2013年08月24日

秋の蝉(老後は定着志向になる)


秋の蝉(老後は定着志向になる)


故郷に動かぬ岩や秋の蝉

岩二つしんみり動かぬ秋の蝉
故郷に残れる人や秋の蝉
その命残り少なく秋の蝉
ひぐらしや船着は名のみ昔かな
塩崎津波ここまで夏の暮
ひぐらしやこの道出会う里の人

ひぐらしや男夕餉の仕度かな

塩崎(しおのさき)に船着という地名が化石のように残っていた。これもいつの時代なのか?万葉集の歌が真野の草原が残っていたとしてもその時代ではないだろう。では平安時代なのか?そんなに古いものなのか?それも謎である。ただそこが海だったから船が来たから船着という地名が残っているのだ。現実に今度の津波で鉄道の線路の下のトンネルを越えて津波が来た。あそこかなり低いから塩崎まで津波が来た。塩崎(しおのさき)というのもそこが海だからそういう名がついた。その頃烏崎などには人は住んでいない、でも大内にはそが船という地名がありそが船とは船がそこをさかのぼっていくのが見えたからだという、すると大内には人が住んでいた。大内は古い地域だとなる。地名だって人が住まない限りつくはずがないからだ。烏崎であれ北海老であれ新しい地は津波にのまれたのである。海岸に接して人が住むようになったのは江戸時代なのである。松原ができたのも江戸時代である。津波は明らかに江戸時代頃から海岸線に住んで新しい地域は津波の危険地帯だった。こういう地帯が日本には多いのである。だから津波が来ればまた大きな被害になる。つまり奈良時代とか平安時代の海だったところは今回のような大津波が来たらまた海にもどる恐怖がある。


今年の気候の変なのは8月初旬まで雨でありその後急激に暑くなったことである。それでその時ひぐらしが鳴いていてなんだ夏がなく秋になったのかと思った。でも今日も暑かったように残暑もあるようだ。なんか気候が今年は変則的であり夏になったり秋なのかという変な天気である。
秋の蝉とひぐらしはまた違っている。ひぐらしはひぐらしという蝉の声であり秋の蝉はひぐらしの声ではない、秋の蝉というときお盆が終わると帰省した人も帰り淋しくなる。それでしんみりとして秋の蝉を聞くのがいいのである。

どうしても人間は60代になるとあまり動きたくなくなる。定着志向になる。だから石とか岩が老人にはあっている。それで石や岩の詩を相当書いた。その岩とはthe rockなのである。いつもそこにあり動かない石であり岩でありそれは旧知のものなのである。ますますそうした石とか岩に深く自己同一化するのがアイディンティティ化するのが人間なのである。だから原発事故で避難した老人は辛いと思う。テレビで何か仮設の外にも自由に出れないというのはやはり肩身が狭い思いがあるからだろう。自分の故郷でないから外の人に気を使うのである。小高の人でも仮設に住んで鹿島の人に肩身の狭い思いをしている。確かに補償金はもらって生活に不自由なくてもそうなる。


それにしても鹿島区でも一人70万精神的損害がもらえるみたいだ。南相馬市ではみんな同じにしないと不満があるからだろう。この額は大きいなと思った。何回聞いてもわからなかった。取り次ぐ人がよく知らなかったのである。今回の人は丁寧に説明してくれてわかった。結構この額は大きい、人数がいると額が大きくなる。職をもっていたりさらにどこかに避難したりしらさらにもらえる。やはり南相馬市までは同じにしない不満がでてくるからこうなった。相馬市は全然もらえないのでうらやましがっているだろう。


どうも整理をしつづけているが今度はパソコンがおかしくなってきたので新しいパソコンを注文した。ただ設定がめんどうなのでソフトが使えなくなるので変えたくなかったのである。パソコンにはこれまで蓄積したものが残っているからこれを整理するのがまた大変なのである。結局パソコンは記録しても常に消えるという恐怖があり紙に記録しないといけない、これも手間なのである。
cdとかUSBも不安定であり確実なのは外つけのハードディスクだった。8年前のものが残っていた。これは大量に記録できるからいい、意外とはバソコンは整理するのがめんどうなのである。
本も整理するのができなくなっている。何でも多すぎると整理すらできなくなる。

毎日毎日整理に追われて整理しても整理しきれないのである。なぜなら家事をしているから料理も整理が必要になる。自分なり使いやすくするように台所を整理して工夫していと効率的にできないのである。だから今年はもうすでに何か月も3か月4か月か仙台にも行ってないし近くでも飯館とか丸森とかでも行っていない、毎日整理に追われているのだ。賠償のこともめんどうだったり何かかにか仕事があり追われているのである。そもそも家事だけで結構な時間がとられるから時間に追われるのである。


それでもキクチスーバーの前で話した70才の人は一日何もせず昼間から酒飲んでいる。この人は仮設に住んでいる人ではない、鹿島の人だった。トラック運転手でありその話しを聞いて面白かった。
ただそうして昔の話しをするのだが現在は何もしない、昼間から酒飲むしか能がなくなっている。畑などしないので余計にそうなっている。雲雀が原の病院に行って薬もらっているとか何か変になっているのだろうか?これは仮設に住んでいるとか津波の被害でそうなったのではない、何もすることがない、何でも嫁がまだしてくれるし何も役割がない、これも危険だと思った。これからこういう人も増えてくる。こういう人は認知症になりやすい、生きがいもなにも見いだせない、知的なこともしていないから余計にそうなる。趣味もないからそうなる。だから老後は趣味もない人は無味乾燥になってしまう。でも趣味をもつにしてもそれだけの余裕と時間がないとできないしトラック運転手一筋にやってきた人はなかなか趣味などもてないだろう。そうすると老後が長いから時間をもてあますことになるのだ。認知症が増える原因がこういうところにもあるかもしれない、老人が何もすることがない、家でも余されてしまう。ただ年金をもらえるとき孫がにこにこしてジィとよってくるとか言っていた。金をくれるだけの存在になってしまうのも危険である。


とにかく自分は家事と介護とその他いろいろやっているから暇がないのである。最近特にそうだった。手伝いさんを雇うということでその人がまた普通でないのでいろいろあり時間をとられたのである。