそれほどのものでもな
い、鹿島区にはやはり補償金で不満がかなり残る。でももらえない所も多いのだからこれ以上要求はできないだろう。

なぜ福島市で南相馬市の人が南相馬とわかることをしていたので車が傷つけられたという。福島市でなぜかと思った。南相馬市に反感をもつのがわからなかった。

いわきでは双葉や大熊の避難者が責められた。
それもイワキの人たちは補償金がもらえないからだ。
中通りでも放射線量は南相馬市などより高いのに補償金はゼロである。
そうした不満が福島県に亀裂を生んでいる。
ただそんなに補償金ばかり出せないだろう
それが税金になっているというとき国民も相当な不満をもっていて原発避難者を責めている


こういう事情を見ないと南相馬市でも反感をもたれる。税金にたかる汚い奴らだ、原発避難者の方が悪いとなる。
だから小高の人でも補償金をもらいつづけ楽に暮らそうとすると国民から非難されること考えておく方かいい、そうは言っても金はもらえればいいとなるのが正直な感想である。だから自分もがっかりしたことは言える。

鹿島区の人は補償金一人十万とかもらえないのだから生活か苦しくなっている人がいると思うからだ。
いづれにしろいつまでも補償金頼みになると南相馬市などでも国民から嫌われ批判の対象になり外に出て車など傷つけられることは怖いし外に出たら福島県とホテルでも書けないかもしれない、たた自分は今は旅もしないしそういう点では不都合は感じていない。

2013年10月22日

文化は多様であっても失われやすい (人間には共通の広範囲な文明も違った文化も必要)



文化は多様であっても失われやすい


(人間には共通の広範囲な文明も違った文化も必要)


●文化と文明の相違


語源はフランス語の culture か、ラテン語の cultura にあり、それは growing や cultivation を意味するとされています。そして、もともとは cultivation of the soilに由来していたが、16世紀の始め頃から cultivation of the mind, faculties, or manners という考え方に発展した、とあります。

人間の生活様式の全体。人類がみずからの手で築き上げてきた有形・無形の成果の総体


文明:合理的/普遍的/異文明は受け入れやすい
文化:非合理的/地域的/異文化は受け入れがたい

文化という問題は実際は広範囲だし奥深いし定義てきない、文化は小さい地域単位でもあるし国単位でもあるし世界単位でも文化はある。文化の定義として一様ではないものその土地土地でcultivate(耕されたもの)となる。でもそれは一地域でもそうだし国レベルでも文化はある。

言葉を例にとれば国ごとにことばか違っているのは文化の相違である。
これが統一された言葉、エスペラント語になったらそれは文化ではない、英語を共通語とすれば世界の文化は失われる。英語も文化である。その基はゲルマンから発しているからドイツ語が基礎でありドイツのゲルマンの文化が根底にある。
ごたら英語を使うことはやはり文化の影響を必ず受けているのだ。


一方で世界共通なものをルールを人間は求める。そうした国を越えたルールを作ったのが商人だったということでもわかる。交通が発達すれば必然的にそうなるしそれまた必要なものであった。世界で起きている事件を見るとエジプトで問題になったのは政教分離の問題だったのである。イスラム原理主義者の団体が政権をとったことに反発してまた革命か起きた。これはヨーロッバで起きた政教分離の問題がエジプトでも起きたのである。
宗教が政治的権力をもつことはヨーロッバのカトリックの歴史から否定された。
そういうのはグローバルな問題であり世界共通としてルール化が望まれているのだ。
日本でもカルト宗教団体が露骨に政治に介入すればそういうことが起きる。
文化は多種多様な相違を認めることであるが一方で共通のルールが世界一体化するとき必要になる。それは一つの文明というえるかもしれない、文明は•civilizationでありcivilは市民であり世界市民として共通のルールを模索することになる。


とにかく文化は世界を例にとれば無数に多様多岐になっている。まず原始時代ならとなりの部族が犬族だとしたら隣は猿族だとかトーテムムが動物ごとに分かれている。そこですでに文化の相違が生まれ言葉も違ってくる。ポリネシアとかには無数の島があり島ごとに言葉が違いその言葉自体が文化なのである。方言は明らかに文化である。東北弁と京都弁はあまりに違っている。それは文化の相違なのである。単に言葉が違っているというのではない、その底には言葉が作られた歴史があ文化があり言葉が違っている。だから文化が違うとなかなか人間は共同しえないという問題もできてくる。
方言は文化だけど標準語は文化ではない、でも世界的にみれば日本語は文化なのである。

この辺では飯館村て大倉村と佐須村が民情が違うからと合併できなかった時があった。あのような辺鄙な村でもそうたったのである。日本全国に無数の境にまつわる歴史があるのもそのためである。時代がたつにつれて交通が発達すると人の合同性協力関係が広範囲に広がり共通のルールや世界認識をもつようになった。文明とはそうした世界的な共通のルールとか認識とかが広まることだろう。科学はそういう共通性を急速に促進したのである。数学は世界共通の言葉だからである。だから数学は文明ともいえる。科学も文明である。宗教も世界的に共通認識になれば文明となる。だから世界にはキリスト教文明、仏教文明、イスラム文明がある。文明は文化の相違を越えて共通認識が広まることである。犬族や猿族や鷲族などとトーテムで分かれて共通認識がない世界ではない。


●歴史は膨大な人間の営みの記憶が失われること文化が失われることだった


ただ一方で犬族や猿族や鷲族があるのも文化である。そんな原始的なものを遠い昔のことで今は何も問題にする必要がないとはならない、なぜなら猿であれ狼であれ鷲であれ動物を祖先とすることはまさに人間が自然の中で生きていた証拠なのである。狼が生きているということはその回りの環境も原始状態が保存されていて人間もその中に生きていたのである。狼が生きられなくなった時、明らかに自然環境の大きな一部が失われていたのだ。それと同時に人間も自然から切り離されたものとなっていった。その時古来からの文化も失われたのである。そして文化を失うということその意味が人間は良く認識していないのだ。だから文化というものが安易に破壊されやすいのである。


そして最近思うことは柳田国男の書いていた民俗、フォークロアの文化、常民の文化がほとんど失われていたことである。それは貴重な文化だったのである。昔話であさ伝説であれ様々な庶民の文化が失われていた。そこに貴重な文化の宝庫であり単に遊びではなく今にかかわる実用的なものがあった。津浪の伝承などが見直されたのはそのためだった。人間の歴史は常に膨大な忘却の世界である。この辺で400年前の津浪のことがそれを記念した神社でもほとんど語られなかったのもそのためである。歴史とは膨大な忘却の歴史なのである。例えは最近でももう300万以上戦死した戦争のことさえ忘却されてゆく、次々に新しい世代が生まれ新しいことのみ、目前にあることに生きることに現実は追われ過去はただ忘れられゆくものとなるのが人間の歴史だったのである。どれだけ貴重なものが忘却されたか計りしれないのである。


こうして歴史が忘却されてゆくことが人間にとっていかに危険な面があったか、今回の津浪が証明した。400年前に津浪を記念して建てた神社も忘れていた。伝承もされないし危険を言うせのが残っていなかったのである。これは津浪のことだけではない、300万人も死んだ戦争のことさえ本当のことは伝えられず忘れられてゆく。人間は日々忘却と風化との戦いである。人間は死んだらすぐに忘れ去られる。日ごとに忘却されついにはその人が本当にいたのか生きていたのかさえ明確でなくなるから伝説になってしまう。
この世は常に失われてゆく世界たったのである。老人になれば個人的にもそうである。
過去の記憶も定かでなくなり認知症になれば自分の子供のことさえ忘れるのだ。
一方で老人はたた記憶に生きるのである。記憶をたどることが生きることなのである。
だから旅しても記憶として蘇らないと旅したということすら不明になってしまう。


●コンパクトシティは文化を喪失させることに注意が必要


だからコンパクトシティという時、経済的効率的観点のみから追求されると地方の文化が根こそぎ失われる。小さな村には村の歴史があり文化があった。そうした地方都市でも街の中にのみ全部集約化されると地方都市のさらに地域の文化は失われる。つまり文化は一面、経済的効率とは反するものなのである。経済的効率を追求すれば特に現代は無駄なものとなってしまった。都会だとインフラにかかるのが1として地方では極端な過疎地域だと180倍かかるというからその負担は都市民にかかわってくるからコンパクトシティ化した方がいいとなる。でもそれを押し進めるとどうなるのか?それは日本が長い間に作ってきた村の風景が根こそぎ喪失する。その風景はアメリカやオーストラリアのような風景になってしまう。中心に街がありまわりは広大な耕作地となり人家はなくなる。村もなくなる。そういう風景はもう日本ではない、日本が長い間に築いてきた文化のない世界になる。経済的効率を極端におしすすめとゆくとそうなる。そうなると旅しても面白くないとなるだろう。日本の面白さは小さな村や町が多いことにあった。それがあたえたのは貧しくても自然と密接に結びついた自給自足の生活があったからである。


この辺では栃窪村でも下栃窪と上栃窪があり上栃窪にも墓があり秋の蝉が鳴いていると何か感じるのはそこに人が住んでいるからなのである。それも江戸時代の碑がありか古くから人が住んでいるから感じるものも違う。アメリカやオーストラリアの歴史は新しから経済的効率を文化を無視して作り安いのである。グローバル化して広範囲な交流は不可欠であると同時に文化が失われること自体が大きな問題なのである。それは物質的なものに重点を置いているのが経済の効率化たけど精神的な面と深くかかわるのが文化なのである。だからなかなか原発事故で放射能汚染で住めないとしても日本人はその土地から簡単に離れられないのだ。アメリカとかロシアとか広大な土地をもつものなら離れやすい。日本の文化は日本の風土はそういうふうになっていないから簡単に土地を離れられないのである。それは文化的問題が根底にあるからなのだ。