2013年08月15日

鬼百合 (花屋にもデジカメや携帯の写真を利用すると繁盛するかも)


鬼百合

(花屋にもデジカメや携帯の写真を利用すると繁盛するかも)


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鬼百合とともに燃え咲く花のあれ
鬼百合に夏菊千輪郭燃え咲きぬ
六号線とりどりの花真夏かな
海よりの草原わたる風涼し
灯明の十ほどともり盆の月
墓二つ参りてお盆年老いぬ


昨日は相馬市に行った。相馬市の入り口の六号線沿いに一杯花が咲いていた。夏らしい風景である。鬼百合、夏菊、ダリヤ、グラジオウラスだろう。相馬市では駅前の花屋にまたよった。最近フラワ-アレンジントをはじめた。生け花ではない、今は自由なフラワーアレンジメントになった。
ただ百合が一本800円というのは高い、駅前の花屋は安い、なぜこんなに値段が違うのか?
なんだか花か好きだし花をテーマに詩を書いてきたから花屋に興味をもった。
花屋で成功している人はまれだという、それだけむずかしい職業だともなる。
個人で起業して成功しているのは20分の一だという,いかに故人で起業して成功することがむずかしいかわかる。それにしてもなぜこれほどむずかしいのに起業するのか?

失敗すれば多額の借金をかかえこみ路頭にも迷う厳しい世界である。
そこにやはり安易こがあるのだろうか?連帯保証人になっているのが2000万人いるとか誇張でもそうならざるをえない事情があることがわかった。何か仕事していれば持ちつ持たれつだから必然的にそうなってしまう。それで自殺する人も多い。

結局何をやるにもビジネスの世界も厳しい、簡単にもうけるものなどない、株でもうけようとしてもこれも経験を積まないとだめである。それより老後は自分の好きなことに金を使った方がいい、
どうせ残り少ない時間なのである。最後はやりたいことをやって死ねば本望だとなる。


花屋で成功しないのはやはり現代のトレンドにのれないのである。自分の生け花をイオンで簡単にフリントできた。額縁に入れたら映えた。
今は携帯であれデジカメであれ即座にプリントできる。大きな印刷機がありパソコンにデジカメに写った通りにプリントできる。自宅の印刷機だときれいに印刷できない、リボンも消耗するから損である。プリントは自動化しているから簡単である。
そして安いのも助かる。あそこて印刷した方が自宅でするよりいい、これも時代が変わっていたのだ。こうした時代が変わることに便利なものがあることに現代は気づきにくいのだ。
この時代の波にのれないから商売も成功しないこともある。


花屋の人は年配の人が多い、店屋も高齢化で年配の人が多い、すると現代のトレンドについていけない、そこがどこでも問題になる。一方で駅前通りであり場所がいいし今年配でも人との応対はいいという利点はある。つまり若い者と年配のものでも世代が交わるとその役割があり成功に通じてゆく、若いだけでも年配だけでもだめなのである。今や携帯でもデジカメでも即座にプリントして気軽に楽しめる時代である。花屋もこのデジカメや携帯で簡単にとれる写真時代に適応する、利用しないとやはり人は集らないだろう。


鬼百合の写真でもデジカメでとって見直すことがある。写真を見てあらためてその美を発見することがある。デジカメは精度がますます良くなっている。このソニーのカメラは安いけど前よりずっときれいに写っている。写真の時代には写真をデジカメを使わないようではどうにもならないだろ。
花と写真は欠かせないものとして一体化してある時代だからである。

シャッター通りになるのも時代でどうにもらないという面もある。これから高齢化時代に通りが見直されるかもしれない、通りを歩くとか店で話すとか何かそうしたくつろぎを高齢化社会では求めているからだ。通りを歩くは車と違いスロ-なタイムであり店で話すというのはただものだけではない、
くつろぎを求めている。そういう街作りが望まれているともなる。それは老人だけではない、若者もとりこむものとなる。世代で区別しては通りの再生もないということである。


自分のフラワーアレンジメントは駅前の花屋に贈呈した。何か花と印刷を組み合わせて商売になるようなことがありえる。花のカードなども作るといいのかもしれない、それはイオンのプリント屋で簡単に安くできる。それからお茶屋でいろいろな器を飾り売っていた。意外とセンスがいいものでありガラスの器とかかって花を活けたのである。それなりに金はかかったがこれも株などに投資するよりいい、株などはもう上がらないことがわかった。余っている金は老人でも使うべきである。