2013年09月26日

秋空にノスリの飛行の写真

 

秋空にノスリの飛行の写真

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草原に秋風さやかノスリかな

爽やかにノスリの飛行や秋の空
精悍に草原にいつくノスリかな
墓に死者虫の音聞くやひそまりぬ
鶏頭の稠密に精緻赤さかな


鶏頭の炎のごとく燃え咲きぬ今日もここに五六本かな

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これって人間の脳味噌ににている


草原にノスリがいて一瞬こちらを見ていた。シャッターチャンスと思いカメラを取り出して撮ったが飛び立つところがとれていた。なかなか鳥は逃げるので撮れない、でも飛行しているノスリがとれた。ノスリは鳶と間違いやすいが鳶とはかなり違った鳥である。
よりコンパクトであり精悍な体つき目も鋭いのである。だからノスリにはひかれるものがあった。それはこの辺が草原化した結果、ノスリが常にみかけるようになってその魅力に気づいたのである。野生の魅力というときなかなかじかに接しられないから現代ではわかりにくい、野生の動物でも身近に接することができないからわからないのである。

写真家でも野生の動物を撮ろうとする時、気づかれないようにするために一日テントの中にいたりとか大変な労力が強いられるのがわかる。ただそれは写真を売るということもあるが野生の動物に魅了されるということもあるのだろう。自分は確かにこのノスリには魅了されたのである。飛び方も鳶とは違う、大空を自在に飛ぶ姿なのである。


現代はともかく写真の時代である。写真で常に記憶してふりかえる時代になった。
鶏頭というのも写真で見るとこんなふうだったのかと感心する。これは一つ一つの細胞を見る感覚になる。まさに写生が写真なのである。俳句はそれに添えるものにすぎなくなる。


今日は台風の風がふいて秋らしくなった。昨日あたりまで暑かった。これからかなり秋めいてくるだろう。今墓で死者が聞いているのは微かな虫の音だけである。そしてひそまっている。

認知症になる人には我強い人が多いというのは本当かもしれない、姉はものすごく勝気であり我が強かった。だからこそいい面としては何でもできるということだった。
だから認知症になってから何もできなくなるのだから悲惨を究めた。
優秀な人が認知症になると悲惨を究める。あれだけいろいろなことができた頭のいい人がなぜこんな本当に馬鹿になってしまったのかと唖然とするだけになる。
本人もそのことにうすうす気づいて自分に腹ただしくなり怒り相手に不満をぶつけて暴力になったりしていたのかもしれない、そういう激しい感情の人だったから認知症になって悲惨を究めた。

一方母は自分と同じくおとなしい目立たない人だった。内向きであり波風のたたない人だった。感情的にも穏やかなのである。だから認知症になったとしても別にそんなに感情的になり興奮したりしない、おとなしく穏やかなのである。ただちょっと入れ歯をなくしたときあわてたことがあるから認知症である。でも感情的になって怒ったりしないから扱いやすいのである。


この辺は草原化して小島田辺りにも沢瀉と水葵がまた咲きだしていた。それも水葵も数が多い、沢瀉も多いから一面に咲くということがある。津波の後に水葵と沢瀉はセットで咲きだした。水葵は田んぼの時は咲かない、その底に種が埋もれていたということも不思議である。
いづれにしろこの草原化した景色というのはもうすでに二年半見ているがこれまた田んぼとはまるで違った自然景観だったのである。それはモンゴルの草原とも多少にていたのである。いながらにして北海道にいる感じになってしまったのである。

今日は列なして雁がわたるのも見た。秋らしく気持ちいい日だった。台風は海の方を去って行った。


鶏頭が咲くという時、燃えるように炎のように咲くという時それは定着してもそういうことがある。その土地に燃えるように熱情的に咲く、定着してその土地に心が燃えるように勤めるということもすばらしいことかもしれない、土着的になることもやはり一つの情熱であるかもしれない、移動することが主であったが今はすでにここ半年も仙台に行っていないしどこにも近くし行っていないのである。

避難民の仮設に住む人たちが負担になっている (優先的に施設に入居できるのは仮設の人)

 

避難民の仮設に住む人たちが負担になっている


(優先的に施設に入居できるのは仮設の小高の人)

今日ケアマネか言っていたけど仮設の人は優先的に特養に入れるという、仮設は部屋が狭いし在宅で介護できる状態ではない、だからどうししても仮設の人が優先的に特養に入れる。他の人は順番待ちになるのだがもう何百人待ちになるから入れるのは困難を究めている。近くの人は障害者と母親の二人を兄弟で介護している。一人は首が頸椎が悪いとか言って特養に入れないんだとなげていた。今は普通の状態でも特養に入ることはむずかしくなっていた。それで津波原発事故でこの辺は混乱して仮設の人が増えた。

そこでイワキ辺りでも避難民だけがなぜ優遇されるのだと問題が起きた。

避難民は介護する人をかかえたら仮設ではできない、だから優遇されるというのはここでも同じだった。そういう不満がイワキにもあったし南相馬市だと鹿島区にもあり補償金をもらえないから鹿島区ももらえるべきだとしてもらったのである。それは東電からではない市長の判断で市の財政から出したのである。今度は東電から補償金が同じようにもらえるらしい。精神的損害として一人十万がもらえる。とすると前にもらった一所帯百万は市の財政から出したのだからそれまでする必要はなかったともなる。


ただ結局南相馬市の混乱は小高と原町と鹿島が合併して長くはない、そこにも混乱する原因があった。利害調整でも不公平だったのである。小高の区役所はモダンで立派だった。鹿島区は前の役場を利用しているだけだった。小高は合併後にあのガラス張りの区役所を建てた。なぜ小高は鹿島より優遇されているのだろうとなる。小高には高校もあり鹿島にはないから鹿島には前からも何ら施設もないとなげていたのである。


津波原発以後は小高は苦境にたたされた。町が消滅するのではないかまでになった。そして原町区であれ鹿島区であれ仮設に大勢が住むようになった。しかし二年半すぎて何か小高の人たちが南相馬市では重荷になってしまったのである。その顕著なものとして仮設に入っているために介護できない、もともと自分の家に住んでいたら在宅でできたかもしれないけどできない、それで特養に優先的に入れる。そうなると他の人は近くの人のように入れないで困っている。小高の人が重荷であり負担になっているからそうなったのである。いくら補償金をもらっていてもそれだけで金だけでいま状態は解決できない、小高の人の問題は第一住む場を失ったのだからどこに永住的な住まいを求めるかというとそれが小高に土地と家があってもできない人が多くなれば原町区とか鹿島区に求める。でも土地が得られないから家が建てられないともなる。津波で家を失った人はもう小高には建てないだろう。そういう負担が南相馬市全体にかかるようになったのである。
だから市では小高に住んでくださいと言っても小高の人は鉄道も通らないなど嫌だとなる。ではあなたたちはどこに住むのですかとなると小高以外の地域になるがそれだけの用地を確保できない、復興住宅は鹿島区に三カ所工事している。


小高の人もどうしたらいいのか?帰るべき帰らざるべきとか思案しているだろう。これは他の避難民でもそうである。どうしていいのかわかりにくいのは放射能の影響が明確にわからないからである。ほとんど影響がないのだと言う人もいるし非常に危険だと言う人もいてわからないのである。それを各自で判断することもむずかしいのである。
とくに子供をもつ母親や若い女性は流出している。そうすると残されるのは老人になるがその老人では復興はできない、老人に金があっても労働力がないのだから復興できない、相馬藩の飢饉の時は相馬藩に別に荒れた土地しかないのに越中の移民が来て建て直した。越中の移民は別に金もないし着の身着のままで移民してきた人たちである。

それでも復興できたのは移民は何もなくても労働力として荒れた土地を開墾したりして住んだから復興できたのである。今は補償金とかあっても若い労働力がないのだから復興できないのである。だから復興は必ずしも金だけではできないのである。
荒れた土地でも必死に働きそこに住もうという人たちがいたから相馬藩の飢饉のときは立ち直った。今は放射能が怖い、インフラがない、鉄道が通らない、働く会社がない、なにかやにやと便利な生活ができないからもう住まないとなる。それでもう復興はできない。

そしておかしなのは避難民は毎日パチンコで遊んでいる。現実に東京まで競馬に行っていた若い人がいた。一方で医療や介護の負担で苦しんでいる人たちがいる。要するにイワキでもそうだが避難民は市全体では確かに財政収入になっても負担になる、重荷となってしまう。だから生産活動をして下さいと市長が言った。でも避難民にすれば簡単にそんな仕事ができるスキルをもっている人は少ないのである。それと六〇以上とか若くて五〇以上とかが多いから仕事したくない仕事に就けないということもある。農業だったら慣れているからできるにしてもそういう土地もないのだからできないのである。

要するにどうしも避難民は負担であり重荷でありやっかいものとなってしまい嫌われる。
ただ沖縄のように政府から賠償金を要求するだけのものとなってしまう。それで今嫌われているのが東京都民の次に福島県民になってしまったのである。
浜通りでもそうしたツケが回ってきたのかもしれない、原発では恩恵を受けていたのである。前の知事の佐藤栄佐久氏の娘が東電に就職していたというのは本当なのか?「心に青雲」のプログに今日書いてあった。佐藤栄佐久氏は東電にプルサーマルでしつこく嘘つくなと問いただしていた。それで嫌がられ渡辺恒三一派に失脚されたと書いてきた。
でも佐藤栄佐久氏もそうした東電から甘い汁を吸っていたのかとなる。東電にはそうして縁故就職した人たちがかなりいるらしい。そうしていろいろな権力をもつものをとりこむのが東電だったのである。権力とは常にそういうものである。


いづれにしろ小高には合併する前に東北電力の原発が建つことが決まっていたのである。それですでにその交付金が小高には下りていたのだろう。その後合併して南相馬市にもその交付金がおりたが反対してもらわないようになり原発は中止するようになった。
その敷地が残っている。その土地の利権だけでも大きかったろう。それで大工さんが小高には原発が建つから景気よくなるよと言っていた。みんな利益になることしか考えない、原発は人間の欲望の象徴だったのである。科学もそうである。人間のあらゆる欲望がかなえられるものとして科学技術が信仰になったのである。それはカルト宗教団体でもあらゆる欲望がかなえられるとして毎日題目あげているのと同じである。
そうした人間の限りない欲望が原発事故に結びついていたのである。

 
posted by 老鶯 at 13:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連