2013年08月16日

浪江の方からの質問の答え (浪江の地名と土井晩翆の歌より)


浪江の方からの質問の答え

(浪江の地名と土井晩翆の歌より)


土井晩翠の歌碑が大堀にあったこと、恥ずかしながら最近知りました。
質問があるのですが、この小野田橋の歌は何年に作られたものか教えていただけないでしょうか。また田尻の歌も同じ時期でしょうか。
本来ならば浪江に帰省して文献にあたりたいところなのですが、こんな状況で、どうしていいのかわからず、甘えてしまい申し訳ありません。
どうぞよろしくお願いいたします

浪江の地名と土井晩翆の歌
http://musubu2.sblo.jp/article/19103374.html



浪江の方より質問があった。名前はふせるようにとあったのでだしません、一応匿名でコメントは受けています。名前を出さないようにとコメントがあればコメントを公開する前に名前を出さないようにできます。ただ公開する前にコメントが直接でることがある。これは出てから削除するものは削除している。

小野田橋新たに成りてこの郷(さと)の栄と睦(むつみ)いや増すぞよき

昭和一〇年二月一一日、小野田橋開通式ヨ挙グ
晩翆土井林吉先生親シクご臨席ノ上ニ一首(大堀村)


昭和十年に板橋でありよく流されていたのをコンクリートの橋にした。この頃コンクリートの橋はまだめずらしいものだった。もちろん車がほとんどないのだから道は舗装されていない、原町の無線塔も鉄塔ではなくコンクリートで作られていたのだ。これも文明の最先端をゆくものだったのである。
浪江は橋の町でもあった。川の町でもあった。海がありそれも請戸港がありこれは浜通りでも大きいし歴史も古い。

鮭簗のある辺りから大聖寺辺りをふくめて昔は泉田と呼ばれていたが相馬昌胤がこの地に隠棲するころから村名を幾世橋(きよはし)と改め、昭和二十年には浪江町に合併された。


和歌を学んでいた昌胤が師の中院内府通茂にみちもち)卿より贈られた


跡たへしながらもあるを幾世橋いくよ変わらずふり残るらむ


という賀歌によりこの里を泉田から幾世橋(きよはし)に変えた。今もある幾内橋を昔は幾世橋と呼んでいたらしい。

この辺で幾世橋という姓の人がいるからそこの出身だったのだろう。幾世も残る橋のことで橋が長くあることを願っていたのである。橋は板橋などが多いとすると常に流されていたからこの名がついたのだ。一つの民の願いとしてこの名がついたのである。橋はそれほど昔は重要だった証拠である。

いづれにしろ浪江は浜通りでは一番風光明媚な所だった。大きな川が二つあり請戸港もあり高瀬川渓谷がありこれも山水画のような景色となっていた。他からも高瀬川を訪ねる人が多かった。
浪江は川の町だと書いた。水のめぐる町であった。


だからこそ大木 惇夫(おおき あつお)の高瀬川哀吟の詩で

高瀬川いざよふ波の せせらぎや ・・・
川水は われをめぐりて さやかなり 泡だち流る


水の音が常にする、水の郷でもあった。高瀬川の上流は特にそうだった。それが原発事故で一転した。まず警戒区域になったからこの風光明媚な土地に入ることもできず荒れ放題になっている。特にネズミの被害が大きいのである。自分の家にも今日もコネズミが出てきて嫌だった。草原化するとネズミが増えてくるのだ。それでノスリがそのネズミを餌として定着した。モンゴルの草原でもネズミが増えて問題になっていた。ともかく五年間も人が住まないとなる荒れ放題になってしまうのだ。
それでもう住めないと言っていた。双葉や大熊などは風光明媚でもないがやはり浪江は川の町であり風光明媚だったからそこに入れないということが悔しいのである。

だから避難者が今何を思っているのか、やはり故郷に帰りたいという人もいるし若い人はもう帰れないとなる。

ただ浪江町は二万にもいたのはやはり原発があった影響だろう。何らかで原発に関係していた人が多いのである。それは南相馬市でもそうだったのである。原発の経済的影響が大きすぎたのである。
この辺で外部からくる労働者が除染でも国の事業だから親方日の丸だからおいしい、金の出方が違うといっていた。本当に補償金がこんなに出るということも驚きである。それは東電だけではない国がかかわっているからそうなっている。ただそうしたことの見返りが事故によりだいなしにされたのである。故郷を失うなど想像した人すらいないだろう。それが今や現実なのである。


傷心を癒して洗う高瀬川浪江の避難者いつの日帰らむ


浪江の人は許可あれば入れるが他の人は浪江に入れないから高瀬川も見れないのである。大堀の相馬焼きも廃れるのか?そして浪江の町はこれからどうなるのか?そういう不安が避難者にある。

 

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参考にした小冊子

松本博之とあり本命は哲夫となっている。

次にこの本から昔の鉄道のことを書いてあるのでそこを述べてみたい。


 

posted by 老鶯 at 23:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)