2013年09月25日

JR北海道の一連の事故は「過疎化し衰退する地方」の一里塚--やまもといちろう

 


JR北海道の一連の事故は「過疎化し衰退する地方」の一里塚
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-やまもといちろう 

2chより


●第一次産業主体の時代


鉄道にかぎらずインフラ関連は人口減少を見込んで、地方をある程度切り捨てないと
 パンクするのは必至。使用率の低い線路、電線、道路、公共施設を維持するコストに
日本が潰される。地方の町村が滅ぶのを情緒的な理由で反対する声もあるだろうが、
どんなとこだって人間が住み始めるまでは、野っ原だったんだ。元に戻るだけのこと。


人間が住み始めるまでは、野っ原だったんだ。元に戻るだけのこと。

もともと野っ原たったというけど津波や原発事故の被害地域は本当にそうなってしまった。 海岸地域の村が消滅して街に人口が集中してきた。コンバクトシティ化してきた。
そもそもなぜ日本は拡散して住んだのか?それは農業が主体だからそうなった。農業には土地が必要であり土地を求めて奥の山間地まで住む領域が広がった。それは千年くらい前から常に土地を求めて人は日本全国に拡散したのである。特に稲作が主体になったとき
山間の不便な地域でも棚田や段々畑を作って耕作してきた。それは農業が主体だからそうなった。戦前は養蚕だったがこれも農業だったのである。ただ農業から工業化したから街に工場ができて働く場となった。ても基本は農業の延長としてあった。桑を生産するから土地が必要だったのである。つまり日本人は土地を求めて不便な山間地でも移住してきたのが歴史である。なぜ満州で戦争になったか?それは日本ではもう開拓する土地がなくなっていたのである。そういう例はこの辺でもあった。ブラジルやアメリカへ戦後にも移民があったのは農民だった。農業するために移住したのである。


それも土地を求めてそうなった。栃窪の上萱とかのような不便な地域に住むこと自体今になるとどうしてだったのかとなるがそれだけ土地がない日本だからそうなった。そして生活の主体は農業だったから土地がなくてはできない、そして農業だとどういう辺鄙なところでも田と畑を作れば最低限自給自足できるという考えがあった。だからどんな辺鄙な場所にも農業できれば人が住んだのである。北海道でもやはり明治維新後に武士が開拓に入った。それも農業するためだった。広大な土地があるから農業の新天地として移住したのである。
戦後にしても戦争の引揚者が全国に開拓に入った。この辺でも小池に引揚者が開拓に入った人を知っているしあの浪江の津島もそうだった。苦労して団結して土地を開いたから愛着があるというのがわかる。飯館辺りでも開拓者が入った地が多いのである。


●鉄道は石炭や木材など資源を運ぶために最初作られた


北海道に十回くらい行っているから思い入れがある。梅雨の時期にいつも仙台からフェリーで苫小牧まで行っていた。苫小牧に下りると何か空気がまで違うと感じるのが北海道だった。大陸的な感覚になる。北海道の鉄道もほとんど乗った。鉄道はもともと人より物を運ぶことから開かれた。小樽までは石炭を運ぶことであり石炭が今の石油と同じなのだからエネルギー源なのだから生命線となる。常磐線も東京に常磐炭鉱の石炭を運ぶものとして最初は作られた経緯がある。原町機関区にしても森林鉄道が葛尾村の落合とかあれだけ遠くまで通っていたことに驚く。全国に森林鉄道があり鉄道で木材などが東京に運ばれていたのである。要するに資源は戦後まもなくは日本国内でまかなっていたのである。

石油を買うにしてもまだその金もないし発展していないからエネルギーの主体は石炭だったのである。暖房も燃料も戦後十年は炭であり次に石炭だったのである。炭だったら近くの山から作れるのだから燃料は自給自足になっていたのだ。人間の生活は戦後十年までたいして江戸時代からの連続であり変わっていない所があった。高度成長時代を経て急速に変化してしまったのである。

農業とか漁業でも生活ができないとか常に言われてきたのは買うものが多くなりすぎたためである。自給自足だったら水もただであり電気も使わないから電気代も払う必要がない、石油も使わないから石油がとれなくても心配ないとなっていたのだ。ある意味で貧乏でも自給自足だと他国に頼る必要がないのだから心配事も少なくなる。石油が中東紛争で入らなくなるとか大騒ぎする必要もないのだ。ましてや原発がないともう電気がなくなり

生活もできなくなるなど脅されることもないだろう。江戸時代の三〇〇年の平和そうして作られた。鎖国できたのは自国ですべてまかなうことであり貧乏でも他国に頼らないのだから自国で平和が保たれたのである。もちろん極端な貧乏があり目の悪い人が一割近くいたというのは暗黒面だった。それでも戦争がなかったのだから平和を三〇〇年満喫した時代だった。明治維新後は戦争の時代でもあった。三回も大戦争があり太平洋戦争では三百万人以上が死んだのである。グローバル化は国同士の資源とか覇権の争いが熾烈化する。それが戦争に発展する。自国でまかなう鎖国時代だったらそういうことはないのだ。


過疎地を切り捨てるという感覚は農業主体の感覚から大きく変化してしまった。工業であり情報化であれ農業主体でものを農民自体も考えていない、原発事故で農民に話を聞くと米を作っても売れないから農業はもうだめだという。売るためにみんな米でも野菜でも果物でも作っているのが現代なのである。なぜなら買うものが多くなりすぎたからそうなる。昔のように自分たちがまず食べるものがあればそれでいいということはないからだ。
浜通りでは現実に第一次産業の生産高は一割にも満たない、あとは原発や火力発電所の割合が三割とかなっているのだ。だから第一次産業は重く見られない、現実に生活しているのは原発に働いてできていたともなるから原発の方が第一次産業より重要になる。


●東京一極集中と過疎化の矛盾


北海道の問題は農業が今なお主体でありそこで取り残されてしまったのである。ただ観光的には原自然が残っているから魅力があり簡単に廃線にできないという。北海道は外国にも人気がありリゾート地にもなっていることでもわかる。つまり北海道は日本ではない、大陸的でありそこに魅力があった。沖縄もそうである。だからどちらも本州を内地と呼んでいる。外国に行った気分が味わえるのが沖縄であり北海道だったのである。


過疎化とか限界集落というとき突然ここは津波と原発事故でもそれとにた状態になった。もとの野っ原に現実にもどった。そして交通が遮断されて不便になり江戸時代のようになってしまった。でも昔のように自給自足社会ではないから他から物が入らないと生活もできないから違っている。それで六号線でも常磐高速道路でも開通すれば復興に大きく寄与するというのはそのためである。そうでないと陸の孤島になってしまう。一時はそうなってしまった。原発自己周辺では南相馬市の小高ではまだインフラが水道などが整備されていない、これも相当な時間がかかる。ただもう住まないという人々が多いというときそうしてインフラ整備に金をかけても効果があるのかという問題がある。津波原発事故周辺は今回はもう復興できないというときインフラ整備するだけでも莫大な金がかかりそれよ見合ったものがみんな住むかといえば会社がなくなり生活ができないとか市長村が消滅してゆくことなのである。そのインフラにかかる金が膨大になるから都会の人はそんな無駄なものに税金を払うのはいやだとなる。つまり自給自足社会だったら都会の人にそんな文句を言われる必要がなかったのである。そこが昔と根本的な相違であった。


一方で東京であれ大都会に異常に人間が集中するのもいびつなのである。結局時代の変化がありそれに簡単には対応できない、それでも工業化というけどこれも安定しているわけではない、いつ衰退するかもしれない、農業は一応土地があれば食料は得られるという安心感があり農民は土地は簡単に手放さない、いくらグローバル化だ、TPPだと言っても食料は自前でないと不安だから各国で保護しているのだ。国造りはこういうことも含めて総合的に見ることが必要になる。それが時代の変化でできていないのだ。ただ便利な生活をするには医療でも介護でもコンバクトシティ化するのがいい、田舎だと一軒一軒回るだけで手間なのである。街に人口が集中すれば楽になる。過疎地では十分な医療を受けられないというとき介護も受けられないというときそれは今の時代では贅沢だから街に集中して住んだ方が楽だとなるのだ。いろいろな贅沢をするには街の方がいいとなる。だから川内村では一旦郡山などで補償金で生活していたら帰りたくないとなってしまったのである。そこに住んでいるときそういうものだと思っていても一旦贅沢な便利な生活をしたら川内村に帰らないということになってしまったのである。


ある程度過疎地は切り捨てて、都市部に集住させるべきではある
 だけど、東京一極集中はいかん
既に限界を超えて肥大化したため、出生率が最低に落ち込んでいる
 そんな都市圏が全国から若者を吸い上げるので、国全体の少子化が加速している
 あと災害や戦争で東京が壊滅したら、現状では国が終わってしまう
複数の都市圏に分けて集中させる、分極集中が必要


これが妥当な意見なのだろう。浜通りは別に過疎地ではなかった。鉄道も通っていたし
都市もあった。限界集落というものもなかった。東京に近いということもあり会津などとは違っていたのである。北海道は内地ではない外地だという距離が問題を生んだのである。

 
posted by 老鶯 at 11:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層