2013年08月01日

ディオバンのデーターを製薬会社の社員が捏造 (原発事故と同じ構造、科学者と会社の責任問題)


 ディオバンのデーターを製薬会社の社員が捏造

 (原発事故と同じ構造、科学者と会社の責任問題)


●科学が実用技術一辺倒と結びつく危険

 東京慈恵医大と京都府立医大の研究は、数ある降圧剤の中で、ディオバンと既存薬のどちらが患者に有益かを調べた。いずれもディオバンを使えば、血圧値の抑制のほか、脳卒中や狭心症も減らせるとメリットを強調する結果だった。


病院と医者が崩壊寸前だ。全国の病院の半数以上が赤字になるなかで、崖っぷちに追い込まれた病院で、信じがたいことが起きている。
暴力団(=在日)と手を組み、ホームレスに生活保護を需給させ、青天井の診療報酬を吸い上げる病院。
過剰な治療や診療を施し、不正に診療報酬を得ようとする病院。「患者はカネの成る木。悪くいえば餌食ですね」。



腎臓とか前立腺とかいろいろ病気になってここ三年くらいディオパンというのを飲み続けていた。これは必ず飲まされる。血圧を下げるから他の病気でも必ず飲まされる度合いが高い薬だった。その理由が他の薬より臨床実験で効果があったというデーターが論文で出ていたからである。その論文のデーターが会社員が研究者として入り込み捏造されていたのだ。医療も今は金になる一大産業でもある。薬は昔から丸儲けというくらいもうかる。病気になれば祈るようにして薬をみんな飲んでいる。
人間の一番の弱点は病気だった。自分もここ四年くらい病気だったから苦しかった。病気でも介護しなければならなかったから苦しかった。誰も助けるものがいないで一人だったから苦しかった。
プログに書いたように南相馬市立病院に一か月入院して公立相馬総合病院に二週間入院した。
その苦労を書いてきた。そして一番なじみの薬がディオパンだった。これは他の人も一番飲んでいる薬なのである。何しろ老人は血圧が高いからこの薬を飲むのである。だから薬の会社としてはこの薬だけで相当な収入となる。データーの捏造でも効果がマスコミを通じて宣伝されていたから余計に売れたのである。


ここで問題になったことは会社と大学の研究所との連携で利益供与がなされていた。研究には今では多額の金がかかるから会社がかかわりそのために大学でもその金が欲しくて会社のデータ-捏造にかかわることがある。産学協同というのは今は普通にある。今は大学と会社は一体化しやすいのである。もともと科学は哲学からはじまり技術と実用とにはかかわらない理念の追求があり科学者というとき今の科学者とは違っていた。ニュ-トンでもキリストを信仰して神の摂理を科学を通じて解きあかそうとしたのである。実用とは何の関係もなかった。ただその理念の追求が重力の原理などとして宇宙開発に利用されたのである。科学と技術は実用とは別なものだったのである。

一般的には鉛から金への物質変成など「利殖」が目的とされるイメージが強い錬金術ではあるが、生命の根元たる「生命のエリクシール」を得ること、つまりは不老不死の達成こそが錬金術の究極の目的であった。


金を生むという意味から転じて、安い元手から高額の利益(この時点では金の意味はgoldからmoneyに転じている)を生むようなビジネスモデル・投資や、資金洗浄に利権を指して「錬金術」と称する場合がある
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8C%AC%E9%87%91%E8%A1%93


一方でprofessionとは


ある宗教または信仰を受け入れる確言
(affirmation of acceptance of some religion or faith)


a profession of Christianity キリスト教信仰の告白
ある信念または意見の公然の(真または偽の)言明


神との約束を受け入れ実行する誓約する」の意味だったという。ヨ-ロッパでは常にキリスト信仰の上に職業も科学もあった。だから神との誓約が何でも第一に置かれた。科学者もそうであり神の前に誓い不正を行わない、神の御意(みこころ)を実行するために職業があった。そこに極めてモラルが高いものとして職業もあった。資本主義もそうしたキリスト教のモラルから生まれたのであった。

そのモラルが欠如したとき実益第一主義になり社会は会社となり会社の利益第一主義がグロ-バル化したのである。神の前に誓うということが利益第一主義に暴走しないものとして社会を誓約していたのである。会社には利益第一主義しかなくモラルが欠けるから問題を起こす、でもそれを制御するもの、思想であれ哲学であれ宗教であれないのである。鉛から金に変える錬金術はあまりにも魅力的であり悪魔の誘惑でもあったから悪魔の言うなりになり世界はサタンのものになってしまったともなる。

●原発事故と同じ構造があった

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錬金術はなぜいかがわしいとされたのか?それは科学者ではないもちろん哲学者でもない、鉛を金に変えること利益を生み出す魔法とも考えられていた。科学が哲学から発しているように科学者は錬金術師でもないし技術者でもない、技術者は職人であり職人ギルドの中で培われた。現代の科学はかえってみんな錬金術になっている。そうされているともいえる。それはもともと病気は深刻だから信仰が仏教でもキリスト教でも病気を直すことからはじまったようにその切なる願いが要請されて錬金術師が生まれた。誰でも病気になればなんとか直したいとなりそれか切実なるが故にただ理念だけを追求する哲学科学では満足しないのが人間である。だから実用の技術と錬金術化するのは必然の流だったともなる。それが過度な要求となり大学も利益追求を第一とする会社と一体化して不正を働くようになった。現代は会社社会であり会社が社会になっているのだ。社会の一員より会社の一員として生きているのが現実である。となると会社員は会社組織に従属して会社の利益追求を第一とした戦士としてあり会社には逆らえないのである。それで大学にも研究員として送り込まれデーターの捏造が行われたのである。これがマスコミで宣伝されて病院でも当然信用されるから過剰に売れたとなる。
ここでもやはりその不正を審査するものはなかった。公的機関もないし誰もその研究データーを疑うものもなかったのである。マスコミなどただ金がもらえればいいというだけでありここも利益供与、宣伝費で成り立っているのだから会社から金が入らなければ成り立たないのである。

この構造は原発事故が起きた原因と一致している。東大を中心とした核の研究所も東電に買収されていたし科学者は御用学者となっていた。国も東電に買収されて保安院は原発の安全性など関知しなかった。ただ東電の命令のままに見過ごしていたのである。また原発の安全性を計る能力もなかったのである。現代の科学実用技術崇拝社会の危険性は常に会社の利益第一主義から起こりそれに歯止めをかけるものがいないことなのだ。東電のような何百億もマスコミに金を使ったり大学の研究所にもふんだんに金が使える、もちろん天下り先として検察までもとりこむことができる。そうした巨大な国家並の権力をもっていたのである。これはもう国家の中の国家となっていたからその権力を制御するものはいなくなっていたのである。だから安全神話までになっていた。コストカッタ-として清水社長がのしあがったのもそのためである。利益第一主義でありそれが社会を席巻して歯止めがきかなくなる。もう利益第一主義のために科学の危険な暴走もあえて行なっても見逃される。それをとめることができない、だからこそ安全神話は形成された。それはこの巨大な東電の権力によって形成されたのである。核技術も錬金術であり核を研究していた科学者が会社と国の権力と一体化したとき作られた。アメリカで戦争目的で科学者に核開発要請した。それでアイシュタインも核開発にたづさわり責任者だったとして批判されるようになった。科学が技術実用一辺倒になったときそれにはどめがかけられず長崎広島の原爆の惨事となった。それは過度に会社の利益第一主義と科学が結びついた結果だったのである。


●会社がグロ-バル化して国家も制御できない


現代の問題はあらゆるものがすべて利益第一主義になりかつての哲学や科学のもつ意味が失われた。科学者は国家の会社の巨大権力の一歯車と化して利益第一主義となり科学は技術は暴走してもとめることはできなかった。つまり利益を生むということは鉛を金に変えることでありその魅力があまりにも大きすぎたからその虜(とりこ)になってしまう。そこに大きな危険がひそんでいたことが見逃されるのだ。現代は利益だけが金だけが社会を動かす原理となっている。だからこそ会社が社会となり利益優先主義がグロ-バルにすすめられて環境破壊も起こる。会社がすでに国家より巨大化したのである。それを抑えるものは国家にもないグロ-バル企業として世界を支配するまでになっている。常にアメリカを支配しているのはロックフェラーだとロスチャイルドだとか言われるのはそのためである。会社のためにアメリカが動かされ世界は巨大な会社のために利益第一主義のためにある。そうなると環境破壊などとめられないのである。国家も会社の利益を推進させるためにもあるのだから国家でもとめられないからもうとめるものはいないのである。原発事故もそういう構造の中で起きてきた現代の文明の問題立ったのである。

医療にも過度の実用技術信仰が起きていて巨利を生むから原発と同じような問題が起きる。また病院でも利益第一主義にならざるをえない状況も生んでいる。すると会社の利益のために過剰に薬を供与したりすることが普通に行われている。これは公共事業でも同じ構造がある。ゼネコンのために会社のためにいらない道路が作られて税金が無駄使いされる。それもゼネコンから自民党に献金がありそのためにゼネコンに仕事を提供して票も獲得する。そうした利益見返りの政治が復活した。民主党のコンクリートから人と言う理念は悪いものではなかったのである。ではなぜ崩壊したのか?それは理念と現実の乖離だったのである。理念を実行しようとしても民主党には現実対応能力がなかったのである。政治力、行政能力がなかったのである。そのことは小沢一郎氏も指摘していた。政権を運営する能力が民主党にはないと言っていたことでもわかる。長年政治にたづさわっていたからそのことを経験から知っていたから言っていたのである。民主党は共産党だったのである。反対を言っていればいいだけの政党だったのである。現実に対応できる政党となっていなかったのである。
 

2013年08月02日

カボチャの花(養蚕した兜造りの家が結構残っている)


カボチャの花(養蚕した兜造りの家が結構残っている)

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この家を近くで見たのが下の写真と絵にした写真である。
(六号線-八沢浦付近)

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日立木へ入る道

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ここには隣り合って二軒兜作りの家がある

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日立木の碑-字に注目

カボチャの花薪積む家や旧家かな
碑の埋もるカボチャの花や馬頭観世
蝉の音のひびきて暮れぬまちば橋
城跡や曇りてひびく蝉の声
 

雷のときに「くわばら、くわばら」というのも、雷神(火雷天神・菅原道真)に対してここはあなたの領地の桑原ですという意味があるという説もあります。
ちなみに京都には京都市左京区、中京区、丹南市、向日市に桑原とつく地名があるようです。
ともあれ、桑には雷が落ちないということから、雷神(天神)は桑(蚕の餌)には雷を落とさない→天神は蚕を守る、と関連づけることが出来るかと思われます。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1287419592


これは知らなかったな、この碑は日立木にある。良く見ると養蚕をした家は結構相馬藩内でも残っている。これは全国的に残っているがこの辺でも残っていた。ただ良く見ていなかったのである。
養蚕は大正以後に絹製品が輸出製品となったので全国どこでも盛んであった。時代は新しいからまだ兜造りの家が残っている。

自分の子供のときも裏の畑は桑畑だった。桑原まではなっていなかった。麦畑と交じってあった。
京都でも桑原という地名があるのはそのためである。

ともかく養蚕した家を見ると何か生活感を濃厚に感じるし土着的なものを感じる。養蚕は桑が必要であり農業でもあった。そして地元で生産して工場も地元にあった。極めて土着的でありその土地と農家と工事が一体になっていたのだ。自分の母方の祖父が機織り工場を経営して失敗したのもそのためだった。


今は農家でも農家らしくない、写真にとったのは六号線沿いでありこれは今までわからなかった。
これはいかにも古い家であり何か絵になっている。生活感がにじみでている。いかにも農家らしい。これは新しくなると農家らしくなくなり普通の家になり区別がなくなる。
曲屋なども会津で見たが昔の家はやはりそれなりの生活の重みがあった。今は農家でも何か生活の重みが感じられないのだ。機械で農業していると何か田んぼでも畑でも工場のようにも見えてしまうのである。農村的田舎的風景があるとしたらそこに養蚕をしていたような生活があったからである。
そうした生活が風景も作っていたのである。風景は人間が作り出したものでもあった。松原もそうだった。そこに生活があって風景が作られていたのである。


今年の天気は変である。梅雨が長く寒いくらいだ。一方で西では三五度とか猛暑である。こういうのもめずらしい。夏は夏らしい気分を味わいたい、でも三五度になったらもう夏は嫌だとなる。
自分は暑さにも弱いから暑い所には住みたくない、浜通りのいい面は暑く寒くもないということだったのである。気候的にはいいところだった。

 


 

2013年08月03日

夏の夕(ようやく梅雨が明けたのか?)

 

夏の夕(ようやく梅雨が明けたのか?)

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外よりの人や飛び交う夏燕

月見草夕べ川面に波紋かな
声のみや老鶯見えず草葎
虻二つなお唸り飛ぶ夏の夕
虻二つ草茫々や夏陽没る


今日は梅雨あけたのか?今年は梅雨が長かった。空の感じでは梅雨があけたようだ。
この辺は外から来た人は実に多い、除染だ、工事関係だとか多い。だから前よりかなりにぎわっている。これだけ人が出入りしているのだから活気が出ているのだ。レストランとかは混んでいる。
だから時給1200円で募集しても人は来ない、これだけ新築の家が建っているのも何か活気を出している。家などたまに一軒二軒くらいしか建っていなかった。住宅地は整備して用意しても家など建たなかったのだ。空き地のままだった。それがどんどん宅地に建っている。
まずこれほどの変わりようを見るとは想像もできなかった。
あまりにも変化が大きかったから追いついていかないのだ。
人間の社会がこう変わるものだという驚きである。自然すら変わるとは思いも寄らなかったからだ。何か夕べにたくさんの燕が飛び交っている。それは外から来た人たちをイメージするのだ。


川には何か夕べ波紋が広がる。自然は水に調和している。青鷺がいた。何かようやく夏らしい。


夕風や水青鷺の脛をうつ 蕪村


これは俳句としては名作だった。今日も夕風がそよぎそこに青鷺がいた。それでこの句を思い出した。夏の夕暮れは気持ちがいい、ただ今年はなんなのだろうか?もうお盆も近いし秋になってしまう。
夏は相当に短いともなる。これから暑くなるのか?天気は毎年変わっている。

そろそろちょっと遠出をししてみたい、飯館の方に行ってみたい。
ただ毎日家のかたづけがまだ終わっていない、家を自分で改造している。模様替えしている。
ある程度できるのかもしれない、天井で張りつけるだけだったら模様替えできるかもしれない、棚なども簡単なのは作れるだろう。今は大工とか人手不足だから頼めないのだ。
家はすでに一千万とかでリホームしているしこれからまたリホームするけどそれは自分の力でする他ないのだ。なんか自分の家が古い旅館みたくなっている。一人二人なら泊めてもいいかもしれない。ただまだ改良が必要である。


草茫々とか草葎とかいうときこの辺は田んぼがないのだから草茫々であり草葎の景色である。草葎は河原であるが老鶯が鳴いている。姿は見えない。
虻二つが唸りなお飛んでいる。辺りは草茫々だからかえって野生の虻であれ活気づいたということがある。
この辺は原発事故があり津波の被害もあったが原発事故の被害には補償がある。相馬市になにもないから損だった。この辺でも精神的被害の補償として一人70万もらえるのか?
原発事故の補償は場所によってはもっともらえるから得である。
でも将来的にはそうした金を使い果たすとするとかなり困ってくるだろう。
土地は恒久的な収入源だけど金は一時期のものとしてしか財産の価値がないのである。
だから必ずこの辺は外からの人も入って来なくなったらもう夕張のようにさびれてしまうかもしれない、ただこの辺の得は沖縄のように被害者特権地域となったことなのである。

もうだから国にたかるというかせびるとかそういう特権意識が生まれてしまったのである。
こんなに補償もらえるんだということで不満がおさえられているのだ。
それでも他で土地を買ってすむとなると一億が必要かもしれない、それより土地が買えなくて家が建てられない人が多いのである。
まだまだこの辺は混乱がつづく・・・

 
 
 

2013年08月04日

たまちゃんへ (すみません、コメント見過ごしていました こっちからコメントできない不具合もあるようです)


すみません、コメント見過ごしていました

自分のコメントが表示されない不具合があるようです


「今日の一句、一首」の方は「相馬郷土史研究」と違ってコメントないですから見ていなかった
メールなど一か月とかみないこと自分にあります
ほとんど反応ないですから
でも数として相当数読まれいるみたいです
ブックマークが二つのプログで2000くらいになっています
だから常時ふたつ合わせて2000人くらい読んでいるのかとも思います
ただ詳しくは分析できないです


自分のつきあった人はあまりにも自分のしたことに無責任だった

借金したの見栄とか自分のせいだったのに
それが自分が病気になったことを良いことに
その弱さにつけこんで借金しようとする
自分に責任転嫁されました
やはり追いつめられているからそうなる
そういう人はもう犯罪者に近い
借金に追われている人は自分が悪くても
追いつめられているから責任転嫁して
他者がみんな悪いとなる


カルト宗教団体に入っている人はまず勝手ですよ
自分の責任なのに自分の責任は問わない
自分に責任があってもそのことは問わず
神仏に祈ればなんでも願いがかなえられると思う
だからこそあれだけ増えている
それだけせ無責任な人が多すぎるということです


まあ、自分は病気も回復したので楽になりました
病気になるとどうにもならない
神仏にも他者にも頼るようになってしまう
病気になったらどんな強い人も弱くなる
ただその病気につけこまれたのが一番辛かった
人の非情さを身をもってしりました

まあ、自分の場合はいい方向に向かっているみたいです
 
posted by 老鶯 at 22:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2013年08月05日

月見草(湿気の国、日本の文化)


月見草(湿気の国、日本の文化)

玄関に舞い去り消えぬ黒揚羽時折人来て雨しととふる
家の前花を飾りてしわれかな誰か見なむや雨しととふる
草深く今日も咲きにき月見草何を言わむや雨しととふる
この道に今日も隠微に日影蝶舞いつつ暮れぬ草深しかも
月見草草深く咲き日影蝶今日も舞いつつ夕日さし暮る
 


岩にしみいる雨

しとしとと石に雨ふる
しとしとしととしと
石にしみ入る雨水
石は動かず千歳の重み
石は苔むしもの寂び
徒言を言わず古りぬ
石は隠れて重みを増しぬ
しとしとしとと雨のふり
蝉時雨のここにひびき
その声の岩にしみ入りぬ
しとしとしとと湿り気の国
日本の石は皇(すめらぎ)の巌となりぬ

 


ヨーロッパの)牧場的風土ーーー理性の光が最もよく輝き、(日本の)モンスーン的風土はーーー感情的洗練が最もよく自覚される


モソスーン域においては、暑 さと結び付いた湿気すなわち 「湿潤が 自然の恵み を意
味す るか ら」[和辻,1979,p.30]で ある。 「暑熱 と湿気 との結合」のお かげ で植物 は豊 かに茂り、動物 たち も繁 栄す る
和辻 哲郎 著 『風 土』



日本は湿気の国だから畳になり湿気に対処する文化が生まれた。畳は湿気を吸う感じがする。湿気だから湿潤だから植物も草も繁茂する。繁茂する速度が早くなる。ヨ-ロッパでは雑草がなく牧草地帯になるから自ずから牧場になっている。イギリスなどは丘陵がゴルフ場になっている。自然がゴルフ場になっていたのだ。
うちしめりあやめぞかをる時鳥鳴くや五月の雨の夕暮


うちしめる・・これがなんとも日本的なのである。菖蒲は梅雨の時期に咲き湿りを象徴している。


故郷の墓地の細道土しめり猫の歩みて吾も歩むかな

この歌は斎藤茂吉のまねたけどその本歌がわからなくなった。ただ墓地の土が湿っているということがいかにも日本的だったのである。この湿りはまさに命に通じていた。魂に通じていた。墓が乾いていたらそこに命もない、霊魂もない、花だって土が湿っていないと咲かないからだ。でも日本の湿潤の風土ではそうでも世界でそうではない、別に墓は砂漠にも乾燥地帯にもあるからだ。だから世界では日本のように感じないのだ。ただ湿っていることが外国でも同じ様な意味になっているのがある。

この単語、元々は「体液」のことを表しました。humid (湿った)とか humidity (湿度)という単語がありますが、実は humor はこの humid や humidity と語源的につながりがあるのです


湿っていることがユーモアになっている。ドライが乾いているがその反対語でありドライになるということは何か割り切ったものとして冷たいものともなる。日本には乾いたが別に英語のようにドライという意味にならない。英語はドライな風土に由来しているともなる。ただ英語の基がドイツ語だとするとドイツは霧深いからそうともいえない、英語の元がドイツ語でありドイツ語の元は印欧語とかなると乾いた土地から生まれた言葉につながっているからかもしれない、ドライということはやはり砂漠とかの乾いた風土から生まれた言葉なのである。その反対としてhumidがありhumorがありhumanがある。humanは人間湿った所から生まれたということでは共通しているのかもしれない、湿りは水であり生命の基であるからそうなる。人は湿りがなければ生きていけないのである。wetが湿っているだからやはり機知も湿りから発している。ただドライという感覚は日本人にはないのである。
割り切るというとき割れるであり乾いたではないからだ。


湿りというとき「静けさや岩にしみいる蝉の声」この芭蕉の句が生まれたのは極めて日本的風土からだった。まずしみ入るという言葉が他にはない言葉である。濡れた岩にじいじいと蝉の声がしみ入ってくる。滴ってくるというとか言葉もそうである。したたるという言葉も他の言葉にはなく訳せないのである。ただこの句ができたのは沈黙の世界の江戸時代だったからである。江戸時代の文化は鎖国により閉鎖された結果として日本的感性が特別磨かれた時代だったと解釈するのも一理ある。
純粋な日本文化が300年の間に醸成されたのである。だから江戸時代にしかこうした句は作れないから不朽のものとなっている。現代は喧噪騒音の時代だからこうした内面的深さにいたらないのである。


月見草なんかも何か雨とにあっている。日影蝶というのも何か田舎にあっている。毎日隠微に何羽か舞っているのだ。


ともかく今日も雨であり今も雨がふっている。梅雨の時期が今年は長がかった。梅雨から秋になるかとも思える。でもようやく夏らしい暑い日がやってくるらしい。夏がないのも淋しいとなるから30度くらいだったら夏もいい、ただ西のように35度になったりしたらもう住みたくなくなる。気候の変化に弱いので暑さすぎるのも寒すぎるのも嫌なのだ。だから福島県の浜通りは気候的にいい場所だったのである。

posted by 老鶯 at 22:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本(世界)文化文明論

2013年08月07日

便利すぎる文明の不安と危険 (電気の貴重さは?燭や薪や炭のように実感できない)


便利すぎる文明の不安と危険

(電気の貴重さは蠟燭や薪や炭のように実感できない)


●社会が目に見えて把握された自給自足の時代


人々が着る衣服は大部分家庭においてつくられた。家族の者たちは通常、羊の毛を摘むことにも羊毛をくしけずりつむぐことにも機織りを使うことにもなれていた。ボタンを押して家中を電灯の光でみなぎらせるのではなく照明をうる全過程は動物を殺してその脂肪を精製することから蠟燭のシンをつくってこれをシンの中にひたして?燭をしあげるまで面倒な手順を逐一踏んで行われるものだった。
麦粉、材木、食料品、建築材料、家具から金属器物、針、ちょうつがい、金槌などの類までその供給は近くで行われそこがしばし隣近所の寄り合いの中心であった製作所で行われたのである。

知識を授けるための実物教育をどれだけやっても農場や庭園で実際に植物や動物とともに生活して世話するうちに農場や植物に通じるその呼吸にはとうてい代わりうべくもない・・・
(学校と社会-デュ-イ)


今なぜまともな人間形成ができないのか?デュ-イが学校を批判したことは当然だし今でもそうである。学校は人間教育の場ではない、学校という場は今では社会から切り離された場なのである。社会と結びついていない、知識だけを教える場所である。その学校を批判しても現代が世界的にも学校なしではありえない社会だから学校を廃止して別なものなど作り得ようがないのだ。

ただ人間は今の問題を考えるとき常に過去にさかのぼり過去からどういうふうに現在にいたったのか知る必要がある。するとこの指摘のように教育は自ずとその生活する場でなされていたのである。


●電信柱の時代


戦後十年くらいまでは燃料が炭であり江戸時代から自給自足の生活の延長だったのである。だから自分の子供時代の経験は貴重だった。電気は裸電球一つくらいで使っていない、なぜか自分の家では駄菓子屋をはじめてその前に電柱が一本あった。そこは舗装されていない、その電柱が不思議な存在感をもってよみがえってきた。なぜなら電柱というものがその当時今とは違って何か文明の象徴のようになっていたかもしれない、その電柱は木の電柱だっかたことも当時を偲ばせる。この電柱のあるところにベンチがあり子供が群れていた。キャンディなどを食べて群れていたのである。この電柱の思い出は水害のときこの電柱に流れたものが流木がぶつかり自分の家が流されずにすんだのである。
この時の家は平屋でありトタン屋根であった。ブリキ屋が近くにいたというのもそのためである。
賢治の童話の「月夜の電信柱」で電信柱が歩く話しがあるのはやはり電柱が何か今とは違って存在感があり人間的なものに見えたからかもしれない、


「ドッテテドッテテ、ドッテテド
 二本うで木の工兵隊
 六本うで木の竜騎兵
 ドッテテドッテテ、ドッテテド
 いちれつ一万五千人
 はりがねかたくむすびたり」


木の工兵隊、六本うで木の・・・ここで電柱が木であり電信柱が軍隊に見えたというときまさに文明が田舎の町に軍隊のように進出してくる様を描いている。まさに電気そのものが文明化するものだった。


はじめて電燈がついたころはみんながよく、電気会社では月に百石ぐらい油をつかうだろうかなんて云ったもんだ。


月に百石ぐらい油をつかうだろうかなんて云ったもんだ。つまり電気を起こすのにどれくらいの資源を使うのか当時の感覚で計算していた。百石と計算するのはまるで江戸時代の感覚が残っていたということである。電気もその頃人間的感覚でとらえようとしていたのである。
現代ではあらそるものが人間的感覚では計り得ない世界となっている。その規模も巨大であり電気を計るなどできない、特に原発になると全く素人には想像もできないアンタッチャブルな世界となっていたのである。


●人間的感覚でとらえられない世界の危険


現代の問題はデュ-イの言うように具体的な事物、存在から世界を把握できない、世界観を確立する場がないのだ。そして学校では非情に抽象的場としてあり現代文明を象徴した場所なのだ。そこで人間形成が行われない、むしろ村社会での場の方が人間形成しやすい、そこには確かに人間的などろどろしたものがあるがやはり人間的な場として社会を知り人間形成するのである。
学校ではやたら数字ばかりおいかける。理科系では数学でも物理でも化学でも数字が一番大事なのである。膨大な数字の世界として世界を認識する。それはまさに抽象的世界として世界を認識する。
それが最初の学問の場となっている。現代は極めてすべてが抽象的な世界であり人は数字化してとらえらているからまた学校も社会の一部だからそうなりやすい、数字的観念として社会をみるようになってしまう。

なぜ今の社会は人間形成されにくいのか?社会が見えないからである。社会での役割も認識できない、社会で自分がどういう役割を果たしているのか見えないのである。無数のパ-ツに細分化されているから労働もパートであり全体の役割を認識できないのである。そして今は自然にじかに接触して生活するより機械を通じて世界に接触する。これも抽象化をすすめる。機械を通じてみるものと現実の世界は違う。デジカメでも機械を通して新たに見えるものを作り出したことはあるが一方で機械を通じて見えるものと実際の人間の五感で感じ取るものとは違っている。人間でもインタ-ネットなどでは言葉だけのコミニケーションになると問題が生じる。生身の人間と接しないから誤解が生まれやすい。人間は生きた動物と牛でも馬でも接していればそこからじかに影響を受ける。機械とばかり接していれば人間も機械の性質を帯びてくる。機械社会は人間を機械としているというのもそのためである。だから老人は機械が苦手になるから社会から取り残されるということもある。抽象化している世界は老人にとって苦手なのである。認知症になると漢字を書けなくなるのもそのためである。文章を読めなくなるのも言葉が極めて抽象化されたものだからである。
現代が電気の時代というとき、電気がどうしてつくられるのか?それを知り得ることは普通はできない、


ボタンを押して家中を電灯の光でみなぎらせるのではなく照明をうる全過程は動物を殺してその脂肪を精製することから蠟燭のシンをつくってこれをシンの中にひたして


こんなふうにして照明が得られるということを感じることもできない、だから現代はあらゆる所で無駄が多すぎるのだ。照明をうるのにも動物が犠牲になるとすればさらに照明は貴重なものとなる。江戸時代の蠟燭もこれと同じ様に貴重だった。そういう感覚が現代から育ちようがないのだ。毎日大量のゴミをなげねばならない、ゴミの処理に追われている。電気もボタンを押せば使える、たから電気に対して貴重なものだという感覚が起こらない、魔法のように電気はボタンを押せば使えるという感覚になる。ところが実際は電気を作ることは途方もない労力と危険があったのだ。火力発電所にしても石油を手に入れるのに中東まで行って命懸けで得なければならないし原発でも一旦事故になれば国が滅びるほど危険なものだった。途方もない危険の中で電気がつくられていたのである。でもそれを認識する方法がなかった。現代は一個人など計り得ない世界で経済も動いている。


●数字化抽象化された文明社会の不安


原発はその象徴だったのである。放射能にしてもただ数字としてしか計測できない、これも極めて抽象化されたものであり人間的五感で感じえるものではない、ただ数字としてしか感じられないのだ。別に電気だけではない、あらゆるものが数字としてとらえられている。銀行に貯金している金でも実際は数字にすぎないという、だからいつかその数字はゼロとなっても不思議ではない、かえって米俵を蔵に積んでいるとか、何か物でもっている方が安心だともなる。

数字ほど頼りがないものはない、だから金持ちでも金だけもっている人は金持ちのように思えないだろう。土地をもって家をもって何か具体的な資産の方が金持ちなのである。昔の金持ちは山村でも山をもっていれば木材は資源であり売れるから金持ちなのである。そしてこの辺では補償金で金をもっていても土地が買えないと嘆いている。土地は高くなっているしそもそも土地は簡単に売らないから土地自体が手に入らないのである。そうしたらいくら金があっても金は役に立たない、価値がないとなるのだ。


昔の燃料だったら火をおこすのに大変な労力がかかった。薪であれ炭であれそうである。そしてその燃料の材料は近くの森であり山にあるから人間的感覚でとらえることができた。炭でも薪でも使うときは無駄にはしない、無駄にできないのが昔だったのである。山から薪をとるにも運ぶのにも燃やすのにもボタンを押してできるものではない、そこには人間の労力がかかっていることを肌で感じていた。前にも書いたけど人間でも自ら労働してみないと労働の価値を実感し得ないのである。汗水たらしてみないと労働の価値を実感しえない、家事でもそうである。今でも機械で便利になっても以前として人間の労力がかかり価値を生み出している。


電気は膨大な無駄が生じる。無駄をしても無駄を感じないのである。こうして文明がすべて人間的感覚から離れてゆくとき原発でもあるとき事故が起きてとりかえしのつかない事態になる。グロ-バルな影響すらある。世界が崩壊するという危機が起こる。誰も原子力発電の構造とか原理とか知り得ようがない、そしてある時突然事故が起こりメルトダウンして手のほどこしようがなくなり住むことさえできなくなってしまう。
便利すぎる文明は実は安価なものではなく安全なものではなく大きな危険がひそんでいた。それは世界を崩壊させるほどの危険でもあった。あまりにも便利なものを追求することは危険があった。
では江戸時代にもどれというのか?それはまた違った問題としてある。このように便利すぎる時代と過去を比べて現代を相対化する作業のなかで未来が模索され見えてくるものがある。

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2013年08月08日

夏らしくなった(夏の花の短歌)


夏らしくなった(夏の花の短歌)


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 昔なれ市庭の名や夏霞
 草原の緑に山は夏霞


おのがじし睡蓮の花影写し乱れざるかな水のおもてに

睡蓮の花咲く池に川蝉のたまゆら見えて隠れ消えにき
鬼百合の命燃えむとなお咲きて隣に山百合匂い咲くかも
森の中山百合咲きて雷鳴りぬ雨しとどふり匂いけるかな
ほのかにもこの道の上に咲き残る合歓の花かな夕べ帰りぬ

のうぜんの花に朝蜂数匹の群れて蜜のありかを探しぬ

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今日は夏霞だった。草原の向こうに山が確かに霞んでいた。草原の緑がいかにも夏らしい。田んぼとはまた違っているのだ。この風景はやはり北海道なのである。何度も書いたけど草原の感覚は今まで日常的に接することがない風景なのである。日本はどこにいっても田んぼの風景だからだ。ただ北海道だけが違っていたのだ。


塩崎には市庭と船着という地名が化石のように残っている。この地名はいつのものなのか?あそこまで現実に船がきていたのだから船着になったのだ。今回の津波でわかったように六号線まで烏崎の船が流れてきたのには驚いた。線路くぐって塩崎まで本当に津波が来たのだ。だからもともとあそこは海だったのである。でもその時代は平安時代説かなくのか?奈良時代にすでにその地名があったのか?真野の草原と関係あるのかとなると不明である。ただ市庭ということはそこに市が開かれて物資の交換などが行われたのか?ではどんな物資が集められたのか?そういうことは全く不明であり想像もつかないものとなっている。


いつもの川子の森を行き睡蓮の咲く池を見ると池にちらっと翡翠が見えて消えた。ええ、あんな所にもくるのかと思った。翡翠は平地でも結構見れる。餌のあるところにはくる。あれはまさに宝石である。


合歓の花はすでに散ったがかすかに残った花が咲いている。淡い恋の終わりのように咲いている。
人間も肉体的に執拗に交わるのがいいとはならない,淡い恋というのも恋なのかもしれない、おそらく恋というのは別に男女関係には限らない。何かほのかものとして残るものである。
恋というのは肌にもふれず見ただけの恋だってある。


合歓の花その微笑浮かぶ夕べかな


微笑みだけ心に浮かぶ消える、そういうものもいいのかもしれない、これは若いときはそうならない、これは別に相手がいなくてもこういうことはありうる。特定の相手がいるのではなく女性的なものがそもそも花だからである。

自分のテ-マはとにかく花である。だから花の詩を百篇くらい書いた。

合歓の花なお咲けるかな
その女(ヒト)の微笑み浮かび
夕べ帰りぬ


これは啄木調になる。いづれにしろ恋の季節はとっくにすぎた。ただ人間は女性的なものに肉体だけではない心も憧れている。男にないものが女性にあるから男にはもてないものが女性にあるかちら憧れるのである。


なべて移ろいゆくものは
ただ仮象に過ぎない。
足りず、及び得ないことが
ここに現実となり
言い表わしがたいことが
ここに成し遂げられた。
永遠にして女性的なるものが
われらを高みへと導いてゆく。

ゲ-テ


花はすべて何かの象徴である。精神の象徴である。花だけでなく万物は精神の象徴としてありうつろいゆくのである。女性というときそれも精神の象徴なのである。女性は柔和なものが形となったものともいえる。だから柔和なものが天国にあるだろうというときそれを示しているのだ。

言い表わしがたいことが
ここに成し遂げられた

言い表わしがたいことが言い表せる、表現できることができるようになった。自然は奥深いものでありこれくに通じるには簡単にはできないのである。
これは芸術として成し遂げられたということである。だからまだ発表していないが花の詩を百篇書いたというときそうだった。


自分は何か女性的なのである。男性的な面に欠けている。だから花と共感する。ただ詩人はあらゆる自然と共感することが男性的な要素なくして芸術は創造できない、ただそうした男性的なものと女性的なものが調和してもっている人は少ないだろう。ただ男性において老人になると性差がなくなり両性具有化してくるというのも不思議なことかもしれない、男性的なものと女性的なものが一人の人間にあることが理想的なのである。そもそももともと人間の体は一つだったのだから精神においてもそうなれば理想的だとなる。


 

2013年08月11日

お盆の赤い月 (六〇代で十年老けること病気することは致命的になる)


お盆の赤い月

(六〇代で十年老けること病気することは致命的になる)


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百輪ののうぜん燃え尽き散りにけり
帰省するお盆の夜や赤い月
遠雷や真夏の夜に光る星
 

三日月の赤い月がでていた。珍しい月なのか、何しろ昨日は福島県浜通りでも33度越えて35度にもなっていた。33度越えると普通の活動ができなくなる。それでクーラーある部屋で昨日は寝ていた。
今年は冷夏だと思っていた。雨の日が長く寒いくらいだったからだ。今になって急に暑くなった。
33度越えると人間は活動不可能になる。

今日は32度くらいだから普通に活動した。32度と33度の差が大きく感じるのだ。32度までは外を自転車で走れるけど32度こえると活動できなくなる。外に出たくなくなる。特に日ざしをあびると苦しくなる。今日は32度までだから外に何度も出た。
夜になると三日月の赤い月がでていた。これも何か暑さを象徴しているのか?この辺は35度の峠は昨日でのりこえた。30度くらいだと普通に活動できる。

自分は相当に体が動きやすくなった。カーテルとか入れていたら本当は身体障害者だった。身体障害者になるということは辛かった。でも外から見るから限りわからないから苦しいと他人は見ないのである。


人間は病気になった人と病気にならない人との差は60代でででくる。これはまちがいない。酒飲んでタバコ吸うと60代で10年老ける。最近あった63才の女性は73才くらいにしか見えない,顔に皺がより皮膚も老化している。タバコを吸い酒も飲んでいた。テレビに写った66才の老人も膵臓を悪くしていたから老けてしまった。60代になり悪い病気になると10年はふける。今わかったことはこの十年ふけるということが実は恐ろしいのである。


60代で10年若いということはこれはすごく大事なことがわかった。なぜなら60から普通に活動できることはかなり貴重なことになるからだ。末期の目というように何でも体験したり見ることがこれが最後だとなると見方も今までとは違ってくる。自分も実際にこの六年間旅していない,介護と自分の病気などで追われ続けた。そして身体障害者となったとき本当に旅できない、もう家から近くしかいけないと本当に思っていた。それが今はカーテルを管をとっているから普通の体にもどったのである。だから登山でも旅行でも普通にできる体にもどったのである。体も動きやすいし普通に活動できるのである。


60代からの十年くらいは人生最後の貴重な時間である。だからこの時病気になると最悪なのである。へたすると死んでいる人もかなりいる。だからここで十年くらい若いということが非常に大事であり一〇年ふけてしまうことは実際は十年寿命が縮むと同じなのである。同級生でも一〇年ふけてしまっている人がいる。そういう人は七五才くらいに見えてしまうのである。


ではこの若さを保つにはどうするか?それはまず酒を飲まない、タバコを吸わない、これは守らねばならない、もちろんタバコ吸っていたから酒を飲んでいたからみんなふけるとはならない。それは例外的体質なのかもしれない、平均的にそうなりやすいことは確かなのである。
テレビにでた人はおそらく仕事関係で酒を飲みんだりしていて膵臓に負担がかかったのかもしれない、肉なども食べすぎとると消化するのに負担がかかり長い間に臓器が疲労して病気になりやすいのである。臓器にあまり負担をかける生活が寿命を縮めるのだ。

若い人は老化するというか老人になることの恐さを知らないのである。だから暴飲暴食もする。しかしそういう生活が積もり積もって六〇代に体に必ずでてくるのだ。その時後悔してももうすでに時遅しとなるのだ。一〇年若く保てるか保てないかは人生にとってかなり重大なことになってくる。

最後の十年は相当に貴重な時間であり病気になったらその時間を活かせなくなるからだ。
自分もそういう恐怖をここ六年間味わった。ただ今になり体が回復してこれならまた前のように同じに活動できると確信した。この健康の自信こそがすべてをのりきる基だった。六〇代で健康をそこなうと逆境は乗り越えることができなくなる。そういう危機に六年間さらされつづけたのである。


ともかく今日の暑さはくらいだと普通に活動できた。それでプログも書けとなる。今年はこの辺はクーラーを使わずにすむみたいだ。意外と早く秋になるかのかもしれない、すでにお盆だからもう秋が近いのである。でも今月の後半は夏らしい夏を味わいたいともなる。

2013年08月12日

墓とは死者とは何なのか(続編)

 
墓とは死者とは何なのか(続編)
墓のことで考察してきたけど墓がなにのかは死者が何なのかになるからわからないのである。


〇骨(屍-姓(かばね)が死者である

〇名前が死者である(戒名をふくめ)
〇死者はその土地の土と化す(土地のものとなる)
〇物語が死者の存在を示す
〇生者が死者があるとすれば死者もある


●骨は屍は姓となり特権利益財産と結びついていた


お盆だけど墓か何かがわかりにくいのは死者が何かなのかわからないからである。死者は骨だというときそれも昔から言われてきた。骨が屍-姓(かばねね)の起源であり意外といかなる姓に属するかが重要になる。苗字が違うと一族の関係にならないということもある。この骨が屍が姓が重要視されるのはその姓を引き継ぐことは武士だったら家名を引き継ぐことでありそれには俸祿が与えられ特権が付与されていた。骨を大事にして一つの姓に属することは古代から何かしらの利権、特権が付与されていたためである。だから骨から生じた姓でももし何かしらの特権が付与されたものでないのなら引き継いでも何も利益が得られないということで引き継ぐこともしないだろう。平家源氏を名乗るのは平家一門であり源氏一門であるという身分を得ることだったのである。


それは自分の家で実の兄ではないが20数年前に交通事故で死んだ。その墓が実家にあり名前も刻まれている。でも兄には娘がいるからその娘が骨をもってゆくという、それが筋だからというのもわかる。でもその娘は自活していないし問題があり金もない、交通事故のとき保険金がおりたがそれももうない、20数年すぎて何もなくなっていたのである。残ったのは骨と実家もない墓だけだったのである。そこから得るものは骨しかなくなっていた。でも交通費もいつも自分の家で払っていたし業者に頼んで墓の中をみてもらう金すらないのだ。そこには何ら財産権も特権もない、骨と消失した実家の墓だけがある。そういうものを引き継いでも何ら得がない、特権も利益もない、そしてその骨を東京にもってゆくにしてもその金すらないのである。となるとそういう骨が父親の骨でも何の利益もないならかえって金がかかりかかわらないという人もでてくる。息子でも娘でも同じである。みんながそうでないにしろ故人が財産と結びつくときなお故人も重要視されることがありそれは財産のためである。その人自身を供養するのとはまた違っている。


現実に兄が交通事故で死んだとき大きな保険金がおりることでもめた。それは死者を思うということよりその金のためにもめたのである。死者もまた金のために利用されるだけだとなる。心から供養するということとは違ったものとなるのだ。財産が関与するともう死者の供養とかどうでもよくなる。それが欲で争うこの世の実体でもある。


●死者の問題は実は生者の問題だった


名前が死者であるというとき最後に残るのは墓石と名前だけだとなる。墓石が消失しても名前だけが残っているのはいくらでもある。それは歴史的な人物だから残っている。そして墓に骨が入っていても名前がないものがあった。それは名前を刻むのに六万とかかかるからその金がないので刻まない、ただそれ以上に名前を刻み供養する心もないともいえる。

今回の津波でまだ行方不明の人が2000人以上いる。死体が見つからない、骨がない、それで骨がない墓がある。まだ死んだと確定されないから墓があっても虚しいとか言っていた。骨が入らない墓が墓なのかとなる。でももう死体は見つからないのだから死んだものとして骨は入らなくても名前だけ刻んで死んだものとして供養することになるだろう。


結局墓とは何のなのか死者とは何なのかなのである。骨に死者があるのか?名前に死者があるのか?
田舎だと死者は土に帰り故郷の土となる。死者は祖霊となり山に葬られ山に眠り村の守り神になる。そういうのも死者とは何かを伝える日本独特の文化である。死んだら千の風となるというのも死者が一体何なのかわからないからそうなっているのだ。骨に本当に死者が宿りつづけるのかというのも疑問である。骨だっていつかは消えてしまう、灰となり土となり消える運命にある。


結局死者とは何かというときそれは死者の問題ではない生者の問題である。死者は何かできるのか?何もできない、確かに祟りがあるということが言われるけど現実としてそれもわからない。死者は永遠に沈黙しているのだ。死者は何も主張できない、主張するのは生きている人間である。死者をめぐっても争うとき生者が争っているのであり死者はどちらの味方でもない、味方につけないのである。例えば靖国参拝でもめるのは死者に対しての生者の態度が別れているからである。戦争で死んだ人は国の御霊になるということで祀られている。一方で左翼は戦争で死んだ人でもあたかも犯罪者のようるな扱いになると両極端でもめることになる。生者の都合でも死者の行方も決まるのである。死者は何も主張できないし権力もないからである。


●死者は生者がそこにいると思えばいる


そして奇妙なのは死者がそこにいると思えば死者がそこにいる。生者がそこにいると思えば死者はいる。実際なぜ墓参りするのか?そこに死者がいると思っているから墓参りしている。当たり前の事実だけど墓にすでに骨はなく土になっているのも多い。だから本当に墓に死者がいるのかとなるとわかないのである。ただ死者がいると思っているから墓参りしている。生者でも死者がいると思えばそこにいることになるのだ。だから津波の被害で死んだ人でも骨がなくても名前を刻み死者いるとして墓参りすれば死者はいることになるのだ。現実に骨をもってゆくからと言われたとき骨をもってったら死者も墓からいなくなるのかというとそれもわからないのである。骨に死者がいると思っているからそうなるのであり別に生者がまだ死者はそこにいると思えば死者はいるのである。


生者の思いによって死者がいるかどうか決められているのだ。いつまでも死者を忘れない人がいるとすれば死者は常にその人ともにいることになるのだ。でも実の親でも迷惑ばかりかけたとか問題があれば親でも供養しない人だっている。だからいつまでも死者でも思われる人は生きているのである。
現実に死者がみんないて欲しいと思うわけではない、肉親でもそうでさんざん迷惑をかけた親ならいてもらえたくないとなる。その人は死んでもいてもらいたくないとなるから実質は死者はいなくなる。夫婦でもすでに一緒の墓に入りたくないとなればそうである。どちらかが死んでもいてもらいたくないとなるし供養もしないとなれば死者はいないのである。


だから死者は物体化したものではない、墓でもない、骨でもない、名前でもない、生きている人がそこにいると思うとき死者はいるのだ。靖国でも死者がいると思えばいるしいないと思えばいない、ただ無数の名前だげがあるのであり骨とかそうしたものはすでにない、ただ国の御霊として国民かあるとすればあるないとすればないのである。国民の心が二つに分かれているからあるともないともいえないのである。そのことを誰が決めるのかというと生きている今の国民なのである。死者がいくら靖国で会おう靖国で祀られようと言って死んでも生者がそうみなければそうはならない、死者にはすでに主張できない、権力もないからである。

2013年08月13日

津波の跡の沼に沢瀉(おもだか)が咲く (津波の跡の不思議なの風景)


津波の跡の沼に沢瀉(おもだか)が咲く

(津波の跡の不思議なの風景)

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向こうの杜は御刀神社

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津波跡残る社に蝉の声

夕蝉や残る社に家二軒
トオスミの朝に交わる沼地かな

沢瀉やトンボの羽音生まる沼


津波跡沼の生まれて沢瀉の咲きて昔の謂われを思ふ


オモダカは、池や沢などに自生する水草で。愛らしい花が咲く。その昔、この植物を「勝ち草」といって、 戦いに勝つことにかけていたという。葉の形が矢ジリに似ている、また、沢瀉威の鎧ということばもあって、「攻めても、守ってもよい」ということから勝ち草とよんだというオモダカは、池や沢などに自生する水草で。愛らしい花が咲く。その昔、この植物を「勝ち草」といって、 戦いに勝つことにかけていたという。葉の形が矢ジリに似ている、また、沢瀉威の鎧ということばもあって、「攻めても、守ってもよい」ということから勝ち草とよんだという


この紋をもっとも広めたのは水野氏だろう。水野氏は清和源氏の後胤で尾張に住み、小川氏といった。その後領地が変わって水野氏を称したが、ずっと沢瀉紋を用いている。小川も水野も水草に縁のある苗字ではある



前にも烏崎の津波の跡に水葵と沢瀉(おもだか)がセットで咲いていた写真を出した。湿地化するとこの花が必ず咲くみたいだ。種が地中深くあったのか不思議である。朝に見たこの風景も実に不思議である。鷺が五六羽は群れていたのもめずらしい。一羽くらいは見かけた。やはり湿地化すると水生生物が棲むようになり餌になるものがでてくる。必ずトンボが増えてくる。こうした湿地は水がありトンボが繁殖するのに向いているのだ。


沢瀉は別に珍しいものではなく湿地が多かった日本には普通に見かけるから武将の紋にもなった。
でもこれが勝ち草などという発想が今なら絶対にでてこない、そもそも植物を花を武将の紋にすることがそぐわない面がある。ただ紋だから一家の紋としては別にかまわない。殺し合いの生臭いものにこの可憐な花が勝ち草などとするのは無粋だとなる。でも戦国時代の感覚は違っている。何でも戦いをイメージするようになっていたからそうなった。ただ水野はまさに水辺に咲く花だから沢瀉の紋がふさわしいとなる。この紋がもともと野馬追いの旗印の起源だから家紋を調べれば旗印の起源にゆきつく。


それにしても不思議な風景である。御刀神社の杜がありあの杜は古い。古代にさかのぼる。江戸時代の前にあの神社があったということになる。海老とか烏崎には江戸時代の神社はあっても古代のものはない、あそこの杜も津波の被害を受けた。古代はあそこまで海か湿地帯だったのだろう。
塩崎の船着とか市庭も古代のものである。神社や地名は歴史の形見として残されたものだった。
あの御刀神社に蝉が鳴いているのもなんとも不思議である。蝉の声は夕方に聞いた。社が残りわずかに家が残り蝉が鳴いている。何か今までとは違う情緒が津波跡に原発事故で生まれた。
あの杜を境にして海よりの家は消失した。社が残り家が残り蝉の声を聞く、しかし家がなくなったらまた別の感じになる。


今年は全国的に暑い、炎暑である。避暑地として沖縄がいいというくらいだからどれほどの暑さかわかる。自分はつくづく暑さにも寒さにも弱いから気候が悪いところには住みたくない、住む条件として意外と気候が大事なのである。福島県でも中通りら会津になる盆地になり暑いから嫌なのだ。
浜通りは海から風が吹くから普通はそんなに暑くならないのだ。阿武隈高原を越えると蒸し風呂のようになっている。それは自転車で海の方に阿武隈高原を越えた時感じた。海の方から涼しい風が吹いてきてほっとしたのだ。こういう経験は車ではできない、だから車の旅は自然を感じるのには向いていないのだ。風を感じることが旅にもなるからだ。現代はまず風など感じない、車であれ電車であれ飛行機であれ風を感じない、だから便利でもロマンを感じないのである。帆船などは風を感じるからロマンを感じる。鳥でも蝶でも風にのって飛んでいるから気持ちいいのである。


浜通りは退職世代の田舎暮らしには原発事故では向かなくなったが気候的にはいい、今年は33度になったのは一回であり32度までしかならない、だから二階は暑いのだがプログも書けている。32度と33度の差が大きいのである。だから34度35度になると人間の活動が停滞する。熱中症で死者もでてくる。41度となるとも想像を絶する。逃げ出したくなるだろう。今年はこの辺は気候的には楽である。
浜通りは避暑地としてふさわいしのである。東京からも近いから余計にそうなる。これだけ暑いと気候的にいいとして避暑地として見直されるかもしれない、気候もこれだけ変わるとやはり社会まで変えてしまうこともある。天変地異が社会まで変えてしまうのである。

人間の住みよい場所の条件としていろいろあってもその土地の人間がどんな人たちかというのもある。小高の人はいい人が多く鹿島は悪いというのは本当かもしれない、土地によって人間が相当に違うがこれは長く住んでみないとわからないだろう。ただ住みよい場所として気候が大きなウェイトをしめる。福島県でも福島市や会津でも住みたくない、夏は暑いし会津は冬は雪に閉ざされる。そしたら自転車で買い物もできない。生活すらできなくなる。避難して浜通りにもどりたいというのはそうした気候が影響しているのである。

2013年08月15日

鬼百合 (花屋にもデジカメや携帯の写真を利用すると繁盛するかも)


鬼百合

(花屋にもデジカメや携帯の写真を利用すると繁盛するかも)


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鬼百合とともに燃え咲く花のあれ
鬼百合に夏菊千輪郭燃え咲きぬ
六号線とりどりの花真夏かな
海よりの草原わたる風涼し
灯明の十ほどともり盆の月
墓二つ参りてお盆年老いぬ


昨日は相馬市に行った。相馬市の入り口の六号線沿いに一杯花が咲いていた。夏らしい風景である。鬼百合、夏菊、ダリヤ、グラジオウラスだろう。相馬市では駅前の花屋にまたよった。最近フラワ-アレンジントをはじめた。生け花ではない、今は自由なフラワーアレンジメントになった。
ただ百合が一本800円というのは高い、駅前の花屋は安い、なぜこんなに値段が違うのか?
なんだか花か好きだし花をテーマに詩を書いてきたから花屋に興味をもった。
花屋で成功している人はまれだという、それだけむずかしい職業だともなる。
個人で起業して成功しているのは20分の一だという,いかに故人で起業して成功することがむずかしいかわかる。それにしてもなぜこれほどむずかしいのに起業するのか?

失敗すれば多額の借金をかかえこみ路頭にも迷う厳しい世界である。
そこにやはり安易こがあるのだろうか?連帯保証人になっているのが2000万人いるとか誇張でもそうならざるをえない事情があることがわかった。何か仕事していれば持ちつ持たれつだから必然的にそうなってしまう。それで自殺する人も多い。

結局何をやるにもビジネスの世界も厳しい、簡単にもうけるものなどない、株でもうけようとしてもこれも経験を積まないとだめである。それより老後は自分の好きなことに金を使った方がいい、
どうせ残り少ない時間なのである。最後はやりたいことをやって死ねば本望だとなる。


花屋で成功しないのはやはり現代のトレンドにのれないのである。自分の生け花をイオンで簡単にフリントできた。額縁に入れたら映えた。
今は携帯であれデジカメであれ即座にプリントできる。大きな印刷機がありパソコンにデジカメに写った通りにプリントできる。自宅の印刷機だときれいに印刷できない、リボンも消耗するから損である。プリントは自動化しているから簡単である。
そして安いのも助かる。あそこて印刷した方が自宅でするよりいい、これも時代が変わっていたのだ。こうした時代が変わることに便利なものがあることに現代は気づきにくいのだ。
この時代の波にのれないから商売も成功しないこともある。


花屋の人は年配の人が多い、店屋も高齢化で年配の人が多い、すると現代のトレンドについていけない、そこがどこでも問題になる。一方で駅前通りであり場所がいいし今年配でも人との応対はいいという利点はある。つまり若い者と年配のものでも世代が交わるとその役割があり成功に通じてゆく、若いだけでも年配だけでもだめなのである。今や携帯でもデジカメでも即座にプリントして気軽に楽しめる時代である。花屋もこのデジカメや携帯で簡単にとれる写真時代に適応する、利用しないとやはり人は集らないだろう。


鬼百合の写真でもデジカメでとって見直すことがある。写真を見てあらためてその美を発見することがある。デジカメは精度がますます良くなっている。このソニーのカメラは安いけど前よりずっときれいに写っている。写真の時代には写真をデジカメを使わないようではどうにもならないだろ。
花と写真は欠かせないものとして一体化してある時代だからである。

シャッター通りになるのも時代でどうにもらないという面もある。これから高齢化時代に通りが見直されるかもしれない、通りを歩くとか店で話すとか何かそうしたくつろぎを高齢化社会では求めているからだ。通りを歩くは車と違いスロ-なタイムであり店で話すというのはただものだけではない、
くつろぎを求めている。そういう街作りが望まれているともなる。それは老人だけではない、若者もとりこむものとなる。世代で区別しては通りの再生もないということである。


自分のフラワーアレンジメントは駅前の花屋に贈呈した。何か花と印刷を組み合わせて商売になるようなことがありえる。花のカードなども作るといいのかもしれない、それはイオンのプリント屋で簡単に安くできる。それからお茶屋でいろいろな器を飾り売っていた。意外とセンスがいいものでありガラスの器とかかって花を活けたのである。それなりに金はかかったがこれも株などに投資するよりいい、株などはもう上がらないことがわかった。余っている金は老人でも使うべきである。

2013年08月16日

浪江の方からの質問の答え (浪江の地名と土井晩翆の歌より)


浪江の方からの質問の答え

(浪江の地名と土井晩翆の歌より)


土井晩翠の歌碑が大堀にあったこと、恥ずかしながら最近知りました。
質問があるのですが、この小野田橋の歌は何年に作られたものか教えていただけないでしょうか。また田尻の歌も同じ時期でしょうか。
本来ならば浪江に帰省して文献にあたりたいところなのですが、こんな状況で、どうしていいのかわからず、甘えてしまい申し訳ありません。
どうぞよろしくお願いいたします

浪江の地名と土井晩翆の歌
http://musubu2.sblo.jp/article/19103374.html



浪江の方より質問があった。名前はふせるようにとあったのでだしません、一応匿名でコメントは受けています。名前を出さないようにとコメントがあればコメントを公開する前に名前を出さないようにできます。ただ公開する前にコメントが直接でることがある。これは出てから削除するものは削除している。

小野田橋新たに成りてこの郷(さと)の栄と睦(むつみ)いや増すぞよき

昭和一〇年二月一一日、小野田橋開通式ヨ挙グ
晩翆土井林吉先生親シクご臨席ノ上ニ一首(大堀村)


昭和十年に板橋でありよく流されていたのをコンクリートの橋にした。この頃コンクリートの橋はまだめずらしいものだった。もちろん車がほとんどないのだから道は舗装されていない、原町の無線塔も鉄塔ではなくコンクリートで作られていたのだ。これも文明の最先端をゆくものだったのである。
浪江は橋の町でもあった。川の町でもあった。海がありそれも請戸港がありこれは浜通りでも大きいし歴史も古い。

鮭簗のある辺りから大聖寺辺りをふくめて昔は泉田と呼ばれていたが相馬昌胤がこの地に隠棲するころから村名を幾世橋(きよはし)と改め、昭和二十年には浪江町に合併された。


和歌を学んでいた昌胤が師の中院内府通茂にみちもち)卿より贈られた


跡たへしながらもあるを幾世橋いくよ変わらずふり残るらむ


という賀歌によりこの里を泉田から幾世橋(きよはし)に変えた。今もある幾内橋を昔は幾世橋と呼んでいたらしい。

この辺で幾世橋という姓の人がいるからそこの出身だったのだろう。幾世も残る橋のことで橋が長くあることを願っていたのである。橋は板橋などが多いとすると常に流されていたからこの名がついたのだ。一つの民の願いとしてこの名がついたのである。橋はそれほど昔は重要だった証拠である。

いづれにしろ浪江は浜通りでは一番風光明媚な所だった。大きな川が二つあり請戸港もあり高瀬川渓谷がありこれも山水画のような景色となっていた。他からも高瀬川を訪ねる人が多かった。
浪江は川の町だと書いた。水のめぐる町であった。


だからこそ大木 惇夫(おおき あつお)の高瀬川哀吟の詩で

高瀬川いざよふ波の せせらぎや ・・・
川水は われをめぐりて さやかなり 泡だち流る


水の音が常にする、水の郷でもあった。高瀬川の上流は特にそうだった。それが原発事故で一転した。まず警戒区域になったからこの風光明媚な土地に入ることもできず荒れ放題になっている。特にネズミの被害が大きいのである。自分の家にも今日もコネズミが出てきて嫌だった。草原化するとネズミが増えてくるのだ。それでノスリがそのネズミを餌として定着した。モンゴルの草原でもネズミが増えて問題になっていた。ともかく五年間も人が住まないとなる荒れ放題になってしまうのだ。
それでもう住めないと言っていた。双葉や大熊などは風光明媚でもないがやはり浪江は川の町であり風光明媚だったからそこに入れないということが悔しいのである。

だから避難者が今何を思っているのか、やはり故郷に帰りたいという人もいるし若い人はもう帰れないとなる。

ただ浪江町は二万にもいたのはやはり原発があった影響だろう。何らかで原発に関係していた人が多いのである。それは南相馬市でもそうだったのである。原発の経済的影響が大きすぎたのである。
この辺で外部からくる労働者が除染でも国の事業だから親方日の丸だからおいしい、金の出方が違うといっていた。本当に補償金がこんなに出るということも驚きである。それは東電だけではない国がかかわっているからそうなっている。ただそうしたことの見返りが事故によりだいなしにされたのである。故郷を失うなど想像した人すらいないだろう。それが今や現実なのである。


傷心を癒して洗う高瀬川浪江の避難者いつの日帰らむ


浪江の人は許可あれば入れるが他の人は浪江に入れないから高瀬川も見れないのである。大堀の相馬焼きも廃れるのか?そして浪江の町はこれからどうなるのか?そういう不安が避難者にある。

 

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参考にした小冊子

松本博之とあり本命は哲夫となっている。

次にこの本から昔の鉄道のことを書いてあるのでそこを述べてみたい。


 

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2013年08月18日

納涼の夏(夏らしい夏)


納涼の夏(夏らしい夏)

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ほの白く木槿増え咲き闇つつむ
月光り木槿の白さ浮かびいず

合歓の花誰か見るらむ昼の月
日を浴びし夏菊を野に我が摘みぬ
夏菊の鴎に映えて橋とまる
三輪ほど百合の匂うや朝の間に
三輪の匂いの濃しや百合の花
夕月の川面に映り涼しかな
南風の道路に涼し光る月


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今日は夏らしい夏だった。納涼というのが言葉としてあっている。
暑いのだけど31度から32度くらいだとこの辺は普通の夏なのだ。
道路に寝る椅子で風を受けていたら涼しかった。
月も光っていて気持ちよかった。浴衣の少女が盆踊りに行ったり
日本らしい夏の風景である。

浴衣から白い肌がのぞちのがエロチックだともなる。
陰影礼讃では闇の中に浮かぶ女性の白い肌しか見えなかったという。
日本人に人間全体を表す彫刻がない、仏像はあっても人間そのものを彫塑的に現さなかったのは日本的文化があったためだろう。
何か立体的彫塑的ではなく肌でふれるというように感覚的なのだろう
女性もなよなよして柔らかくギリシャのように彫塑的にはならない。
仏像だってギリシャから伝播してきてあれだけ仏像ができたのである。


だから白い木槿というのが何か日本の女性の肌のようにもみえる。
それが闇につつまれる。白い木槿はまた何かお盆の時期に咲いて
魂を示している感じにもなる。この白さは和紙の白さでもあり白でも違っている。


駅前の花屋の人がアレンジした百合は実際はかなり匂っている。写真ではどうしても匂いを出すことはできない、山百合でもかなり匂う。野性的な匂いである。近くで百合一本が800円だというのは高い、相馬市の駅前では安いのである。ただ花屋でもあそこもぎりぎりでやっている。やめるとも言っているから商売はみんなもうかっているところは少ないのである


今日はパソコンが不調で書けなかった。新しいのを買う必要が出てきた。
かえって古いXPの5万のパソコンが役に立つ、パソコンは新しいものを買ったからといいものではない、ソフトが使えなくなったり困ることも多いのだ
なにかエックスプロラーが7とか8に自動アップデイトしておかしくなったのか、間違ってプログラムファイルを消したかもしれない
データ-だけを移して新しいパソコンで再構築すべきなのか?
それとも復元して元に戻すべきなのか?パソコンもめんどうなので困る。
10年使っていてもわからないことが多すぎるのだ。
メールの設定が未だにできないことでもわかる。
まあ、なかなか壊れないからパソコンも一般化したことは確かである。

この文章は昨日の分だったけどアップすることができなかった。
 

2013年08月19日

カルマとはそもそも何なのか? (カルマは借りであり必ず返すことを要求される)

 

カルマとはそもそも何なのか?

(カルマは借りであり必ず返すことを要求される)


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●借りは金銭だけではない、必ず返すことを要求される


貸し借りをしたということがハッキリとは分からないこと、「まさか!そんなことが貸し借りになってしまうの?!」

誰にいくらの借り(負債)があるのかということが、生きている時に顕在意識ではあなたには分からないというところです。


「あなたにはいつこれだけの貸しがあったよね。今それを○○の方法で返してね」とどこかの誰かに言われてしまう可能性が大きいということを意味します。


AさんはBさんに1億エネルギーの借りがあったので、Bさんに借金のかたにあなたへの1億エネルギーの貸しを渡す。

世の中には偶然もなければラッキーもアンラッキーもない。

必ず貸し借りは精算されるようになっている。

貸しはいつか必ず返ってきます。あなたが返してねと求めなくても返ってきます。なぜならそういう法則が存在するから。
http://www.circulation.co.jp/bhs/column/column37.html


ここのサイトは不思議である。人間の借りは必ず返さねばならない、借りとはカルマなのだ。親子の間では別に子が親に借りがないというけど実際はある。自分の親は子供のときだけではない大人になってからもさらに六〇頃まで食事の用意をしてくれた。それを自分は当たり前だと思っていた。

そういう人は今の時代にはニートとか結構いる。子供のときはやむをえないとしてもそれからいい大人になっても食事の用意とかをしてくれるとなると相当な借りができていたのである。だからその借り(カルマ)は返すことを要求される。今や介護に追われているのもそのためである。毎日食事を作って出している。自分がゆっくり食事できないこともある。食事は運ぶだけで結構手間なのである。
食堂がなく台所と食事するところは離れていることで運ぶことが手間になっているのだ。
自分の場合は明らかに借りを返すことを要求されてそれをしている。そのカルマの借りの自覚がこの年だからわかってやっている。普通はこの人の言うように何か借りなのかわからないのだ。

どこでそんな借りを作りましたか?借りが何か自覚できないのである。でもいづれその借りをカルマを否応なく自覚させられるときがくる。それが60以降から明確に現れてくる。否応なく自覚させられるのである。六〇代の人を見ればわかる。人生の総決算のようなことが現実として結果としてカルマでも課せられて拒否することができなくなる。ただ自分に何の借りがあるのか自覚できないのである。それが否応なく六〇代になれば自覚させられるのが恐いのである。その前に手をうっておけばこんなふうにはならなかったと後悔しても遅いのである。


●大きすぎる借り(カルマ)はもう返せない


まず生活保護の人などは一見今や恵まれている。この貧乏時代になり生活保護の方が恵まれているのが批判されるようになった。でも実際本当にそうなのだろうか?生活保護って一切が借りになっていないか?国民から膨大な借り(カルマ)を作っている。でも生活保護者にはそうした意識がないのである。当然の特権だと思ってい人もいる。でも生涯生活保護になると一億円以上の金が国民から使われることになる。一億円借りたらもう返せないのだ。もうカルマは借りは返せないのだ。そしたら結果的にどうなるのか?かえって一億円得したではないかと思っているが実際は返せないために人生が破綻する人が多いのではないか?あまりにも借金が借りが大きくなると返せなくなる。積もり積もって返せなくなる。そういう人がいてその借りを自分にも要求してきた。だから自分が病気で苦しんでいることも借金の要求するにはチャンスとまでなって迫ってきたのである。借りを返せなくなると逸れか犯罪者に近くなってくる。そして人生が最後に破綻してくる。生活保護者の子供の四割がまた生活保護者になっているということでもわかる。借りが大きすぎるからもう子供でも返せないのである。せいぜい一割から二割くらいの特別優秀な人しか返せないように思う。

生活保護がすべて悪いとはいえない。老人の生活保護は違っているし障害者も違っている。老人は別に一律に一〇万とか年金を支給した方がいいようにも思う。ただ生活保護が長びくと借りが大きくなりすぎるから人生そのものが破綻する人が増えてくるのではないか?そういうふうに自覚している人も少ないのである。
借りそのものカルマが自覚できないからまたカルマが輪廻してゆく、その借りとはどんなものなのか自覚できないのである。カルマは図のようにBがAにカルマを負っていたとしても返せば逆にBがAにカルマを負う夜討ちなっていても気づかずにカルマを要求してくることがある。いつもカルマは一方的な関係ではない、変化しているが変化していることにもカルマはきづきにくい。だからそこで理不尽に思う。こっちがこんなに尽くしているのに相手は何もしてくれないとかなる。そういうことは人間関係では日常的に起きているのだ。


例えば変な話だけど自分は旅ばかりしていた。すると「お前はどれだけ旅館やホテルに泊まり世話されたか?それがお前のカルマだ、借りだ」とまでなる。だからお前は今度は旅人をもてなすことで借りを返さねばならないとかなるかもしれない、まだ生きる時間が長いとするとそうなるかもしれない、実際に世界を旅して世話になったからとボランティアで一室を世界の旅人に提供している人がいた。旅でも借りを作っていたのである。あまりにも病弱で医者や看護師に世話になったりするとその借りも相当に大きくなっているかもしれない、そしてその借りを返すことを要求されるかもしれない、医者になった人が看護師でも前世では医者や看護師の世話になることが多かったから今自分は恩返し借りを返すために医者や看護師をしているという人もいた。人間は借りをもたない、カルマをもたない人はいないのである。そのカルマが借りが大きくなりすぎるともう担いきれないのである。
莫大な借金をしているともう担いきれないから人生が破綻する。回りにも多大な迷惑をかけて破綻する。生活保護者はそういう危険があるけど自覚している人は少ない、もし自覚したら必死でそんな借りのカルマの生活をしようとはしないだろう。カルマは借りが自覚できなくても必ず最後は自覚させられる、借りを返すことを要求される。


●金銭的な貸し借りも神の帳簿に記されてごまかすことができない?


金銭的にも何か不思議なのだけどそこには神がかかわっている感覚がある。自分が経験したことではそうである。大金を盗まれて失ったのもやはり自分の借りがあったからかもしれない、ただ盗んだ方からすると大きな借りを作りカルマを作ったからその借りを自分はしなくても誰かから厳しく請求される。その金額にみあった額が厳しく請求される。でも生活保護者のようにその借りが自覚できないのである。一億円盗んだら誰も絶対に返せないからその借りは払うこともできずに残る。それは地獄までその借りをもってゆくことが恐いことなになる。10万だったら返せるだろう。でも一億円となると誰も返せないから、その借りをカルマを担い死んでゆくからまた生まれて輪廻してそのカルマを返す生を送るとなる過酷なことになる。この借りは例えば知らず担っている人もいるのだ。多額の収入を得ている人もそうである。そもそもそんな一人でそんな多額の収入を得ることは不可能だからである。みんなの協力があってもうけることができるからだ。その収入が身に余るものとなるときそれはその国だけではない全世界へのカルマに借りになっているのだ。だからすでに大金持ちは世界を支配するサタンと化しているともなる。

常に言われるロックフェラーやロスチャイルドがユダヤが金融を支配して世界を牛耳っているとかなる。要するにその操作する金がすでに天文学のような数字になっているからであある。何か巨大な権力化するところ金の集まるところはサタン的になっていないか?
カルト宗教団体でもそうであり政府でもそうであり官僚でもそうであり東電のような大会社でもそうであった。その巨額な金が借りなにっていて返せなくなっているからそういわれるのである。金がありすぎても借りになっている。借りは返せねばならなくなっている。


この借りを返さねばならないというときこれは自然界でもあるかもしれない、なぜ津波でこれほどの被害が犠牲があったのか?やはり海の恵みがあり恩恵お大きかった。人間は自然にも大きな借りがあった。その借りを返すことを自然界からも要求される。自然に何を返すのだとなるがそれは海の恵みに対して感謝の気持ちをもつことだった。常に海の恵みなど農業と同じ様に足りない足りないとばかりになっていた。もう漁師とか農民になる人はいない、後継者はいない、もちろん自然界に恵みを感謝するような人もいなくなった。ただ足りない足りないというだけであった。それで原発を誘致した方がいいとなりその原発が津波で破壊された。それは自然界からの罰だったかもしれないのだ。

借りをカルマを返さないものには恐ろしい罰が与えられる。卑近なところでも金銭の貸し借りでもそれもごまかすことができないように借りは返さねばならない、変な話だけど大金を盗まれたとしても別な方からもどってくることもある。盗んだ本人は返さないとしても他の人から厳しく取り立てられたりする。その盗んだ分が他から補てんされたりもする。金銭の貸し借りも公正でありごまかせないところがある。貸し借りでは金銭が具体的でわかりやすいのである。金銭のやりとりのなかに神が関与しているのではないか?何かそういうことを自分の経験で感じたのである。


●神話も人間への借りへのカルマとしての罰を伝えていた


シーシュポスは神々の怒りを買ってしまい、大きな岩を山頂に押して運ぶという罰を受けた。彼は神々の言い付け通りに岩を運ぶのだが、山頂に運び終えたその瞬間に岩は転がり落ちてしまう。同じ動作を何度繰り返しても、結局は同じ結果にしかならないのだった。


これもまたカルマだったのである。何か人生で有意義なことをしないものは借りができてカルマとなりそれが罰となり無意味なことを延々とさせられる。有意義なことをしなかった罰としてそうなっているのだ。人生何も苦労しないで遊んで暮らせればいいというのもある。ただ働くことだけが有意義なことではとない、働きすぎた人はただ蟻のようよ働くばかりで花にも自然の美に感じることがなかった。これも異常なことだったのである。だからただ働くことだけが意義あることではない、働く意義は他人に押しつけられるものではなく自分が見いだしてゆくものである。それが自由社会では特にそうなる。そのために働かない時間も与えられるのが自由社会であり豊かな社会なのである。でも結果的にその自由が遂に何も働かずに働くことを見いださずに終わるということもある。なぜならなかなか自分で働く意義を見いだすことがむずかしいからである。働く現場にあって働いていると働く意義も見いだしやすいのである。家事でも働く意義がありそれは働いてみないとわからないのである。労働の意味は自分で働いてみないとわからないことが問題だったのである。


ともかくカルマというとき人間は何かしら必ず借りがある。すでに生まれたら親の世話になるし地域の世話になるし国の世話にもる。すると国のカルマも借りも背負うことにもなる。そういう大きなカルマの借りの自覚をもつ人はよほど優れた人だろう。普通は狭い身近なカルマしか意識しないからである。大きな国となるとそれぞれカルマを背負うことになる。戦争でもいろいろ言うがアメリカの原爆はもうぬぐいされない大きなカルマを借りを日本に作ってしまったのである。それは日本だけではない世界にそんな世界を破滅させるほどの武器を作ったことでカルマを作ったのである。だからアメリカはこのことで未来永劫このカルマから逃れることはできない、だから日本を守ることはこのカルマの故に要求できるのである。どんな言い訳してもこんな大きなカルマをのがれることはできないのだ。だから日本の戦争が悪いものとして中国や韓国にアメリカの正当性を主張させているのも矛盾なのである。アメリカは原爆を落としたことで日本は必ず復讐するとして恐れたという今も恐れているというのは本当だろう。それは良心の恐れでもある。その恐れから呪縛からは逃れることができないのである。それだけ原爆の罪は大きかったのである。

2013年08月20日

秋雨になったのか?(百歳生きる時代なのか?)


秋雨になったのか?(百歳生きる時代なのか?)
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雨しとと秋の蝉鳴き介護かな
乱さずに雨こまやかに白木槿
雨しとと内につつしむ菊の花


母なおも生きてしあれや雨しとと庭石ぬらして秋の来るらし


今日は秋雨だったのか、一転してまた涼しくなった。今年の気候はまた違っていた。昨日はこの辺も33度くらいあったとするとやはり暑かった。今日は急に雨がふり涼しくなり秋雨だった。日本の天気は変わりやすい、今年はこの辺は雨と曇りの季節だったのか?
ただ何日か猛暑になっ終わるのか、日本では天気が挨拶代わりになるのがわかる。
そもそも俳句もそうした季節の変化の挨拶から生まれたこともある。日本の天気は日々変化しているのだ。外国だと毎日晴天で雨期になりちょっと雨降るとか砂漠辺りではそうなる。天気はこんなに目まぐるしく変化しないのだ。

四季でも人生であり暑い夏がなければ秋をしみじみと味わえない、今年の夏は短いのかもしれない、残暑がこれからあるのか?今年の夏は外に出かけることがなかった。
やはり雨だったこととまた一身上のことで手伝いさんを雇うようになりそこにいろいろな問題が起きた。手伝いさんとはまずやっかいなのである。一時間くらい手伝ってもらうことがそもそも無理なこともある。でもヘルパ-は介護している人にしか食事を出さないとか
なにかこちらの都合いいようにはならない。


結局ここ一カ月はまた片づけのために苦労した。かたづけてもかたづけてもかたづけられない、特に本はなかなか投げられない、また読んだり利用したりすることもあると思うし現実に読み返すとあった。ゴミ屋敷というのがあるが自分の家もそれとにていた。
毎日ゴミがこれほど出るとは思っていなかった。だから今では放っておくとゴミ屋敷になってしまう。相馬市の便利屋で邪魔なものを投げるのに五万もとられた。見積もりでは2万いくらだという倍とられた。ちょっと高いかと思ったから簡単には頼めない、それでもかなり整理したから楽である。


年取ってからはあまり物をもつべきではない、シンプルな生活がいい、でも現代はどうしても必要なものがある。一人暮らしにはIHヒーターなどは時間調節できるのでいい、鍋を放置して10個くらい鍋をこがしてだめにしたからだ。一人暮らしは都会の方が便利である。
牛丼屋がありあれがあれば楽なのだがここにはない、食器を洗ったりするのが手間なのである。


ともかく物だけではない人間も整理した。親戚関係は三つほど切れた。こういうものもだらだらとつづけていると負担になるだけである。自分は身内の一人が死んでからあらゆることをおしつけられることになった。そして親身になり助けてくれるものもいなかった。

ただ自分に対して負担をかけるだけだった。要求ばかりしてくるのだ。だから東京の遠い親戚など金ばかり要求してこちらが苦しいことも何もわからない、遠くなると何が起きたかもわからなくなる。だからそんな負担ばかりかける人とはもうつきあえないから縁を切った。一方的な奉仕ばかりさせられる関係はつづかないのだ。

人間関係も絶えず変わってくる。いつまでもつづく関係はなかなかない、だから二代三代とか信頼関係がつづくとしたらそれは特別なことなのだろう。その間にはいろいろなことがあり信頼関係を維持できないのである。

母はそれにしても100歳まで生きるのだろうか?何か生きる目的が百歳を目指して日々あるように思えるのだ。百歳までを目標として生きる走るマラソンランナ-に見える。

この辺で107歳の人が生きているとなると注目される。自分もあと20年でも生きればすごいことだと思う。それが社会的に問題でもそういう長寿社会というのは人類でかつてなかったからだ。人生百歳、健康で百歳となるとやはり十分な長さだとなる。60年でもあまりにも短いのである。それだけ人間とは成長に時間がかかり何か仕事を成すには時間がかかかりすぎるのである。60歳になるとなにかいろいろなことが見えてくる、見えないものも見えてくる。だからこれだけ長寿社会になると人生を十分に味わいつつ死ぬということができる。


実際ここ6年間介護で旅にも出ないかったらもう一度印象に残ったところを見たいということになる。これが意外とむずかしいのである。同じところに二度旅することが意外とむずかしい。いろいろなことでできなくなる。だからみんな退職したら自由に生活してやりたいことをやろうとしても思わぬ病気とか介護とかでできなくなる。
そしてただその時のことを旅したことが貴重な時間となり思い出すだけだとなってしまう。何をするにしても人間の時間は限られていてたちまちすぎてしまうのである。

2013年08月22日

東電から送られた原発賠償書類の混乱 (追加の精神的損害は南相馬市鹿島区は一人4万だけ?)


東電から送られた原発賠償書類の混乱

(追加の精神的損害は南相馬市鹿島区は一人4万だけ?)

精神的追加賠償一律8万円
http://chienowa.ldblog.jp/archives/24084861.html


精神的損害賠償の対象は2万4000世帯で、24年1月から8月の間に18歳以下だったか、妊娠していた住民が対象。また、事故発生時に旧屋内退避区域と南相馬市の一部地域に住んでいた妊婦と子どもについては、避難の有無を問わず支払う。


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最初にこの書類が来たから混乱した。ええ、70万もらえるの?前に百万くらい鹿島区ではもらっていた。これは市の財政から出したので不満があった。
ただ小高などが補償金が多いので平等にしろということであえて市長が市の財政から負担した。

今回来たのは東電からだった。赤枠で70万と書いてあるからここも70万なのかと思った。それで何度も電話で確認したが取り次ぐ事務の人がはっきりしない、これは三人に聞いたが言うことがみんな違っている。
おかしいと思ったのは取り次ぐ人が賠償について明確に知らないのである。

「鹿島区に住んでいれば70万、精神的損害もらえるのですか」
「その点は明確に答えられません、」
「とういう基準で決めるのですか」
「それもこちらの方では決められません」
「公平にしてもらわないと困ります」
「それはそうですがなんともいえません」
「鹿島区に事故のあったときに住んでいた人はもらえるのですね」
「一応そうはなっていますが・・」
「本当にもらえるのですか」
「それははっきりいえません」


こん問答がつづいた。最初から70万もらえるとか思ったから強く問うたがそもそも取り次ぎの人は知らないのである。
おそらく東電でも賠償する方でも賠償する方でも相当混乱している。
鹿島区はすでに損害として一所帯百万とか賠償されていた。
それに加えて賠償されるのかと思った。結局最近新聞読んでいないので賠償のことがわからなくなっていた。

24年1月から8月の間に18歳以下だったか、妊娠していた住民が対象。また、事故発生時に旧屋内退避区域と南相馬市の一部地域に住んでいた妊婦と子どもについては、避難の有無を問わず支払う。

この人たちが賠償の対象と書いているのだからそう書いておけば良かった。
取り次ぎの人はそれを知らないのか言わないのだ。
「どういう基準で審査するのですか、鹿島区に住んでいれば70万払われるのですか」
と何度も聞いたのに答えがなかった。そもそも賠償の取り次ぎのなのに知らないのというのも変なのである。アルバイトのようなものを雇っているからわからないのだろう。原発賠償は東電でも被害者でも混乱しているために
書類の送り方でも混乱している。

最初に精神的損害70万と来たからこれをもらえるものかと思って何度も電話したがもらえるとは限らない、どういう基準でもらえるのかと何度も聞いたがわからないという。
ここの記事にははっきり書いてあるしそう書類にも書いておけばよかったのである。そもそも70万は額が大きいと思ったから何度も聞いたのである。
実際は妊婦でもない18歳以下の人がいなければ精神的損害は一律一人ここでは4万なのだろう。最初から追加の補償が四万の書類が送られてくればこんな混乱はなかった。


ただ鹿島区では精神的損害でも住民が法廷に賠償を請求している。4万だと少なすぎるからだろう。それでも原発の賠償金は3兆円になるとかあまりにも莫大すぎる。それは国の補償であり税金となると国民からの反発もある。
賠償金で国がつぶれるとかなればもう出せないとなるだろう。
すでに東電は補償金をはらえきれず国有企業にした方がいいとされるのもわかる。
原発事故はとんでもない賠償金を払わされる羽目になる。国にそれたけ請求するとなるとまた国民の反発も大きくなるのである。
鹿島区で一人70万となると大きい、やはり妊婦と18歳以下が基準だと明確に書いてあればこんな混乱はなかった。ただもう一つのこの辺の情報が不足していた。


また今度は他人のもめごとにまきこまれて混乱して賠償金でも混乱した。
何かここ6年間介護で自分の病気で親戚関係で賠償などで混乱が収束しないのである。原発事故は十年間は国が入り工事とか除染とかいろいろつづくと外部から来た人が言う。それだけの大事故だからなかなか収束しないのである。
一身上でも次々に自分は問題が起き続けているのだ。

 
 
posted by 老鶯 at 22:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2013年08月24日

秋の蝉(老後は定着志向になる)


秋の蝉(老後は定着志向になる)


故郷に動かぬ岩や秋の蝉

岩二つしんみり動かぬ秋の蝉
故郷に残れる人や秋の蝉
その命残り少なく秋の蝉
ひぐらしや船着は名のみ昔かな
塩崎津波ここまで夏の暮
ひぐらしやこの道出会う里の人

ひぐらしや男夕餉の仕度かな

塩崎(しおのさき)に船着という地名が化石のように残っていた。これもいつの時代なのか?万葉集の歌が真野の草原が残っていたとしてもその時代ではないだろう。では平安時代なのか?そんなに古いものなのか?それも謎である。ただそこが海だったから船が来たから船着という地名が残っているのだ。現実に今度の津波で鉄道の線路の下のトンネルを越えて津波が来た。あそこかなり低いから塩崎まで津波が来た。塩崎(しおのさき)というのもそこが海だからそういう名がついた。その頃烏崎などには人は住んでいない、でも大内にはそが船という地名がありそが船とは船がそこをさかのぼっていくのが見えたからだという、すると大内には人が住んでいた。大内は古い地域だとなる。地名だって人が住まない限りつくはずがないからだ。烏崎であれ北海老であれ新しい地は津波にのまれたのである。海岸に接して人が住むようになったのは江戸時代なのである。松原ができたのも江戸時代である。津波は明らかに江戸時代頃から海岸線に住んで新しい地域は津波の危険地帯だった。こういう地帯が日本には多いのである。だから津波が来ればまた大きな被害になる。つまり奈良時代とか平安時代の海だったところは今回のような大津波が来たらまた海にもどる恐怖がある。


今年の気候の変なのは8月初旬まで雨でありその後急激に暑くなったことである。それでその時ひぐらしが鳴いていてなんだ夏がなく秋になったのかと思った。でも今日も暑かったように残暑もあるようだ。なんか気候が今年は変則的であり夏になったり秋なのかという変な天気である。
秋の蝉とひぐらしはまた違っている。ひぐらしはひぐらしという蝉の声であり秋の蝉はひぐらしの声ではない、秋の蝉というときお盆が終わると帰省した人も帰り淋しくなる。それでしんみりとして秋の蝉を聞くのがいいのである。

どうしても人間は60代になるとあまり動きたくなくなる。定着志向になる。だから石とか岩が老人にはあっている。それで石や岩の詩を相当書いた。その岩とはthe rockなのである。いつもそこにあり動かない石であり岩でありそれは旧知のものなのである。ますますそうした石とか岩に深く自己同一化するのがアイディンティティ化するのが人間なのである。だから原発事故で避難した老人は辛いと思う。テレビで何か仮設の外にも自由に出れないというのはやはり肩身が狭い思いがあるからだろう。自分の故郷でないから外の人に気を使うのである。小高の人でも仮設に住んで鹿島の人に肩身の狭い思いをしている。確かに補償金はもらって生活に不自由なくてもそうなる。


それにしても鹿島区でも一人70万精神的損害がもらえるみたいだ。南相馬市ではみんな同じにしないと不満があるからだろう。この額は大きいなと思った。何回聞いてもわからなかった。取り次ぐ人がよく知らなかったのである。今回の人は丁寧に説明してくれてわかった。結構この額は大きい、人数がいると額が大きくなる。職をもっていたりさらにどこかに避難したりしらさらにもらえる。やはり南相馬市までは同じにしない不満がでてくるからこうなった。相馬市は全然もらえないのでうらやましがっているだろう。


どうも整理をしつづけているが今度はパソコンがおかしくなってきたので新しいパソコンを注文した。ただ設定がめんどうなのでソフトが使えなくなるので変えたくなかったのである。パソコンにはこれまで蓄積したものが残っているからこれを整理するのがまた大変なのである。結局パソコンは記録しても常に消えるという恐怖があり紙に記録しないといけない、これも手間なのである。
cdとかUSBも不安定であり確実なのは外つけのハードディスクだった。8年前のものが残っていた。これは大量に記録できるからいい、意外とはバソコンは整理するのがめんどうなのである。
本も整理するのができなくなっている。何でも多すぎると整理すらできなくなる。

毎日毎日整理に追われて整理しても整理しきれないのである。なぜなら家事をしているから料理も整理が必要になる。自分なり使いやすくするように台所を整理して工夫していと効率的にできないのである。だから今年はもうすでに何か月も3か月4か月か仙台にも行ってないし近くでも飯館とか丸森とかでも行っていない、毎日整理に追われているのだ。賠償のこともめんどうだったり何かかにか仕事があり追われているのである。そもそも家事だけで結構な時間がとられるから時間に追われるのである。


それでもキクチスーバーの前で話した70才の人は一日何もせず昼間から酒飲んでいる。この人は仮設に住んでいる人ではない、鹿島の人だった。トラック運転手でありその話しを聞いて面白かった。
ただそうして昔の話しをするのだが現在は何もしない、昼間から酒飲むしか能がなくなっている。畑などしないので余計にそうなっている。雲雀が原の病院に行って薬もらっているとか何か変になっているのだろうか?これは仮設に住んでいるとか津波の被害でそうなったのではない、何もすることがない、何でも嫁がまだしてくれるし何も役割がない、これも危険だと思った。これからこういう人も増えてくる。こういう人は認知症になりやすい、生きがいもなにも見いだせない、知的なこともしていないから余計にそうなる。趣味もないからそうなる。だから老後は趣味もない人は無味乾燥になってしまう。でも趣味をもつにしてもそれだけの余裕と時間がないとできないしトラック運転手一筋にやってきた人はなかなか趣味などもてないだろう。そうすると老後が長いから時間をもてあますことになるのだ。認知症が増える原因がこういうところにもあるかもしれない、老人が何もすることがない、家でも余されてしまう。ただ年金をもらえるとき孫がにこにこしてジィとよってくるとか言っていた。金をくれるだけの存在になってしまうのも危険である。


とにかく自分は家事と介護とその他いろいろやっているから暇がないのである。最近特にそうだった。手伝いさんを雇うということでその人がまた普通でないのでいろいろあり時間をとられたのである。

2013年08月26日

今年は秋が早い (相馬市へ行くー花屋はフラワーアレジンメントのセンスが必要)


今年は秋が早い

(相馬市へ行くー花屋はフラワーアレジンメントのセンスが必要)


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静粛に大手門や秋の風

街道や兜作りに木槿かな


実りそむ稲穂のかなた山脈に影を写せる秋の雲かな

あわただし今年は秋の早きかな世の移りもまためまぐるしも
親戚の縁二つ切れ移る世や秋風さやかに吹きにけるかな


今年は秋が早い、夏は一時であり暑いことは暑くても短かった。梅雨が長く猛暑の夏も一時ですぎて今日は秋風が吹いていた。だから相馬市に行くのも苦にならなかった。あまり暑いと自転車では遠くへ行きたくない、強い陽ざしをあびるからだ。秋はやはり運動に向いて爽快になる。

秋というときみなは南相馬市は草原化して稲穂の実りがない、でも相馬市に来ると今までのように変わりなく稲穂が実りそている。これが今までの普通の見慣れた景色だった。それでも自分の住んでいるところはその当たり前の景色が喪失した。それもすでに二年経過したから草原の景色になじみ田んぼの景色がないから相馬市に来るとまた前の風景にもどる不思議がある。ともかく雲といい秋の雲でありめっきり秋らしくなったのが今日だった。昨日までは夏であり暑かった。親戚も二代目になると切れやすいしいい親戚は自分にはいなかった。
いい親戚はそんなにいないだろう。兄弟姉妹ならなんとか関係も保たれるがその他はきれやすいだろう。
だからかえってそういう縁は切れた方がせいせいする。そうしないと前向きに進めないのである。
ずっと津浪以来は物の整理でもありあらゆるものの整理がつづいているのでてある。


秋が早いということは世の中の変わり方も早く感じる。特に津波原発から自分の一身上の変化からここ6年間はあまりにもめまぐるしかった。家族が一人死んですでに三年は過ぎたのか?その間毎日自分は家事とか介護とか自分の病気のために追われていたのである。今もやはり追われている。


今日はまた駅前の花屋によった。その前にイオンでプリントした。あそこには大きなプリントする機械があり自動化している。パソコンで見た写真と全く同じようにプリントできる。パソコンのプリントはかえって失敗したりきれいに写らない、すると金がかかる。あそこのプリントはきれいであり安いのである。だから今ではあの商売が成り立っていることがわかった。プリントすることはもともと高かったが安い。あの仕事はプリントする高性能の機械さえあればとできるのである。自動化しているから人間のすることがないのだ。でも仕事する方にとっては何も創造性を発揮できないからつまらないとなるだろう。もう人がいらないのである。スーパーのレジだって自動化しているところがあり人をへらせる。この辺では人が自給1200円にしても来ない、とするとその減った分をできるなら機械化すればまにあうとなる。でもできないものがあり人手を減らせない分野がある。医者や看護師や介護関係は機械化できないだろう。人をもちあげる力仕事は機械化している。でもどうししても機械化できないものがある。


花屋は意外と創造性とか他にも人との対応とかむずかしい。花にも詳しくなることはもちろんだが
フラワーアレンジができないと成り立たない、フラワーアレンジは花道であるが結構創造性が必要なのである。ただ花をさすというだけではだめなのである。花をいかに活かすかということがテーマになるのだ。それは壺も関係している。だから結構金がかかるのが生け花でありフラワーアレジンメントであった。この世界は最近はじめたものであり自分にはわからなかった。なぜなら花をテーマにしても自然の花であり生け花ではなかったからだ。フラワーアレジンメントは自然の花とは違う。

だから花の種類が多いといいがなかなかそういう花屋はこの辺には少ない、百合一本800円というのには驚いた。相馬の駅前の花屋が安いのは仙台まで行って直接市場で買いつけしているかららしい。そこに仲買がはいると高くなるのだ。花の値段には相当な差がある。

ともかく花に囲まれて仕事して暮らすというのは何かめぐまれているし憧れる人もいるだろ。
ただ商売となるとまた別である。しかし花を知らないものが花屋になれるだろうか?
花をテーマにしてきたから花屋というのに興味をもったのは自分にとって自然なことだった。
でも商売と花を純粋に観賞するのはまた違っているだろう。
しかし花屋には花を知るセンスがないと成功しないのではないか?
花は一つ一つに個性があり奥深い世界なのである。だからどうしても芸術を理解する心が必要に思う。そうしたセンスがないと成り立たないのではないか?

仕事はそれなりのセンスが必ず必要なのである。
でも最近大工でもただ組み立てているだけであり大工の技が求められず衰退してゆく、チェーン店でもそこで決められた料理はできるが地元の料理を創造することはむずかしい。
そこに地元の文化が生まれにくいということがある。
ただ時給いくらで雇われる仕事は機械化される仕事なのでありやりがいがないのである。

明日また相馬市に行ってフリントをやりなおして花屋で新しい花を仕入れるからその花を買ってまたフラワーアレジンメントしてみよう。

2013年08月27日

相馬市の花屋でまた花を買う (生け花、フラワーアレンジメントは自分に向いていた)


相馬市の花屋でまた花を買う

(生け花、フラワーアレンジメントは自分に向いていた)

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 五本松ここに変わらず実りかな
 
 とりどりの花に実りや農家かな
 
 農家あれ松に実りの前田かな
 
 橋一つ一雨ふりて秋柳
 
 秋柳小泉川や城下町
 
 長々と柳の垂れてそよゆれぬ小泉川や秋の夕暮
 
 今日はまず自転車でイオンのプリント屋のキタムラで印刷しようとしたがUSBを忘れたので駅前の花屋によって花をまたあしらってもらった。葉も売っていてそれが深山の趣になっていて竜胆などがあっていた。あの葉は生け花ように作られたものだった。そんなものがあるとは知らなかった。
 生け花とかの世界は自分にとっては知らない世界だった。
 
 ただ最近旅にも行けないので定着するとやはり何か打ち込むものが必要になる。それでいいと思ったのが花をテーマとしてきたので生け花のフラワーアレンジメントの世界があることを知りこれは自分にあっていると思いはじめた。これはやはりかなり花屋に通わないとできない、近くの花屋で百合が一本800円ではやれない、あそこでは百合がふんだんに使えたから百合を楽しめた。
 それをパソコンで加工すると絵になり作品になっていた。これもまた新しい楽しみ方だった。

 プリントと見た目と同じようにプリントされる。それも安い。インタ-ネットで注文するとさらに三分の一くらいの値段になる。それは全国から注文するから安くできる。写真は配達するのも重くないから簡単なのである。店頭受け取りもできるかそんなことしていたら店屋でもうからないと思う。
 これが通販時代るき変な所なのである。店で買っても配達料とられたりする。車がないから電気製品の重いものは運べないから困る。ケ-ズデンキなどでも通販しているから保証もあるから同じなのである。店で買うメリットと別にないのである。配達料だけ多くとられるのが馬鹿らしいとなる。
 理屈にもあわないのである。
 
 花屋の世界は花屋を経営している人でないとやはりわかりにくい、ただ花屋はかなりの熟練と知識と創造性も必要である。フラワーアレンジメントとはかなりむずかしい。結婚式用の花を飾るのアレンジメントしていた。そういうのも創造的なものになる。花屋はこうしたセンスも必要だし経営しているのだからビジネス感覚も必要である。人との対応もありこれはなかなか実際は誰にでもできないものだろう。花の世界というとき自分は花は山に登ったりして自然の花を見てきたけど花の種類は多いから花はとても自然界だけから見れるものではない、世界中に花がありデルビニュウムとか青い花は最近知った。これはよく使う花らしいが知らなかった。これが写真から絵にして夏にあっていた。アフリカの方に咲いている花らしい。アフリカにも相当に花の種類があるだろう。花で美しかったのはギリシャだった。乾燥していて雑草などないから雑草の中に咲く日本の花とは違う美しさがあった。それは写真でインタ-ネットに出した。
 
 相馬市に入ると今はいつも不思議である。南相馬市までは実りがない鹿島区をでると今まで同じ景色なのである。稲穂が実り稲田が広がっている。それが普通の景色なのだけど今は相馬市に来ないと見れないか変なのである。実りがあり街道の五本松があり農家がありそこに花が映えている。
 実りがあって花も映えるのが普通である。それが原発被害地域では草原化して奇妙だけど花は別に咲いている。それは変わりないのである。でも実りはないのである。花だけがある世界というのも不思議になる。自分は花を追求してきたけど花だけで飯が食えるのか文化だけで飯が食えるのかとなるのが普通であり批判される。
 
 でも今は補償金で原発被害地域南相馬市までは結構金は入っているからそれほど苦痛でもないのだ。喜んでいる人もいる。ニートなんか新しい電動自転車を買ったり喜んでいた。一人この辺でも精神的被害が70万というのは大きいと思った。その他に働いている人はもらえる。でもこれも今はいいにしてもあとは補償金などもらえないから結構苦しむ夜討ちなるだろう。
 補償金で人間がだめになるということも書いた。だこから必ずしもいいことではない、ただ不思議なのは花というのは放射能と関係ないのである。食べるわけではないから放射能は関係ないから花はどこでも栽培しているし普通に売れる。花屋はこの辺では仙台から仕入れているから一応仙台の市場に出て出回るとなる。
 
花の不思議はなぜオランダが一時チューリップバブルになったかである。チューリップにそれほど価値が生まれたのか?でもバブルになると絵が馬鹿高く売れたように何が価値あるものかわからなくなる。チューリップにそれだけ価値があるということは豊になった証だったのである。
だから豊になれば花でも価値あるものとなるし花に投資することにもなる。自分も投資信託などして失敗だった。百万くらい軽く損している。株はもうもうからない、それなら自分の価値あるものに投資した方がいいと思った。それが生け花でありフラワーアレンジメントの世界だった。これは壺も買うから金がかかる。でも詩でも花をテーマにしたから自分の追求したものと連続性あるから自分には向いていたのである。

2013年08月29日

藤桂子新宿で自殺(夢は夜ひらく・・の青春時代の回想)

 

藤桂子新宿で自殺

(夢は夜ひらく・・の青春時代の回想)


仕事がないときは、長女に乳飲み子の藤を背負わせ、澄子は三味線を抱え、父親は長男の手を引いてふろしき包みを背負い、一軒一軒営業のために農家をまわった。厳寒の北海道で、寺の軒先や床下で寝ることもあった。澄子は目が不自由だったが、栄養失調が原因だったという。
http://dot.asahi.com/ent/showbiz/2013082700023.html


こういう人がいたということ自体今になると信じがたい、これは江戸時代ではないか?
なぜなら江戸時代には盲目の人が一割近くいたのである。原因と栄養失調だった。
それが戦後十年くらいは貧しいからこういうことがあったのかもしれない、こんな人生を送ったというのもこの頃がいかに江戸時代の延長のようなところがあったためである。
燃料が炭だったとか舗装されていない砂ぼこりの道とかで茅葺き屋根の農家とか普通にあったからである。


「夢は夜開く」という歌手も不思議である。


サルトル、マルクス並べても
明日の天気はわからねえ
ヤクザ映画の看板に
夢は夜ひらく

風呂屋につづく長い道
40円の栄光は


八百屋の裏で泣いていた
子供背負った泥棒は
ギャベツ一つ盗むのに
涙はいらないぜ
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=k-100603-079


サルトル、マルクス並べても・・・この歌詞がなぜでてきたのか?学生運動と関係していた。マルクスを読んで全学連がまだ活躍していた。サルトルというのもやはり格好つけるために読んでいた。
風呂屋につづく長い道・・風呂屋というのは銭湯屋だった。キャベツ一つ盗むのに・・・これも貧乏時代を象徴していたのだ。40円というのは当時で相当な金だった。それで思い出した。自分の家が駄菓子屋のよう三文店屋をはじめるのに借りた金が40円でありその金がなく自分の姉がやり手でありやっと借りた話しをいつも聞かされていた。資本がないと事業がはじめられないのは当時でも今と同じだった。ただその当時は店というのは簡単にはじめられた。それでどこでものさえあれば繁盛したのである。その物がなかった時代だからそうなった。40円は今の金では百万なのか、2百万なのか、4百万なのかわからないにしても相当な金だったのである。だから40円の栄光は・・・とかなる。
店というとインドに行った時面白かった。バラックの粗末な店があり新聞紙の袋を使っていた。
自分の店でも新聞紙で袋を作っていた。母は毎日作っていた。だから何かなつかしかった。
後進国で面白いのは昔が偲ばれることなのだ。


それにしても昔のバチンコ台は誰でも作れるような粗末なものだった。ただ釘を売っているだけのものだった。その台にしても粗末であり何か場末の雰囲気にあっていた。バチンコ屋は田舎町でもどこにでもあり親戚の人がバチンコ屋やりたいからと自分の家に金を借りにきたのはそのためだった。
なぜならその時自分の家は店が繁盛していたから金をためるようになっていたからである。
自分が三流大学の学生だったときほとんど勉強していない、それで暇をもてあましていた。それで結構パチンコをやっていた。当時の学生はパチンコをしていたのだ。ただサルトル、マルクスなどでてくるのは当時の学生の状況を反映していた。新宿で石を投げると学生にあたるというくらい学生も増えてきたしマンモス大学とっなっていた。三千人の講堂で授業するなど何か授業もつまらないものだったのでそうした遊びに費やす人が多かった。これも今ふりかえると不思議である。
何故ならパチンコ屋で藤桂子の歌は常に流れていたから意識せずに記憶に残っていたのである。
あの場末のバチンコ屋とあの歌がマッチしていたのである。そんな時代があったなとつくづく今になると不思議である。 あの当時は歌謡曲全盛の時代であり歌は苦手でもいい歌が多かった。
まだ情緒的なものがあり今とはかなり違っていた。フランシーヌのなんとか脳裏に記憶されている。歌の世界ではいい時代だったのである。


青春などあまりにも遠いものとなってしまった。でも青春となれば老後には何かなんでもなつかしくなるのだ。あんなことがあったのかと別な角度から思い出すのが楽しみになる。歌詞がこんなものだったということがわからなかった。これは時代を象徴した歌詞だったのである。
青春というのは何でも今でも何か熱気でエネルギーでむんむんしたものがある。それは性であれ何であれそうなる。そういう熱気は青春特有のものでありそういうものを失うとただ思い出すだけになるのだ。藤桂子は雰囲気もこの夢も夜ひらくも頽廃的なものがあったのだ。だから最後は新宿で死ぬのもふさわしいともなった。あの当時の青春は音楽が全盛期だというときその歌一つ一つに思い出がよみがえることがあるだろう。それだけ歌が多様だったのである。その歌の一つが夢は開くでありこれがパチンコ屋の場末の雰囲気とぴったりだったのである。


藤桂子が死んだということは一つの時代の終わりの象徴だったのかもしれない、団塊の時代の青春の象徴の歌手でもあった。これは学生だけではないやはり中卒で集団就職したような人たちもこの歌を聞いていた。当時の時代の雰囲気がこの歌にありそれで藤桂子が死んだということが一つの時代の終わりを感じた。美空ひばりは戦後の象徴としてあったが藤桂子はその後の時代の象徴だったのである。戦後十年は何か江戸時代の自給自足のつづきであり貧乏でもなつかしいものがあった。
だからこんな江戸時代と変わりないような生い立ちがありその後は華やかなスタ-時代があり没落頽廃して新宿で自殺したというのもそういう人生のゆきつく先が見えていたともなる。
でも藤桂子の娘はヒカルはアメリカで売り出したとか藤桂子もついていったとかやはり国際的になっていることもその後の時代を象徴していたのである。


人間の運命は青春時代の延長としてありその時にその最後も見えることがある。この人はこんな人生を送ってゆくなとか見えることがある。こうした頽廃的な歌から最後も結局頽廃的となり自殺になり新宿で死んだのである。青春時代は真面目なものを志向すへきであり頽廃的享楽的になるとその後の人生がこんなふうに自堕落になり虚しく生を浪費することになる。自分の青春もカルト宗教団体に費やされたり虚しいものだったがそもそも一時は頽廃的でももともと真面目志向だからそうはならなかったのである。全学連でもカルトでも真面目志向の人が入っていたが方向が間違っていたのである。青春時代はなかなか先が見えないから暗中模索になるのが普通なのである。それが老人になるとあの時そういうことだったのかと見えてくるのである。


一時の華やぎ過ぎし青春や新宿に死す歌手のあわれも

釘打ちの木製のバチンコ台虚しくも費やされにし青春の時


 

posted by 老鶯 at 03:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層