2013年08月15日

鬼百合 (花屋にもデジカメや携帯の写真を利用すると繁盛するかも)


鬼百合

(花屋にもデジカメや携帯の写真を利用すると繁盛するかも)


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鬼百合とともに燃え咲く花のあれ
鬼百合に夏菊千輪郭燃え咲きぬ
六号線とりどりの花真夏かな
海よりの草原わたる風涼し
灯明の十ほどともり盆の月
墓二つ参りてお盆年老いぬ


昨日は相馬市に行った。相馬市の入り口の六号線沿いに一杯花が咲いていた。夏らしい風景である。鬼百合、夏菊、ダリヤ、グラジオウラスだろう。相馬市では駅前の花屋にまたよった。最近フラワ-アレンジントをはじめた。生け花ではない、今は自由なフラワーアレンジメントになった。
ただ百合が一本800円というのは高い、駅前の花屋は安い、なぜこんなに値段が違うのか?
なんだか花か好きだし花をテーマに詩を書いてきたから花屋に興味をもった。
花屋で成功している人はまれだという、それだけむずかしい職業だともなる。
個人で起業して成功しているのは20分の一だという,いかに故人で起業して成功することがむずかしいかわかる。それにしてもなぜこれほどむずかしいのに起業するのか?

失敗すれば多額の借金をかかえこみ路頭にも迷う厳しい世界である。
そこにやはり安易こがあるのだろうか?連帯保証人になっているのが2000万人いるとか誇張でもそうならざるをえない事情があることがわかった。何か仕事していれば持ちつ持たれつだから必然的にそうなってしまう。それで自殺する人も多い。

結局何をやるにもビジネスの世界も厳しい、簡単にもうけるものなどない、株でもうけようとしてもこれも経験を積まないとだめである。それより老後は自分の好きなことに金を使った方がいい、
どうせ残り少ない時間なのである。最後はやりたいことをやって死ねば本望だとなる。


花屋で成功しないのはやはり現代のトレンドにのれないのである。自分の生け花をイオンで簡単にフリントできた。額縁に入れたら映えた。
今は携帯であれデジカメであれ即座にプリントできる。大きな印刷機がありパソコンにデジカメに写った通りにプリントできる。自宅の印刷機だときれいに印刷できない、リボンも消耗するから損である。プリントは自動化しているから簡単である。
そして安いのも助かる。あそこて印刷した方が自宅でするよりいい、これも時代が変わっていたのだ。こうした時代が変わることに便利なものがあることに現代は気づきにくいのだ。
この時代の波にのれないから商売も成功しないこともある。


花屋の人は年配の人が多い、店屋も高齢化で年配の人が多い、すると現代のトレンドについていけない、そこがどこでも問題になる。一方で駅前通りであり場所がいいし今年配でも人との応対はいいという利点はある。つまり若い者と年配のものでも世代が交わるとその役割があり成功に通じてゆく、若いだけでも年配だけでもだめなのである。今や携帯でもデジカメでも即座にプリントして気軽に楽しめる時代である。花屋もこのデジカメや携帯で簡単にとれる写真時代に適応する、利用しないとやはり人は集らないだろう。


鬼百合の写真でもデジカメでとって見直すことがある。写真を見てあらためてその美を発見することがある。デジカメは精度がますます良くなっている。このソニーのカメラは安いけど前よりずっときれいに写っている。写真の時代には写真をデジカメを使わないようではどうにもならないだろ。
花と写真は欠かせないものとして一体化してある時代だからである。

シャッター通りになるのも時代でどうにもらないという面もある。これから高齢化時代に通りが見直されるかもしれない、通りを歩くとか店で話すとか何かそうしたくつろぎを高齢化社会では求めているからだ。通りを歩くは車と違いスロ-なタイムであり店で話すというのはただものだけではない、
くつろぎを求めている。そういう街作りが望まれているともなる。それは老人だけではない、若者もとりこむものとなる。世代で区別しては通りの再生もないということである。


自分のフラワーアレンジメントは駅前の花屋に贈呈した。何か花と印刷を組み合わせて商売になるようなことがありえる。花のカードなども作るといいのかもしれない、それはイオンのプリント屋で簡単に安くできる。それからお茶屋でいろいろな器を飾り売っていた。意外とセンスがいいものでありガラスの器とかかって花を活けたのである。それなりに金はかかったがこれも株などに投資するよりいい、株などはもう上がらないことがわかった。余っている金は老人でも使うべきである。

2013年08月16日

浪江の方からの質問の答え (浪江の地名と土井晩翆の歌より)


浪江の方からの質問の答え

(浪江の地名と土井晩翆の歌より)


土井晩翠の歌碑が大堀にあったこと、恥ずかしながら最近知りました。
質問があるのですが、この小野田橋の歌は何年に作られたものか教えていただけないでしょうか。また田尻の歌も同じ時期でしょうか。
本来ならば浪江に帰省して文献にあたりたいところなのですが、こんな状況で、どうしていいのかわからず、甘えてしまい申し訳ありません。
どうぞよろしくお願いいたします

浪江の地名と土井晩翆の歌
http://musubu2.sblo.jp/article/19103374.html



浪江の方より質問があった。名前はふせるようにとあったのでだしません、一応匿名でコメントは受けています。名前を出さないようにとコメントがあればコメントを公開する前に名前を出さないようにできます。ただ公開する前にコメントが直接でることがある。これは出てから削除するものは削除している。

小野田橋新たに成りてこの郷(さと)の栄と睦(むつみ)いや増すぞよき

昭和一〇年二月一一日、小野田橋開通式ヨ挙グ
晩翆土井林吉先生親シクご臨席ノ上ニ一首(大堀村)


昭和十年に板橋でありよく流されていたのをコンクリートの橋にした。この頃コンクリートの橋はまだめずらしいものだった。もちろん車がほとんどないのだから道は舗装されていない、原町の無線塔も鉄塔ではなくコンクリートで作られていたのだ。これも文明の最先端をゆくものだったのである。
浪江は橋の町でもあった。川の町でもあった。海がありそれも請戸港がありこれは浜通りでも大きいし歴史も古い。

鮭簗のある辺りから大聖寺辺りをふくめて昔は泉田と呼ばれていたが相馬昌胤がこの地に隠棲するころから村名を幾世橋(きよはし)と改め、昭和二十年には浪江町に合併された。


和歌を学んでいた昌胤が師の中院内府通茂にみちもち)卿より贈られた


跡たへしながらもあるを幾世橋いくよ変わらずふり残るらむ


という賀歌によりこの里を泉田から幾世橋(きよはし)に変えた。今もある幾内橋を昔は幾世橋と呼んでいたらしい。

この辺で幾世橋という姓の人がいるからそこの出身だったのだろう。幾世も残る橋のことで橋が長くあることを願っていたのである。橋は板橋などが多いとすると常に流されていたからこの名がついたのだ。一つの民の願いとしてこの名がついたのである。橋はそれほど昔は重要だった証拠である。

いづれにしろ浪江は浜通りでは一番風光明媚な所だった。大きな川が二つあり請戸港もあり高瀬川渓谷がありこれも山水画のような景色となっていた。他からも高瀬川を訪ねる人が多かった。
浪江は川の町だと書いた。水のめぐる町であった。


だからこそ大木 惇夫(おおき あつお)の高瀬川哀吟の詩で

高瀬川いざよふ波の せせらぎや ・・・
川水は われをめぐりて さやかなり 泡だち流る


水の音が常にする、水の郷でもあった。高瀬川の上流は特にそうだった。それが原発事故で一転した。まず警戒区域になったからこの風光明媚な土地に入ることもできず荒れ放題になっている。特にネズミの被害が大きいのである。自分の家にも今日もコネズミが出てきて嫌だった。草原化するとネズミが増えてくるのだ。それでノスリがそのネズミを餌として定着した。モンゴルの草原でもネズミが増えて問題になっていた。ともかく五年間も人が住まないとなる荒れ放題になってしまうのだ。
それでもう住めないと言っていた。双葉や大熊などは風光明媚でもないがやはり浪江は川の町であり風光明媚だったからそこに入れないということが悔しいのである。

だから避難者が今何を思っているのか、やはり故郷に帰りたいという人もいるし若い人はもう帰れないとなる。

ただ浪江町は二万にもいたのはやはり原発があった影響だろう。何らかで原発に関係していた人が多いのである。それは南相馬市でもそうだったのである。原発の経済的影響が大きすぎたのである。
この辺で外部からくる労働者が除染でも国の事業だから親方日の丸だからおいしい、金の出方が違うといっていた。本当に補償金がこんなに出るということも驚きである。それは東電だけではない国がかかわっているからそうなっている。ただそうしたことの見返りが事故によりだいなしにされたのである。故郷を失うなど想像した人すらいないだろう。それが今や現実なのである。


傷心を癒して洗う高瀬川浪江の避難者いつの日帰らむ


浪江の人は許可あれば入れるが他の人は浪江に入れないから高瀬川も見れないのである。大堀の相馬焼きも廃れるのか?そして浪江の町はこれからどうなるのか?そういう不安が避難者にある。

 

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参考にした小冊子

松本博之とあり本命は哲夫となっている。

次にこの本から昔の鉄道のことを書いてあるのでそこを述べてみたい。


 

posted by 老鶯 at 23:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

2013年08月18日

納涼の夏(夏らしい夏)


納涼の夏(夏らしい夏)

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ほの白く木槿増え咲き闇つつむ
月光り木槿の白さ浮かびいず

合歓の花誰か見るらむ昼の月
日を浴びし夏菊を野に我が摘みぬ
夏菊の鴎に映えて橋とまる
三輪ほど百合の匂うや朝の間に
三輪の匂いの濃しや百合の花
夕月の川面に映り涼しかな
南風の道路に涼し光る月


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今日は夏らしい夏だった。納涼というのが言葉としてあっている。
暑いのだけど31度から32度くらいだとこの辺は普通の夏なのだ。
道路に寝る椅子で風を受けていたら涼しかった。
月も光っていて気持ちよかった。浴衣の少女が盆踊りに行ったり
日本らしい夏の風景である。

浴衣から白い肌がのぞちのがエロチックだともなる。
陰影礼讃では闇の中に浮かぶ女性の白い肌しか見えなかったという。
日本人に人間全体を表す彫刻がない、仏像はあっても人間そのものを彫塑的に現さなかったのは日本的文化があったためだろう。
何か立体的彫塑的ではなく肌でふれるというように感覚的なのだろう
女性もなよなよして柔らかくギリシャのように彫塑的にはならない。
仏像だってギリシャから伝播してきてあれだけ仏像ができたのである。


だから白い木槿というのが何か日本の女性の肌のようにもみえる。
それが闇につつまれる。白い木槿はまた何かお盆の時期に咲いて
魂を示している感じにもなる。この白さは和紙の白さでもあり白でも違っている。


駅前の花屋の人がアレンジした百合は実際はかなり匂っている。写真ではどうしても匂いを出すことはできない、山百合でもかなり匂う。野性的な匂いである。近くで百合一本が800円だというのは高い、相馬市の駅前では安いのである。ただ花屋でもあそこもぎりぎりでやっている。やめるとも言っているから商売はみんなもうかっているところは少ないのである


今日はパソコンが不調で書けなかった。新しいのを買う必要が出てきた。
かえって古いXPの5万のパソコンが役に立つ、パソコンは新しいものを買ったからといいものではない、ソフトが使えなくなったり困ることも多いのだ
なにかエックスプロラーが7とか8に自動アップデイトしておかしくなったのか、間違ってプログラムファイルを消したかもしれない
データ-だけを移して新しいパソコンで再構築すべきなのか?
それとも復元して元に戻すべきなのか?パソコンもめんどうなので困る。
10年使っていてもわからないことが多すぎるのだ。
メールの設定が未だにできないことでもわかる。
まあ、なかなか壊れないからパソコンも一般化したことは確かである。

この文章は昨日の分だったけどアップすることができなかった。
 

2013年08月19日

カルマとはそもそも何なのか? (カルマは借りであり必ず返すことを要求される)

 

カルマとはそもそも何なのか?

(カルマは借りであり必ず返すことを要求される)


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●借りは金銭だけではない、必ず返すことを要求される


貸し借りをしたということがハッキリとは分からないこと、「まさか!そんなことが貸し借りになってしまうの?!」

誰にいくらの借り(負債)があるのかということが、生きている時に顕在意識ではあなたには分からないというところです。


「あなたにはいつこれだけの貸しがあったよね。今それを○○の方法で返してね」とどこかの誰かに言われてしまう可能性が大きいということを意味します。


AさんはBさんに1億エネルギーの借りがあったので、Bさんに借金のかたにあなたへの1億エネルギーの貸しを渡す。

世の中には偶然もなければラッキーもアンラッキーもない。

必ず貸し借りは精算されるようになっている。

貸しはいつか必ず返ってきます。あなたが返してねと求めなくても返ってきます。なぜならそういう法則が存在するから。
http://www.circulation.co.jp/bhs/column/column37.html


ここのサイトは不思議である。人間の借りは必ず返さねばならない、借りとはカルマなのだ。親子の間では別に子が親に借りがないというけど実際はある。自分の親は子供のときだけではない大人になってからもさらに六〇頃まで食事の用意をしてくれた。それを自分は当たり前だと思っていた。

そういう人は今の時代にはニートとか結構いる。子供のときはやむをえないとしてもそれからいい大人になっても食事の用意とかをしてくれるとなると相当な借りができていたのである。だからその借り(カルマ)は返すことを要求される。今や介護に追われているのもそのためである。毎日食事を作って出している。自分がゆっくり食事できないこともある。食事は運ぶだけで結構手間なのである。
食堂がなく台所と食事するところは離れていることで運ぶことが手間になっているのだ。
自分の場合は明らかに借りを返すことを要求されてそれをしている。そのカルマの借りの自覚がこの年だからわかってやっている。普通はこの人の言うように何か借りなのかわからないのだ。

どこでそんな借りを作りましたか?借りが何か自覚できないのである。でもいづれその借りをカルマを否応なく自覚させられるときがくる。それが60以降から明確に現れてくる。否応なく自覚させられるのである。六〇代の人を見ればわかる。人生の総決算のようなことが現実として結果としてカルマでも課せられて拒否することができなくなる。ただ自分に何の借りがあるのか自覚できないのである。それが否応なく六〇代になれば自覚させられるのが恐いのである。その前に手をうっておけばこんなふうにはならなかったと後悔しても遅いのである。


●大きすぎる借り(カルマ)はもう返せない


まず生活保護の人などは一見今や恵まれている。この貧乏時代になり生活保護の方が恵まれているのが批判されるようになった。でも実際本当にそうなのだろうか?生活保護って一切が借りになっていないか?国民から膨大な借り(カルマ)を作っている。でも生活保護者にはそうした意識がないのである。当然の特権だと思ってい人もいる。でも生涯生活保護になると一億円以上の金が国民から使われることになる。一億円借りたらもう返せないのだ。もうカルマは借りは返せないのだ。そしたら結果的にどうなるのか?かえって一億円得したではないかと思っているが実際は返せないために人生が破綻する人が多いのではないか?あまりにも借金が借りが大きくなると返せなくなる。積もり積もって返せなくなる。そういう人がいてその借りを自分にも要求してきた。だから自分が病気で苦しんでいることも借金の要求するにはチャンスとまでなって迫ってきたのである。借りを返せなくなると逸れか犯罪者に近くなってくる。そして人生が最後に破綻してくる。生活保護者の子供の四割がまた生活保護者になっているということでもわかる。借りが大きすぎるからもう子供でも返せないのである。せいぜい一割から二割くらいの特別優秀な人しか返せないように思う。

生活保護がすべて悪いとはいえない。老人の生活保護は違っているし障害者も違っている。老人は別に一律に一〇万とか年金を支給した方がいいようにも思う。ただ生活保護が長びくと借りが大きくなりすぎるから人生そのものが破綻する人が増えてくるのではないか?そういうふうに自覚している人も少ないのである。
借りそのものカルマが自覚できないからまたカルマが輪廻してゆく、その借りとはどんなものなのか自覚できないのである。カルマは図のようにBがAにカルマを負っていたとしても返せば逆にBがAにカルマを負う夜討ちなっていても気づかずにカルマを要求してくることがある。いつもカルマは一方的な関係ではない、変化しているが変化していることにもカルマはきづきにくい。だからそこで理不尽に思う。こっちがこんなに尽くしているのに相手は何もしてくれないとかなる。そういうことは人間関係では日常的に起きているのだ。


例えば変な話だけど自分は旅ばかりしていた。すると「お前はどれだけ旅館やホテルに泊まり世話されたか?それがお前のカルマだ、借りだ」とまでなる。だからお前は今度は旅人をもてなすことで借りを返さねばならないとかなるかもしれない、まだ生きる時間が長いとするとそうなるかもしれない、実際に世界を旅して世話になったからとボランティアで一室を世界の旅人に提供している人がいた。旅でも借りを作っていたのである。あまりにも病弱で医者や看護師に世話になったりするとその借りも相当に大きくなっているかもしれない、そしてその借りを返すことを要求されるかもしれない、医者になった人が看護師でも前世では医者や看護師の世話になることが多かったから今自分は恩返し借りを返すために医者や看護師をしているという人もいた。人間は借りをもたない、カルマをもたない人はいないのである。そのカルマが借りが大きくなりすぎるともう担いきれないのである。
莫大な借金をしているともう担いきれないから人生が破綻する。回りにも多大な迷惑をかけて破綻する。生活保護者はそういう危険があるけど自覚している人は少ない、もし自覚したら必死でそんな借りのカルマの生活をしようとはしないだろう。カルマは借りが自覚できなくても必ず最後は自覚させられる、借りを返すことを要求される。


●金銭的な貸し借りも神の帳簿に記されてごまかすことができない?


金銭的にも何か不思議なのだけどそこには神がかかわっている感覚がある。自分が経験したことではそうである。大金を盗まれて失ったのもやはり自分の借りがあったからかもしれない、ただ盗んだ方からすると大きな借りを作りカルマを作ったからその借りを自分はしなくても誰かから厳しく請求される。その金額にみあった額が厳しく請求される。でも生活保護者のようにその借りが自覚できないのである。一億円盗んだら誰も絶対に返せないからその借りは払うこともできずに残る。それは地獄までその借りをもってゆくことが恐いことなになる。10万だったら返せるだろう。でも一億円となると誰も返せないから、その借りをカルマを担い死んでゆくからまた生まれて輪廻してそのカルマを返す生を送るとなる過酷なことになる。この借りは例えば知らず担っている人もいるのだ。多額の収入を得ている人もそうである。そもそもそんな一人でそんな多額の収入を得ることは不可能だからである。みんなの協力があってもうけることができるからだ。その収入が身に余るものとなるときそれはその国だけではない全世界へのカルマに借りになっているのだ。だからすでに大金持ちは世界を支配するサタンと化しているともなる。

常に言われるロックフェラーやロスチャイルドがユダヤが金融を支配して世界を牛耳っているとかなる。要するにその操作する金がすでに天文学のような数字になっているからであある。何か巨大な権力化するところ金の集まるところはサタン的になっていないか?
カルト宗教団体でもそうであり政府でもそうであり官僚でもそうであり東電のような大会社でもそうであった。その巨額な金が借りなにっていて返せなくなっているからそういわれるのである。金がありすぎても借りになっている。借りは返せねばならなくなっている。


この借りを返さねばならないというときこれは自然界でもあるかもしれない、なぜ津波でこれほどの被害が犠牲があったのか?やはり海の恵みがあり恩恵お大きかった。人間は自然にも大きな借りがあった。その借りを返すことを自然界からも要求される。自然に何を返すのだとなるがそれは海の恵みに対して感謝の気持ちをもつことだった。常に海の恵みなど農業と同じ様に足りない足りないとばかりになっていた。もう漁師とか農民になる人はいない、後継者はいない、もちろん自然界に恵みを感謝するような人もいなくなった。ただ足りない足りないというだけであった。それで原発を誘致した方がいいとなりその原発が津波で破壊された。それは自然界からの罰だったかもしれないのだ。

借りをカルマを返さないものには恐ろしい罰が与えられる。卑近なところでも金銭の貸し借りでもそれもごまかすことができないように借りは返さねばならない、変な話だけど大金を盗まれたとしても別な方からもどってくることもある。盗んだ本人は返さないとしても他の人から厳しく取り立てられたりする。その盗んだ分が他から補てんされたりもする。金銭の貸し借りも公正でありごまかせないところがある。貸し借りでは金銭が具体的でわかりやすいのである。金銭のやりとりのなかに神が関与しているのではないか?何かそういうことを自分の経験で感じたのである。


●神話も人間への借りへのカルマとしての罰を伝えていた


シーシュポスは神々の怒りを買ってしまい、大きな岩を山頂に押して運ぶという罰を受けた。彼は神々の言い付け通りに岩を運ぶのだが、山頂に運び終えたその瞬間に岩は転がり落ちてしまう。同じ動作を何度繰り返しても、結局は同じ結果にしかならないのだった。


これもまたカルマだったのである。何か人生で有意義なことをしないものは借りができてカルマとなりそれが罰となり無意味なことを延々とさせられる。有意義なことをしなかった罰としてそうなっているのだ。人生何も苦労しないで遊んで暮らせればいいというのもある。ただ働くことだけが有意義なことではとない、働きすぎた人はただ蟻のようよ働くばかりで花にも自然の美に感じることがなかった。これも異常なことだったのである。だからただ働くことだけが意義あることではない、働く意義は他人に押しつけられるものではなく自分が見いだしてゆくものである。それが自由社会では特にそうなる。そのために働かない時間も与えられるのが自由社会であり豊かな社会なのである。でも結果的にその自由が遂に何も働かずに働くことを見いださずに終わるということもある。なぜならなかなか自分で働く意義を見いだすことがむずかしいからである。働く現場にあって働いていると働く意義も見いだしやすいのである。家事でも働く意義がありそれは働いてみないとわからないのである。労働の意味は自分で働いてみないとわからないことが問題だったのである。


ともかくカルマというとき人間は何かしら必ず借りがある。すでに生まれたら親の世話になるし地域の世話になるし国の世話にもる。すると国のカルマも借りも背負うことにもなる。そういう大きなカルマの借りの自覚をもつ人はよほど優れた人だろう。普通は狭い身近なカルマしか意識しないからである。大きな国となるとそれぞれカルマを背負うことになる。戦争でもいろいろ言うがアメリカの原爆はもうぬぐいされない大きなカルマを借りを日本に作ってしまったのである。それは日本だけではない世界にそんな世界を破滅させるほどの武器を作ったことでカルマを作ったのである。だからアメリカはこのことで未来永劫このカルマから逃れることはできない、だから日本を守ることはこのカルマの故に要求できるのである。どんな言い訳してもこんな大きなカルマをのがれることはできないのだ。だから日本の戦争が悪いものとして中国や韓国にアメリカの正当性を主張させているのも矛盾なのである。アメリカは原爆を落としたことで日本は必ず復讐するとして恐れたという今も恐れているというのは本当だろう。それは良心の恐れでもある。その恐れから呪縛からは逃れることができないのである。それだけ原爆の罪は大きかったのである。

2013年08月20日

秋雨になったのか?(百歳生きる時代なのか?)


秋雨になったのか?(百歳生きる時代なのか?)
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雨しとと秋の蝉鳴き介護かな
乱さずに雨こまやかに白木槿
雨しとと内につつしむ菊の花


母なおも生きてしあれや雨しとと庭石ぬらして秋の来るらし


今日は秋雨だったのか、一転してまた涼しくなった。今年の気候はまた違っていた。昨日はこの辺も33度くらいあったとするとやはり暑かった。今日は急に雨がふり涼しくなり秋雨だった。日本の天気は変わりやすい、今年はこの辺は雨と曇りの季節だったのか?
ただ何日か猛暑になっ終わるのか、日本では天気が挨拶代わりになるのがわかる。
そもそも俳句もそうした季節の変化の挨拶から生まれたこともある。日本の天気は日々変化しているのだ。外国だと毎日晴天で雨期になりちょっと雨降るとか砂漠辺りではそうなる。天気はこんなに目まぐるしく変化しないのだ。

四季でも人生であり暑い夏がなければ秋をしみじみと味わえない、今年の夏は短いのかもしれない、残暑がこれからあるのか?今年の夏は外に出かけることがなかった。
やはり雨だったこととまた一身上のことで手伝いさんを雇うようになりそこにいろいろな問題が起きた。手伝いさんとはまずやっかいなのである。一時間くらい手伝ってもらうことがそもそも無理なこともある。でもヘルパ-は介護している人にしか食事を出さないとか
なにかこちらの都合いいようにはならない。


結局ここ一カ月はまた片づけのために苦労した。かたづけてもかたづけてもかたづけられない、特に本はなかなか投げられない、また読んだり利用したりすることもあると思うし現実に読み返すとあった。ゴミ屋敷というのがあるが自分の家もそれとにていた。
毎日ゴミがこれほど出るとは思っていなかった。だから今では放っておくとゴミ屋敷になってしまう。相馬市の便利屋で邪魔なものを投げるのに五万もとられた。見積もりでは2万いくらだという倍とられた。ちょっと高いかと思ったから簡単には頼めない、それでもかなり整理したから楽である。


年取ってからはあまり物をもつべきではない、シンプルな生活がいい、でも現代はどうしても必要なものがある。一人暮らしにはIHヒーターなどは時間調節できるのでいい、鍋を放置して10個くらい鍋をこがしてだめにしたからだ。一人暮らしは都会の方が便利である。
牛丼屋がありあれがあれば楽なのだがここにはない、食器を洗ったりするのが手間なのである。


ともかく物だけではない人間も整理した。親戚関係は三つほど切れた。こういうものもだらだらとつづけていると負担になるだけである。自分は身内の一人が死んでからあらゆることをおしつけられることになった。そして親身になり助けてくれるものもいなかった。

ただ自分に対して負担をかけるだけだった。要求ばかりしてくるのだ。だから東京の遠い親戚など金ばかり要求してこちらが苦しいことも何もわからない、遠くなると何が起きたかもわからなくなる。だからそんな負担ばかりかける人とはもうつきあえないから縁を切った。一方的な奉仕ばかりさせられる関係はつづかないのだ。

人間関係も絶えず変わってくる。いつまでもつづく関係はなかなかない、だから二代三代とか信頼関係がつづくとしたらそれは特別なことなのだろう。その間にはいろいろなことがあり信頼関係を維持できないのである。

母はそれにしても100歳まで生きるのだろうか?何か生きる目的が百歳を目指して日々あるように思えるのだ。百歳までを目標として生きる走るマラソンランナ-に見える。

この辺で107歳の人が生きているとなると注目される。自分もあと20年でも生きればすごいことだと思う。それが社会的に問題でもそういう長寿社会というのは人類でかつてなかったからだ。人生百歳、健康で百歳となるとやはり十分な長さだとなる。60年でもあまりにも短いのである。それだけ人間とは成長に時間がかかり何か仕事を成すには時間がかかかりすぎるのである。60歳になるとなにかいろいろなことが見えてくる、見えないものも見えてくる。だからこれだけ長寿社会になると人生を十分に味わいつつ死ぬということができる。


実際ここ6年間介護で旅にも出ないかったらもう一度印象に残ったところを見たいということになる。これが意外とむずかしいのである。同じところに二度旅することが意外とむずかしい。いろいろなことでできなくなる。だからみんな退職したら自由に生活してやりたいことをやろうとしても思わぬ病気とか介護とかでできなくなる。
そしてただその時のことを旅したことが貴重な時間となり思い出すだけだとなってしまう。何をするにしても人間の時間は限られていてたちまちすぎてしまうのである。

2013年08月22日

東電から送られた原発賠償書類の混乱 (追加の精神的損害は南相馬市鹿島区は一人4万だけ?)


東電から送られた原発賠償書類の混乱

(追加の精神的損害は南相馬市鹿島区は一人4万だけ?)

精神的追加賠償一律8万円
http://chienowa.ldblog.jp/archives/24084861.html


精神的損害賠償の対象は2万4000世帯で、24年1月から8月の間に18歳以下だったか、妊娠していた住民が対象。また、事故発生時に旧屋内退避区域と南相馬市の一部地域に住んでいた妊婦と子どもについては、避難の有無を問わず支払う。


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最初にこの書類が来たから混乱した。ええ、70万もらえるの?前に百万くらい鹿島区ではもらっていた。これは市の財政から出したので不満があった。
ただ小高などが補償金が多いので平等にしろということであえて市長が市の財政から負担した。

今回来たのは東電からだった。赤枠で70万と書いてあるからここも70万なのかと思った。それで何度も電話で確認したが取り次ぐ事務の人がはっきりしない、これは三人に聞いたが言うことがみんな違っている。
おかしいと思ったのは取り次ぐ人が賠償について明確に知らないのである。

「鹿島区に住んでいれば70万、精神的損害もらえるのですか」
「その点は明確に答えられません、」
「とういう基準で決めるのですか」
「それもこちらの方では決められません」
「公平にしてもらわないと困ります」
「それはそうですがなんともいえません」
「鹿島区に事故のあったときに住んでいた人はもらえるのですね」
「一応そうはなっていますが・・」
「本当にもらえるのですか」
「それははっきりいえません」


こん問答がつづいた。最初から70万もらえるとか思ったから強く問うたがそもそも取り次ぎの人は知らないのである。
おそらく東電でも賠償する方でも賠償する方でも相当混乱している。
鹿島区はすでに損害として一所帯百万とか賠償されていた。
それに加えて賠償されるのかと思った。結局最近新聞読んでいないので賠償のことがわからなくなっていた。

24年1月から8月の間に18歳以下だったか、妊娠していた住民が対象。また、事故発生時に旧屋内退避区域と南相馬市の一部地域に住んでいた妊婦と子どもについては、避難の有無を問わず支払う。

この人たちが賠償の対象と書いているのだからそう書いておけば良かった。
取り次ぎの人はそれを知らないのか言わないのだ。
「どういう基準で審査するのですか、鹿島区に住んでいれば70万払われるのですか」
と何度も聞いたのに答えがなかった。そもそも賠償の取り次ぎのなのに知らないのというのも変なのである。アルバイトのようなものを雇っているからわからないのだろう。原発賠償は東電でも被害者でも混乱しているために
書類の送り方でも混乱している。

最初に精神的損害70万と来たからこれをもらえるものかと思って何度も電話したがもらえるとは限らない、どういう基準でもらえるのかと何度も聞いたがわからないという。
ここの記事にははっきり書いてあるしそう書類にも書いておけばよかったのである。そもそも70万は額が大きいと思ったから何度も聞いたのである。
実際は妊婦でもない18歳以下の人がいなければ精神的損害は一律一人ここでは4万なのだろう。最初から追加の補償が四万の書類が送られてくればこんな混乱はなかった。


ただ鹿島区では精神的損害でも住民が法廷に賠償を請求している。4万だと少なすぎるからだろう。それでも原発の賠償金は3兆円になるとかあまりにも莫大すぎる。それは国の補償であり税金となると国民からの反発もある。
賠償金で国がつぶれるとかなればもう出せないとなるだろう。
すでに東電は補償金をはらえきれず国有企業にした方がいいとされるのもわかる。
原発事故はとんでもない賠償金を払わされる羽目になる。国にそれたけ請求するとなるとまた国民の反発も大きくなるのである。
鹿島区で一人70万となると大きい、やはり妊婦と18歳以下が基準だと明確に書いてあればこんな混乱はなかった。ただもう一つのこの辺の情報が不足していた。


また今度は他人のもめごとにまきこまれて混乱して賠償金でも混乱した。
何かここ6年間介護で自分の病気で親戚関係で賠償などで混乱が収束しないのである。原発事故は十年間は国が入り工事とか除染とかいろいろつづくと外部から来た人が言う。それだけの大事故だからなかなか収束しないのである。
一身上でも次々に自分は問題が起き続けているのだ。

 
 
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2013年08月24日

秋の蝉(老後は定着志向になる)


秋の蝉(老後は定着志向になる)


故郷に動かぬ岩や秋の蝉

岩二つしんみり動かぬ秋の蝉
故郷に残れる人や秋の蝉
その命残り少なく秋の蝉
ひぐらしや船着は名のみ昔かな
塩崎津波ここまで夏の暮
ひぐらしやこの道出会う里の人

ひぐらしや男夕餉の仕度かな

塩崎(しおのさき)に船着という地名が化石のように残っていた。これもいつの時代なのか?万葉集の歌が真野の草原が残っていたとしてもその時代ではないだろう。では平安時代なのか?そんなに古いものなのか?それも謎である。ただそこが海だったから船が来たから船着という地名が残っているのだ。現実に今度の津波で鉄道の線路の下のトンネルを越えて津波が来た。あそこかなり低いから塩崎まで津波が来た。塩崎(しおのさき)というのもそこが海だからそういう名がついた。その頃烏崎などには人は住んでいない、でも大内にはそが船という地名がありそが船とは船がそこをさかのぼっていくのが見えたからだという、すると大内には人が住んでいた。大内は古い地域だとなる。地名だって人が住まない限りつくはずがないからだ。烏崎であれ北海老であれ新しい地は津波にのまれたのである。海岸に接して人が住むようになったのは江戸時代なのである。松原ができたのも江戸時代である。津波は明らかに江戸時代頃から海岸線に住んで新しい地域は津波の危険地帯だった。こういう地帯が日本には多いのである。だから津波が来ればまた大きな被害になる。つまり奈良時代とか平安時代の海だったところは今回のような大津波が来たらまた海にもどる恐怖がある。


今年の気候の変なのは8月初旬まで雨でありその後急激に暑くなったことである。それでその時ひぐらしが鳴いていてなんだ夏がなく秋になったのかと思った。でも今日も暑かったように残暑もあるようだ。なんか気候が今年は変則的であり夏になったり秋なのかという変な天気である。
秋の蝉とひぐらしはまた違っている。ひぐらしはひぐらしという蝉の声であり秋の蝉はひぐらしの声ではない、秋の蝉というときお盆が終わると帰省した人も帰り淋しくなる。それでしんみりとして秋の蝉を聞くのがいいのである。

どうしても人間は60代になるとあまり動きたくなくなる。定着志向になる。だから石とか岩が老人にはあっている。それで石や岩の詩を相当書いた。その岩とはthe rockなのである。いつもそこにあり動かない石であり岩でありそれは旧知のものなのである。ますますそうした石とか岩に深く自己同一化するのがアイディンティティ化するのが人間なのである。だから原発事故で避難した老人は辛いと思う。テレビで何か仮設の外にも自由に出れないというのはやはり肩身が狭い思いがあるからだろう。自分の故郷でないから外の人に気を使うのである。小高の人でも仮設に住んで鹿島の人に肩身の狭い思いをしている。確かに補償金はもらって生活に不自由なくてもそうなる。


それにしても鹿島区でも一人70万精神的損害がもらえるみたいだ。南相馬市ではみんな同じにしないと不満があるからだろう。この額は大きいなと思った。何回聞いてもわからなかった。取り次ぐ人がよく知らなかったのである。今回の人は丁寧に説明してくれてわかった。結構この額は大きい、人数がいると額が大きくなる。職をもっていたりさらにどこかに避難したりしらさらにもらえる。やはり南相馬市までは同じにしない不満がでてくるからこうなった。相馬市は全然もらえないのでうらやましがっているだろう。


どうも整理をしつづけているが今度はパソコンがおかしくなってきたので新しいパソコンを注文した。ただ設定がめんどうなのでソフトが使えなくなるので変えたくなかったのである。パソコンにはこれまで蓄積したものが残っているからこれを整理するのがまた大変なのである。結局パソコンは記録しても常に消えるという恐怖があり紙に記録しないといけない、これも手間なのである。
cdとかUSBも不安定であり確実なのは外つけのハードディスクだった。8年前のものが残っていた。これは大量に記録できるからいい、意外とはバソコンは整理するのがめんどうなのである。
本も整理するのができなくなっている。何でも多すぎると整理すらできなくなる。

毎日毎日整理に追われて整理しても整理しきれないのである。なぜなら家事をしているから料理も整理が必要になる。自分なり使いやすくするように台所を整理して工夫していと効率的にできないのである。だから今年はもうすでに何か月も3か月4か月か仙台にも行ってないし近くでも飯館とか丸森とかでも行っていない、毎日整理に追われているのだ。賠償のこともめんどうだったり何かかにか仕事があり追われているのである。そもそも家事だけで結構な時間がとられるから時間に追われるのである。


それでもキクチスーバーの前で話した70才の人は一日何もせず昼間から酒飲んでいる。この人は仮設に住んでいる人ではない、鹿島の人だった。トラック運転手でありその話しを聞いて面白かった。
ただそうして昔の話しをするのだが現在は何もしない、昼間から酒飲むしか能がなくなっている。畑などしないので余計にそうなっている。雲雀が原の病院に行って薬もらっているとか何か変になっているのだろうか?これは仮設に住んでいるとか津波の被害でそうなったのではない、何もすることがない、何でも嫁がまだしてくれるし何も役割がない、これも危険だと思った。これからこういう人も増えてくる。こういう人は認知症になりやすい、生きがいもなにも見いだせない、知的なこともしていないから余計にそうなる。趣味もないからそうなる。だから老後は趣味もない人は無味乾燥になってしまう。でも趣味をもつにしてもそれだけの余裕と時間がないとできないしトラック運転手一筋にやってきた人はなかなか趣味などもてないだろう。そうすると老後が長いから時間をもてあますことになるのだ。認知症が増える原因がこういうところにもあるかもしれない、老人が何もすることがない、家でも余されてしまう。ただ年金をもらえるとき孫がにこにこしてジィとよってくるとか言っていた。金をくれるだけの存在になってしまうのも危険である。


とにかく自分は家事と介護とその他いろいろやっているから暇がないのである。最近特にそうだった。手伝いさんを雇うということでその人がまた普通でないのでいろいろあり時間をとられたのである。

2013年08月26日

今年は秋が早い (相馬市へ行くー花屋はフラワーアレジンメントのセンスが必要)


今年は秋が早い

(相馬市へ行くー花屋はフラワーアレジンメントのセンスが必要)


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静粛に大手門や秋の風

街道や兜作りに木槿かな


実りそむ稲穂のかなた山脈に影を写せる秋の雲かな

あわただし今年は秋の早きかな世の移りもまためまぐるしも
親戚の縁二つ切れ移る世や秋風さやかに吹きにけるかな


今年は秋が早い、夏は一時であり暑いことは暑くても短かった。梅雨が長く猛暑の夏も一時ですぎて今日は秋風が吹いていた。だから相馬市に行くのも苦にならなかった。あまり暑いと自転車では遠くへ行きたくない、強い陽ざしをあびるからだ。秋はやはり運動に向いて爽快になる。

秋というときみなは南相馬市は草原化して稲穂の実りがない、でも相馬市に来ると今までのように変わりなく稲穂が実りそている。これが今までの普通の見慣れた景色だった。それでも自分の住んでいるところはその当たり前の景色が喪失した。それもすでに二年経過したから草原の景色になじみ田んぼの景色がないから相馬市に来るとまた前の風景にもどる不思議がある。ともかく雲といい秋の雲でありめっきり秋らしくなったのが今日だった。昨日までは夏であり暑かった。親戚も二代目になると切れやすいしいい親戚は自分にはいなかった。
いい親戚はそんなにいないだろう。兄弟姉妹ならなんとか関係も保たれるがその他はきれやすいだろう。
だからかえってそういう縁は切れた方がせいせいする。そうしないと前向きに進めないのである。
ずっと津浪以来は物の整理でもありあらゆるものの整理がつづいているのでてある。


秋が早いということは世の中の変わり方も早く感じる。特に津波原発から自分の一身上の変化からここ6年間はあまりにもめまぐるしかった。家族が一人死んですでに三年は過ぎたのか?その間毎日自分は家事とか介護とか自分の病気のために追われていたのである。今もやはり追われている。


今日はまた駅前の花屋によった。その前にイオンでプリントした。あそこには大きなプリントする機械があり自動化している。パソコンで見た写真と全く同じようにプリントできる。パソコンのプリントはかえって失敗したりきれいに写らない、すると金がかかる。あそこのプリントはきれいであり安いのである。だから今ではあの商売が成り立っていることがわかった。プリントすることはもともと高かったが安い。あの仕事はプリントする高性能の機械さえあればとできるのである。自動化しているから人間のすることがないのだ。でも仕事する方にとっては何も創造性を発揮できないからつまらないとなるだろう。もう人がいらないのである。スーパーのレジだって自動化しているところがあり人をへらせる。この辺では人が自給1200円にしても来ない、とするとその減った分をできるなら機械化すればまにあうとなる。でもできないものがあり人手を減らせない分野がある。医者や看護師や介護関係は機械化できないだろう。人をもちあげる力仕事は機械化している。でもどうししても機械化できないものがある。


花屋は意外と創造性とか他にも人との対応とかむずかしい。花にも詳しくなることはもちろんだが
フラワーアレンジができないと成り立たない、フラワーアレンジは花道であるが結構創造性が必要なのである。ただ花をさすというだけではだめなのである。花をいかに活かすかということがテーマになるのだ。それは壺も関係している。だから結構金がかかるのが生け花でありフラワーアレジンメントであった。この世界は最近はじめたものであり自分にはわからなかった。なぜなら花をテーマにしても自然の花であり生け花ではなかったからだ。フラワーアレジンメントは自然の花とは違う。

だから花の種類が多いといいがなかなかそういう花屋はこの辺には少ない、百合一本800円というのには驚いた。相馬の駅前の花屋が安いのは仙台まで行って直接市場で買いつけしているかららしい。そこに仲買がはいると高くなるのだ。花の値段には相当な差がある。

ともかく花に囲まれて仕事して暮らすというのは何かめぐまれているし憧れる人もいるだろ。
ただ商売となるとまた別である。しかし花を知らないものが花屋になれるだろうか?
花をテーマにしてきたから花屋というのに興味をもったのは自分にとって自然なことだった。
でも商売と花を純粋に観賞するのはまた違っているだろう。
しかし花屋には花を知るセンスがないと成功しないのではないか?
花は一つ一つに個性があり奥深い世界なのである。だからどうしても芸術を理解する心が必要に思う。そうしたセンスがないと成り立たないのではないか?

仕事はそれなりのセンスが必ず必要なのである。
でも最近大工でもただ組み立てているだけであり大工の技が求められず衰退してゆく、チェーン店でもそこで決められた料理はできるが地元の料理を創造することはむずかしい。
そこに地元の文化が生まれにくいということがある。
ただ時給いくらで雇われる仕事は機械化される仕事なのでありやりがいがないのである。

明日また相馬市に行ってフリントをやりなおして花屋で新しい花を仕入れるからその花を買ってまたフラワーアレジンメントしてみよう。

2013年08月27日

相馬市の花屋でまた花を買う (生け花、フラワーアレンジメントは自分に向いていた)


相馬市の花屋でまた花を買う

(生け花、フラワーアレンジメントは自分に向いていた)

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 五本松ここに変わらず実りかな
 
 とりどりの花に実りや農家かな
 
 農家あれ松に実りの前田かな
 
 橋一つ一雨ふりて秋柳
 
 秋柳小泉川や城下町
 
 長々と柳の垂れてそよゆれぬ小泉川や秋の夕暮
 
 今日はまず自転車でイオンのプリント屋のキタムラで印刷しようとしたがUSBを忘れたので駅前の花屋によって花をまたあしらってもらった。葉も売っていてそれが深山の趣になっていて竜胆などがあっていた。あの葉は生け花ように作られたものだった。そんなものがあるとは知らなかった。
 生け花とかの世界は自分にとっては知らない世界だった。
 
 ただ最近旅にも行けないので定着するとやはり何か打ち込むものが必要になる。それでいいと思ったのが花をテーマとしてきたので生け花のフラワーアレンジメントの世界があることを知りこれは自分にあっていると思いはじめた。これはやはりかなり花屋に通わないとできない、近くの花屋で百合が一本800円ではやれない、あそこでは百合がふんだんに使えたから百合を楽しめた。
 それをパソコンで加工すると絵になり作品になっていた。これもまた新しい楽しみ方だった。

 プリントと見た目と同じようにプリントされる。それも安い。インタ-ネットで注文するとさらに三分の一くらいの値段になる。それは全国から注文するから安くできる。写真は配達するのも重くないから簡単なのである。店頭受け取りもできるかそんなことしていたら店屋でもうからないと思う。
 これが通販時代るき変な所なのである。店で買っても配達料とられたりする。車がないから電気製品の重いものは運べないから困る。ケ-ズデンキなどでも通販しているから保証もあるから同じなのである。店で買うメリットと別にないのである。配達料だけ多くとられるのが馬鹿らしいとなる。
 理屈にもあわないのである。
 
 花屋の世界は花屋を経営している人でないとやはりわかりにくい、ただ花屋はかなりの熟練と知識と創造性も必要である。フラワーアレンジメントとはかなりむずかしい。結婚式用の花を飾るのアレンジメントしていた。そういうのも創造的なものになる。花屋はこうしたセンスも必要だし経営しているのだからビジネス感覚も必要である。人との対応もありこれはなかなか実際は誰にでもできないものだろう。花の世界というとき自分は花は山に登ったりして自然の花を見てきたけど花の種類は多いから花はとても自然界だけから見れるものではない、世界中に花がありデルビニュウムとか青い花は最近知った。これはよく使う花らしいが知らなかった。これが写真から絵にして夏にあっていた。アフリカの方に咲いている花らしい。アフリカにも相当に花の種類があるだろう。花で美しかったのはギリシャだった。乾燥していて雑草などないから雑草の中に咲く日本の花とは違う美しさがあった。それは写真でインタ-ネットに出した。
 
 相馬市に入ると今はいつも不思議である。南相馬市までは実りがない鹿島区をでると今まで同じ景色なのである。稲穂が実り稲田が広がっている。それが普通の景色なのだけど今は相馬市に来ないと見れないか変なのである。実りがあり街道の五本松があり農家がありそこに花が映えている。
 実りがあって花も映えるのが普通である。それが原発被害地域では草原化して奇妙だけど花は別に咲いている。それは変わりないのである。でも実りはないのである。花だけがある世界というのも不思議になる。自分は花を追求してきたけど花だけで飯が食えるのか文化だけで飯が食えるのかとなるのが普通であり批判される。
 
 でも今は補償金で原発被害地域南相馬市までは結構金は入っているからそれほど苦痛でもないのだ。喜んでいる人もいる。ニートなんか新しい電動自転車を買ったり喜んでいた。一人この辺でも精神的被害が70万というのは大きいと思った。その他に働いている人はもらえる。でもこれも今はいいにしてもあとは補償金などもらえないから結構苦しむ夜討ちなるだろう。
 補償金で人間がだめになるということも書いた。だこから必ずしもいいことではない、ただ不思議なのは花というのは放射能と関係ないのである。食べるわけではないから放射能は関係ないから花はどこでも栽培しているし普通に売れる。花屋はこの辺では仙台から仕入れているから一応仙台の市場に出て出回るとなる。
 
花の不思議はなぜオランダが一時チューリップバブルになったかである。チューリップにそれほど価値が生まれたのか?でもバブルになると絵が馬鹿高く売れたように何が価値あるものかわからなくなる。チューリップにそれだけ価値があるということは豊になった証だったのである。
だから豊になれば花でも価値あるものとなるし花に投資することにもなる。自分も投資信託などして失敗だった。百万くらい軽く損している。株はもうもうからない、それなら自分の価値あるものに投資した方がいいと思った。それが生け花でありフラワーアレンジメントの世界だった。これは壺も買うから金がかかる。でも詩でも花をテーマにしたから自分の追求したものと連続性あるから自分には向いていたのである。

2013年08月29日

藤桂子新宿で自殺(夢は夜ひらく・・の青春時代の回想)

 

藤桂子新宿で自殺

(夢は夜ひらく・・の青春時代の回想)


仕事がないときは、長女に乳飲み子の藤を背負わせ、澄子は三味線を抱え、父親は長男の手を引いてふろしき包みを背負い、一軒一軒営業のために農家をまわった。厳寒の北海道で、寺の軒先や床下で寝ることもあった。澄子は目が不自由だったが、栄養失調が原因だったという。
http://dot.asahi.com/ent/showbiz/2013082700023.html


こういう人がいたということ自体今になると信じがたい、これは江戸時代ではないか?
なぜなら江戸時代には盲目の人が一割近くいたのである。原因と栄養失調だった。
それが戦後十年くらいは貧しいからこういうことがあったのかもしれない、こんな人生を送ったというのもこの頃がいかに江戸時代の延長のようなところがあったためである。
燃料が炭だったとか舗装されていない砂ぼこりの道とかで茅葺き屋根の農家とか普通にあったからである。


「夢は夜開く」という歌手も不思議である。


サルトル、マルクス並べても
明日の天気はわからねえ
ヤクザ映画の看板に
夢は夜ひらく

風呂屋につづく長い道
40円の栄光は


八百屋の裏で泣いていた
子供背負った泥棒は
ギャベツ一つ盗むのに
涙はいらないぜ
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=k-100603-079


サルトル、マルクス並べても・・・この歌詞がなぜでてきたのか?学生運動と関係していた。マルクスを読んで全学連がまだ活躍していた。サルトルというのもやはり格好つけるために読んでいた。
風呂屋につづく長い道・・風呂屋というのは銭湯屋だった。キャベツ一つ盗むのに・・・これも貧乏時代を象徴していたのだ。40円というのは当時で相当な金だった。それで思い出した。自分の家が駄菓子屋のよう三文店屋をはじめるのに借りた金が40円でありその金がなく自分の姉がやり手でありやっと借りた話しをいつも聞かされていた。資本がないと事業がはじめられないのは当時でも今と同じだった。ただその当時は店というのは簡単にはじめられた。それでどこでものさえあれば繁盛したのである。その物がなかった時代だからそうなった。40円は今の金では百万なのか、2百万なのか、4百万なのかわからないにしても相当な金だったのである。だから40円の栄光は・・・とかなる。
店というとインドに行った時面白かった。バラックの粗末な店があり新聞紙の袋を使っていた。
自分の店でも新聞紙で袋を作っていた。母は毎日作っていた。だから何かなつかしかった。
後進国で面白いのは昔が偲ばれることなのだ。


それにしても昔のバチンコ台は誰でも作れるような粗末なものだった。ただ釘を売っているだけのものだった。その台にしても粗末であり何か場末の雰囲気にあっていた。バチンコ屋は田舎町でもどこにでもあり親戚の人がバチンコ屋やりたいからと自分の家に金を借りにきたのはそのためだった。
なぜならその時自分の家は店が繁盛していたから金をためるようになっていたからである。
自分が三流大学の学生だったときほとんど勉強していない、それで暇をもてあましていた。それで結構パチンコをやっていた。当時の学生はパチンコをしていたのだ。ただサルトル、マルクスなどでてくるのは当時の学生の状況を反映していた。新宿で石を投げると学生にあたるというくらい学生も増えてきたしマンモス大学とっなっていた。三千人の講堂で授業するなど何か授業もつまらないものだったのでそうした遊びに費やす人が多かった。これも今ふりかえると不思議である。
何故ならパチンコ屋で藤桂子の歌は常に流れていたから意識せずに記憶に残っていたのである。
あの場末のバチンコ屋とあの歌がマッチしていたのである。そんな時代があったなとつくづく今になると不思議である。 あの当時は歌謡曲全盛の時代であり歌は苦手でもいい歌が多かった。
まだ情緒的なものがあり今とはかなり違っていた。フランシーヌのなんとか脳裏に記憶されている。歌の世界ではいい時代だったのである。


青春などあまりにも遠いものとなってしまった。でも青春となれば老後には何かなんでもなつかしくなるのだ。あんなことがあったのかと別な角度から思い出すのが楽しみになる。歌詞がこんなものだったということがわからなかった。これは時代を象徴した歌詞だったのである。
青春というのは何でも今でも何か熱気でエネルギーでむんむんしたものがある。それは性であれ何であれそうなる。そういう熱気は青春特有のものでありそういうものを失うとただ思い出すだけになるのだ。藤桂子は雰囲気もこの夢も夜ひらくも頽廃的なものがあったのだ。だから最後は新宿で死ぬのもふさわしいともなった。あの当時の青春は音楽が全盛期だというときその歌一つ一つに思い出がよみがえることがあるだろう。それだけ歌が多様だったのである。その歌の一つが夢は開くでありこれがパチンコ屋の場末の雰囲気とぴったりだったのである。


藤桂子が死んだということは一つの時代の終わりの象徴だったのかもしれない、団塊の時代の青春の象徴の歌手でもあった。これは学生だけではないやはり中卒で集団就職したような人たちもこの歌を聞いていた。当時の時代の雰囲気がこの歌にありそれで藤桂子が死んだということが一つの時代の終わりを感じた。美空ひばりは戦後の象徴としてあったが藤桂子はその後の時代の象徴だったのである。戦後十年は何か江戸時代の自給自足のつづきであり貧乏でもなつかしいものがあった。
だからこんな江戸時代と変わりないような生い立ちがありその後は華やかなスタ-時代があり没落頽廃して新宿で自殺したというのもそういう人生のゆきつく先が見えていたともなる。
でも藤桂子の娘はヒカルはアメリカで売り出したとか藤桂子もついていったとかやはり国際的になっていることもその後の時代を象徴していたのである。


人間の運命は青春時代の延長としてありその時にその最後も見えることがある。この人はこんな人生を送ってゆくなとか見えることがある。こうした頽廃的な歌から最後も結局頽廃的となり自殺になり新宿で死んだのである。青春時代は真面目なものを志向すへきであり頽廃的享楽的になるとその後の人生がこんなふうに自堕落になり虚しく生を浪費することになる。自分の青春もカルト宗教団体に費やされたり虚しいものだったがそもそも一時は頽廃的でももともと真面目志向だからそうはならなかったのである。全学連でもカルトでも真面目志向の人が入っていたが方向が間違っていたのである。青春時代はなかなか先が見えないから暗中模索になるのが普通なのである。それが老人になるとあの時そういうことだったのかと見えてくるのである。


一時の華やぎ過ぎし青春や新宿に死す歌手のあわれも

釘打ちの木製のバチンコ台虚しくも費やされにし青春の時


 

posted by 老鶯 at 03:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層