2013年07月19日

家系の謎 (悪い因縁は簡単に切れない、結婚すれば相手の家系の因縁を受ける)

 

家系の謎

(悪い因縁は簡単に切れない、結婚すれば相手の家系の因縁を受ける)

この世で人間の運命ほど不思議なものはない、運命とかは出生の不思議は何なのか?そこには神の関与もあるのかとも思う。家系でもそうである。なぜ夫で苦しんでいた親がいてその娘も同じ様に苦しんでいるのだろうか?別にそういう夫を選んだわけではない、結果的にやはり夫に苦しめられるようになった。親と子が同じ運命になった。なぜそうした夫を選んだのか?見合い結婚だとするとそんなこと結婚するときはわからない、でも結果的にはなっていた。

母親の違う兄の父は工場で事故で死んだ、その後その父系統の親戚とは音信不通となった。その息子も今度は交通事故で死んだ。これもなぜなのだろうとなる。祟りだといっても自分の息子には祟るということはありえないのだ。二代にわたって同じような運命になりうることは多々あるのだ。

カルマだと言えばカマルになる。カルマといってもせいぜい三代前くらいまででありそれ以上はカルマは継続しないと思う。だから前世からの因縁だというのはわかりにくい。
明らかなことは二代くらいはそうしたカルマが悪い因縁はつづく、因縁とはなかなか断ち切れないものである。親戚でもめる人が多くても縁を切れないのはそれだけ親戚になると甥姪子でも結構因縁が深いものとなっているからだ。

一旦夫婦になったらその因縁は深いものとなる。だからなかなか因縁を絶つことはむずかしくなる。別れても追い回され殺されている妻もいる。だから一旦因縁を結ぶことは恐いことなのである。
簡単には切れなくなるからだ。だからこそ結婚の相手は相当に問題になる。その家とか家系とかの影響を受ける因縁を引き継ぐといかことがあるからだ。因縁は実際は相当に恐いものがあるのだ。

結婚することは二人だけの問題ではない、必ず相手の家庭や家系とも関係してくるから恐いのである。二人が愛し合っていればいいではないかというのが現代の結婚だけど実際は結婚することは相手の家族や親戚や家系と深く関係してしまうことなのである。そして一旦結婚したらその因縁の中に否応なく組み入れられるから悪い因縁でも断ち切ることはできなくなる。もちろん相手のいい因縁も受ける。ただ悪い因縁も受けたらその影響は大きいのである。


ただ悪い因縁でも二代くらいまでだろう。祖父が事故で死に息子も事故で死にその娘も不幸でったが四代目の曾孫くらいになるとそうした悪い因縁も断たれてきていい因縁に変化することもある。
余りにも悪い因縁はつづくことは良い因縁に変化するということもある。悪いことがつづいてもいつまでもつづくとはならない、そういうものは一つの膿(うみ)みたいなものかもしれない、一度出してしまうと体が良くなるように好転することもありうる。

自分もここ6年間はどうにもならない悪い因縁の中に組み入れられて苦しんだ。凶運は五年くらいはつづく。そういうときはどんなことしても悪いことがつづくのである。悪いことが重なるのである。そういうことは誰にでもどの家族でもありうることである。
その家族か特に呪われたというものでもない、そういう運命に誰でも陥る時があるのだ。
そういうときカルト宗教団体に入っても解決しない,かえって悪い方向に悪い因縁の中に組み入れられてしまう。


ともかく地震であれ津波であれ原発事故であれ本当に凶運だった。なぜこれほどはの凶運になったのか?人間が非情なとき自然も非情無情になったのかもしれない、地震や津波は規則的に襲う自然現象であり人間のこととは関係ないというけどそうでもない、人間が乱れるとき自然も乱れるのだ。
江戸時代が比較的平穏だったのは貧乏でも人間の心はそれほど乱れない、素朴さをもっていたからかもしれない、今は人間の心は冷たく異常であり非情化している。明治維新後の変化は大きすぎたのである。大きな戦争が二つもあり犠牲が多すぎた。それも異常な時代だったのである。


人の運命もあまりにも不可解だから誰かが神が人生に関与しているとさえ思う。自分にしてもある時死んでいたかもしれない、そこて死ななかったのは神が見守り助けてくれたともなる。そういう経験をしている人は結構多いのだ。ただすべてが宿命だとか運命だとかはならない、いくら不遇に生まれてもその人の努力によって運命は変わるのだ。不遇を嘆く人は多いけどその不遇を嘆いてばかりいて呪っていると結局その不遇から脱することができないのである。

ただ人間の運命は不可解でありそれはなぜなのだろひうとなると前世の因縁だとかいろいろなことを言う人がいる。

人間はこうして人生もそうだが自然でもわかっていなかった。人間を超えた力が働いている。科学もそうした大きな力を越えることはできなかった。科学がいくら発達しても人間の謎は解けないし自然の謎も解けることはないのだ。だから神の前に謙虚になることが要求されるのである。
原発でも核のことなどまだわかっていなかった。だから一旦事故になったら終始がつかないものとなったのだ。


自分の凶運は一応終わったように見える。やはり健康が回復したことが一番大きかった。健康でありさえすればたいがいの凶運ものりこえられる。健康がなくなるとき人間はどうにもならなくなる。

まあ、なんとか客を迎える準備はできた。それだけの余裕もできたから客も迎えられる。
とても余裕が客をもてなしたりできない、相手もきづかったりすることもできない、自分が健康でないかぎり相手をきづかうこともできない、また借金している人もできない、借金している人は本当は相当に恐い、暴力団に借金で追われ自分の妻や子供まで保険金をかけて殺すとかそれほどまでに追いつめられる。それは架空の小説にしてもそれだけ追いつめられるから借金している人は恐いとなる。そういう人が自分のんにはいなかったことが最悪だったのだ。そういうとき相手も必死だから自分の弱さにつけこんで病気のことなどかまわないし入院しても脅迫するようなことをしてきたのである。だからそういうふうに追いつめられている人間は恐い、それで凶悪な殺人も起きているのがこの世である。


ともかく悪夢の時はすぎた。これからは良い方向に向かうのか、まだ不安材料があり介護しているからわからないけど何かそうした最悪の凶運過ぎた夜討ち思える。