2013年08月26日

今年は秋が早い (相馬市へ行くー花屋はフラワーアレジンメントのセンスが必要)


今年は秋が早い

(相馬市へ行くー花屋はフラワーアレジンメントのセンスが必要)


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静粛に大手門や秋の風

街道や兜作りに木槿かな


実りそむ稲穂のかなた山脈に影を写せる秋の雲かな

あわただし今年は秋の早きかな世の移りもまためまぐるしも
親戚の縁二つ切れ移る世や秋風さやかに吹きにけるかな


今年は秋が早い、夏は一時であり暑いことは暑くても短かった。梅雨が長く猛暑の夏も一時ですぎて今日は秋風が吹いていた。だから相馬市に行くのも苦にならなかった。あまり暑いと自転車では遠くへ行きたくない、強い陽ざしをあびるからだ。秋はやはり運動に向いて爽快になる。

秋というときみなは南相馬市は草原化して稲穂の実りがない、でも相馬市に来ると今までのように変わりなく稲穂が実りそている。これが今までの普通の見慣れた景色だった。それでも自分の住んでいるところはその当たり前の景色が喪失した。それもすでに二年経過したから草原の景色になじみ田んぼの景色がないから相馬市に来るとまた前の風景にもどる不思議がある。ともかく雲といい秋の雲でありめっきり秋らしくなったのが今日だった。昨日までは夏であり暑かった。親戚も二代目になると切れやすいしいい親戚は自分にはいなかった。
いい親戚はそんなにいないだろう。兄弟姉妹ならなんとか関係も保たれるがその他はきれやすいだろう。
だからかえってそういう縁は切れた方がせいせいする。そうしないと前向きに進めないのである。
ずっと津浪以来は物の整理でもありあらゆるものの整理がつづいているのでてある。


秋が早いということは世の中の変わり方も早く感じる。特に津波原発から自分の一身上の変化からここ6年間はあまりにもめまぐるしかった。家族が一人死んですでに三年は過ぎたのか?その間毎日自分は家事とか介護とか自分の病気のために追われていたのである。今もやはり追われている。


今日はまた駅前の花屋によった。その前にイオンでプリントした。あそこには大きなプリントする機械があり自動化している。パソコンで見た写真と全く同じようにプリントできる。パソコンのプリントはかえって失敗したりきれいに写らない、すると金がかかる。あそこのプリントはきれいであり安いのである。だから今ではあの商売が成り立っていることがわかった。プリントすることはもともと高かったが安い。あの仕事はプリントする高性能の機械さえあればとできるのである。自動化しているから人間のすることがないのだ。でも仕事する方にとっては何も創造性を発揮できないからつまらないとなるだろう。もう人がいらないのである。スーパーのレジだって自動化しているところがあり人をへらせる。この辺では人が自給1200円にしても来ない、とするとその減った分をできるなら機械化すればまにあうとなる。でもできないものがあり人手を減らせない分野がある。医者や看護師や介護関係は機械化できないだろう。人をもちあげる力仕事は機械化している。でもどうししても機械化できないものがある。


花屋は意外と創造性とか他にも人との対応とかむずかしい。花にも詳しくなることはもちろんだが
フラワーアレンジができないと成り立たない、フラワーアレンジは花道であるが結構創造性が必要なのである。ただ花をさすというだけではだめなのである。花をいかに活かすかということがテーマになるのだ。それは壺も関係している。だから結構金がかかるのが生け花でありフラワーアレジンメントであった。この世界は最近はじめたものであり自分にはわからなかった。なぜなら花をテーマにしても自然の花であり生け花ではなかったからだ。フラワーアレジンメントは自然の花とは違う。

だから花の種類が多いといいがなかなかそういう花屋はこの辺には少ない、百合一本800円というのには驚いた。相馬の駅前の花屋が安いのは仙台まで行って直接市場で買いつけしているかららしい。そこに仲買がはいると高くなるのだ。花の値段には相当な差がある。

ともかく花に囲まれて仕事して暮らすというのは何かめぐまれているし憧れる人もいるだろ。
ただ商売となるとまた別である。しかし花を知らないものが花屋になれるだろうか?
花をテーマにしてきたから花屋というのに興味をもったのは自分にとって自然なことだった。
でも商売と花を純粋に観賞するのはまた違っているだろう。
しかし花屋には花を知るセンスがないと成功しないのではないか?
花は一つ一つに個性があり奥深い世界なのである。だからどうしても芸術を理解する心が必要に思う。そうしたセンスがないと成り立たないのではないか?

仕事はそれなりのセンスが必ず必要なのである。
でも最近大工でもただ組み立てているだけであり大工の技が求められず衰退してゆく、チェーン店でもそこで決められた料理はできるが地元の料理を創造することはむずかしい。
そこに地元の文化が生まれにくいということがある。
ただ時給いくらで雇われる仕事は機械化される仕事なのでありやりがいがないのである。

明日また相馬市に行ってフリントをやりなおして花屋で新しい花を仕入れるからその花を買ってまたフラワーアレジンメントしてみよう。