2013年07月17日

歴史や祭りを変えると後の人に災いが・・ (烏崎の津(浪)神社が鯨の神社に変わり津波は忘れられた)


歴史や祭りを変えると後の人に災いが・・

(烏崎の津(浪)神社が鯨の神社に変わり津波は忘れられた)


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津神社の裏側にあった-鯨大明神

名取に鯨が打ち上げられた(相馬(鹿島区)にもあった鯨の碑)

http://musubu.sblo.jp/article/7998365.html

なぜ烏崎の津神社が津浪を記念した神社なのに鯨の神社になっていたのか?鯨の祭りをしていたのか?そのことを原発事故は誰の責任なのかということでも書いた。つまり鯨の祭りになったのは最初は津浪を記念したものであっても寄り鯨がありその恵みが大きかった。それが土地の人に印象に残り津浪のことは忘れられてしまった。鯨は津浪のように一回だけではない何度も寄り鯨がありうるから忘れることはない、その恵みも大きいから忘れられない、一方で津浪の被害も大きかったからこれも本当は忘れにくいものだったはずである。今回の津浪の被害をみれば別に家族を失ったものでなくても簡単に忘れられないし代々語り継がれる大惨事だった。それが忘れられたことはなぜなのか?とにかく400年たつなかで忘れられてしまった。


神社の意義はなになのか?それは別に信仰の対象ではない、ただ津浪を記念したというときそれは大きな意味があったのだ。後世への津浪の警鐘としてまた記念として神社が建てられた。ただ烏崎の津神社はもともと小さいものだったろう。それが鯨神社になったとき大きくなったのだろう。津神社はみんな小さい祠のようなものだったろう。ここで問題だったのは祭りが変わり津浪のことを忘れられたということである。祭りはある事実の何か重大なことの継承だった。それはまた信仰とは違ったものであり歴史の継承の役割があった。神社を祭りをおろそかにするということが祟りがあるというときそれは今回それとにたものを感じた。歴史の改竄とかはよく言われる。それは確かに常に行われてきた。しかし祭りを変えたとかはあまり言われない、それは大きな国の歴史とはかかわらない地域の歴史だからそうなった。でも地域の歴史でも祭りは歴史の継承であり由来がわからないくなったものもある。ただ祭りだけが千年とか継続されているものがある。それは歴史の継承でありその祭りを変えることは重大なことだったのである。神社が畏れ多いなど今は思わない、でもそう思うとき神社を祀って建てたのはそれなりの意味が当時あったから建てられたのである。その意味が400年もたって不明になって別な祭りに変化していた。これは歴史の改竄だったのである。このことが重大なことと認識されたのは今回の津浪の被害の甚大さによってなのである。


よく縁起が悪いとか今でも言うけど昔はもっと言われていた。この世にはわからないことが多々あり縁起が悪いというとき今のような科学も発達しないから縁起が悪いとなり神仏に地蔵にも祈っていた。その土地の神にも祈っていた。その縁起が悪いということが実は津浪を記念した津神社を鯨の神社に変えたことであったのだ。そういうふうにもともとあったものには長くその土地にあったものには何か意味があったのだ。地名のことも津浪で言われた。浪江は標葉郷でありこの標葉は禁断の意味だった。まさに縁起が悪い地だったのである。そんなこと科学の時代に通用しないとなるが今回わかったように科学でもわからないことが多々あるからそのように縁起が悪いということに人間はこだわりつづけてきたのである。なぜ相馬氏が小高の城から海岸に接した村上城へ貴布根城として移したがすぐにそこは縁起が悪いとして城を今度は原町の牛越城に移したのである。やはり村上城は縁起が悪かった。なぜならそのあとすぐに慶長の津浪に襲われていたからである。昔の人は何かと縁起が悪いというのはやはり一つの人間としての危険を感じる感だったのだろう。


それが単に迷信的でなかったのは今回の津浪でわかった。科学ですべてがこの世のことはわからないからこそ縁起が悪いということもそんなこと馬鹿げているとはならなかった。現実にその土地のことは千年以上の歴史がどこにでもあり神社もありそれが何かに由来していて建っている。特に古い神社には何かしら必ず由来があり建てられた当時は意味があって建てられたのである。それが神社には由来がわからなくなったのが多いのである。それを今回は現実にこれほどの津浪の被害を受けて思い知らされたのである。なぜ津神社の由来を鯨の神に変えてしまったのか?その怒りが今回の津浪になったんじゃとかさえなる。津神社の由来をおろそかにしたからこうなったんじゃともなる。なぜならもし津浪のことを伝え祭りしていたら津浪がここにあったということを意識するし早く逃げて助かった人も多かったかもしれない、そういう意識をもたさせる役目が神社にはあった。ただそれは神仏の信仰とは別である。要するに古いものには何でもそれなりに意味があった。言葉でも廃れる言葉が多いがそれも歴史的に意味あるものであった。その言葉の意味が変わったり意味がわからなくなるのともにている。


だから神社とか古い碑があった場所とかは変えない方がいいし祭りも変えない方がいい。場所を変えたらそこが津浪があって高台に建てられたということも忘れられてしまうだろう。由来も変えて祭りをしていたら津浪のことも意識させられないのである。原町区の雫(しどけ)にも小さな津神社があり今回の津浪からまねがれたという。雫というとあれだけ高台なのに津浪に襲われた衝撃があった。
あそこにもすでに人が古くから住んでいて慶長津浪の時被害があったのである。だからこそ津神社が祀られていたのである。歴史は時間がたつとひっそりとした目立たないものになりそれに深い意味がある場合がある。でもそれは後世の人が見いださない限り不明になる。現代でも大げさにマスコミやテレビで騒ぐものに意味がなくなりたちまち忘れられる。歴史的に意味あることは例え残されていても忘れられているからそれを後の人が見いださない限り不明になる。だから歴史には重大なことがまだ埋もれていることもある。発見されず身近にあっても忘れられているということありうるのだ。

人間は今でも例え家族でも60年とか一緒に暮らしていても死ぬとたちまち忘れられ謎になり不明になりやすいのである。死ぬともうその人を思い出すことがむずかしくなる。津浪で死んだ人は写真だけが思い出となり手がかりとなった。それで泥の中から必死で写真帳などを探していたのである。
つくづく人間は忘れやすいものであり過去は失われやすい、だからこそ古くからあるものには何かしら意味があり伝えるものがあり大事にせねばならないとなる。特に現代のようにあらゆるものがめまぐるしく変わる時代はそうである。過去というものを見いだすこともむずかしくなる。それが大きな災いに通じていることもありえた。それが今回の津浪だったのである。


 原発事故の責任者は誰なのか? (巨利に目がくらんで事故になった-烏崎の津神社も鯨の恵みで津浪は忘れられた)
http://musubu2.sblo.jp/article/70998128.html

posted by 老鶯 at 21:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

原発事故の責任者は誰なのか? (巨利に目がくらんで事故になった-烏崎の津神社も鯨の恵みで津浪は忘れられた)

 

 原発事故の責任者は誰なのか?

 (巨利に目がくらんで事故になった-烏崎の津神社も鯨の恵みで津浪は忘れられた)
 
 ●地域の利益優先のボリティシャアンにならざるをえなかった地方議員

原発事故の責任は誰にあったのかというとこれもわかりにくい、うやむやになっている。
それが民主主義社会になったから余計にわかりにくいのである。
例えば前双葉町長の井戸川氏のことを今になって反原発というのも変だ、辻褄が合わないとか一貫性がないと批判した。でも政治家になる方にしたら町長になるには原発推進でしかなれないのである。その政策でしか町長にはなれなかった。反原発だったら町長には絶対になれなかった。なぜなら町民の大多数が原発推進であり民主主義が多数で決めるとしたらそれに逆らえるものはいない、町長は町民の大多数の意志を代弁したものにすぎないとなる。


ポリティシャンかステーツマンかの政治家の判断基準として「自分の支持者だけを向いている」か、「国民全体を向いている」かという点がある。自分の選挙が優先と考えれば、自分の支持者に顔が向いてしまう。つまり、ポリティシャンになってしまう。しかし、選挙で選ばれる政治家にとってステイツマンになる事は口で言うほど簡単でない。選挙で落選することも覚悟の上で行動する勇気が要る

地方議員はほとんどがポリティシャンであったが、これからの地方のことは地方で責任を持って決める地方分権時代である。地方分権時代はあわら市全体のことを考えるステーツマン議員が求められる。
http://blog.goo.ne.jp/forza_awara/e/0678776374bfdaaf5128993d567a9cff


ポリティシャアンは「政党政治家」「政治屋」「政略家[とか権力だけを。操作したい権力の恩恵にあづかりたいという人たちをさして言っている。

地方政治ではどうしてもボリティシャアンになりやすい、国政だったら大きなテ-マがあり利益追求だけとは限らない。地方ではみんな利権政治屋になりやすいのだ。それが原発事故に結びついていた。そもそも当選できないとしたら反原発などの政策をかかげない、利益求める選挙民に従った方が得だとなるからだ。当選できなかったら何の意味があるのかとなるからだ。でも今になると原発には誰も反対しなかったのかと外部からも問われているのだ。いたのいても数人でありいないと同じだったのである。反対していたらその町に住めなくさえなっていたかもしれない、でも事故後、例え当選しなくても反原発で選挙にでていたら今になるとその人は内部からも外部からも相当に評価されることになっていたのだ。


ともかく町長にしてみれば原発推進でなければ町長にはなれないから原発推進になったのでありそれは町民の意向であり町民が決めたことであり町長なかったとなる。今度は町民が原発事故で苦しんだから反原発になったから反原発の緑の風から立候補したとなる。つまりそうした政策を決めているのは一個人ではない、一個人がそんな力をもっていないのが民主主義社会である。それを決定するのは投票する民衆である。だから原発事の責任は民主主義社会では民衆にあったとなる。結果としても原発推進だった民衆が苦しむことになった。


●極論の中に真実が見えてくる


原発はまた必ず電気がなくていいのかとかなる。電気なしで今の時代暮らせるのかとか脅迫的にもなる。電気なしでは暮らせないという現実もある。だから原発がすべてだということではない。でも原発はもうなくてはならないものだとなっている。それは脅迫的に強制される。映画で原発を信仰のようにして崇めて原発と共に命をともにするのだという映画あった。原発推進を極端化すればそうなる。それはそれなりに筋が通っている。つまり原発と命をともにする、死ぬ覚悟で原発を推進しろとなる。一方で山尾三省のようにパンすら贅沢の極貧の生活あえてする極端がある。しかしその極端の中に真実が見えてくる。中間の人は自分でもそうだが電気を恩恵は受けたいが原発は嫌だとなる、原発を徹底的に拒否することはない、電気が不可欠なのだから原発もやむをえないなと中間派は思っている。原発が嫌なら本当に山尾三省のように極貧にならなければ説得力がない、中間派は原発に反対するにしてもデモに行っても暑かった、どんどんク-ラ-で冷やしてくれとかなる。そういうことに矛盾を感じないのである。

原発反対でも本当に真剣になっていないのだ。だから原発とともに命をともにするのだという極端な人の方が説得力がある。そこまでやるならしかたない容認しようともなる。

一方で反原発はそんな覚悟はない、電気はなくなることがないとみている。だからデモしたあとでもク-ラ-でどんどん冷やしてくれとかなる。山尾三省なら一切電気も使っていない、江戸時代のような暮らしをしていた。燃料は囲炉裏で薪だった。つまり中間派はどっちつかずであり説得力がない、ただ電気の利益とか恩恵は受けたいと虫のいいこと考えている。電気がなくなるという深刻に考えていない、電気がなくなるはずがない、原発がなくなっても石油があるじゃないか、天然ガスがあるじゃないかとか楽天的に考えている。だてから中間派はずるいとなる。本当に現実は二者選択を迫られることさえありうる切迫したものとなるかもしれない、ただ大多数は中間派であり原発推進にしても反原発にしても極端な危機感はもっていないのである。自分もある意味でそういう中間派であり大多数は中間派である。電気の恩恵は受けたい、でも原発はノ-だといって無難な方を選んでいるのだ。

でもいづれは中間派ではいられなくなる。戦争中でも戦争はノ-だといえなくなり3百万人以上が犠牲になり死んだからである。極論が説得力あるのはそれだけの命をかけて主張する真剣さがあるだ。
原発なしではやっていけない、原発とともに死ぬんだというのも間違っていても説得力がある。
そんなことはいやだが電気は欲しいというのは中間派であり中間派には真剣味がないのである。


●人間は目前の巨利に目がくらみ危険を忘れていた-津神社は鯨の神社に変わった訳


人間は利に弱い、それか巨額な利益をうむとなるとそれか危険であっても眼がくらみ、後先なく危険に突入することがある。それが一番現れているのが巨額の遺産相続で遺産争いが骨肉の争いとなる。遺産というのは労せずしてもらえる大きな利になるからそうなる。そういうことは交通事故とかの保険金などやその他巨額の利益が公共事業とかで入ってくるとき起きてくる。その大きな利益のために今までは善人だったものが悪人にもなる。実際そういうことを経験してきた。遺産相続の権利もない雇用主が交通事故に庵た社員の保険金をもらおうとして画策した。それは犯罪になるところだった。その雇用主は別に普通の人だったが保険金が5千万入るとか騒いでいた。その時自分もびっくりしたのである。自分はその時車をもっていないからそんなに金が入るのかと驚いた。そこでいろいろもめたのである。人間はそうした普通の生活で稼ぐ金とは違う大きな金が入るとき突然心も変わるのだ。その大きな金に眼がくらみ犯罪者にもなるのだ。そういうことは常に推理小説のテーマとなっている。


そういうことが津浪とも関係していた。南相馬市の鹿島区の烏崎村の津神社はもともと津浪を記念して建てられたものである。ところがそのことをまるっきり忘れられていたのである。その理由がわかった。その神社は鯨の神社になり鯨の祭りを行っていたのは鯨が烏浜でとっていたからである。
鯨の碑があったのもそのためである。鯨は巨利を生むものだったのである。一匹の鯨をとればその利益は大きい。


島嶼部性の高い日本において「寄り鯨」「流れ鯨」[2]と呼ばれた漂着鯨[3]が高い頻度で発生する。それらのクジラを「えびす」と呼んで神格視しながら受動捕鯨として盛んに資源利用し、これが「寄り神信仰」の起源となった。特に三浦半島や能登半島や佐渡島などに顕著に残り、伝承されている。
寄り鯨の到来は「七浦が潤う」ともいわれ、えびす神が身を挺して住民に恵みをもたらしてくれたものという理解もされていた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8D%95%E9%AF%A8%E6%96%87%E5%8C%96


烏浜の鯨も寄り鯨だった。その利益が大きいから祭りとなったのである。そして津浪の被害のことは忘れてしまった。ここに人間の変わらない心理があった。人間は個人的なことでも嫌なことは忘れたい、でもいいことは覚えていた、利益になることの方に夢中になりやすい、人間の心理は常に利益追求なのである。欲望の追求なのである。大勢の人にとって共通することは欲望の追求である。みんな豊かな暮らしを求めることは共通しているのだ。誰も山尾三省のような極貧の暮らしなど求めていないのである。だからこそ原発が実際は積極的に誘致されたのである。そして請戸の船主などは億の補償金をもらったとか原発御殿が建ったとか実際は原発の巨額な利益に目がくらみ酔っていたのである。漁業だけではそんな豊かな暮らしができない時代になっていたからだ。それは磯部でもそうだったというとき相馬と双葉漁業組合は一体だから補償金をもらっていたのである。事故後も漁業組合には巨額の補償金が支給されているのだ。それで罰あたったとか言われるのである。


つまり原発は鯨と同じだった、巨利を生む故に眼がくらみ危険性をないじんがしろにされた。
東電の清水社長でも危険をないがしろにしたのはコストカットでのしあがったからである。ただ人間は利だけを追求していると思わぬ誤算が生じてくる。結局鯨という巨利を生むものがあり津浪で被害を受けて建てた神社の由来など忘れて鯨神社になっていたのである。それは原発だって事故がなければ巨利を生むのだから原発神社にすらなっていたのである。現実はそうだった。巨利に目がくらむことは人間にとって危険である。石油もまた巨利をもたらすものだからそこから中東の戦争も起きた。童話で未完成だったがジャムの蓋をあけていたらその中に蟻が侵入してかなりの数の蟻がその甘いジャムのなかで死んでいた。そして蟻の列は部屋にまでできていてそのジャムを目指して軍隊のように入ってきたのである。ジャムはあまりにも甘すぎるものでありそれが蟻を殺す結果になったのである。余りの巨利が人間にも災いを生む。そういう教訓があった。日常的に質素に暮らしていればそうした災いにはならない、そこに人間の問題があったのである。

文明はあらゆる面で限度を越えたものとなっている。富の追求でももう限度を越えている。原発という危険なものに手をだしたのもあくことなき限度なき富の追求のためだった。それは原発だけではない、人間の度を越した富の追求は自然も破壊するし公害にもなっているしあらゆる面で弊害が大きくなりすぎたのである。現代文明はあらゆる面で限界に来ている。文明の問題は制御するものがないことなのだ。ギリシャには富や無制限の技術を抑える思想があった。だから自然と調和したものとして後世に残された。現代文明は無制限の欲望の追求であり限界なき技術の追求、利益の追求でありそこに歯止めがないのである。それか文明の滅亡に通じしているのだ。

posted by 老鶯 at 09:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連