2013年08月29日

藤桂子新宿で自殺(夢は夜ひらく・・の青春時代の回想)

 

藤桂子新宿で自殺

(夢は夜ひらく・・の青春時代の回想)


仕事がないときは、長女に乳飲み子の藤を背負わせ、澄子は三味線を抱え、父親は長男の手を引いてふろしき包みを背負い、一軒一軒営業のために農家をまわった。厳寒の北海道で、寺の軒先や床下で寝ることもあった。澄子は目が不自由だったが、栄養失調が原因だったという。
http://dot.asahi.com/ent/showbiz/2013082700023.html


こういう人がいたということ自体今になると信じがたい、これは江戸時代ではないか?
なぜなら江戸時代には盲目の人が一割近くいたのである。原因と栄養失調だった。
それが戦後十年くらいは貧しいからこういうことがあったのかもしれない、こんな人生を送ったというのもこの頃がいかに江戸時代の延長のようなところがあったためである。
燃料が炭だったとか舗装されていない砂ぼこりの道とかで茅葺き屋根の農家とか普通にあったからである。


「夢は夜開く」という歌手も不思議である。


サルトル、マルクス並べても
明日の天気はわからねえ
ヤクザ映画の看板に
夢は夜ひらく

風呂屋につづく長い道
40円の栄光は


八百屋の裏で泣いていた
子供背負った泥棒は
ギャベツ一つ盗むのに
涙はいらないぜ
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=k-100603-079


サルトル、マルクス並べても・・・この歌詞がなぜでてきたのか?学生運動と関係していた。マルクスを読んで全学連がまだ活躍していた。サルトルというのもやはり格好つけるために読んでいた。
風呂屋につづく長い道・・風呂屋というのは銭湯屋だった。キャベツ一つ盗むのに・・・これも貧乏時代を象徴していたのだ。40円というのは当時で相当な金だった。それで思い出した。自分の家が駄菓子屋のよう三文店屋をはじめるのに借りた金が40円でありその金がなく自分の姉がやり手でありやっと借りた話しをいつも聞かされていた。資本がないと事業がはじめられないのは当時でも今と同じだった。ただその当時は店というのは簡単にはじめられた。それでどこでものさえあれば繁盛したのである。その物がなかった時代だからそうなった。40円は今の金では百万なのか、2百万なのか、4百万なのかわからないにしても相当な金だったのである。だから40円の栄光は・・・とかなる。
店というとインドに行った時面白かった。バラックの粗末な店があり新聞紙の袋を使っていた。
自分の店でも新聞紙で袋を作っていた。母は毎日作っていた。だから何かなつかしかった。
後進国で面白いのは昔が偲ばれることなのだ。


それにしても昔のバチンコ台は誰でも作れるような粗末なものだった。ただ釘を売っているだけのものだった。その台にしても粗末であり何か場末の雰囲気にあっていた。バチンコ屋は田舎町でもどこにでもあり親戚の人がバチンコ屋やりたいからと自分の家に金を借りにきたのはそのためだった。
なぜならその時自分の家は店が繁盛していたから金をためるようになっていたからである。
自分が三流大学の学生だったときほとんど勉強していない、それで暇をもてあましていた。それで結構パチンコをやっていた。当時の学生はパチンコをしていたのだ。ただサルトル、マルクスなどでてくるのは当時の学生の状況を反映していた。新宿で石を投げると学生にあたるというくらい学生も増えてきたしマンモス大学とっなっていた。三千人の講堂で授業するなど何か授業もつまらないものだったのでそうした遊びに費やす人が多かった。これも今ふりかえると不思議である。
何故ならパチンコ屋で藤桂子の歌は常に流れていたから意識せずに記憶に残っていたのである。
あの場末のバチンコ屋とあの歌がマッチしていたのである。そんな時代があったなとつくづく今になると不思議である。 あの当時は歌謡曲全盛の時代であり歌は苦手でもいい歌が多かった。
まだ情緒的なものがあり今とはかなり違っていた。フランシーヌのなんとか脳裏に記憶されている。歌の世界ではいい時代だったのである。


青春などあまりにも遠いものとなってしまった。でも青春となれば老後には何かなんでもなつかしくなるのだ。あんなことがあったのかと別な角度から思い出すのが楽しみになる。歌詞がこんなものだったということがわからなかった。これは時代を象徴した歌詞だったのである。
青春というのは何でも今でも何か熱気でエネルギーでむんむんしたものがある。それは性であれ何であれそうなる。そういう熱気は青春特有のものでありそういうものを失うとただ思い出すだけになるのだ。藤桂子は雰囲気もこの夢も夜ひらくも頽廃的なものがあったのだ。だから最後は新宿で死ぬのもふさわしいともなった。あの当時の青春は音楽が全盛期だというときその歌一つ一つに思い出がよみがえることがあるだろう。それだけ歌が多様だったのである。その歌の一つが夢は開くでありこれがパチンコ屋の場末の雰囲気とぴったりだったのである。


藤桂子が死んだということは一つの時代の終わりの象徴だったのかもしれない、団塊の時代の青春の象徴の歌手でもあった。これは学生だけではないやはり中卒で集団就職したような人たちもこの歌を聞いていた。当時の時代の雰囲気がこの歌にありそれで藤桂子が死んだということが一つの時代の終わりを感じた。美空ひばりは戦後の象徴としてあったが藤桂子はその後の時代の象徴だったのである。戦後十年は何か江戸時代の自給自足のつづきであり貧乏でもなつかしいものがあった。
だからこんな江戸時代と変わりないような生い立ちがありその後は華やかなスタ-時代があり没落頽廃して新宿で自殺したというのもそういう人生のゆきつく先が見えていたともなる。
でも藤桂子の娘はヒカルはアメリカで売り出したとか藤桂子もついていったとかやはり国際的になっていることもその後の時代を象徴していたのである。


人間の運命は青春時代の延長としてありその時にその最後も見えることがある。この人はこんな人生を送ってゆくなとか見えることがある。こうした頽廃的な歌から最後も結局頽廃的となり自殺になり新宿で死んだのである。青春時代は真面目なものを志向すへきであり頽廃的享楽的になるとその後の人生がこんなふうに自堕落になり虚しく生を浪費することになる。自分の青春もカルト宗教団体に費やされたり虚しいものだったがそもそも一時は頽廃的でももともと真面目志向だからそうはならなかったのである。全学連でもカルトでも真面目志向の人が入っていたが方向が間違っていたのである。青春時代はなかなか先が見えないから暗中模索になるのが普通なのである。それが老人になるとあの時そういうことだったのかと見えてくるのである。


一時の華やぎ過ぎし青春や新宿に死す歌手のあわれも

釘打ちの木製のバチンコ台虚しくも費やされにし青春の時


 

posted by 老鶯 at 03:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層