2013年07月15日

前双葉町長・井戸川氏が南相馬市の鹿島区の仮設住宅で演説 (緑の風の比例区で参議院に立候補はなぜ?)



前双葉町長・井戸川氏が南相馬市の鹿島区の仮設住宅で演説

(緑の風の比例区で参議院に立候補はなぜ?)



前双葉町長・井戸川氏涙の誓い、腹の底から反原発
「井戸川さん、オレはこんな所で死にたかねえよ」。断熱性のないプレハブの4畳半は、暑くて、窮屈で高齢者の体にはこたえる。「国会に行ってこの無念を晴らすから。投票してけろ」。握手をした井戸川氏は目に涙をにじませながら「これは生き物の住むところじゃない。物置だよ…」とつぶやいた。復興庁によれば、3・11以降、全国にいる災害避難者は27万5969人(6月1日現在)。そのうちプレハブ仮設住宅には、10万7768人が暮らしている。


 井戸川氏自身も埼玉県加須市に借り上げた住宅で、妻と2人で避難生活を送る被災者。「住む所も奪われた者が国会議員を目指すのは初めてでしょう。だからこそ腹の底から反原発を訴えることができるんです」と他候補との違いを強調した。
http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20130712-OHT1T00034.htm

http://hochi.yomiuri.co.jp/photo/20130712-451027-1-L.jpg(ここに写真)



「緑の風」の比例区から立候補した前双葉町長の井戸川氏が南相馬市の鹿島区の仮設住宅の前で演説していた。あの人はよくテレビにでていたから知っていた。テレビに出るということは顔を覚えられるから選挙では有利かもしれない、全然知らない人だと親しみがわかないからだ。だから選挙で一人でも多くの人と握手するのがいいとか言われる。どぶ板選挙がいいと選挙のベテランの小沢氏は言っていた。確かに直接あった人は何であれ票に結びつきやすいかもしれない、そういう心理は人間にあるからだ。

ただみんななぜ双葉町長だった人が緑の風で原発反対で出ているのだろう。聞いてみたら「前の町長が原発推進だった」これがいいわけでありこれは必ず聞かれるからそう言っているのだろう。
このいい訳も何かしっくりいかない、ここが一番反発を受けている。

何か今回の原発事故や津浪では被害を受けた人が市町村別でモザイク模様のようにその心も色分けされたのだ。双葉町とか大熊町は原発の恩恵を一番受けていたからと福島県内でも反発が多くなった。それから双葉町の隣の浪江町でもまた違った感情が生まれた。双葉町や大熊町は一番恩恵を受けていたが浪江はそうではなかったとかなる。でも浪江はやはり相当な恩恵を受けていた。原発で働く人がかなり多かった。それで経済的には潤っていた。請戸では船主は億の金をもらい原発御殿が建っていたとか今になると批判されている。相馬総合病院の特等室に入っていたのも請戸の人であり家を建てると言っていた。億の金はもっているだろう。鹿島区でも大熊の人が家を新築した。地元では家も建てられない人もいるからねたまれるだろう。


今回の被害はみんな一様になっていない、仮設に入っていても津浪の被害者は補償金が原発被害者のようにもらえないとか不満である。南相馬市内でも小高と原町と鹿島で心情的に一致しない、だからまとまりが必要だというのもわかる。30キロ圏外とかで区切らないで南相馬市で共同一致して補償金などの交渉をすべきだと市の広報でも指摘している。補償金などでもらえる人ともらえない人とが分断されていることがあるからだ。だから被害が一様でないから団結しにくいということがある。


井戸川氏が反原発で立候補した一番の問題はなぜ推進だったのが反原発なのだろうとなる。もちろんその被害を受けたことで仮設住まいをしていることは評価できる。富岡町長は郡山に新築の家を建てたとか飯館村長は福島市にマンションを買ったとか言われるからだ。そしたら確かに仮設に住む人の痛みはわからないとなる。仮設に住んでみればはそこも物置だという感想にもなる。たいがい一戸建ての広い庭の家に住んでいた人が多いからだ。住まいについてはかなり不自由していることはわかる。ただその他は補償金で楽々暮らしていけるのも現実である。ただ他で新しく生活をするとなるとその資金は相当なものになる。5千万でも足りないと被害を受けた人は思うだろう。
ともかく今回の津浪原発の被害は住む地区によっても一様ではなくモザイク模様に分断されてしまったのである。


井戸川氏については一人の政治家としてはなぜ原発推進派から反対派に変わったのかということが納得いかない人が多いだろう。前町長が推進したというのも納得いかないだろう。そういうことは政治では常に起こってきた。戦前から戦後になったとき鬼畜英米から親米にがらりと変わってしまった。その時マスコミも戦争高揚推進派から平和主義になった。その時も国民はその変化にとまどった。
そういうふうに黒から白に変わるのは信用できないのである。
人間個人でも人生でも何か一貫性があればその人は評価できる。一貫性がないとその人自身が何なのか評価できないのである。右から左、左から右と政治は変わりやすいからわかりにくいのである。
一貫性があるのは共産党くらいだともなる。


そして緑の風があったが緑の党もあった。これは同じじゃないかと思った。これも実にまぎらわしいのである。政党もあまりに小党分裂するともう何がなんだかわからなくなる。だから民主党が分裂して全く力を失ったのである。
いづれにしろ一貫性のない人は信じられない、人間が一貫性がなくなるのは何か権力とか利権のために信条を曲げるからである。人間はみんな権力によって支配されその主張も曲げる、それはマスコミでも戦争中がそうだったようにずっとそうだったのである。
今回の原発事故も全く政府とか東電でもマスコミでも官僚でも戦争中と全く同じ構造が権力的にできあがっていたのである。それに反対を唱えることはできなくなっていた。それは戦争中と同じく非国民になっていた。だから原発を推進してきた前双葉町長にそうした反省があるのかとなる。
それが一番の疑問なのである。


今回の参議院選挙の争点は何なのかわかりにくい、原発が争点でもない、衆議院選挙でも原発を争点にしてもそうはならなかった。ただこの辺では実際に被害を受け苦しんでいる人がいるのだから原発が選挙の争点となる。だから前も原発に反対した未来の党とかに入れたのである。今回もやはりそうなりやすいのである。だから一貫しているのは実質の野党は共産党しかないともなり票を入れるひともいるかもしれない、実際に都議選ではそうだった。野党がいなければ民主主義は成り立たない、独裁になってしまうからだ。自民党と公明党の独裁も危険なのである。そういう歯止めは必ず必要なのである。権力の独占ほど恐ろしいものはないからだ。東電がそれをまざまざとみせつけたことでもわかる。創価などカルト宗教団体だって権力独占すれば恐ろしいものとなる。牙を隠しているが牙がむきだしになり国民を襲ってくる。原発事故の原因はいろいろあっても明かに権力の独占が東電によって行われていたことだったのである。それは戦争中と同じだったのである。権力が独占化されチェックできなくなるとき民主主義は崩壊して独裁になり民衆は独裁者の犠牲にされるのである。だから
自民党一党独裁となることも危険なのである。

posted by 老鶯 at 14:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連