2013年09月01日

津波の前に起きた南相馬市などの事件 (モラルの荒廃が津波を呼び起こした?-インターネットで発見した自分と同じ感想)


津波の前に起きた南相馬市などの事件

(モラルの荒廃が津波を呼び起こした?-インターネットで発見した自分と同じ感想)




東仙坊、その事件のことを知らなければ、福島県南相馬市なる地域に関し、全く想像する術もなかった。
しかも、その事件が公開捜査になったのは、3月11日の地震発生のちょうど1週間前の3月3日。
やはり、どこかその事件が今回の大震災、そして大震災後の卑怯で卑劣な犯行ともコネクトしている気がするのだが…。
きっとこのままでは、天の怒りを抑えられないと思うが、どうだろう?


2月19日の午後6時ごろ、福島県南相馬市原町区桜井町に住む、福島県立相馬農業高校3年女子生徒(18歳)が、「男友だちと会う」と家族に伝え外出。
その後、家族に携帯電話のメールで「これから家に帰る」と連絡があったが(?)、いまだに帰宅せず、携帯電話はつながらない状態。
2月21日(??)、家族が福島県警南相馬署に「娘が帰らない」と捜索願。
失踪女子高生は、身長約160cm、中肉で面長、髪は黒の直毛で肩まで伸びていて、外出時の服装はカーキ色のフード付きジャンパー、灰色のスエットズボン、サンダル履き(??)。

そこで、親が知っていたのか(?)、会いに行ったはずの20代男友だちに、警察が任意で事情聴取。
そのオトコは、「女子高生とつき合っていた(?)。2月19日夜に数時間会って別れ話をした後(?)、市内で車から降ろし別れた」とその日に会ったことを認めたが、その後、自宅近くで自殺しているのが見つかったというから、???
また、南相馬市内の海岸で、オトコの車が焼けた状態で発見。
さらに、女子高生の所持品も見つかっていない。


この「福島県南相馬市女性歯科技工士失踪事件」の被害女性の車の状況と、「茨城県北茨城市女性殺人事件」の被害女性の状況は、極めて酷似していると思わないか?
そして、こんな卑怯で卑劣な犯行が簡単に行われてしまう風潮に、天が怒っていると思うのだが…。
実際、昨日からメチャクチャ群発している地震の震源地である「福島県浜通り」って、福島県南相馬市付近では?
も、も、もしかして、今回の大震災で、この「福島県南相馬市女性歯科技工士失踪事件」の被害女性(?)、「福島県南相馬市女子高校生失踪事件」の被害女子高生(?)の亡霊(??)が出てきたりしたら、そのうえ、そのドラムスコの店や家族が、自殺したオトコの家族が改めて被災していたら、ますますそう思えてこないか?


これだけ日本中が、襟を正し、極めて真摯な気持ちで、それこそ燃えるキャンドルの炎を見つめながら、命の大切さ、命の儚さを再認識しているときに、こともあろうにその被災地で、略奪だけはさすがにないものの、窃盗、空き巣、強姦、そして、卑怯で卑劣な殺人を犯す人非人が現れ、メチャクチャ暗澹たる気持ちにさせられているのは、東仙坊だけではあるまい。

(この機会に、経済復興よりも、モラル再生を優先すべき)!
http://tohsenboh.blog41.fc2.com/blog-entry-1206.html





津波の一週間前に萱浜(かいはま)で女高生が行方不明になり男が松林で自殺した。これは津波が来る直前のできごとだった。その後行方不明の女高生は死体で発見された。そして一週間後に津波がきて萱浜(かいはま)は悲惨な状態になった。このことが津波と何の関係があるのか?つまりこういう事件と津波を関連づけて考えている人はまれである。津波は自然の法則のように起こるものであり人間のこうした事件と関係ないと思っている。
でも自分も最初から人間の怨念が悪い念がたまりにたまってその悪い念を一掃するために津波が起きたと前に書いた。ただ個々の事件と津波を結びつける人はまれである。それでもこうしたことを考える人がいることはインターネットならではのものなのだ。なぜなら常にキーワードで探しているから同類のものを探すことになるからだ。これはやはり自分と同じようなことを考えていたなというものにあたる。

日本の災害をモラルの荒廃のためだとしたことは新しい考えではない、古くからあったのである。
それはノアの洪水からはじまっているから新しい考えではない、なぜこんな巨大な災害が起きたのか?
それが明らかに人間側にあり人間の罪が積み重なってもう自然界から神からみたとき許せないとなり巨大な自然災害が起きてくる。台風のような災害と今回の津波のような災害は違っている。
津波はノアの洪水とにていたというとき本当にそういう恐怖を味わった。原発事故も一緒になり本当に人類の最後が来たのかと恐怖した。人類滅亡の恐怖でもあったのだ。


天変地異が人間の責任として道徳的に理解されていたように衣食住の恵みも福祉も点の恵みあるいは神仏の恩寵として理解させられていた。(日本倫理思想史-和辻哲郎)


古来こういう思想は世界的にあった。天皇とは本来は天地の神に祈りをささげ災いをもたらさないように祈る司祭だった。だから天皇は権力者ではない、司祭だから精神的シンボルとなりえた。神道でもあかき心というときすなおな心というときその心が正すことにより神に仕える。そうしたあかき心とかなおき心とかが喪失するとき災いが起きてくる。天皇が災害地を巡るのは日本の国土の平安を神に祈るためなのである。具体的な復興事業は政治がするものだが災害をまねがれるためにはそれだけではできない、どんなに防波堤を高くしても津波は越えてきた。人間の技術には限界がある。原発にしても科学という人間の奢りが災いをまねいたのである。

現代のモラルの荒廃は極点に達していた。単なる技術の問題ではない、モラルの荒廃、人間の欲とか科学者の奢りでもそうしたモラルの荒廃があり津波が天罰のごとくもたらされた。今は科学の時代だからそんなことがあるのかと否定するがやはりあかき心やなおき心の人が多ければ多いほど自然と和み平和が増進される。
それが江戸時代だったのである。もちろん盲目の人が栄養失調で一割いたとか暗黒面はあった。ただ比較的大災害が少なかった。だから江戸時代は戦争もない、大災害もない平和がつづいた。その前は戦国時代であり南北朝騒乱の時代でありその時も慶長津波のように大災害があった。そして明治維新以後は関東大震災とか大きな災害もあり戦争でも3百万人以上が死ぬという災難の時代だったのである。西欧文明が入り物質的には豊かになっても技術的には進歩しても人心は乱れる荒廃する時代だったのである。もちろん日本人のモラルとなったあ
あかき心とかなおき心などはない、ただ利だけを追求する心しかなくなった。きたなき心しかなくなったのである。
戦後でもアメリカ化一辺倒になったこともアメリカの物質至上主義と金だけが価値観となりただ人は金をもうけるものが偉いとなり何もモラルが喪失したのである。明治維新後日本人の人心の荒廃は極点に達していたとき今回の大津波が起こったのである。そういう時代的には末世になっていたからこそそうした天変地異も起こるし外国からの驚異もましてくるのである。

人間に災いが起きるのは「人間の力で恵みがもたらされた、ゆえに栄光は人間にある」こう思うとき人間に天罰が下る。ネブカドネザルが正気を失う直前に自慢して,「この大いなるバビロンは,わたしが自分の偉力の強さをもって王家のために,またわたしの威光の尊厳のために築いたものではないか」と語った

こう思ったときこの王は正気を失い牛になったのである。バベルの塔も神の怒りにふれて崩れた。今回の原発事故も神の怒りにふれたのである。そこには科学者からあらゆる原発を推進した人たちが裁かれた。国にも大きな責任があったしその恩恵をこうむった地元の人にもあり官僚にもあり政治家にもありあらゆる人にあったのである。いかに人間にとって奢りが危険なものになるかである。神のような力をもつ・・・科学者はそういう奢りになっていた。それが無惨に打ち砕かれたのである


自分の個人的ことに関してもふりかえると信じられないことの連続だった。それは身内の一人が認知症になったことからはじまったのである。認知症自体も本当に不可解な病気であり未だに訳のわからない病気だった。しかしこれにもモラル的なものがあったのかもしれない、自分の身内のの場合は確かに冷静にみればあった。身内だからなかなか客観的には見れないがモラル的に問題があった面はある。ただ功罪があり身内だから客観的に評価するのはむずかしい。いい面と悪い面があったからだ。
個々の犯罪のことをとりあげたが自分もむごい犯罪にあった。今までは人間はみんないい人だとのんきに楽観的に見ていた。今はそうみない、これほど人間はひどいのかとここ六年間の経験で変わってしまった。

だから犯罪にあってから毎日その犯罪者をのろい憎みつづけた。それは自分でも激しいものだった。やはり金の恨みは一番大きくなる。それは具体的だからそうなるのだ。津波が起こるまで呪い憎みつづけた。そうしているうちに津波が来たことに驚いたのである。だから南相馬市の萱浜(かいはま)で津波の直前に起きたことが津波を誘発したというのも自分の体験と共通していたのである。何か現代は凶悪な犯罪が続発していないか?
それは人間のモラルが喪失して人間が欲望の野獣化していて歯止めがなくなっている。一人一人が他人は狼だともなっていないか?そういう野獣化したモラルもなにもない社会への罰として警告として津波が起こったというのも当然だとも思うようになる。ただこういうことを指摘する人はまれである。実際に津波や原発事故以後も
東電の幹部はみんな外国の東電関係の会社に入り安泰であり誰も責任をとらないのである。補償金問題でも欲むきだしになり地元でももめているようにその後もやはりモラル的なものは荒廃している。
そしてこの後モラルが改めることもないとき、どうなるのか?さらなる巨大な津波か、災害が日本を襲ってくる。世界にも襲ってくるのではないか?なぜなら別に一向にモラルは改まらないしかえってまた補償金でもめているように南相馬市はまた津波の前の事件があったようにそういう状態に戻っているからである。

posted by 老鶯 at 22:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連