2013年07月18日

原発事故で昔の自給自足の生活が見直されるのか? (便利なものに頼りすぎると事故が起きたらもう直すこともできない)


原発事故で昔の自給自足の生活が見直されるのか?

(便利なものに頼りすぎると事故が起きたらもう直すこともできない)


今日はアマゾンでLEDのしーリングライトを買ってとりつけようとしたができなかった。結構めんどうだった。電気工事会社に聞いたら今は人手なくでできないという。やれるのも何か月先だとか言っていた。自分の電気工事というものでもないからできないというのもわかる。でも電気工事関係の人も人手だたりない、住宅建築でも地元の大工はたりない、注文しても何か月先になるという。

しゃれたアバ-トを建てた大手の会社は茨城県でありそこから来て建てていた。他では亘理の方から来て建てていた人もいた。結構家が建っている。それでも家がもっと建つのだが人手がたりなくて先送りになっているのだ。電気工事関係でも人手がいないということは意外だった。電気工事は家を建てる時に必ずかかわる。水道関係の人とかも人手が足りないという。家を建てるにしてもいろいろなものが設備が必要だからその関係の人手が必要になる。その人たちが不足している、働き手が流出したということもあるだろう。この人手不足が思った以上深刻なことがわかった。

これは医療福祉関係だけではない、あらゆる面で人手がたりないのである。

自分は何でも自分でやりたいということがある。でも電気関係は危険である。一つ壊してしまった。そこから火事になったりするから恐い。でも角形のはめてあるところがとれないのはとったことがないから固くなっているのではないかとアドバイスがあり確かにベンチでまわしたら簡単にとれた。

手ではとれにくかった。意外と道具を使いこなすことが大事になる。料理だってそうである。
まずいろいろな道具がありこれを使いこなせないと効率的にできない。料理とか家事はなかなかコツがわからないのだ。とういうのは誰も指導してくれないからそうなるのだ。いろいろ買うものが多いのである。自分は他の人より毎日食糧でも2千円とか使っているから使いすぎである。でもオカズが作れないからどうにもならない、どうしても時間がかかることはやりたくないのだ。だから無洗米などがあるのも便利なのである。IHヒ-タ-も必ず必要である。ガスは何度注意してもつけばばなしのときがある。自動で時間で消えるのが必要であり電気も自動的に消えたりするのがいいのだ。それで
LEDのライトを買った。


何か変なのは通販で買ったのはこれは自転車だと大きすぎて運べないからである。通販は送料もかからないで三日以内には配達される。ところが量販店でも配達されるまでは二週間とかそして配達料も結構高いのである。通販はその点で便利なんだけど今回のように失敗することが何回かあった。
大きさと重さがわからずバッグを買って失敗した。やはり手にとってみないとわからないものがある。でも相当に通販で買った。通販で買えないものが今は相当あるからだ。
ただ量販店の競争相手が今と通販だということをあまり意識していない、例えば商品でも説明がわかりやしい場合が通販にある。かえって商品が良く説明されていないのが量販店にあるのだ。
そしてすぐに必要になったとき買えるのが便利なのである。何か必要だというときそれか近くでも売っているのもがわからないことが結構あるのだ。それで品物の数が増えたということもある。
何かこまごまとしたものの買い物がふえた。料理しているから余計にそうなったのである。


まず自分がこの六年間していたことは家事でありこれは結構多岐にわたるものだと思った。家事をこなすには料理もそうだが台所を効率的にいかすのは結構手間と時間がかかる。介護もしていたら余計にそうである。介護は家事の延長みたいなところがあるから家事ができる女性に向いていたのである。ただ家事にはちょっとした大工仕事などもあり庭いじりもしているからいろいろとある。
そうした能力を身につけることが結構むずかしい。器用な人はいいがそうでないは苦労する。

昔の人は自分で大工仕事をしたりした。自分の父親も風呂場を作ったりしていた。自分でせざるをえなかったのである。人に頼めば金がかかるということもあった。今回の地震で壊れたタイルとかもそのままであり家は地震津波から荒れたままだった。いくらかたづけてもかたづけきれないのである。タイルも人にたのみ修理もできないから自分である程度直すほかない。セメントをぬってはりつけるほかないだろう。前にはアンテナをとりつけるのを自分でやったのには電気屋の人も感心していた。線を削ったりしてインタ-ネットを見てやったのである。それは確かに正確にできていたのである。

だから手間賃はただにしてくれた。これは結構むずかしい仕事だった。今回のとりつけはそれより楽なものであるが実際はそうでなかった。

家事でもある程度自分でこなせないとんいけない、みんな専門家頼りではまずいのである。だから原発事故以後あまり複雑なものは使わない方がいいとかも思った。自分である程度処理できないものは使わない方がいいのかとも思った。便利でもめんどうになるからだ。原発なんかもあまりにも便利なものでありそれでも一旦こういう便利なものは事故起こしたり壊れると直しようがないのである。
そこが最大の弱点だった。自分で直しようがないものは使っていると危険である。昔の電気製品は電気屋で直していた。今はも直せないから困るのだ。そういうものに頼っていると直せないのだから使い物にならなくなる場合がある。臨機応変に使いないのである。

結局原発事故では車がガソリンか入らず使えなくなった。水道もでない所もあった。電気もつかないところもあった。そうなるとお手上げになり死にさえ追い込まれる。だから裏山の清水を運び飲んで薪を燃やしてしのいだ三陸の人たちがいた。そういう自給自足の生活にもどったのである。

この辺でももう便利すぎた電気などの生活から昔の自給自足生活にもどる。そうしたモデル地域にするのもいいかもしれない、確かに不便であり不自由であっても災害には強いとなる。ただ電気など全部を否定しては現代の生活はなりたたない、通信とか絶対に必要なのである。何が起こっているかさえわからなくなるからだ。そういう電気はそんなに多くの電気を消費しないのである。

なぜこういうことを言うかと現実に技術をもっている人とかいなくなっているからだ。医療関係もそうだが福祉関係だってそうである。
そうしたち昔のように隣近所で介護など助け合えばいいとなる。介護などご飯作ってあとはたいしたことはしないですむ場合がある。
そうしたら遊んでいる人は介護士の役をやればいい、現実に人手がたりないのだからそうせざるをえなくなっているのだ。
やれることはそれぞれやらなければもうここではやっていけないのだ。


まず自分がしていることは多様である。家事でも今度はお客さんが来るというので一日でも家の掃除やら飾りつけをした。そしたら自分は今度は旅館の女中、下男みたくなっていた。ただ違っているのはかざりつけは絵などは飾ったりしたからそれは芸術的センスも必要としていた。旅館業も意外といろいろな能力を必要とされている。料理もそうだが何か絵を飾ったり庭を見せたりするのも必要だしもてなしの心も必要である。それは茶の湯にも通じてている。このもてなしはまた介護にも必要なのである。家事の能力は実際は多岐にわたりこれを全部こなすことは不可能である。肝心の料理がうまくなることは自分にはできない、これは相当な能力が必要なことがわかった。


ともかくお客さんを一日とめることは容易ではない、それほど歓迎する人でないにしろそれなりの用意をするから大変である。部屋は床の間があり八畳間でありそれが古い作りだから手のこんだものとして部屋が作られていた。この家は土壁でもあり地元の大工さんなどが丹念に作ったものだった。
だから今になると気持ちよくゆったりするのである。だから一人か二人泊める民宿にしたらいいなとも思った。ただ料理などはできない、この家をどういかすのかそれも問題になっている。

 
 
                                                          
posted by 老鶯 at 21:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

残された北海道の一枚の写真 (写真はあとで貴重になる)


残された北海道の一枚の写真

(写真はあとで貴重になる)


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ここが北海道のどこかわからなくなった。最近ずといろいろなものを整理していた。ンも整理して半分くらいなげた。結局本も利用しなかったら何の価値もないのである。ただ集めて飾っていても野役目は果たしていない、ただ本が蔵書が必要だったのはどうしても辞書のように参考するものを置いていないと文章が書けないからそうなった。そこに図書館の意味もあった。参考にするを資料など全部揃えられないからだ。


それにしてもまずこの山はおそらく羊蹄山の麓の写真なのだろう。いかにも北海道らしい雄大な景色である。この写真をとった記憶も全くなくなっていた。この写真をみていい写真だなとつくづく思った。デジカメなどない時代だからこれは大きなプリントにしていたのはやはりいい写真だったからかもしれない、ただこれは本当に自分でとった写真なのか不明なのである。雑誌の写真を拡大化したのかもしれない、でも大きなプリントにするというのも解せないのである。


一枚の写真は実は多くのものを語って伝えることがあった。これは風景だけだけど人間が写っているものがそうであった。自分の家の子供の頃の写真を発見した。その写真は本当に不思議だった。
それから死んだ姉の写真もいろいろあった。とくに昭和15年にとった看護婦の写真は貴重である。なぜならその頃白黒写真だったからである。それもぼやけてくすんで汚くなっていた。

人間は死ぬと思い出すものは写真だけになる。その写真をみていると本当に不思議である。
こんな人だったのかとか思い出す、写真で問題だったのは日にちと場所がわからなくなっていたことである。これが意外と写真の盲点だった。日にちと場所と名前を書いておくと写真は貴重な記録になる。


現代はデジタルカメラで膨大な写真が記録されているからそれが50年後とかになるとかなり貴重なものとなり記録がよみがえる。人間にとって記録がいかに大事か、津波で思い知らされた。もし一枚の白黒の写真でもいいから400年前にあったらどうなったか?つたない絵でも残されていたらそんなことあったのと注目したに違いない、ともかく現代は写真で時系列にも記録される時代である。
人間ほどわすれやすいものはない、すでに母はぼけていて写真を見せてもわからなくなっている。

もう自分が経験したことも誰が誰なのかもわからなくなっている。たいがい90すぎたら認知症になってしまうからだ。記録が消えてゆくことは実は人間の死を意味していたのである。記憶していれば過去も生きているし一緒に生きた人たちも生きているのだ。忘れればもうその人たちも生きていないのである。


ただあまりにもくるしい人生だったというとき忘れることも必要である。嫌なことは忘れた方がいい、でもいいことも忘れるから困るのである。と
ともか北海道に十回も行ったからいろいろ記憶されているはずだが忘れてしまうのである。
だから思い出す作業をしているときこうした一枚の写真でも残っていると記憶がよみがえってくるからいいのである。