2013年08月31日

夏も終わる(川俣から来た花火師)

 
夏も終わる(川俣から来た花火師)


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川俣の花火師の来て夏の暮

川風や浴衣の少女肌見せる

今日は真野川のス-ーパーキクチの前の倉庫で東京から来たボランティアの祭りが開催された。ステージが作られ演奏も行われた。結構人が集まっていた。浴衣の少女が多かった。若い人が今は田舎でみかけない、老人が多い。だからあれだけ若い人が集るのはめずらしいし活気がでる。
おそらく若いといっても浴衣着ていたのは10代であり中高生である。中高生以外になると若い人はさらに少なくなるだろう。浴衣から白い肌がのぞく、それが日本的情緒だった。
白い肌が余計に白く見えるのだ。闇の中に白い肌だけが浮かぶというのが日本の女性だというときそうかもしれない、浴衣や着物はそういう感覚になる。それは日本的な感覚なのである。

田舎と都会の違うのはやはり田舎だから自然があり川風が吹いてくると涼しいとなる。浴衣姿と川が溶け込むということがある。都会だったら建物に埋めつくされているとそういうことはない。

最近この辺は何か外部から入る人が増えたから活気がでている。新築の家も次々に建っているから何か前より活気を感じるのだ。そもそも土地は売りに出していても売れなかった。今は次々に売れて家が建っている。そして原発事故の被害地域は補償金をもらいるから今は金に困っていない、かえって金が入っているからギャンブルに費やしている。金があり暇をもてあましそうなっている。
鹿島区も今になると一所帯百万を小高の避難者には補償金があり土地を貸している鹿島区にはないと市の財政から金を出したのは過ちだった。そのことは批判されていた。桜井市長が決めたことだが

桜井市長は悪いことしか言われない、確かに鹿島の人にとっては自分でも得したと思っていた。
その時最初であり事情が良くわからなかった。市の財政から出たというより義援金とか何か国からも東電の援助もあったのかと思った。それは今回のように東電から精神的損害の書類が送られて来なかったのだから市の財政から出していたのである。それは大きな金だったからその金は復興住宅などの建設費などにあてるべきだったのだろう。ただ自分ももらえて得したとその時は思っていた。
今度は東電から書類が送られてきて一人月10万7か月分もらえるからこれは大きいと思った。
小高区と同じ様に補償される。そのあとはわからないにしても補償金は思った以上大きいのである。

花火をあげたのは川俣の花火師だった。この花火師は名護屋で花火の大会があり花火をあげようとしたら放射能の影響があるからと断られた人たちだった。そういえばそういう報道もあった。花火にどれほどの放射能の影響があるというのか?これも放射能の過剰反応だろう。
川俣は平地が少ないから田んぼも少ないからもともと機織りが絹織物が盛んだった。相馬とはかなり密接な関係がある。川俣から嫁いできたとか川俣と関係ある人も多い。前に鰻を売るために鹿島の人が天秤棒を担いで川俣まで行った話しを聞いて信じられなかった。でもやはり川俣に金持ちが多かったというとき絹の生産でそうなっていた。花火師などがいたのも何かそういうものを発達させる下地があったのだろう。

ただ今回の原発事故では水鏡峠を境にして飯館村は放射能で住めなくなったが川俣は一部だけであり普通に生活している。でもここより放射能が高い、福島市でも高い。それはちょうど3月11日に海からの東風が吹いたのである。春になると海から東風がこの辺には吹く、その風が水鏡峠を越えて吹き福島市まで吹いたのである。自分も川俣に春に行って水鏡峠を越えて東風がびゅうびゅう吹いてくるのを感じた。その時風が吹いていたのである。放射能は風の影響が大きかった。海側は風で海に流されたから放射能は低くかったのである。
川俣であれ相馬市でも区切られて補償金はもらえない、その不満があることは確かである。
放射能の被害はそんなに変わりないからである。相馬市にしてもそうである。

ともかく今年の夏も今回の花火とイベントで終わった。昨日は暑かったが今日は涼しかった。
このくらいだと気持ちがいい、普通の夏の感じなのだろう。



 昨年9月に日進市役所周辺であった花火大会では、震災からの復興応援しようと福島県川俣町産などの花火を打ち上げる予定だった。しかし、事前報道されると、放射性物質の拡散を心配する苦情抗議が相次いだ。地元商工会や市職員有志らでつくる実行委員会が福島県産の花火の打ち上げ中止を決めると、今度「風評被害を助長する」などの抗議が続いた。